2016-09-24

映画聲の形」への的外れ批評とその醜さについて

聲の形」という作品は、読み切りから映画まで、一貫して「障害」や「いじめ」はテーマではない。

この作品テーマは「コミュニケーションと成長」だ。

それを読み解くこともせず、眼前に広がる一見ショッキングな"状態"に"反射"して思考停止し、瞬間感じた嫌悪感武器批判しているだけの批評散見されていて、反吐が出る。

罪と罰、救いを一元的に見る人間のなんと多いことだろう。

決して自らの罪を許さない将也と、どこまでも内罰的な硝子の二人が、すれ違い続ける悲哀に満ちた少年少女物語にむかって、

加害者目線ファンタジー」だの「障害者を使った感動ポルノ」だの、

あげく、以下のありさま。

https://twitter.com/sssugita/status/778894069380427776

将也は言わずもがな。そして硝子は許すも何も、自分害悪加害者だと思っている。なんでそれがわからないんだろう。

勧善懲悪な、白か黒かのふたつしかない世界を行きているのであれば、それはなんて貧しいことだろうと思う。

人の心はいだってグレーなのに。

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