「相手の立場になって考える」とか「相手の気持ちを考える」とか言われてもわからん。
結局は「自分から見て」相手の立場とか気持ちを想像するしかないわけでしょ。
それが自分の思い込みや妄想ではなくて、本当に相手の立場や気持ちになれているのだと、どうして信じられるんだろう。
相手と接している時間が長ければそれなりに「この人はこういう考え方をする人かもしれない」と想像の精度を高めることはできるかもしれないけど、それだって100%相手の考えがわかるわけじゃない。
わかるはずもないものを「わかろうとしてない」と言われたって、こっちはこっちなりに考えてはいるんだよ。
ただ、自分でもそれが「想像」なのか根拠に基づいた「推測」なのかまったく根拠のない「妄想」なのか区別がつかなくなってるんだ。
もっと言えば、普通に考えると「おそらく嫌われているだろう」とか「たぶん嫌に違いない」とかネガティブな思考に陥ってしまうんだ。
別にその相手が口に出して「イヤだ」とか「キモい」とか言っているのを聞いたわけではなくても、そう思われているんじゃないか、という妄想をしてしまう。しないわけがない。これまでだって散々そう言われてきたんだ。その優しくしてくれる人だって表に出さないだけで実はキモいと思ってるんだ。おそらくそうだ、そうに違いない。
そうやってネガティブになっていると、余計にキモいだけだ、というのはわかってきた。自分が悪くもないのに謝ってばかりの人間を見ているのはイライラするというのは、エヴァのシンジくんを見ているとよくわかる。内罰的になったところで誰も幸せにはならない。
嫌われているという最悪のパターンから、もしかしたら本当に好意を持ってくれているかもしれないという好意的なパターンまで、複数通りのルートを想定して、その中から少しでも希望のありそうなルートを選択する。
嫌われていることを想定していないわけじゃない。むしろ嫌われている可能性は高いとすら思っている。
本当にただ嫌われているだけだったら相手に不快な思いをさせるだけかもしれない。そんなことはわかってる。
それでも、推測や憶測だけで尻込みしていたら何も変わらないということも身に染みてわかってる。
箱を開けよう。
禍もたくさん出てくるに違いない。
合理主義「俺を使うと割とそこら辺簡単になるよ」