はてなキーワード: 下層階級とは
子育て終了後~介護開始までの短い期間、少しインターバルを置くことすら許せないのかねえ。
ただでさえ休日や定年がある男と違って家事労働は一生休みなく続くのに。
そもそも子育て終わっても専業主婦でいる人なんて殆どいないのに(むしろ子育て中だろうと仕事している人の方が多いだろうに)、なぜそれを前提に語るのか謎。
一生専業主婦でも優雅に暮らせて介護なんて当然外注と言うような上流階級を前提とするなら、
その階級は男だろうと怒鳴られるような仕事なんてしてないしなあ。
「女」を語る時は上流階級を前提として、「男」を語る時は下層階級を前提としてたらそりゃかみ合わんわ。
メル友(死語)に『ラノベ作家を養成する専門学校に行くなんて気が触れてるとしか思えない』と書き送ったところ、大真面目な反論にあった。彼(男だよ!)の反論を要約すると……
2. ラノベに文法は不要だし、読者も文法なんて気にしていない。
4. アマチュアバンドでさえ専門学校に行く。プロならなおのこと。
実のところ専門学校ではないが、彼は夢追いビジネスに絶賛貢ぎ中で、私は彼のイケナイ琴線に触れたというか、16ビートストロークでかき乱してしまったのだ。
溝は深い。
バカの壁どころではない。
彼らはどこか異空間に、催眠商法まっただ中の健康食料品店みたいな場所にいる。
そして社会の肥やし(経済的な意味で)となり、情報もカネも学力も持たぬ下層階級を形成するのだろう。
ちなみに送ったメールでは、
・ラノベ作家養成専門学校が酷い http://anond.hatelabo.jp/20130830202223
・ラノベ作家養成専門学校が酷い ~2nd Season~ http://anond.hatelabo.jp/20130901102804
の2エントリーを紹介させていただいた。
どちらも私が書いた記事だということは伝えていない。言えばポアされるだろう。
どこからその金出すんだよ。
待機児童数が爆発している今、とにかく数の確保の方が先決だけどそれすら予算がない。
つか年収360万未満の世帯における5歳児の保育料無料案ですら予算無くて頓挫したくらいなのに
それより遥かに金かかる0歳児の保育なんておいそれと増やせる訳がない。
東京都の認可保育園のo歳児にかかる税金は1人30万~50万だよ。年額じゃなくて月額な。
年寄りの年金減らせ?年寄りは貧困世帯も多いんだが。特に女性の単身世帯の貧困率が高い。
そういやこの「年収360万未満の世帯における5歳児の保育料無料案」も、そんな事より0歳児の待機児童解消とか言われてたなあ。
つまり「年収360万未満で子育てしている(片親なのか片方が失業中か共働きでもその年収なのかは知らんが)貧乏人の子に最低限の幼児教育を与えるという支援より、
金持ちが自分のバカガキに楽に学歴をつけさせようとして(安倍麻生クラスになると学歴すら要らんけど)、
教育について異様にカネがかかるシステムになっているから、学歴や生きていく上での知恵はカネがないと何も手に入らない。
稀に橋下市長みたいなのが出て、下層階級出身なのに頑張りましたねって意味を裏に含めた賛美を受けたりするけど、
よその育ちのいい人が初期装備で持っているもの自力で得るところからのスタートというのは大変。
学歴さえつければ上流階級ってか育ちのいいコミュニティの仲間入りが出来るっていうのが半分正解で半分間違い。
自分が生まれ育ったスラム街みたいな地域は子供に学をつけさせたいと躍起になっていた母親がチラホラ居たものだから余計気の毒だけど、
現代は学歴を当然のように備えた上で、自身のコネや人脈や言動の質を競う時代なので、
特に育ちが悪いところから這い上がった系の人は就職後に失敗するのよ。
与沢翼とか橋下徹みたいな人が歴史ある財閥系上場大企業で活躍出来るイメージ湧かないっしょ?
あまり特定される個人情報は書きたくないが、私の生まれ育ちも吉本芸人のネタに出来るレベルのクソだ。
まあ、教育費についてはこの増田 http://anond.hatelabo.jp/20130717154434
生まれや出身の社会階級については http://anond.hatelabo.jp/20140608111937
2つとも書いたのは俺なんだけどね。
これだけは言わせてくれ。
お前の人生は間違っていない。
ていうか彼等独特の思考回路がこのときから全然変わってないのがわかるよね。
「日本の都市や行きかう人々の豊かさ・文化の高さはすごい!」のあとに
「その理由を学んで持ち帰り我が国に生かそう」とかじゃないのね。
「格下であるはずの奴等がこんな豊かさを得ていて悔しい、妬ましい」
「こいつらを駆逐して朝鮮王の徳で修められたら素晴らしいのになあ」
なのね。
まず
「自分たちのための富は自分たちで築く」っていう発想が全く無いし、
他人の富を見て
「彼等にはこれを創出・維持管理するだけの努力や能力があるのだ」ということもわからない。
なんか野原に豊かさが転がってて、こいつらはそれをたまたま拾ったのだ、
みたいな雰囲気。
もし彼等の願望どおり当時突然日本人が消えて朝鮮人が移住してきた場合
維持管理もできずにあっという間に不潔な廃墟になるだろうがそんなことすらわからない。
人が築いたものを見るたびに「自分のものになればなあ」なんてことばかり考える。
それでこれ。
まあ人にはそれぞれ琴線ってのがあるってことだろうよ
元増田にとっては「学が低くて」「訛りを恥ずかしいと思わない」「肉体労働者階級の」タクシードライバー、
つまりは地元の星、地元一の才媛、そんな自分より圧倒的に下層階級に属する輩と偏見を持って差別していた
田舎者から発せられた、典型的な、進歩的な都会ではあまり公には耳にすることのない「女なんだから」という
性差別な言説にまず驚き(差別してる側が差別されるってのは、いきなりだとかなりビビるからね)
さらにそれに呼応して、「自分の事を買ってくれていて」「自分と同じ進歩的な考えを持っていると思っていた」
つまりはファザコン対象だった父が、そのドライバーの言に乗るような言葉を吐いた事で二重に驚いた、て事だろう。
そこで「おい雲助野郎、性差別的な事言いやがってテメエ、協会に苦情入れっから覚えとけよゴラ!」とか、いらぬ
事を荒立てないのが大人の作法で、で元増田父はそれやっただけだっと思うけどね。
やっぱりそんな阿呆な元増田の言説が琴線に触れちゃったんだろうよ。
どういう琴線かは分からないけどな
ここで何書いたところで元増田を啓蒙するなんてできっこないし、
頭が回る方だそうなので多分、その程度の事が分かってない人ではないだろうから、
これは単純に「暇潰し」なんだろう
喧嘩ってのは日々の鍛錬が必要なんだよ
つまりは仕事に備えたシャドーボクシングみたいなもんじゃないかとか
なんかそういう物を感じるよ
少なくとも俺は楽しんだよ! 読んで嫌な思いした奴もいるだろうがそんなの慮ってらんないでしょ
根拠は↓
1.原作での庶民的な描写
・友人の治療費が払えなかった
・裕福ではない友人がいた(上流階級出身なら、下々の者と知り合う機会があまりない)
・ゾルディック家の富豪っぷりに驚く
・値切り交渉に長けている
2.アニメでの出身地の描写(参考程度)
・旧作では地中海沿岸みたいな国の一般家庭出身ぽい。
・新作では子供のとき下町っぽい所に住んでいる。新作はトガシが口出ししてるらしいので、多少信憑性があるかも?
・気さくで素直、かつ世話焼き
・チンピラ的言動
(レオリオの性格なら、友人のためにできることは全てやったはず。実家が裕福なら、調度品をちょろまかすくらいできただろう)
A.元々は由緒正しい家だったが、落ちぶれた
庶民の友人がいたことから、遅くともレオリオの子供時代までには家は零落していたはず。
自分の奴隷や使用人に、わざと「王」「貴族」みたいな名前をつけてニヤニヤしてた奴が歴史上に存在した。
(2011/12/03追記)
・本誌が発売されてしばらく経ったので、ネタバレについての警告を削除。
はてなの人達は飲食店スタッフを「可哀想な下層階級」とか思ってるんじゃない?
元エントリ読んでないけど
松屋とかの店員は正にこれだと思ってる
中国人バイトとかは日本語が分かんないせいで底辺になってるだけで知的能力はそこまでヤバくないかもって思ってるけど
日本人で松屋バイトとかしてるタイプはマジヤバいのがいる。知的障害ギリギリ(あるいはアウト)な感じ。IQ70くらいの感じの人がいる
わたしは料理をひっくり返すのはどうかと思う。
けれども、あのエントリのフックマークコメントにも全然賛同できない。
「安い店なら仕方ない」というタイプと、
「黙って席を立つ」というタイプが、
まるで大人の意見のように賞賛されていたけれど、それは違うと思う。
まず、安いお店を舐めすぎだと思う。
ホールスタッフの仕事って注文伝えることと料理を運ぶことがいっちばんの最低限で、
これは本当の最低の最低限だよ。
安いお店で「お辞儀の角度が悪い」とか「このあらいを作った板前を出せ」とか言われたら「お帰り下さい!」だけど
どんな安いお店でも注文ペロッと忘れて「仕方ないやろー!」ってことはない。
なんていうか、つまりさー、
はてなの人達は飲食店スタッフを「可哀想な下層階級」とか思ってるんじゃない?
「物凄く劣悪な奴隷的境遇に追い詰められて働いてる人達」とかー
「頭の回転が鈍くて能力が低いピラミッドの底辺的な人材」とかさー。
おみそに対する時と同じような、理非を超えた優しさに満ちてるよね。あのブックマーク。
うん、ていうか、書きながら分かった。
って前提で話をしてるの。あの人達全員。
注文を忘れたスタッフが居たら
当該スタッフにコップの水引っ掛けて帰るぐらいはいいですよ。してくれても。
もしわたしが注文忘れたらそれぐらいは仕方ないなと思ってかぶりますよ。水を。
黙って帰るって言う自己満足な「オトナ」な「ヤサシサ」の方がずーっと侮辱的です。
それだと失敗にすら気付かないスタッフも居るし。
元増田です。ああ、そういう風に取られるかと思ったので補足。
私が「英語の時代」と言ったのはそういうことではなく、現在先進国の人間が誰でもその国の公用語を「国語」として、日常会話から高度な話題に至るまで読み書きできるようなことが英語において起こりうるということはないということです。中国語圏での北京語、アラブ圏での古典アラビア語、スイスでのフランス語、そういったものの地位に英語が就くことは無理です。その外の世界では英語をしゃべる集団が社会の中に形成されていないし、テレビやラジオで聞きかじっていれば身に付くなんてのはヨーロッパのゲルマン語圏でもなければ無理。
そして、エリートが英語の読み書きを寡占する状態なんてのは続きません。アンデルセンが偉人たる所以の一つは、作品を「デンマーク語で」書いたこととされています。当時デンマークでは、上流階級はフランス語、中流階級はドイツ語を話していてデンマーク語は下層階級の言葉のように扱われていたわけです(現代で敢えて近い例をこじつければ、台湾での北京語、客家語・台湾語、その他少数民族語の状況ぐらいでしょうか)が、こうした努力によってデンマーク語が独仏語にも劣らない機能を獲得することができたわけです。
「英語の支配」とは帝国主義まっさかりの19世紀に世界が逆転することです。そんなことを長く世界が許すはずはないでしょう。そして英語一極支配を肯定している「現地人」はそのうち必ずや顰蹙を買うことにも気づくべきです。
相対的少数派の東アジア、アラブ、東南アジアの大半なんかの人々だけが英語の支配する世界から取り残されていくと考えるべきです。
それだけの人間が世界の人口に占める比率は決して小さくないどころか非常に大きいわけですが。過半数になりこそしないかもしれないが、大雑把に見て3割は堅いでしょう。
となれば、たとえばアラブが(古典)アラビア語、東アジアが漢文、東南アジアがマレー語あたりで固まったとしてもこれは「ガラパゴス」とは言えず、むしろ現在の経済発展の流れが続くならばEUを上回る経済圏が出現することになる。これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
ちなみに現在でもヨーロッパ人は「EUの共通語は英語よりもむしろフランス語」と意識している人は少なくないし(建前としては全言語が共通語)、アラブ圏での古典アラビア語は中国での北京語のようなもので、この地域の経済発展に伴ってこれらの言語の力が強まりこそすれ弱まることはないはずです。また、ブラックアフリカでもスワヒリ語やズールー語、東南アジアでもマレー語やインドネシア語の力が同様に強まるはずです。その方が自分たちの固有の文化(多くの場合言語も)に近いわけで、「近代語」をエリートに独占されずに誰でも学べる形になるわけですから(国民国家の出現と教育制度の整備に伴い、読み書き能力をエリートが寡占していた状態の破壊が進んだことを思い出してください)。
日中韓なんかでは確かに「そのような流れは一般化しえない」かもしれないけど、そんな地域は少数派なんだよ。地図帳と統計資料見ようぜ。インドとアフリカの人口なめんなよw
あなたに言われなくてもその程度の数字は知ってますけどね、日中韓の人口もなめんなよということです。こういう物事というのは多数決で決まるものじゃないのでね。
スペイン語、フランス語、ロシア語、ウルドゥー語etc.の「そこそこの努力で英語力を得られるインド・ヨーロッパ語族の言語を(少なくともエリート層は)日常的に使ってる地域」なんだよ。
残念ながら同じインド・ヨーロッパ語族であっても、ヒンドゥー語やウルドゥー語やペルシャ語は英語と文化が違いすぎて、もはや英語は「学びやすい言語」とは言えない。「難しいとは言えない言語」程度だ。トルコ語は日本語と文法が類似しているというが、日本人がトルコ語を理解するためには、イスラム教やオスマン朝のことをかなり体で理解しなければ礼儀作法といった文化コードまで含めたレベルでの習得は極めて困難だろう。それと同じ壁が存在する。
あなたも言ったように、高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。
なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?
しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督に尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督はリアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。
つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。
CASSHERNは、人間の感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)
CASSHERNのクリティカルさというのは、そう、ブライのセリフに集約されている。
「つまり、憎しみとは、人間也!」
さらに、キャシャーンはキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味のモノローグを語っている。
・人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)
これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説がベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。
しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間に
「憎しみとは、人間也!」
というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画のテーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。
このテーマを容認できない人にとっては、監督の独善、ということになるのだろう。
伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼の儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士や三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。
しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。
しかもキャシャーンは抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこの映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。
が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。
では、鉄也の懺悔は無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画のテーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズの「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。
さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエス・キリストの物語を髣髴とさせる。
だから、キリスト教圏では、この映画は日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。
過去に、日本のアニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジが救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジは人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造の映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。
もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオの誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械の触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。
ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画のひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画の黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。
80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹の逮捕とホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清や三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画のシステムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画をとりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。
無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というその姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズでカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的なプロレスファンは旧来のプロレスのシステムを破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。
従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターがカリスマ化していく作品としては、「最強伝説・黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。
すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。
僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督の製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERNが賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。
そしてこの映画のテーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。
このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的な能力が皆無なので……。
(04/5/1 本田)
出展・http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1264964787/l50
161名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!sage2010/02/03(水) 17:33:43 ID:XH7BIe6s0
>>125
何もわかっていませんねぇwww
「『正常な』共感」能力や「自制心」、「自律心」を持つことを「社会人」の義務、「人間」の条件にすること自体が
それらを持たずに生まれついた障害者へのヘイトスピーチだと言ってるんだが。
「二本の足で歩くことが『人間』の義務」と言ってるようなものだぜwww
ついでに言っとくと、発達障害ってのはまだ日本では認知され始めたばかりでほとんど手帳も取れないし
認定受けてもほとんど支援もないんだが、大体5%~20%の人にその傾向がみられると言われていて、
エロゲに限らずいわゆるオタクのほとんどは当てはまるといわれてるんだが。
ちゃんとエロゲヲタだけを叩く理屈を考えろよwwwエロゲヲタ以外の障害者や性犯罪者以外の犯罪者に対する差別にならないようになwww
165名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!sage2010/02/03(水) 17:53:10 ID:cKpGnLon0
>>161
詭弁も大概にしろやwww
お前の言うことを敷衍すれば、小学校の道徳教育すら「障害者への差別」って事になるんだが?
人の気持ちを解ってあげる優しい子になりましょう
自分がされたら嫌なことは他人にもしないようにしましょう
欲しい物があっても盗んだりしてはいけません
「どうとくのじかん」の基礎の基礎で習うことが全部ヘイトスピーチってことになるなぁwww
こんな差別教育をするのは平等に反する!徒競走は全員並んで一等賞じゃなきゃらめぇぇぇ!!!
170名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!sage2010/02/03(水) 18:21:52 ID:UDahc+Gx0
>>165
本当に酷すぎてアゴが外れそうになった。
人の気持ちを解ってあげる優しい子になりましょう→人の気持ちを想像できない障害者にあやまれ
自分がされたら嫌なことは他人にもしないようにしましょう→レイプされたら嬉しい色情狂にあやまれ
欲しい物があっても盗んだりしてはいけません→盗癖のある精神障害者にあやまれ
今時のモンペですらここまで発狂したクレームは付けないだろうな。
要約
・161<「人間とはこういう物だ」という事を「義務」「条件」とする事はそこから外れる物への差別
・165<「161は「こんな人になりましょうね」という道徳教育も差別と言う
・170<「161は
人の気持ちを解ってあげる優しい子になりましょう→人の気持ちを想像できない障害者にあやまれ
自分がされたら嫌なことは他人にもしないようにしましょう→レイプされたら嬉しい色情狂にあやまれ
欲しい物があっても盗んだりしてはいけません→盗癖のある精神障害者にあやまれ
と言っている」
ほんの少し読み替えて、それを更にほんの少し読み替えると立派な藁人形が出来る。
これだけ草が生えまくるスレッドでは、藁人形が量産されたとしても仕方が無いかもしれない。
藁人形作成講座その2の予定は今の所ありません。
気のせいじゃないね 俺もそれを感じる
そうしたドロッドロの感情ともいえないものが ドーン と爆発する時が日本にも来る。
たぶん、その時には、秋葉原のあの事件みたいな
突発的で利己的でどうしようもなく馬鹿馬鹿しい残虐な事件が日本の各地で見られるようになるだろう。
勝ち組やら、企業やら、政治家は、そういう”危険人物”を差別、隔離、拒絶して遠ざけようとするだろうけど
彼らはそのバリケードを破壊して入り込み自ら諸共 突発的な犯罪を行うだろうな
ま、そんなこと誰でもわかってる事だろう?
世界では珍しい事じゃない
それも溶けて 勝ち負けとやらもハッキリしてきたんだからね。
下層階級の恨みはすごいぞ
他人の痛みを想像せず、めちゃくちゃやってきたツケが日本にもくる。
いいざまだなあ