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2012-02-11

スキャンダルネタは簡単じゃなかった

けっこう前に告発系の記事を書いたのだが、数か月たった今の状況を見てもあんまり盛り上がらなかったようなので反省をする。はてブ10いかないってのは失敗。んなもん自演で頑張れる範囲だっての。俺ってこういうセンスがないのかな。それとも努力不足なのか。とりあえず反省していこう。

 

やっぱり面白くないといけないみたいだ。一応やらおんと萌通についての記事を参考としたんだけど、ただ事実を列挙しても相手が小物だったから盛り上がらなかった。これは誤算。コンテンツとして物足りなかったようだ。執拗なまでに証拠を揃えていたので「これが事実なの?」って意見はつぶすことができたけど、同時に「わりとどうでもいい」という感想を抱かせてしまうことなった。やっぱり優先されるのは面白さ。面白くないと犯罪だってニュースに登場しない。もっとアイデアを捻れば良かったと思う。そもそも「記事」として面白くなければ話題にはなり得ないのだ。面白い事実なんて存在しない。解釈と肉付けあってこそ。

記事の書き方もまずかった。個人的な狙いとしては未来のためにソースとなる記事と、その事実がどういった意味を持つかを書きたかった。記事を読んだだけで何が起こっているのか、どう判断したらいいのかが分かるような記事。しかし、これらの二つを組み合わせるのは案外難しい。慣れないもんだからところどころに綻びがあった。それに詳細のリンクを踏んでくれる人は少ないから出来れば一つの記事にまとめるべきだったのだろう。分かりやすくないとまず読んでもらえない。読んでもらっても理解されない。みんな暇じゃない。

 

盛り上がらなかった要因としては初動の遅さが大きな原因。はてな匿名ダイアリーが注目されるのって、例外なく「影響力のある人が言及して」からみたいだ。俺の記事はそれがあまりに遅かった。おそらく投稿するのが適したタイミングとかあると思うんだけど、それがいまいちからない。これはもう運だと思う。だから仕方ないといったら仕方ないんだけど、せめてこちらか記事を拡散するように働きかけるべきだった。自演垢ではてブ三つ付けるくらいのことはしないと。まあ俺が影響力があればいいんだけどね。地道に努力しよう。 

それと大事なのが愉快犯として突き通すこと。書き手の属性ツッコミどころがある最悪な奴で良い。これを学べたのは一番の収穫。下手に倫理観に則っていても、かならずツッコミどころががある。それくらいなら始めから悪意を込めて、恣意的な記事にすべきだった。私はこう思う。君たちはどう思うか。なんて面倒くさいことはせずに「消えちまえwwww」とか書いとけば良かった。俺はピエロになるべきだったのだ。しかも思っていなくても正義に訴えかけていたら、本当にそんな気がして悪いことをした気持ちになった。これも気を付けたい。ひたすら腑抜け野郎を煽っていこう。まずは自分で草生やして自分燃えろ

 

で、良かった点。これはミスリードを狙ったこと。まんまと相手が引っかかった。別に大した意味はないけどただ気持ちいい。絶対に特定されないからどうでもいいんだけど。これから告発系の記事を書くときミスリード採用しよう。なんか悪あがきって感じで恥ずかしいけど楽しいのでアリ。

今後の告発に備えて切り込み隊長の記事でも読み返して煽りのセンスでも鍛えてくる。今思うと、相手が小物すぎたんだよな。どれだけえげつないことを暴露しても、マイナー人間がやってたら話題にならない。それでも記事の書き方次第では注目されると思うから、今度はまた機会があれば頑張っていこうと思う。書いてみないと分からないと思うけど、たまに話題になる告発系の記事ってわりと難しい。読んだ人に「これはスキャンダルや!!」って思わせるのはそう楽じゃない。あれって様々な工夫がされてある。不勉強でした。

2012-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20120106004352

ああ、本当に俗物的で残念な反応が得られました。

高学歴にも低学歴にも零細企業にも大企業にもどんな肩書きの人にもそういう人はもちろん居るんだけど、、、

自惚れてピエロになってる人を泳がせて観察するのも楽しいので、これ以上はノータッチで楽しむこととしますw

2011-11-15

[]2011年11月14日

サーカスがやってくるらしい。

そして派手なポスターを見ると、この歳になっても、

つい、さらわれるんじゃないかと身構えてしまう。

そして昔を思い出す。

まだ小学生だった頃。

夏休みに同級生のN田くんが突然消えた事を。

N田くんの失踪当時の新聞で神隠しか?などと騒がれ、

川や山など大捜索したが結局は見つからなかった。

俺の地元は、当時はまだ至る所に空き地があったけど、

その中でも工場の跡地だったか、なんだかの大きな空き地サーカスが来ていた。

そして僕と仲の良かったN田くんはこの田舎町にやって来たサーカスという非日常に興奮し、

テント毎日通っていた。

もちろん中には入れないので、僕とN田くんはテントの周りをうろうろしているだけだったけど、

おじさんやおねえさんとそのうち仲良くなり、馬に乗せてもらったりしていた。

子どもも何人かいて、学校はどうしているのかな?と思っていた。

そんなある日、N田くんが突然「僕サーカスに入るわ」といいだした。

予兆はあった。

冗談っぽく、サーカス団長から「うちに来ないか?」「センスあるよ」とN田くんは言われていたのだ

(僕はバランス感覚が皆無で全くダメだった。N田君は簡単にボールの上にのれ、練習用の綱渡りも簡単にやれた)。

そして、彼はまんざらでもなかった。

N田くんは俺に「親は絶対に反対するから」といって、

「絶対に内緒にだよ」っと二人で指を切り秘密にすることを誓いあった。

N田くんの家は医者で裕福な家庭だった。

小学生だったのにピアノチェロも習っていたし、塾にも通っていた。

そんな彼がなんでサーカスに行きたいと言い出したのか俺には今でも分からない。

親もすごく優しい方で、どこに不満があったのだろう。

それから数日後、9月になり学校がはじまった放課後に本当に彼は消えてしまった。

仲が良かった俺はいろいろな大人にN田くんの好きな場所や、

行きそうなところを訪ねられたが、本当の事は決して言わなかった。

から俺はサーカスを見ると思う。

あの小屋の中でN田くんはピエロになってチェロを弾いているのだろうかと。

綱をわたって、ダガーをなげたりしているのかなぁと。

でも俺はさらわれたくはないと、畏怖心が心の底から沸いてくるのだ。

・・・・・

<追伸>

彼に弟がいることを思い出した。

どこで何をやっているのだろうか。ふと懐かしく思った。

2011-08-17

ブロークバック・マウンテン見た

ジャック最初からホモだった。

イニスと別れた後にもロデオのピエロをひっかけようとしたり、寂しくなったらメキシコで男を買うような奴だった。

牧場主任の男とも関係があった。イニスには妻と不倫してると言ってたが、できてたのは旦那の方とだろう。

イニスホモじゃなかったけど、ジャック出会ってホモになった。

もちろんイニスにもホモの素質はあった。幼い頃、近所の牧場で殺されたホモ死体を見せられたことがトラウマになっていたからだ。

イニスとアニマはジャックのことがバレてなくても別れていたと思う。アニマは都会志向が強いが、イニス田舎から離れられない。アニマとモンローの関係はイニス離婚する前からあったと思う。

ジャックホモとバレて男たちに殺されたのか、ほんとにタイヤパンクで死んだのかはわからない。

けど、ジャックの両親は、ジャックの性質のことは知っていたし、受け入れていたのだろう。ジャックの妻は、ジャックホモだったとは最期まで気付いていなかった可能性が高い。

結局、ホモが受け入れられなかった時代にホモだった奴らの話だった。

それ以上ではない。

2011-08-03

悲しいピエロ速報NYUSOKU

 ニュー速の中ではクズの振りをすると受ける

 ニュー速の外でもクズの振りのするやつが出てくる

 受けない → 悲しいピエロ速報

2011-07-29

幸せになりたい

どうして苦しいことを認められなかったのか。

私の苦痛は私の苦痛であって他人には計れないはずでした。

だけど私は自分苦痛を見ようとしませんでした。

小学生の頃、道徳の授業で少年兵についてのビデオを観ました。

「かわいそう」でした。

人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。

彼等は学校に行けません。

彼等は人を愛せません。

彼等は私たちと同じじゃありません。

からかわいそうでした。

皆大体同じことを考えたと思います

今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています

そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。

苦痛という感情もその一つです

彼等の苦痛と私たちの苦痛は同じ所に並べられません。

違うのです

単純に、彼等の苦痛が大きくて、私たちの苦痛が小さい。

周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。

「苦しい」と言えば、

「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、

死にたい」と言えば、

「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。

そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。

私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。

理由は私の兄にありました。

私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。

少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。

実践してみれば簡単なことでした。

道化と化した私はクラスの人気者になりました。

その時は嬉しかったのです

変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。

今思えばここが間違いだった、と感じています

道化見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です

そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです

私は見世物として存在することに慣れました。

人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです

私はそれを苦痛だと考えませんでした。

周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。

ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。

私はそれを見ているのがとても嫌いでした。

笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。

しかしその時からいらぬ疑問を抱くようになりました。

他の人はいつも私がされていることを嫌がるのです

それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから

私は本当にうれしいのか?

中学生になり、地元学校だったので小学校ほとんどの生徒が同じ中学校入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。

相変わらず私を知っている人達は私を私として扱います

そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです

わたしは結論しました。

自分はいじめられていると。

部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。

こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです

何故なら、私はその私しか知らなかったかです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。

中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。

勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。

私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです

一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。

ただの暴力一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。

彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。

なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。

彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです

限界はどうしても来てしまものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです

そして学校面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。

しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。

勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。

人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです

何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。

かわいそうな自分が好きでしょうがない。

私なりの結論でした。

そしてそれは正鵠を得ていました。

教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快感情と同時に、安心できるのです高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのですしか絶望します。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます

この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです

高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。

全てが嫌でした。

それなのにクラス委員などに就いている自分が嫌でした。

苦痛を期待している自分が嫌でした。

惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。

友達と楽しく会話している自分が嫌でした。

こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。

死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべ感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです

私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです

二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。

学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰します。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。

私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員ですおかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです

それでも私は理性的です。生きているのです

しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇であるためには。

生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです

結局これが私の思春期の全てでした。

大学生になりました。

冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立大学に入り、親の前での面子を保たせました。

大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分学力で行ける範疇大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。

大学生活の一番初めの感想は、喪失感でした。

大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。

最早かわいそうな私はいないのです

かわいそうな私を求める人はいないのです

随分と薄っぺらい絶望が全身を覆います

大学では色んな人が色んなとこからます

しかし確実に私と違うところがありました。

彼等は正常でした。

彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです

彼等は目を輝かせて自分の将来を語るのです

彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです

思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。

苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。

自分苦痛を認めずに、自分いじめ人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。

苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。

現在私は大学二年生になり、成人を迎えました。

使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去苦痛に相変わらず縋りついています

行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようですしかしその症状は殆どからあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。

すぐに三年生になり、就活が始まります

私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です

結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。

しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。

こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。

私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。

でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。

なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。

それよりとにかく幸せになりたいです。でも私の求める幸せがよくわかりません。

こんなクソッタレはもうダメですかね?

2011-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20110517134737

ネットで議論してた安全側も危険側も、東電から発表される

第一次情報がまったく間違ってたか

ピエロだったんよ・・・

首相までだまされてた。。

http://anond.hatelabo.jp/20110517132026

ピエロ認定がしたいのであって、ピエロ定義には興味ありませんってことか。

まあそういう人っているよね。

http://anond.hatelabo.jp/20110517104724

君の手法も議論の本筋から離れたところに噛み付くという意味ではあんまり感心できないね

そもそも元記事の「哀しいピエロ」が藁人形なんじゃねえの?

俺の書いた2行目以下読んでどう思った?

しいピエロだった

東電が2ヶ月以上経ってやっと原発事故発生時の情報を公開したけど

これを見ると3月11日午後7時半の時点で1号機がメルトダウンしてたんだよね。

そのあとすぐに2号機、3号機もメルトダウン

ネット上では3月14日頃に「MIT研究者解説するから安全!」「チェルノブイリとは違う!」

「うんち・おならで例えるとわかりやすい。安心しました」「AERAの表紙はヒドイ!」

とか騒いでたのは、ただの哀しいピエロだった・・・

東電が16日発表した福島第一原発事故の推移 

http://www.yomiuri.co.jp/photo/20110517-979763-1-L.jpg

MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説 3月14日 19:23

http://blog.livedoor.jp/lunarmodule7/archives/2406950.html

からチェルノブイリとは違うって何度言えば分かるんだってばよ原発についてまとめてみた 2011/03/14 18:07

http://www.icoro.com/201103145746.html

「うんち・おならで例える原発解説2011-03-15 13:29:31

http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM

http://togetter.com/li/111871

AERA放射能が来る」に関する意見 2011-03-20 23:02:15

http://togetter.com/li/114404

2011-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20110512183546

え、何が毎日

同じようなこと書いてる人を毎日のように見る?



http://anond.hatelabo.jp/20110311112608

日垣氏に関しては↑のように炎上マーケなんでしょう。

一定の信者がつけばメルマガ電子書籍で定期的な収入を得られる。

宗教教祖と同じで自分ピエロになることを厭わないなら

最高の集金方法だと思います。



ただ戸惑うのは、狙ってやってる炎上マーケにも思えないこと…

大言壮語にとどまらず、下手したら虚言癖があるような…

地を出してみたら自然炎上マーケになってました、みたいな…

これからもタダでウォッチはするかもしれないけど、

やっぱりもうこの方にお金を落とすことは自分はないと思います。

合掌。

2011-03-15

201103151630

やっぱり、これだけは言っておきたいネット上に出ている情報は全て隠れ蓑として利用されている。
知られてはマズイ事は綺麗に隠されたままで、自分たちの持つ発言の場で表現する事を止められています。
またおかしなことに、発言して良い内容等はあえて複数の色んな場でミスリードを誘う内容を公開。
誰がこんなシナリオを描いているのかは分かっていますが誰もその事に触れずピエロに向けています。

内容を全て話すと特定されてしまうと思うので色々伏せたままでごめんなさい。

そもそも計画的に全て行われていました

イレギュラーは発生しましたが、最終的には話題の中心を思惑通りに修正でき、

話題の規模も縮小する事が可能となりました

結果たかったものを得て、増やしたかったものを増やせたはずです

重要場所から何の情報の配信・発言がない事へもっと注目してほしいと思います。

2011-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20110301004110

gokinoはピエロからいいんじゃね?

gokino自身がやっているのかもしれない。

2010-12-08

いえい!ハッピー!!

逆さまになったピエロだ!!

くぎゅうううううううううううううううううう

メッセージにして伝えるよ!

神よ!どこにあなたはいるのですか!

手打ちうどん食べてもいいですか!

ビリビリビリー物語!!!!!!!!!

あまりにも!!あまりにも美しすぎる!

とりあえずビリー

楽しくやっていくことが大好きだぜ!

我慢せずにやってやるんだぜ!

結局ここに帰ってきた。

だってあそこ、一日一投稿くらいじゃん。

俺が居座ったら絶対浮くじゃん。

全く、ふざけてるよね。

もう、淫乱パーティー開いちゃうよね。

俺はここのほうが好きなんだよ。

でも他にも知りたい。教えて欲しい

大好きだ。愛している。

何もかも、動き出す。

もっといいコミュニティを教えてくれ!!

過疎ってない場所を教えてくれ!!

うわああああああああああああああああああああああ

さいっこうだぜえええええええええええええええええ

引き止めるものも何もない

もはや言葉すら必要ない

元気を出して。元気を履きつぶして。

空気を感じて。何が何だか分からないようになって。

それでも僕は生きるよ。

それでも僕は生きてやるよ。

世界が正解に向かうまで、俺は進歩をやめないよ。

一日一回かな。あそこは。

大体そのくらいが丁度よさそうだ。

こっちはこっちで楽しいのさ。

誰もトラックバックしてくれなくても、俺は書き続けるぜ。

ブンヒツカだぜ。ナイスロックだぜDJジン。触りたい

雷に触りたいグシャグシャになった心。

光を掴む。そうだ、つかんでけっ!!

何もかも、空気となって消えていけ。俺の♥が疼く。

邪気眼が目をさまそうとしている。

さぁ、究極のパーティの始まりだ。オープニングジャスティスさ。

コミュニティに愛を。俺はひたすらラブリング

毎日一回の優しさ。てらわろす。生文章を君に届けるよ。

いつかtwitterで花サカスぞ、その才能。

俺がやってみせる。歴史的この記念日

ファイトスタイルエンジャッジメント。

僕は僕であることを知ってほしい

君がどれだけ幸せであるか知ってください。

やめてください。

クリスマスパーティには参加したいね

笑って笑って、笑いつくしたいね

show my windowだね。最高だね。

長くても一日、最高とはなにか。

誰のための人生。何のための人生

俺は書いている。文章を書いている。

さぁ、走りだそう。闇に向かって走りだそう。

空気感が変わる。絶望は俺を包み込む。

理解のドを越えて、広がっていくメロディ

元気、ひたすら元気だ。世界が素晴らしいことを。

分かってもらえるかな。何もかもを、手に入れているということを。

素晴らしいこの世界。beautifull world.

宇宙には夢があることを知る。セクシーなその身体。

いつまでもいつまでも飛んでいけ。

俺のジャスティス!とどまることを知らない歴史

誰にも止められない!!!!!!!!!!!!!!!!!!

もう誰にも止められない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2010-09-24

PS.

初めは一目惚れだった。

周りが見えない俺はいつものごとく暴走してて、やっぱり相手に引かれてた。

あーあ、またやっちゃったなーとか反省する暇もなく過ぎていく毎日。

きっと『過去にあんなことあったよねー」とか笑い合える日が来るんだろうけど、その人の傍には俺はいないんだと思った。

でも俺は諦めなかった。

顔を合わせる日には必ず下らない事で笑わせられるようにして、でもそれ以上近づこうとはしなかった。

その時はこの人には彼氏がいる事は知っていて、その相手もなんとなくわかっていた。

だからこそ、それ以上近づきたくなかったし、相手もそれを望んでいると思っていた。

みんなでカラオケに行った。

頭ごなしに否定から入る頭の悪い上司と、キレ者だけどあんまり信用できない先輩と、俺と、貴方と。

他の女の子の話をしてくる先輩にすごく焦ったり、自分の持ち得る中で最高の18番を歌いきり、そしてそれとなく、貴方が俺を見ている事を意識しつつ。

うその頃には貴方を好きになっていたんだと思う。

ふざけていたけども、だけども本気だったあの言葉

貴方に惹かれている俺はふざけていたけども、本気だった。

今までは言わないような言葉を言い、今までなかったメールを沢山した。

弱い俺は電話で、会って話したかったけど、それでもメールだけでも嬉しかった。

何気なく俺がリクエストした髪型にしてくれた貴方。

貴方はよく俺がリクエストした髪型にしてくれていた。

少し馬鹿な俺は背の低い人は髪を少し明るい栗色にして、ゆるくパーマをかけ、上の方でツインテールにしてくれる人が予々現れてくれないかと思っていた。

貴方が美容室に行くというので、ならば背の低い貴方はまさに俺の理想だと本気で信じていた俺は、熱くその思いを語った。馬鹿だと思ってくれて良かった。

そして貴方は俺の理想になった。

正直びっくりした。ショートにもしたいと言っていたし、髪が明るいのは嫌だとも言った。あまり期待していなかった。

けれども次に会った貴方は俺の理想で、しかもそれが似合っていて、貴方は少し恥ずかしそうにしていた。

その時、今まで隠していた気持ちが顔を出した瞬間だった。

頬を赤らめた俺のメールと貴方に恋をしている事に気がついた事務所。

まったくもって、貴女の髪型けしからんくらい俺の理想でどストライクだったので、ついそれをメールで言ってしまった。

外にタバコを吸いに出ていた俺は、まぁいつもの軽口だと思ってくれる、そう信じて事務所に戻った。

けれども事務所に戻ったら貴女しかいなくて、ドアを開けて目が合った瞬間、貴女は顔を赤らめて目を逸らした。もうやられていた。

自分の気持ちをごまかしながら話した日々。

MessengerのIDを手に入れた俺はさながらきびだんごを与えられた桃太郎のごとく、無敵の気分だった。

ほぼ毎日仕事が終わってから1時、2時くらいまで話した。もう何を話したか全部覚えていられないくらい話した。

根がネガティブで、弱くてくそったれな俺は貴女によく励まされた。

彼氏彼女と友達と。

3人で秋葉原に行く事になった。傍から見たらとても変な3人組だったと思う。

メイドカフェに初めて行って、萌え燃えキュンキュンとか言った。少し恥ずかしかった。

貴女は少し無防備な所があって、車が来ている時に思わず手を引いて歩いた。ドキドキした。

二人でご飯を食べに行った。

元々出不精だけど、幸いデートできる所は知っていたので、近場だからとか言っておきながら考えうる限りで最高の所に連れて行った。

貴女は彼氏がこういう所には連れてきてくれないと言っていたので、むかついたけど、どこか優越感があった。

滝が流れてるお店なんて初めてとか言ってはしゃいだ貴女の笑顔とその横顔はとても可愛かった。

貴女に思いを伝える決心をした。

正直辛かった。彼氏は直属の上司だけど、年は一つしか離れていなくて、家に泊まりに行ったりする仲だった。

ただの上司という訳ではなく、俺の中ではもはや仲の良い友達で、仕事が出来る上司はとても好きだった。男友達として。勘違いするなよ。

すごく悩んだ。あまり考えないようにしていたのに、眠れない日々が続いて精神的にも、体力的にも参っていた。

貴女に会いたいと言ってしまったあの日。

もうどこかおかしくなっていた俺は今まで愚痴る事は合ってもそれを貴女の負担とならないように笑い話にする努力をしていたのに、その日、ただ「会いたい」とだけメールしてしまった。

どうかしてる、こんな事を言ったら心配するし、何より感づかれてしまう。それだけはないように好きな人はいる事は言ってもそれを気づかせないようにしてきた努力が水の泡になってしまう。

次の日、貴女はとても俺の事を気遣ってくれていた。

そして想いを告げた。

もう無理だった。何もかもが辛かった。貴女の笑顔は俺を無敵のヒーローにするし、彼氏と飯を食っている時はさながら閻魔大王裁定を待つ極悪人のような気分だった。

仕事はもはや忙しさを口実にした逃げでしかなく、それ以上に俺を頼りに来てくれる客は甘いお菓子のようだった。

全てが壊れる前に貴女に想いを告げた。

俺を好きだと、そう最後に言った貴女。

夜中に呼び出した貴女は部屋着でチャーミングで、色っぽかった。多分一生ないであろう、釈迦のごとく俺は平静を保った。下半身は無情にも反応していたが。くそったれめ。

100%伝えきるには朝まで短すぎるし、けれどもこの想いを伝えたい俺は言葉を選んで告白した。

ふられると分かっていた。そしてそうなった。けれども最後に貴女は俺の事を好きだと言った。

怒濤言葉攻め

ふられて、もう終わったんだと。そう心に言い聞かせて、少し時間はかかるけども、また友達に戻ろうと。そう思った。

でもそんな事を聞いたらもう俺は引き下がれなかった。年齢の事もある。彼氏の事もある。まわりの人達、親、友達、俺。

その時の俺はもうそ彼氏と縁を切り、仕事を止め、夢が遠ざかるとしても、貴女とこれからの人生を歩もうと思い、貴女に俺の熱い想いを聞かせた。

けれども弱い俺は先輩を切れなかった。

お人好しではないけれども、仲の良い友達を切れる程、俺は大人じゃなかった。強い人間でもなかった。

時間が欲しいと言った貴女は眠い目とあくびを携えて帰り、俺は貴女と先輩の間で揺れていた。覚悟を決めたつもりだったのに、どうしてか。

もう仕事を辞めたけども、仲の良い先輩と会って、意味もない虚栄心を張った。馬鹿みたいだと思った。結局切る事ができなかった。

そして呼び出されたついこの前。

いつも通りを意識していた俺はとても上手く演じられていたと思う。ピエロとしての俺を。

中々本題に入らない貴女のその心の弱さが逆に俺の慰めとなった。吐き気がするくらい楽しかった。

そして、貴女は俺とは居られない、けれども傍に居てほしいといった。まったくもって、くそったれで、残酷で、甘くて、奇麗な世界なんだろうと思った。

全てに疲れた俺は貴女と彼氏仕事から逃げる事に決めた。

ふられたとしても、もうここまで近づいてしまったら貴女と彼氏の関係にしこりを残してしまった。貴女とは居てはいけないと思った。

そうして小雨の中、歩いて帰ろうとしたら貴女は俺の腕を掴んで送っていくと言った。辛くて、嬉しくて、キスをしたいと思った。

でも、それは叶わなくて、強引に貴女を連れ去ると、その唇を奪って全てを台無しにすると、そう言っても貴女は俺の腕を離さなかった。

もう貴女を突き放すしかないと思った。

まったくもって、俺は子供だった。それ以外の手段が思いつかなかった。今となっては対応方法なんていくらでもあったとそう思えるが、しかしそれしかなかった。

そしてもう嫌だと言って貴女の手を振り払った俺は貴女のその悲しそうな目と顔がこれから一生夢に出てくるんだと思った。

貴女は俺との関係を0にしたくない、友達でいようと言った。その優しさと残酷さが俺を追いつめた。

そして、全てが終わった。

この内容より短いし、ちょっと違う事や、書いてない事もあるけれど、夜中の2時から書いて、3時半に送ったメールは、人生で一番良い時間だった。

周りの人に迷惑をかける事はわかっていた。仕事から、彼氏から、貴女から逃げると決めていたけども、その時だけはとても穏やかな気持ちになれた。

けれども貴女に伝えきれてない事がある。逃げ出した俺はもう貴女に言う資格がないから、ここに書き留めます。俺の気持ちに嘘は無かった。それだけを信じて。

貴女がこれから歩む人は愚直で、不器用で、ちょっと不義理な所があるけれど、きっと貴女を不幸にはしません。

これからまた寂しい想いをする事もあると思います。また俺みたいなやつと友達になるかもしれません。

けれども貴女はもっと強くなりなさい。貴女のその寂しさを貴女の伴侶に託しなさい。

貴女が持つ寂しさは誰しもが持っています。そしてそれをぶつける方法は誰しもが悩んでいます。

しかし、それを恐れてはいけません。きっと貴女の事を愛している伴侶はそれを不器用なりに受け止めてくれます。

貴女を泣かせた俺はもう傍にいる資格はないけれど、それでも。それでも。

それでも貴女の事が好きでした。

どうか、幸せに。

PS.

諦められずに強引に連れて行ってくれたら、なんて最後に言うのはずるいと思うんだ。

逃げ出した俺はその資格はないけど、それでも貴女の所に行きたくなるじゃない。

まったくもって、貴女は小悪魔そのものだ。

2010-09-07

引き籠りが、初めての合コンと恋と、人生最大のザンゲした話

書かないと気持ちがおさまらないと思ったので、初めて匿名ダイアリーで俺の恋の話と人生最大のザンゲをしたいと思う。

たった2ヶ月たらずの出来事だけど、すごく長くなると思う。

まずは俺の簡単なスペックから。

年齢は20代後半で、20代中盤あたりからから引き籠りがちだった。

もっと言えば、昔から人と関わることが苦手で、それを避けてきたと思う。

一人でいることが好きだったし、最近までそんな人生でもいいと思ってた。

結局数年前から在宅で仕事をするようになり、定収入が得られたことによって、

ずっと不安だった生きる上でのお金の心配もとりあえずなくなった。

お金を得たことで実家を離れて一人暮らしをするようになった。

すると、すぐに友人が少ないことや、彼女がいないことで、とても寂しくなった。

それまで一人でいることを何の苦とも思ってなかっただけに、その寂しさは尋常じゃなかった。

これまでの考えが180度変わり、20代後半にもなってやっと、人との関わりあいの大切さ、一生一人で生きていくことは

とても辛いことだとわかった。

一人暮らしを始めてすぐに、引き籠りがちな生活から脱出して友人も沢山作り、人並みの恋愛もしたいと思った。

もう手遅れかもしれないけど、ど底辺と言われる引き籠りのニートだった俺が、充実した人並みの

人生を送ってみたいなんて思ったんだ。

  • 初めての合コン-------------------------------------------------

ちょうどその時、友人から一通のメールが届いた。

合コン行かないか?」

これまで合コンに行ったことがなかった俺は、女性と上手く話せる自信もなかったので、一度は断った。

でも、引き籠りを脱したい。脱出する為には気乗りしない合コンにも積極的に参加していくしかないと思った。

数週間後、友人に

「まだこの前の話が残っているなら合コンへ参加する」

と返事を返した。

合コン当日、俺、友人、男幹事(初めて会う)と女の子3人で3対3の合コンをした。

3人の女の子の第一印象は、生意気にも

「どの女の子も可愛くないな。」

だった。

居酒屋での話は結構弾んで、その後ボーリングに行くことになった。

その時点での女の子3人の印象は、

・女幹事(一番可愛い

・A子(変わった子、最終的に恋した子)

・B子(マメな子)

という感じだったが、どの女の子とも恋愛には発展しないだろうって思った。

でも、彼女以前に引き籠りを脱して女の子の友達が欲しいと思ってた俺は、一人ぐらい

連絡を取り合ったり、遊びに行ける子ができればいいな、なんて思ってたんだ。

ボーリングをしていると、何故か同じチームになったA子のことを目で追っていた。

その時点で彼女のことが気になっていたわけではなく、やたらと妙な行動を取るので

自然と目で追ってしまうという感じだった。

ボーリング場で彼女が目を押さえて痛そうにしてたので、

コンタクトしてるの?」

と聞いてみた。コンタクトがズレたり、まつ毛が入るととても痛いのは知っていたので心配だった。

その時ふと間近で彼女の目を見て、すごく綺麗な目をしてる子だと思った。

ボーリングが終わり、友人が、マメだという印象だったB子に連絡先を聞いていたのを見て、俺も誰かと番号交換したいと

思ったけど、合コンが初めてだった俺は、慣れない女の子を前にそんな勇気も出なかった。

20代後半にもなって番号聞く勇気ないとかありえないよね。

電車の改札で6人が解散になる時、その場のノリで女幹事

実家に帰ったら?」

と言われたので、一人暮らしマンションには帰らず、なんとなく実家に帰ることにした。

聞いてみると、女幹事、A子、俺の実家は同じ町にあるらしく、必然と俺+女性2人で帰りの電車を共にすることになった。

こんな体験人生で数度しかなかったけど、飲めない酒が入っていたこともあって普通に会話することができた。

その時点では、恋愛感情なんて全然なかったということもあって、

女の子2人を前に素直に会話が出来たのだと思う。

電車の乗り継ぎの時に、女幹事が急に、「特急で帰る」と言いだしたので止めることも出来ず見送った。

この時点でA子と二人で電車を待つことになった。

A子がまた目を押さえていたので、やっぱりコンタクトが痛いんだろうかと思い、気にかけた。

その時も、彼女の目を見てすごく綺麗だと思った。

大丈夫。」

とA子は言った。

その後、二人で会話をしていると、どうやらA子は自分と同じ駅で降りるらしい。

電車の中で彼女

「私も合コンは初めて」

自分の夏は終わった」

などと言っていて、さっきまで妙な行動をとる女としか思っていなかった彼女に対し、

ウブというか、可愛い一面もあるんだなと思った。

地元の駅に着き、改札を出るとお互いの家は逆方向だった。

そのまま帰ろうかと思ったが、家が近いなら女性は家まで送っていくべきなんじゃないか?

と思ったことと、何故かもう少し彼女と話をしたいと思った俺は、

「嫌じゃなかったら家まで送っていくよ。」

と言った。

彼女は一度は拒んだものの、嫌そうじゃなかったのでそのまま会話しながら彼女の家まで一緒に歩いた。

途中、話をしていて彼女は凄く真面目な子だという印象を受けた。

彼女の妙な性格と、可愛らしい一面のギャップを知って、少し彼女のことが気になった俺は電話番号を聞きたいと思ったけど、

やっぱり勇気は出なかった。

すると、彼女の家が近づいた時、彼女の方から

「番号交換しませんか?」

と言ってきた。

しかし、彼女携帯電話の使い方が上手くわからないので、ボーリングスコア表に手書きでメモすると言った。

携帯の使い方も知らないのに番号を聞いてくれた彼女の行動を見て、やっぱりおかしな子だと思ったが、

素直に嬉しく、会話の中で徐々に彼女のことが気になっていた俺は、次の日自分から誘ってみようと決心した。

もう少し彼女のことを知りたいと思ったんだ。

その日、事前に調べていた合コン系のサイトに、

合コンが終わったら全員にメールし、マメさをアピールする」

と書かれていた。

事前に合コン系のサイト女性を喜ばせる方法を得ようとする辺りが、引き籠りならではの

キモさかもしれないな。

その後、男幹事から全員のメールアドレスが送られてきたので、

全員に「お疲れ様」メールをした。

また、初めての合コン参加の下調べ中に、2ちゃんねるまとめサイトには

「引き籠りには引き籠りが染みついてるからどう頑張ってもバレる」

と書かれていたのが印象的だった。

次の日彼女を誘おうとメールしてみると、彼女は出かけていて無理だという。

理由もはっきりしていたので、タイミング悪かったなと思った。

その後、メールのやり取りはなかったが、1週間後に彼女誕生日があることを記憶していた俺は、

誕生日メールを送ってみた。

別に彼女意識していたわけじゃなく、なんとなく誕生日記憶していて、これはメールのきっかけを作るチャンスだと思ったんだ。

次の日彼女からメールが返って来て、思ったより反応が良く、いい感じでメールのやり取りが出来た。

家族からも誰からも誕生日を祝われないと言った彼女メールを見て、少し可哀そうだと思った。

次回合コンの6人で花火大会に行くことが計画されていたので、

「食事は花火大会以降ですか?」

と聞かれ、食事に行ってもいいよという合図なのかもと思った俺は、いつでもいいけど今週、来週はどうかと聞いた。

しかし、今週も来週も仕事と予定があるので無理だと断られた。

後から考えてみると、おそらくこの日のメールから俺に対する彼女の印象は悪化していったんだと思う。

誕生日メールの印象は多分良かったと思うんだけど、この日がピークだったんじゃないかな。

その週の土曜日彼女仕事だと知っていたが、近くで花火大会があったので、仕事が終わってから

花火大会に行かないか?ともう一度誘ってみた。

仕事の後に予定があるから。」

と断られた。

その後もメールのやり取りは続いていたが、次第に絵文字が減り、文章が短くなり、俺からのメール最後

メールラリーが途切れた。

俺は、

メールをやりすぎた?

・内容がまずかった?

・短期間に誘いすぎ?

など色々考えたが、メールの内容も、途切れてもおかしくない文章だったので答えはわからなかった。

この辺りから、俺は完全に彼女のことを意識していると気が付いた。

その数日後、一度か二度こちらからメールを送ったが、くだらなさすぎる内容で、送った瞬間後悔した。

返事は返ってきたが、メールは数回程度で終わった。

  • 花火大会-------------------------------------------------------------------

それから一週間後、また合コンメンバーの男女6人で会い、別の花火大会に行く計画になっていたので、参加した。

彼女は前回初めて会った時よりもお洒落スタイルも良くて、とても可愛らしく見えた。

頑張って彼女と会話を弾ませようと思って話かけたが、まるで聞こえなかったかのように無視された。

もしかすると本当に聞こえてなかったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。

花火大会の日は最悪だった。

特に意識していない女幹事やB子に対しては普通に話すことができる(と言っても女の子と話すこと自体慣れてないことはバレてたと思うけど)のに対し、

A子への第一声を無視されたことや、既に彼女のことを意識していたこともあって彼女にはほとんど話しかけることができなかった。

本当の所はわからないけど、避けられているような印象も受けた。

今考えると、もうこの時彼女は俺に触れられることさえも嫌で仕方がなく、俺から最も離れて

歩くようにしていたのかもしれない。

花火の帰り際に一度だけ話かけてはみたものの、とてもくだらない内容の話をしてしまい、俺はなんてバカな奴なんだと後悔した。

その日の会話は一言か二言、本当に数える程度で、明らかにA子とその他の女の子への話す比率がおかしく、帰ってから

とても反省した。

彼女のことを全然知らないのに、「気になる」が勝手「恋」に発展し、もう完全に恋の病に侵されていたと気付いたのも

この日だったと思う。

その日も全員に「お疲れ」メールをしたが、さすがに毎回毎回全員にメールを送るのはおかしいと思ったので、

今回で「お疲れ」メールをするのはやめようと思った。

既に彼女に避けられているのではないかと感じ始めた俺は、今回の合コンには関わっていない地元の友人Bに相談を持ちかけた。

大丈夫だ、まだ行ける。十分挽回できる。もっとはっきり好意をアピールしていけ。」

と言われて、一度はあきらめかけていたが、数日後再び彼女メールをした。

その内容は、自分が買おうと思っているサイフの相談だった。

送信した瞬間、なんてくだらない内容だと後悔した。

この時から彼女に対する俺の気持ちをアピールするような内容が多くなっていったので、より一層キモさが増したと思う。

全く心に思っていないことも沢山言ってしまい、下手なメールを続ける程、距離は遠のいていくと思った。

返事は返ってきたものの、そのとてつもなくそっけないメールを見て、やっぱりもう無理だと思った。

でも、友人Bに言わせると

「本気で考えてるなら、はっきりと白黒つけるべき。まだ100%脈なしか、嫌われているのかわからない状態であきらめることができるのか?」

と言われて、数日後また彼女メールを送った。

少なくとも、もう完全に脈なしだと思っていたけど、やっぱり彼女を逃したくないという想いが勝ってしまった。

電話番号を交換した日以来、彼女の方からメールが来ることは一度もなかったが、こちらから定期的にメールを送り、

数回程度のやりとりが続くという日々が続いた。(なんか凄くイタイ話になってきたな・・・)

その後、もう一度だけと思って彼女を食事に誘ってみた。

その時ははっきりと

「食事に誘いたい!」

メールした。

しかし返ってきた返事は

「ゴメン、仕事と予定があるので無理です。」

というものだった。

これまで4度に渡って彼女を誘ったが、すべて断られていること、彼女の方から空いている日にちの提案を一度も

受けていないことから、この時点で100%脈なし、むしろやっぱり嫌われてるかもしれないなと思った。

それに、自分メール内容の稚拙さにも嫌気がさして、2週間ぐらいメールを送るのをやめた。

花火大会全然話せなかったくせに、つまらないメールだけは一人前に送って来る奴はやっぱりキモいだろうなと

思ったから。

その間、もちろん彼女の方からメールは来なかった。

  • 花火---------------------------------------------------------------------------------

それから、また6人で会うことになり自分達で花火をしようということになった。

おそらくこれが最後のチャンスだと思っていた俺は、頑張って積極的に話かけようと思ったが、やっぱり意識してしまうと

ほとんど話すことができず、終わってしまった。

どうしても大人数で会うと消極的になってしまう。

この日もやっぱり避けられていると感じたが、

告白ではなくても、彼女のことが「気になっている」という自分の気持ちをはっきり伝えたい

・どうしても二人で食事に行くことは無理なのか聞いてみたい

・変なメールばかり送ってしまったことに対して謝りたい

ということを伝えたくて、友人Bのアドバイスを元に、次の日地元の友達と遊ぶから今日実家に帰るということを口実にして、

幹事、A子、俺の3人で帰るように仕向けた。

2人きりの方が話やすいし、そうでもしないとチャンスはない、メールで気持ちを伝えるのは男として良くないと思ったから。

その時点で彼女に食事に行く意思がないのなら、もう諦めようと思っていた、最後の望みだった。

しかし、ここでサプライズが訪れた。

電車の乗り換え駅で、女幹事

お茶してから帰るので」

と言いだした。

おそらく危ない奴だから俺のことを撒く目的で「お茶してから帰る」なんて言い出し、A子をかばったのだろうとすぐに感じた。

これも、本当の所は女幹事がどういう意図でそういったのかはわからない。

こんな展開予想すらしなかったと思いながら、仕方なく俺は一人で実家に帰った。

実家になんて何の用もないわけで、帰りたくもなかったし、気持ちを伝えようとしていたのに、想像もしてなかった展開

で断られ、ひどく落ち込んだ。

この時点でもう諦めようと決心した。

まさにピエロもいい所だよ、俺って最悪だなと思ったよ、ほんと。。。

その日、一人で地元に帰ってから深夜に友人Bを呼び出して、やっぱり無理だった、諦めると言った。

しかし、

「現時点ではまだわからない、脈はなくても何故そこまで嫌われてると思うんだ、おまえはネガティブな発想ばかりするから~」

と言われた。

自分の中では諦めると決めておきながらも、友人Bを呼び出していることから、今考えると

結局、強気の友人Bにもう一押しして欲しかった自分がいたのかもしれない。

その日(土曜日)は合コン組には誰にもメールせず、翌日一人暮らしマンションに帰った。

もう諦める決心はついていたが、月曜再び彼女メールを送った。

その内容は、

「今までメールに付きあってくれてありがとう」

という感謝の気持ちと謝罪を込めた内容だった。

既に彼女には嫌われている可能性が高いし、完全に諦めは付いていたが、メールを送った時点で1%でも可能性があれば、と思っていた自分

おそらくいたのかもしれない。

それでも、彼女から、そっけないメールが返って来たり、無視されたらもうそれで終わりと決めていた。

でも、予想すらしてなかった人生最大のサプライズが訪れたんだ。

  • 最後--------------------------------------------------------------------------

しかし、そのメールは届かなかった。

メールアドレスが変更されたか、俺からのメールを拒否したようだった。

この時点で、100%彼女に嫌われていることがわかり、また彼女への連絡方法も途絶えたので、俺の夏の恋は終わりを告げた。

また、それは初めての合コンが大きな失敗に終わってしまったことでもあった。

彼女と知り合ってから2ヶ月足らず、短い恋だった。

そしてたった2ヶ月で、メールを拒否される程に嫌われた俺はどれだけバカな奴なんだろうと思った。

もしかしたら、3度目6人で会う以前から彼女は拒否することを決めていたのかもしれない。

それまでは、気まずくならないようにと、気を使って嫌々ながらも返信してくれてたんだと思う。

あるいは、俺がメールをやめた3度目6人で会う2週間前から既に拒否していたのかもしれない。

だからこそ、尚更俺が一緒に帰ると言った発言が「危険な発言」と捉えられたのかもしれない。

拒否したことで俺が逆上すると思われたのだろうか。

幹事彼女と一緒に「お茶して帰る」と言って俺と別れたことを考えても、ストーカーじみてて相当気持ち悪い奴という

レッテルを張られているのかもしれない。

確かにすごくイタイ奴だったと思う。でも、ただただ慣れないメールをするしか彼女との関係を保つことができなかった。

実際に6人で会った時に積極的に話せなかった所なんか、本当に情けない。

早い段階で嫌われてるんじゃないか?と気付きながらも1%でも可能性があればと思い、メールを送り、食事に誘い、

それが結果的にメールを拒否する所まで彼女を追い込んでしまっていたことを考えると、申し訳なさすぎる気持ちと、

女性を喜ばせることのできなかった自分の実力不足に酷く腹がたった。

喜ばせるどころか、徹底的に嫌われるなんて、本当に彼女に対しては謝っても謝りきれない。

これまで、人から電話メールを拒否された経験は一度もない。

拒否されることは、自分の言動すべてが相手に拒否されたという意味であり、謝ることはもちろん、すべての

発言権を取り上げられたということだ。

また、彼女にとって俺はそれに値する男だったということだ。

また、引き籠りを脱したいという思いから参加した合コンの結果がこんなことになるなんて、神様は外の世界に出ようと

している奴をなんで蓋で抑え付けるんだとも思った。

こんな結末じゃ、また引き籠りたくなってしまうよ・・・

2ちゃんねるまとめサイトにあった、「引き籠りは所詮引き籠りオーラが出てる」というのも頭をよぎった。

まあ全てにおいて自業自得、全部自分が招いた結果なんだけど。

彼女のことをまだ何も知らないのに、いつの間にか恋という所にまで発展してしまった自分の気持ちの浅さ、

気になってまともに話すことすらできない弱さ、拒否される程のキモいメールの内容、嫌われていると分かって

いながら自分本位アタックし続けたこと、そしてそれが結果的に彼女に大きな迷惑をかけたこと。

どれをとっても悔みきれない後悔と、彼女に対するザンゲの気持ちで一杯です。

これまでほとんど女性を避け、10年ぶりの恋愛だったというツケが回って来たんだと思う。

今回の件で猛烈に反省して、10年の恋愛ブランクを挽回したいと思うし、絶対に引き籠りがちだった生活ともおさらばしたい。

今はショックが大きいけど、時が経てば傷も癒えるだろうし、彼女のこともそのうち忘れるだろう。

彼女と出会うことはもう二度とないだろうけど、今より何百倍も自分を磨いて、例え5年かかろうと10年かかろうと、

これまでの人生にケリを付け、新しい自分に生まれ変わりたいと強く願う。

本当にごめん。

2010-07-31

メモ

私は自己評価が低い、完璧主義、コミュニケーション能力が低い。仕事など努力をして結果を出して評価を得ても、自分に自信が持てない。

身近にいる人が不機嫌そうだと自分が何か悪いことをしたんじゃないかと不安になるとか親について悩みを書いたところ、アダルトチルドレンじゃないかと言われてアダルトチルドレンについて調べてみた。

アダルトチルドレンピエロってやつがまさに自分

両親は専業主婦の母と働きマンの父。べつに虐待をされたとかもなくってごく普通の一般家庭。

ただ母親感情でしか物事を見られない子供っぽい人。振り返ってみるとダブルバインドなことをよくされていた。

30歳近くなってもいまだに何かしようとした時に「これは母が嫌がるだろう」と思うと罪悪感にとらわれる。

父親は地頭がいいがそれゆえにマッチョイズム。そして気分で怒る人だったので、何をしたら怒られるかがわからなくていまだにビクビクしてしまう。

友だちは少ないながらもいるが、ありのまま自分を見せたら嫌われると思うので、怒りなど負の感情は隠していつも三枚目キャラでいる。

恋人がいたときはそれがさらにひどかった。嫌われるのが怖くて自分自身のコアな部分は見せられなかった。感情をぶつけ合うケンカもできなかった。

今思うと母親の愛し方は条件付きの愛ってやつだったんだと思う。

何か思いついたらまたメモ

2010-06-29

ポケモンのちょっと怖い話

ポケモン赤をやっている。

1995年発売。赤緑青のいわゆる初代ポケモンである。(プレイするに至った事情は置く)

というわけで現在プレイ中なのだがハナダシティにある自転車ショップの店主に自転車をもらいに行ったところ「じてんしゃを もっていけないよ」というメッセージが出て自転車を渡してくれない。

なにこれ…こわい…

理由や事情を全く呈示せず自転車を持っていけないという事実のみを伝えてくる店主から静かな狂気を感じた。

自転車ショップの店主はおかしくなってしまったのか。それともこの自転車呪い自転車だから持っていけないのか。

と色々と考えて鳥肌が立った後持ち物がいっぱいだったということに気づいた。

持ち物がいっぱいだったから自転車を持っていけないと教えてくれたわけだ。気づいてみれば何も怖がることはなかった。

冷静に考えれば分かるのだがちょうど怖い話を読んでいたところだったのでやられてしまった。

だがせめて「もちものが いっぱいです」というメッセージにしてくれよ。

今回の件は自分の思い過ごしだったがポケモンは全体的に明るい雰囲気でグラフィック可愛いだけに垣間見える暗黒面が怖い。

夜道で会うのはゾンビよりピエロのほうが怖いのと一緒である(どっちも怖いけど)

ポケモン世界のちょっと怖い話@ まとめwiki

http://www23.atwiki.jp/poke-kowa/

こんなサイトもある。

プレイ中の自分は読まないが興味のある人はどうぞ。

2010-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20100420220548

抜け落ちてることがないかね。

 

議会は所詮、国民向けのピエロ

 

真の独裁者は裏に居て見えない。

2010-01-24

目が覚めたら、親父が別のおじ様に代わってないだろうか、と思うときがある。

あんな自尊心をなくしたピエロみたいな親父なんていらない

2010-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20100109231658

他人に劣等感だとか貧乏だとかなんだかぐだぐだ言っている人は、大抵同程度の生活水準であることが多い。

ある種の近親憎悪なのだろうし、だからこそわかることも多いのだろう。僕にはさっぱりわからないが。



まあ彼は無意識のうちに馬鹿をさらしているようなもので、端から見ていて面白いピエロではありますな。

TBがつくのは一つだけ、しかも数分後に自分がつけたもの以外はなし。それが、土日平日に関係なく、また時間帯を選ぶことなく、一人で踊り続けるピエロの習性、いやなれのはてなのかもしれないとふと思った。止まるようなときは、彼が逮捕された時か、亡くなった時か、なのだろう。



まあ一般論として言えば、その彼自身がなにかしらの劣等感を抱いていることは一目瞭然である。第二の加藤氏として興味深く観察していこうと思うし、面白いデータがとれるといったものだ。



追記

やはり伝わっていないのか。ニート君残念。

ネットピエロ気持ち悪い。ブロックしたいという衝動にかられるが俺は誰も傷つけたくないので我慢するしかない。

2009-12-19

セキュリティピエロはまちやがやったことは許してそれを真似した別の人間が許されないって意味が分かりませんな。

2009-12-11

ああ、過去記憶が私を苛む。ピエロだったあの頃を思い出して。

もう許してくれ。

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