はてなキーワード: ピエロとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091207143049
かなりブクマがついたので、少し答えておきます。とりあえず、コメントには感謝。
anigoka はてサという括りが適当かどーかは知らんが、流れは大体あってる気がする 深刻な問題を肴にすぐ言葉遊びに変えてしまう恒例の面子も勢揃いしてるし
出てくるメンツが、シートンからhokusyuに飛んで、Apemanも言及しているので、フェミにはてサが乗っかったと見た方がいいでしょう。それだけではないのでしょうが、そう割り切った方が分かりやすい。
漫才だと見れば、無駄にヒートアップしても落ち着けるんじゃないですかね。アハハと笑って、あほくさーと捨てればいい。
zaikabou 『どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから』それで毎回毎回これだけ巻き込むんだから凄いよね、みんなわかってるはずなのに。優秀優秀
結局、例の背理法の使い方が典型的なんですけど、一見「論理的に正しい」から、いい加減に読んでるとそれが正しいと普通は思い込んでしまうんですよ。でも、おかしいことはおかしい。今回のは、そのいい例になったんじゃないでしょうか。
はてサは叩かれてしかるべきだと思っていますが(上述のように、見かけが論理的で錯覚しやすいので悪質)、曽野綾子のエッセーもただのダボラだと思っています。これを書くと中立を装うなとか言われてしまうんですが、そんなつもりはないです。
filinion 最後の左翼うんぬんはさておき(部分否定と全否定の混同はむしろ詭弁の基本。戦前の統帥権の論理も「踏み絵」パターン)、タイトルには首肯せざるを得ない。うかつに触れると大変なことになるのが今回よくわかった。
はてサが絡むので最後にちょっと左翼に触れたのですが、詭弁で煽るのは右左同じでしょうね。
atawi 今回はもうげんなりするばかりだった。コミュニケーションってなんだろうね?
最初から無理な話なんですよ、ネットでコミュニケーションをとろうとするのが。まず諦めから入ったほうが、もめてもともとだから気楽じゃないですか。
あの方々はああいうことを言いたがりますよね。
Arturo_Ui 「理屈だけたどるとはてサ・フェミの方が正しい」が、レッテル貼って見下さなきゃ自尊心が、ってか。不毛だな//で、NaokiTakahashi氏だけ「さん」付けは何故?増田は陵辱エロゲを予防拘禁の対象にされたくない、とか?
いやいや、エロは好きだけどエロゲ趣味はないです。でも、NaokiTakahashi「さん」なんて、はてサにはもうあからさまにバカ扱いされてますよ。なんか、ひどいですよね。見てられない。
ヲチスレにはいません。2ちゃんは見てないです。今度の件でいくつか記事を読んだら、大体見当がついたというだけです。「いつものやつだ」と思いました。
gokino2 「どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから。」<いや、俺らもその流れの中で毎回楽しんでるからいいよ。実を言うと今回(罵ってる相手含め)いろんな人の人間臭さに親近感を覚えたりもしたんだ。
うーん、楽しんでるならどうぞという感じですが、もうちょっとカゲに隠れてやって欲しいな。無理なんでしょうが。
koisuru_otouto 曽野綾子とそのデッドコピーである増田みたいなのが「性犯罪者が悪い」って最初に流してるのは そうしないと善人として被害者に説教できないからでしょう。レトリック返しをしなくても、そもそも自衛教自体が屑だし
元エントリの追記になるんですが、これもあのエッセーの誤読の典型です。曽野の意図としては「被害者に説教」しているのではなくて、「まだ被害にあってない女性」に対して「用心せよ」と一席ぶっているのです。もっとも、被害者を例に出してますけどね。話がずれる原因の一つはこれです。
Francesco3 「もちろん決定的に悪いのは犯人」「もちろん襲った米兵が悪い」<これ書いときゃどんな暴言も許されるって勘違いしてるだけだし、悪いとおもってたらそもそもあんなこと書きません。
これしきのババアの説教が、それほどの暴言になりますか。大きく見せて喚きたてるのも程々にした方がいい。あなたの言ってることは、あまりにも強引です。
Midas 増田は甘い。問題はむしろ「なぜそこまでザルな意見にバカ女どもはカチンときてるのか」「なぜバカ女のデタラメ感情論にエセ左翼は騙されてるのか」彼らは今回1線をはっきり超えた。修復不可能なとこまでいくだろう
あははは。修復不可能なのは毎度のことですよ。「エセ左翼」が騙されるのは、それが単に思想的・政治的なポジショントークだからで、これも毎度のこと。今回に限ったことではないと思いますよ。
hiruhikoando というよりは「曽野綾子に絡まない方がいい。(言っていることを)議論するだけで徒労」だと思うのだが。
それ、まんまフェミとはてサに言ってやってください。
namawakari イデオロギー批判って便利ですね、本音ダダ漏れでも支持してくれる人がでてきてくれるし、何か言った気になれる。/「あいつらは左翼とフェミだから」という切断をして「常識」を保存して、それでいいのかねえ。
「常識」を覆すのにせよ、こんな無駄な議論の混乱は必要ないです。だいたいそれで損してるの、「はてサ・フェミ」の人たちでもあるんですよ。
k-5t 説教レベルに落とし込んで「説教だからあれはナシ」は都合良すぎる、ナシにはならんだろ。曾野をピエロに仕立て上げて一緒に踊っているサヨクまでピエロに見せちゃうっていうちゃぶ台返し「レトリック」にみえるな
最初から「説教レベル」の話を大きく見せるところに間違いがあったんですよ。言葉を借りると、この件では曾野綾子なんて最初から「ピエロ」。「ピエロ」にキレるフェミ・はてサが「ピエロ」になって、ついに漫才化するのは当然なんじゃないでしょうか。レトリックをもちだす必要はないと思いますよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091207143049
k-5t サヨクがこの痛いババアを餌にウヨク叩きしたいだけなんじゃねえかって意見ならわからんでもない。もう少しストレートに書けよ。
ま、一言で言ってしまうとそうですよね。で、みんな好きなんだなあ、こういうネタが。
gokino2 念のためいっておくが、増田の微妙に曽野擁護論には賛成できない。あれはただのババアの説教レベルじゃないから。これに近い認識のババアが実際に結構いそうなのは同意するけど。
あ、曾野綾子を擁護する意図は全くないです。でも、こんな猛烈な議論のきっかけやネタにするほどのもんでもないでしょう。「これに近い認識のババア」たちの若い女性に対する嫉妬には、鼻で笑って颯爽と歩いてる方が女性として素敵だと僕は感じるんだがな。まあ、それはともかく、下らないネタには、下らないなりの対処のレベルというものがあるんじゃないのと思いますね。
再び前のはてブに戻って。
hobbling 私はボケた婆さんの繰言をまともに扱っても仕方がないと思うが、日頃ストレスを受けてるなら過剰反応する人もいるだろうね。嫁姑の争いを見ている旦那の気分。
「嫁姑の争いを見ている旦那の気分」、お見事。
今年、ワシントン・ポスト、LAタイムズをはじめ、戦前から日本にずっと支局を置いていた海外メディアの多くが、東京支局の廃止および縮小を決めている。
その背景には、広告費の減少にともなう本社の経営危機という要素ももちろんある。だが、中国に新しい支局が続々と開設されていることを考えれば、それだけでは説明がつかない。
じつは、答えは簡単だ。半世紀以上にもわたって、日本に駐在する海外特派員は、世界中のジャーナリズムのルールに則って、記者会見への参加を求めてきた。それを拒んできたのは自民党政府と記者クラブだ。
近年、日本政府は海外への情報発信を高めようと躍起になっている。だが、自ら送信機(記者会見)の電源を切りながら、マイクに語り掛けたところで、どうやって情報が伝達されるというのか。
いま海外メディアの多くは日本ではなく中国関連のニュースばかりを出稿し、記事にしている。その理由には、国家の発展という背景のみならず、記者クラブ制度のない中国のほうが、ずっと取材をしやすいからという要素があることを、日本は率直に認めるべきだ。
かように、記者クラブという愚かな既得権益システムの弊害は、国益にも影響を与えてしまった。残念ながら、100年近く開いていた海外メディアの東京支局がいったん閉じた以上は、二度と日本に戻ってくることはないだろう。
記者クラブは国をも滅ぼそうとしている。
ttp://voiceplus-php.jp/archive/detail.jsp?id=230
皆でピエロになって、本題を脇に置いておどけ合うよりも、
さっさと皆でその本題を片付ける努力をした方が、
今はその「本題」の片付く目処が立たない事ばかりだからねえ…。
ペ・ドゥナが心を持ったダッチワイフ(はいはい、空気人形ですね)を演じる映画。
事前の予想・期待を裏切られた点が二つあったので、それについて書きたくなったのだが、他にかけるところがないのでここで書く。
でも、別になにかちゃんとしたまとまりがあることを書くわけではないく、ただ感じたことをだらだらと書くだけ。
なので別に面白いものでもなんでもない。そんなものでも書ける増田って便利だな。
また、ストーリの解説をやるつもりはないが、ネタばれは盛大にしていくので、映画をこれから観るつもりの人は読まないでください。読んでも面白いことは書かないしね。
まず第一点。この映画、予告編を見た時点で即、観に行く事に決めていた。予告編に映し出された、ペ・ドゥナ、オダギリ、あるいは是枝監督のゆえ、ではなく、板尾創路の演じるダッチワイフ所有者の悲哀のゆえ。
あまりに悲しい...だって、自分のダッチワイフに別の男へ走られて、捨てられるんだぜ!
「サマーウォーズ」とか「時をかける少女」を観て落ち込む男が色々といるようだけど、そういう人達にも観てもらいたいな。
俺は「サマーウォーズ」を観ても特に何も思わなかったんだけど、あれで落ち込む人達にはこれに何か感じたりするのだろうか?
予告編の中でペ・ドゥナはARATAとデートをし、自分の作り主であるオダギリ・ジョーに出会う。はいはい、やっぱ男前の方がいいよねと(まあARATAはそんなに男前ではないが)。
なので映画的にそこら辺は当然だろうと思ったのだが、同時に俺としてはこの綺麗で幻想的なように見える作品のなかで、板尾の役にはどういう結末が用意されているのだろう?という点に関心を持った。
予告のなかでも板尾はペ・ドゥナに元に戻ってくれ、と頼むシーンがあるのだが、俺はそこに行くまでにペ・ドゥナに精神的に裏切られていた事がわかって傷つくシーンがあるのだと勝手に思っていたのだよね。
劇中、心を持って動くようになったペ・ドゥナのダッチワイフは板尾以外の人間からは人間として認識されるが、板尾からはダッチワイフとして認識され続ける。なので板尾はペ・ドゥナと一緒に風呂に入ったり、膝枕をしてもらったりする。この膝枕のシーンで、俺は恥ずかしながらまじうらやましさを感じたのだが、でもその裏でペ・ドゥナはARATAの事が好きになり、板尾からのキスを避けようとしたり、板尾が眠った後、シャワーを浴びたりする。板尾はペ・ドゥナは完全に自分のものだという幻想の中にいるわけだが(だってダッチワイフだからね)、ペ・ドゥナの心は完全に裏切っていた。
だから板尾に一体どういう決着をつけてやるのかと思っていたら、何のことはない、板尾は完全に女の形をした自分の鏡がほしかっただけ、という設定なのだ。ペ・ドゥナに心があることが分かった後でも、板尾は精神的に裏切られていたことを知る事はないまま、心をなくしてくれと頼む。俺が興味のあった点は、まるでペ・ドゥナの方が被害者である、かわいそうな存在というポジションを取ることで解決されてしまっていた。板尾が「ダッチワイフ」のペ・ドゥナとラブラブ一人芝居をしている裏で、ペ・ドゥナはARATAに恋して、そして悔しいかな正直、非常にかわいいデートをしていたりして、はっきり言って板尾の方が滑稽な哀れなピエロであったというのに。
で、第二点。そういう勝手な期待をしていたものだから映画の中盤くらいでなんか肩透かしを食らわされた様に感じたのだけど、実はその後、この映画はこっちがまったく予想していなかった素晴らしい方向で予想を裏切ってくれる!救いの神はなくとも、悪意の悪魔はいるというか。なんとこの映画の後半には、モダンホラーのイメージがあるのだ!モダンホラーは日常生活の中に紛れ込んだ恐怖を描くものと定義されているとおもう。この映画は半分過ぎまでファンタシーの要素がありつつも、基本日常生活を描写していく。そこからオダギリジョーの人形制作所へ...あのシーンで、「悪魔のいけにえ」の地下室を思い出したのは俺だけではあるまい!
そしてペ・ドゥナとARATAの最後のからみ、さらにその後のシーン。すばらしい!善きことを意図しながら、意図していた事とは全然違う結果になるという、経済学で言うところの Unintentional Consequence!って、ちょっと違うけど、でもあの意図のすれ違いはすばらしい。そしてそのシーンのペ・ドゥナが美しい。正直あそこで終れ!とすら思ったよ。ま、こんな事を思っているような人間だから、俺は板尾の役に共感を感じたりする事になるんだろうがな。
勢いで書く。
自分は同期が嫌いだ。
正確に言うと、同期11人のうち、自分を除く10人中4人が大嫌いだ。
あとの5人は可もなく不可もなく。。純粋に気が合うのは1人だけだ。
で、その嫌いな4人が大問題なのだ。
なぜなら、その4人が、何事も中心になっていたりするからだ。
その4人は、自分たちの話しかしない。さらに、自分の意見は曲げない。
(周りは聞き役になってあげるし、意見をゆずってあげるから。)
で、やつらは、「自分たちは気が利く」「自分たちは空気読める」って思い込んでる。それもまた大問題。
おまえらのせいで、こっちがどんだけ嫌な思いをしてるかには気が回らんのかい!と、突っ込みたくなる。
こっちがこつこつ裏で働いたことには感謝せず、
嫌いな4人を、A男、B男、C女、D女、とする。
その中の2人(A男、C女)は、自分と同じチームなので、自然と一緒にいる機会が多い。
A男、C女、自分、がその場にいるとする。
A男とC女だけで話している。
A男、B男、C女、自分、がその場にいるとする。
A男、B男、C女だけで話をしている。
B男、C女、D女、自分、がその場にいるとする。
B男、C女、D女だけで話をしている。
A男、B男、C女、D女、自分、がその場にいるとする。
A男、B男、C女、D女だけで話をしている。
・・・おいおい、ふざけんな、と。
奴らは終日チャットを立ち上げっぱなしにしている。
自然と、周りが分からない話題や陰口が横行しているようだ。
そのために、自分はどんどん取り残されていった。
以前は、なんとか、話に入っていこうとしていた。
しかし、気づいた。
疲れるだけだ。ピエロになるだけだ、と。
自分がよっぽど性格が悪いのか、もしくは嫌われるタチなのか、と、自己嫌悪に陥ったりもした。
しかし、自分以外の他の人と一緒にいる様子を見ているうちに気づいた。
周りに誰がいても、やつらは同じ態度なのだ。
自分は奴らと一緒にいる機会が多いだけに、終始嫌な思いをさせられている。
正直、事故か何かにあって痛い目見ればいいのに、と思う。
頭の中がゴチャゴチャとして整理がつかない。どうしていいか分からない時は書いてみるに限る。この整理のつかない状態に、自分なりの道筋をつけてみようと思う。まずは、原因から整理してみる。その理由は至って単純で、実は考えるまでもない。それは、ここ最近自分にインプットされたある考えが、自分のそれと大きく異なっていたからだ。その力が強すぎて、自分の思考の一部を壊し、今も尚、消化しきれずにいる。つまり、ぼくは今、自己否定の渦中にいる。自己の否定は息苦しくて嫌なものだが、それを避けたとしても、いずれそれと同等の重みの現実が、身に降り掛かるだけだ。現実として降り掛かった時、何らかの責任を取るのか、今自己否定の辛酸を舐め、自分なりの落としどころを見つけておくのか、そのどちらかだろう。こういう時、ぼくはどちらかと言えば、後者を選択する事が多い。そして今回もまた、後者を選択しようとしている。
では、ぼくは何をインプットしたのか。それは、自分の尊敬する人の圧倒的な経験を元に語られた、そして自分以上に真実を見つめ続けた人物の、それこそ身も蓋もない現実に関する考え方だった。「人は殺生をしないと生きていけない。飯を食わないと生きていけない。食った飯を排泄して生きている。」それは北野武の本にある言葉だ。昔だったら、スゲー事言ってるなぁと感心したかもしれない。しかし今は、ここで言われている言葉の意味が深いところで分かってしまう。分かってしまうからこそ、現在の自分は否定され、固めていた思考構造の一部は壊された。それはまた、自分の甘えと弱さを炙り出した。つまり、この生存の競争とさえ言える社会を生き抜いていく上で必要な自分の武器を、鞘に収めたままでいようとした自分が浮き彫りにしたのだ。本当は刀を抜く覚悟もなく、人に加害する事も無く、こと無かれでやっていく事が通常の自分の性質を、人は「甘い」といった。どうやら、流して聴いていたその指摘の意味が、今ごろになって分かったようだ。ただ、長年の間に染み付いたこの性質は、人に加害するという事を辞さない態度を簡単に受け入れられるはずはない。その理由こそが、自分そのものなのだから。つまり、この気付きは、なかなか消化される性質のものではないのだ。武の言葉は痛い程、自分を炙り出した。つまり、この不安は、自分の性質が、意志の力でコントロールしようとする方向に反発し、不自然な形を感情や態度に表し、元に戻ろうとする感情の発露なのだ。その不安が、その違和感が、自分の方向性を拡散し、混乱を招いている。ぼくはそこに気付けていなかった。
そうした混乱が、自分の見ている世界を歪ませている為、ここで無理に前進してみたところで、ぼくの見るもの全てから、本当が失われるだろう。その味気なくて偏見に満ちた世界をぼくの現実にしてみても、空虚で詰まらない思いをするだけだ。つまり、自分の壁にぶつかっている時の弊害は、その盲目さにある。それは、言葉やイメージの渦に飲み込まれ、フラフラとうろつき回っている無自覚なピエロのようだ。
そこに気付いているかどうかは、自分と向き合う事を選び、自己に何らかの変化生じさせようとする者にとっては、必要不可欠な事であるのだ。この壁をどう越えるのか、或いは越えられないのかは、まだわからない。いずれにしてもこの問題には、自分なりの決着をつけておく必要があると信じる。
鞘に収めたまま、今となっては錆付いている刀を使うということは、自分が頑なに守ろうとしていた何かを失う高い可能性を意味している。その拒絶とどう向き合うのか。そこで失われるのは、安全だろうか、信用だろうか、希望だろうか。それらにしがみ付くのは、自分の本能である。そしてそれらを脱ぎ捨てようとするのもまた、本能である。こういった、理性ではどうにも思い通りにならぬ自分という存在を支配するのは、意識とは別物のようだ。現時点の僕は、自分そのものを守ろうとする働きかけが強いのだろう。それは弱さとも言い換えられよう。それについて、どこで自分に折り合いをつけるのか、この思考の反芻に決着をつけるのは、思考と試行から生み出される果実の味を自分で知る他はない。
多くの抵抗を乗り越えた人の精神は強い。目の前に起こる現実を自分と周囲による織物のような必然と知っているから。その必然に働きかける事の意味と作用をよく知っているから。舵を取る方向が定まったのなら錨をあげて出立する。気負いのない、自分と現実に即したやり方で。
しかし、それは得てして美徳である、と思う。
実直であることの有難味をひしと感じるのは歳をとったからか。
私は長いことピエロとして生きてしまった。
自分を直視せず、相手を直視せず、全てを笑いのネタとして流してきた。
周囲に迎合することに囚われすぎて、
ボロという名の本心を出すことを恐れすぎて、
本心自体を持たなくなっていた。
器用に生きる人を、気配りの出来過ぎた人を見ると
身構えてしまうのはたぶんその所為だ。
仮面の内側がわからないのが、無性に恐ろしい。
急に距離が縮まった感じがして、安心するのだ。
相手にやはり中身があったことに安堵するのだ。
ボロを出してもいい相手だと、自分が信用された気がするからだ。
一方で不器用に実直に生き続ける人々は。
日々困難に真正面から立ち向かい、
ボロボロになりながら戦い続けている。
もう少し器用に生きればいいのにと思いながら、
私は応援し続けるしかない。
頑張れなんて、絶対に言わない。かける言葉はTake careだ。
頑張らずに生きることができない人。
頑張っていることを隠さずにいられない人。
頑張っていることを隠すことができない人。
そして、頑張りたいけど頑張れない人。
いろんな人がいていろんな人生がある。
みんな何かと戦っている。
私は、戦うのに疲れた、頑張ることを放棄した人間だ。
自殺こそしないが、生きているとは言いにくい。
ただ呼吸して、摂取して、排泄して。
私もいつかまた戦える日が来るだろうか。
いつか戦いたいと思うなら、また生きられるような気がする。
まずは、中身を作ろうと思う。
できれば実直な中身でありたい。
負けない
寂しさなんかに
誰かになんか期待しない
誰も信用なんてしない
正直寂しい
でも負けちゃ駄目だ
寂しいけど
虚しいけど
絶対俺は笑ってやる
無理して笑ってやる
笑ってやる
苦しいほど笑ってやる
何も悩みないでしょって思われるように笑ってやる
負けない
誰もいないけど
誰のためなんてわからないけど
一人だよ
俺は一人だよ
でもね絶対泣き言なんていわねぇ
笑ってやる
俺をみんな馬鹿にしろよ
負けない
負けない
負けない
いつでも笑ってるって馬鹿にしろよ
寂しいよ
でもね
笑ってやるよ
笑った俺みてみんな笑えよ
全部認めてやるよ
寂しい?
わかってるけどね
でもここで負けちゃ駄目なんだよね
だからやるしかないよね
簡単
笑うなんて簡単
笑って誰かを騙すなんて簡単
こんな状況でよく笑ってられるよねって言われて笑ってやるよ
俺は文句言う前に笑いながら行動してやる
なので、無駄な事、意味の無い事=不要なもの、として処理しがち。
最近、就職活動をしているが、年齢29と転職回数と、未経験OKの仕事に応募しているせいなのか、まったく良い結果が出ない。諦めやすい性格なので、求人を調べることが嫌になってきて、色々考えていたら、、。
夢も目標なんてないし、やりたいことなんてないし、ちょうど? 扶養家族もいないし。
親はいるけど、そんなんなら、ダラダラ生きている意味もないよな~、という事に気がついた。
つまり、死んでもOKって事。
ちょっとした小説なら、自分の思考に忠実に、とっくに首をくくって死んでいるだろうけれど、そこまで行動が早くないので、まだ生きている。
ガキのころ、母親が育児ノイローゼでDVっぽいのを受けていたのと、両親の仲が悪くその仲裁(ピエロ)をやっていたのが原因で、こういう事を考えてしまうのか。
なんて、勝手に思い込んだりしてるんだけれど、それもどうかわかんないし。
こういうときは、まず何をすれば良いんだろうか。
何か根本的な事からはじめないと、前に進めない気がするんだろうけれど。
書いてみて気がついたけど、”まず何をすれば良いんだろうか” なんて前向きな事書いたけれど、正直もうどうでも良いって気持ちの方が強いみたい。なんか矛盾していて、わかりにくいな。
結局、生きる目的不足なのかしら?
それとも、就活が上手くいかなくて、まいっているだけなのか?
いや~、わからんね、しかし。
http://anond.hatelabo.jp/20081206224500
その「釣られる」って何?
何かの宣言なのか?
「俺はあなたの書き込みを本心からのものではなく、ある種の挑発だとみなしているけど、あえてその挑発に乗った上でレスしますよ」みたいな言い草のこと?
もしそれが挑発の類だということが後になってから判明した場合、まじめにレスしていた自分がピエロになってしまうから、それをあらかじめ避けるために「釣りだろ?わかった上でレスしてやんよ」という前置きをしているのか?保険なのか?
でもさ、それ簡単に使って良いセリフじゃないと思うぞ。しょっぱなから相手の投稿の動機を邪なものだと否定してから入ってんだもん。どんだけコミュニティで「いっぱい食わさ続けた」らそういうメンタリティになるのか興味深い。辛い経験をたくさんしてきたのだろうか。書き込みを見たら釣りだと思え的思考だもんなこれ。
あとさ、
お前、元の書き込みから読んでるか?
「匿名だったらどういう素性の人間が書いているのかわからない」という話をしてんのに、どう読んだら「首相が言っていることは正しいかどうか」の話になんのよ。
糸柳だって寝床を提供してやってるじゃん。ネットで話題にするぐらい屁でもないだろうよ。少なくとも荻野に迷惑なんてかからないはず。サーカスのピエロだって自分のみっともなさを売りにして生計を立てているわけだ。ピエロを笑いに金を払う客はそんなに悪者か?自分が食っていくためには何だってやればいいだろ。大方の奴なんて荻野みたいな奴のことなんて放置だろ?だけどな、どんな思惑があろうが救いの手を差し伸べる奴の方が偉いんだよ
http://anond.hatelabo.jp/20081120080305
んなこと言ってもよ。開き直って言うようだけど、別の理由でもいいんじゃね?たとえ偽善でも困っている人を助けることは、何もしない善人よりも俺は偉いと思うぞ。阪神大震災の時だって偽善者は沢山居たぞ。カメラに映る機会を探すために人気の多そうな場所で水や食料配ってる奴(俺の知り合いだけどさ)とかな。だがな、被災者にとってはたとえ偽善であっても水は水だろーに。貴重品には違いない。ありがたがって受け取ったはずだよ。荻野だって同じだよ。あんなにプライドが高そうな奴がそれをかなぐり捨ててまでパソコンを貸してくれと声をかけたんだ。応えなきゃ人間じゃねえよ。でもな、世の中金持ちばっかじゃねーの。ただで人の財産を使わせてやるわけがないだろ。金が無いならせめてそいつの日常生活を話してもらって周囲の好奇心を満たさせてもらわないと。あー確かに偽善かもよ。でも変な奴が自分の面白い部分や恥を晒してもらう代わりに、飲み食いぐらいはさせてやったじゃん。糸柳だって寝床を提供してやってるじゃん。ネットで話題にするぐらい屁でもないだろうよ。少なくとも荻野に迷惑なんてかからないはず。サーカスのピエロだって自分のみっともなさを売りにして生計を立てているわけだ。ピエロを笑いに金を払う客はそんなに悪者か?自分が食っていくためには何だってやればいいだろ。大方の奴なんて荻野みたいな奴のことなんて放置だろ?だけどな、どんな思惑があろうが救いの手を差し伸べる奴の方が偉いんだよ。荻野は明日死ぬかもしれないが糸柳たちに会わなければ昨日死んでいただろう。「拾うだけ拾っておいて飽きたら捨てるなんて」って言ってる奴いるけど、別に飽きたら捨ててもいいじゃんと思うね。1日でも生き延びるための力を貸してやったんだから、それをやってない奴よりは偉いだろ。そんなにそれは悪か。100万円の寄付よりも人と人とがふれあった偽善による支援の方がまだマシだろう。
せっかくid:heartless00が起こしてくれたので、森岡正博×宮台真司 なぜ日本人は結婚しなくなったかに好き勝手突っ込んでみる。発言順の編集有。
30~34歳の未婚率
70年 男 11.7% 女 7.2%
05年 男 47.1% 女 32.0%
しかし30代前半ということはこれから結婚の可能性が高く、単に晩婚化を示した数値だからなあ。寿命が延びて教育が長期化した当然の帰結だし。「なぜ日本人は結婚しなくなったか」がテーマならせめて30代後半、生涯未婚がテーマなら40代以降の数値を出して欲しかった。
まあどの年代の数字を出してもこの傾向は示せると思うけど、テーマに対する的外し感と一番数字が離れて見えるとこを狙った感が見え見えで萎えるなー。
早く男性性なんて捨てちゃえばいいのにね。2人口で細々やっていくか、女に食わせてもらうのも普通になればいいんだよ。
女の子は女の子で、その汚い射精や劣情を惹き起こさせる存在である自分を汚いと思ってるよ。どうせ汚いなら他人の汚さ(を喚起するという自分の性質)に振り回されるより自分でなんとか出来る方がいいじゃんね。自分の汚さの源泉が他人の欲情だったらもう本人にはどうしようも無いよ。鈍感になるくらいしかないよ。女に生まれたかったなんて考える潔癖症気質の繊細クンは実際に女に生まれてたらもっとドツボにはまってたと思う。(そういう性質の人にとっては)男に生まれてラッキーだったと思うよ。
宮台:アキバ殺傷の書き込みを見ると、「顔が醜いからモテない」それが彼を絶望に追いやっているが、これはありえない勘違い。ナンパカメラマンは平均的な顔で、イケメンはむしろ女性に警戒される。
女の行動原理は自らに向かうナルシズムであり、イケメンはナルシズムの妨げになる。話は逸れるが、女性描写でこのナルシズムを正確に書いてあると、やるなこの筆者と思う。男から見た俺が女だったらこうだろう描写が多すぎるから。「顔が醜いからモテない」はその典型例だなー。お前が顔重視だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるんだろ。
武田:キャリアウーマンの女性は・・ネタなのか、自分を負け組と定義していたりはするようだが・・
宮台:あれはむしろ女子高文化的、「他とは違う自分」肯定の身振り。
宮台うぜーーー。お前が負け組語りをするとしたら「他とは違う自分」動機しかありえないってだけだろーが。まさに手前が○○だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるメソッド発動中。女で高学歴高収入高キャリアってのはヒエラルキー的には下がるんだってば。履歴見ただけで高慢で嫌な奴だと推定されるからお腹見せスタンスではじめてバランスがとれるんだよ。お笑いで生きづらさを解消してるんだよ。他にもピエロ役いっぱい買って出てるって。そんなん現代を生きていたら嫌というほど分かるって。
森岡:事実婚というカテゴリーはどうなっているのか。ヨーロッパでは事実婚が大きな位置を占めている。
森岡:婚活とか言われているが、法律婚にすぐ結びつくのは危険。男女の関係、いっしょに生活をする観点から考えれば法律婚だけが結婚ではないはず。法律婚一種類を前提にすることが少しおかしい。もっと多様な結婚形態があるべき。
法律婚とか待ってるから少子化とかするんだよ。もっと婚外カップルやその他のパターンの婚外子を想定すべきだよなあ。そんで授かったもんは全部有難く育てればいい。産む人と育てる人が別でもいいよね。養子制度がもっと普通になってさ。
森岡:「草食系男子の恋愛学」は恋愛のススメではない。今の社会は「恋愛しなればならない」という言説が振りまかれすぎている。その言説によって苦しんでいる男女がたくさんいる。それは問題で、「恋愛しなければ一人前じゃないというのは嘘だ」というのは前提として・・。
森岡:私の若い頃はモテず、好きな女性からは必ずフラれていた。それでも恋愛したかった。肉体的な欲求もあったが、もっとメルヘンチックな感じの欲求があった。
どうでもいいけど非モテとか草食系男子(予備軍)とかは非モテ同士でくっついて慰め合って、必要ならセックスもそこですればいいのに。お互いに一番よく分かってるじゃんね。メルヘンチックな欲求も劣等感も。そんなもん他人に向けんなよ。
森岡:それは微妙で・・。世界的に見ても「男たるもの、マッチョたれ」という言説があふれてて、「草食系でもいい」というメッセージはあまりない。だから私はそういうメッセージを投げたかった。
森岡:僕の場合草食系だったけど、モテるためには肉食系にならなけばならないと思って、筋トレしたり、マッチョに付き合ったりしたんだけど、結局アイデンティティークライシスに陥った。
読めば読むほど自分(達)で完結すべきで、他人を巻き込むなよと思うんだが。森岡はストレートに先輩非モテから後輩非モテへのメッセージだけしてればよかったのに。なんでそこで女を介さないといけなかったのかね。対象にされた方は気分悪いよね。
森岡:私の場合は思春期の頃、自分が男として生まれてきた事がどうしても肯定できなかった。今だからその感覚を言語化して考える事ができるが。社会は男にマッチョたれとずっと言って来た。稼げ、戦えとか。それも疑念だったがそれとは別に、男は汚いと思っていた。すね毛は生えてくるし夢精はするし、肯定できなかった。
宮台:僕もまったく同じで、自分が女の子だったらよかったのになと思っていた。小学校の頃、女の子とよく戯れていて、男子中高で女の子と接しなくなって、大学に入ったらショックを受けた。合同サークルの女の子達は男に色目を使う性的な汚い存在だった。
再び女の子になりたい発言。しかしこの発言、この2人の対比がよく出てるな。どっちかというと森岡氏の方が付き合いにくそうな。こういう思考が内に篭るような、なんかあると全部自己に帰着させちゃうタイプの人は扱いにくい(哲学者なんで本業のためにはいいんだろうけど)。女なんて汚ねーとか言って外に出してしまう方がまだ健全な気はする。
森岡:社会は男の子はかくあるべし、と言って来たし、いつのまにか女の子もそれを内面化してたのかもしれない。僕は今でも女の子が2人で手を繋いで歩いてるとこ見ていいなぁと思う。男同士じゃ出来ない。
そんなこと言わないで非モテ同士で手をつないで歩けば世の中も平和になるのに。その代わりこっちも一切の男性性を求めないから。
宮台:デートレイプの話ですが、今は彼氏彼女がいてもメルトモがいたりする。束縛男の場合、疑心暗鬼になって相手の携帯を見る。30分おきに居場所を報告させる。自分がいるところの写メを送らせる。そんな監視状態に置かれた女の子がどんどん増えている。それは暴力的で、女の子開放してあげたいと思うし、男の子も不自由だと思う。監視を承認の代替物として受け取っている。そんな男の子にどう言えばいいのか。
いや宮台それはちょっとレア事例すぎだよ。それになんでこれがデートレイプなんだ?いくらなんでも言葉を軽く使いすぎじゃないの。
ステージ(笑)。前後で言ってることは間違っちゃいないけど、それ以上に、こういうことを高いだの低いだので発想するのがそもそも「ステージが低い」わ。陳腐過ぎて眩暈がする。このひとホントに言論人かね。想定読者を意識して意図的に言ってるんだとしても、読者を馬鹿にし過ぎな印象。
しかしこの引用しながら偉そうに言いたいこと吐くid:**********メソッド(各自好きなidを入れてお楽しみください)ってうざいな。我ながらキモいものを書いてしまった。
はてブを見たら、追記をしておく必要を感じたので。
この記事を書いた自分は、射精や男の体そのものが汚いとは全く思わない。しかし「思春期の男子が」「射精をする自分は汚い」と思う、そう思ってしまう子が一定数いるのは無理もないと思う。そして自分の欲望を汚いと思いながらそれを向けるとき、向けられる側としてはどうしようもないということ。欲望を持つ側がそれを汚い欲望だと思えば「汚い欲望を喚起する汚いわたし」になるし、そう思わなければならないで済む。