「ガゼル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ガゼルとは

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

2016-05-05

ズートピア

これって結局、最終的に優秀で頭が良くて優位に立ってるのは詐欺師の狐の方なんだよな

証拠の品を運ぶために電車ごと動かすジュディのアイディアは失敗でスーツケースだけ持ち去る狐のアイディアが正解、陸運局ナマケモノと知り合いなのも狐、和解のシーンも狐の方が大人で手玉に取ってる、

一見猪突猛進ヒロインリードするようでいて、キーとなる活躍やれやれ系の男の方

まるで古典部ハルヒかって感じなんだけど

当初は主人公は狐の予定だったらしいからそのせいかな

それとジュディは明るくて良い子なのに全然女友達が出て来ないのはなんでだろうな

ガゼルアイドルとして好きなだけで個人的に知り合いになったりはしないし

カワウソの奥さんや鼠のマフィアの娘とは関わるけれどあくまで守るべき一市民扱いだし

解決のヒントを出すのも父親の兎と、幼なじみの狐という「男」だし

せっかく草食動物女性同士として関わりのあった羊の市長の事も、真相解明後には旧来の魔女の如き単なる悪役として切り捨ててる

やっぱフェミニズム的にはアナから比べても後退してる気がする

2016-04-29

anond:20160428023700

1.うさぎ警察官になってライオン市長からバッジを貰うところ

 このシーンを見て、ライオン市長ウサギ故郷市長かと勘違いたから途中ちょっと混乱した。

 背景が思いっき田舎だったような気がしたけど、あそこもズートピアなのか?両親も上京してた?

 それとも市長田舎まで来てくれた?

警察学校卒業式だと思うけど場所はよくわからない。

ズートピアの近くだとは思うけど。

最後のほうでも同じような場所キツネ警察学校卒業したっぽい描写があった気がする。

2.キツネウサギヌーディストクラブみたいなとこにつれていくとこ

 なぜキツネはあの場所に連れて行ったのか。連れて行けたのか。

 カワウソがそこの常連だと知ってた?

 カワウソキツネは知り合い?

 キツネウサギの機転に負けてカワウソ探しを手伝わされる時に、「○○は知らない。□□だけだ。」みたいなセリフがあった気がするんだけどどんなセリフだったか思い出せない。

カワウソが失踪したのは1週間くらい前だった気がするので(うろ覚え)、知り合いでもなけりゃ覚えてるのは難しいんじゃないかと。

仮に覚えてたとしてもヌーディストクラブに通ってたことを知る理由にはなりにくいような。

でも、キャンディー売ってた近くにクラブがあってたまたまそこに聞き込みに行ったってならおかしくないですね。

あの店もキャンディーを売る稼ぎ場所ひとつカワウソ常連客だったのではないかと想像することはできるけど、具体的な描写はなかったと思う。

3.カワウソ旦那の設定について

 映画はすごいテンポで進んでいくから見てる最中はそこまで気が回らなかったけど、よくよく思い返すとカワウソ旦那はすごい設定だ。

 ヌーディストであり、マフィアボスからリムジンで送り迎えされるような間柄。

 こんな設定あり?

しかに。

夫の仕事を知らない妻、みたいな題材はフィクションではわりと良いテーマなのかも。 

4.黒ヒョウが撃たれるタイミング、回収されるタイミング

 黒ヒョウがあのタイミングで撃たれたのは、ウサギ達を影から監視してた黒幕が指示して黒ヒョウに襲わせる為に撃ったってことでいいのかな?

 ご都合展開でなくて。

 黒ヒョウを回収しに来たオオカミは後に黒幕でないと分かるんだけど、ならあのタイミングで回収できた訳は?

 まぁこれは副市長が指示したならおかしくはないか。

わからん

5.ライオン市長が隠す訳

 肉食動物が14匹も狂暴化した今なら肉食動物立場を慮ったという理由一見正当性があるように感じるが、最初の1匹目の時からこうなることを予想してたのかと思うとちょっと無理がありすぎない?

原因がわからない時点で公表しても不安を煽るだけという意味では肉食動物だろうが草食動物だろうが同じように対処したのでは。

6.「夜の遠吠え」ミスリード

 組織名かと思いきや植物名前でした。

 しかも夜の遠吠えのことウサギの両親も知ってるとか。

 じゃウサギも知っとけよ。

 てか誰だよそんな意味不明名前つけたの。

ウサギも知っとけというのはたしかにそうだけど、実家仕事に興味なかったんだろうなあ。

7.キツネあっさり警官なっちゃった

 ちゃんと警察学校行ったんだろうか。

1.にも書いたけど、冒頭のウサギと同じように警察学校卒業式っぽい描写があった気がする。

つか誰かガゼルコンサートノーカットビデオ下さい。

見たい。

2016-04-28

ズートピア見てきた。

ちょっともやもやして、ネット評価感想を読み漁るももやもやが晴れなかったのでここに書く。

ネタバレありなので注意。













大小いろいろ納得できない点をストーリーに沿ってあげていく。

もし俺が見落としてるだけとか勘違いてるとことかあったら教えてほしい。

 

1.うさぎ警察官になってライオン市長からバッジを貰うところ

 このシーンを見て、ライオン市長ウサギ故郷市長かと勘違いたから途中ちょっと混乱した。

 背景が思いっき田舎だったような気がしたけど、あそこもズートピアなのか?両親も上京してた?

 それとも市長田舎まで来てくれた?

 

2.キツネウサギヌーディストクラブみたいなとこにつれていくとこ

 なぜキツネはあの場所に連れて行ったのか。連れて行けたのか。

 カワウソがそこの常連だと知ってた?

 カワウソキツネは知り合い?

 キツネウサギの機転に負けてカワウソ探しを手伝わされる時に、「○○は知らない。□□だけだ。」みたいなセリフがあった気がするんだけどどんなセリフだったか思い出せない。

 

3.カワウソ旦那の設定について

 映画はすごいテンポで進んでいくから見てる最中はそこまで気が回らなかったけど、よくよく思い返すとカワウソ旦那はすごい設定だ。

 ヌーディストであり、マフィアボスからリムジンで送り迎えされるような間柄。

 こんな設定あり?

 

4.黒ヒョウが撃たれるタイミング、回収されるタイミング

 黒ヒョウがあのタイミングで撃たれたのは、ウサギ達を影から監視してた黒幕が指示して黒ヒョウに襲わせる為に撃ったってことでいいのかな?

 ご都合展開でなくて。

 黒ヒョウを回収しに来たオオカミは後に黒幕でないと分かるんだけど、ならあのタイミングで回収できた訳は?

 まぁこれは副市長が指示したならおかしくはないか。

 

5.ライオン市長が隠す訳

 肉食動物が14匹も狂暴化した今なら肉食動物立場を慮ったという理由一見正当性があるように感じるが、最初の1匹目の時からこうなることを予想してたのかと思うとちょっと無理がありすぎない?

 

6.「夜の遠吠え」ミスリード

 組織名かと思いきや植物名前でした。

 しかも夜の遠吠えのことウサギの両親も知ってるとか。

 じゃウサギも知っとけよ。

 てか誰だよそんな意味不明名前つけたの。

 

7.キツネあっさり警官なっちゃった

 ちゃんと警察学校行ったんだろうか。

 

色々書いたけど、なんだかんだ言っていい映画だったよ。

でも日本だとあんまり流行らない気がするなぁ。

俺の予想が外れてヒットしてくれればいいけど。

 

つか誰かガゼルコンサートノーカットビデオ下さい。


2016/04/29追記

ブコメありがとう

カワウソが失踪したのは1週間くらい前だった気がするので(うろ覚え)、知り合いでもなけりゃ覚えてるのは難しいんじゃないかと。

仮に覚えてたとしてもヌーディストクラブに通ってたことを知る理由にはなりにくいような。

でも、キャンディー売ってた近くにクラブがあってたまたまそこに聞き込みに行ったってならおかしくないですね。

2016-03-13

大昔イナズマイレブンというゲーム

世界戦になった時にアフロディガゼルバーンと言う人気キャラがまとめて韓国人にされて韓国チームから出たことがあった。

特にアフロディギリシャ神話モチーフキャラ外人にするにしても何故韓国人というイメージのずれが大きかった、多分初期の戦いに過去作品の人気ボスキャラをつっこみたいのと、イナズマイレブン韓国でよく売れていたか何かでサービスなのだろうと思った。

でも聞くところによるとイナズマイレブン韓国で放映されている話では韓国舞台の話になっているらしく、じゃあアフロディガゼルバーンはどうなってるん?韓国人へのサービスではなかったん?

2012-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20120910014059

いつか滅びる日が来るのだとしてもなるべく長生きさせなければいけない。

変体仮名もなるべく長生きするべきだったが寿命が来てしまったというだけだ。

外来生物が侵略してきて土着の生態系が壊され既存生物種の個体数が減ってきたら、

その外来生物駆除して個体数を減らし、生物多様性を守らなければいけない。

競争させる中で既存生物種あるいは外来生物が新たな進化を遂げることもある。

それでも淘汰圧に耐えきれず絶滅する生物種もいるが、

抵抗する過程で勝ち得た進化の智恵は残された生態系にも受け継がれる。

結果的に滅びたとしても、

「滅亡を防ぐために努力した」のと「滅亡を防ぐための努力をせず滅びるがままに放置した」のでは、

その後の世界の様相はまるきり異なるのだ。


陸上を最も速く走る動物チーター。最高時速110km/h。

その次がチーターの餌であるガゼル。最高時速90km/h。

彼らの驚異的な脚力は、彼らの先代が何千何万年にわたる過酷な生存競争を生き抜く中で淘汰と進化を遂げて勝ち得られた努力の賜物だ。

もしチーターが全滅していたらガゼルはここまで速くならなかった。

ガゼルが速くなったから、ライオン腕力を発達させ、ハイエナは顎の噛む力を強力化して、チーターが捕ったガゼル横取りする力を身に付けた。

ライオンが強くなったかキリンシマウマは反撃するためにキック力を鍛え、象は重量化した。

さらシマウマは色覚のないライオンの目くらましをするために白黒の縞模様を身にまとうようになり、

おまけに偏光効果を持つ縞模様はアブを寄せ付けさせない役割も果たすようにもなった。

単独での狩りが難しくなったライオンは群れで狩りをおこなうようになり猫科動物でも特に社会性ある動物になった。

どこで誰が誰からどのような恩恵を受けているのが分からないのが自然界であり、人間精神世界もそうだ。


人間はいつか死ぬが、いつか死ぬから今死んでもいいというなら今私たちが生きている理由も意味もない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん