なんかすげえ勘違いしてそうだけど、適正な金額の寄付ならば、ふるさと納税として寄付する金額全額分が所得税と住民税から控除されて、+返礼品が実質二千円で手に入るというふうに考えるのが適切な制度
「トランス女性が女湯に入るのは反対?」という質問には「答えない」のが正解だと思っています。
現実はもっと複雑です。複雑なものを複雑なまま理解しようとせず、単純化した二律背反事項に落としこもうとする態度こそが「差別的」であると指摘されているのではないでしょうか。
00年代くらいから増えた泣きエロゲっぽいシナリオのアニメって、影響元が「セックスがゴール」のエロゲだから女の子と関係を深めるのがクライマックスで、それ以上のドラマがまったくないからみんな同じに見えるんだよな。
映画とかちゃんとした物語だと、ボーイミーツガールだとしても「女の子と仲良くなることで、協力してミッションを達成できる仲になる」とか、それ以後があるのだが。
ハンターハンターで言う「何かを得る途中で得られる本当の望み」が女の子でも良いのだけど、それを作品のゴールに持ってくると退屈になる。
あるやでという話
ジャンプ+で隔週金曜日に連載されている『スケルトンダブル』が今とても面白いということをこっそりとお伝えしたい。
ちょうど今日第3巻が発売しててしかもちょうどその終盤あたりからの展開がめちゃめちゃアツくてさらにその続きは現在無料公開されているというのに、世間の多くの人はどうやらスケルトンダブルの面白さにまだ気づいていないらしい。
今日、本屋に行ったが3巻を見つけるのにすごく苦労した。地元で一番デカい本屋だというのに新刊コーナーに平積みで置いてなくてジャンプコミックスの棚に2冊くらい突っ込まれてるのをやっと発見した。きっと夜に行ったから在庫が少なくなってたんだろうね。いやもっと入荷してくれ。
前述したように第3巻の終盤あたりからの展開が非常に盛り上がっており(19〜21話あたり)、読者からの評判が非常に良い。
3巻の帯に「Twitterトレンド入り!」と書かれているがトレンドに載ったのは第21話が更新された金曜日の深夜のことだ。
ということでちょうど今こそが激アツな展開を一気読みできる最高のタイミングなのである。
そして最新話の展開はちょうど物語の序盤の山が片付いて次の展開に移るあたりなので、一気読みするにはキリがいい。
逆に言えば、今みんなが読んでくれないと打ち切りの可能性がだんだんと出てくる。怖い。
隔週連載なので更新頻度が低いが、それでも一定の読者がついてきているのはその漫画のうまさへの信頼だと思う。
この作品は透明人間(スケルトン)化した人間が特殊能力を使って戦ういわゆる「異能バトルもの」なのだが、登場人物の思考やかけ引きの描写が非常にうまい。
それともう一つ光るのはキャラクターの奥行きがあるところ。
異能バトルものらしくクセのある登場人物が結構出てくるのだが、ただのインパクト重視のクセではなく、ちゃんとその人物なりの行動原理があるように見える。
セリフの裏の意図だったり少し挟んだコマでの心情描写などが丁寧で、考察しがいがある。
なかでも主人公のパーソナリティーについては特筆すべきものがあって、盛り上がっている19話あたりからの展開がまさにその主人公の行動原理に迫ったものだ。
このあたりの話数からコメント欄やネットでの評価がかなり良くなったと感じる。
一言で言ってしまえば、この展開で読者がみんな主人公を気に入ってしまったんだと思う。
あえて例を出すなら『ワールドトリガー』で読者が三雲修の「やばさ」に気づき始めたあたりの感じ。
「犬も猫も同じ」と言われて、どういう状況を想定するのが正しいのだろうか。
「動物が好きで、特に犬が好きだけど、猫も好き。犬も猫も同じ」と言うなら、「確かに同じだ」と思うかもしれない。
一方、キャットフードを犬に食べさせて「犬も猫も同じ」と言っていたら、犬の健康上問題があるし、虐待にもなりうる。
一般に、「AもBも同じ」という言葉には、そういう恣意性が必ず残る。
「犬と猫は違う」と言われて、どういう状況を想定するのが正しいのだろうか。
「キャットフードを犬に食べさせてはいけない」と説教する時に言う、「犬と猫は違う」という言葉は、慈愛のこもった意味を持つだろう。
一方、「犬は人間の相棒だけど、猫は害獣だ。猫はいくらでも虐待していい」と言い放つ人間の言う「犬と猫は違う」という言葉は、決して許してはならない差別の言葉だ。
一般に、「AとBは違う」という言葉には、そういう恣意性が必ず残る。
はてブのみなさんのなかに複数、「記事の指摘内容」自体は正しいものと鵜呑みにされている人がいることにやや危機感を覚えたので、逐一検証していきます。
準拠する用字用語ルールブックは、記事内では残念ながら指定されていないので、現物を所持しているという点で増田に都合の良い、2016年3月24日発行の『記者ハンドブック 第13版第1刷』を使用します。
なお、2022年3月に「記者ハンドブック」は第14版が出ているのですが、スタイルガイドは別に新しいものが日本語として正しいといった性質のものではなく、またたかが6年で様変わりするようなものでもないので、気にしないことにします。
厳密な話をするなら、増刷のたびに微妙な改訂があったりしますしね。
なお敬語や文法等の指摘は、表記集である記者ハンドブックの範囲外だと思われるので無視します。
また、面倒なので「【誤字】_カテゴリ別」のシートのみを対象にします。
誤用第1位として挙げられていますが、1位になるのも当然で偽ルールです。記者ハンドブックでは「比喩表現には「例え」、仮定表現には「たとえ」、「喩え/譬え/仮令/縦令」は常用漢字表外のため使用禁止」です。
これは正しいルールですが一方で記者ハンドブックには「「まぜご飯」など書き分けが難しい場合には平仮名書き」とあります。必ずしも正誤判定を行えるルールではありません。
例えば
などは、「調べて区別を付ける」ことは可能だが、調べるまでは「混ざっていて区別のつかない」状態を描写しています。
判定は難しいですが、記者ハンドブックは「混じる」の用例に「異物が混じる」を挙げていることも踏まえると、誤りとは言えません。
書き分け基準は正しいですが、『亘る』は常用漢字表外なので『わたる』と平仮名で書きます。
同上。『穿く』は常用漢字表外なので『はく』と平仮名で書きます。
同上。『窺う』は常用漢字表外なので『うかがう』と平仮名で書きます。
記者ハンドブックには「「料理を皿にのせる」など使い分けに迷う場合は平仮名書き」とあります。用例を見ても「猫を膝に乗せる」/ 「家畜を列車に載せる」などは違いがわかりにくいです。
の2点が揃えば「乗る」、2点に反すれば「載る」、片方だけ満たせば書き分け困難として「のる」とするのが妥当に思えます。
そうすると、
は「載る」ではなく「のる」に校正するのが正しいでしょう。
「押さえる」は「物理的圧迫」だけでなく、「確保する」「つかむ」も含みます。そうしないと「要点を押さえる」などが説明できません。
また「物理的圧迫」でも例外として柔道用語では「抑え込み」です。
要約すれば、「抑圧・弾圧・柔道」が「抑える」、それ以外が「押さえる」とするのが正確でしょう。
また、
- 持って帰りたい気持ちを抑えて
は「抑制」なので間違っていません。
これも記者ハンドブックに「使い分けに迷う場合は平仮名書き」とあるようにはっきりとは分けられません。
ただし、少なくとも誤用指摘をされている
- エアコンの効いた
等に関しては記者ハンドブック中に「冷・暖房が効いている」があることから、誤用指摘のほうが間違っていると言えるでしょう。
「沁」は常用漢字表外であり使用禁止。すべて「染みる」で問題ないのが記者ハンドブックルールです。
記者ハンドブックルールでは「敵う」/「適う」を区別しませんが、そもそもどちらも常用漢字表内の読み方に「かなう」がありません。平仮名書きが正しいです。
記者ハンドブックルールでは「散りばめる」/「鏤める」はどちらも誤用ではありませんが、「鏤」は常用漢字外なので使用禁止です。
表記統一のルールとしてひらがなで「ちりばめる」と書くのが正しいルールになっています。
「牡蠣」/「柿」は同音異義語です。牡蠣を柿と書いたら誤りです。しかし「かく」ならば、絵に対しても書に対しても両方に使える、ただの多義語です。「書く」「描く」という2単語があるわけではありません。
多義語も書き分けを行うことで、意味確定が楽になり読みやすい文章にはなります。しかし、「絵を書く」と書いたところで日本語として間違いにはなりません。あくまでプラスワンの基準と考えるのが妥当でしょう。
また、「書く / 描く」の書き分けルールくらい、多くの現代日本人の共通認識になっていれば、強い理由がない限り逸脱しないほうが良いといえるでしょうが、
でも「湧く / 沸く」の違いならどうでしょうか。そんなもの日本人のほとんどは意識していませんし、言語感覚は人それぞれで多様です。何かしらの書き分けを行うことによる読みやすさの向上は、仮にあっても微々たるものでしかありません。
共同通信の配信文などはその性質上個性を抑えた画一の文体が好まれますから、ルールを極めて細かいところまで定めることに意味が出てきますが
一方でオモコロのような個性が売りの媒体では、時にはルールから逸脱することもあるライターの言語感覚を反映させて、自由に書き分けることの方がよっぽど重要です。
記事の冒頭、
にマジレスすると「メディアの違いを理解せよ」ってやつですね。
そして、フォーマルな画一文の校正として見ても、『オモコロを校正する』は、準拠するスタイルガイド・用字用語集・辞書・文法書が指定されていないこと、および常用漢字表外の漢字の使用について明らかに無頓着であることがかなり気にかかります。
記事の著者は「普段、仕事で小説を読んでいます」と主張していますが、この人に仕事で校正してほしくないな……というのが本音です。
え?だからペドを性的指向の1つとして認められるほどに社会が成熟していない、というだけの話ですよ。
究極のところ全ての人が全ての人の考え方を尊重できれば差別なんかないんだし。そこに軸足を置かないからペドは容認できないとかいうアホな建前になっちゃうわけで。