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普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか - nanapi Web
真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
他の記事もひと通り読んだので長くなるが思ったことを。
久々に様々な意見が読めて、数年前までのはてなのようで楽しかったから、感謝として。
「わたし、写真が大好きだと思われてるんですが、嫌いですね。撮るのも、撮られるのも」
写真が嫌いで、SNSも苦手だという坂口さん。それでもGoogle+に写真をアップし続けているのは、「就活のため」だ。
大学3年生になり、就職活動を始めたが、「就活でしゃべれることがないんです。好きなこととか、何もなくて。何も好きじゃないし、何もできないから、流行ってることとか、これから“来そう”なことをやろうと。目標に向かって努力した経験や、自己PRが求められた時、なにか印象に残ることが言えたら」。
「恐怖感」という言葉で感じ取り、理解した者もいたことだろうと思う。自分になにもないような気がして焦燥感に焼かれるような時期のことを覚えている者なら。
彼女は賢い女性だ。自己分析も、目標設定の仕方も。早稲田という学歴を手にしたのはなんら不思議なことではないと思う。「意志が弱い」のに「恐怖感」で毎日朝3時50分に起床できる。これだけでも「普通」じゃない。褒められていい。好きでもなく、むしろ嫌いなことのため。けれど、将来に向けて役立つものを作るため。長所で点を稼ぐことでは行けない場所に彼女はいるのだろう。弱点を克服してこそ立つことができる場所に。
そして、就活を目前に控えても彼女はその方法論を用いて不器用に「これから“来そう”なこと」を選んだのかもしれないと感じた。この選択に自尊感情の低さを読み取ったとしても、病的と謗るのはどうだろう?彼女は自分と自分の人生に果敢に向かい合っている。安易に楽を選ぶような人ではないようだ。きっと彼女のいる場所では自分と同程度に出来がいいだけでは評価されないのだろう。だからこその課題解決と弱点克服。お前は何者だ。その問いにも、その答えにもおそらく彼女は気がついている。
彼女は結果を出した。Google+とInstagramということを差し引いても称えられていいのではないだろうか。確かにそれは誰にもできそうな話だ。お手軽で浅薄にも思える。パソコンとiPhoneがあればできる。インターネットは「自分だって」という幻想をもたらすツールだ。ユーザが少ないから、顔が綺麗だったから、学歴があったからということは自分も思った。嗚呼、またカモネギか、と。けれど、そういう一面もあったとしても彼女の努力は称えられていい。それがどんなやり方であろうとも自らに欠けているものを獲得しようとしている者の痛ましい努力を。壊れたiPhoneに感じるものはないだろうか?もしかしたら、壊れていたのは彼女だったのかもしれないとさえ自分には思えた。
事実、元記事にはこうも書いてある。
「1日1枚はInstagramに上げないと、というノルマに対する恐怖感で起きています。写真を1枚逃したら、私は何もない元の自分に戻っちゃう」
何もないわけがない。そんなに綺麗じゃないか。そんなに有名な大学にいるじゃないか。Google+で一位じゃないか。
ここで大事なのは“彼女にとって”は「何もない」ということだ。Google+を取ったら、彼女のいる環境では普通(以下含め)に埋没する。その恐怖感たるや如何ばかりだろうと考える。自分は自分だろなどと励まされても、“彼女には”そうじゃない。それに「何も好きじゃないし、何もできない」ということは本当に苦しいことだ。それだけ頭が良ければなんて言ってはいけない。彼女以外の者が自分のいる場所から考え言葉を発するのなら、彼女だってそうしていい。なによりも、なにもないという自分との対峙は大学生らしくまっとうな悩みではないだろうか?むしろそこに一度撓んで伸びようとする魂を感じはしないだろうか?
なにもない自分と向かい合うのは力のいる作業だ。彼女はいま奈落と向き合っているところなのかもしれない。それはこれからも時間をかけてやっていくことになる作業だろう。途中で転職や結婚や出産という転機にだって出会うことだろう。そしてそのたび自問自答しつつ、誠実にひとつずつ向き合っていくように感じた。そう信じたい。
「気持ち悪い」と思っていた一眼レフカメラも、最近は欲しくなってきた。「iPhoneのカメラには限界がある。誰かに伝えたいと思うような美しい景色が思うように撮れない時は、ちゃんといいカメラで撮りたいなと」
「気持ち悪いと思っていた一眼レフカメラ」「誰かに伝えたいと思うような」この言葉も印象的だ。
関心や興味は良いものとされがちだが、あまりに強い関心というものは異様に映る。強すぎる情熱を持って自分には興味のないことを続けている者を見かけたとき、つい引いてしまったことはないだろうか。それに、物事への関心が薄い者はネットでは目立たない。彼や彼女の発する情報はあまり役に立たないからだ。そもそもネットに現れないことの方が多いのだろう。語ることがないから。伝えたいことがないから。なぜそんなことをする必要があるのかわからない。ネットと接してきた時間が長い者と彼女のような伝えることのないタイプは互いに異形の者。でも、彼女はネットを選んだ。
何かを伝えたいと思うようなことがなかった女子大生がインターネットで「伝えたい」方向に気持ちが動いた。この先「やっぱりカメラは気持ち悪い」と思うことになっても、ここに自発性や意欲の萌芽を読み取ることはできないだろうか?
彼女は「好き」を獲得し忘れてしまったのか、どこかに置き忘れてしまったのだろう。だからこそ傾向と対策を練り、「型」の反復から入って習得しなければならなかった。そして、恐ろしいまでの勤勉さで、本来は好きというだけで心理的報酬が発生する行為を、他者からの称賛という報酬で自分の中に意欲として還元し定着させつつある。このことがいつか他者からの称賛という報酬がなくても行為自体が報酬をもたらすようなものとして彼女の中に育っていくといいと願う。考えてみて欲しい。多くのひとはもう記憶もないような幼い頃に獲得したか、考えずとも手にしているものを彼女は二十歳を超えてから獲得しようとしているのだ。野暮なことは言わず、讃え見守りたいと思う。もしよかったらあなたもボタンを押し、気が向けばなにかコメントするだけの簡単なお仕事をしてみてはどうだろうか。翼を広げ飛翔する彼女を目にすることができるかもしれない。それはインターネットから翔び立つことかもしれないけれど。
岡田有花という方を自分はよく知らない。しかし、この取材はきっと彼女も困ったのではないかと感じた。岡田氏は「写真大好き」な女子大生と出会うはずではなかったのだろうか?意外な言葉に戸惑ったのは彼女も同じだったのではないか?確かに記事の内容はありがち。わかりやすい良い話にしたかったのだろう。しかし、穿った見方をすればこの方は自分がネットで付与された(と思しき)物語を坂口さんにも着せようとしているような気がしてならない。「普通の女子大生」なんて表現は彼女が京大でなければ出て来なかった言葉ではないのか。また、彼女は一度自らに問うてみるといいと思う。自分が向けられた男性からの視点を内面化していないかどうかを。こうすればネットでは受ける視点が男性目線からのものであるのなら、あざといパッケージは文章を安くする。
そしてこのありがちな文章に対してのカウンターである『普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。』があまりに凄すぎた。素晴らしすぎた。誰もが薄々感づいていて言葉にしなかったことを暴いてしまった。それぞれの方がそれぞれの部分に喝采を贈ったのであろうが、自分は次の部分だった。
3年以上前からブログを書いている女性を、思い出せるだけ思い出してみてほしい。全員ぶさいくである。1人の美女もいない。美しさの欠片も無い。顔も醜い。心も醜い。そういう人達ばかりである。不平不満とくだらない馴れ合いをはき出して、だらだらいきている醜い人ばかりである。1人として美女はいない。もちろんの事、美男もいない。美しさは消えるのである。インターネットから消えるのである。時間と共に消えるのである。美しい者は、インターネットを捨て、廃棄し、跡を濁さず消えて行くのである。インターネットという地獄では、醜い者だけが生き残るのだ。そういう風に出来ているのだ。
すべてとは言わないがそう思う。自分にとってこの「美しさ」に儚さや弱さも含みたい。多分、ある種の脆弱さという美しさを持った彼や彼女たちはインターネットからも弾かれる。長くネットに表現を置くことができる者は強者であると言ってもいいと自分は思う。
だから思い出して欲しい。「ワンチャンあるかも」ということがどれだけ美しい者たちを潰してきたかを。
女性に「クン」とつける中高年男性向け雑誌のように「タン」などと語尾につけてキャラ化し、持ち上げるだけ持ち上げてコンテンツとして消費し、そして次の対象へと関心を移す。そのとき、賢く、美しく、センスのあり、慎ましやかな者を選んでいたのは他ならぬ「ワンチャンあるかも」という者ではなかったのだろうか?そういう者たちが結局美しい者を淘汰していってしまう。残るのはマシュマロの中に鉛が入ったような女性だけである。「私の名ならば女。それ以上でも以下でもない」と賢い女なら気づく。そして鎧を身につけるか、鉛を飲むか、逃げるかしていく。また、当然の如く逆もある。どちらかだけが捕食者とは限らない。女というだけで入れ喰いならフォトショ覚えるくらい安いものだ。これを楽しめるのもまた人間としてのある種の強さとこじつけてもいいのかもしれない。
男の敵も女の敵もお互いとは限らない。いつの間にやら話の流れは新旧ネットの流れになっているらしいがそれも含めて自分が感じ取ることをどんなゲームにしてもいいし、そんなものはないと木で鼻をくくったように言ってもいい。それが自分の考えだと感じるならそこから行くしかない。そして、それが違うからこそ人と出会うのは面白い。
最後に、個人的にはネットで多数と繋がりたくはないと考えていることについて。
Twitterが普及してからある種の文章をあまり見かけなくなったように感じている。エッジの効いた、ヒリヒリするような、血の滴るような文章を。嫌だったひともいるのだろうが、自分はああしたごりごりとした長文が読みたくてネットを見始めたクチだから大変残念だ。その一因はネガコメとかあの辺もあったんだろうなと思う一方で、ブログならば見えない読者を一人失うだけだったのがTwitterと連動させたことで明確に誰から拒否され関係が切れたのかがわかるからではないのかとも考えていた。それが罰のようなものとして認識されているのではないだろうかと。人間関係の煩わしさがネットに持ち込まれることで混沌と表現と情報は薄まっていく。ネットを現実と重ねていく流れがあるのならば空気を読むのは当然のことだ。日常の罪をネットで告白することの意味に気づかない者たちが晒される見せしめのショーも連日開催中だ。自宅、職場、学校まで晒される。あまりにリスキー。お利口でいい子になっていくのは必然だろう。誰かが自分に関心を向けてくれたときのあの興奮を一度でも味わったことがある者ならば。好かれたい、愛されたい、褒められたい、繋がりたいと願うのならば。
旧世代と誰かを括って責任押し付けるのは簡単だ。若いってそういうことだ。けど次はお前の番だ、お若いの。この流れの先に待っているのがパノプティコンでも向かいの囚人に片目を瞑ってみせようじゃないか。
あるいは俺のチラ裏。
反フジテレビ勢力の勝利条件=【フジテレビが偏向報道を行わなくなる】【フジテレビが番組でステルス宣伝を行わなくなる】だよね?
……となるべきだよね? でも実際にはそうではなく:
……となってる。勝利条件の達成のためなれば味方につけるべき花王に対して、反フジテレビ勢力はボイコットという行動に出ることで、花王の態度をいたずらに硬化させているようにしか見えないのよね。これ、花王はもう絶対、反フジテレビ勢力の味方にはなってくれないでしょ。
いや、そういえば花王は最初からフジテレビを支持するとか言ってたな。はなっから反フジテレビ勢力の味方にはなり得ないスポンサーと言える。じゃあ反フジテレビ勢力が打つべき次の一手は:
じゃねーのか?
んー、これならまだ理解できる。これ、つまり、反フジテレビ勢力は花王を見せしめにしてるってことだね。「お前らもフジテレビからスポンサーとしての手を引かないとこうなるぞ」的な。あるいは、反フジテレビ勢力にとって花王は目的ではなく手段だとも言える。カント大先生は空の上で怒ってるかもしれない。地上でも「目的のためには手段を選べ!」思想の皆様が冷やかな目で反フジテレビ勢力を見てるかもしれない。
となると、反フジテレビ勢力の正念場は花王デモ後ってところか。ここでいかに多くのフジテレビスポンサーを味方につけられるかが勝負。それこそ花王も含めて味方につける勢いで行くべき。逆に留意すべきは「第二の花王」への対応。「偏向報道を行うフジテレビのスポンサーは許さない!」という態度を外に向けてアピールし続けていかない限り、「第二の花王」への対応次第では反フジテレビ勢力は「反・偏向報道」という錦の御旗を失いかねない。
偽計業務妨害については
・そもそも「偽計」か
・客観的には「偽計」としてもそれを立証できるか
・故意があるか
という問題があるので、必ず有罪にできる、というレビューは少ない気がする
inumash web これ書いてる人の大半は実際にこの製品を使ったことないだろうし、やってること自体は明らかな偽計業務妨害で御座いますな。あといい加減「鬼女だからしょうがない」的な扱いはやめるべきだよ。 2011/08/02
→偽計業務妨害についての構成要件を満たしているのであれば見せしめ逮捕もいつかはされるのだろうなとは思うけれども、誰でもレビューできるという構造がある限りムダだよね。 と思ったらちょっとidコール飛んでるみたいなので様子見かな
→じゃあそんなことできるのかな、というとよくわからない。Amazonで買った人だけがレビューできる、というのが得策でないからこそ今もなされていないわけで。おそらくほとんどの商品にはレビューがつかない、なんてことになるんじゃないかなあと。なんだかんだで古書にまでレビューが付いてる今のシステムの方が俺はいいと思うけどね。
→「鬼女だからしょうがない」的な扱い」のような組織でひとまとめにする判断を避けるのは無理だってことぐらいわかるでしょうに。
munioka303 こういう事を大の大人が一生懸命やってること自体がお寒いし、大人がこんな事にわざわざ時間を割いてるのが信じられん。まじでくだらない。こういうのを「民度が低い」って言うんじゃないの? 2011/08/02
あなたが比較的育ちがよくて育ちのいい人としか付き合いがないだけで、これぐらいはごく普通ですね。大の大人がカンニング自慢したり飲酒運転したりスポンサー企業が選手を罵倒する時代ですから。「民度」ってなんでしょうね。
ksaitou これはひどい これから花王を積極的に買うことにする 2011/08/02
ksaitou 花王を買ってこいつらにNOを突きつける2011/08/02
passy_no_okan 韓国がどうとかはおいといて、ステルスマーケティングはダメだと思うの 2011/08/02
この手の話はよく上ってくるけど、何が悪いのかな。洗脳とか思ってるの?まさかね。
daisuk-com *その他, フジテレビ 花王はちょっと気の毒だな。バカひとりのアホな対応のせいで花王ごと騒動に巻き込まれちゃった感。もし同僚だったら殴りたいw/冷静に考えると、花王の応答がデマで書かれた可能性も否定しきれないのか。 2011/08/02
braverobo これはひどい アホくさ。アマゾンレビューなんて元々罵倒三昧の吹き溜まりじゃねえか。そんな場で暴れてなんか意味があるとでも?まさかこんなのを「ネットの力」とか言って持ち上げてんの? 2011/08/02
→もともとそういう場で、改めて可視化された形ですが、ネットの力とかはあまり意識してないんじゃないか。他にもたくさん用意してるみたいだし。
FUKAMACHI レイシズム 地震のときに、日本はいろんな国から愛されているんだと感じたが、どうやらそれも長くは続かないだろう。なんだ、こいつらは。幼稚園児の集まりか。 2011/08/02
→こういう意見を見るたびげんなりするのだけど、こういう人たちってどこに住んでてどこで働いてるの?観測範囲狭すぎじゃないか?
kari-nekoguruma これはひどい, 酷使様 ……こーいうことやってるから、味方が増えないんだよ 2011/08/02
→味方を増やすつもりがあるようには見えない
まあこういう流れが加速して将来的にインターネットが閉塞感漂うなり検閲が進んでしまうなりネットに免許制が導入されたりするならそれでもいいんじゃないかとは思う
言うでしょ、綱紀粛正って。
組織に属しているくせに組織を愛せない、組織の命令に従わないような人間は組織から締めだすべき。
あと、飲み会やプライベートでこぼした愚痴なんかは密告すると昇進の判定に良い影響が出る、というのもいいではないか。
っていうのが俺の理想で、どの組織にも属せない反社会分子をあぶり出し、見せしめに殺すところまでいければいいなって感じ。
というか、ファシズムだ北朝鮮だっていうけど、北朝鮮って国家間の協調体制に協力しないから糾弾されてるだけでしょ。いつミサイルぶっぱなすかわからないアキバの加藤みたいなのが北朝鮮。国歌で起立しない教師みたいなのが北朝鮮なんだけどさ、そういうの持ち出してる人ってほんと頭悪いよね、誰とは言わないけど。
俺はそういうの抜きにすれば北朝鮮は嫌いじゃないよ。喜び組とか軍隊の行進とか美しいじゃない。ああいう整然とした美は大事だよ。日本の自衛隊ももっとそういうとこアピールすればいいのに。
特にアニメ部分に関してはほとんど同じ水準にある萌えオタニュース速報とどうしてこんなに差が空いてるか、は興味深い。
結論を先に書くと、私が思ったのはやらおんって階級意識が明確だよねってこと。そして、一番人数が多い層の人間が一番優越感を感じられる仕組みになってること。
そして、その仕組みの結果としてやらおんでは祭りが発生する。萌えおたニュース速報では発生しない。この差は大きい。
発端は、批評家たちに対しての反発だろう。
こいつらアニメにとって何もプラスの貢献をしなかったよね、むしろ存在自体がマイナスだよねってくらいの嫌悪感を感じる。
同時に、技術とか能力ないけどアニメについて語りたいって層を大歓迎してるというのも感じる。
えらいのは、作ってる人と声優さん。それから買ってる人。ちょっと下の階層に楽しもうとしてる人。アンチや批評家は最下層に位置づけ直してる。
私は声優に全く興味がないし、ローソンフェアとか全く興味ない。売上情報もそこまで気にすることないと考える。
なので、なんでこの人こんなに声優とか消費活動取り上げるんだろう、って思っていたのだけれど、
こういう序列になってるんだと考えれば納得する。そりゃこっちのほうが重要度高いんだからあたりまえだよな、と。
批評家の毒にも薬にもならない批評よりかはよっぽど役に立つよねー、ということなんだろう。
他にもイロイロと特徴がある。たとえば理解しようとしてる人間への寛容さや親切さ。パロディによる個々人の楽しみ方の紹介など。
今では他も真似してるけど禁書の解説記事を毎回載せてたのは印象的。
本来禁書みたいに「解説が必要なアニメ」は、キャラ魅力が低かったらボッコボコに叩かれてたんだろう。実際錦織監督は叩かれまくってるわけで。
AB!に対するの態度も全体を叩きつつキャラ萌えを押し出そうとしてたし、
女にコンプレックス抱いてるキモオタ男読者が多いのを意識してか君に届けとか放浪少年を取り上げないところとか心遣いがわりと細かい。
かなり明確な思想の持ち主であると思う。
一方やらおん空間においては今まで好き勝手に作品を叩いてそれなりにいい気分に浸っていられた批評家やアンチの扱いは悲惨なものだ。
やらおん空間においては彼らは「バッシングを受ける対象」としてしか存在を許されていない。
お前らの存在いらねーんだよ、と。もう口閉じて眼と鼻と皮膚呼吸もやめて死ねくらいに思ってそうだ。
せめて口を開くなら、ヤマカンやハルヒの中の人のようにアニメの話題の肥やしになれ、うんこ野郎。
あずまんみたいに言うだけじゃなく自分で作ってみろ。そして作った物に責任をとれ、敬意を払えと。
実際の事情はどうか知らないが、制作者の立場に立ちながら無責任、アンチな言動とったと受け取られたあずまんはまさにワーストオブワースト。
やらおん空間ではリサリサ先生のまなざしを向けるのがふさわしいレベルなんだろう。
そういうやつらを見せしめにして、名状しがたい祭りを楽しむのがやらおん。
割とたんたんとアニメの話題だけを載せ続ける萌えオタニュース速報。
どっちが正しいとは言えないけど、人気があるのは圧倒的にやらおんだなぁ、と思う今日この頃。
個人的には、やらおんの価値観の再配列ははわりと一時大戦後のドイツの全体主義を彷彿とさせるものがあってあまり好きではないのだが人気には納得する。
よく「やらおんに比肩するサイトがない」っていうのが話題になるけど、扇動力が全然違うのは確かだよ。ほんとうに良く出来てる。
最終的に、能力も知識もない人らが権力を握ったアニメ業界が、知識層を追いだしてどういうアニメファン層をつくるかと思うとげんなりするが、それが世界の選択というのならしょうがないわね。理想としては、既存の評論家どもはきっちり潰れて、個人サイトとか若い人らが評価され直すといいんだけどなー。
で、そもそもなんでこんなに批評家や知識人(笑)に対して風当たりが強くなってるんだろうか。
それは、多分みんな「このままだとアニメそのものがなくなっちゃう」ってぼんやりと危機感を覚えてるんじゃないだろうか。
あるいは、少なくとも批評家をトップに置く序列に対する現状に対する猛烈な反発があるんじゃないだか。
上から目線で批評を加えたり製作者の状況無視して割りに合わない要求ばかりしたり、
アニメにはいろんな要素があることを忘れてテーマとかストーリー語ってるやつらばっかりだと、
じゃあお前らは文学(笑)でも読んでろって製作者がブチギレて、
ほんまに純粋にビジネスとして萌え豚向けアニメしかつくられなくなるんじゃねーかと。
それぞれに人の集まりができて、市場ができてってなっていけば。
でも、どいつもこいつも批評家の口にするのって同じことなんだよね。内輪感半端ない。
あずまんとか宇野とかそういうもともとコミュニケーション苦手そうなやつらがメインとなって
自分たちの居心地の良い空間をつくろうとしてるから異物があまり育たなかったんだろう。
楽しみ方が恐ろしく窮屈で偏屈。喋ってる本人らはデブばっかのくせにどうしてこうなるんだろう。
あの界隈、多分2~3人いたらあと全部キャラかぶってるからいらない。
そういう批評家どもの多様性の無さのため、批評家が褒める作品って限られてくる。
そうすると、こいつらを中心とした序列だと、本当に一部の作品しか残らない。
それは、ものすごくアニメというものをつまらなくさせてしまう、と、そんな展開。
これも本当のところはどうかしらない。ただ、明らかに彼らが戦犯扱いなのは間違いない。
あまり気持よくないのだが、ドイツのブルジョワ階級と違って批評家が役立たずだという点には同意してるのでまぁ別にいいかな(爆
参考記事
はちま機構のことはしらんけど、こういうのと比べるとやらおんは比較的全うだと思う。
どうやらエコロジーとかに注目した投信の運用成績が芳しくないらしい。
まあ、2010年は「CO2が温暖化の原因である」という前提自体が崩壊するような事件がいくつもあり、エコロジー自体がなんか胡散臭いイメージを醸し出し始めた年でもあった。それと、きれい事だけで株価は上がらん、ということか。
さて本題。
世の中では「ブラック企業」とやらが幅を利かせていると聞く。ブラック企業とは http://jobranking.sakura.ne.jp/black.htm
・その割に給料が安い、残業代が出ない (年収は30歳で300万円前後)
・入社後の離職率が高い(大量採用、大量退職を繰り返している)
・他人に勧められない。
・体力勝負で数年後にボロボロになってポイ捨てされる
・30歳近くになって給料が上がってくると首を切られる
・会社の諸経費を社員が自腹を切り、会社に請求できない(その額が多い)
・社員を、恐怖感、危機感、不安感で操ろうとする(暴力もあり)
・社員は恐怖心で、自由にモノが言えない、凹ませられてオドオドしている
・恣意的な人事があり、金儲けの為なら、当然クビになる社員の不祥事を揉み消す
・支店長の一声で突然解雇(労働基準法違反)見せしめ解雇、濡れ衣解雇、悲惨な解雇がある
・辞めると決めた社員をノイローゼ寸前までいじめて、精神的な打撃を与えようとする
・辞めた社員の悪口やウソを、残った社員に言う ネットなどで辞めた社員を中傷をする
・「○○に住めなくしてやるぞ!」などの脅し・嫌がらせをすることがある
まあこんな感じなのだが、このブラック企業、いつまで経ってもなくならない。1つは労働基準監督署が怠慢だということもあるのだが、もう1つはブラック企業の方が一般的に利益率が高く(社員から搾取してる分な)、株価が上がる、つまり株主にとって有り難いからだ、ということも挙げられると思う。
で、証券市場からブラック企業に圧力をかけることはできないだろうか、と。
■ 愛称 ■ 黒熊
また、発展系として、
■ 愛称 ■ 黒熊Super
・当該ブラック企業と同一セクターに属する、比較的経営健全性の高い企業の現物株をベースにして、ブラック企業の株を空売りします。
てのも。後者は大ざっぱに説明すると「NTTドコモ株を現物で持って、ソフトバンク株を空売りする」ようなもんだと理解していただければかまわない。
で、これらの投信が好成績を出せるかどうかと言われると、短期的には正直微妙かと思う。
というのは、景気後退時には、短期的にはブラック企業の方が耐性が高いと思われるからだ。
それでも、このような投信がある程度の資金量を集めてまとまった動きをすれば、長い目で見ればブラック企業の株を買うという行為のリスクが上がるため、株式市場を通じてブラック企業群にダメージを与えられたりしないだろうか。
なお、ブラック企業の選定は、目論見書には「消費者参加型サービス等から企業の評判を抽出しネガティブ企業を空売る」などと最もらしいことを書いておくが、ぶっちゃけ2ちゃんの就職板レベルで行うw
雪印の件は
信頼のあるブランドで、大企業が、組織ぐるみで、一般人がわからないところで、長年にわたり、偽装を 大規模に続けていた
こちらは、
無名のブランドで、単なる個人が、一般人でもわかるレベルで、初犯で、意図的か無知による事故なのかわからないかたちで、結果として偽装を 小規模に発覚した
という話。
ある意味、デパートでブランドもの買ってみたら、そのデパートのブランドが全部偽物で計画的犯行だった。という話と
って話ぐらい違う。
擁護するわけじゃなくて、ネットは危険だという意味で聞いて欲しいんだが
今回の件で言えば、事件性を警察が立証できるか?といえば、景表法違反と業務上過失は立証できるだろうけど
詐欺罪は、結果として詐欺になったでは立証されず、最初から、騙す意図があったことを立証しないといけないが、どうやって、この状況で騙す意図を立証する?
ランプフィッシュとかは、キャビアだと思ってました、缶にキャビアって書いてあるし。(実際ランプフィッシュの缶にはキャビアの文字がある)って言われたら立証は無理。
これが、デパートや高級料亭なら、そんなわけあるか、業務上知っていて当然という話になるが、カフェじゃ、今回はじめてなので知りませんでした。って言われたら終わり。
クールにしても、寒い季節だから大丈夫だと思いました。腐っていたのは即座に受け取らず取り置き期間があったからです。みたいな話をされたら、過失にはなるが詐欺は難しかろ。
まぁ、ネットの話をうのみにするなっていう良い教訓じゃない?
こんなの正直、イタチごっこ。
焼肉でロースは肉の部位の名前じゃありません、料理名ですって詐欺もどきが指導食らっただけなのが消費者庁の状況だし、至る所で起きてるか指導レベルなんだろ、この条件では、被害総額 500万円だが弁償済みで、額面が警察からみると小さいし、逮捕相手も小物だし・・・見せしめ逮捕でもない限り無理だろうが
・・・難しいんじゃね。
素直に喜びたいのだが、とってもモヤモヤするのだ。
不幸になれ、とまでは思わないけど、幸せになってほしくない、そんな漠然とした気持ち。
我ながら、人として最低だと思う。が、モヤモヤしてしまっているのは紛れもない事実。
いたたまれないので、この場を借りてそっと告白させていただきたい。
友人、とするからいけないのかもしれない。
中学時代から大学卒業まで、濃密に付き合っていた相手、というべきか。
同性なのだが、あまりに好きすぎて、多感でデタラメな中学時代などはそれを恋愛感情とまで自分で誤解してしまったくらいだ。
大学卒業間際、あることをきっかけに喧嘩になり、それっきり、会わなくなってしまった。
そもそも、友達、だったのかどうか。
絵がうまいし小説もうまい、と当時の私は思っていた。事実、中学生としては上手だったと思う。
「見せてほしい」とお願いすると、同じものを同じ枚数かいてもってこい、と言う。
だから私は小説なんか書き始めたのだし、当時は下手なイラストも必死で描いた。ほんとうに下手だった。
友人複数と交換でリレー小説をやったりもした。いつも私がキャラを殺すと怒られた。
楽しかったのは間違いない。けれど私は、メンバーの中では、いじられキャラを微妙に超越したいじめられキャラだった。
ボケと突っ込み、の体裁をとりながら、私が何か言えばいきなり手が飛んでくる。
はじめのうちはちょっと突く程度だったものがエスカレート。
こちらが笑っているうちはいじめにならないから、と、私も痛いのを我慢していたけど、
ついに、脳味噌ずれるのが分かるほどの平手打ちをもらったときは、意志に関係なく涙が出てしまった。
さすがにどうかと、ヤツに手紙を書いて渡した。
なんて返ってきたと思う?
「自分には、対等な付き合い方というのが分からない。見下すか、敬うかしかできない」だと。
要は、ペルソナが強すぎるのだ。
「自分のキャラ」みたいなものから一切逸脱できず、ただそれを演じることに徹している。
そこを理解してくれと言うのだ。
事実、二人でいるときは手をあげることはない。
それでもやっぱり、好きだったのかねぇ。
強くたたきすぎるのはナシ、みたいな密約のもと、謝られるわけでもなく同じ関係は続き。
オタク仲間、というのが少なかったからかもしれない。
別の高校に行っても、長電話したり遊びに行ったり来たり。
でも、この頃になると、学校が違うから明確な学力の差が見えにくくなってくる。
視野も広がるし、友人も増える。
私も小説を書くのが好きになって、素人ながら作品と呼べそうなものも作れるようになってきた。
そうなってくると、力関係は変化し始める。
コテコテのドオタクでいるより、好きなものを適度に取り入れたい私と、
なりふり構わぬ服装や態度を、こちらがやんわり諭すような場面も出てきた。
そして受験。
お互い一浪し、ヤツは有名大学の文学部二部、私は芸術系学部の文章創作コース。
こっちは大学の課題で小説を課され、プロの小説家に添削を受けているんだから上達は早い。
ヤツの書いた、あいかわらず中学クオリティの作品の粗もよく分かるようになった。
でも、こき下ろすようなことはしなかった。
こっちはプロを目指そうとしているのであって、趣味で書き続けている人の楽しみを奪ってはいけない、と。
この頃になると、家族に次いで親しい大親友と言っていいくらいには気心を許していたと思う。
・・・少なくとも、こちらからは。
あくまで「自分のキャラ」のなかでしか行動しないヤツに、私はだんだんいらだってきていた。
とにかく、成長がない。他者から学ぼうとしない。影響されない。
だから、迫ったのだ。本音で付き合え、と。
ヤツのペルソナをすべて論破して、丸裸にしてやった。
そうやって逃げるのは怖いからだろう? ほらまた自己弁護に走った、
それは本心じゃないだろう、なぜそう言いきれる?
思えば私も若かったし、性急だったと思う。
自分はこんなにお前のことを知っているぞ、とひけらかしたかっただけなのかもしれない。
10年付き合っていてはじめて、ヤツは涙をみせた。
初めて本音に触れた、と思った。漠然と、勝ったと思った。
そんな風に思う時点で、私も薄っぺらだったわけだ。
それっきり、会っていない。
ただ、私はそのとき予言した。
「そんな風に自分の殻に閉じこもった付き合い方をしていると、幸せになんかなれないぜ」と。
それから、約10年。ヤツをネット上で見つけたのは、ほんの数年前だ。
精神安定剤をオーバードーズしていることが自慢げに書かれていた。
複雑な気持ちになった。不幸自慢は気持ちのいいものではない。
でもどこかで、ほら言ったとおりだ、という思いもあった。
一方私は、小説家とはいかないまでもライターとして仕事で文章を書くようになっていた。
信頼も得ていたし、役職をもらって後輩を育てるまでになっていた。
大した成功ではないが、ヤツと比べてしまえば雲泥の差。
HPに設置された掲示板に声をかけるか迷ったが、やめておくことにした。
何を書いても、自慢になってしまう気がした。
それからさらに数年。
一定の自己実現欲も満たせたし、第二の人生といった感覚の引退。悔いはひとつもない。
ふと、ヤツを思い出した。
正直、自殺しているかも、とさえ思った。なぜか、それだけはやめてほしいと思った。
安否確認のつもりで昔見つけたHPを開くと、ブログが変わっていて、
ヤツが何を思い、どう変化していったかは知る由もない。
真に心を開ける相手を見つけたのか、
心を開かないことを許してくれる相手を見つけたのか、それすらわからない。
ただ、相変わらず昔の小説の続きを掲載し続けているヤツと、
今の私が社会的に同じところにいるということが、妙にモヤっとするのだ。
もしかすると、私こそがヤツに対して、一定の強い思いを抱えたままなのかもしれない。
これは、サービス残業がいっこうに無くなってゆかない理由でもありますね。
互いに強要し合い、心では悪いと思っていても、互いに強制し合う。
本心では悪いことだと思っているから、表だっては言えないし、
後ろめたさから、そうしなければならないと言えるだけの言い訳を
様々に準備することになる。精神の平穏を保つために。
雇用の差別待遇が改まらないのも、最底辺に居る者以外は、必ず、
|← 加害者 →| |
| |← 被害者 →|
|a|← 多数派 →|b|(少数派a+b)
この大多数の間の共犯関係が崩れない限り、幾ら法整備しても、
純粋な被害者が圧倒的な多数派にならない限り、民主主義(多数決主義)国では、
法が改まることそのものが、起こりえないのでしょうけれども。
すでに色々あるにはあるとしても、
罰則のない法を作っても、実効性が無いから、所詮はアリバイ造り。
ホリエモンを潰したみたいに、サビ残・ブラック企業を、一罰百戒で
見せしめにでもすれば、効果はあるだろうけれど、絶対やらないだろうな。
いや、仮に行政が動いても、マスコミほど酷い状態なんだから、やっても報じないか。
一番の近道は、パート・アルバイト&派遣労働が、国民の半数を超えること。
これに危機感を覚えた支配層は、建前のキレイ事で雇用の立て直しを
唱っていますが、完全に無くす気は、まず無いでしょう。
彼らが多数派にならないために、これ以上増やそうとはしないだけ。
選挙行かないバカが居るから半分以上に増えてもOKなはずなのだけど、
上にいながら下に温情をかけるバカもいるから、そのへんは折半。
読みを間違えたからか、欲に目がくらんで拡大させ過ぎちゃったからか、
政権交代が起こっちゃったけど、すでに(麻生時代の)対策は効いてきているから、
再びネジレにまでは引き戻せた。
これからは、上流・中流・下流の安定的でありながら下流を最大化する
最適値の算出を行っている段階だろうな。
|←‥‥共犯関係‥‥‥→|
|上|←‥‥中流‥‥‥→|←‥‥‥下流‥‥‥→|
|‥‥‥ギリ多数派‥‥‥|‥‥ギリ少数派‥‥‥|
___________←|→微調整
↑上で図示した理由により、ここは幾らでも最大化できる。
「中間層の厚みが大事」という言葉の持つ意味が、1980年代のそれではなく、
別の理由にすり替わってゆくはずだと予言しよう。
話が逸れまくりすぎかw
かくて権利者としては、『俺たちはそんなものを望まない』と宣言しつつ適当に見せしめのために動くのが一番コストパフォーマンスに優れる、というわけか。とはいえ、権利者が騒ぐことで逆に「こういうのもあった」と世間に喧伝することになるんだよな。やるなら流通ごと叩かないといけない。
昔と違って厄介なのは、今だとnyとかに放流されてそうだ、ということがバレバレってことだな。あれのせいで結局ただの見せしめじゃねーか、という域を出ない印象になってしまう。困ったもんだな。あ、カネはいらないけど俺は○×がエロくてひどい目に遭う漫画を描きたいんだ!って奴こそnyに自分で流せばいいんだな。自作ポエム的な意味で。
1週間くらい前に見た増田が消えてたのでEvernoteにあったやつからうp
レイアウトとか行が前と違うかもしれないけど文章はそのまま。
http://anond.hatelabo.jp/20100627204354
それまで老人というものをひとくくりにして見てきたが、
病院や老人ホームに入った老人はまさに負け犬のような余生を強いられることが分かった。
これがゆえに老人はどこまでいっても社会福祉に満足することないのだということもわかった。
まず、老人が圧倒的に優遇されている。これは事実だ。
(一般の国民も7割は国負担だが、そもそも一般人はそんなに利用しない)
他にも色々な補助があり、
この間脳の手術を行った際には、なんと220万円の手術費のうち、
祖母の負担はわずかに(といっても多いけど)9万円だった。
この制度がなければ祖母は手術を受けられずに死んでいただろうから
私たちにとってはありがたかったが、そのせいで金がいきわたらない人がいるのも事実だ。
我が国の老人は実に自分勝手で教育がいき届いていない人が多い。
「暇つぶし感覚で」「国民の税金をじゃぶじゃぶ使って」「何の罪悪感もなく」「頻繁に」医療制度を使用する。
田舎はどうか知らないが、中途半端なベッドタウンだと本当にひどい。
ジジババどもをできる限り死ぬ直前まで医者から遠ざける為の
ビジネスや宗教にはどんどん税金を使って援助をしても良いと思うくらいだ。
この「行きすぎた」保証と「老人たちのアホみたいな浪費」が何をもたらすか。
老人にできる限りこの制度を使わせたくない、という発想だ。当たり前ですね。
そうはいっても元気で暇を持て余している老人たちは医者に通うのをやめない。
じゃあどこを削るか。
祖母は気丈だからか医者嫌いだからか、民間医療の信奉者だったからか、
とにかく今まで全く医者を利用しなかった。国にとってはありがたい老人だと言える。
介護老人ホームは彼女(とつきそいの私)に対して何を言ったか。
「ホームの許可なく医者に診療をうけに言ったら即出て行ってもらいます」
最初は彼らの態度にブチ切れたが、話を聞くたびに印象も変わってきた。
調べてみると、老人ホーム側も国の締め付けがきつくて、
できる限り老人たちに医療行為を受けさせるな、さもないと認可が・・・と脅しを受けているようだ。
要するに「声のでかい暇な老人」の声は怖いからご機嫌をうかがうが、
「ボケてまともに活動できない老人」については徹底的に締めつけてもかまわんというわけだ。
「明らかに偏向報道だ」「まるで見せしめのようだ」とホームの人間が言っていた。
どうせ印象の悪い介護ホームが何を言っても誰も信じないぞ、と。
お前たちは国の政策に従ってせいぜいボケ老人を預かっていればよいんだ、と。
そう言ってるように感じたのだと。
詳しくは省くがつまりこういうことらしい。
老人たちは、健康なうちは時間のゆとりもあるし、社会福祉も充実している。
しかし、一度ボケたり病気になって入院したりすると、とたんに立場が弱くなり虫けらのように扱われる。
「自分の人生は何だったのか」とか「まるで姥捨て山だ」と嘆きながら死を迎えることを強制される。
これが、戦後高度経済成長を支えてきた自負からか妙にプライドの高い老人たちには耐えがたい。
自分たちの死がこんなに安っぽいものでよいのか、と恐怖すら感じる。
だから、老人たちは、ちょっとの健康不安も見逃すことができない。不摂生のせいであの地獄に落ちるのはいやだ、と。
ボケないように常にコミュニケーションをとる相手を求める。ボケたら人生終わりだ、と。
いざというときのために頼れるのは金だけで、だから手放すこともできない。金の切れ目が人生の終わりだ、と。
より一層の社会福祉の充実を求める。彼らはただみじめな死を避けたいだけなのだ。
過剰なところは削ってもいいから、一番大事なところでもっと安心させてほしいと願って。
その意味で、彼らの必死な行動には多少同情もする。
というよりも、彼らが人の話さえ聴く耳を持っていれば、協力して日本は何とかできると思う。
しかし、彼らは哀しいほど学がない。涙が出るほど現状認識能力がない。
私からしたらボケていなくてもボケ同然である。田舎根性のせいか、長い社畜生活のせいか、
彼らは自分の主張をロクに整理もできない。自分の頭でモノを考えない。
ただ不満や恐怖だけがあって、それをマスコミや周りの人間の意見に踊らされて喚き散らす。
そのくせなぜか息子たちは年長者である自分たちの言うことに従え、とか言う。
本当に彼らは、戦争中も戦争後も、労働面や生活では苦労はしたのだろうが
頭を使わずに生きていける幸せな時代に生きてきたのだなぁ、と笑ってしまう。
この国は、老人に安心を与えて自主的に金を出させるか、
逆に老人から金をだまし取ることでしか生き延びることはできないのではないか。
ただ思うに、私は老人たちが大嫌いだ。
どうみても害悪でしかないのに純粋な善人気取り、被害者気取りというのが許せない。
この2年間、老人ホームに通い続けて思ったのは彼らに生きている価値はあまりないということである。
そう思われたくなかったら、彼らには「過去の栄光話」とか「年長者を敬え」みたいな
あほな話ばっかりして迷惑をかけながら汚く生き延びるのではなく何か尊いものを見せてくれ。
ああでも、彼らも国を今まで信じて支えてきたのは事実だ。
彼らがいなければ私たちはいなかった。
ああもうどうしたらいいんだ、全く分からない。
追加 ちなみに私は40過ぎのオッサンですので、
この記事のせいで若者たたきをするのはやめてあげてください。