はてなキーワード: スーパーマンとは
だが、ほんとうのジョブズは、もっと冷酷な人間だったそうです。
妹はさすが作家だけに、事実を美しく描くことに長けているけれども、たとえば、
というエピソードの実態は、
Macintoshの開発中にもスタッフらのガールフレンドや妻たちを酷評することは日常だったという。
誰だって自分の彼女や女房の悪口など他者から言われたくはないが ジョブズは他人の思いなどに気持ちが向く人間ではなかったようだ。
だったとしたら、笑えませんか?
ぜひ、ジョブズの妹の弔辞を読んだ後に、このブログ記事を読んでください。
(元の文は長いため、所々を中略している)。
スティーブ・ジョブズの陰の部分に光を当てる!
スティーブ・ジョブズ氏はいまや世界でもっとも有名な経営者でありそして大金持ちのひとりである。
アップルの共同経営者でLisa、Macintoshは勿論 iPodやiPhoneといった世界的ヒット商品を生み出したというだけでも歴史に名を残すのに十分だが、瀕死のAppleに復職した後の活躍たるやまさしくスーパーマンである。
しかし彼は常に負の部分を多く持つ人物としても知られている。
(中略)
彼の負の部分、陰の部分とは 誰の人生にもあるであろう例えば青春の一時期…粗野で他人を顧みない言動をする…といったことではない。
私が最も忌み嫌うことは 信頼している人たちを裏切るというその一点にある。
筆者は、ジョブズが人を裏切る例として、まずは、比較的よく知られた、ジョブズの詐欺話を紹介している。
アタリ社からブロック崩しのゲーム機の設計を頼まれたジョブズ。彼は親友のスティーブ・ウォズニアック一人に仕事を丸投げし、ウォズニアックは48時間で設計を完成させた。
ところが1,000ドルという報酬額を隠し、「600ドルをもらったので折半しよう」と言って、400ドルを懐に入れてしまった。
親友を裏切ったジョブズ。後日それを知ったウォズは、泣いたという(多分ほんとうだろう。ウォズは感激屋で、ジョブズが亡くなったときのインタビューでも、泣いている)。
しかしジョブズは、親友を裏切ったことを「覚えていない」で済ましたそうだ。
また、1978年5月にジョブズの娘・リサが生まれたものの、ジョブズは実子であることを決して認めず、その頃は億万長者だったのに、養育費もまともに払わなかった。
1979年の夏、ジョブズはやっと父子鑑定テストを受けることを承諾したが当時はまだDNA鑑定はなかったものの結果はスティーブ・ジョブズがリサの父親である可能性は94.97%と出た。
しかしそれでも彼は自分の子供ではないと主張し続け養育費を払おうとはしなかった。
リサの母親はやむなく生活保護を受け、裁判沙汰となりようやく養育費を支払うことや医療保険を与えることなどに合意したものの、当の子供に会うことを拒絶し続け父親であることを認めなかった。
暴君として振る舞う彼のエピソードもある。
また有名な話のひとつにApple社のストックオプションの話題がある。
すでにジョブズはAppleが株式公開を果たしたことでアメリカ有数の金持ちになっていたが、自身の力を見せつけるためか 創業期から苦楽を共にしてきた社員たちの多くがジョブズのひとことでストックオプションを与えられなかった。
なにしろ従業員第一号だったビル・フェルナンデスにも恩恵はなかったというのだから酷い話だ。
見るに見かねたスティーブ・ウォズニアックは「ウォズプラン」と名付けたプランを実施する。
こういう威圧的な専制君主ぶりのためか、ジョブズはよくハシゴをはずされるが、彼は、はずされたハシゴの代わりに他人を踏み台にして上を目指すのがお得意なようだ。
それは「宇宙をへこましてやる」と豪語までして開発を進めていたLisaプロジェクトから外されたことだ。
この決定は社長のマイク・スコットによるものだが、マイク・マークラらも賛同していたという。
会長というポジションに祭り上げられたジョブズだったが目標を失っていたものの、翌年ジェフ・ラスキンが細々と進めていたMacintoshプロジェクトに目をつける。
そしてCPUをモトローラの68000にするよう圧力をかけるなど大幅な路線変更を命じ、様々な口出しをするようになるが ジェフ・ラスキンはなすすべもなかった。
そのMacintoshプロジェクトでのエピソードが、冒頭に挙げたもの。
Macintoshの開発中にもスタッフらのガールフレンドや妻たちを酷評することは日常だったという。
誰だって自分の彼女や女房の悪口など他者から言われたくはないがジョブズは他人の思いなどに気持ちが向く人間ではなかったようだ。
そして開発スタッフらと外食に行けばスタッフらはジョブズの態度に目を伏せ恥ずかしさに震えなければならなかったという。
なぜならジョブズには出てきた料理を突き返すという癖というか習慣があったからだ。
自分の権力を見せつけようとするかのようになんだかんだと難癖をつけて料理を突き返す。
間違った料理が運ばれてきたわけでもないのに…である。マナーも思いやりも彼にはないようだった。
さらに大金持ちなのに払い汚いことでも知られていたという。
先日ジョブズが通った寿司屋のインタビュー記事を読んだが、TBNというニュースサイトの主は、そういうジョブズを「海原雄山」みたいだと指摘していて、笑った。
記事にはこの後、彼がアップルに返り咲いて、彼を引き上げてくれた恩人たちをどのように追放していったかも書かれている。
この辺り、講談社の最新の伝記には、どう書かれているんでしょうね……。
さらに、彼の恐怖政治の実態について。
とにかくAppleの体制を立て直し業績を上げるという目的のためには恐怖政治さながらの雰囲気を社内に作ったことでも知られている。
よく話題になることだが、この頃Apple社内ではジョブズとエレベータに乗り合わせるのを怖がり階段を利用する社員たちが目立ったという。
エレベーターでいきなり「お前はクビだ」といわれる恐怖。
ヤダヤダヤダ。
考えたくもない。
こんど私が社長と一緒にエレベーターに乗ったら、この話を思い出して、オシッコをちびりそうだ。
さてAppleに復帰しAppleを盤石の体制にした功績は間違いなく彼にあるし最近ではジョブズも丸くなったという説もある。
まあ、こんな憎まれ口をたたいても何の得もないわけだが、世間にはAppleの躍進を追い風にし諸手を挙げてスティーブ・ジョブズを素晴らしい人物と評価する傾向があるのが些か気になるのだ。
確かにビジネスで成功することや金持ちになる…有名になるということが人生の目標であってもそれが悪いわけではない。そしてAppleという企業や魅力的なプロダクトも無くなっては困るわけだがスティーブ・ジョブズという人物は正当な理由も無く、理不尽きわまりないことで立場の弱い人はもとより、信頼すべき周りの多くの人たちを不快にし傷つけてきた男であることも忘れてはならない。
( 引用元 http://www.mactechlab.jp/from-mactech-with-love/11840.html )
なお、こういう文章をはてなに転載すると、「筆者乙」などと書かれそうだけど、違いますよ~。
そして、こんなに立派なジョブズが、リサの母親と別れた理由は何かを「ジョブズ」「離婚」「理由」などの言葉で検索するうちに、一年前以上前のこの記事をみつけたのだ。
妹の弔辞を裏打ちする、面白い記事だと思うけど、どうでしょう?
(もしもブログ主の筆者にとって不愉快ならば、すぐに削除するのでご自身のブログにてそのようにお書きください。すぐに指示に従います。)
そして、それとかけ離れた、彼と仕事をともにした人々から見た、ジョブズの姿。
異なるエピソードならともかく「スタッフの恋愛に関心を持つジョブズ」のように、まったく同じエピソードですら、正反対の評価になるのだから、なにが正しいのか、よくわからなくなる。
アンドロイドアプリお勧めなどの記事をみても、外で使うアプリだったり、無駄なアプリの紹介だったりで見ててもおもしろくないので家のwifi環境下でしか使ってないアプリを書いておきます。
・ADW.Launcher
一番人気があるホームアプリ
IS01にはそれ用のが有志によって改造版があるのでそちらへ
・Galapagos Browser
タブブラウザ DolphinBrowerが合わなかった人はこれ
・En2ch
2chブラウザ 他にもTsuoboroidon、mate2chあたりがオススメ
・らてラン
TV番組表 とりあえずこれ
FC2動画を見るためのアプリ ニコニコ動画みるよりこっちの方が
・NicoRO
・ニコニコPlayer(仮)
・UstreamViwer
Usream視聴アプリ。暇つぶしに、ニコニコ生放送の配信者が
・RAZIKO
公式アプリもあるのであわなかった人はそちらで
・Aniradio
・Meridian
・DroidComicViewer
・PerfectViewer
GalaxyTabにぴったりだったりします。
あまりの完成度に漫画み~やの作者が作ったんじゃないかと言われる程
・AdvancedTaskKiller
メモリが少ない端末には必須。とりあえずいれとく
・TkMixiViewer
こちらのほうが使いやすかったりします
・ピンポイント天気
・MyVolume日本語版
いくつか種類があるので合うのを探すのもいいかもしれない
・AngryBird
鳥を飛ばして豚を倒すゲーム
とりあえずこれいれとく。オススメ
・Frogger
向こう岸までいくとクリア。まぁまぁ
・AmtaleeLite
・SpaghettiMarshmallowas Lite
マッシュルームにスパゲッテイ刺して
・PaperToss
・BonsaiBlast
DroidHenで検索
・ScooterHero
・DoogleDash
・X construction
っていうのは煽りタイトルなんですが(一部界隈でホットなので、自らセカンドレイプをしかけてみる)
こういう事例というか、「自助努力が欠けているからそうなったんだ」という俗流自己責任を持ち上げる輩はわりといますね。
で、ちょっとトポロジーな類例をふたつばかり考えてみたので、ひとまず被害程度の問題を無視して、読んでみてください。
要するにこれは、レイプの話題で言えば「胸を露出させる服を着ているのが悪い」とか、「ひとりで夜出歩いているのが悪い」的な言説ですね。いじめられる側の隙を探して、いじめる理由に足るものを指摘して、「お前がデブでハゲでバカでフケ散らかしてるのが悪い」って話です。
レイプ含め、性犯罪を根絶することは不可能でしょう。同様に、いじめを根絶することも無理だと思います。起こってしまったときに、適切な対応と、理解を促すぐらいしか、方策はないように思います。
別方面でもそれなりに話題になりがちなテーマですね。よく「コミュ障だから内定がない」となかば自虐的に書き込まれるケースが多いですが、それ以外にも「社会人としての自覚が足りないからだ」とか「甘えてるからだ」とか、飛躍して「○○大学なら当然だな」とか、無い内定になるのにはさも当人に落ち度があるのだから当然という主張がまかり通っています。
学歴に依る差別は合理的なものだから、区別であって正しい、という主張をする人がまだまだ多いです。それを盾にして「だから低学歴は無い内定になって当然。今までの努力が足りないツケだ」と主張すること自体も正統的な目線で見られがちです。
そもそもの話として、自助努力というのは存在しうるのでしょうか。こういう場で使われる努力というのは「最適解」を前提にしています。つまり、努力しようがしなかろうが、当人にとっての最善の努力だろうが、実現しなければ「甘え」であり「努力が足りない」ということです。
性犯罪で例えれば「深夜にバイトをしないで生活できるように、最善の努力をしてこなかったお前が悪い」とか「努力せずに低学歴になったんだから、性風俗のような相応の産業で働いてあたりまえだし、その帰り道でレイプされてもどうせ売春婦なんだから一回ただ働きしたようなもんでしょ、適切な努力をした人はそんな事されない」とか臆面もなく主張してくるわけですね。
社内いじめが功を奏してクビになってしまったとしても、それは政治力のないあなたが悪い、とも言われてしまうわけです。
能力がなくてクビになったとしても、勉強する時間を創ってこなかったお前が悪いと、誰も取り合わないわけです。サビ残ばかりで終電帰宅な毎日でもね。
されたのが悪い、されたのはお前に原因がある。
努力すれば報いがあるのだから、報いがないのはお前の努力が足りない、というわけです。
負の努力をすれば負の報いがくるのだから、正の報いがないのはお前が負の努力をしているからだ、ということです。
先天的にせよ後天的にせよ、それを改善しようと努めないなら相応の報いを受けるのだ、というのは一見聞こえはいい(自分に火の粉は降りかからないから)ですが、弱肉強食に塗れたキケンな思想だと言わざるをえないでしょう。他責的言説が支持されないのはこういう背景があると睨んでいます(他人の因果がなぜ自分と関係があるのか!と思う人は多いんじゃないかな)
そして自分が喰われる側となれば「もっと努力すれば」とスーパーマンを期待し、
相互で相互のハードルを上げあって、互いに息苦しくなる(もちろん、この息苦しささえ「それはお前が弱いからだ」と言い切る人もいるでしょう)
自律意志を持たず、ひたすらルーティンワークをして錆止めの油(給与)を与えられるだけのサラリーマンを皮肉ったものとして。
しかし、すべての成員は歯車だ、と私は思うのです。どちらかというとポジティブに。
つまり自分が歯車として機能しているということは、他の歯車も機能しており、自分の馬力が他人に作用している何よりの証拠なのです。
すべての事象は、社会に参与するすべての人間に関係があるのです。
なぜ、熊森は生態系撹乱を無視してまでどんぐりを森に撒くのでしょう。
なぜ、我が国の文化はガラパゴスとして他国からCrazyと思われるのでしょう。
なぜ、起業しろと、起業ノウハウも金銭もない人間に主張するのでしょう。
すべてを理解しろと言っているのではありません。超人ではないのだから、私とて理解できないモノだってあります。
自己を律するのは勝手ですが、同じだけの律を他人に求めるのは不寛容です。
そして、できるだけ、すべてを包摂していくことこそが求められるべきです。
んー、それはニワトリタマゴ論であってどちらとも言えないのでは。
現在の日本において、女性総合職として一端に稼ぐのは難しいことってわけではないし
我が職場にも俺より稼ぐ女性が複数いるよ。もちろん、独身という方もいるけれど、「家事はダンナ」という方もいる。
それは夫婦の間で取り決めるべき家庭のことであって、男が女が、という話ではないのではないですかね?
そうしたいならそうすればいいし、パートナーとその旨話し合って決めるべきであって、
もっと言えば、それが出来るパートナーと結婚すべきであって、それが出来ないってのは「馬鹿じゃないかおまえ?」って
話としか、俺には思えない。なんか物凄い強制力とかに結婚させられたんですかね、その女性は。
一家を支えるだけ稼いで家事もやる、大変スゴいことだと思いますがね。
はっきり言って、効率悪いですよ。俺と同じだけ稼いで、かつ家事もやれる女性はそりゃスーパーマンの部類だと思う。分身の術は確実に使える。
っていうか、子ども死ぬんじゃね?と思う。早くて10時、週の半分は帰宅出来ず、現在も出張先のホテルから増田。
多分、今のご時勢30歳で950の手取りってのはこういうこと。これで子どもを「真っ当に」育てるのはおそらくムリ。
まぁ、年収300だろうが200だろうが、子どもが死ななければ育ったとカウントするなら、それはそれでアリだと思うけどね。
んで、まぁよーするに。
九割くらいの男性は女性より稼いでいる。その状況の中、保育園やらなんやらに来る人が女性多数ってのはむしろ当たり前。
「女性は子どもに時間が取られる分働けない」っていうのは、「結婚」っていう契約を結ぶときに
きっちりとその辺りを詰めない本人が、救いの無い馬鹿ってだけですよね。大人なんですから、契約はちゃんと条件を詰めましょう。
ところが、俺が稼げるようになってその代わり時間がなくなって、今度は
「じゃあ君にバトンタッチな」となっているわけでして。
基本、家事育児は分業制でやっていくのが一番効率がいいと思うんですよね。
俺は時間を仕事に投資した方が稼げる、ヨメは稼ぐことは諦めて家事育児をやった方が
家が上手く回る。それ以上でも以下でもないと思うんですよね、最近の結婚観って。
しょーじき言って、俺は仕事より家事育児の方がよっぽど楽で好きですよ。
ただ、俺の方が稼ぎの時間効率に勝るので今は俺が稼いでますけれど。
子どもや家にかける時間ってのもある意味投資だから、やっぱり効率が全ての判断基準になるよね。
俺が年収500ちょいだった頃は嫁も同じくらい稼いでたし、俺も6時には帰れたので家事は分業というか
俺がメイン。今は俺が転職して1000弱稼いでるんで、嫁は仕事辞めて家で専業。
これはもー、効率の問題であってそれ以外の何の基準も介在してないっすよ。ホントのとこ言えば、俺は専業主夫になりたい。
ただ、ヨメが収入を伸ばすのは現実的に厳しいので、俺が働いてるっつーだけ。
男だってみんな「仕事仕事!」って人間ばっかりじゃないよ、家事育児くらいふつーにやる。っていうか、みんな結構好きだろ。
ただ、仕事に消耗してるとそこまでやる気力が回らないだけで。今やれっていわれても無理だしなぁ。
外資金融に転職して思ったけど、働くパパに「家事やれ、育児やれ」ってのは「死ね」ってことだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20101023215618
元増田です。投げて良いならぶん投げたい。
そしてぶん投げた→いまや犯罪者的扱い
私自身、実は休学復帰組みで今の学年の子達と1年で合流したんだ。
其のときから年上だし、できれば「貴方は大人だから」学年をまとめてね。
と言う調子で担任補佐的な生徒の役割に何故かなってました。
其のうち先生にいえないからって、自殺の方法とか愚痴を聞かれたりして
「先生にも言わないで」とかそういう相談を引き受けたり(重いってのに!)
定年間近の先生と同い年ののマレーの架橋の人のわがまま対応についても先生方から叱責を受け。
体育祭では私の不手際(体育委員は2名居るけれどもクラスの協力もなしに全部仕切っていた)
を全校生徒の前で体育委員長に叱責され堂々と「○○は本当に使えない委員だ」といわれたり土下座させられることにもなりました。
そろわなくて土下座してでもクラスメートに競技に出てもらうそんなことも球技大会では有りました。
つかれた。
それに、私教師免許持ってないし、自殺問題を投げられても困るから本人同士で話してくれって感じですよ。
でも夜中たたき起こされるとか、電話を切ると「死ぬ」とか
電話に出て第一声目「切っちゃった」って切っちゃったじゃねー!
もうね、あほかばかかと。
ほんと、電話する相手間違えてるだろ!って怒ったのだが・・・
いのちの電話は繋がらない・・・
友達だから聞いて。
何で友達だといのちの電話代わりしなくちゃいけないんだろう?
でも友達っての実は凄く恥ずかしいけれどもこの学校で(1年以上付き合ってた友達は)初めてだったからそうなんだって感じで・・・。
私、解離起こして自傷してたことあったけどすぐ精神科に電話したよ。
だって友達居たとしても、私は、腕切ったーって友達に言えない。
本当はいのちの電話が良いけれども繋がらないのは現実問題なので。
どうしてもって時は24時間の公的機関化警察に駆け込んでた私がおかしいの?
だって友達に死にたいとかいってら友達苦しいじゃん。
でも受けてしまったからには死にたい気持ちもわかるし、放置して(病院であった)友達が死んでしまったって過去あるし。
だから受けてたけれども本音、嫌だよ。
何で1年半も他のクラスメートの言動が原因の自傷とかの愚痴を聞かなきゃいけないんだ。
精神科に行くなり担任なり其の原因の本人にぶつけてくれって何度も言ったのにこっちである。
それで着信拒否。
回り巻き込んで悪口、自殺すれば良いのにと後ろ指差される。
もう嫌だ。
小学生のときは、「将来○○になるんだ!」とかあんまり思わずに、周囲の友人達にあわせて「僕も、将来の夢はサッカー選手かな」なんて適当に応えてた。思い返せば、将来についてじっくり考えたことなかったんだなぁと思う。実はそれは、25.5歳くらいになった今でも同じで、それほど将来について具体的に考えていない。
最近、研究なんかしたくなくて、あまり研究室に行かなくなってしまった。おかげで、次の学会発表の資料がほぼゼロだよ。オワタ。
それはそうと、今の自分の置かれている状況が嫌になればなるほど、将来こんなことしたい、あんなことしたいという欲求が生まれてくる。不思議。
とりあえず現実逃避して、適当に頑張って博士(工学)を取得したら何しようか考えるのが最近の楽しみ。
とりあえず、俺がスーパーマンみたいなやつだったとしたら、60歳までには、大学教授と会社経営者と国会議員の3つの職を経験したい。と、まるで漫画のようなことを考えている。
他の人の25歳の夢ってなんなんだろう?
いつからだろう、何か本気で取り組んでみたい物事を見つけるたびに、わざとそれを避けるようになったのは。
できないからやらないのではなく、したくないからやらないのでもなく、したいけどやれない。
こんな矛盾した気持ちを抱えているのは自分だけではないだろうと思う。
自分だけにしかできない何か一つを持つよりも、自分は何一つできないことなどない。
そんな人間になりたかった。
個性なんてお断り。個性なんて背負えば他が潰れてしまう。なるべく平らで均されていて、でもそれぞれか程良く高い。
そんな優秀な人間になりたかった。なれると思っていた。
どんなことでも経験してみたかったし、どんなことでも知りたかった。
何も華やかなことや凄いことだけじゃない、苦しく汚らしく嫌らしい、そんな何もかもを体験していきたかった。
そして自分のそうした好奇心がいずれは自分を大きく立派な人物に成長させるのだと信じていた。
小学生も高学年になればあの頃に特有の万能感もだいぶ薄くなっていたけれど、この好奇心があれば自分は大丈夫。人とは違う。
そう思えた。
少なくとも僕は一握りの才能をもって生まれた人間ではないということに気づく。
物語にでてくるような何でもできるスーパーマンにはなれそうもない。
それでも没個性への志向と自分は好奇心が強いという核にブレはなかった。
けれど、実際のところそれは心の持ちようでしかなく、
好奇心が強く色々なことを経験したかったはずの僕は、何か行動を起こすというのにはいつも消極的だった。
歳を指折り数えられなくなった頃、世界は大きく広がった。
自分の手が届く範囲だけでも見落としてしまいそうなくらい小さなものから、すぐに目に付く大きなものまでたくさんの選択肢がある。
そのそれぞれから続く道は更に遠くどこまでも伸びてゆき、いくつもに枝分かれしている。
多くの友人が一番大きく太い道を、特別な何かを持った幾人かはそっと違う道へと逸れていく。
僕はというとあれもこれもと言っているうち、とうとう時間がなくなってしまいしぶしぶ皆と同じ道へ。
そうしてそんなことが何度か繰り返され、大きかった道もだんだんと狭まっていき、仲間も減っていく。
結局僕は目移りをしていただけだ。
寄り道することも、それらに触れることすらもなく綺麗に舗装され踏みならされたその道をまっ更な靴で歩いている。
気づけば大学4年生。
何にも挑戦することなく、もちろん何の実力もなく、周囲と自分を騙し騙し生きている。
あと半年。
これから待っている残りの人生は子供のころ憧れていた僕とは程遠く、思い描いていたものとはだいぶ違ったようだ。
本当にしたいことが、やってみたいことがたくさんあったのに。
何一つ手をつけることすらしてこなかった。できなかった。
決意を新たにし、覚悟を決めたのは10回や20回なんてものではない。
何百、何千回と心にリセットを掛け、道具や思い出を大切なきっかけに見立て、人に伝えることで退路を絶った。
しかし、それが行動に移ることはただの一度もなく、代わりに腰についた鎖だけが重みを増し、より立つことを困難にしていく。
自分は何かに挑むことが、何かを頑張ってみることが、それができない、そういう生来の特徴を備えた人種なのではないだろうか。
そんな風に考えるようになっていく。
でも、本当はそれでよかったのかもしれない。
挑戦しても、頑張ってみても、成功することなんて滅多にないのだ。
わざわざ敗北者になりたいの。どうせできっこない。
今の自分を、今までの自分を認めてあげようよ、自信を持とうよ。
そんなことを考えてしまう自分の心がどうしようもなく気持ち悪くて、自ら作った防護柵をがしがしと音を立て壊していく。
そうして残った自己嫌悪だけはしっかりとそこに根を張り、
自信や自己実現なんて成功に必要な好循環からは遠ざかる一方だ。
常に揺らぎを持って自分を定位置に留めていたくない。
理想はそうあったのに、口だけなら今でもはっきり言える。
でも、現実はほんとうに同じような毎日の繰り返しで、決まって同じ場所にぽつんと立つ自分がいる。
なぜここまで心と体で乖離できるのだろう。
こうして日々を過ごしていけば、嫌でも自分というものがわかってくる。
自分に何かの才能がないことを知った時よりも、自分にはスタートラインに立つ勇気さえないと気づいた時の方が何倍もショックだった。
思いが行動に繋がるにはほんとうにいくつもの壁がある。
周りの人間がひょいとその壁と軽々しく飛び越えていくのを見るたび、より壁が高くなったように感じられる。
こんな気持ちは学生にありがちなものとして、いつしか忘れることができるのだろう。
中二病というやつをこじらせてしまっただけなのかもしれない。
でもいつなのだろう。
これまでも幾度かあった。
心のなかで燻っていたものがいつの間にか消えているのに気づいてしまいそうになることが。
違う。まだなくなってはいない。
そんなように感じるだけだ。
でも、まだ確信ではないのだけれど。
それを確かめるのが怖い。
認めたくない。
そうしているうち少しだけ、ほんの少しだけ息を吹き返す。
それを感じ、まだ自分には願い想う心だけは残っているのだと、ほっと心底安心する。
でもいつか本当に消えてしまう日がくるのだろう。
いつなのだろう。
挑戦したいと思う気持ちまでもがきれいさっぱり消えてしまい、可能性すら失うのは。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100714/lcl1007141115000-n1.htm
民主党の参院選の敗北を受け、大阪府の橋下徹知事は14日、「選挙のたびに政権運営を気にする今の制度では政権は安定せず、役所を利するだけ。小泉純一郎元首相みたいなスーパーマンじゃないと政権運営はできない」と述べたうえで、「今の議院内閣制は限界。憲法を改正して首相公選制を目指すべきだ」との考えを示した。
選挙で政権運営しにくくなるのはねじれ国会で政府の法案が成立しにくくなるのが主因なんだから
首相公選にすれば参院だけでなく衆院でも与党過半数割れになる可能性もあるので、ますます不安定になるだけだろうに。議院内閣制のまま一院制にすればねじれの発生は皆無になるんだから、改憲するなら、こっちを主張すべきだろうう。
それよりお前がスーパーマンとクラークケントの関係に気付いてないっぽいのが気になるよ
二人が同時刻に現れたの見たことある?
もう一つ。ありむーについて。
id:y_arim
ttp://changi.2ch.net/test/read.cgi/job/1266414304
28 :sage:2010/02/19(金) 01:00:38 ID:mJbIDDI50
高校も中の下くらいの高校にいって、しょぼい短大でてプログラマになった。
たいした努力もしなかったけど、悪いことは何一つしてないと思う。
なのに、なんで毎日日が変わるころ帰宅して、仕事があるだけマシとか言われながら
手取り20万以下のゴミみたいな給料もらって生きてかないけないんだろ。。
そんならスーパーマン高い金だして雇えって。。。
普通に生きることはそんなに敷居が高いことなのか?
それとも俺は普通じゃないのか?
どうしてこうなった。。。どうして。。。。
あまりにも無知蒙昧が多いので驚き呆れかえっているところだ。
はっきり言おう。あなたたちには文章を読む素質がない。これっぽっちの才能も持ち合わせていない。
なぜなら文面でこうもはっきりと言い切っている主張を、あなたたちは読み取れていないからだ。
おそらくは気に入らない単語だけに脊髄反射で反発しているのだろう。
私がいつパロディを否定した。前田久くん、キミはライターだそうじゃないか。今すぐ廃業したらどうだ? 同業者としてキミの仕事は全部引き継ぐよ。それが日本文化のためになる。
私の先の文章はパロディやオマージュを一括りにしてゴミ箱に投げ込むようなことではない。
私が言っているのは「作品のクオリティに何の関与もしない、仲間意識で囲い込むためだけの引用」である。
パロディは引用それこそが作品のクオリティに関わるのでこの範囲には入らない。
わかりやすいように極端な例を出そう。例えば、『エウレカセブン』だ。このアニメは名称やサブタイトルのそこかしこに、ニューウェーブ系バンドのバンド名や関連する名称を散りばめている。
そして、それは作品内に何の関連も生みださない。ただ名称としてそこに置いてあるだけだ。
これは宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』の中に出てくるロボット兵のデザインが、フライシャー兄弟の『スーパーマン』に出てくるロボットからインスパイアを受けたのとは180度意味合いが違う。
「模倣からオリジナルは生まれる」だって? 当たり前じゃないか。しかし、好きなバンド名をただ引用するだけの行為は、何のオリジナルも生んではいない。
「それを好きな人」を「あなたは仲間である」と囲い込む効果しかない。本当に厭らしい演出だ。
具体的な例を出しているのに、なぜ読み取れないのか、本当に不思議だ。
こうやって相手が好きな言葉や作品を散りばめ、サプリメントのように慰撫するだけの作品群。
実は私のこの考えには『ボーイズオンザラン』も、『ソラニン』も射程の中に入っている。
前者はダメ人間がダメ人間を肯定するためだけにダメ人間に向けて描かれている。後者はナイーブ人間がナイーブ人間を肯定するためだけにナイーブ人間に向けて描かれている。結局は同じだ。
そうやって仲間意識を強化するためだけの作品が、世界を小さくしているんだ。中世においてプロテスタントは芸術を抑圧したが、今は消費者がそれを行っている。「自分の文化圏が正しい」という正義でもって。
なんという体たらくだ。文化はここまで堕落してしまった。私の耳にはマンガを文化にした手塚治虫の嘆きが、今も遠くで聞こえているよ。