はてなキーワード: 聖教新聞とは
家の壁に公明党のポスター貼ってて聖教新聞とってる近所のママさん、いつもニコニコしてて親切。多人数で話してるときにコミュ障の私が言葉に詰まっていると助け舟を出してくれるのでありがたい。誰もやりたがらない面倒な係とかも積極的に引き受けてくれて、文句も言わずにチャキチャキこなす。旦那さんもお子さんも穏やかな雰囲気でいい人そう。ちなみに勧誘を受けたことはない。
公園で子どもと遊んでいたら「かわいいわね〜お子さんおいくつ?」って話しかけてきたおばさん。しばらく無難な世間話をしたあと、エホバの証人の名刺を渡して爽やかに去っていった。勧誘目的の声かけだったとしても、話自体には宗教のシュの字も圧もなく、何よりいい人オーラがすごかった。いい人に擬態しているとかじゃなく、純粋な善人感があった。
地元のお祭りにボランティアで参加してる親鸞会の人たちも、すれ違う人みんなに笑顔で挨拶して、子どもと接するときはしゃがんで目線を合わせてくれる。幸福の科学の信者だとバレた某芸能人も、テレビで見る人柄は好感が持てる。
「カルト宗教の信者」というとヤバい人・お近づきになりたくない人というイメージを抱くけど、カルト宗教を信仰してるのって心根優しい人が多い気がする。身内が宗教にハマったせいで家庭崩壊したみたいな話はよく聞くけど、外から関わるぶんには何も害はないどころか、むしろ親しくなりたい性格の人が多い。やたら攻撃的だったり、関わる人によって態度を変えたり、人の悪口や愚痴ばかり話す人よりずっといい。
横だけど、創価学会の通話記録窃盗事件と個人情報窃盗恐喝事件貼っとくわ
創価大グループによる携帯電話の通話記録盗み出し事件で電気通信事業法違反に問われた、創大出身でドコモシステムズ元社員嘉村英二被告(28)の公判が二十一日、東京地裁で開かれました。同被告は同法違反で二〇〇二年十一月に有罪判決を受けたのにつづく二度目の裁判。前回裁判のさい、今回の事件も調べられたのに隠し通していたことが、この日の証言で明らかになりました。
嘉村被告には前回と同じく、創価学会副会長らが弁護人につきました。実行犯の嘉村被告や、同被告に犯行を指示した創大副学生課長らが有罪になった前回裁判で弁護人は「私的で一過性、偶発的事件」と主張、執行猶予つき判決になりました。
この日の公判で嘉村被告は、波多江真史裁判長から「前回の取り調べで今回の事件のことを聞かれなかったのか」と質問され、「警察に聞かれた」と証言。「そのさい本当のことを話したのか」との問いには「話さなかった」とのべ、犯罪を隠していたことを認めました。被告弁護団も以前から今回の事件を知っていた可能性も濃くなりました。
起訴状や検察冒頭陳述によると、同被告は〇二年三月と四月、東京・江東区にあるNTTドコモの端末を操作し、学会脱会者の福原由紀子さんとジャーナリスト乙骨正生氏の通話記録を不正に引き出しました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-22/15_01.html
ところが、好事魔多しで、契約者情報が大量に流出してしまった(最終的には04年1月時点の全顧客情報660万人分が流出したという)。流出した情報の内容は、加入者や申込者、解約者の住所、氏名、電話番号、メールアドレスなどで、不幸中の幸いというべきか、クレジットカードの番号など個人の信用情報は別に格納されていて無事だった。
しかも驚くべきことに、この不祥事を材料にソフトバンクからカネを脅し取ろうとしていた男3人を警視庁が恐喝未遂容疑で逮捕していたというのである。3人は、ヤフーBBの二次代理店を務めるコンサルティング会社エスエスティー(SST)の竹岡誠治社長、湯浅輝昭副社長、それに右翼団体の森洋・元代表だった。ヤフーBBの取引先という〝身内〟と右翼団体元代表という組み合わせには意外感があった。
〜〜〜
彼ら容疑者の素性が明らかになると、事件は別の顔を見せ始めた。SSTの社長の竹岡と副社長の湯浅はともに創価学会の幹部だったのである。
竹岡は創価学会副男子部長や創価班委員長、聖教新聞広告局担当部長などを経て創価学会豊島戸田分区の副区長だった。湯浅は聖教新聞の販売店主などを経て函館五稜郭圏の副圏長だった(ともに事件発覚と同時に辞任)。しかも、竹岡は共産党の宮本顕治委員長宅盗聴事件の実行犯の一人でもあったから大騒ぎになった。もはや、単純な個人情報流出という事件ではなかった。ソフトバンクの広報担当者も「政界を揺るがすかもしれません」と興奮気味に話していた。
https://webronza.asahi.com/business/articles/2021092300001.html?page=1
じいちゃんばあちゃんは真面目な信者。親はどちらも創価大学。自分も妹も創価中学、高校卒業で、(妹は大学も行ってる)側からみればスーパーエリート創価ファミリー。
が実際はどうかと言うと祖父母を除いた母、自分、妹は非常に冷めている。公明党にも票は入れないし、学会活動もしていなければ新聞も取っていない。じいちゃんが絡む家族の行事である新年に支部の会館で新年勤行会に行くだけ。
ずっとそうだったかというとそうではなく、自分が中学くらいまでは会合(地元の集まり)にも母親から口酸っぱくしていけと言われていたし、母親も公務員の仕事のかたわら聖教新聞の配達のボランティアをやらされていたし、めんどくさい同調圧力の中で生きていた。
ただ高校あたりから親の離婚が明示的になり、気まずさから母親が学会活動をしなくなってきた頃から家の中からの同調圧力の押し付けがなくなった。
自分としては小さい頃から当たり前のものとして色々な活動に参加されられ続けたので「あ、いいの?」という感じだったが、
自分としてはずっと創価の環境の中にいるので、常に「ここはなにかおかしい」と思ったりすることはなかった。
基本的にみんな親切で面倒見もいいし、地域のコミュニティを円滑にする一つの結びつき程度にしか思ってなかった。
新聞配達の強要とか選挙の時に電話するとかはちょっと気持ち悪いなぁくらい。
けど活動をしなくなって、違和感が増えた。学生部(地域の学生の団体)に入っている高校の先輩がしつこく家を訪ねてきて、遠回しに活動に参加しろと言ってくるようになった。
学校では先輩後輩の仲なのに、めちゃめちゃ謙ってお願いしてくる。おそらく学生部の中で役職があったからやらざる終えなかったんだと思うが、信仰心によって関係性が変化するのが気持ち悪くて、絶対に参加しねぇぞという気持ちになった。なんとか言い訳して追い返したり、居留守を使ったりするようになった。
何回かやっているとしつこく訪問してくることもなくなったが、高校卒業して創価ではない大学に進学してしばらく経った頃、「最近どう?」と飲みに誘われた。部活の先輩でもあったので断るわけにもいかず、了承し、久々に再開すると意外と創価の話はせず、普通に先輩後輩の話をしていた。問題はその後で、お会計をする際に串カツ田中の店員さんに選挙のお願いをしていたのだ。
なんの関係もない飲食店の店員に選挙のお願いをするなんて正気の沙汰ではない。「ああもうダメだ」と思ってそれ以来一切の連絡を絶った。
こんな感じで自分は創価とどんどん距離を取るようになった。意思がないと伝われば向こうも無理に強要してこないので、創価の人間ではあるが、なんもしない人のポジションを獲得した。創価やめるやめないになると祖父母のああだこうだとか色々面倒だし、そもそもやめさせてくれるのかもわかんないので、これが一番楽。
こう言う感じで入ってるけどなんもしない人めちゃくちゃいっぱいいると思っている。2世3世なんて信仰心あるほうが珍しいし、家庭のことで切り離せないから仕方なくいる人ばかりだと思う。
だけど統一教会よろしく創価までカルト扱いしないでほしい。なんもしてないけどやめられない自分のような人間とっては迷惑甚だしい。
一番は結婚で、彼女と結婚しようと思っても、あっちの親御さんがただでさえ「宗教キモ!」みたいなタイプなので、これ以上変なレッテル貼られると本当に困る。
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。
いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。
地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。
そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。
前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry
当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。
お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場に誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。
通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。
俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。
創価学園だからといって必ずしも池ちゃんと接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式と卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。
普段は会館で見る衛星放送の映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。
うちもカーチャンがテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用で蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。
ちなみに俺の在校中に池ちゃんが入学式・卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。
あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。
入学式・卒業式ほどじゃない節目イベントのときに池ちゃんからメッセージや差し入れが届くことがあった。
終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。
コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。
何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。
かっぱえびせんに感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。
創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。
校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室と本尊があった。
体育会系のメインストリームなひとたち(サッカー部や野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。
ほかにも生徒会とかの意識の高い優等生は自発的に空き時間に唱題しに来てた。
ちょっと記憶があいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズドな場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。
小学生のころ休み時間にサッカーをするのが好きだった。地域のサッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。
中学に入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間に中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。
当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通の思春期10代だった。それまで接した創価学会の大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこの学校に進んだ意味ないじゃんと思った。
創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌の存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。
昼休みの中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。
愛唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。
1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixとOriginal Mixみたいな。
いわく5番が一番大事だそうで、5番だけが池ちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?
これを書きながらググった歌詞を見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間の記憶すごい。
創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃんに子供の名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。
池ちゃんネームの割合が結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。
中学を卒業してエスカレーターで高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。
成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったかで10回まで、みたいな感じだった。
自分は創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。
成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。
体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師が顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。
ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者がサッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。
創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日の会合で池ちゃんがスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。
総合学習みたいな時間にはその聖教新聞がクラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんのときと同じようにA5の便箋に感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry
池ちゃんのスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんのスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)
「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチの定番のやり取りで、勉強しろって説法をするときに引用でしか言えないのかこの人、と常に思っていた。
他には「戦争は悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめた人間が100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法や理論に言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。
「いついつの会合のスピーチ、めっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋と吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。
創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。
中学のロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかにも学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報が全然出てこない。
最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所に昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道。
ちなみに近隣の武蔵野美術大学や白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。
白梅学園のバス停が前後を創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議と朝鮮大学校に関する記憶がない。
終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学の学祭に遊びに行ったのは楽しかった。
悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレはググると結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレが元祖だと思う。
校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。
基本的には学会二世しかいないので、典型的な創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。
一方俺はネットde真実をゴリゴリにこじらせていたので、普段から池ちゃんや創価学会へ懐疑的なスタンスを公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんのいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。
池ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。
なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田の言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生もいたことが印象的。
一方で先生は頑迷な人が多かったように思う。一度英語の先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん。
基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。
やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。
ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。
あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重に謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。
平等や平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカーストは存在していた。
今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。
ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー的雰囲気があった。
世は前略プロフィール全盛期、同級生のメジャー勢の女子が前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティーの写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。
停学になったメジャーの女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売の世界に入ったり、様々なよう。
履歴書の学歴の呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。
転職もしつつ順当にキャリアと年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。
学会二世で特に活動してないけど中にいる身分からいうとほんとそれ
企業と違って、真面目に活動して幹部になると、死ぬまで幹部なんだよね降格ないから
で、上の方のじいさんばあさんたちが死ぬまで引退しない。まあ当たり前だよね宗教だもん。定年ないし
そうなると上の方の昭和脳で凝り固まったまま組織が続くので、若者は嫌がる
これ、男子は一定の年齢になると「男子部」から「壮年部」にあがるんだが、女性はずっと独身は「女子部」結婚すると「婦人部」だった
理由は、女性は結婚すると生活サイクルが変わるから、だそうだ。
そりゃ専業主婦当たり前だった昭和はそれでいいけどさ、共稼ぎが当たり前になってきて、結婚したからって昼の会合に出られるわけないんだよ
独身高齢女性も増えてきて、この人達は「結婚してない」という一点で自分の娘と同年代の人達と同じ「女子部の会合」に行く羽目になる
なのである程度年取ったら「婦人部にはいりませんか」ということもあり、これで素直に移動する人もいれば、結婚したいけどできなかった人からするとカチンとくるよね
婦人部に入ったところで、平成女子に居場所はない。専業主婦のおばあさまがたと会話があうわけもない
そんなこんなで、二世とかの女性達は年を取るとどんどん脱落し、残ってるのは昭和のおばさまおばあさまだけになる
男性も昔は肉体労働たくさんで、会館の警備だ何だと働かされていたが、昭和と違って今の奴らは時間がない
新聞配達もそう。
安いバイト代で朝から新聞を配るのは、今の若者にそんな余裕があるわけなかろう。全国の新聞配達してるのはおばちゃんばっかだ
そりゃ専業のおばちゃんならできるよな
なお田舎は高齢化が進みすぎ、配る人がいないので新聞啓蒙は実質できてない
だからプライド捨てて朝日とか読売配ってる人に配って貰えばいいんだが、やれ功徳がどうたらとかいってやりゃーしねえ
そんなこんなで「もはや昭和ではない」のに昭和スタイルを貫き続けて若者がいなくなって老人ホームとなっている
最近やべえと思ったのか、HPに若者向け動画配信したりとか、女子部と婦人部をしれっと女性部にしたりとか、まあまあ若者向けにあれこれやってるけど
時既にお寿司
やるなら十年か、二十年前にやるべきだったね
今の上層部の老害昭和おじさんあばさんを総入れ替えしないと復活は無理だと思うよ
起きたらぶくまされててワロタ
誤解もあるので見かけた質問答えていい?
あと、面白いとか興味深いっていってくれたひとありがとな! 学会員って増田で言うとだいたいカルト死ねクソ、とか言われちゃうからな~
●朝日新聞の販売店で新聞配ってたんだけど聖教新聞も普通に扱ってた
うん、そう。やってるところもあるんだよね。でもごにょごにょ言ってできないところもある。だってほら、読売さんとかにお任せすると聖教新聞の販売店(学会員)が死ぬじゃん…?
● うるせえ幹部が死んだり耄碌したりした
そうそう、流石に昭和初期の大拡大組もお墓の下に入ったって言うのはあるね。上の方の感じ変わってきたなーと思うよ。LGBTとかにも理解しめしてきたの柔軟なまあまあ若手が増えてきたんだろ多分
●大作先生の後釜はどうするか決まってるんだろうか
しらんけど誰かやるやろ。創価のいいとこの一つが世襲じゃないことだと思うから息子はやらんのじゃないかね。大作せんせは今はほとんど表に出てないよ。あんまりずっと出過ぎてるのもどうよ、ってんで本人も
●私も二世で全くやってないやつ。しかし地元の親は高齢になってきてるもんで、しっかりしたコミュニティがあるのはめちゃくちゃ安心でありがたいのよね。基本的に善良な方が多いし
そーなんだよ、仲間だ嬉しい。両親衰えてきてるけど、学会の人達があれこれ世話してくれるのほんと安心です。学会で普通に活動してるとぼっちにはならないんだよね。基本真面目な人が入ったりするから善良なのが多いのはわかる
● 学会の人は割と中低所得の人が多いのに自民とくっついて何かいい事あったのか
政策が通るようになった。これにつきる。自民とくっついた理由は「野党と頑張ってたけどやっぱ与党の中から動かないとやりたいことが政策通らないよ!」ってことだったので
● これだけ読むと衰退してるように見えるが、公明党がどんどん増長してる
いや、残ってる人達が頑張ってるだけだよ。20年もしたら変わると思うよ。若者の学会員は熱心層少ないから。とくに若い時期コロナで集会もできてないし
これやるなって言われてんだよね。選挙前だけって思われるのはいけない、普段から仲良くしようね、って。なんで選挙前だけ電話かけてくるのは組織としては推奨してないのでそういうことするやつがダメなだけです
●非正規雇用率増加と可処分所得の減少、婚姻率の低下による自滅
つか学会の場合田舎なら特にガチで結婚したかったらいくらでも結婚できるよ。学会員ネットワークでいくらでもそれなりな人は探してくる
自分も若い頃むっちゃお見合いした。非正規でも、本気で探せば学会ネットワークでどっかの正社員させてもらえたりするよ。互助システムははんぱないです。あと家とかなんかで崩壊しても、互助ネットワークでどこかの家借りれたりね
●金がかかるイメージ
これ、金かけてるの勝手にスパチャしてるやつみたいなもんだから。学会は母子家庭、貧困層などは財務(寄付)するなっていってるし許可されない。財務もやる?やるなら振込用紙渡すねってかんじ
そんなことないうちの親はすごかったとか上からあれこれいわれた、っていうならそれは暴走してる頭アホな幹部がやってるだけなので、学会本部にでもメールして文句言ってみて。組織としては無理に金を取ることは絶許です
ぶっちゃけ、「金がある宗教団体だから、金はそんなにゴリ押しして回収せんでも勝手に入ってくる」
つかこれも許してないからね。やってるところがあるっていうならそれは大問題だから本部に文句言って
真面目が高じてこういう頭ぽかーんが時々現れるんだよ。
学会という組織はでかくなりすぎて細部にまで手が届かず暴走とかも繰り返し手に負えなくなった感がでかいね~
滅びて、っていってる声もあるけどマジでこのままだと滅びるし、だからって自分も熱心じゃないから、滅びてもなんとも思わないですね
特定の誰とかじゃなくて色んな人が統一教会の仲間(信者ではない?)認定されてるじゃん
聖教新聞的な新聞の紙面トップに信心について語る取材記事が載ったとかそういうレベルならまだしも
献金した大量の団体の1つが統一教会系だったとか、しょっちゅう公演してる公人が訪れた色んな施設の1つに統一教会関連があったとか、
その程度で「○○は統一教会と繋がりがあって、統一教会の思想に与するために動いてる」「○○の政策に賛成/反対しているのはバックに統一教会がいるからだ」みたいなのってめっちゃQアノン感ないか?
昔の右翼の中での創価学会とかそんな扱いだったけど、多分集団ストーカー被害者的な人も割りと混ざってそうで話としては関連妄想的な内容の方が多かったように思う、陰謀論っぽい団体ってそういう人達に目つけられやすいしね
実際この辺どうなの?