はてなキーワード: 悪罵とは
昭和から平成の前半では、ポルノグラフィー・猥褻物への禁止圧力は主に保守系の政治運動と結びついてて、左翼側はそういう禁止圧力の緩和やポルノ開放みたいな要求だったけれど、今では政治的には左翼側の人間が、猥褻を理由とせずに「性差別を助長する表現」を理由として、萌え絵に代表される様な一部の表現の禁止を政治的に主張し、保守右翼側の人間が「性差別的」と決めつけられた表現を表現の自由を旗印にして守ろうとする、俺みたいな者の目から見ると「なんだか変な」時代になった。
日本の右翼保守(要するに自民党)は、本質的には民主主義ではなく「統治者にとって都合よく制度設計された、民主主義と称するもの」を追求しているが、それ故に正面切って表現の自由を否定することは出来ないので、刑罰を以て表現を禁じるやり方(猥褻図画や小説の取り締まり。チャタレー裁判とか、愛のコリーダとか)をなるべく露骨に使わずに、出版業界や映像業界に自主検閲組織を作らせて「自主的に検閲しているので、法的には何の表現規制も存在しない」状態を作り上げることで実質的な表現規制をする様になってる。なので、公共の利益、公序良俗の保護を理由に法的に制限できる猥褻ならともかく、表現の自由が一義的に示す表現である「思想的・政治的表現の規制」はさすがの日本国でも不可能になってる。(少なくとも現状はポルノほどあからさまな実質的表現規制の犠牲にはなっていない)
で、昭和の頃の左翼だと、こういった猥褻表現の禁止であっても、国家による国民活動への制限は最小限であるべきで、猥褻規制はその限度を超えている、みたいな話をするものだったのだけれど、今やその左翼、とりわけフェミニストの中で「猥褻だから」とは言わずに「性差別的であるから禁じられるべきで、規制は全く十分でない」という意見が主流を占める様になってきたのが2010年代じゃないかなと思う。
何を以て性差別的かという理由付けは色々見るのだけれど、メディア効果論(それも強力効果論)に基づいたものが多いと感じるが、(多くは女性である)自分にとって極めて不愉快であり加害的であって、公共の場での存在は許されない、ってものもかなり見かける。これ、伝統的な右翼によるポルノ撲滅運動の題目が「子供の教育に悪い」だの「破廉恥で見るに耐えない」だったのと、ほぼつながってないか?と思うのである。極右と極左は政治的主張は逆だが、粗暴さや残酷さ、頑なさや頭の悪さは同じに見えるのと似た感じだが、そう言ってしまうと純然たる悪口になるので止めておく。
左翼側・フェミニズム側の表現規制主義者(本人たちが自分をそう認めることは絶対に無いが、それは右翼側でも同じこと)も、自民党と同じ様に自らが表現規制者と呼ばれる事を非常に嫌う。そうした中で憲法の示す建前を崩さずに「実質的な表現規制」を行おうとするなら、自民党政府のもとで成功してきた、自主検閲組織を業界に作らせて『自主的な規制を権力側から強いる』事で実質的な表現規制を行うやりかたがやはり踏襲される。
特にフェミニストとされる人達が特定の表現(宇崎ちゃんとか)を特定の場所(日赤)で禁じようとする時には、これが権力による直接的な規制ではなく、在野の民間人による公的機関や企業に対する言論圧力によって当該機関や企業の「自己規制を促した」のだから、これは絶対に表現規制じゃない、って言い方だった。彼らの言う通り、確かに憲法上の建前は守られた上で(彼らにとって存在の許し難い)不快な性差別的表現を「実質的に刈り取る」ことに成功していて、最初にこの自粛要請という「単純だが案外に強力な仕組み」を考えた政府役人や自民党の政治家達、そのアイデアをそのまま利用したフェミニストは賢いなと思う。
左右の違いが全然ないかと言うと、それはそうでも無い様で、大昔の矯風会の様な保守的アンチポルノ団体はあらゆる猥褻表現をあらゆる流通ルートにおいて消滅させようとしている感じなんだが、今の左翼・フェミニズム的な「反性差別表現」をやっている人達は、流石に左翼であるだけあって「ポルノであるならこの世に存在を許さない」などということは主張しない。存在が許されない表現はある程度は絞り込まれていて、大体それが「男オタク好みの性的な表現物」に被さっているし、流通に関しても「表通りに出てこなければ許す」という感じである。 ポルノショップで無修正ポルノが販売されることまで禁じろという主張はしてない。(コンビニ、一般書店で水着グラビアの雑誌販売を禁じろは言ってるのがいるが)
良く知らない世界なのだが、腐女子の世界における「学級会文化」というものがあり、世間に対して目立たぬように「厳しく自粛」(恐らく自己認識としては自粛ではなく相互批判によるコミュニティの自浄作用だろう)する傾向があって、それは同性愛を正面から扱う表現であるために『世間の目を憚る代物』である自覚があり、それ故に何かと謂われなく侮辱されたり非難されたりする『腐女子の表現の世界』を守ろうって云う同調圧力が(人・場所によっては)やたらに強い、って話を聞く。
そういう文化があるためなのか、同様な「当然の自粛」が男オタクの表現物でも行われるべきで、それが全く行われずに結果として表通りの世間に流出し、そこで調子良くのさばるべきではない、って理念が、腐女子でもある一部のフェミニスト(一部じゃなくてマジョリティなのかもしれないが)には潜在的にあるのではないかと考えているが、ちょっと確認が難しい。
この「表現自粛」に対する積極的な考え方は男オタクの世界にはあまりなさそうなもので、この部分では政治的には極右のオタクでも昭和左翼的な「政府による自由の規制は最小限であるべき」って建前を大事にしてたりするし、左翼のオタクならもちろんそう考えるはずなのであるがそうなっていない。これは恐らく今の左翼・フェミニスト達による「最小限の規制対象」の裁定基準が「表現の自由戦士」と悪意と侮辱を込めて呼ばれる人達にとっては理不尽に厳格であるってことなんじゃないかと思う。かくいう俺もフェミニスト達、とりわけネトフェミと悪罵される人達の基準はちょっと、いや全く受け入れられない。
昭和左翼は自民党政府による「公序良俗=保守的性道徳観」の保護に反対した訳だが、基本的に右翼である「表現の自由戦士」はフェミニズム側からの「公序良俗=反女性差別的性道徳観」の保護に反対している訳で、その意味では政治的立場と主張の食い違いは無いとも言える。
どちらにせよ、憲法の建前からして最優先で守られている政治的表現と違い、その殆どがエンタメである文学や映画マンガアニメといった表現は、我国が戦前も戦後も内務省=警察権力が強い強権的国家であったこともあり、公序良俗の保護を理由・目的として簡単に規制を受けがちであることは戦後の歴史が証明してる。
それを守りたいと思うのであれば自分が右翼であれ左翼であれ、機会を捉えて発言して意見し議論することはどんなに嫌でも避けられないのであろう。 ああ嫌だねえ……
固有アビリティ装備してみたの。
自炊で使うお鍋をフライパン1つで何でもやっちゃおうってアビリティなのよね。
お湯を沸かすのはフライパンで沸かすと
テファールより早くて笑うわよ。
たぶんテファールのフライパンで沸かせばもっと新記録行くと思うわ。
まだまだ
ガスコンロでいっかなーって思ったワケなのよ。
よく町中華屋さんに行くと
中華鍋一つで煮たり揚げたり炒めたり器用に何でもしちゃうじゃん。
それを家で手軽にフライパン1つでやるってことと一緒なのかも知れないぐらいに
結構もしかしたらフライパンで空も飛べるんじゃないかしら?って思うほどよ。
特殊能力の必要の無い鍋で行うことは全てフライパンですますことができるわよね。
こ、これは!ってそのメリットをスケールを最大限に引き出さなくちゃって思ったの。
まあ魚焼くってのは
なかなかフライパンでは難しいのでと言うのも、
脂の多い魚は焼くというより
だからそう言った焼く専門の物は焼く機械に任せておけば良いのかも知れないし、
もっと私もフライパンを卓球以外にも使えるようにしなくちゃって。
本格喫茶店のトーストもフライパンで美味しそうに焼くって言う話もあるし、
なんだか二重表現をしているような気がするけど、
それも試してみたいところね。
今度キャンプに行くときはフライパン1つでいいのかも知れないわ。
作れるのは目玉焼きだけじゃないってところをもっと知るべきだわ。
とにかく
乾麺を茹でるときイタリア人が激おこするパスタを半分に折ってから茹でるアニメシーンを彷彿とさせるぐらい
折らなくて済むのも、
ダイレクトに長さが長いまま長いパスタのために鍋にぶっ込んで入れられるのは便利極まりないし
イタリア人にも怒られないし、
なにもひと手間加えることなく
ただフライパンで茹で上げたパスタだけで美味しくなっちゃうもうパスタ精神論の話になってしまいそうなぐらい。
だから
その話を思い出して欲しいの。
そしてもしジョイフル本田のフライパン売り場でフライパンを探している人がいたらそれはたぶん私よ!てなもんで、
思い立ったら思い立ったらでその都度都度行くんじゃなくて
広すぎてって意味よ。
遭難しないことを祈っていて。
うふふ。
殿堂入りの玉子サンドもたまには食べたくなるから不思議殿堂ね!
また時期早いかなと思うけど水出し麦茶ウォーラーもやってみました。
キンキンに冷えたのは冷えすぎだと思ったけど、
いいかもしれないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
坊さんがご親族を悪しざまに罵るのはどうなんだろうね。あいつらは縁なき衆生ですから、って、それ宗教家が言う言葉かね?
「リモート葬儀で仏教は台無しになりません」と僧侶の立場から名言することには意味があるかもしれないが、そもそも元増田は僧侶の説法なぞ必要としていない。当人の後悔や懸念は「親戚から非難された」「母親が落ち込んでいる」点がメインであって、故人の冥福や仏教の神聖性云々については特に心配していない。であれば親戚関係と母親についてはもはや坊主の出る幕ではないので、ブコメに書いてる人もいるが、対話し関係修復を図るしかないと思う。
で、それはそれとして、坊さんが「みんななかよく」みたいな話しかできないのはどうなんだろうね。下記とか。
仮にご親族が正しかったとして、実際に葬儀場に遺族知友が寄り集まり、そこで増田さんの危惧した通りに感染者が出たり、最悪死者が出たとしたら、どうでしょうか。お祖父様の死によって、お祖父様に連なる命がさらに失われてゆくことになってしまいます。遺族知友が命を危険に晒すリスクを負うことを心から望んで、お祖父様は何が何でも葬儀式を執り行って欲しいと願われたのでしょうか。
そうではなくて、「自分の死(一生)を大事に受け止めて欲しい」。それこそがお祖父様の本当の願いだったのではないでしょうか。
まずあなたがお祖父様の何を知ってるんだって話だし、こんな通り一遍の話しかできないならそもそも怒りを表明するべきではないんじゃないですかね。俺は友達いないから自分の葬式についてはわからんけど、「旅立ちに際し大勢に見送ってほしい」という気持ちは理解できるし、もし仮に俺が葬儀される側で、事前に「遺族知友が命を危険に晒すリスクを負うことを心から望んで、何が何でも葬儀式を執り行って欲しいですか?」って聞かれたとしたら、「密を避け、換気を徹底し、感染リスクに注意して開催していただきたい」って答えたと思うよ。政治家みたいな言いぐさだけど、でもまあそうでしょ。そうした身勝手で不合理な欲望なり怒りなり悲しみなりに寄り添うのが、アウトサイダーたる僧侶にしか果たせない役割なんじゃないんですかね。
東日本大震災の時に中島義道っていう人が新聞に書いてた話だけど、美談が覆う真実もあると。ちょっと引用すると:
被災した小学校から、泥だらけのランドセルが回収されたという出来事が美談として報道されましたが、学校が大嫌いな子も級友からいじめに遭っている子もいるはず。それなのに、すべての子は学校や勉強や友達が大好きだという「神話」が真実を覆ってしまいます。
目下メディアをにぎわしているのは "心温まる家族間の話" であり、そこに登場してくるのは、原発の作業員と妻、妻を失った被災者の夫、祖母と声を掛け合って助かった孫など法的に認められた家族だけです。不倫相手を失った愛人とか、同性愛の恋人を亡くした人などはまったく抹殺され、天涯孤独な人も、家族を激しく憎んでいる人も切り捨てられた「健全な」家族の美談だけです。
もちろん、ほとんどの人は「健全な」社会を望んでいるし、メディアもそれに配慮して取材対象を選んでいるのでしょうが、それが「多数派」あるいは「普通派」の暴力であることを自覚してほしい。日本は言論が自由な国とされていますが、この点ではまったく違うのです。
(中略)
震災後、さまざまなイベントや行事が自粛され、それは他人にも同様の自粛を求める「他粛」の風潮になっていますが、みなそれを無自覚に受け入れて、互いに自粛し合い「いい人」しか出てこないいまのような言論状況が、私には不気味な感じさえします。
仮にお祖父さんやご親族が従来通りの、親戚が一堂に会する形の盛大な葬式を望んでいたとして、それは現在の社会情勢からすれば批難されるべき欲望であるんだろうが、その欲望を「故人の死が自分たちに何を訴えているかも受け止めず」「ろくに理解もできていない宗教の『神聖さ』とやらを根拠に」「葬儀らしいことをやった気になりたいだけ」などと口を極めて悪罵しながら、増田に対しては「明日からまたあなたを続けてゆきましょう」「それもきっと、お祖父様がかつて願われたことのひとつのはず」程度の当たり障りのないことしか言えない、これは中島義道が言うところの「多数派の暴力」というやつではないんですかね? いやいいんですよ、多数派は多数だから多数派なんであって、ほとんどの人は健全な社会を望んでいます。大変結構。でもその多数派の代弁って坊さんがやる意味ありますかね?
低能先生とは多くのユーザーがからんでいたが、どうして狙われたのはHagexだったのか。
昨日から色々と記事やコメントを読んでいて、こういう流れなのかな、と思った点をまとめる。
Hagexのはあちゅう・イケハヤ炎上記事にコメントをすると、低能先生からIDコールで罵倒されることが多かった、というコメントをいくつか見かけた。
となると、低能先生はHagexの炎上ウォッチャー、および煽り行為を嫌っていたということになる。
その心情はわからないでもない。
Hagexのあの手の記事は、個人的にも行きすぎではないかと感じるところがあった。
そのため、やがて低能先生はHagex自身に対しても直接、大量の悪罵を投げつけ、通報されるに至った。
Hagexはその件をブログの記事にしたことによって、低能先生から強く憎まれるようになった可能性が高い。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/02/112825
Hagexは記事の中で、通報すれば低能先生とおぼしきアカウントは即座にBANされることを明らかにした。
もともと低能先生に対する通報は盛んに行われており、はてなの運営も存在を認識していた。
Hagexの記事によって「通報すれば即BAN」という情報がはてなユーザーの間に広まり、通報回数とBAN速度がさらに上がり、低能先生ははてなから排除されつつあった。
https://anond.hatelabo.jp/20180625215452
引きこもりの低能先生にとって、はてなは外部との唯一の接点であったらしく、作るアカウントがかたっぱしから消されていくことに、かなりのストレスを感じていたようだ。
彼の主観では、居場所がなくなる、という危機に遭遇していたのだろう。
これによって引きこもりの日常によってたまるストレスを発散させることができなくなり、その「元凶」となったHagexに対する憎しみを募らせていった。
実態は自業自得なのだけれど、彼からするとそういう認識になる。
彼からすれば、自分がアクセスしたいはてなから集団的に排除されるのは、ネットリンチと呼ぶにふさわしい状況だったのだろう。
彼が多数のユーザーに悪罵を送りまくっていたのがそもそもの原因であり、客観的に見ると正しくないが。
そして、6月9日には新幹線で殺人事件が発生し、10日頃には、増田で低能先生が犯人ではないかと取りざたされ、やがて「ネット弁慶」だと煽られる事態が発生する。
犯行声明らしき増田で「おいネット弁慶卒業してきたぞ」と発言しているのは、これが原因のようだ。
参考:そもそもなんでこんなに低能先生が殺人事件起こした扱いされてんの
https://anond.hatelabo.jp/20180610125250
http://archive.is/AFT0C#selection-155.0-163.5
この時のやり取りの文脈は、低能先生が情報開示請求をされて追い詰められていたが、だったら自分も相手の情報開示請求をして表に出てくればいいんじゃないか、という煽りで、殺人を教唆したわけではないようだ。
(増田は流れが追いにくく、このあたりは正確に理解しきれていないかもしれない)
https://anond.hatelabo.jp/20180625033955
しかし低能先生は「表に出る=はてなの誰かを殺す」と考えてしまったらしい。
どうしてそう飛躍してしまったのかはわからないが、新幹線の殺人事件に影響を受けたのかもしれない。
それが原因で煽られたのだから、だったら自分もやってやり、ネット弁慶ではないと証明してやろう、と考えたのかもしれない。
それからさほど間を置かない6月24日に、低能先生が在住する福岡で、彼がかねてより憎んでいたはてなユーザーのうちのひとりである、Hagexがセミナーを開催することになる。
会場は不特定多数の人間が出入りすることから、引きこもりで、外に出ると不審人物だとみられやすい状態にあると思われる低能先生でも、容易に入り込むことが可能だった。
参考:Hagexさんが狙われたのかのはなぜか
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2018/06/25/112302
このあたりについて、Hagexの危機管理意識の不足を指摘する声もある。
http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/06/25/181500
ともあれ、それを知った低能先生はHagexを襲撃することを決意し、実行に移してしまった。
はてなユーザーに対し、目に物を見せてやったぞ、と宣言したかったのだろう。
逃走したのは、増田に書き込む時間を得るためだったのかもしれない。
犯行声明の中で彼は「Hagex」という名前を一度も出していない。
『俺を「低能先生です」の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ
「予想通りの展開だ」そう言うのが、俺を知る全ネットユーザーの責任だからな?』
と書いている。
このあたりの発言を見るに、低能先生が真に憎んでいたのはHagex個人ではなく、自分を排除しにかかったはてなユーザー全体だったのだろう。
そして何人かのユーザーが「狙われていたのは自分だったのかも」といったコメントをしていた。
ご存知の方も多いと思いますが、id:kyoumoeのブログ記事に賛同ブクマをつけると、「早く死ね」というidコールが高確率でやってきます。
はてな運営にそのたびに通報していますが、(たぶん)同一人物が、別のidを作り直して、1日に何度も、「死ね」というidコールを飛ばしてきます。
同一人物として多くの人に認識されるにいたったのは、id:kyoumoeのブログ「今日も得る物なしZ」( http://kyoumoe.hatenablog.com/ )や、id:hagexのブログ「Hagex-day.info」( http://hagex.hatenadiary.jp )などの特定ブログにブクマしたときに似た文面で執拗にidコールされるため。
「死ね」だけではなく「低能」という悪罵をよく飛ばすことから、「低能先生」と呼称されるようになりました。
だが「殺すぞ」という脅迫ではなく、「死ね」というidコールには緊急性もないため、警察が動くこともありません。
下記のような一覧表を有志が作ってくれていますが、いたちごっこの感もいなめませんね。
https://anond.hatelabo.jp/20170921212825
はてな運営はよくやってくれていて、通報してしばらく経つと、低能先生のものと思われるidは使えなくなります。
しかし、次々に別のidを作り変えては嫌がらせを続けるのが実情です。
匿名ユーザーの嫌がらせなので、IPアドレスなどをもとに本人を特定するまでが大変です。
そのうえ裁判を起こしても、大した賠償額にもならないことを理由として、誰もが訴訟に躊躇しているものと思われます。
私も今、仕事が忙しく時間もないので、なかなか訴訟にまでは踏み切れない。
しかし、民事訴訟は精神的苦痛でも訴訟の対象なので、訴えることは可能です。
ただし一人の人間が「死ね」と言われたからといって、裁判所が訴えを取り上げるかどうかは難しいところではあります。
私自身、「低能先生」と思われる人物からすでに数回嫌がらせのidコールを受けていますし、その執拗性を、複数で訴えれば、ある程度の損害賠償を彼に請求し、反省を求めることができるのではないでしょうか。
それだけではなく、嫌がらせをする人物を白日のもとにさらけ出し、可視化することで、こういうハラスメント野郎の跋扈を食い止めることにもつながります。
つまり、同じ様な苦痛を受けている有志と合同で、多くの人が精神的に苦痛を受けていることを理由として、集団で損害賠償の請求を、どこかで求めていきたい、という希望です。
はてな運営にも上記のように実害があることから、材料が集まり、発起人が立ち上がれば、訴訟に協力してくれるかもしれません。
いつになるか分からないが、機が熟せば、またはてな匿名ダイアリーか自分のブログで声を上げるつもりです。
以上のようなことを考えているので、賛同される方はこの記事の拡散をお願いします。
なお、有志のみなさまには、「低能先生」と呼ばれる愉快犯からidコールを受けた場合、次のことをお願いいただけますでしょうか。
以上となります。執拗な嫌がらせを続けるハラスメント野郎には、協力して抗議の声を上げていきませんか。
多くのブクマをいただき、ありがとうございます。
損害賠償請求をしよう、と思い至ったのは、次の案件を知ったからです。
「余命ベギラゴン ~懲戒請求を煽る人、煽られる人~」 ( https://togetter.com/li/1221467 )
懲戒請求を受けた弁護士が威力業務妨害で懲戒請求をした人々を逆に訴えようとしている、という記事です。
懲戒請求という軽微な加害行為であっても、それが多く集まれば、弁護士に対して威力業務妨害になりうる。
それならば、同じく「死ね」の連呼という軽微な加害行為であっても、それを多人数に多数執拗に行なう行為もまた、量として、精神的な損害賠償の請求の対象として認められる可能性もあるな、と考えました。
id:kyoumoeによれば、これまではてな運営に申し入れしても低能先生のIP開示請求を受け入れてくれないとのことですが、これも、多数で同時にはてなに申し入れすることで突破できるのではないでしょうか。
異常な攻撃的人物と戦うためには、相手の行動を可視化し、共有し、敵失を待ちながら冷静に対応していくことが重要です。
長期戦になるとは思いますが。
ただ、どんな集団にでも異常行動者は紛れ込むものですが、それと対峙する姿勢を見せる集団には、それ以上紛れ込まないことが多いように思います。
昨今急進的なフェミニストを自称する男嫌いの女性がインターネットのあちこちで散見されるじゃないですか?
僕は自分の性別が男なんで正直こういう人達が男性に対してまるで男性の全員が性犯罪者であるかの如く凄まじい悪罵の数々を以て痛烈に批判している姿を見るとですね
それでもうこの際だから訊きたいんですけど、なんでそこまで男性が嫌いなのか、男性の何がそんなに気に入らないのかを訊きたいんです
確かに社会の制度的な問題で男女格差があることは僕も承知してますし、民間レベルでも男女格差や偏見が根強く残っているのが現代社会だと思います
でもだからって男性を嫌いになる必要はないわけじゃないですか?
女性の権利を向上させることと男性を嫌悪することって=じゃないですよね?
だから僕はこの手のフェミニストの方々が男性を嫌悪する理由ってそういう制度や歴史みたいなマクロな問題と関係なくて、実は凄い個人的なミクロな経験にあるんじゃないかって睨んでるんですよね
実際そこのところはどうなんでしょうか?
それと僕はフェミニズムに対しては一般レベルかそれ以下の知識しかないと思われるので色々とフェミニズムに対して誤解している点もあると思います
そこら辺お詳しい方がいたら是非指摘して頂けると幸いです