「審査員」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 審査員とは

2024-01-22

僕が考えた最強の松本人志復活方法

松本人志は本当にセコい人間だって後輩に言わせる

吉本の後輩芸人フォローしたり戸惑ってるとか言うより、松本はセコいからありそうって言った方がマシだったろ

論点強要からタクシー代の3000円とか5000円にすり替えたらよかったのに

既に遅いし、いじられるの嫌いだから選択肢としてあり得ないけど

今となっては傍証から裸の王様なのは明らかだし、「【松本人志氏への提言審査員という権力」に多くのはてなーが反発してたけど、審査だけは王様じゃなかったと今でも考えているんだろうかね

2024-01-18

芥川賞ニュース笑ったわ

ChatGPT使ったことって受賞まで伏せてたんでしょ?

悔しくてブチギレる審査員いるんじゃないの? だいぶべた褒めだったし

ツイッターアンチAI発狂してオモシロムーブ見せてくれるのも期待

2024-01-16

元増田ですけど、なんか誤解があるのでいくつかだけ蛇足を。


  • 「弱ってきたから言っている」ではない

日頃、ブクマもしてるんですけど、結構からブクマにも松ちゃんイタイわ、とか言っているので、そういうことではないです。

しろ「色々イタい人だけど面白いとずっと思っているし、一方で、熱量強く好きだった時でも「この松ちゃんなんだかなぁ…」といやな気持になること結構あったので、それを、なんかいいように/または悪いように歴史修正されたくないなぁと思って書きました。

昔は天才セックススキャンダルが起きた今は凡人と言いたいわけではないです。

「(下半身倫理観も、そしてお笑い能力においても)ダメなところもたくさんある、でも面白い芸人」だと思っている人が、ここにいますよー、と言いたかったのです。

「あの癇癪は面白がらせようとしてやってんだよバーカ」という見解理解できますし実際そういう側面もあると思う。でも、どちらかと言うと「コントロール不能な癇癪が出てきてしまったが、周囲の協力もあって何とか笑いにできた時もあった」という程度だったんじゃないかなあ。記憶が美化されてない?

そういえばHEY3で誰かとテトリス対決やって勝てなくて癇癪起こしてたこともあった記憶が。私そのころはもう「ダウンタウンの出てるTV全部見る」みたいな状態ではなかったので又聞き&その時に聞いた友人たちから批判的なニュアンスが強かったんですよね。

放送室のどこかの回で「別の松本が出てくる」というような話をしていた回があったかと思うので、誰か音源を持ってる人が居たら確認してくださると。ラジオ番組CDを出してたんで、持ってる人は持っていると思います。言うこと聞かないもう一人の松ちゃんがでてきてもーてたな、とか高須ちゃんに言われてた記憶があるので、おそらく「笑わせようとして制御した癇癪」ではないのではと私は思っています異論ももちろんあるでしょうが

  • M-1は終わりやろ

私も分かんないんですけど、吉本興業ABCが終わらしてくれない可能性は小さくないんじゃないかなと思っています

もちろん多くの芸人さんにとって「松本人志に高得点を入れてもらいたい」というのは、強いモチベーションになっているとは思いますが、リアルタイムダウンタウン漫才コントを見ていた層はもう審査員席に座っている世代で出場者も当然若くなりリアルタイムダウンタウンお笑いをやっている」ところは見てない人たちが大半。「松本さんの評価が高かった」という形骸化されたトロフィーのようなものになっているのかなーと思ったりもするので。

出場者数も馬鹿みたいに増えているてその分「M-1運営で飯を食ってる人」も増える。あとはM-1は決勝メンバー営業ツアーをやったりしているらしいし、中川家サンドイッチマンナイツ漫才ツアーという(すごく楽しそうなのだが行ったことがない)、儲かるショーバイとしての広がりも見せている。M-1で稼ぎたい人が多くなればなるほど、松本審査員から降りようが、大人のショーバイの都合でM-1マストゴーオンする可能性は高いんじゃないかなぁ。確か、after紳助M-1再開後の年は、松ちゃん紳助への仁義もあるし的なことで審査員をやってなかった記憶がある。それでもまぁM-1は行われたし次の年にシレっと松本人志は審査員席に座っていた。松本さんもそういう風にやっていたわけですし。

お上品ではないです。お上品ならダウンタウンでげらげら笑わないと思う。下劣だったり差別的だったりするのもお笑いだし多くは許容できるんですけど、私は女なこともあってか、ミソジニーが強く出ているネタは、ダウンタウンだろうが別のお笑い芸人だろうがちょっと笑われない時があります。それは上品からではなく、私の「なんで笑いたいのに不快気持ちになるんだ」という個人的な都合です。

「皆好きだって言ってるけど、どうも乗れない零れ落ちるミソジニー感を受信しちゃってどうも…」ということで言うと、バカリズム和牛ニューヨークブラックマヨネーズさらば青春のとか、面白いネタも多いしお見掛けするとゲラゲラ笑う時も多いんだけど、なんかどうもなー、もうちょっとちゃんミソジニーがこぼれないようにジップロックのふた閉めてくれへんかなーって思う時もある。それはダウンタウン若いころにも思っていました。

でもこれは私が女で、ミソジ強い人がどうにも苦手という個人的事情であって、上品からではない。上品な人はそもそもお笑いを見ないだろう浄瑠璃とか見てるんちゃう知らんけど(浄瑠璃世話物できわめて上品ではない話だったりするけども)

そういえば、寄席落語を見ていると噺家がよく言うマクラで、白杖の人(目が見えない人)が客席にいたら出来ないネタがある、というのがありますね。師匠から連綿と小さい寄席で続けられてきた芸ならではの処世という感じ。お笑いってのは根本的に上品ではありえないし、それを言えば人間根本的に下品だしね。

ハマタさんについては、故ナンシー関消しゴム版画家)の「いま日本で一番メガホンが似合う男」という言葉があって、まさにそれが言い表しているのかなと思います。あとは水ダウの「結果発表~~~~!」の企画とかね。

松ちゃんという天才相方として諦めたこととかも結構あるのかな、とたまに思う時はある。徹底的に「回答者席」に座ることがないんだよねハマタさんは。その代わり日本で一番メガホンが似合うし結果発表の声がでかい

たけしが松ちゃんとのインタビューで「相方能力がすごいのが羨ましい」って言ってたのを覚えている。たけしはなぁ、相方きよしさんだもんな。きよしさんは今回の件でもXでいっちょ噛みしてて笑った。

息子さん(ハマ・オカモト)のベース死ぬほどくっそ上手くてカッコいいのとしっかりとしたタレントさんでもあるので、ハマタさんはかなり良いお父さんなんじゃないかなと思ったりしている。

愛人がいる報道は定期的に出てるけど女性から被害訴えが今のところないので、それならば当事者間(ハマタさんと家族愛人)の問題ですね。まぁどっちかと言うと下半身はたけタイプ(ヤリコンではなく愛人)なのかなと想像。しらんけど。


(誰も読んでないだろうけど追記

そういえばハマタさんは「回答席に座ったことがない」どころか、ひな壇や「その他大勢の場」にセットされたことが、ほぼ無いのではと気づいた。松ちゃんは「大喜利回答者の一人」になっていたけれど、ハマタさんは若手の頃からずっとMCだ。

「ひな壇に大勢芸人を並べて…」というバラエティスタイル自体ダウンタウンが作ってきたような面もある(DTDXなど)から、というのもあるからひな壇経験がないということもありそうだけれど、例えば「one of コメンテイター」みたいな場所にいるところも見たことがない。しいて言えば笑っていいともか。そりゃダウンタウンはいいとも嫌いだったのも納得できるし、逆にハマタをひな壇に座らせたらずっとそっぽ向いてリアクションとか絶対に取らなそうだ。

ハマタは生まれ持ってのメガホン男なのか。

anond:20240115215608

自分が一番正しい!と言い放つ』のも常に「周囲はわかってくれない…」とのセットの笑いだった

王様(≒権威)になっちゃったら「周囲は分かってくれない」がオチにならないんだよな。

松ちゃんも、もうずいぶん前から天才の俺のことを誰も理解できてへん!」の構造で笑わせようとはしてなかったでしょ。本人も王様になってるからサブいというのは分かってたんだと思うんだけどね。

あとまぁ映画とかNHKコント番組コケたり、一方でM-1審査員などによる「笑いの神様」としてのイメージは大きくなっちゃってて、裸の王様とまでは言わないけどだいぶ肌寒かったんじゃないかなーとは思うんだよなぁ。

「本当に才能が発揮されてる場を持ち、かつ全然理解できないと批判する人もいる」じゃないと、「俺は本当は天才やねぇぇぇん!!」で笑かすのはかなり難しい。

で、性欲だけ、王様面が残ってしまったというオチなのが今かなと。これは意地悪な言い方だけど、ヤリコン女子を後輩に集めさせて、はした金でセックスするには「俺は本当は天才やねぇぇぇん!」で笑わすことをやめて、王様権威を利用する方がかなり都合がいいだろうなとは思う。

それは、松ちゃんに対して好意的解釈するなら「どうせ世界は俺を理解せーへん、だからもう権威使って好きな事させてもらうわ」なのかも、と思う。

松ちゃんゴッホに強い同情心を向けたり黒田官兵衛はおもろいとか言っていたけれど、あのあたりで「あー、世界理解しなかった天才」になりたがってるぅ…って思って、かなり冷めてしまったんだよね。

(オチにも使える)王様、ではなく、何をしてもいい免罪符としての王様になりたくなっちゃったのかなぁ…と。

あ、長々とすみません元増田でした。

松本人志がてれびからきえても何も困らん

紳助が消えた時みたいにたいがいの番組替えがきくし、

あえて言うならエムワン審査員紳助松本えみちゃんが全部居なくなってなんかつまらんけど。

2024-01-15

anond:20240115160604

M-1審査員紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。

レースとして先鋭化してテクニカルな傾向が年々強くなってる、と界隈で聞くけど

ではこれから(というか、松本後の世界か)いったい誰に評価されることをもっとも重視するようになるんだろうね、参加する人たち

今年からハマタ相方に見てもらいたい! 審査して欲しい! って動機だったコンビはいくつか出場すらしなくなったりするんだろうか?

ダウンタウン、好きだったんですよ。

蛇足を補足しました***************************

https://anond.hatelabo.jp/20240116110533

訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24

https://anond.hatelabo.jp/20240124115643

以下本文*************************************

中学生就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。

東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだビデオを送ってもらってクラス友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回からごっつええ感じパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏デート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。

面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツ面白かったんだけどね…。

松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間バラエティ番組で、コント企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃん簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。

  • 割とたまにスベっていた

彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利番組ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃん面白かったが、同時にそこそこの打率ドン滑りもしていた。大喜利センスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタント打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。

この「松本ファイトスタイル大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。

松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタ悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑い世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう

ベストセラーエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生中学生相手塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。

知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあい出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。

  • 自分が一番正しい!と言い放つ人だった

松本人志と高須光聖放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます

高須氏に諫められた後の松ちゃん聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須ちゃん松ちゃんだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…

音楽番組HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。

そもそもあの番組歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティスト創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんトークギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。

そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。

  • 映画は向いていなかった

ごっつええ感じTV局との複数もめごとで終わり、コントDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。

まり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミ的外れ評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。

そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。

頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙コメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。

それまでの芸人世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。

でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人対峙自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。

発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディアデイリーで流れていくウェブ世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。

若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑い権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちハラスメントしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。

爆笑太田じゃないが「椅子からコケ王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。

松本人志がお笑い世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助レギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いバラエティ番組マストゴーオンだ。M-1審査員紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。

松本人志に対する素朴な印象

大体みんなこんな感じじゃない?

黒髪期(90年代後半ぐらいまで?)30代

ごっつええ感じ】とかやってて面白い芸人。【HEYHEYHEY】とかでのコメントの瞬発力もすごい。芸人代表格。

遺書』とか出してちょっと意識高いというかカリカリしてそうだけど、まあ芸人ってそういう面も必要なんだろう。

坊主期(90年後半~10年代半ば?)40代

M-1】始めて、「ああ、そろそろ新進気鋭とか若手とかじゃなく中堅なんだ」と思った。審査員として、一番説得力と安定感があった。

働くおっさん劇場】は、人を馬鹿にするのが全面に出てるのと、アングラ感がキツすぎてちょっときじゃなかった。

段々テレビともダウンタウン的なものとも離れて行ったけど、【ガキ使】は妹に付き合って年末の【笑ってはいけない】は見てたし、【すべらない話はいろんな人の話が聞けて素直に楽しんだ。

映画はコンセプトがよくわかんなかったので見なかった。

金髪期(10年代半ば~2024年1月現在)50代

ほとんどテレビを見なくなったので、あんまり知らない。段々、ギラギラした感じはなくなっていって、悪い意味世間迎合的になったようには感じた。少なくとも、ちょっとだらしなく、自分に甘くはなったよね?

探偵ナイトスクープ】の局長になったのは、「人情ものは向いてなさそう」と思ったし、逆に「向いているようになってしまったら、もう松本人志ではないんじゃないの」と思った。

ワイドナショー】とかいニュースショーに出てコメントしているって聞いたときは、「なんか権威側になってしまったな」って感じた。

松本動きます。】←はあ、そうですか……

要するに、子どもの頃は楽しく見てられた「雑さ」が大人になると気になってくるし、一方で美点だった「鋭さ」がなくなっていってだだの偉そうな人に感じられて、

「育ちが悪く、底が浅く、権威迎合的な老人」っていう側面が強くなりすぎたように感じる。

90年代00年代半ば(平成初期~中期)のガチャガチャ感をいつまでもやってはいられないし、だからといってただの老人になってしまってはなんの魅力もないよ、って感じ。

2024-01-12

いち松本ファン騒動所感

ファンとして、バイアス掛かってるので、

アンチ松っちゃんは読まないのが吉

仕方ないことだが年末から松本批判記事ばかりで、すごく鬱屈としている

吉本芸人一般人の私などより信者が多いと思われるので(実際にNSC入学してしまうほど松本に憧れていたわけだろうし)、吉本芸人さんたちもメンタルキツイと思われる

報道よりも前に以下のようなことはテレビでも公言していたのをおぼえている

  • 後輩を使ってナンパしていた
  • 部屋に来てやらせなかった女にブチ切れる

時代が許していた面もあるが、こういった昔の出来事承知の上でファンだったわけである

(むりやりの性加害があった、というのは別として)ホテル女性を呼んで性接待的なパーティしていたというのも、何の驚きもない

みんな驚いてはいないよね?

2015年というのも絶妙な時期だ。松本世間アップデートできてなかった最後の年だと思う

2016年ベッキー不倫騒動世間不倫に対する批判がかなり厳しくなった

2019年の「体を使って」発言騒動以降、松本自身女性蔑視的な発言が一気になくなった

カキタレ存在について

カキタレというのはエッチOKタレントの卵や芸能人とつながりたい女性のこと

いつ頃までかは正確には覚えてないが、関西芸人は「カキタレ」という言葉をあたり前に使っていた

「このあいカキタレとやって」とか

つのからか誰も言わなくなった

小沢について

2015年アメトーーク小沢という変人」で再ブレークしたと記憶

このアメトーークの前まで芸人としては下降気味だった

ちなみに渡部TKO木下と出ていた「若い女の子大好き芸人」も2015年(このトークテーマも今の時代はグレーそう)

小沢2015年あたり、芸人プライベート間内での女衒的な動きで成り上がったのではないだろうか、と想像

キャンセルカルチャーの波

けっきょくのところキャンセルカルチャー一言だと思う

小山田圭吾も退場なら、松本も退場だということ

ただ、Xのフォロワー数、私も含めファンの数が多いので、将来的に復帰もあり得るんじゃないかという淡い期待。個人的には早々に復帰してほしい

M1審査員もそうだけど、お笑い界の物差しになってしまっていた部分がある

これからそこを誰が担っていく?川島バカリズム千鳥?うーん

2024-01-10

松本人志に関する報道に関する信者の吐き出し

古い言葉だが松本信者として、現状の報道について、個人的な考えを吐き出したい。

ファンの程度としては好きなDVDビジュアルバム、ダウンタウン関連のテレビ番組自動録画、今でも放送室を繰り返し聞いている、という程度である

○前提

前提として、ファンの相当な欲目かもしれないが、報道されている内容はいわゆるジャニー喜多川による性加害とは違うではないか、と思う部分はある。

仮に女性側の証言内容事実だったとして、未成年男子への性的虐待と成人女性との性行為はその残忍さには差があると認識している。

ただ、その性行為自体強制性や優越的地位の利用があった場合行為の残忍さは増すと思う。

また、報道内容について松本側は事実無根としているものの、芸人用語の「タレをかく」という行為の考え自体時代錯誤である認識している。

以上を前提として、思うことは2つである

(1)報道後の立ち回りの稚拙

1つは松本人志の立ち回りの下手さである

誰か知恵をつけられる人はいないのか、と思うくらい悪手の連発だと思う。

証言女性から飲み会のお礼メッセージスクショを出回らせて、それに関する記事を別メディアに書かせて、「とうとう出たね」じゃねぇよ。それで一件落着とはならんでしょうよ。

しかも、自らが企画立ち上げに関与した番組とはいえ、「フジテレビ番組に出て意見表明します」じゃねぇよ。フジテレビ側のリスクも当然あるだろ。

この時代動画意見表明したいのであれば、それこそYoutube動画投稿して、自身のXでリンク投稿をすればいいでしょう。

また、オフィシャルコメントにある「事実無根」をXで訴えたいのであれば(これ自体、適切かどうかは微妙認識)、単純にもっと説得力のある理由なり説明がほしいし、上述のスクショでは説得力は足らないと思う。

いずれにせよ、松本自身の行動にコントロールが効いていない印象があり、吉本興業弁護士なりと相談して、下手にならないように行動してほしいと願っている。

この事実無根の証明に関して、例えば「完全に証言でっち上げである」ということの証明報道では複数証言が出ている手前、できないとは思うが)や性行為強制性等は全くなかった、とする証明があれば、理解は得られるとは思う。

ただ、「性行為強制性がなかった」という点は不倫行為を認めることにもなり、報道前の松本自身の近年の漂白されたイメージ毀損は避けられないし、そもそもそんなことするなよ、とは思う。

話は逸脱するが、相方浜田についても近年、不倫行為に関する報道があったが、①浜田本人に元々クリーンイメージがなかった、②女性から関係性の構築が見られる発言があり、性加害に関する言及がなかったこからダメージは少なかったと認識しており、今回の報道だと松本の近年のイメージ女性側との関係性の構築ができていない点が問題だと思料する。

ここからは推測だが、「タレをかく」という行為が抱えるリスク世間の受け止め方を見誤ったことが立ち回りを含めて一連の行動を招いたと考えている。

(2)好きなエンターテインメント享受できない、ということ

2つ目は自分が好むエンターテインメント享受できなくなる、ということだ。

近年、ジャニーズ宝塚に関する一連の報道があった際、ファンではないため自分事として捉えてなかったが、「自分の好きなエンターテインメント享受できなくなる」ということはその可能性があるだけでも精神的にダメージがあるということを改めて理解した。

好き嫌い過去との比較等はあるとして、個人的にはテレビ番組での平場の返し等で未だに面白いと思っていたため、活動休止によりそれを享受できなくなる、また自分が好んでいる対象世間から非難を浴びるということは相当ショックだった。

前者の享受できなくなる点について、お笑い番組の有名ブロガーポスト引用すれば、いずれくる松本人志がいなくなったお笑い界の予行演習、ということだと解釈するよりないが、報道を受けたスポンサー離れ等を考えると予行演習ではなく、この後の説明裁判自身の非がクリアにならない限り、この現状が続くのではないか、とは思っている。

最後に何の根拠もない私見ではあるが、近年、松本人志はやけイメージ漂白されていると感じていて、その要因として、各種お笑いコンテスト審査員長格や万博アンバサダー、「お笑いを語る文化」の醸成等、外的要因にも起因するところであると思うが、個人的には松本人志の内的意識の中のお笑い芸人地位向上や自身の娘さんを意識した行動があったのではないか、と勝手に思っている。

お笑い芸人地位向上は以前からそのような発言もあり意識的に行動してきたと思うが、その地位向上に伴ってできることと共にできなくなることもあるわけで、今回の報道事実とするのであれば、まだやっていたのか、という思いはある。

また、自身の一人娘に関する意識について、テレビ番組内で溺愛を伺わせる発言があったし、近年の「こんなことするんだ」と思わせる活動(例:指原莉乃卒業コンサートでの内田裕也コスプレソフトバンクCM出演)は娘に「パパ頑張ってるよ感」を出したかったのかな、と思っていた。その文脈でこの報道は娘さんとの関係ダメージがありそうとは推察されるし、娘さんを大切に思っているのであれば、そんなことするなよ、とはつくづく思う。


いずれにせよ、本人が「事実無根である」とする以上、世間理解が得られる説明は行ってほしいとは思う。

また、裁判するのであればそれはそれでよいが、結審するまで時間を要することを考えると、上述のいなくなる世界が続くと思っている。

2024-01-09

「抜けば安心!KENZENコブラbyロバート秋山を今こそ聞くべき

歌詞

 

事前に抜いとけ(セリフ

抜きゃいいじゃん(フー!)抜きゃいいじゃん(フー!

おイタしたり 不倫しちゃったり

ハメ外しそうな夜 その前に自分タンク空!にすりゃいい

歓楽街 行く前にマジで1回(簡単作業さ)

挟むだけですぅ〜っと変な気なくなる(不思議だね)

お遊び 美女の誘惑 ハニートラップ

一瞬で全てを手放すリスク

その前に10分のURAWAZA

タマノナカヲカラニスルギシキ カゾクノタメニヤルギシキ Fu!

邪念が出る前に抜きゃイイジャン

1度抜いときゃ4〜5時間無欲さ

つべこべ言わずに抜くべきじゃん

どいつもこいつも 危機感がない

抜きゃいいじゃん抜きゃいいじゃん(チェックインして)

なぜ抜かない? 抜くべきじゃん(出かける前に)

また邪念が出たら 部屋もどり抜きゃいいじゃん!

抜くって大事だね

セリフ

みなさん抜いていきましょう 審査員のみなさん抜いてますか? それが心配

抜かなくて溜まるから変なこと起こすんですよ

抜けば絶対にそんなんなくなるから

みんないなくなるの嫌だよ

 

それはみじめなことなの?

イイ女と遊ぶ方がイケてるの?

一度抜くだけで食や街に集中できる(Fu〜Wu〜)

こんなに不思議魔法 他にないでしょ

そりゃ羨ましいけど仕事なくなるんだったら

マメに抜くやつがKENZENさ!(フー!

抜きゃいいじゃん!抜きゃいいじゃん!(ツマサキノバシ)

抜きゃ済むじゃん?抜きゃ済むじゃん?(スキナオカズデ)

たまには左手で味変なんていいんじゃない

何度でも(Fu!)

抜きゃいいじゃん? 抜くべきじゃん?(タマルチョイマエニ)

ナゼ抜かない? 意地張んな!(モノノジュップン)

けど今夜は僕もハメ外してみようかな・・・(全て終わるぜ?)

やっぱ抜くっしょ

 

自分で脱いちゃえ〜

 

セリフ

抜け!抜け!抜きゃいいんだよ!

抜けばそんな気起こんないんだよ!

先に出しちゃえよ!

意地張んな!

KENZENでいこうよ抜いてけよ

何も起こんねぇから4〜5時間

 

 

名曲

2024-01-08

「ニン」って言葉が嫌い

最近お笑い好きの間で「ニン」ってよく使われるようになったけどなんなのあれ?

キャラ」とか「人柄」みたいな文脈で使われてると思うし、別に「ニン」を使う必要性なくない?

百歩譲ってM1審査員みたいな人が使うのは耐えられるが、ただのお笑い好きが「ネタくるまのニンに合ってて〜」みたいなこと言ってると鳥肌が立つ。

2024-01-03

anond:20240103153821

パソコンデータ入力するだけで描いたとか言うのはおかしいよな。ちゃんキャンバス張って絵の具乗せていかないと

AI以前からデジタルで出力しただけのものちゃんと描いた絵のように言ってコンテスト出して審査員が騙された被害も実際出てたし(何故かデジタル画像出力者の方が被害者面してたけど)

2023-12-27

anond:20231227161911

漫才師お笑いタレント審査員にするのなんて別に今に始まったわけでも

だいたいなんのために複数人審査してるんだっていう

anond:20231227161911

漫才師お笑いタレント審査員にするのなんて別に今に始まったわけでも

だいたいなんのために複数人審査してるんだっていう

anond:20231227162223

おかしいですね。

実際に、ラサール石井渡辺正行がとっくに審査員の任を解かれていることからも明らかですね。

山田邦子M-1審査員してるのはマジで違和感しかない

こいつのことTVタレントじゃなくてお笑い芸人として見てる奴どんだけおるねん。

実働7年しか海原千里・万里としてのお笑い芸人活動してない上沼恵美子ですら

ちゃんお笑いの賞取ってるけど、こいつって受賞歴すらゼロだろ。

ダウンタウンだってちゃん漫才師としての全盛期には賞取りまくってたからな。

お笑い芸人として実績はないけどテレビバラエティスター山田邦子にさせるくらいなら

そのテレビバラエティ作ってる側の佐久間宣行にでもさせたほうがよっぽど納得感あるだろ。

M1って、「資本主義」じゃね?

芸人さんが好きだ。ジャンルを問わず

自分はただの会社員だが、なぜだか芸人さんほどカッコいい職業はないと思っている。


そんな自分にとって、M1日本一芸人を決める大会で、「勝って人生変えてくれ!」と思いながら熱心に見ていた。


ただ、今年のM1は見ていて色々と考えさせられることがあった。


それは、「M1も結局、資本主義的なゲームの1つなのではないか」ということだ。ただし、これはネガティブ意味ではない。


こう思うきっかけになったのは「令和ロマン」と「さや香」の戦い方だ。


令和ロマンの戦い方は、本人談にもあるように非常に戦略的ライバルたちの動向はもちろん、抽選順まで分析し尽くした戦い方は、まるでM1という競技ルールを完全にハックしているようだった。


その姿を見ている時にふと思い出したのが、なにかの本に書かれていた「資本主義社会において、目標は必ずハックされる」という言葉だった。(うろ覚えなので、詳細は異なるかもしれないが…)


実際この社会において、企業は自社の成長のため、トレンド必死で探したり、どうにか自社商品をバズらせようと苦心したりする。そこで働く社員たちは、「本当にやりたかたことってなんだったっけ…?」とか思いながら、目標達成というゲーム攻略にジタバタしているものだ。かくいう自分もそう。


そしてM1は、会場にいるお客さんの笑いの量がかなり審査に影響する。少なくとも、「全然ウケてないのに審査評価で逆転優勝」なんてことはまずない。


そう考えると、「大衆ニーズいかウケるか」という点で、M1資本主義的なゲームの一つなんじゃないかと思うのだ。だからこそ芸人さんも、「自分のやりたいネタ」と「M1用の戦略」の中で、苦心するんじゃないだろうか。


そんな中、令和ロマンの「M1最適化された戦略を緻密に練って勝ち抜くスタイル」は、まるでクールな敏腕サラリーマンを見ているかのようだった。


ただ令和ロマンの凄いところは、その緻密さを「自らの勝利」だけでなく、「M1というゲームをどう盛り上げるか」というレベルまで俯瞰して考えているところだ。


勝ち組になるのが全て」と盲信するかつての《モーレツサラリーマン》的価値観とは相反し、ゲーム冷静にメタ認知し、かつ楽しんでしまうその姿は、まさに「令和っぽい」魅力があった。


そして「令和っぽさ」といえば、もう一組のさや香もすごく興味深かった。なんせ、誰もが勝つことを目指すM1で、「勝たなくていいから好きなことやるぜ」という価値観提示たからだ。


しかさや香が凄いのは、決勝に連続で勝ち上がれるくらいの戦略家ではあるというところ。


「好きなことして生きていく」的価値観平成から台頭しているが、だからといってハナから全くニーズを考えずにいると、そもそも食えやしない。「日の目を見れるくらいの戦略現実的に持っておき、最後自分のやりたいことを優先する」という絶妙バランス感覚が、とても現代的だと思ったのだ。


まり何が言いたいかというと、一見勝つことが全てに見える資本主義的なゲームでも、ゲームメタ的にハックして楽しんでしまう「令和ロマンスタイル」や、ある程度計算しつつやりたいことを優先する「さや香スタイル」で、自分らしく乗り切れるんじゃないか、ということだ。


なんなら、ゲーム基準は一つじゃなくていい。

ちょっと前にM1価値観が固まってしまうことに「提言」して炎上した芸人さんがいたが、YouTubeのような全く従来と異なるルートを極めることも、自分は立派だと思っている。


なぜ自分芸人さんに惹かれるのか、

それは「ウケるかウケないか」という資本主義的なゲームの中で、それぞれがもがく姿に勇気づけられるからかもしれない…そんなことを思った、今年のM1だった。

2023-12-26

anond:20231226180812

審査員ハゲのつかみは良かったが、他のネタが欲しかった」

シシガシラハゲネタしか持ってない場合はどうしたらいいですか?」

って流れで一番笑ったやで

anond:20231225095111

めちゃくちゃ滑ったザパンチの「死んで〜」ってやつ

今思えば予選からあのスタイルだったんだろうから通した予選審査員が悪いわ

2023-12-25

M1準決勝では何が起こってるんだろう…。

M1面白かったですね。令和ロマン最高でした。(他のコンビも最高でした)

毎年敗者復活戦とM1後の千鳥反省会まで見ているんですが、出場者から漏れる「準決勝ではウケたのに…」がとても気になりました。

敗者復活戦見てる時は、「こんなに面白いのに準決で落ちるなんて、今年はレベルが高そうだ…」と思い、いざ決勝が始まると、「何で◯◯が準決で落ちて、こいつらが残っているんだ…」という気持ちに毎年なります

絶対準決の客おかしいだろ。わざわざ金払って見に行くくらいだからお笑いファンだ。

ファンがわざと大声で笑っているに違いない…。

それか審査員が色々考えてコントロールしてんのかな。来年跳ねそうだから今年は落としとこ、みたいな。

見せ算

M-1の決勝でやるネタでは無かった。人を選ぶのもあるけどそもそも4分では足りないのだ。

観客はネタ中で明言はしていないけどこのネタは「中田のんとかさんや、キンコンの西なんとかさんや右目と左目で形が違う変な眼鏡かけてる人みたいないけ好かない学歴優秀なのがメディア最先端を語ってるけど、よく聞いたら無茶苦茶意味不明」って茶化すネタだと気付く必要がある。気づくと途端にその邪悪さに気付き面白くなるのだけど、気付かないと最後まで怪しいセミナーみたいな感じでむしろ不快感しか感じない。

もちろん元ネタになった人っぽさを出せば伝わりやすくなるが彼らを貶めたい訳でも無いのでそこまでも出来ない。なので圧倒的話術で不快感→気付きに持っていく必要があるのだが4分はあまりに短い

審査員が気付いていたかはあまり重要ではない。客席のウケ状況も審査基準だし漫才自体の要素が良くても冷え冷えの客席で票は入れられないだろう。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん