はてなキーワード: レディオとは
壊れ かけの レディオ~♪
カホンが本当に欲しいと一瞬思ったけど、
さすがにドラムセットとかは買えないし、
ほないこかさんのドラムばりのあのリズム感は私には絶対無理だわ。
だからカホンだけでも買ってみることはできるわね!って思ったけど、
きっと届いて封を開けて、
ポンって叩いて一瞬で飽きそうな気がするわ。
あとあれも欲しいわウッドブロック!
すぐに私のパーカッショニストに憧れる欲を満たしてくれそうよ。
叩いたら簡単そうに見えるそれがパーカッションで陥りやすいところよね。
でもウッドブロックは買って飽きたら使い道ないけど、
って言ったらカホン作る人に怒られそうよね。
でもなんか出来そうな気がするんだなぁー、
でも壊れかけのレディオを
有名なクラリネットをこわしちゃったは
ドとレとミとファとソとラとシとドの音が出ないって言うんだから
本当に壊れてるのかもね。
これもこれでスゴかったわよ。
でもこれで溜まっていた私のパーカッションの話したい欲は収まったわ!
ドラマーのスティーブ・ムーアさんのドラムの叩きっぷりをみると元気になるわ。
うふふ。
朝に一気に1日分をコンビニで買ってみたという、
なんかチャレンジャー気分です。
久しぶりに缶詰使ってみたけどやっぱり便利ね、
直に使うパイナップルの方が
やっぱり圧倒的に風味がいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
アメリカの影
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マーシャル・ロー
メリーに首ったけ
π
スリー・キングス
彼は音楽が大変に好きで小遣いの殆どをCDに費やしてしまい、昼休みはいつもナイススティックを食べていた。
「お前んち、CD何枚持ってんの?」とか「あー今月CD買いすぎて金ねーわー」とか休み時間の度にアピールする彼を何故か嫌いになれなくて、
たまに席が近くなるとちょっと話す、くらいの関係がだらだらと続いていた。
彼のことを「音楽博士」「家がツタヤ」と呼ぶと今お気に入りのCD(たいていライブ版だ)を3枚貸してくれたので、
部屋で聞くCDにも困らなかった。後で感想を聞かれるのが困ったけど。
3枚のCDの中に日本語じゃないのが混じっているのに気がついた。赤ん坊が海中を悠然と泳ぐジャケット。ニルヴァーナだ。
「もうJ-POPなんてダサくて聞いてらんねー。どいつもこいつもおんなじ歌詞、おんなじコード進行ばっかりだ。これからはコレ(洋楽)だわ」
彼は誇らしげに言った。後日感想を求められたがあまり真面目に聞いてなかったので、「カッコイイんじゃない」としか言えなかった。
彼は喜んだ。
月日が経つにつれ、彼の貸してくれるCDは徐々に、難解で、TVで見かけないものが増えていった。
「今はリンキン・パークが流行ってるみたいだけど、あれがイイなんて言える一般人のセンスが逆にわからんね」
また彼は誇らしげに言った。その時彼が貸してくれたのは、確かビョークだったと思う。「難しくて、正直よくわからんかった」という僕の感想を聞いて、逆に彼は喜んだ。「だよな。お前にはまだはえーわ」
大学に入り少し疎遠になってからも、たまに彼はCDを貸してくれた。決まって3枚ずつだった。
ビョークはレディオ・ヘッドに変わり、そこから「ジャコ・パストリアスの肖像」に変わった。ジャズに踏み込んだ後はジョン・コルトレーンの「ラブ・シュプリーム」に移り、そこから先のことはよく覚えていないが、二人で飲んだ夜に「コルトレーンなんて誰でも聞ける」と繰り返していたのは覚えている。
「なあ、これが今一番アツいやつ」彼は黄色のiPod miniに繋がったイヤホンを差し出した。ノイズだけが流れている。ザザー。ジジジー。
「ちょっとついていけない」「だよな。お前にはまだはえーわ」
彼はイヤホンを耳に戻し、ボリュームを上げた。ここからでもわかるくらいの音漏れ。彼は少し早足で、下宿に帰っていった。
もしかすると彼は、音楽を聴くことで(音楽を聴くポーズをすることで)何かと戦っていたのかもしれない。そう思った。
社会人になり、彼とはもう会わなくなった。
今頃彼は、何を聞いているんだろう。いっそ演歌にハマったりしないだろうか。登録してからひとつも投稿がない彼のFacebookアカウントにメッセージを送る。
「久しぶり。今どんなの聴いてるの」
昨日本屋で『テキサスレディオギャング』という漫画を買ったらとても面白かった。
この漫画は『日々ロック』っていう前までヤングジャンプで連載してたこれもすごくいい暑苦しい漫画を書いてた人の作品で、
どちらもうまく青春を謳歌できなかった人にはがつんと来ると思う。
で、こういう面白いけど一般受けはしないような漫画や小説、映画などなどみんなどこで誰と共有してるんだろう?
自分の場合、そもそも友人が少ないということもあるのだけれど、多くない友人であってもこのあたりの趣味が合うことはほとんどなく、
好きな映画や小説、漫画についてはほぼ誰とも共有することができなかった。
いや漫画だとまだましな方で、小説なんかは数が多すぎてちょっとマニアックなものになると誰とも共有することができない。
本でも映画でもたくさん見てる人って何かしら埋まらないものがあって、それを作品のなかに探していることが多いはず。自分はそうだ。
それだからこそ、共有できる人が近くにいたらいいのになぁと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
そもそもここに書こうと思った理由は俺に音楽を語る友達がいないから、
勢いにまかせて書けるここを選んだだけ。
なので書きためた物もないし、気が向くまま、つらつらと書きなぐる。
ただ、この「語らせてくれ。」シリーズ(勝手に命名したが)は全5回だ。
なので今回は「語らせてくれ。」2回目となる。
前置きが長くなってしまったが、何の話だっけか。
一体何があったのだろう。
世の中にいるバンドでご飯を食べたいと夢見ている人は
プロデビューを勝ち取った経緯の詳細や本当のところはわからないが
少しだけTVで語った事がある。
「誰よりも目立つ格好をした」
当時としては珍しい赤や青や金色に髪を染め、化粧をし、目立つことを
心がけたらしい。戦略家だ。
一組の芸人の何気ないイジりで暗雲がたちこめることになる。
前述の芸人、伏せますがハマタ・マツモトがTVで共演したことを
「あいつら日本一下手くそなバンドやで!」と揶揄したことに始まる。
口コミで「日本一下手くそなバンド」という風評がまわりまわって
当然そんな概念などなく、ただただ「日本一下手くそ」という言葉が
何気ない芸人の一言のイジリがバンドのその後の運命を大きく左右することに
なってしまった。
ただそれは仕方がないこと。19歳だもの。
今のように情報が簡単に手に入る時代と違い、限られた環境(機材も情報もない)でスキルアップするには
初期の楽曲と比べるとバンドの後期(デビューから4年後)の楽曲では見違えるように
良くなっている。
そもそもはたして彼らは本当に目立っていただけでプロデビュー出来たのだろうか。
個人的にはそうではない、と思っている。あくまで個人的には。
岡本竜治はボーカル、ベース、ドラム、オーディエンスが欲しいと思う音を
欲しいと思う今まさにこの瞬間、鳴らすことが出来るギターリストだから、ではないのか。
1990年に19歳でメジャーデビューしてから23年後の2013年9月、岡本竜治はPlayer(ギター雑誌)に
愛蔵のギターとともに特集が組まれている。
息子にハリーポッターを見せてからハリーポッターのヒューンヒョイが止まらなくなった。
家に帰るとヒューンヒョイで俺を家からつまみ出して遊ぼうとしてくる…
妻に「あの子意味わかってないし、嫌われてるとか勘違いじゃないの?」
と言われたんだけど、息子の目がマジで怖いんだが
俺「ただいまー」
息子「ヒューンヒョイ」
俺「おっ今日も元気だなー」
息子「ヒューンヒョイ」
俺「ご飯食べた?」
息子「ヒューンヒョイ」
俺「そっかーいい子にしてた?」
息子「…」(立ち去る)
こいつ今日も飛ばねえのかよみたいな
憎悪に満ちた顔で睨んで母親に「ママー帰ってきたよー」って言ってるし
3歳児の真顔すげえ怖い
何考えてるんだろう本当にわからない
俺だって構ってあげたいけどあんな真顔で無視されるときついっていうか
あとヒューンヒョイは呪文じゃないよって何回も教えたのに聞いてくれない…
完全に反抗期じゃん
なんかそのうち殺されそうでなんか息子が怖い
妻にあの子お父さんが帰ってくるのいつも待ってるわよって言われるんだが
さっき
俺「ただいまー」
息子「デリトリウス!デリトリウス!デリトリウス!!」
俺「今日はいつもとちが「デリトリウス!デリトリウス!ペトリフィカストタルス!アバダケダブラ!」
って食い気味に言われてもう超つらい
元増田ですがね。
うれしいもんですよ。ありがたいことです。
もっと批判がバンバン来るともっと嬉しいんですがね。きっと事情通の頭のいい人たちは「楽天的でいいな庶民は」とか思ってるのかもしれませんやね。それでもいろんな視点やらつっこみがあって。うれしいもんです。少し頭が良くなった気がしますよ。
で、何がいちばん嬉しかったって、はてなの誇る(邪悪な)知性、id:KGV先生に「お前の文はレディオ・ヘッドの0.4%くらいの価値はある」と言ってもらえたことで。ちょっと増田日記を書き続ける励みになりましたよ。ありがたいことです。
この失敗した山形浩生のような文体には3円だな、払えるのは。
僕はテレビを見ない人間だ。ブラウン管テレビはホコリ置き場になっていた。邪魔なので捨てたら、一人きりの年越しはとっても寂しかった。TVも人間もいない年越しは寂しい、というか虚しい。孤独で死にそうだった僕は、ラジオで紅白を聴いていた。
ラジオで聴く紅白は、ラジオで聴くワールドカップサッカーと同じくらいわけがわからなかった。何が起こってるのかさっぱりわからない。野球と競馬ならわかるけど。それで、『犬神家の一族』を文庫本で読みながら聴いていたら、DJ OZMAという名前がコールされた。
このDJ OZMA、僕が先日「何その人? 芸人?」と知人に言ったら散々馬鹿にされた(m9(^Д^)プギャー)、少々恨みがましい存在だった。初めて
耳にした時は、DJ あづま(納豆メーカー)の聞き間違いだと思ったくらいだ。その知人は、DJ OZMAを知らない僕を馬鹿にはしたけれど、結局DJ OZMAの何たるかは教えてくれなかった。二重の意味で気になってしまい、僕は佐清の手型の鑑定結果が出たところで本を置き、ラジオに耳を傾けた。
きっとほとんどの人がそうだろうと思うけど、あれを曲だけ聴いたって何が何だかわかるわけがない。まして僕だ。ラジオのアナウンサーが「OZMAさん、服を脱ぎ始めました」とか解説してたけど、僕はどうでもよくなって、また『犬神家の一族』を読み始めた。僕の耳は騒音をスルーしていた。サブちゃんが出ていたことより、犬神家の秘密の方が興味をそそられた。
その後、アンジェラ・アキをスルーしてさだまさしに感涙する僕は、年のわりに耳が古いのかもしれない。今井美樹もよかった。その次の徳永英明の『壊れかけのRadio』の素晴らしさといったら! 今思い出しても、つい「レディオ」につられてRedioとミスタイプしてしまうくらい感動した。でも(壊れかける気配の無い)ラジオで聴いていた時は、感動の余韻もくそも無かった。曲が終わったすぐ後に、NHKのアナウンサーの謝罪コメントが入ったからだ。
コメントが読まれる際、会場からは二度も笑いが起こった。だから僕は、ちょっと下品な演出があって、PTAのオバサンみたいな神経質な視聴者様方が過剰反応してヒステリックなクレームを押し付けてきたのかなと思った。まあ紅白だし、ちょっとやんちゃが過ぎたのかと。それ以上にどうでもよかった。だって紅白だし。聴いといてアレだけど、興味無いし。
それからしばらくして、DJ OZMAのパフォーマンスが問題になっているってネット(はてブ)で知った時は、正月からはてブをやっている虚しさを吹っ飛ばすくらい、驚いたものだった。腐っても鯛、視聴率低迷が言われている紅白と言えど、まだまだ世間への影響力は侮れないものだと思った。その批判内容(はてブコメント)を見たら、僕がイメージしていた「PTAのオバサンみたいな神経質な視聴者様方が過剰反応したヒステリックなクレーム」まんまで、さっきよりも驚いた。ネット上には良識派を気取って重箱の隅を突っつき回したがるナルシズムエゴイズム溢れる人々が意外に多いのは知っていたけど、それにしてもなあと思った。そこで、僕自身がまだかの映像を見ていないことに気がついた。だめじゃん。
で、Youtubeを見た。読みかけの『犬神家の一族』は、湖面から逆さまに人の足が突き出ている、かの有名なシーンにさしかかっていた。
まず感じたのは、戸惑いだった。僕はものすごく戸惑った。どう反応したらいいのかわからなかった。ああいう騒々しいモノに対して、僕はパターン化された理解を持たなかった。テレビを見ていないと最近の娯楽についていけないのか、テレビ買おうかなとすら思った。その戸惑いをよくよく分析してみると、僕は不快だった。美しくない眉を顰めていた。そう、悲しいことに、僕自身もクレーマーと同類だった。僕はDJ OZMAを見ていて、どうしようもなく不快だったのだ。画質の悪さでおっぱいが本物らしく見えるくせに、その実本物でないのも腹立たしかった。
しかし僕は、クレーマーたちと自分を差別化しなければならない。そうでなければ、頭がおかしくなりそうだ。いや、もうおかしいのかもしれない。
もう一度、DJ OZMAのパフォーマンスを眺める。そして、何故彼がこのような馬鹿げた、下品なパフォーマンスをするのか、しばし考えてみた。
そうだ、アホの坂田がアホでも何でもないように、DJ OZMAもきっと、真実に馬鹿げた人間ではないのだ。彼はきっと、僕よりもずっと高いところに立って、釣られクマーな僕をあざ笑っているに違いない。
その時僕は、どうしようもない屈辱感に襲われた。DJ OZMA、彼に何らかの反応を示した時点で、僕は彼に負けたのだ。彼はきっと僕の、このような反応を全て了解済みだったのだ。「下品だ」「紅白にふさわしくない」という反応も彼の想定内であれば、「DJ OZMAはお前らの反応も織り込み済みなんだよ」「ナンセンスだ」というメタぶった反応すらも想定の範囲内に収めていたのだ! 僕がどう考えようとどう反応しようと、僕はただDJ OZMAの掌の上で踊る哀れな猿にすぎないのだ。一連の事実が彼を中心に回っている以上、どうメタ分析を試みようが上から物言おうとしようが、僕は、いや僕らは、彼を超えることなどできないのだ。騒ぎの渦を一つの世界と看做すならば、彼は神だ。唯一絶対の神だ。愚かな人間どもを哂う神だ。いっそどんな形でもいい、彼に心囚われてしまったことが(または正月からこんなことで騒いでいることが)すなわち、僕らの負けであり、彼の哂いなのだ。
僕の心は虚脱感に包まれた。もう、全てがどうでもいいのだ。僕の正月は暇だった。このテキストの記号的意味でなく、存在的意味が、悲しい事実を何よりも雄弁に物語っているではないか。傍若無人。かたはらにひとなきがごとし。如しじゃなくて本当に誰もいない正月を、僕はDJ OZMAに哂われて終えることにしよう。テレビはやっぱり買わない。