はてなキーワード: ブラウン管とは
彼は仕事中の私が好き。
ゴールデンウィーク中、仕事以外でずっと一緒にいて気づいてしまった。
彼は私の優柔不断さにいらついている。
彼は私の甘えをうっとおしく思ってる。
彼は二人の時間を消費的に感じている。
本当は前から気づいてたけど、
そしたら彼は喜んでくれるけど、
そのたびに私は普段の私を蔑むことになるんだ
ほんとは、
そういうことがしたい。
二度と思い出さないようなテレビ番組を見ながら二人で食べて、
翌々日になっても洗ってない食器が流しにある。
そんな二人はいや
1Kとかの、魚喃キリコの漫画に出てるみたいなぐだぐだの部屋で
私は夏の昼下がりにじっとり汗をかきながら畳にぺたんって座って
折りたたみの鏡を見ながら化粧してアルバイトに出かけていく
貧乏で将来性もないけど、楽しくて
手を伸ばせばそこに愛がある生活
でもそんな未来こなかった
踏み外さずに生きてきたら、そんな未来こなかった
24時間働ける
認めてもらえるから
こんなに私を前向きにしてくれて
向上させてくれて
たくさんのことを教えてくれる
こんな素敵な人はいないと
でもやっぱり、わたしの生産的じゃない部分が、ほんとうの私なんだ
そう思うとやるせない
お母さんは、たわいのない話も聞いてくれた
落ちがなくても
ネガティブでも
じっとずっと聞いてくれた
手元に放射線業務従事者の講習でもらった資料があるので、参考にしながら、平易な言葉でまとめてみる。
放射性物質からはある量の放射線がでているが、距離の二乗(距離×距離)に比例して、放射線は弱くなる。
なぜなら、遠くなるにつれて、ある方向に飛んだ放射線の密度は小さくなるから。
バームクーヘンを思いうかべて欲しい。内側の生地は外側の生地よりも小さいので、同じ面積でみると、よりたくさんの放射線を受けることになる。
したがって、放射性物質への対策としては、第一に「距離を取る」ということになる。
1km離れたところでは致命的な量の放射線を浴びるような場合でも、20km離れれば、放射線は1/400と大きく減るから。
また、放射線は、長い距離をとぶにつれて、間にある物質とぶつかって減っていく。
たとえばα線は紙1枚でさえほとんど通りぬけられないし、β線は薄い金属板くらいのものがあれば止められるので、間に障害物があれば、どんどん減っていくことになる
(γ線や中性子線は、水や鉛やコンクリートなどといった吸収されやすい物質が大量になければ止めることができない)。
いくら放射性物質から離れても、放射性物質のほうから近づいてくることがある。
たとえば、核燃料にも使われているウランは固体なのでじっとしているのだが、崩壊するうちにラドンという気体の放射性物質になる。
ウランが容器に密封されていなければ、こうした気体や微粒子になりやすい放射性物質がどんどん飛びでてくることになる。
たとえば、核燃料は被覆管で密封されているが、これが溶けると、そういうことが起きる。
このようにして放射性物質が飛びちった場合にも、発生源から距離を取ることが効果的。
おならは離れれば匂いもうすくなるように、大気で薄まって、とどく量が減るから。
しかし、風下の方向にはよりたくさんの放射性物質が向かうから、風向きには注意しなければならない。
また、飛びちった放射性物質から距離をとるためには、屋内にこもって、外の空気を入れないようにするのが良い。
数mの距離を取れるだけでも効果的だし、壁がα線やβ線を吸収してくれる。
「外部被曝」とは、からだのそとにある放射性物質から放射線をうけることを指す。
対して、「内部被曝」は、放射性物質をからだに取りこんでしまい、放射線をからだの中から受けることを指す。
どちらも、対策としては、飛びちった放射性物質から距離をとること、近づけないこと、が大事。
特に外部被曝への対策としては、とにかく皮膚を外気にさらさない、ということがあげられる(花粉とは違うところ)。
なぜなら、放射性物質が皮膚につくと、紙一枚で防げるはずのα線が届いてしまう。α線は紙のかわりに皮膚と反応し、細胞を激しく傷つけてしまう。
また、放射性物質を取りのぞくために丁寧に洗い流さなければならなくなる。
また、内部被曝への対策は、とにかく吸いこまないこと。濡らしたハンカチなどを鼻や口に当ててフィルターにすると、少しはましになる。
内部被曝の最大の問題は、いちど体内にとりこんでしまうと取りだすことができないので、ずっと被曝が続くということ。
たとえば、放射能をもつヨウ素がとりこまれたときには、たくさんの普通のヨウ素をとりこんで、からだがゆっくりと放射性のヨウ素とおきかえてくれるのを待つしかない。
ヒトのからだは、部分ごとに、あるいは放射線の種類によって受ける影響が違う。
たとえば、α線は皮膚には強い影響をあたえるが、内臓に届くことはほとんどない、などの差が出てくる。
Gy(グレイ)は、こういう性質を考慮していないので、補正をしたのが、Sv(という単位)。
以下はmSvで統一している。
下のような症状は、線量がこの程度に達すると確実に起きる(逆に言えば、達しないと起きない)。
対して、線量が多くても確実に起きるとは限らない、浴びた放射線の量に比例して起きる「確率」が増える症状がある。
こうした症状は、研究の結果、少ない量でもだいたい放射線の量に比例して起きることが分かっている。
大量に浴びるのは論外なので、少ない量でも起きる「確率的な」症状について考える。
という考え方によって、基準値は定められている。
平均5mSv/年くらいなら浴びても「交通事故で死ぬ」確率くらい(知り合いにどれくらいいるだろうか?)。
被曝2世の追跡調査によって、両親が 400 mSv 被曝していても、遺伝的影響は見られないことが分かっている。
予想より、ヒトは放射線の影響を受けにくい。
少々の被曝をしたからといって、これから子供をうむときに障害を気にする必要はない。
など。
ものによるかねえ。
百万以上する車を乗り回し
百万の車なんて軽かコンパクトカーくらいだけど、むしろ今の方がそういう小さい車流行ってるのでは
(軽やコンパクトカーの性能が上がったせいだとは思うが)
結婚式には三百万もかけ
商業地域だとむしろ平日朝に外食が当たり前だったり(家で作って食ってる暇など無いから)
毎月数万も服を買い、エアコンは付けっぱなしにし
ミネラルウォーターを飲み
ジュース代わりに飲んでる人が大半だと思うけど、ジュースは昔から売ってただろ
携帯代に1万も払い
こんなの家電持ってない&パケ代上限までネット使ってる人くらいだと思うが
それでも高度成長期の頃の小さなブラウン管テレビより安いからなあ
おまけに毎月10万ぐらい自宅購入にローンを組む。
Inspired by これ→ http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20100807/1281152204 ね。
ホメオが根拠無いだとかナンセンスだとか、科学の力で否定するのができるとかできないとかは、まぁどうでもいい。
オレ自身は信じちゃいないが、上のリンク先にあるような話を真に受けて信じちゃってるオツムの不自由な人々が日本だけでも数十万とか、グローバルに世界展開したら、たぶん数億人レベルで存在するに違いない。そこにカネモウケの匂いがするから、とりあえずビジネスにしてみようぜ、みたいな。
なんたって、そのレメディとやらは、物質的に有効成分が一分子も入ってなくても、なにやら記憶というかパターンというか波動というか、得体は知れないけどなんらかの「情報」が転写されてれば「効果がある」そうじゃないか!
しかも、その情報はネットの回線を経由して転送できることが証明されてるそうだし。
すなわち、音楽ビジネスと同じなのだよ。ビニールやポリカーボネートの円盤を買ってこなくても、ネット配信で入手すればOKだし、ちょっと法的にアレなことに目をつむれば、タダで共有することも可能ってわけだ。
イマドキ流行のクラウドでバーチャルなウェブのサービスで、モバイルでユビキタスに対応するフリーミアムなビジネスモデルを構築すれば、受けること間違い無し!
では、どうやってマネタイズするか。
ニコニコ動画と同様に「プレミアム会員」には毎月500円くらい払ってもらう。すると、あなたの生年月日や血液型や星座や十干十二支や生理周期や姓名の画数や手の平のシワの具合や鼻や耳やヘソの形や、あるいは生まれたときの水星と冥王星の角度とかまでモロモロの要素を計算して盛り込んだ「あなただけにピッタリのオーダーメードなレメディ(の情報)」を生成してダウンロードできるようになるのさ。
だれか、はまちちゃんだか、えがいひとだか、どこぞのおもしろ法人だか、スーパーハカーなひとがやってくんねーかなー?彼らなら、とりあえず無料部分までなら2〜3日もありゃ構築できるんじゃねーのか。
そんでもって、そういうWebサービスを始めちゃったら、元祖本家のホメオな人たちがどういう文句を付けてくるのか、楽しみで仕方がないなぁ...
音楽だったら著作権法違反がどーたら〜で取り締まれるけどさ、レメディの情報ってヤツらが主張する「客観的な(?)物質の波動だかなんだかをそのまま写したもの」だと思うんで、著作物には当たらないよなー。マトモな科学的根拠も無いわけなので特許権も登録できないだろうし、商標登録になってるようなら、そこだけ少し配慮しとけば、法的にはアレなことって無さそうに思えるんだけど。
ヤツらが「そんな画像で情報が転写できるなんてインチキだ。根拠がない!」とか言ってきても、そこはもうhogeでfugaでpiyoな方法はオレらが開発した独自の計算式で量子力学に基づく超弦理論の波動関数で明らかに証明できてるから間違いないってあくまで言い張ればいいし。
2級品ねぇ・・・一昔前の一級品より、今の2級品の方が性能がいいのに2級品ていう名前の響きだけで、劣等感を感じるんだとしたら、騙されてるよねぇ。
2010年度に、3Dが楽しみたいなら、映画館に行くべきだし 対応コンテンツ数とスクリーンの広さと、座席指定できる便利さと音響を考えたら2010年は映画館の方が断然いいよ。1日なり、レイトショーなりあるだろ?
第一、現在、コンテンツがあんまり無いのに3DTVを今買っても、余り意味が無い。
コンテンツが充実する頃には、今の3DTVより性能の良い、2級品が出てるだろうから、安くそれを買えばいいよ。5万(激安品)とは言わないけど、中級機を買えばいいよ。
って話。
元増田が昔はよかったっていってるが、昔はブラウン管で絵はきれいな物もあったけど、大変だったんだぞと。液晶なんて最近で1インチ1万円って言われてたのに、安くなったじゃないかと。買えるじゃないかと。何を嘆くんだと。そもそも、昔でも食い詰めるやつはいたんだと。上ばかり見て話するなと。
いやさぁ、憧れて、欲しくて、それを目指して頑張るんだつーならわかるし、頑張れないほど貧困国や紛争国のように酷いということもないし がんばって一級品を買えよ!っていうけど。
悲観するんだったら、2級品で賢く生活すれば、結構、いい生活できるよ?たとえば、ポルシェだってちょっと乗りたいだけなら、中古安いよ? プチ贅沢でプチ幸せあるよ?って話だろ?
あぁ、あと、30で給料頭打ちって、言い方変えれば、子供の世代は、今よりも性能の高いもので飽和して、安く買えるんだから、そもそも困らんだろうし、高い給料が欲しいなら、それこそ、実力で、海外展開でも何でもして、自力で稼げと。そのレベルを、会社や社会に頼るなと。そういう話だねぇ。
よくわからないけど、社会のレールに載っていたら贅沢できるとか、そら、ゆとりすぎる。繰り返しになるけど、おれらの親の世界でも、食い詰めたり肉体労働や劣悪な環境で若くして死んでるやつなんていくらでもいるから。
ようするに、借金してでもモノを買わせようとする、消費者戦略の幻想だよ。そのへん。ただ、商売道具とか、必要なものは高くてもローン組んでもいいものを買っておけとは思う。
「アナログ」の文字は焼き付くだろうけど、黒帯は焼き付かないんじゃないか?
…と思ったが、そうでもないのか。
■ ご注意 プラズマディスプレイの焼き付き現象について
焼き付き現象についての説明
焼き付きは、表示エリアの特定の場所に周辺より輝度の高い静止画を長時間写し出すことにより発生します。明るい部分は暗い部分と比較すると発光量が多く、蛍光体の劣化が他の部分より早くなります。蛍光体が劣化することにより輝度低下を招き、周辺の劣化していない部分との輝度差が大きくなり、焼き付きとなって現れます。焼き付きは静止画を使用する限りブラウン管デイスプレイやプロジェクションデイスプレイなどでも同様に発生いたします。
二次元に行って住みたいと思う人は何人ぐらいいるんだろう。
またどういうことしたいんだろう。
もし隣に好きなキャラがいるんだったらとか
もし家に帰ったらあの子が待ってるんだったとか考えたら
それはそれでいい気がする。
ブラウン管でさえ人間はいらないなあ二次元いけないなあって思ってたのに
たぶんこれは二次元になんか行けないよバカという誰かのお達しなのだと思う。
でも三次元に楽しくないことが多いせいでそのぶん二次元が楽しいんだろうなあと思うと、今の生活も我慢してやろうかなという気になる。
三次元のほとんどの場面じゃ自分のオタかくして、でもたまにオタ友で集まってワイワイするのも楽しいし
腑に落ちない気がするけどこれはこれでいいのかな。
明日から月曜日なのでがんばる。
液晶突き破って二次元に行ってみたいという願いは完全に諦めたわけではないので
また明日も帰ってきたら挑戦してみようと思う。
仕事納め帰り。クタクタになりながらテレビを買いに電気屋へ入った。うつ病になりかけてしにたいとか言いながらもなんとか服薬・通院で一年間頑張った自分へのご褒美ってやつなのだ。
以前から検討はしていたのだが、結局「違いのわからない女」な自分は欲しい機能があればよいってことで、前々から店のおすすめだったものに決めた。
さて価格交渉でもと思った際に閉店間際となってしまい、年内配達希望だったので結局店の言うままの値段になってしまった。自分の予算として現金で7万円持って行ったが完全な予算オーバー。現金+カード払いというわけわからん買い方。当然ポイントはカード分マイナスとなる。普通閉店間際で焦るのは店側だよな。
価格コムで改めて調べたら25位ぐらいのねだん。ビミョー。せっかく念願の薄型テレビを買ったというのに、高いしちっとも嬉しくない。うつという病いのせいではないと思う。吉永さゆりグッズなんていらないからブルーレイディスクの一つでもつけてくださいとか、どうして言えないんだろう。今日だけじゃない。すべてにおいてこうなのだ。値段交渉のねの字すら出せなかった自分にひどく鬱になって落ち込んでいる。
これだったらいっそのこと明日の朝イチで返品してしまったほうがまだ気分もラクになるだろうか?(返品後、さらに思い出して落ち込むようなことになったら逆効果なのだが)
予約録画機能が壊れている現在の物を今さら修理に出すつもりはないのだが、いっそのこと現在のブラウン管が完全にぶっ壊れるか、来年のボーナスまで待ってみたほうが精神衛生上ラクになれるだろうか?
せっかくの仕事納め後だというのに、悶々と苦しんでいる。
例えば、昼下がりの喫茶店で女の子と二人きり、向かい合って淹れたてのコーヒーを飲むのって、結構幸せなことだったりするんじゃないかと思う。冬の柔らかな陽光が射し込む窓際のテーブル席で他愛もないおしゃべりに時間を費やしたり、静かに読書を楽しんだり。あるいは二人して課題に追われる羽目になっていたのだとしても、それはそれでいいような気がする。
同じ時間、同じ空間で、互いの気配を間近に感じ取ることができるのだ。これ以上、どんな幸福を望めばいいというのだろう。個人的な意見になるけれど、他にどんな幸福が存在するのか、僕にはまったく見当がつかない。
きっとそこでは、鳴り響く軽やかなポップスが暖房によって心地よく温められた空気を一層朗らかなものに変えている。あちこちに配置された観葉植物は、滲み出る緑に彩られて活き活きと輝いて見える。芳しいコーヒーの香りに満たされたその空間は、何故だか分からないけれど、とても理想的で感動的な幸せで満たされているような気がするのだ。
ただ、現実はそうそう甘いものではない。こんな風に、僕が現実逃避のごとく考えてしまう原因は案外すぐ側にあるのかもしれなかった。
例えば今、昼下がりの客もまばらなコーヒーショップで声をかけてきた女の子が美樹ではない他の誰だったとしたら、この何ともいえないやるせなさを感じる必要はなかったように思える。いや間違いなく、絶対にそうだった。もしも、今現在僕と向かい合わせに座っている女の子が、ただ黙々とシャーペンを走らせているだけ美樹じゃなかったのならば、僕は興奮した雄犬のように尾っぽを振りたくって、にこにこ顔で鼻の下を伸ばしていたはずだった。
目を閉じて額に拳を押し当てると、思わずため息が口から溢れてしまう。
――どうして神さまはいつもいつも人間に過酷な試練をお与えになるのだろう。
神仏に対する信心など皆無に等しいのだけれど、どこかでほくそ笑んでいるのであろう大いなる存在とやらのことが異様なほど腹立たしく思えてきてしまった。だって、目の前にいるのが他の女の子だったのなら、僕はすぐにでも時を止めてくださいませと膝を突いて真剣に祈っていたはずだったのだ。あるいは、代償として失うものを提示しながら遜ることも厭わなかった。
……まあ、出せるものは限られているのだけれど。いらなくなったマフラーとか、買い換えなきゃ行けないブラウン管テレビとか、あまり使っていないバイクとか、その他諸々の、あまり必要性を感じない品々ならばいくらでも出せると思う。たぶん。
そんな取りとめのない考えを展開したのは、頭皮に鋭い視線が突き刺さってきているのに気がついたからだった。そっと目を開けて正面を向くと、眉間にしわを寄せた美樹と目が合ってしまった。反射的に、強張った表情の下から乾いた笑いが込み上げてくる。
他にどうすることができよう。ヘビに睨まれたカエルが石のように固まってしまうみたいに、美樹に睨まれた僕は冷や汗を掻きながら嘘っぽく笑うことしかできないのだ。近づいてくる何かから逃れるために。もしくは、これ以上彼女を刺激しないために。
僕と美樹との間に生じている関係性という名のシーソーについて考えてみるとき、いつだって僕は宙高く持ち上げられている。不安に包まれたままどうしようもなく足をぶらつかせる羽目になっているのだ。原因として、そもそもの作用点が美樹のそれと比べて圧倒的に僕に近いことが挙げられるし、彼女がでかでかとアドバンテージと刻まれた分銅を抱えているのも理由にあるのだろうと思う。まったく理不尽だと思う。
意味もなく笑い続ける僕を心底憎んでいるように睨み付けてから鼻を鳴らして、美樹は続けていた作業へ再び意識を戻していった。週末に提出期限が迫ったマクロ経済学のレポートを仕上げなければならないのだそうだ。前年のカリキュラムで、レポートに既存の論文のトレースが見つかったために、手書きでまとめなくてはならなくなったらしい。最近の生徒は何でもかんでもインターネットとコピペで済ませてしまうという教授の嘆きが、そうであるならせめて論文を熟読するぐらいのことはしてくれと、自らの意見でレポートを製作している生徒にとって見れば甚だ厄介な妥協案に落ち着いてしまった結果だった。視界に入る長い髪を邪魔そうに左手で押さえながら、美樹の大きな瞳は熱心に資料とレポート用紙との間を行き来している。
様子を眺めながら、こうやって黙っていてくれるのなら僕の気持ちも明るくなるのになあと、もったいなく思った。美樹はファッション誌で読者モデルをやってるから、それ相応に、結構な美人ではあったのだ。手足はすらりとして長いし、十分な背丈もある。引っ込むところは引っ込んでいるし、物足りない気がしないでもないけれど、欲しいところもちゃんと膨らんでいる。外を歩けば男性諸君の目を集めることはしょっちゅうだったのだ。同性からさえも、時折潤んだ眼差しを受けることがあった。美樹と一緒に歩くことができる僕は、確かに、傍から見れば多少なりとも羨ましく映っていることなのだろう。自覚がないわけではなかった。友達からは率直に、いいなあ、と言われたこともいくらかくらいはあったのだ。
(2/5につづく)
もうね、タイトルだけで言いたいことは分かるんだけど
まるで的はずれでイラっとくるわ。
芸人というのは時代の巫女なのね。ドリフなりひょうきん族なりに「良心のカケラ」みたいなものが見えるとしたら、それはその時代の社会に今から見てまだ「良識」みたいなものが息づいていたというただそれだけのことなのね。それをまるで「作り手や芸人に良心があった(今はナイ)」みたいな言い方をしてる時点で、全然ダメ。まるでなっちゃない。第一彼ら、同時代的の社会の中でどんな風に言われてきたか、分かって言ってんの?ホント失礼なヤツだなあ。
そもそも「そういう(イジメ同然の)お笑いじゃないと売れない」ような腐ったこの時代にアンタ生きてんだろ?コミットしてんだろ?その社会に対して何をどう戦ってるの、アナタは。テレビ見てくだらないお笑いみて駄文書いてる暇があったら、もう少し世の中をマシにするための何かをする時間が生まれるんじゃないの?違う?
ぐだぐだと社会の一番末端にいる芸人やTV屋風情を叩く前に、まずイマドキTVなんか見てんじゃねえよ馬鹿野郎。さっさとそのスイッチ切れ。受像器ぶっ壊せ。で表に出ろ。戦うべき相手はいつだってブラウン管の中にいるんじゃない。
外にいるんだ。
そうだろう?