はてなキーワード: 楽天的とは
妄想メモ書き。論点多すぎてぐちょぐちょ。もうちょっとまとまったらちゃんと書く。
ソーシャルゲームに求められているのは一般的な意味での「承認」とは違うと思う
むしろネットとは承認を求めてやるものだ、みたいな考え方に対する
アンチテーゼ・・・ではないが発想の転換すら行われていると思う。
篠房六郎さんのネトゲ関係作品は今だからこそ興味深いと思う。特に「空談師」。
元来ネトゲというかネットワークのコミュニケーションに期待されてたこと、およびその問題は
しかし、現実において、ビジネスとして資本効率を追求したときに
「篠房六郎の思い描いた可能性
(現実の大半をゲームに持ち越すほどにヘビーゲーマを中心としたコミュニティ構築)
作者自身もこの路線を放棄していることからも、こっちの可能性はもうないと思う。
作者は、ビジネス的な面からゲームを考えてなかったよなーと今から読み返すと思う。
⇒安っちい承認欲求というか視線欲求を満たすだけなら小町で十分なんだ。
ネットでは得られないというのはもうコンセンサスになりつつあるんじゃないだろか。
⇒ソーシャルゲームでは
承認を目的ではなく手段とする(承認=仲間になればお得)という発想の転換があると思う。
仲間づくりはあくまでそうしたほうが便利だからそうするだけ。
⇒この発想の転換はビジネスを運営する側の都合から生まれたんだろう。
「仲間」の部分をすごいグラフィックや濃密なコミュニケーションを演出しなくていい。
むしろ単純なステータス化して極力力を入れないことで、低コストでサービス運営できる。
しかし、今のヒットを見てると、これが正解なのだと思う。
他人はそのきっかけ程度の重みしか求められてないんじゃないだろうか。
本当に飢えているのは自分の価値とかよりも、とにかく自分を楽しませてくれるもの。
自分のやってることに後暗さを感じなくていい場所というか。ここがうまく説明できない。
⇒自己完結ができるということは、それだけお気楽な、深く悩まなくて良い社会を想定してるはず。
昔の古き良きRPG、ネットワークビジネス的な雰囲気。
これらは「昔の楽天的な高度経済機の日本」という幻想の代替物みたいな。
⇒そういう「何も考えずにただ目の前のボタンをクリックし続ければいい」仮想社会を
つくろうとしたのがソーシャルゲームだとすると、実際のところは非常に不完全。
グラフィックというよりも、ゲームデザイン側に深刻な問題がある。
成長がすぐに限界に行き詰まり「増資=課金」をしないと成長できない。
しかも増資をしても、そのリターンが帰ってこないというところで現実との乖離が生じる
本当にずっとやりたいなら、増資=自分で投資をした分の見返りが必要。
⇒この問題を解決するためには
「リーダーシップとして一番大切なこと」という本に書いてあった
「ステージ乗り換え」によって成長を持続する仕組みが必要。
チャレンジできる、ということが求められるだろう。
⇒現状はどのゲームも似たり寄ったりだ。
別にパクリとかなんだとかは好きにしたらいいが、レベルが同じで
これでは「時間つぶし」以上にはなれない。
または「告発の方法について」、または「地方テレビ局の人は楽天的らしい」の巻。
夕べhttp://soulwarden.exblog.jp/12373871/でやり取りした結果分かったことをまとめてみたい。
・詳細不明のデータ媒体は開封までこぎつけても「間違いなく捨てられる」。ただし、「暇な時期ならネカフェに持っていってみるかも」しれない。
・「裏が取れる資料とセット」なら食いつく可能性はある。内容が分かるメモがあれば「ずいぶん違う」らしい。ただしどう違うかの詳細は不明。
・基本的には「どこにでも顔を出して『あいつは信頼できる』ライン作っとかないと地元報道はいけない」。ルートがない場合は電話して、「信頼できる記者捕まえて、身元秘匿と情報の提供、公開スケジュールの調整を行う」。
・ただし上記のような方法、さらに具体的には、どのように情報を提供すれば見てもらうことができるか、どのように記者と交渉すればよいか、身元の隠匿はどの程度保証されるのか、といった情報を事前に知ることができるメディアは(あるかもしれないが)おそらくはない。
次は報道等で察しがつく、もう一方の方法。
・公開は確実にされる(自分でするので「されないケース」はない)。
・ある程度のPCにまつわる知識が必要。本屋で雑誌くらいは買う必要があるかもしれない。
・情報が認識されやすい方法をある程度考える必要がある。ただし、一見して理解可能な情報の場合はその必要もない(尖閣ビデオに解説はほとんどない)。
・「裁判所の書類ひとつでIP出」されたりする。ただし、野良無線LANや身元確認の甘いネットカフェを使う、コインPCを使う、他人を雇ってアップロードを代行させる、など身元の隠匿方法は考慮可能。ちなみに尖閣ビデオで実行者が捕まった直接原因は捜査ではなく、自首。
…とまあこんなところだろうか。巷の報道をさらっとしか見ていない人間にとっては、「Youtubeで告発情報を流すことはできるが、CNNですら情報を流すのには使えない」という認識じゃないだろうか。もちろん「さらっと報道を見ている」以上の人間、きちんと調べている人間にとっては、結局は捕まってるな、とかCNNへの送り方がまずかった、ということは理解できる。が、同時にオウムのときのTBSビデオ問題などの事例、ネットを介した身元判定の困難さも分かるはずだ。つまり、情報公開でも身元隠匿でもYoutubeなどのほうが安定する、という結論になるだろう。
仮にメディアルートを選んでも、そのためにとるべき手段は不可視だから、情報公開が失敗する可能性はかなり高い。失敗すれば結局Youtube等のルートを選択するしかないだろう。
ところで、件の地方テレビ局勤務の人は、「まあこんな大ネタなかなかない話ですが、『次』が起こった時にじゃあ今回のような三枚目を繰り返すのか、それともちゃんと抜けるかってのはけっこうポイントかも知れません」と書いている。上記の状況を踏まえた上で、それでもメディアは告発ネタを「抜ける」可能性があると考えているらしい。正直、楽天的だなあ、と思う次第だ。
もう12年も前のことだけど、弟が中三のとき、母親が中三の英語を勉強を始めた。
負けるのが悔しかったらしい。
俺と父に負けるのはしょうがないと諦めていたらしいが、弟とドンペケ競争だけには勝ちたかったらしい。
一応は英文科出身のくせに、きれいさっぱり覚えていなかった。
アホ高校から推薦ってこんなもんなのかなって思った。
当時は。
狂ったように同じ文を延々とノートに書き殴り、数週間でブームは去った。
今でも、全く喋れない。
本人が言うのには、手が覚えてるから英語になるけど、どういう文字が並んでるかはわからない、とのこと。
謎だ。
またもやまた狂ったように、だ。
ところが、因数分解で躓いた。
延々と、ノートや教科書が真っ黒になるまで式を展開し続けたのに、逆の操作が全く出来なかった。
そこでドロップアウト。
翌年は化学に首を突っ込んだりした。
たしか、アボガドロ定数で早くもドロップアウトしてた気がする。
6.02×10の23乗という数字から理解出来なかったみたい。
説明してといわれても、なにが理解できないのかが理解できなかった。
それから10年ほど経ち、母は俺と弟の世界史の教科書を頭から読み始めた。
本人が言うには一章を読み終えるとその前の章について綺麗に忘れてしまうらしく、一章を読んで、二章を読んだら、一章と二章を通読して、三章を読んだら二章を忘れてるから二章を読み直し、そしたらもう三章を忘れていてもう一度三章を読んで、そうしたら一章を忘れたから一章から三章まで読み直し、という風に何度も読み返してるらしい。
なんだかんだで近代直前あたりまで読んだみたいだが、このあいだ古代から読み直してた。
読み返す回数がフィボナッチ数みたいになってることに気付かないせいか楽天的だ。
それから、行って見なきゃわからんということで、ヨーロッパ旅行に行った。
そのあと、エジプトに行き、イスラム国に興味が強くなり、パキスタン、イラン、トルコと旅行してる。
英語圏じゃないと不便じゃない?
と聞くと、英語だって喋れないから何語だっていいの!
とポジティブ。
いつも旅は1人でツアーに申し込んでる。
家族や友達を巻き込んだことは一度もない。
人に知らせずに出かけたほうがお土産を買わないでいいから楽だとかで、1人で行き先と日程を決めて一人で出かける。
すごい行動力だとは思うんだけど、白状するとあんまり本能の赴くまま動く人といるのって疲れる。
よく電話はするけれど一緒に住むのは勘弁だ。
仕事をしていると虚しさに出会うことが多々ある。でも、僕は持ち前の楽天的脳みそで乗り切っている。
しかし、ここ数日はさすがにこたえた。
先日、社内の発表会みたいなことがあり、自分をはじめ役員クラスは「会社をどうするか」「売上をどうするか」などの発表をする予定であった。
自分は一ヶ月かけて資料を集め、分析して、こうすれば、こうだからこういう作戦をとりましょう、そしてここまでの売上を見込みます。
そこまで準備した。
しかし、当日は自分以外誰も準備をしておらず、発表したのは社長のみ。
みんなが準備していないからと、自分の発表はナシとなった。
そして懇親会の終わりにそれぞれ「がんばります」「やります」「感謝してます」のお決まりセリフのオンパレード発表会。
それを実際にどう現実に落としこむとか、誰も言わない。言えない。準備してないから。
ただただ虚しかった。
パワーポイントを使った、自分なりに工夫した見やすい資料も全て無駄になった。
口だけならどうとでもいえる。
口だけ達者な連中を今日も見ていると虚しくてたまらない。
会社は傾きかけている。酒を呑む暇などないし、休む暇はないはずだ。
一般社員はやすんでもいいが、役員クラスは四苦八苦しなければいけないはずだ。
そして今日
「この会社は近いうちに沈むな。」
と僕は思った。
「頼れる力は己のみ。」
この言葉で虚しい気持ちを乗り越えようと思う。
あるのは本能がより複雑な形や一見意味がよくわからないほどの形を獲得したものだけではないか
ツガイ動物のオスがなんで「処女性」を重視するかと言うのはもちろん
ツガイの相手から生まれてくる子を自分の子と信じただ1人の父親として養育するから
ツガイ成立後にツガイオスは他のオスから遠ざけようと徹底的にガードするようになるけど
ツガイメスは浮気を試みることがよくある(オシドリのメスですら)し
ツガイになる前に他のオスの子どもを妊娠してたらツガイオスとしては一巻の終わり
「処女を奪ったら俺だけのモノ」なんて思い込む
いや、その判断はどうかと思うよ。
違うことが当たり前になろうと、子どもがなぜ自分の苗字が父親か(母親か)という疑問は消えるわけがない。そこで親はどう納得させるのか、ということなんだよ。
俺には彼らが「みんなもそうなんだよ」って言えば納得するに決まってる、と考えている(あるいはそんなの考えもしない)ように見える。
というか、あなたの主張がすでに別姓にすることは決定事項のように扱っているのがなお気に障る。
「時代が進めば誰も疑問に思わなくなる」
どこまで楽天的なんだろう。
なんども書くけど、上のことが解決できるならいつでも変えればいい。それすらも解決できないで見切り発車するなら、出直すべきだ。
使わなかったらもっとひどかったってことは、使った方がよりよかったんだろ。何言ってるかわかってる?
使うなって言ってない。
需要先食いの可能性があるので、今はまだわからんから今年度から来年度にかけてをみて判断しろと。
本当にそう考える楽天的な人が多いんだけどね。
ユーロ圏沈降のほうが先じゃないの?
いや、悲観的。
たとえ回復してもアメリカの消費を引き受けた中国が弾けると日本にとってはもはやどうしようもない。
使ってしまったなんてことはわかってるはずなのに「まだあるんです、まだ隠されてるんです」とウソついて選挙に臨んだのが民主党でしょ。
いまさら「できるわけねー」なんて通るはずがない。
だからできるわけねーで民主党も通るわけはないので両方アウトという判断。
これは誰もが悪い。
民主が悪かったから他党は良いという話にはならんと思うのだが。
使わなかったらもっとひどいことになるからって使い方を正当化できるの?
「あの使い方は間違っていた」という根拠がないんじゃない。
使わなかったらもっとひどかったってことは、使った方がよりよかったんだろ。何言ってるかわかってる?
あんだけばら撒いて回復しなかったらそれこそおかしい。
おかしい使い方をしてるのが現政権。
効果がわかるのが今年度後半から来年度にかけて。
違うっつーの
エコポイントなりエコカー減税なり高速1000円は即座に効果がある経済対策であって、とっくに効果は現れている。
金融危機以前の水準にはこれから数年かけて戻るよ。
個人はともかく企業の上の方は。
本当にそう考える楽天的な人が多いんだけどね。
ユーロ圏沈降のほうが先じゃないの?
たった数年間じゃ戻らないって。
使ってしまったなんてことはわかってるはずなのに「まだあるんです、まだ隠されてるんです」とウソついて選挙に臨んだのが民主党でしょ。
いまさら「できるわけねー」なんて通るはずがない。
それでも敢えて話すというのならそれは相手はこれを話しても傷つかないだろうという前提があるからであって、
その前提は「うまくいっているカップル」であれば互いの意志の疎通がちゃんととれているのであるから、問題ない。
これは…
楽天的と言うか甘いと言うかちょっとおかしいと思うよ
うまくいってる人間関係が、疎通ミスや前提の食い違いで酷いことになるなんていくらでもあること
ただ、あなたは「具体的な内容を詳しく話す」レベルのみならず、
二行目が根っこのレベルの議論で、
一行目は二行目の行き違いの発展系
段階の話だね
当然とは思ってない
単に「そういう価値観、というか感情を持ってる男はどうも大分一杯居る」ということを指摘してる
(一貫してこれしか言ってないんだからいい加減もう話の要旨の解説からは開放して欲しい)
「当然」がないのと同じ様に、NGの話なんかしていない
そういう運用や社会的コードの前に、そういう感情が存在すること自体否定してどうするの?と思っている
「性の自己決定権を尊重しない」って言うのは相手の行動を強制したり縛ったりすることでしょ
単に相手への感情として
「この人は収入が400万円以下だと聞いて魅力が低下」
「この人は実はこういうとこ気が効かないからかなり嫌になった」
「笑ったら汚い歯があったから一気に好感度が0へ」
というのが、気分の良い話ではないながら許されるように
とずっとこれしか言っていない
交流分析やってみました。うつ傾向になりやすいタイプですと出ました。自分自身は楽天的な人間だと
思っていたので、意外でしたが。そう言われてみれば、昨年、妻との関係に悩み果てて自殺未遂を図っ
たことがあるので、やっぱりあんまり楽天的な人間ではないのかもしれません。
確かに私はよく空気が読めない人間と言われるので、知らず知らずに妻を傷つけているのかもしれませ
んが、それでもそこまで激昂させることも言っていないつもりなんですけどね・・・もう少し言動に気を
つけたいとは思います、再構築するなら。
専門家への相談も考えました。しかし、妻が産後に明らかに精神的におかしかった時に、産後うつじゃ
ないのか?と心配になり、専門家に相談しようか?と言ったところ、人を病人扱いするつもりか!と烈
火のごとく怒られたことがあるので、多分、カウンセリングとかは絶対に受けないと思います。
DVするような人間は子供にも、というコメントがありましたが、確かにその通りです。お尻とか頭を
ですが、怒った時は反射的に叩いているのを何回も見かけました。その後に妻が激しく落ち込み子供
にも謝っている姿を見ると、むげにも攻められず、どうにも出来ない自分の力不足に悩みます。
子供に対して、という意味で少し最近気になっているのですが、妻がよく「○○(子供の名前)はお母さん
のこと嫌いだもんね。」とか「(当て付けがましく)○○は本当にお父さん大好きだね~」とか子供の目の
前で言うことです。本人曰く、私が愛情を注いでいるのに、子どもが応えてくれないという点に不満の
ようなのですが、傍目から見ても十分子供は妻に懐いているのに、何が不満なのか理解できません。
多分、親に虐げられて育ったという被害者妄想(決してそんなことはないと思うのですが)があるので、
常に自分は人に嫌われていると思う癖があるようです。こんなことをしょっちゅう言われている子ども
が不憫であり、精神的な発達に問題が生じないか、実はかなり深刻に心配しています・・・
それらの言い回しが真実なのかも、と思わせる経験を先日してきた。
しかし実感としてはロストバージンというよりも、
捨てたら可哀想だろ!って言われた童貞をミカン箱に入れて川に流した気分。成仏して下さい。
仔細は伏せるけど相手もタイミングも内容についても良かったと思っている。
ただなんだろう。
あれ以後なぜか創作へのドロドログネグネした情熱が湧きづらくなっている。
単なる欝期から来る怠慢かもしれない。もっと不可逆的な変化なのかもしれない。
今のところ、自分にはそこの判断が付かない。
そもそも、あの人といつまでも恋人で居られると思えるほど楽天的にもなれないんだよなあ。
そして次が見つかるという気もしない。なんかこれが生涯で最初で最後の恋愛経験になりそうな気配がしている。
関係が終わりを迎えたら何もかもを無くしてしまっている可能性に思い至り、今ゾーっとしている所。
さあプロットから先に進まないエディタ画面の前で頭を抱える作業に戻ろう……。
(追記)
待ちに待った三連休、なんて書いてみたけど予定なし。10時に目が覚めてベッドの中でなく。
オレンジジュースを一杯飲んで、資格の勉強をしようとテキストを開く。集中して問題を解くことが出来ない。まだ頭が働いてないのかな。
しばらくしてからお昼ご飯を食べる。パスタおいしくできなかった。
外は晴れ、部屋に日が差し込んで家に居ちゃダメだよーって言われてる気がする。洗濯物は溜まってないし、ドラッグストアに行って
途中まで書いたけどもうだめみたい。寂しい。苦しい。
今日のこの気持ちを救ってくれたのはめちゃイケだけ。エガちゃんありがとう。
明日は彼氏とドライブ。本当はなにもしたくない。形だけの彼氏。
お金もない。親にも頼れない。というかいない。
楽天的な時もあった。笑いが止まらないことも、幸せを感じることもあった。
最近はどうしたんだろう。甘ったれてるだけだよね。
明日こそ頑張らなきゃ。
だが、事情も知らないやつが「いじめ=悪」みたいなことを言うのも腹が立つ。
今回いじめられたと主張する女性の今までの行動が問われることは全くなく、
そもそも自分の主張がきいてもらえない。当事者なのにこちらだけ蚊帳の外だ。
痴漢冤罪ってこういう気分なんだろうか。
そもそも、問題があるとすれば、自分の代わりに注意しなかった上司だし、
他の同僚だって、今の空気では言わんかもしれないけれど、
女性社員のことをいつもなんとかならんかなーと言ってた。
今までやんわり諭そうとしたが全然話が通じないから少し強く出たらこのありさまだよ。
「迷惑な奴」の好意を改めようとしたり、注意することがいじめなのか?
もっと相手に気を使えとか、いじめなくてもやりようはあるだろ、という人がいるかもしれないけど
じゃああんたはそんなに器用に、自分を制御できるのか?
いつも思うが、小学・中学校でいじめが起きるのはしょうがないじゃないか。
教師も忙しいとは思うが、子供同士だけで、問題を常にうまく処理できるはずがない。
まして変わった子やちょっと勉強やコミュニケーションが苦手な子がいた場合、
それをクラスになじませるのは教師の手助けが必要だろう。
そういった部分を考慮せずにクラスを無理やり抑え込んでまとめようとしたなら
問題が起きない方がおかしいだろう。
問題が起きるのを前提に解決策やら、いざというとき介入できるようにしとかなきゃいかん。
あと多人数で独りに対しては卑怯だとか言う人がいるかもしれないけれど
じゃああんたは、何考えてるか分からない、何するか分からないやつ時でも
正々堂々と一対一で向き合えというのか?
そのルールはおかしな奴が得すぎるのではないか?楽天的すぎるのではないか?
そんなこと考えるのは、みんな平等って空想を疑わない脳足りんだけじゃないか?
別に暴力的な態度に出たつもりもない。
男と女で口調や考え方に差はあるが、それはどうしようもないだろう。
それでこのありさまか?
なんでこんなに窮屈なんだろう。本当にやってられない
増田に書くのは初めてです。これ本当に匿名で表示されるんだよな・・・と不安になるUIですね。
以下はある夫婦の朝のやり取り(実話)です。私は夫です。いつも良くある夫婦喧嘩なのですが、本気で妻の怒るタイミングとその思考ロジックと対処方法が分かりません。
妻の悪い点はいらないので、私の悪かった点、妻の気持ち、どうすればうまくいきそうかなどアドバイスをもらいたいです。特に既婚女性の意見が聞きたいです。(はてなにはあまりいない気もしますが)
1.朝食中に娘が咳をして喉が痛いと泣き出す(咳は1~2週前から少しだけしている、熱はない)
2.私が病院にいくか?と娘に聞いたら娘は「うん」と言う
3.私が病院に電話する。(残念ながらすでに予約はできなかったのだけれども。)
4.妻が怒って「そんなに喉が痛いんだったら幼稚園休むか?」と娘にきつく言う。
5.私が娘をかばって、病院にいってから決めれば良いと妻に言う
6.俺が病院に連れていくと言う
7.「そうしたらいいよ、どうせあんたは自分のしたいようにしないと納得しないんだから」と妻が怒って言う
8.じゃあどうしたいんだ、と聞くと、「病院にいくくらいなら幼稚園をやすませる、そうでなければ幼稚園にいかせる」と妻が言う
9.娘に聞くと、「幼稚園にいく」というので幼稚園にいかせる事にする
10.着替えなどできる範囲の準備をしたあといつもどおりに出社しようとすると妻が「自分で連れて行くんじゃなかったのか」と怒る
11.「時間がない」と妻が言うので、準備だけしてくれたら俺が幼稚園まで送っていくよというと「ああ、そうしたら優しいお父さんだねって言われていいでしょうよ」と妻が言う
おおよそこんなやり取りでした。ここまで細かく書くと妻が見ると完全に特定できてしまうのですが、まぁ、それはいいことにします。でも、人間の記憶はあいまいなものですね、かなり正確性が失われている気がします。6で私が病院に連れて行く、と言ったのも、妻がなにか喧嘩口調で言ってきたのでそれに対する反応だったのですが、どういう会話をしたのか忘れてしまいました。
ほかにも色々話はしましたが、妻としては「勝手に物事を決めて進めるのが気に食わない」という事を言っていました。3の部分の行動をする前に相談するべきだろうと。でも、同じ食卓についていたのであり、普通に話は聞こえているし、診察券は妻のかばんから出してもらったし、その場で言えば良いわけで私としては「え!そんなことで怒ってたの!」という感じです。
根本的には、このようなことがおきるような夫婦間の人間関係、下地があるから・・・という事だとは思います。ですが、毎日機嫌を損ねないように本気で気をつけていても予期せぬタイミングで怒り出してしまうので本当に悩んでたりします。本気でどこに地雷があるのかわからないんです。日々の生活を普通に送るのがちょっとした恐怖です。
「妻がなぜ怒るのか理解できない夫」に対して何か夫婦関係改善のためのアドバイスなどあればください。
(追記)
色々とコメント、アドバイス等ありがとうございます。普段はあまり反応をもらえない日記、ブログ等を書いているので、反応を沢山もらえて嬉しいです。勉強になります。
より適切なアドバイスがもらえるように、不足していた(かもしれない)情報を付け加えておきます。
「仕事よりも何よりも自分の人生にとって大事なのは家庭、そのなかでも育児というのは人生の中でももっとも大事な仕事」そういう風に思って日々頑張っています(いるつもりです)。でも妻はそういう私を否定します。「自分がなんでもできるとおもってるんじゃないのか、そういうのが傲慢なんだ」「自分がやりたくてやってるならそのことで偉そうな態度をするな」と。
もらったコメントに関してそれぞれ追加で聞きたい事があったり感謝の言葉を述べたりしたいのですが、今は時間がないので、今夜にでも時間があるときにさせてもらおうと思います。
引き続きアドバイスあればお願いします。可能であれば自分の状況(既婚女性であるとか、独身男性であるとか)をコメントに書いてもらえると参考になりうれしいです。
(さらに追記)
「妻に病院に行くことについて相談すべきだった」という意見が多く、私も思い返せば全くその通りだと思います。それに関しては完全に私が悪いと思います。妻にはこの点は非を認めて謝りました。でも、今回の件は分かりやすいのですが、他の件ではもっと微妙なこともありますし、そもそも私がその時にそれに対して思い当れないのです。この点についての改善方法、あるいはそれをしてしまった時の対処方法、アプローチの仕方などについてアドバイスがあればほしいです。
全く悪意なく、思いもつかず、妻にとってひどいことをしてしまうのです。それはたいていの場合私が逆の立場なら全く問題にしないことなのです。今回の件でも「普通にそう言えばいいじゃん?悪気はないんだから、それを指摘してあげればいいじゃん?」と思ってしまうのです。だから気が付けないのだと思います。これはどうしたらいいんでしょうか…。
(もうひとつ追記)
先ほどまで妻と話をしていました。今回の件については私から謝り、妻もちょっと落ち着いて話をしてくれて妻の気持ちをもうちょっと聞くことができました。おおよそ以下のような感じでした。
娘、息子が早く寝てくれて、家事もひと段落ついていたので気持ちに余裕があったから話ができたと言ってました。
数人から指摘をしてもらった「妻に確認せずに病院に行くことに決めて手続きを始めたこと」自体に関してはそれほど怒りを感じなかったそうです。私の経緯の書き方がそういう意見に行きやすいような書き方になっていたのだと思います・・・。
妻の今日の話を聞くと「たしかになるほど」と思いました。私が考えていなかった発想もあります。私の理想としては喧嘩するのではなく、このように思うんだけど・・・ということをお互いに話し合って物事を平和に進めていけたらと思います。「怒らないでそういってもらえたら良いのに」というように今でも思いますが、怒ってくれるだけ幸せなのだと思わないといけないのかな・・・と思います。
妻としては気持ち、直感、感情はあっても、それを言語化することができないことが多々あり、言語レベルでの話では私のいうことの方が説得力があって筋も通っていて、話してもわかってもらえないと思うからそもそも話さないのだそうです。
自分が怒り出したときに無視されるのはしてほしくない悪い対応だそうです。でも、だからといって、怒っているときに「どうして?」「理由を教えて」と聞き出して理解しようとすることも、してほしくない悪い対応だそうです。その間のどこかに適当な対応があるはずですが、それがどういったレベルなのかは自分でもわからないそうです。
このような話を妻と落ち着いてできると、一時解決したように思います。ここまで読むと「解決してよかったですね。」と思う人もいるかもしれません。でも、間違いなくまた同じように喧嘩、あるいは妻が一人で怒ってしまい(自分の何かがいけないのだとは思いますが)、「なぜなんだろう?」と苦悩することになります。これはもう7,8年繰り返されてきました。本気で事前に、あるいは渦中に気づけないのです。
もしもあれば、引き続きアドバイスいただければと・・・。
(さらにもうひとつ追記)
皆さん色々沢山のコメントを頂き本当にありがとうございます。あんまり沢山反応をいただいているので、返事がまったくできておらずすみません。
トラックバックツリーを上から眺めて、いただいた回答や自分がした返信を何度もできるだけ客観的に読み返したり、妻のつもりになって読み直して見たりをくりかえしています。ツリーを見てもらえばわかると思うのですが、返信は上から順番にしています。でも、せっかくいただいたコメントにずっと返信できていないものが多くなってしまったので、ツリーが深くなってしまったところは後に回すこともしようと思います。時間はかかると思いますが全部に返信します。今後の夫婦生活で何度も同じことがあると思うので、そのときに読み返しては反省できるように、今回は徹底的にやろうと思っています。(非常にうざいと感じる方も多いと思いますが、増田ですので、増田くらいでしかこのようなことはできませんので、どうか本気で悩んでるんだな、と思って許してやってください。すいません。)
「アスペルガー症候群ではないか、病院にいったほうが良いのではないか」というアドバイスもいただいておりますが、すでにマルチに対して思い悩んだ時に精神科に一度行っています(人生初)。マルチの問題に焦点を当てて話をしたからということもあるかもしれませんが、「それはもう周りの環境の問題だから、それを取り除かなければ精神科でどうこうできる問題ではない」と言われただけでした。カウンセリングも希望したのですが、「必要ないだろう」ということでした。よくない医者だったのでしょうか?そうではないと思っていますが・・・。ただ、自分自身も「こういった部分はアスペルガー症候群っぽいよな」と思うところは昔からあります。だれでも多かれ少なかれそういった面があるのでは?と思ったりしますが、皆さんそうでもないんでしょうかね・・・。
現在の状況も報告しておきます。幸い一度仲直りしてからは妻を怒らせることなくすごしています。ここ数日はかなり平和です。これは皆さんからいただいたアドバイスのおかげだと感謝しています。本当にありがとうございます。
娘はまだ毎日咳をしています。1日中ずっとではないですが、朝、夜はそれなりに(1分~2分くらい連続で)。嫁はやはり病院にいく必要性を認めていないようなので、私からは言わないように今はしています。「こう思うんだけど、どう思う?」と聞きたいのですが我慢しています。本心では「病院に連れて行って医者に見てもらって、なんでもないならなんでもないと言ってほしい」と思っています。夜娘が寝ているときに咳き込んだりしているのを聞くと心苦しいですが・・・。明日土曜日なので、寝室の掃除をがんばってして、それでも改善なければ、嫁の機嫌がいいときに相談しようと思っています。
嫁はちょっと前から幼稚園のイベントのために手作りの品を作っており、その作成が前から気にかかっていたようなのですが、先日完成し、ほっと一息ついているところのようです。毎日の朝の「おはよう」の声が元気です。機嫌が悪い日は朝起きたら挨拶もまともにしてくれない日もあるので凄く嬉しいです。
(10月19日追記)
また今日の朝も妻を怒らせてしまいました。これだけ毎日夫婦のことについて考えて、関係を改善しようとしているのに、です。想いばかりでまだまだ行動が伴っていません。悔しいですが、またがんばります。仕事から帰ってきたら機嫌が直っていたのが救いです。
先日妻から、「ここまで咳が継続しているから私もこの新型インフルエンザの状況じゃなければ病院に連れて行きたいんだけど・・・」という話がありました。ただ近所のいきつけの小児科が今新型インフルエンザの影響で患者があふれているらしく、素人判断ながら「今はやめておこう」という話になりました。娘の咳はちょっとよくなったようです。気合を入れて掃除したのがよかったのか、以前に比べれば夫婦喧嘩の頻度が少なくなったのがよかったのか。
(2011/04/06追記)
ものすごく久しぶりに更新します。ここの事は妻を怒らせるたびに思い出して自分の未熟さを再認識するために、数か月に一度程度読み返してました。色々トラックバックをいただいた皆様、本当にありがとうございました。きちんとお礼も言わずすいませんでした。おかげさまで家族一緒に山あり谷ありながら楽しく毎日暮らしています。そして、妻のお腹の中には3人目の子供がいます。あいかわらず妻が怒り出すことはよくあるのですが、この日記を書いたときよりも、妻の気持ちがわかるようになっていると思います。
震災があって、原発の問題があって。あまりの惨状にまだ日常生活を取り戻し切れていません。被害に合われた方に心からお見舞い申し上げます。
我が家は原発から200Kmほどのところに住んでいます。一連の流れを読んだ方なら想像に難くないと思いますが、私は放射能の影響をすごく心配しています。本当は妻と子供には親戚のところに疎開してほしいです。一方、嫁は楽天的で意見が合わないです。そしてやっぱり喧嘩にもなりました。妻は「乳児は飲んではいけない」という水道水ですら妊婦の自分ものみ、2歳と5歳の子供にも飲ませ、最悪子供が癌になっても構わないと言います。やはり私はまったく理解できず戸惑う日々です。が、なんとかお互いの許容できる範囲で行動のすり合わせを行っているところです。
まさか自分でも入院するとは思っていなかったので驚いた。しかし、生来そんなに思いつめる方では無かったので、すぐに楽天的に考えることができた。これは、会社を休んでゆっくりできる良い機会であると。
入院中は、一日三回の体温検査と血圧検査を行う以外は、基本的に自由行動であり、気ままに本を読んだり、PSPでゲームしたりした。また久しぶりに朝からワイドショーを見たりして過ごした。たまに友達や同僚、家族が面会に来てくれ、世間話などを行った。こうして、瞬く間に一週間が終わり、とうとう退院した。概ね楽しく、ゆっくりできた一週間だった。まるで大学生に戻ったかのような錯覚に陥った。
そんな中、現実に引き戻す一件の電話が入った。祖父からだった。
「二度と同じ過ちを繰り返すんじゃないぞ」との一言をもらった。この言葉を聞いた瞬間、嫌悪感と共に、吐き気と眩暈に襲われた。
その後も、「気が弱っているから病気になる」「病気という経験から、学ぶように」と色々なアドバイスをいただいた。確かにどれも正しいことなのかもしれない。しかし、愚かな僕は素直に言葉を受け取ることができなかった。
なぜなら、僕が欲しかった言葉はこんな言葉ではなかったからだ。確かに酷い病気ではなかったのかも知れないが、「無事でよかった」という一言が欲しかったのだ。
これは甘えだろうか。もう退院して健康になったにも関らず、まだ僕はねぎらいの言葉を求めていたのだ。確かに祖父は正しい。もう病気からは回復したのだ。今は病気を反省し、自分の行為の何が問題点として摘出できるか、考えるフェーズに入らなければならないのだ。
社会は僕が思っているよりも厳しいところで、病気は過ちとなり、なってはいけないものなのだろうか。そもそも病気は人の意思でコントロールでき、二度と繰り返さないように努力可能なのだろうか。
僕は明日から強い意志で病気にならないように過ごすだろう。だが、病気にならないように強い意志を持つことは、最も病気になる可能性を秘めているのではないか、と思わずにいられないのだ。
来月、実家に帰るのを急に迷いだした。
コミュニケーション能力といってもいろいろな能力があると思う。
先天的なもの、後天的なもの。後天的なものは技術と同じで練習していけばどうにかなりそう。
子供の頃、モノマネとか顔まねとかがすごく好きで友達や周囲を笑わせるのが好きだった。よくやっていたのがテレビのものまねで、大河ドラマのワンシーンなどを演じてみせると親や兄弟が大笑いしてた。伊達政宗が大好きだった。風呂に入れば入浴剤のCMのナレーションのまねをしていた。入浴剤の裏側の「効能」をいかにもそれらしく読み上げるのが好きだった。
今となっては、これらが私のコミュニケーション技術を磨いていたのじゃないかなと思う。発声や滑舌、表情とそれを読む力。
すごくコミュニケーションの高い人に「コミュニケーション力ってなんだと思う?」と聞いたら、「声の大きさ」と答えていた。なるほど、と思った。確かに話をさえぎって持っていく人とかは声が大きいし、声の大きさはひとつの力だなあと思う。技術を身につけるには、腹筋と発声練習と姿勢からではないかな。あとは笑顔。顔筋を鍛える。
で、またこれらのコミュニケーション能力とは別に、社交好きかそうでないかという先天的気質の問題もあると思う。社交好きでコミュ能力の高い人は問題ないし、社交好きでないコミュ能力の高い人や社交好きでないコミュ能力の低い人は特に苦労がない。
「では、なぜ祖国に帰らないのか?」
帰ってきたのになんで助けてあげないの?
それと同じだと思う。
3世、4世の代になったらさ、
「夏休みどこ行くの?」
「親の実家に帰ります」
「あ、韓国?」
「いえ、愛知です…」
みたいな話は普通にあってだね。
って聞かれてまともに答えれる?
米国だってWW2戦時中は日系移民を拘束したり,9.11後はアラブ系住民を監視したりしたわけで。日韓関係が悪化したときに本当に日本側につくのかって懸念は完全に同化されるまで消えないと思う。
えっと、それらの行為が正しいと思って書いているのかな?
もしそういうことをされても、なお日本側に付けって言うのだとしたら楽天的過ぎないかね?
不信には不信で応えるしかない。
信じないと思うけど、もし万が一悪化したら、僕らが一番ニュートラルだと思うよ。
両方の意見を見聞きすることが出来るし、上記のような対応をされかねないから、一番困る立場にいるわけだ。
「上海株式指数が年初来、30%上昇し、鉄鋼価格が20%あがり、運輸の移動人口が急増している。政府の景気刺激策は天文学的であり、まもなく景気回復へ」と。
一月の貸し出しは1兆6200万元に達し、資金需要が旺盛なことは確実だが、これは中国の企業が金利安を見越して、一月まで待って集中して借りたからだ(ウォールストリートジャーナル、2月27日付け)。
同様に鉄鋼価格の一時的上昇は、政府のプロジェクトを見込んで投機筋がまた買い占め行為を行ったからで、先週ふたたび6・3%の下落を示した。
上海の株式指数も同様で再下落傾向にあり、回復の兆しはない、と同紙は予測している。
輸出は対米、対EU向けの激減が回復しておらず、上海の工業生産指数は12・7%下げている。
この注意の意味するところは、別に偏見や先入観を無くそうってことじゃない。
ああ、このフレーズ……
やな響き(笑)
ボクの言う注意とは、↑のような敵対、対立を意味しない。
だって、偏見や先入観と対立する概念って、正しい物の見方だろう?
もうね、ボクはね、正しいとか本当とかいう言葉が出た時点で
脊髄反射で拒否反応をおこしてしまうタチなんだ。
だって、頭が悪くない?アメリカは鬼畜、日本は神州。あれが悪くて、こっちは正しい。この構造。
本当の友情。正しい教育。そう、偽善の匂いがするのも、気に食わない理由の一つ。
『目からウロコが出ることと、目にウロコが入ることは、どうやって区別するんだろう』
じゃあ、ボクの言う注意は何を意味しているのか?
そして、複眼的なものの見方
この二つに、尽きるんじゃないかな。多分。
さっきの、偏見や先入観と敵対する考え方は、単眼的思考だよね。
偏見は間違っている!だもんね。視野が狭いって、うまく言ったもんだよね。
また、ボクは相互理解が平和をもたらすという考えも、極めて疑わしいと思ってる。
だって、もし、極論すればだよ?自分のすべてを他人が理解したとして、その人たちはボクを好きになってくれるかしら?
好きにならなくてもいい。憎まずにいられるだろうか?
人間という生き物の、欲望がもうちょっと少なければ、相互理解は平和をもたらすかもしれないけどね…。
知れば知るほど嫌いあう可能性だって、十分ある。
ボクはさっき、↑のフレーズを視野が狭いといった。こういうことを本気で考えてる人がいるなら
そのひとは幸せである。視野が狭いということは理解の及ぶ範囲が狭いということである。
彼は理解の困難さを理解していないがために、相手方をたやすく理解する。
理解の正体は誤解である。自分が理解していると誤解しているひとは、そうでない人より、ずっと楽天的に
相手と向き合うだろう。そのことは、少なくとも楽天的でないよりは、平和共存に近づくのかもしれない。
ただしその平和は、あくまで利害の及ばない範囲での、蜃気楼のようなものなのだが。
----------------------------------
追記
もうね、ボクはね、正しいとか本当とかいう言葉が出た時点で
脊髄反射で拒否反応をおこしてしまうタチなんだ。
しかしボクは、一方が正しく一方が間違っているという論理に、驚くほど浸っている
失敗しているとき、人は自分が失敗していると気付かない。
だから、対話というものは、やはり重要ですねー
緊張すると、しかめっ面になり、傍から見ると嫌われているようにしか見えない。話かけても無視する事も多々(内心、困惑してるだけ)。
話の共通点がある人位しか話せない。話のウマの合わない姉とは、結婚してから話せていない。
所謂、1つの非コミュである。だが、親父は社会的地位を利用して嫁を手に入れている。
基本、厭世家だ。生きていても良い事なんてないと思っている。無駄に自分を謙遜する。自分がどれほどダメ人間かを、他人に語ってしまう。
ややウツ気味なところ。
もうどうにかして、この親w
育ててくれたのは感謝してるけど、こういう性格なのはちょっと恨んでます。
割とスポーツマンという、良い点は似なかったのにね。
楽天的な母に似たかった…
うーん。「何がしたいのか」は自分なりにもある程度理解できてはいるんですけど
「そのために何が問題か」、「何をどのように改良すればOKか」というところはまだどうすればいいかわからない…です。
とりあえず、今日メインの指導教員のところへ相談に行ってきました。
「他の指導教員は修論かけるか不安がっているようだけれど、僕はそんなに心配していない」という返答だったのが唯一の救いだったかな、と。
研究に関する話題で相談できる相手、アドバイスを求められる相手がメインの指導教員しかいない、
自分で「ゴールへ向かって前に進んでいる確証」を持って研究してると(少なくとも今は)思えない、
などのように、色々不利なところがあるけれど…やるしかないんですよね。
がんばれば、きっといつか結果が出るはずだから…。
と自分に言い聞かせながら、今は研究室で論文のサーベイとかやってます。
卒業研究のときは、なんだかんだ言って比較的楽に研究できたはずなのになー…
やっぱり悔しいのは変わらないや。
けど、返答ありがとうございました。
なるほど。
楽天的に考えるためのお答えをいくつか返しておくと
・就活ははったりで意外とのりきれる。その気になれば。「難しい研究内容にとりくんでいるため、現時点ではわかりやすい成果は見えていませんが、将来的には周りの連中なんざ、勝負にならないほど重要な研究をしてますぜ」的な。あとは、研究内容とか、就活にとっては意外とどうでもいいことも多いからね。そんなに気を重くする必要はないと思われ。
・基本的に、「自分に能力がない」と考え始めるのは、負のサイクルに陥って、憂鬱スパイラルなので、考え方をかえるのが無難。研究というのは、研究者の能力だけじゃなくて、研究課題の難易度や、研究している環境、タイミングといった外部要因もかなり絡むので、あなたに能力がないかどうかは切り離して考えたほうがよい。難しい研究内容に取り組むと、どんな人でも時間もかかるし、どうしようもない。そこで、課題を「解ける課題」に設定しなおす能力が研究者としての素質だったりするけれど、まあそれは修士課程なので、そこまで無くても仕方がない。修士課程ぐらいで、課題設定がさっくりすすむような研究をしている人というのは、基本的に、課題設定がしやすい枠組みがすでにできあがっている分野で勝負しているだけなので、別にそこで課題設定ができるのはそんなに偉いことではない。逆に課題設定がしにくい分野で、どう課題設定/研究計画を創るか、ということを考えることのほうが、ある意味ではよっぽど研究とは何か、ということの本質に関わる訓練をしていると言えなくはない。これは就活のときにも、おそらく重要で「すぐに答えが出るような問題に取り組んで、「作業」として研究をするのではなく、どうやってオリジナリティのある課題を、ほとんど何もないところからものにしていくことができるのか、ということに取り組みたいと思ってやってきました。そのことのほうが、よっぽどおもしろいし、よっぽど得難い試行錯誤だと思っています。もちろん、成果がでなければ、ただの若造のたわごとになってしまいますが、どうにかして、難しい分野で成果を出すための方法を模索していきたいと思っています。こうした経験は、研究だけでなく今後の多くの仕事において活かせるだろうとも思っています。」とか言えばよい。
まあ、自分が難しい分野にとりくんでいるのだ、という誇りを持てれば無問題。
それが難しいのであれば、研究課題を変えて、教授の指導してくれそうなテーマとかで無難に変更したら、問題は解決すると思われ。
自分で課題設定するのは大変だからね。修士一年のはじめ数ヶ月なんかで、自分の能力に結論だすのははやすぎる。自分の能力に関しては、もっと楽観的になっていいと思うよ。