はてなキーワード: 運動方程式とは
1. 古典力学 (Classical Mechanics):
古典力学では、粒子の運動は時間 t の関数 q(t) で表され、ニュートンの運動方程式を満たすのだ:
q̈ = -U'(q)
ここで、U(q) はポテンシャルエネルギーである。運動方程式は、ラグランジアン L(q) = 1/2q̇² - U(q) に基づく変分問題として再定義でき、作用積分 S(q) = ∫ₐᵇ L(q)dt の極値点として運動を記述するのだ。これは、最小作用の原理とも呼ばれるぞ。
2. 古典場の理論 (Classical Field Theory):
古典場理論では、粒子ではなく、連続的な場 φ(x,t) を考えるのだ。この場は部分微分方程式に従い、例えば波動方程式
□φ = 0
で記述されるぞ。ラグランジアン L(φ) は微分多項式であり、作用積分 S(φ) = ∫_D L(φ)dx dt を極小化することによって運動方程式(オイラー-ラグランジュ方程式)が導かれるのだ。
古典力学と異なり、量子力学では粒子は古典的な軌道を持たず、確率的に動くのだ。ブラウン運動をモデルにして、粒子の位置 q(t) は確率密度
P(q) ∝ e^(-S(q)/κ)
に従い、ここで S(q) = ∫ₐᵇ (1/2q̇² - U(q)) dt は作用、κ は拡散係数である。このような確率的動力学の期待値は、経路積分を用いて計算されるぞ。
量子力学ではブラウン運動モデルを基にしつつ、拡散係数 κ を虚数 iℏ に置き換えるのだ(ℏ はプランク定数)。したがって、量子力学の相関関数は次のように表されるぞ:
⟨q_j₁(t₁) ··· q_jₙ(tₙ)⟩ = ∫ q_j₁(t₁) ··· q_jₙ(tₙ) e^(iS(q)/ℏ) Dq
5. 量子場理論 (Quantum Field Theory):
⟨φ_j₁(x₁, t₁) ··· φ_jₙ(xₙ, tₙ)⟩ = ∫ φ_j₁(x₁, t₁) ··· φ_jₙ(xₙ, tₙ) e^(iS(φ)/ℏ) Dφ
ただし、この積分は複素測度に基づくため、数学的に厳密に定義するのが困難であり、理論物理学における重要な課題となっているのだ。
つまり、(モデル理論における)「数学的構造」の形式的定義と同型性の形式的定義があり、そして実際、これは新しい主張でもなければ、洞察でもないのだが、この意味での数学的構造のすべてのタイプは、形式論理学の意味での理論である。
物理学のいかなる形式化された理論も、この意味での理論である(あるいはそうなるであろう)。これは数理論理学の基本中の基本である。
ここで主張されているように、数理論理学の意味でのすべての理論を物理学の理論と呼ぶべきかどうかは別の問題である。
より興味深いのは、形式論理学の理論が物理学の理論として適格であるかどうかの特徴付けであろう。この種の問題に生涯を通じて取り組んできた一人に、ウィリアム・ローヴィア(William Lawvere)がいる。
http://ncatlab.org/nlab/show/William+Lawvere#MotivationFromFoundationsOfPhysics
Lawvereは、例えば、連続体力学で遭遇するような運動方程式の定式化を認めるある種の無限理論の運動法則のトポスhttp://ncatlab.org/nlab/show/Toposes+of+laws+of+motionについて述べている。これは少し改良して、局所的な場の量子論 http://ncatlab.org/nlab/show/Higher+toposes+of+laws+of+motion も捉えることができる。
いずれにせよ、これらは形式理論、つまり「数学的構造」の一種であり、現代物理学の大部分を形式化することができる。ここでの同型性の概念は明確であり、議論の余地はない。問題は、物理学のどの部分が形式化されるかである。
ニュートンは運動の3法則を提唱したとき、慣性質量と重力質量を区別していましたか?
運動方程式の対象としている質量の単位も当時から、いわゆる「(量りではかったような)重さ」と同じ単位だったんでしょうか?そうだとしたら多分区別してないのかなと思ってしまうんですけどどうなんでししょう?
GMm/R^2のGM/R^2をgと置いたときの、そのgの次元は
概念が異なるなら、このmは、重力質量(重さ)とは異なる単位と仮定するべきですよね。
そうすると、運動方程式において加速度はa=F/mですが、このF/mと、重力場の引力の式を変形したGM/R^2=F/m(=g)というときのF/mは、次元が同じとは言えないわけですから、gは加速度であるとは言えなくなると思います。・・・1
ma=mgを変形したa=(m/m)gについては(m/m)が無次元量になるから、両辺の残りの次元について、aとgが同じ単位であり加速度だと言えるというよりは、mgの単位がNだから、それを慣性質量(重力質量と異なった単位と仮定されている)で割ったものが、運動方程式のa=F/mの右辺の値と次元が同形だから、(mg)/mという全体として、次元が加速度と同じになる、ということしか言えないと思うのです。・・・2
(つまり・・・1のgと・・・2の(m/m)gや(mg)/mは別物)
重さの単位と慣性質量の単位はどちらも一貫して同じだったのでしょうか?
少なくとも両者が異なる概念だと知っている現在は同じ単位を使っていますが、運動方程式を考えた瞬間からそれはいわゆる重さとは異なる概念だと自覚していたなら、これには違う単位を設定しよう、あるいは重さの方の単位を変えるべきだと呼びかけたりはしなかったのでしょうか?
dragonflyさん
2022/5/5 16:37
↑え?これって速度と力がかりに値が全く同じ世界だったら単位が同じでいいって言ってるかのような理屈になってね?そんなわけなくね?
究極理論がわからない現状、もし仮に「我々の世界が不安定な真空にいる」ことを仮定すれば
相応のエネルギーを加えて真の真空に落とす(相転移させる)ことで物理法則が変更されるという
人為的ネオエクスデス「うちゅうの ほうそくが みだれる!」 ができますね。
イメージ的には過冷却です。すでに相転移が起きているのに気がつかないで元の真空にとどまっています。ちょっと突くと一瞬で凍ります。
現に、新しい加速器が作られる度になんかスゲェ無理矢理な模型を作って「加速器のせいで世界が滅びる!」系の論文がarXivに投稿されたりします。意外と増田と同じことを考える人がいるんですね。ただしこれらの論文は一瞬で否定されます。なぜならば、加速器で作るビームなんかよりも中性子星ガンマ線バーストのほうがよほど強いからです。宇宙強い。人類の技術は弱い。驕るなよ人類。
前から不思議だったけど、これらの法則って経験から導き出されたものであって、その法則がどうやって存在してるかは不明なんだよな
以下、意味は取らなくて良いので流れと単語だけ拾ってください:
たとえばエネルギーの保存は時間方向の並進対称性、運動量保存則は空間方向の並進対称性から、角運動保存則は回転対称性から導き出されるといえるでしょう。
(相対論的には時間と空間は同時に取り扱うのですがちょっと難しくなるので簡易な書き方をしています)
時空の対称性が決まる → ラグランジアンが決まる → オイラーラグランジュの方程式(運動方程式)
ここまでよんだ?
なら次は、ランダウ・リフシッツ「力学」の最初の20ページくらい読んでください。
前提知識は微積分です。ここまで読めば上の文章はだいたい理解できるかと思います。
そして次にあなたはこう思うでしょう
「最小作用の原理っていったいなんなんだ? 世界はなぜこんな原理に従う?」
そう思ったなら次は量子力学です。JJサクライ「現代の量子力学」の経路積分のページまで読み進めましょう。
ここまでくれば霧が晴れるように見通せるようになるはずです。
物理理論とは何であるかが把握できるかと思います。ここから先はご自由に。
なお、JJサクライは物理科ではちょっと ’進んだ’ 内容とされています。普通は2冊目に読む本ですね。が、ハテナーにとってはむしろ読みやすい本かと思います。だってどうせ君ら情報系でしょ?なんかプログラムとか書ける人たちでしょ??なら、ブラケット表記の方が慣れていると思うんですよ。たぶん見ればわかるよ。
むしろ、通常の議論で無視すると言ってるのは、標高による誤差ではなく、自転によるメインの遠心力の方であって、でもそれは無視するかしないかじゃなくてそもそも慣性力としては現れないんじゃないのって話。
地表の座標系の加速度、に対して
エレベーターの加速度:地表の座標系の加速度+(標高分の誤差+エレベーターが上昇する加速度)
でも、運動方程式に現れるのは(標高分の誤差+エレベーターが上昇する加速度)だけじゃないの?ってこと。標高分の誤差はむしろ無視できない。
非慣性系の座標系同士が慣性系に対してそれぞれ同じ加速度を持っている場合は、一方の慣性系の運動方程式を立てるときに他方の慣性系の加速度は項として現れないと考えて合っていますか?
エレベーター内の物体の動きというようなものをを考えるとき、地表面を慣性系と考えていいのは、遠心力やコリオリ力が小さいから「無視できる」というふうに聞きました。
でもこれって「無視できる」んじゃなくて「無視するまでもなく存在しない」と表現するのが妥当な気がしたんです。
地球は自転も公転もするのでその地表面は非慣性系であるのと同時に、エレベーターや電車の中での動きみたいな地上で行われる日常的な物体に対する物理的考察は、基本的に地表面を基準として行われていると思います。
地上でエレベーターが静止している場合、エレベーターが存在する地表(に固定した座標)と、エレベーターに固定した座標は、理論的には全く同じ加速度でこの宇宙内を運動しているはずですよね。
そしてエレベーターが上昇すると、エレベーターに固定した座標の加速度には、地表と同じ加速度に上昇運動分がプラスされているだけという形になると思います。
このとき、エレベーターの中の物体に対して運動方程式を立てるとき、慣性力として現れるのは、「無視できる」からとかじゃなくて、理論的に物体の質量にエレベーターの上昇運動分の加速度のみをかけたものになると考えて合っているでしょうか?
参考書で慣性力を考えるとき最初は(慣性系から見た物体の位置ベクトル)=(慣性系に対する非慣性系の原点の位置ベクトル)+(非慣性系からみた物体の位置ベクトル)という式を立てて、これを二階微分して出る加速度の関係式を運動方程式に代入するというやり方でした。
ようは、慣性力は、二つの座標系の関係性のなかで論じられているのだと思います。
そうするとこれが、地表と地表に対して動く物体内の物体という、非慣性系が二つ出てくる場合には、非慣性系の座標系同士の関係性のなかで同じように論じられる。そして上記のやり方だと、慣性系そのものの位置ベクトルないし速度加速度を考えなかったのと同じように、一方の慣性系の加速度、地表を基準とするなら地表の加速度は考える必要なく、運動方程式にも地表の加速度に由来する慣性力は現れようがないのかなと直観的に思いました。
ただ、慣性系一つに、非慣性系二つという三つの座標系を仮定して式を導くというのが、自分の計算力不足で煩雑になりすぎてお手上げだったので、本当にそうなるのか自力では導けませんでした。
実際はどうなのか回答していただけるとありがたいです。
でもそもそも慣性系っってどこにあるんですかね??太陽系も銀河系に対して公転してるらしいし、銀河系も公転してて、というか時空間自体静止せず膨張してるというのであれば慣性系ってそもそも存在するの?ってなるんですけど。
海外のソースを参照して、運動方程式における因果性について調査しました。以下にその結果をまとめます:
以上の情報から、運動方程式における因果性は、その理論や文脈によって異なる解釈が存在することがわかります。したがって、具体的な状況や問いによって、適切な理論や解釈が変わる可能性があります。¹²³
(1) Causality in gravitational theories with second order equations .... https://arxiv.org/abs/2101.11623.
(2) Causality in gravitational theories with second order equations .... https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevD.103.084027.
(3) [quant-ph/9508009] Nonlocality as an axiom for quantum .... https://arxiv.org/abs/quant-ph/9508009.
(4) www.repository.cam.ac.uk. https://www.repository.cam.ac.uk/bitstream/handle/1810/319156/causality.pdf?sequence=1.
(5) undefined. https://doi.org/10.48550/arXiv.2101.11623.
(6) undefined. https://doi.org/10.1103/PhysRevD.103.084027.
常々思っていること。
「数学」と「物理」は、同じように「数式」を用いて表記するが、その意味するところ、読み方は大きく違う。
1+1=2
この右辺と左辺に因果関係も上下関係もない。1と1を足したら2になるし、2は1と1に分けられる。
F=ma
と書くとき、ここには「読み方」の順序がある。
ニュートンの運動方程式の場合は、左辺が「原因」、右辺が「結果」を意味している。
「Fという力が加わると、質量mの質点に、aという加速度がかかる」と読まなければいけない。
決して、「質量mと加速度aがFという力になる(?)」という意味ではない。そんな因果はない。
こういう、数学的な等価性の読みを、数学以外の科学に持ち込むことで、混乱を招いている状況が非常に多い気がする。
等式の左右は同値であっても平等ではないし、プラスとマイナスはただ符号を入れ替えたものではない。
数式は、科学を記すにはまだちょっと不完全な方式なのではないかと思うね。
※追記
元増田(このツリーの元エントリは誰かがコピペしたやつなんだが)だけど、俺は個人的には統計的因果推論は意味がないことが多いという立場だな。
誰かがF=maって書いてたけど、ニュートンの運動方程式も本質的に因果か相関かを区別することは出来ないように思う。物理学はそれが因果か相関かはどっちでもいいという構造になっていてそれで問題ないんだよ。場の運動方程式のグリーン関数みたいな話は因果っぽい発想が表に出てるけど、運動方程式そのものが因果かどうかというのはやっぱり分かんないしね。
あと、「擬似相関」という言い方は「相関関係はあるけど因果関係はない」という意味で俗に使われているけど、相関は相関で因果とか関係ないので、相関そのものが「擬似」ということはない。擬似相関という言い方はやめろと思うね。
https://www.sankei.com/west/news/201021/wst2010210011-n1.html
さっそくはてブでは、やはり大学生か〜みたいな大学生叩きを始めてるやつらもいる。
確かに、大学生はサークル繋がりで飲み会を開く習性を持つ人は多いし、飲み会を開いて集団感染を引き起こしたことは全くフォローできない。
こうして、ネット上では飲み会を開く方向にベクトルが向きやすい大学生を叩く人は多い。
でも、なぜか経済を回すっていう建前でGo To Eatとかいう飲み会奨励策をやってる政府に触れようとする人は少ない。
Go to eatは全く宴会、飲み会に対しての抑止的なことは行わずに外食を支援している。つまり、飲み会を奨励しているとも言える。
大学生の飲み会開きたがりをネットリンチで抑え込もうとする動きに対して疑問を持つ人は少ない。でも、Go to eatが飲み会を開きやすくしている事に対してはネットリンチが働かない。
やっぱり、インターネットは上から下へ権力のかかる方向に対して、圧力は権力方向に従って働くという権力運動方程式がこうして現れているということなんだろう…
高校卒業者のいったいどのくらいが、中学卒業程度の知識を持っているのだろうか?
有名人がテレビやネットで発言しているのを見聞きするたび、半分もいないだろうと思う
高校で勉強させられることと言えば、三角関数、数列、ベクトル、微分積分、
運動方程式、気圧と温度と体積の関係式、絶対零度、遺伝法則などなど
高校レベルの三角関数を知っていればメルカトル図法の問題点は理解できる
運動方程式を知っていれば映画のウソが気になって夜も寝られない
e.g.東野圭吾原作の映画で、ヘリから落下した子どもを追って自衛隊員が降下する
当然追いつくはずはないのだが、なぜか雲の中で追いつき、
パラシュートを開いた隊員が子どもを抱いて、雲の中から出てくる
しかしこのようなことが就職する際求められるかといえば、そうではないだろう