はてなキーワード: 脳科学とは
当時暴力を振るわれており、明らかに金づる扱いされていた友人に、カウンセリングを紹介したりアドバイスをしました。
もちろん、ただ別れなと伝えても好きという感情は複雑なので、客観的に見れるように、彼氏のいい面と悪い面を並べて、
うわ、追記をみたら凄いわかりやすい例が。
わかった、頭固いんだってのがハッキリ。
いわゆる直情傾向なのかもしれないのと、
「友達が駄目男にハマってて、辛そうで、
でも忠告しても別れられないって言って止めない」
なんての。
これどういう事だ?ってかつてみんな疑問に思ってたんだけど、
どうやら
「自分は役に立てるって自信を持てる」って事に
っていう原因が分かったらしいんよ。
その根本に有る、
別の依存先(もしくは熱中先)を見つけてあげるとか、
半年〜3年待つ(それまで高額の借金などの、後々まで尾を引いたり致命傷になる物だけ止めてあげる)、
などが考えられたんよ。
他にもこういう話題に非常に慣れてる人が多い
という裏や根本を考えない、考え方の直情傾向が強そうだなぁと
長文&キツイ言い方になってごめんよ
グローバル(笑)っつうか基本中の基本、浅〜いところを知りたかっただけでしょ?
そこで精神薬理学ではなくて脳科学が出てきちゃうあたりがトーシロの限界なのかなと思ったけど
なんかドヤ顔でメタアナリシス読みましたとか書いてるけどメタアナリシスの中にも質の低いものはあるし、論文を批判的吟味できない人が読んでも害悪なだけだよ
(メタアナリシスだというだけで内容をよく吟味せずに鵜呑みにしたりね)
んー、そこはあまり興味ないかな。脳科学、と言って私が意図していたのは、そもそものドーパミンとADHDとの関係とか、もう少しグローバルな話。
一般書なんて、1-2冊読んだらあとは全部同じことが書いてありますよね。セラピストや医者向けの手引きとかを英語を含めて一通り見た結果の数十冊です。あと、メチルフェデニートとか、治療方針に関して、メタアナリシスの論文を数本読みました。ドーパミン再取り込み阻害というのをちゃんと理解するため、脳科学の本や論文にも手を出しました。
努力の定義によりますね。小学生のよくやる努力「忘れたりなくしたりしないように気を付けて頑張る。」は苦しいだけなので、その方向に進むのは直ちにやめるべきです。もし、認知行動療法のことを「努力」と呼ぶなら、もちろん効果はあります。そこまでいかなくても日常生活へのアドバイスとか。でも、それは、日本語では「工夫」と呼ばれるべきで、「努力」という言葉を使うのは不適切です。
https://anond.hatelabo.jp/20170831173534
「理由があれば子供は殴っていい」っていう価値観を持つ人が結構いるようだ。
この考えをする人は、子供の頃に大人から、なんらかの暴力を振るわれてしつけられたんだろうか。
だからそれが当たり前なんだと考えているんだろうか。
これは、いってみれば「古いしつけ観」なんじゃないかと思う。
僕はそれには反対だ。
脳科学的には、恐怖によるしつけは扁桃体の過敏性を高め、「何故駄目なのか」という理屈を理解することなく、ただ「怖いから」大人のいう通りに行動するようになるのだという。
理由があれど、叩かれれば痛いし、髪をつかまれれば髪の毛は抜けてしまう。そして恐怖の記憶は脳にダメージを与える。
相手が自分と比べて強い立場だったり、力関係で上であったりする場合には、さらに深刻だ。
「やめて欲しい。」と言いにくいし、立場の違いが作用して、「叩かれたのは自分が悪いからだ」という思考をしてしまうこともよくある。
現在では「セクハラ」とか「パワハラ」とかの言葉が普及しているが、一昔前までは、権利侵害を受けているのに被害を訴えることも、救済してもらうことも難しかった。
これも、一つには立場の違いや力関係の違いが作用していたのだ。
「セクハラ」や「パワハラ」の問題がすこしずつ社会で認知されたように、
「理由があれば子供は殴っていい」という問題も、この社会ですこしずつ知られていって欲しいと思う。
僕は、「古いしつけ観」を「こどもの人権」の視点から見直す必要があると考えている。
みんなの意見をききたいもんだ。
すまんな3年越しに返信に気づいたわ。
勉強になる。
と、書いてもよいと言われた。
結論がなく、その辺でうねうね行ったり来たりしているだけの文章。
(と書いて、その意味を理解してもらえるだろうか、と逡巡する。)
そんな雰囲気だ。
ある人のお母様について。
割と良い母親だ。
(ちなみに、お父様も良い。)
人は、スタートの段階では、生と姓とを受け入れなければならないことになっている。
平等権?
あぁ、それは、親くじを引く機会がみなに平等にある、ということ。
「自分の目」を「他人の目」と勘違いしているような、松本人志の話を快く聞くような、よくいるおばちゃんだ。
(ここで、おばちゃんという属性は、特に、なにも意味していない。ぽりてぃかる☆これくとねす)
もっと具体的に言えば、これまで、酵素・コラーゲンとか、「○○人は」「○○教は」とか、まぁ、共感性羞恥?を生じさせるような、それ以上先を言わせたくないような、何と言うべきか、イタイことを言うような人だ。
彼は、内心、そういうことを公言するのをやめさせたいと、心配らしい。
また、今後、年を取って、多くの他人に頼らなければならなくなるかもしれない。話が通じない人になっても困る。
他方で、田舎育ちの高卒専業主婦にその辺の選別をさせるのは、今のままでは本人のライフスタイルを無理に否定するようで、心苦しい。
(言い換えれば、手続を踏んで、根本から変えていきたいということ)
「親は、実は、現在の自分から見ると、馬鹿なのではないか。」と気づくタイミングは、人それぞれだ。
(もちろん、馬鹿じゃない親もいるかもしれない。また、馬鹿でも「しゃーねぇなぁ」となるのが家族だろう。)
反抗期の時に気づくかもしれない。
もっと子が成長し、親が衰えた時かもしれない。
彼は、遅かった。
と脱線した。
この一年ほど、やっているらしい。
何やら、メルカリで本を買っていた。
第一段階として、本を読むだけ良しとしよう。
何かしらプラスになるだろう。
そこまでは、とりあえず・・・?良かった。
なるほど、そう来たか。
(ここで「『前頭前野が弱い』のは誰か。」と尋ねてくるやつは、嫌いだ。)
差異の体系を構築することができない。
みじん切りにされた個々の情報を、自らの感性と直結させている(だからキレやすい)。
他者との間で、コミュニケーションが成立していないことがわからない。
(と、ここに書きなぐっても、コミュニケーションは、私と読者との間で成立しないだろうが。)
・
・
・
そして、一番は、自尊心がない。
しかも、本人がやる気なら、ある程度、解決することもできるだろう。
だったら良いじゃないか。
(逆に言えば、彼女は、雑談の延長から離れて、核心に触れる話をすることができない、ということでもあるが。)
何より、本人は、それを直すつもりがないようだし。
と、宙吊りで終わる文章。
どういたしまして。
「人の不幸を喜ぶ」については。Schadenfreude というらしいです。
http://psy.keiomed.jp/nshinri.html
巧妙な心理課題とfMRIを組み合わせた本研究の結果は大きく三つある。第一に、妬みの感情には前部帯状回が関連していること。第二に、妬みの対象の人物に不幸が起こると、線条体が活動すること。いずれも重要なデータであるが、前部帯状回が葛藤を処理する部位であり、線条体が報酬に関連する部位であることに鑑みれば、ここまでは従来の研究を同一平面上に拡大した結果であるとも言えよう。
本研究の圧巻はここからである。妬みに関連する前部帯状回の活動が高い人ほど、他人の不幸に対して線条体が強く反応する。それが本研究の第三のデータである。「他人の不幸は蜜の味」と強く感じる人と、それほどでもない人はどこが違うのか、それについての脳内メカニズムの一端を明らかにしたこの結果は、人間の感情についての脳科学に、立体的に新たな次元を書き加えた画期的なデータである。
一部引用であり、全文ではありません。
ご興味おありでしたら。全文お読みください。