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2023-12-16

岸政彦氏の「社会学における大風呂敷を広げた預言者批判について

人生を変える社会学──『岩波講座 社会学刊行にあたって

https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7681


なんだか絶賛的な評価が多いみたいようだが、社会学門外漢だけに、個人的にはモヤモヤが残った。

前回は上野千鶴子吉見俊哉大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさんありました。もちろんそれだけではなく、当時の最先端社会学的な議論をしている論文もたくさんあって、たとえば落合恵美子が実証的な観点から上野千鶴子を強く批判する論文なども収録されていたのですが。

 そのころから比べると、社会学も大きく変わりました。どちらかといえば、より地味な、地道な、実証的なスタイル調査研究をおこなう社会学が求められるようになったのです。今回の『岩波講座 社会学』では、そうした社会学者が中心となって執筆します。特定対象特定問題に、特定理論特定方法を携えて実直に調査研究を続けるような、そんな社会学者たちはこれまでたくさんいたし、いまもたくさんいます。いま、この社会にとってほんとうに必要なのは、「職人的」な社会学者なのです。

要するに、この講座のシリーズ全体でおこなうのは、社会学のものの再定義です。もっといえば、これは「本来社会学」へと立ち戻ろうとする試みです。社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない。私はすでに、2018年有斐閣から出版された『社会学はどこから来てどこへ行くのか』という対談集で、そのような趣旨のことを述べています



まずここで説明されるべきは、「地味な、地道な、実証的なスタイル調査研究をおこなう社会学が求められるようになった」理由であり、そしてかつてはそうしたもの忌避(あるいは小馬鹿に)されていた理由である。例えば、社会学という学問の発展の結果なのか、社会経済的環境の変化や取り組むべき新たな社会問題の登場の影響なのか、社会科学研究全体のトレンドの変化の影響なのかが、きちんと説明されるべきである。上の文章はそうした説明が一切なく、以前の社会学は中身がからっぽだったが、自分たちが「地味な、地道な、実証的な」もの改善したという、それこそ中身が空っぽなことを言っているだけに過ぎない。


社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない」というのも、別に社会学に限ったことではない。具体的には見田宗介宮台真司のことを言っているだろうが、30年以上前には「大風呂敷を広げた預言者」は、哲学者浅田彰など、社会学以外にも数多く存在していた。現在だと斎藤幸平や成田悠輔の名前が「現代預言者」として思い浮かぶが、彼らは経済学者である社会学者で思い浮かぶ名前はもういない(古市は軽薄ではあるが預言者的では全くない)。


そもそも、「地味な、地道な、実証的な」をくどいほど強調している点で、おそらくはSNS上の社会学バッシングを気にして怯えるばかりの、自分たちの中身のなさを暴露している感じがする。本当に「地味な、地道な、実証的な」人は、そんなことは口が裂けても言わない。ネット上の悪口など意に介さず、自分研究にコツコツと取り組むだけだ。「大風呂敷を広げた預言者」についても、そうした人がなぜ必要とされるのかの現代的な状況について丁寧に分析説明するだろう。

そして後半は、紙の本との出会い大事だというノスタルジック感情論に終始している。もちろん世代的に共感できなくはないが、30年前から情報環境の劇的な変化と今回のシリーズ編集方針との関係について、社会学者として何か分析的な議論があるべきだろう。


かいところだが、「巻数も26あったと記憶しています」って、なんですぐ調べないのだろうか。「地味な、地道な、実証的なスタイル」な人は、そういうところから絶対に手間暇を惜しまない。そもそも、岸氏はネット上の発言しか知らないのだが、それらを読む限り、経済政策論にも安易に口を挟んだりなど、「地味な、地道な、実証的なスタイル」の人には全く見えない。

2019-08-22

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2017-10-09

深夜に食う天下一品のこってりラーメンはなぜあんなにもうまいのか

昨日の夜9時ごろ、にわかに「そうだ、天下一品に行こう」という気持ちが湧いてきました。

思い立ったが吉日ですから、ぼくは天下一品に向かう準備をはじめました。

なにせ最寄りの天一まで車で1時間半という僻地に住んでいるので、なんの対策もなしに

ふらーっとラーメン屋に寄るみたいなことをすると後悔すること請け合いなわけです。

具体的な準備の内容としては音楽を用意しました。それだけです。

ぼくは未だにニコニコ動画にかじりついている時代遅れマンですので

ボーカロイドとか演奏してみた動画から音声をぶっこ抜いていたわけです。

動画ファイルの音声コーデックaacでした。ぼくのスマホではちゃんと再生できます

というわけで、ちょっと前に買った64GBのmicroSD音楽どもをぶちこむわけなんですが、

スマホUSBケーブルをつないでも何かぱそこんがスマホ認知してくれなかったので、

このパソコンはなんてひどいパソコンなんだと憤りながら、スマホからmicroSDを引き抜き、

足の踏み場のない部屋の中からmicroSDからSDへの変換アダプタを探し出し、やっとのことで

音楽どもをmicroSDにぶちこむことができました。

完了したのは夜の10時近くになっていました。かれこれ1時間近く格闘していたことになります

さてようやく天下一品に向けて車を走らせるターンになりました。

わたしの車は家族のおさがりですが総走行距離はせいぜい3万km程度ですのでよい車です。

それにしても深夜の休日田舎道というのはおそろしいものです。

えらいまっすぐでだだっぴろい道路です。人も車もまったくおらんのです。

音楽に乗りに乗っていることもあり、いえ具体的な速度を書くとアレなことになりますので書きませんが、

気づいたらスピードメーターがえらいことになっているというわけです。

これではいかんと思い、スピードメーターをちらちらチェックしながら慎重に走行しました。

しかしこのスピードメーターちら見もあまりよくない対処であるように思われます

田舎特有出来事として、深夜の他に誰もいない真っ暗な道路のわきを、おじいちゃんおばあちゃんがゆっくりと歩いている

なんてこともたまーにあるわけですが、そんなチラ見をしていては、いくら制限速度で走行していたとしても、

彼らに気づけないということがありうるのです。

よってこれに対処する方法としてよりよい解決であると思われるのは、

体内に備わっているスピードメーターの精度を高めることです。

ぼくのような素人が深夜の田舎道を走行するのは大変危険ですのでやめたほうがいいです。

しかしそのときのぼくはどうしても天一のこってりを食いたいという気分がありましたので走行を続行しました。

ところでぼくはVOICEROIDが好きなんですけれども、走行している最中は、いわゆる車載動画のような感じで脳内実況していました。

暗い田舎道を走りながらえらいゆるい雑談をだらだらとしているような動画がぼくの脳内再生されていました。

なかなか楽しかったです。深夜のドライブ醍醐味ひとつであると言っても過言ではありません。

妄想醍醐味というのはどうなんだというツッコミをされるとまあたしかにそれはそうですよねとなります

音楽聴きながら脳内車載動画再生しつつとろとろ運転すること1時間半くらいでしたでしょうか、

やっとのことで天下一品につきました。

侵入には右折が必須なのが面倒なので、以前はわざわざ回り込んで左折進入することもあったのですが、

今回はいい感じで信号が変わってくれたので右折進入しました。

深夜で交通量が比較的少なかったことも影響していたかもしれません。

ここの駐車場住宅街の中にありまして、排ガスを家にぶっかけないためにも前進駐車でお願いします、

みたいな看板がありましたので、看板に従いまして前進駐車をしました。

しかしぼくは前進駐車がえらい苦手なので正直いやだなあという気分もありました。

ぼくはバックが下手くそなんです。

前進駐車してバックで発進するのと、バック駐車して前進で発進するのとを比べると、

個人的には後者の方がめちゃくちゃやりやすいという気持ちがあります

しかしぼくは理性を働かせて前進駐車をしました。これはとてもえらいので褒めてください。

あとで駐車場から出るときはえらいゆっくりでバックしながら慎重に国道に戻りました。

さて天下一品ラーメンです。こってり大を頼みました。

待ち時間竹田青嗣ハイデガー入門を読んでいました。

入門と銘打ってはありますがえらい難しかったです。

それよりもラーメンのことの方が気にかかってあまり集中できなかったので、

なるほど今のわたしはまさしく頽落した実存ちんぽであることだなあと思いました。

そうこうしているうちにラーメンが届いてきまして、食いました。おいしかったです。

やや麺が粉っぽい感じがしないでもないでしたがスープがおいしかったのでどうでもいいです。

しかライスを頼むのを忘れていたのは痛恨のミスでした。

ぼくは家系とかも大好きなんですけれども、あれがすばらしいのは

ラーメンといっしょに米を食うとめちゃうちゃうまいところです。

こってりのスープちょっと残ってしまったのでなおさら米を頼んでおけばよかったと後悔しながら飲み干しました。

今度来るときミニ明太子丼セットを頼もうと思います

で食い終わって会計をすませてバック発進しながら天下一品を後にしました。

帰りにローソンによってオレンジジュースおにぎりを買いました。

なんでおにぎりを買ったのかよくわかりません。米への執着が残っていたのかもしれません。

ここのローソンはえらいやる気のないローソンだという印象が残っています

なんというか、さびれた個人商店みたいな雰囲気がありました。

なんか照明が暗かったのがあれだったのかもしれません。

そういえば店長エントリにも照明の効果について力説してたやつがあった気がします。

まあでもこういう雰囲気も嫌いではないので別によいです。

そんでちょっと休憩したあとにまた車を走らせおうちに帰りました。

帰ったら0時を過ぎていました。体感時間との差が大きいです。

もう2時くらいの感覚でいました。なんだか得した気分になりました。

しかし本当に天下一品に行っただけなのでたぶんあんまり得していないです。

ラーメン食うためだけに4時間くらい潰して100km以上車走らせるというのはどう考えても正常ではありません。

ぼくの脳はすでにラーメン支配されていたのです。ラーメン麻薬です。みなさんも気をつけてください。

2014-08-08

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2011-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20110719222017

わかるっつーか、俺好きよ、この文章。いや、釣りじゃなくてマジで書いてんならよ。

何がわかるってよくわかんねー頭ん中うずまく衝動だとか、衝動というか憂鬱で満たされるよく分かんないあれだとか、

こういうグルーブ感で書けるぐらい賢さはあるのけど、だからって俺はこの人生をどうすりゃいいんだってことだとか

ありがちな思考の飛びと流れが分かるし、つーか全部俺も考えたことがあるようなことで

ようは俺にとってあるあるってことよ。なんつーの、モラトリアムあるあるってやつよ。

俺は人の悩みを「それ古典的な悩みだよね」とか言って傷つかせたことがあるけど、たぶん俺のもお前のも古典的なんだよ。

でも、古典的だろうが俺の状態は俺にとっては現在的だからさ、困ったもんだよね。

人生を半分投げたっていうのはさ、中島義道に影響されてんのか、そうじゃないのか分かんねーし、何書いてあったか覚えてないけど

欲望を大事にすればいいと思うよ。これは竹田青嗣に影響されてんだけど。

あと、音楽ダンスが好きな奴はあっち側に逝っちゃわないって菊地成孔が言ってたけど、それも多分同じことでさ。

根源的な欲望っつーか、ブッキッシュなだけな奴は病むよ。肉体に生じる官能的な快感がつないでくれるっつーか。体育じゃだめだ、なんつーか色々と。

俺の場合人生半分投げて、俺の欲望だけ大事にしてから回復してきたからさ。結局、人生のどうしようもない意味ってのを欲望に変換しただけなんだけど。

あいいや、俺も正解見つかんねーし、見つかったら教えてよ。

2010-09-23

ヘーゲルから見る自意識問題という名の厨二病

自意識問題について。

まあ思春期には、「自我」がどうしようもなく膨れ上がる。みんなそうだ。

このころに、つまり言葉一定の水位を超えてあふれ出す時に「思考」が始まる。

そして、現実ではなく、「自己意識の中では」自分は「自由」な存在だということを突然発見する。

若者の「思考」の最大の仕事自分正当化すること、そして自分世界の絶対的な主人公とすること。

そんなわけで、14~15歳前後から世界のすべてを自分流に解釈し、

自己意識の中で激しく「俺は誰でもない俺だけの存在だ」という感覚を確認しようとする。

要するに、思考の自由がやってきて、はじめて人間は「自分という存在のかけがえのなさ」を実感することになるわけだ。

おめでとう。

しかし、ここには問題がある。

第一に、それは「意識」の内側だけの自由であって、その人を取り巻く現実は、やはり親や社会ルールによって縛られ、拘束されている。

自力で現実的な自由の条件を獲得できない大抵の場合、当分は内的な「自由」で我慢するしかない。

第二に、自分自身を世界の絶対の主人公と見立てたいのだけれど、

この望みは誰もが同じようにもっているものだ、ということに気づかないわけにはいかない。

「周りの奴らは馬鹿ばっかで、俺の考えてることはわかんねーんだよ」という人も、

「俺は誰でもない俺だけの存在だ」ということが、誰にもあてはまる平凡な事実だということに薄々気づいている。

「思考の自由」が、人間に「自分だけは特別な存在である」という新しい真理を教えるのだけれど、

その自意識を満たしてくれる「クリエイティブ」で「他者が賞賛」するような職種で成功を収めないかぎり、

それはいずれ挫折する運命を持っている。

そして「別の生き方」を選ぶようになる。

そこにいたるまで我々は自意識問題という名の厨二病煩い続ける。

ヘーゲルはこの「俺は誰でもない俺だけの存在だ」という「自己意識の自由」の三類型ということを言っている。

第一の類型は「ストア主義」。

人々は醜い承認争いをしているが、そんな競争はつまらないものだと「俺だけはよく知っている」と考える自己意識のことだ。

このことで自己意識は、自分価値独自性を、内的に確保する。

「お前ら必死だなw」って奴だ。

第二の類型は「スケプチシズム」、つまり懐疑主義

人の意見の弱点を見つけてはこれを相対化しようとする人が懐疑主義者だ。

どんな意見もちょっと観点を変えればみな相対化されてしまうということを「俺だけはよく知っている」と考えて「自己意識」を確保しようとする。

この2つは、両方とも自分意見、態度、生き方留保しておいて他人の価値を低く見積り、

そのことで相対的に自己価値を確保しようとするやり方だ。

第三の類型は「不幸の意識」。

若者は独自の強力な世界観理論出会うとその世界にどんどんのめりこみ、世界人間のどんなことにも「立派な」ことが言えるようになる。

そのことで世界最強の「自己意識」を持つようになる。

キリスト教マルクス主義極右思想、自己啓発などなどだ。

しかし、この高尚な世界観要請する理想の姿と現実自分の姿の間で、引き裂かれる自己意識が発生する。

これらはすべて「自分の心の内側だけで、自己価値を確保しようとする試み」だ。

人間自己価値は「他者の承認」を必要とする。だけど、それは結構きつい。

から人間自分の中の「自由な思考」のうちで自己価値をつかもうとする。

でもそれはたぶん無理だ。

現実はどうしようもなく存在していて、そのうざったい自意識にうってつけの現実なんて向こうからやってこない。

その不可能性が頭ではなく身にしみた時こそが、めでたく厨二病卒業の時となる。

おめでとう。

で、その「別の生き方」ってのは自分なりに探してくれ。ニヒリズムに気をつけて。

参考文献:竹田青嗣自分探し哲学』(「愚か者哲学」の文庫化)

2010-02-16

1795:【社会】"在日年金問題の解決をめざす会・京都"を発足 「障害を持った在日だけがどうして年金をもらえないのか」

ttp://nukohiroba.blog32.fc2.com/blog-entry-1795.html

在日韓国人二世、竹田青嗣氏の述懐

 

1995年8月23日の毎日新聞より抜粋

ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuunidai

 

また「我々はいずれ祖国に帰るのであるから、福祉とか

そういうものはいらない。日本祖国の統一の邪魔をしない、

日本に望むことはそれだけだ。」「厚生年金なんて強制的に

取られるけど、私等は祖国に帰国するので年金は貰えない。

年金を納めるなんて我々には無駄だ。」「日本人と違った

取り扱い方をされるから、我々は民族の自覚を持つのだ。

日本人と同じ処遇を求めるのは同化を求めることであり、

民族を否定するものだ。」というような物言いは、20年前

まではごく当たり前のことであった。

 

朝鮮人朝鮮に帰る」というのは彼ら自身の主張で、「暴言」でも

差別発言」でもない話であったのだ。これを思い出すにつけ、今の

在日の活動には隔世の感がある。彼らは、自分らの先輩たちが20年前

まで担ってきた民族運動歴史を総括せず、それどころか忘れて

しまったのではないか、と思ってしまう。

2008-11-19

分裂勘違い君に禿同。しかし…

大森学派?を取り上げているのは好感が持てる>id:fromdusktildawn

普通の人が読める哲学書の多くは大森学派の人たちが書いてるからな

あと、id:umedamochioの本はおもしろいけど、あんまり持ち上げすぎるものではない

分裂君が挙げている本の方がじっくり読むに値する

小飼弾についての評価は同じだな

あと、ついでにあのヒラメもどうにかしてくれ

本屋産業廃棄物みたいな腐臭を放つよ

でもな、ニーチェだけは止めてくれ

あれは劇薬

当たり前のように「これ嫁」はどうかと思うぞ

間違ってるとかじゃなくて、害が及ぶ

もし哲学古典を勧めるなら「パイドン」とか「方法序説」とか普通の人が読めて、価値のあるものはたくさんある

あと疑似科学については伊勢田哲治がいいよ

竹田青嗣はちょっと哲学のおもしろさに気付いたらうさんくさくて読めないから

大森学派に関連する人たちの本を読んでいく方がいい

まあこのあたりは好き好きだけどねー

永井均ネコオススメ。人気がでれば100年残る名著だと思う

2008-01-04

竹田現象学フッサール現象学の違い

って何だろう。竹田青嗣現象学入門』の書評では、現象学の解釈が適当でないというような意味のものが多い。今はフッサールの『デカルト省察』を読んでいるけれども、同じことを言っているように思う。

 
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