はてなキーワード: 小池龍之介とは
瞑想や、仏教の慢(他人にどう思われたいか)あたりについて書いている本を読んでみて、よければ嫁さんに渡したらいいと思う。
瞑想については久賀谷亮の本、仏教の慢は草薙龍瞬や、小池龍之介あたりがおすすめ。
周りにどう思われたいか神経質すぎる人だと感じた。まあこれは人間は誰でも抱えているどうしようもないかもしれない感情。だけど、適時休みながら取捨選択していけば、ほとんどの物事は気にする必要がないことだとわかるはず。
だから、まず休むことと、その上で気にするべきことと、そうでないことを峻別していくこと。
それでもどうしようもないかもしれないから、2,3年頑張ってだめなら別れな。何をして何を見捨てるかは君自身も気をつけないとならない。
しかし、残念ながらこういう弱まってるやつは他人が騙してはめ込みやすい。なので、セミナー系は霊感商法や怪しい自己啓発セミナーが多い。本とネットだけでいい。
つぎにあなたの今の感情は仏教の慢だとか承認欲求みたいな「どう思われたい」という気持ちが強すぎるからだと知る。
承認欲求は世の中と合致しているときは自分を奮い立たせるガソリンになるが、世の中と合致していない時は自分を苦しめる。苦しむ感情の行き先が暴走してDVに走る。後、頭も苦しむ感情ゆえに疲労してますます制御が効かなくなる。
行動を変えるのは頭を十分に休めた時じゃないと無理。
だから、頭を休めて、自分がどう思われたいのか、どうしたいのかを考え、世の中と合致していないのは変えなきゃと意識して変えていくことの繰り返し。
ただマインドフルネスだとか、仏教に走るような弱まっている人をターゲットにした怪しい自己啓発セミナーや、霊感商法があるからセミナーはお勧めしない。本とサイトだけがいい。
頭いっぱいいっぱいの時はどのみち正しい峻別ができないからすべてのものに対してどう思われてもいいと割り切る。必要であれば逃げる。
落ち着いてゆっくり休めるようになってきて、峻別して、これについてはどう思われたい=頑張らにゃならんと再び挑み直す。というのは置いといて。
どうしてそういう境地に落ち着いている?かといえばマインドフルネス+座禅をしているから。あれは徹頭徹尾脳の休息だ。
どこでこういう知識を得たかといえば、小池龍之介の本の仏教の慢の感情から得たな。
最も宗教は霊感商法も近いところにあるし、霊感商法は頭いっぱいいっぱいだが何らかの助けがほしい奴に霊感商法に依存させるような解を与えるという仕組み。
だから、安易に仏教&宗教起源とは言うべきかというのは迷うし、仏教という理由付けなしなしでも枠組みを説明できるから小池龍之介と仏教の知識の前提なしで書いた。
追加としてだが、、、、
人間としての特性で、他人にどう思われたいという欲望がある。これは、欲望と今やっていることがうまくいくかがかみ合っているときは、成長するガソリンになりが、会わない時は無駄に疲労させる。
無駄にそのような欲望が渦巻いている状態は、思考の自動操縦といって、行動が鈍くなってしまう。ひどい状態が鬱な。
片割れさん、いろいろうまくいかなくて、それで頭いっぱいなんだろう。で行動が鈍くなってる気がする。
だから、思考を止めて、休んで、余計な欲望の部分を捨てて、大事な欲望をより分けて、それに専念することが必要。
まあ、その手法が仏教(先に言った欲望とは仏教の慢の感情。プライドでもある)でもあったり、最近はやりのマインドフルネスでもあったりする。
おすすめは久賀谷亮の「最高の休息法」。仏教側になってくると、小池龍之介、草薙龍俊。あと、マンガでわかる心療内科もいいな。あれももはや様々な弱い心理の解説本になってる。
ただ、どちらかといえば宗教側のネタだし、科学で立証しきれていない。脳の疲労というものが定量化できないからというのもあろうが。
君は「どう思われたい」というのが強すぎる。
どう思われたいというのは、順調にいってる時は、自分を奮い立たせるガソリンになるが、順調に行ってない時は無駄に自分を苦しめる要因。仏教で慢の感情という。
更に苦しんでいる状態では疲労が強い。疲労が強いと自分自身の行動を変えれない。
まず、休め。そして、どう思われたいという感情を消して、どう思われてもいいと一度思い直すんだ。
その上でできることを積み重ねていったらいい。
所詮人生なんて起きて稼いで食って寝て、後は死ぬのを待つばかり(一休)だぞ。どう思われるかなんて些細な問題だ。
なお、猛烈にどう思われたいと思い、廻りに迷惑をかけまくったが落ち着いた僧侶がいてな。そいつらの本も役に立つだろう。小池龍之介、草薙龍瞬だ。
まず、君はいろいろ考えすぎて疲れている状態だ。なおかつ、考えることが多すぎて疲れやすい状態だ。例えていうなら、激しい筋トレをして、その翌日ぐらいの状態。
だから、その疲れを取るのが最優先。何も考えずに休むこと。次に、やるべきこと、考えるべきことを最小限にすること。
今なら、極力短時間で働ける仕事をして、後はできるだけ休むことだ。
いろいろ疲れすぎて次から次から考えないとならないことが浮かぶ状態。
マインドフルネスや禅が休む手法、禅、仏教などがやるべきこと、考えるべきことを最小限にする方法。
本としては久賀谷亮の最高の休息法などがおすすめ。禅、仏教側は小池龍之介や草薙龍瞬の考えない練習、反応しない練習などがおすすめ。
本であれば弱いやつをたらしこんでの勧誘はないから、図書館でいくらでも読んだらいい。
しかし、霊魂だの、精神世界などは微塵も関係ない。そんな文があったらその本はだめな本だ。徹頭徹尾、休み方と、余計な思考の止め方のみだ。
セミナーは、マインドフルネスとか宗教は弱まってるやつが関心を持つ。だから残念ながらたらしこんで永久に会費を取って不幸や不安を煽る連中が多い、原則おすすめしない。
横だが、ここね、女性蔑視だとか、苦しんでる奴を揶揄する奴がよく来るんよ。僕達みたいに気づいたらアドバイスする奴よりはるかに高頻度で。
だから、疲れている時に来るのは薦めない。多分あなた女だと思うし、そういう奴の餌になる。
それより、マインドフルネスや慢の感情についての本を図書館で借りて、あとはゆっくり休める時は休むことに集中したほうがいいと思う。
マインドフルネスで勧めるのは久賀谷亮「最高の休息法」、慢の感情については草薙龍瞬、小池龍之介の考えない練習、反応しない練習、もう怒らない、、、、、などなど。
ただし、そういう「弱いやつを餌にしようとする」ってのは残念ながらこの社会非常に多い。だから、セミナー系は一切薦めない。本はおかしいと思ったら他の本読んだらいいだけだ。
何も考えずに休む時間を作れ。
疲れると嫌なことを思い出すが、嫌なことを考えること自体が疲れるというループだ。
ぐてーんと何も考えずに布団に大の字になって呼吸と体内の脈動だけに意識を払うこと。
君は周りにこう思われたいという感情が強すぎるが、それに届いてないから苦しむという話だ。
周りにどう思われたいというのをやめ。
というのもやめろと考えるだけではやめられないから、休息、瞑想やマインドフルネス、仰臥禅(上の寝転がるのも一例)の出番だ。
ただし、マインドフルネスや仏教は弱まったやつがすがる。だから、セミナーや教団は弱いやつを鴨にして依存させるやつが多い。本のみを勧める。
慢という感情だ、1つは向上のためのガソリンだが、1つは成せないということで苦しむ要因。
適度に掴み、適度に忘れないとならない。
休むのは元々は禅で、今はマインドフルネスという形で、検証できるところから検証していってる感じ。脳内のスキャンできるのも割と最近だから。
禅も、瞑想とそれから、心の持ちようについての知識の宝庫。おすすめは小池龍之介、草薙龍瞬。この2者は、こいつら自身も相当苦しんで解を見つけた立場の人間だから。
最も、禅は宗教であり「誰かが正しいと言ったから正しい」の時代のもの。
現代は、「弱ってる奴に嘘の解を与えて依存させる連中」が跋扈している。マインドフルネス、仏教を名乗っていてもね。
正しい解を見つければ、セミナーにはもういく必要がない。だけど、それより、セミナーの講師/教祖様に依存させたほうが儲かる。
休みの日は何も用事をいれずに、布団に大の字になって呼吸だけに集中して寝る生活をしばらく続けろ。
そして、それを恥じるな。あなたは疲れてる。そして、極寒の地にいながらなぜ辛いのかわかっていないようなもの。
あと、色々余計なことを考え過ぎてる気もする。加えて、他人からどう思われたいかを意識している感じがする。
マインドフルネス周りの本を読んでみるのがいい。久賀谷亮「最高の休息法」とかな。
ただし、セミナーはあなたみたいな弱ってるやつを依存させる新興宗教みたいな奴が多いからいくべきではない。いくなら先に心療内科だ。
個人的には仏教の小池龍之介とか、草薙龍瞬とかも薦めたいが、仏教の名を借りて、弱ってるやつを依存させる団体はいっぱいある。なので、本だけで収めるべきだと思う。
で、各人が懐疑的に試して何を持って判定するの?
あなたに合わせて言えば、苦しさが減ったかどうか確かめてみるといい。
何回も言うけど、聖なる開祖様に近いから謎の正統性パワーで効果があるとかそういう話じゃないよ。
釈迦がもっとも能力のある最高の先生だから効果があり、それを釈迦ほどの能力の無い人が中途半端な理解でアレンジすればどんどん効果が減ずるという実際的な話。
そこがなんか堂々巡りなのは、あなたに何らかの怒りが生まれて話を聞かない態度になってきてるからじゃないかな
例えばあなたに釈迦を超えた能力があって、釈迦の教えの不完全性と改善案を提示できて、それが確かめられて確かにそうだとなれば、自分は釈迦を捨ててあなたのメソッドを採用するよ
でも釈迦を超える人が現れないので釈迦がディフェンディングチャンピオンなだけ 圧倒的な
極端に言ってしまえば、「真の釈迦の教え」なんてものはもう無いよ。
釈迦この世にいないじゃん?
?
アインシュタインが死んでも彼の発見とアイデアは残ってるでしょう?
俺は今苦しんでいるやつに正しい答えを出せる方を正しいとする立場なので、
だから一番効果があるのは釈迦の教えであってその劣化アレンジではないという話なんだけど何を突っ張りたいのかわからない。
例えば伝統的なものより効果のある瞑想メソッドを開発したのだということなら発表してほしい。試してはみるから。
だから、僕が上げた3人はどうかと言いだしたんだ。
つまりあなたがコレクションしたその三人にあまり感心しない態度を示したから腹が立ったということなの?
でも小池龍之介なんて当然「仏弟子」であって、釈迦より優れてるなんて大胆な主張は小池自身夢にも思ってないと思うけど。
別に小池が良い悪いではなくて、小池なんてどうでもいい人でしょう。小池自身自分が仏教史上の重要人物だなんて主張しないのでは。
「確かめようがないことを信じる活動」と定義するなら仏教は宗教ではない
釈迦の教えやメソッドを各人で懐疑的に試して検討していけばよいものだから
では、超人が2人いたら?
その仮定で仏教徒が困ると思ってるとすればそれは釈迦を崇拝対象だと誤解してるのでは。
釈迦は先生だから、同等の能力があると確認できる先生がもう一人現れたらその人のことも活用するだけ。
まあ釈迦の教えは完璧だという前提があるんだけど、ほんとに釈迦と同等の先生なら失伝部分について注釈を入れてもらえるし実地指導してもらえるということになる。
無常、苦、無我の観察。
こんなことを問い詰めたり定義しろとかいうのは仏教を勉強する人としてはちょっとどうかしているよ。
僕の定義は一つは認知の歪みの是正だが、おそらく君の想定するのは一切煩悩に惑わされることのない世界というのでも想定してるんじゃない?
そんなのは当たり前の前提で、だから戒と実践進めていくんじゃない。
なんでそんな、第一歩目みたいなことを踏ん張りながらいってるのかわからない。
瞑想をする、思考が止まって一時的に苦が収まったすごいぞ、でもまた始まってしまうなどうしよう、
ここまでは瞑想を始めた一日目に体験できること(瞑想をしない人はその体験すら一生無いけれども)
仏教は名言コレクションじゃないし、心が止まらないなんてことはその「名言」を引いて力説するまでもないことだし。
ゲンガク的なことは無益な無駄話なのでやめた方がいいし、そういうのが多いから日本の仏教から距離をとりたい。
死んでやっと悟れるなんてもうわけがわからない。小池龍之介が悟った云々の話とも矛盾してるじゃない。
死ぬ前に悟れるし死んでも悟れないよ。
それで元の話に戻るけど
正統性とかそんなことはどうでもいいんだけど釈迦の教えを守ることは大事でしょう?
あなたの話もどんどん釈迦のアイデアと何の関係もない俺理論になっていってるし、そういうのは単純に理論やメソッドの劣化でしかないじゃない?
自分は海外の上座部仏教のお坊さんの本ばっかり。特にメソッドとしてはマハーシ長老系列のね。
読み比べて全然こっちがいいなとなった。
小池龍之介のようなスター坊さんにしても俗っぽさが強めに感じる。
マインドフルネスも、確かに科学的な検証を進めていくことは大事だと思うんだけど、
仏教を中途半端にちぎって美味しいところだけ食い逃げしたつもりで実は重要なこと沢山取りこぼして超劣化バージョンになってるような感じがあって。
瞑想は仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想は科学的検証なんて無い時代に生まれたもの。
たぶんここが我々の考え方の決定的に違う部分だ。
自分の認識では仏教は釈迦と言う天才一代の完璧なアイデアであって宗教ではないし詰め合わせではない。
瞑想による心の観察は現代科学なんか全然追いつかないことは瞑想してる人なら同意すると思う。
(追いついていくための科学的検証はもちろん悪くないことだとおもう)
これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩は創価臭いのがあれだが、、、。
そういうのも典型的な、智慧ではなく情というか、嫌な意味での日本仏教臭さが敬遠したくなる
と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプの霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体がうごめいている。
ここは全く同感
前述のとおり釈迦のアイデアは現状では科学よりずっと先にいるから
科学がキャッチアップした部分だけで瞑想するのは重要なエッセンスの取りこぼしが激しいと思う
(自分でもこの立場は非科学的であり常識的に言えばヤバみがあるのはわかっている
あなたの態度の方が常識的かつ慎重で本来好ましくあらゆる場面でベースとなるべき態度)
結局無我ということをおさえていく道のバリエーションでしかなくそこを特別に大事にする感じはない
増上慢卑下慢同等慢という考え方とか聞いた時には面白いけどそれで面白がらせてもしょうがないというか
ただちょっと食わず嫌いもあったかもしれないから紹介してくれた人の本を改めて読んでみる
これは情報交換としてであって、なぜこの3人を選んだかだけ。もちろんいい悪いは主観に属するものだから一致はしなくて構わんと思ってる。
なんならきみが、瞑想についていい人間をピックアップしてその理由を教えてくれると嬉しい。
ただ、悪いけど、瞑想についてのやり方がうまいとか、あまり古すぎる人間(僕があげるのなら一休宗純、白隠禅師)は、いざ苦しみを逃れる点では、どうかなと思ったからあげなかったのもある。
慢の感情にきちんと触れているから。慢の感情は承認欲求と結びつき現代社会において非常に陥り、苦しみやすい。2者とも実際苦しんで悟った人間だからな。
これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩は創価臭いのがあれだが、、、。
久賀谷亮
読みやすいようにはしているが、一応科学文献の参照もあるから。
瞑想は仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想は科学的検証なんて無い時代に生まれたもの。
マインドフルネスは、脳内スキャンができるようになって一部は科学的検証が出来るようになった時代の産物だと思ってる。
と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプの霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体がうごめいている。
だから、科学文献を根拠にしているこの本を出した。正直、もう今の時代本だけでいいと思う。瞑想を取り巻く団体の胡散臭さを考えれば本だけがいい。