はてなキーワード: 嫌日とは
経済格差や貧富の差が広がってることのバロメーターでは。これに類似した、公務員に近い内容の業種の仕事での似た詐取は見つかってないだけで、今後増えてくると思う。
貧乏人が増える、ということはこういう自衛のコストもかかるようになる、ということである。赤字だからと公共交通機関を廃止すれば貧乏人でも車の運転が必要になるわけで、赤字でも公共交通機関が必要なわけである
社会の格差が進むと当然こうなる。任意保険は失うものがある人にしか、実質的な強制力がない
またテンプレ。「環境型セクハラ」と「自分にとっては無問題かどうか」を同列に語る人々
朝日がネトウヨと発言する所に必死さを感じます。敵対をレッテル付けしてでも叩きたいという強い意志を感じますね。
ネトウヨって自分自身を客観視されると、発狂して星を連打する生き物なんだなぁ……っていうブコメ欄
政権や過去の過ちを批判することが「嫌日」だという発想がヤバい。
「朝日新聞よりマシ」みたいなブコメは、嫌韓ネトウヨの特徴であるマウンティング欲を如実に表してる気がする
ネトウヨさんの朝日叩きしゅごい。人って都合の悪い指摘をされてらだいたい怒るんですよね。
確かにちょうどこんな感じ。/既存のR18作品なのか。つまり女体の場合の規制(自己規制含む)が甘すぎるってことだよね。
男女の立場を単純にひっくり返すだけでは同じ問題が再現しない非対称性がそもそもフェミニズムの立脚点のはずなんだけど、この人はこの遊びで何をしたいのかな
あの奇乳スタイルだってひと昔前まではR18ものでしか見なかったよ。今ゾーニングされてるかどうかは問題ではなく、あれがOKでこれが駄目な理由があるのかって話。
おいらはその「気持ち悪さ」を感じた時、その原因に、危機感を抱かない人たち、擁護を向ける人たちの存在に対する落胆がある。あまりにも「表現」と、それが指し示す「意味」のレイヤーがごっちゃにされすぎてる。
ゾーニングされてるのに、と叫ぶ人は「つまり女の絵はゾーニングせず公共の場に垂れ流すしポスターの引用もOKだけど同じような男はゾーニングして保護しろ!!」って理屈。反論する程元ツイの正しさが浮き彫りに
男性には「これって公(おおやけ)でやるのはどうなの・・・?」的に不快感を感じるものはあまりない、ようだ、というのがよくわかった。無理なんだね、説明しても。どうしようか
お前ら勘違いしてるけど、これはお前らに見せて謝罪と賠償を引き出すために書かれているわけじゃないぞ。
お前らが女性の苦しみを理解しないのは想定済みで、これは自分と近い考えを持つ仲間達への共感を引き出すことと、それに共感しない者の炙り出しと、(お前たちの予想通りの反応を引き出して)敵は自らと決して相容れない悪魔という認識を仲間内で固めて連帯を強めるためのものだ。
いや本当に。自己責任カルトに洗脳されてる人は海外から見るとこうしてドン引きされるレベルでヤベーって自覚持った方がいい。
日本で現政権を支持してる人等は、中国共産党体制下みたいに自由が無くても自分が体制側と思い込めればそれで良いっていう家畜みたいな思考の人等です。家畜に民主主義を説いても分からないのと同じですよ。
ネットを見てると、中国人はみな嫌日みたいな印象があるかもしれないが、
国際的なビジネスをしてたり、留学してたりする層は世界中どこでもそういうもんであるが。
そういう中国人が割と多く口にすることに
「何故、日本はアジアでリーダーシップをとろうとしないんだ?(とるべき)」
というのがある。
これをはじめて聞いたときは、自分はバリバリの小国意識に洗脳されていたので、
全く想定外であった。しかし、歴史的経済的諸条件を冷静に考えてみると、
いかにも日本はそういうポジションにいることを認めざるを得なかった。
イギリスやドイツやしている役割を、日本はアジアに対してしてもおかしくない。
しかしながら、日本の中から日本を見ると、賠償金をいかに避けるかとか、いちゃもんつけられるとか、
そんなことばかり気にしていて、とてもアジア全体の発展に尽力し、その発展を通じて責任を果たしていこう
という発想はなかったのである。
まあ、今頃そんなこと言っても、EUという壮大な試みから長い時間を経て揺り戻して
イギリスが離脱するようなタイミングで言っても説得力ないかなと思いつつ、
なんとなく書き残しておきたくなった。
例えばすごく身なりの汚い男が居たとする。
「あなたの身なりはとても汚く、周囲の客を不快にさせる恐れがある。従って入店を拒否させていただく」
これは差別だろうか? ウェイターも商売なので、他の客に不快な思いをさせる客の入店を断るのは筋であるように思える。
次のような場合はどうだろう。
「あなたは日本人なので、周囲の客を不快にさせる恐れがある。従って入店を拒否させていただく」
これは差別だろうか? 差別に違いないと思われる。しかし、上の例と全く同じ言い分だ。上の例も差別とするべきだろうか?
いや、おそらくこういう考えに至るのではないだろうか。
「身なりが汚いのは自分で解決できる問題、国籍や人種は自分で解決できない問題。従って、後者のみが差別にあたるのだ」
要するに人権というのは公共の福祉に反しない(他者に迷惑をかけない)場合に初めて保護されるということだ。
例えばすこぶる醜い男が居たとする。
「あなたはとても醜く、周囲の客を不快にさせる恐れがある。従って入店を拒否させていただく」
なんとも酷い話だ。しかしまあ上記の例を検討してきた我々には、この問題の解決策は自明だ。
ほんとに?
話を整理してみよう。
僕は「差別とは生まれつきでどうしようもない事柄を理由に社会的な差をもうけること」を差別とした。
また、「改善可能な事柄を理由から社会的な差をもうけられた場合」は差別ではないとした。