いつだったか忘れたが数年ほど前に、
「それは差別的呼称であり、当事者以外の者が謙遜・自虐・卑下に使うことは適切ではない」
事実、かつて多くの腐女子は自分の嗜好について自虐する風潮があり、
(乱暴な口調=男勝りなキャラ=自分カコイイ!!、という中二病も多くいたが)
それを本来の当事者であるゲイセクシュアルの方と思われる方の一部が、
「なぜ第三者である人間に立場を低く言われなければならないのか」
と憤慨するのは、当然の流れだと思う。
wikipediaによると、「同じ、よく似た」という意味のギリシャ語から生まれた言葉だそうだ。
(ちなみにホモサピエンスのホモはラテン語で「人」を意味するらしい)
「同じ性別を恋愛対象とする人」つまり「同性愛者」を指すに過ぎないのだ。
男性の同性愛者のことは「ゲイ」と呼び分けていることが多いが、
そのふたつを総括する言葉が「ホモ(セクシュアル)」なのである。
かつては「ゲイ」という言葉すらもしょっちゅう中傷に使われていたと思う。
現在ネットやテレビを見る人で、LGBTという言葉を聞いたことが無い人は滅多にいないだろう。
「ゲイ」は差別的なニュアンスで使われることが減ったと言えるだろう。
つまり、「分類上の呼称のひとつ」という本来の意味で使われるようになってきたということだ。
2chなどで多く見られる「ガイジ」「池沼(ちしょう)」という言葉だ。
2chなどで、と前置いてしまったが、私が小学生の時(10年ほど前)、
同じクラスに自閉症の子(支援学級に入っていた)がいたにも関わらず、だ。
この競争社会に生まれ落ちた存在として容易に陥りやすい思考である。
しかし、「障がい者である」ということそのものは、本当の障がい者にとっては単なる事実に過ぎず、
「マイノリティ」に属すること自体を屈辱的、普通よりも劣っていると決めつける集団心理だ。
(グループに属せないゆえにマイノリティと呼ばれるのかもしれないが、ここではあえてこう書かせてもらう)
とどのつまりは、「自分(達)よりも能力や数で劣っている人間は社会不適合者だ」というレッテルを貼る者達が、
ここまで色々書き連ねておいてなんだが、
私個人の意見としては、ああいうものは被差別者と差別者達が議論して折り合いをつけていくものだと思っている。
つまり、特に肩を持つようなことはしないが、一方的に攻撃するのはおかしいよね、くらいの認識だ。
しかし、社会の本質として「似ている人間同士の集団」こそあれ、
もしもクローンが作られ、同じ生育環境だったとしても、それは同じことだと思う。
「自分と違う存在」「自分より一見劣ると思える存在」を容認し、
それを愛する世の中に住みたい、と私は切に願うばかりだ。