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夜桜たまちゃんの10月07日未明のTwitterから始まり、少し炎上のようになった件について、時系列順にまとめて見ました。
あくまで私は夜桜たまちゃん、そしてアイドル部のファンの立場ですし、スタッフ側の意見がまだ出ていないため、意見が偏っている可能性は高いことはご承知下さい。
10月06日、夜桜たまちゃんが、下記のようなTweetをしました。また、プロフィールからも、.LIVE所属の文言を消すという事件がありました。
譲れない部分は譲っちゃダメだと思いました。
私は、譲らないです。
私はなんだかんだ言ってもみんなのこと好きだよ
だからこそ、一緒に頑張ってくれたみんなと私の一年半を軽視されるような、言葉を、行動を、許せなかったです。
ごめんなさい。
このことで、ファンからは「たまちゃんの中の人が入れ替わられる」「脱退するのか」といった混乱が起こりました。
10月07日、Tweetの内容について、何があったのかを動画にてメッセージを伝えました。
(タイムラインには残らない形式なので、Youtubeでは該当の動画は見れない)
その動画の内容から判明した、事の内容を時系列順にまとめてみます。
予定日が平日なので、早めに告知をさせて欲しいとずっと伝えていた。
9月末に告知する予定となっていたが、スタッフから何も連絡がない。
どうなっているのかと問い合わせたが、「確認します」と言われ、その後「色々あって忙しいのであとまわしにしていた」と言われる。
それからずっとこの事に大して訴え続けていたが、ずっと邪険にされる。
禄に連絡もされず、忙しくて後回しにしていたとか言われる状況で、ファンの方に「ソロライブやるよ!」なんて胸を張って言えない!と訴える。
何度も考えた結果、「譲れない部分は譲っちゃダメだと思いました」のTweetをすることとなった。
内容としては、どうピックアップしても嘘になりそうだが、できる限り伝えると
・このような状況で、ファンの人に胸を張って「ソロライブやるので来て下さい!」とはどうしても伝えられなかった。そんな嘘はつきたくなかった。
・そんなおざなりなやり方でソロライブをやるくらいなら、やらないほうがよいと伝えた。
・今回のことだけではない、言いたいことがたくさんあったけどずっと我慢してきたことがあって。どうしても許せなかった。
・こちらからすべて「どうなっているんですか」と聞かなくては何も状況がわからないことが続き過ぎた。
・配信も、本を書くのも、他のことも全部好き。そのすべてを全力でやりたい。他を頑張った結果、ライブがおざなりになったなんてファンに思われることは本当に嫌だった。だけど、自分がそう思っているだけではどうしようもないんだということがわかり、思い悩んだ。
・そのことを何度も怒っても、全く伝わっていないんだろうと感じた。
・この騒動の結果、今後どう改善するかなど、スタッフ含め話し合った。
・この配信も、スタッフの人にもちゃんと言い、自由に話していいと言われている。
・他のアイドル部の人は何も悪くない。自分が一人で言っただけ。
・今後のソロライブは未定。もしやるとしたら、「あとまわしにされたソロライブ」というタイトルにして笑い話にしたい。この話を聞いた上で、それでも来てくれるならとても嬉しい。
・考えなく衝動的にやったのではなく、しっかり考えた結果やったこと
・他の人を傷つけたかったわけではないが、そう見えてしまったのは事実。ごめんなさい。
・アイドル部の人を巻き込みたくなかったため、事前には何も言っていない。Tweet後、このようなことがあったというのを伝えた。配信の内容も事前には伝えていない。
・このことに関してはすべて自分の話。他のアイドル部に波及させるのだけは本当にやめて欲しい。
・自分が言えることではないが、めめめのソロライブ、チエリーライブ、この事は関係なく、純粋に楽しんで欲しい。
単純に後回しにされたことを怒っているのではなく、そのような状況でソロライブを通知してと言われ、「そんな状況では胸を張ってファンの人に伝えられない」と訴えても禄に取り合ってもらえなかったからこのようにするしか無かったというのが、ファンとしては嬉しかった。
誰が一番悪いのかと言われれば、スタッフの心を削るほど仕事を押し込んだ上層部だろう。
スタッフの方も、別に情熱が無い訳では無いようなのだが、仕事が忙しすぎて余裕を失い、雑な対応になってしまったように思える。
足りていない人数で、多分禄にスタッフの声も聞かずに運営していた上層部が一番悪いんだろうと思う。
二番目に悪いのはスタッフ。
忙し過ぎるなら上層部に訴えて、人を増やしたり予定を減らすなりしなくてはならなかったと思う。
また、その状態でも、問い合わされて初めて「忙しくてソロライブのこと後回しにしていました」「でも告知はして下さい」なんてことをいうのは流石にどうかと思う。
馬はろくに役に立たなかったようだが、実際の役割がよくわからないので除外。
たまちゃんは、やり方としては100点満点ではなかったのは間違いないだろうが、それでもどうすれば最善だったのかは、誰にもはっきり言えないだろう。
もちろんこれは、私のポジションがアイドル部のファンで、たまちゃん擁護派だというのもある。
ただ、
スタッフの人に何度も訴えたけど、改善する事がなかったというのは、しっかりと事前の対応はしていたと思う。
めめめのソロライブ前だが、その後にもチエリーランドが控えているし、その後だってなんだかんだでイベントなどあるため、どのタイミングで言っても駄目だったというのはわかる
アイドル部のみんなを巻き込みたくなかったというのもわかる。
とは思っている。
たまちゃんの心を押し殺せば、ある程度丸く収まったというのもわかる。
多分、たまちゃんの心を犠牲にするか、他を巻き込んで訴えるかの二択という状況だったんだろうと思う。
個人的には、色々な影響は認識しているが、それでもたまちゃんが自分の心を犠牲にする選択をしなくてよかったと思う。
それでもめめめのライブが終わるまでは待ったほうが良かったんだろうなとは思うが、あのたまちゃんが考えた末の行動だったのなら、本当にこらえきれなかったんだろうというのは理解できる。
そして、たまちゃんが頼ることのできた大人が周りに居なかったのが悲しい。
けして悪い人ばかりでは無く、むしろ情熱を持っている人多いのだろうが、この問題を内部で解決できる人は誰も居なかったのは悲しい。
その後、(これもアーカイブには残っていませんが)花京院ちえりちゃんの配信で言っていた通り、純粋なめめめへの愛情をもって、楽しんで行ければと思っています。
たまちゃんのお父さんのやつ?
元気にしていますか?
当時の唯一の友達Aちゃんが幼馴染タマちゃんのこと紹介してくれたから、
最初は複雑な心境だったよ。
タマちゃんは頭が良くて、スポーツも万能でかわいくて、性格が良くて
そんな嫉妬も吹っ飛ぶくらい、いい子でびくりしたよ。
年月が付き合いを薄めることはなかったね。
同じことを思っててくれてたら嬉しいな。
たくさん合コンして、私の紹介したC君と付き合って
縁がなかったけど結婚してくれたら、よかったなぁ。。。
転勤するって聞いたときは驚いたけど、
まだ変なテンションで受け入れないままでいるよ。
ないとないで思いが宙ぶらりんになるんだね。
タマちゃんへの想いををここに書くことを許して。
たまちゃん、だいすきだよ。
安らかに。
いただろうか?
さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。
当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎の女児がぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。
言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症」である。
私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。
逆に「ちびまる子ちゃん」は癒しの作品だった。恋愛ものに息切れした女児のオアシスのように、まる子はただただ普通に、家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカルな空気を携えて、毎月私の所へやってきた。
そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルはヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃんは引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。
「お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。
乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん』作品は、基本的には未来を指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然な成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。
そういう理想の学園生活がキラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。
「今よりももっとかわいくなれる」
その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。
作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。
前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代をモデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。
まる子も成長し、恋愛や友人関係や自分のコンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠の小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ。
私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。
勿論リアルタイムで読んでいた小学生時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。
クラスのどのカーストの女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品の代表格だった。
その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在も本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配症コラボの掲載巻は実家にあると思う。
成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。
そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い。読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。
私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。
しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。
・逆に、ニューウェーブみたいにユニット推しだったのが徐々にキャラが立ってきて個別に登場するケースもあるよね
・デレステのローディング1コマではフリスク以外との絡みもあるから、そんなにフリスク一辺倒という印象はないけどなあ
・あずきちは着物要素をお紗枝はんに持ってかれちゃったのがダメージ大きそう。大作戦もあるにはあるけど
・ほのかちゃんはぴにゃとセットというのが強力な武器になってはいるけど、逆にぴにゃ頼みになってる感もあるかも
・忍ちゃん、好きよ。東北から単身飛び出してきての立身出世。劇場592話の帽子の回とかすごくいい
・柚はすごくかわいいし、実際に人気も高いはずなんだけど(総選挙の順位も高かったはず)なぜか影が薄いんだよなあ。
昨日くらいの増田でちゃんみおのことが書かれてたけど、柚とちゃんみおってキャラが被ってるのかもしれない
・デレステからの参入だとはじめからフリルドスクエアありきみたいに感じるのかもしれないけど、モバマスでははじめからユニットだったわけじゃなくて段々と仲良くなっていく過程を見てるからむしろユニットとして活躍してるのを見ると感慨深いものがあるのだけど
・とりあえずモバマスのシンデレラガールズ劇場でアイドル名検索してみれば、フリスクのユニットとしてだけではない別の顔も見られるし、今読み返してみたけど、個別の活動もしっかりやっているうえで、仲良し4人組での行動も増えてきてる感じで、いいバランスだと思いましたよ。ええ。(贔屓目)
・ガールズビーについてはまだそこまでユニットとして固定されてる印象がないので保留
・他に複数人で互い違いにユニット汲んでるのだとセンゴクランブ系かなあ。丹羽ちゃんあやめ殿たまちゃんとかあのへんもいいよね。メンバーが固定じゃなくてけっこう流動的だけど
・新宿プロムナードのときみたいにユニットできゃっきゃうふふしてるのを見てるだけで楽しいんだから、それでいいと思うのだけどなあ
いい頃合までお母ちゃん猫のところでヌクヌクした後、我が家にお越しあそばすことになっている。
そこで今もろもろの準備を行っている。何かと物入りなのね。でもワクワク。
物理的な準備は順調に進んでいるのだが、名づけに悩んでいる。
現在、友達の家では子猫たちを番号で呼んでいて「1ちゃん、2ちゃん、3ちゃん」というように、テレビのチャンネルのような状態だという。
オスでもメスでもどちらでもいける名前をブレストしているところだ。
どうしよう。
変にこだわった厨二な名前にはしたくない。 (例)LUNA NANA ザムザ など
ただ、あまりに人間ぽい名前はどうかと思う。 (例)香菜 綾 陽子 ゆかり など
かといって和風はよくある感じでイヤかな。 (例)ウメ モモ 豆助 など
いっそ伝統的?国民的?な猫の名前である「たま」はどうだろう…とも思ったが、俺が思いつくくらいだから、そう考えるやつは多いだろう。
動物病院で名前を呼ばれるときに「たまちゃん」かぶりしそうではないか?
もうヤケッパチで呼びやすければいっかという気持ちになってきた。
って関係になってると思う。
もちろんその店の責任者がたまたまちゃんとした人であったり、客からの意見をちゃんとすいあげるシステムが全体として組み上げてある場合は、この2つは同じ効果を持つ筈だけど、なかなかそうはいかないから。特に口頭で伝えた場合は正確に伝わりにくい。
あと本部に意見が届いたとしても、その後は数の問題になっちゃって滅多にない事例なら対応されないとか、備品の選定ひとつとっても時間がかかるということが考えられるので、その辺は規模の大きい店では仕方ないところもあるので、すぐに言った通りにならないとしても、効果なかったわけではないよ。