はてなキーワード: 集団就職とは
被差別者のノーマライゼーションが進んだからといって、その過程ですぐに、主流社会(とりわけ異性愛男性システム)に対して依然として続く痛罵を「逆差別」としてやめさせようとするのは承服できない。
https://twitter.com/masayachiba/status/566265388262887424
被差別者による主流社会への武力でない文化的な復讐は避けられないと思う。健常異性愛男性社会は長く女性や少数者を排除してきた。だからあと500年?くらいは女性や少数者に痛罵され続けてもしかたないだろう。どちらも責めるなというのは500年後の話であって、我々が到達できる段階ではない。
https://twitter.com/masayachiba/status/566266466593292290
これだと「女性や少数者を排除してきた健常異性愛男性」は痛罵されることなく死に逃げて、「女性や少数者を排除していない健常異性愛男性」が痛罵される500年になると思うんだけど…?
あといま「痛罵されている健常異性愛男性」って、健常異性愛男性全員ではないよね。
男尊女卑が著しかった時代って、男性が徴兵されたり、男性が集団就職して過酷な労働条件で働かされていた時代とイコールで、
「男性だから強制的に負わされる過酷な義務」と帳尻を合わせるために「少数派や女性を侮蔑する権利」を与えられていた構造だと思う。
だから徴兵も強制労働もないのに、徴兵や強制労働があった時代と同等の「少数派や女性を侮蔑する権利」を求めたら、痛罵されるのも仕方ないというか。
ジェンダーの問題っていうよりも、「食い逃げ」や「借金の踏み倒し」に対するものに近い嫌悪感なんだよね。
「贈与」や「交換」はいいけど、「収奪」はダメだろ、っていう。
「健常異性愛男性社会」っていう言い方もよくわからない。社会って…?
東京って都市は田舎の安い労働力が流入したおかげでおっきくなったわけじゃん。
農家の次男坊三男坊が江戸の街に流れ、廃藩置県で住所の自由が保障されて更に都市への移住が加速し、高度成長時代も集団就職の上京組が大挙して訪れ、なんだかんだで今に至ったわけで。
それが、元々東京に住んでいた住民の利益を甚だしく侵害したかと言ったら、まあそう言えなくはないけども、結果としてしょうがないと思うんだな。
乗っ取られることがいいとか悪いとか、不毛な議論な気がする。
労働力が安いところから高いところへ移動するのは、どうあったって妨げることができない。
水が高いところから低いところに流れるように。
どんなに大きなダムを作ろうと、際限なく堰き止め続けるわけにはいかない。
流れの速度や向きをコントロールすることで、洪水や鉄砲水を防ぐことが出来る。
やけくそで「光の射す方へ」向かって、I can fly!なんてしてはいけませんよ。
さて、そんなみなさまの「帰りたい 帰れない」の思いを
曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
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勇次 | 長渕剛 | 1985年 | 過去 | 若気の至りで家出した | ★ |
新しいスタート | 岡村孝子 | 1991年 | 過去 | 人生の門出を前に意気込む | ★ |
郷愁 | 斉藤和義 | 1997年 | 過去 | 帰省が終わって、また普段の生活に戻らないといけない | ★ |
Gates of heaven | Do As Infinity | 2003年 | 過去 | クスリがやめられない | ★ |
手のひら re-birth | MCU | 2006年 | 過去 | 自分探し | ★ |
鼓動 | GLAY | 2007年 | 過去 | 大人になるのって哀しい | ★ |
矛盾だらけのWedding Song | GiFT | 2008年 | 過去 | 子供の頃好きだった女性が他の男と結婚した | ★ |
燻-くゆる- | ナイトメア | 2006年 | 穢れなきセピア(過去) | 汚れる前に初期衝動を思いだせ(初心を忘れたくない) | ★ |
終わった恋は取り返しがつきません。
曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
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落葉の駅 | 八代亜紀 | - | 恋人 | 何も言わず恋人の元を飛びだして | ★ |
風立ちぬ | 松田聖子 | 1981年 | 恋人 | 恋人と別れてセンチメンタル | ★ |
無言坂 | 香西かおり | 1993年 | 恋人 | 恋人が浮気したので家出した | ★ |
涙の海峡 | 松原のぶえ | 1996年 | 恋人 | 北国の冬は人肌恋しい | ★ |
山吹色の木の下で | タオルズ | 2005年 | 恋人、過去 | いつもの風景に、昔を思い出した | ★ |
八代亜紀の「落葉の駅」なんて、
男が自分の為にあたふたしているのをみると
めんどくさいですねぇ。
でも、おじさんはそういうのキライじゃないよ。
日本歌謡曲における「北国」「津軽」「海峡」の頻度は異常でございます。
曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
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津軽 | 岩木淳 | - | 故郷 | やけ酒してホームシック | ★ |
帰りたい帰れない | 加藤登紀子 | 1970年 | 故郷 | 母からの手紙でホームシック | ★ |
望郷しぐれ | 山本譲二 | 1986年 | 故郷 | 実家からの小包でホームシック | ★ |
カントリー・ロード | 本名陽子 | 1996年 | 故郷 | もう故郷に帰れない | ★ |
上野発 | 和田青児 | 1999年 | 故郷 | 上野発北国行きの電車 | ★ |
夢千里 | キム・ヨンジャ | 2002年 | 故郷 | 海を荒れてたからホームシック | ★ |
津軽慕情 | 山本謙司 | 2004年 | 故郷 | 酒飲んでホームシック | ★ |
リンゴのふる里へ | 和田青児 | 2005年 | 故郷 | 雲が北に流れていたのでホームシック | ★ |
ひだまり | 石野田奈津代 | 2009年 | 故郷 | 上京して大変だけど私は元気です | ★ |
帰りたい | 千田裕之 | 2010年 | 故郷、過去 | ふと思いだしてホームシック | ★ |
東京シャボン玉 | 天童よしみ | 2011年 | 故郷 | 上京したけど思い通りいかない四畳半生活 | ★ |
バイ マイ タウン | HOW MERRY MARRY | 2011年 | 故郷 | 上京して大変だけど負けないよ | ★ |
昔はたまに来る手紙だったのが、
そんな中でも、最近の若い人の歌は、
上京したての初々しさが伝わってきていいですね。
「ひだまり(石野田奈津代)」は、いずれ「東京シャボン玉(天童よしみ)」状態になるのも、
頑張れ、若い人!
どのように歌われているのでしょうか。
曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
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大迷惑 | ユニコーン | 1989年 | 家 | マイホーム買ったら転勤を命じられたでござる | ★ |
あるあるwww
曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
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雨の子守唄 | リサ | 2009年 | 家 | 子どもが家にいるのに水商売な自分 | ★ |
曲名 | アーティスト | 発売年 | 帰りたい場所 | 概要 | 歌詞 |
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Tell me why? | Lil'B | 2009年 | 家 | デートしてるのに恋人に冷たくあしらわれた | ★ |
デートやめて家に帰っちゃえよwww
DV男ばっかり引き寄せちゃうんだよ!
なるほど、「帰りたい 帰れない」は様々ですね。
NHKの生活保護の特集を冒頭だけみて風呂にはいったんで詳細はみてないけど、風呂に入ってるとき思いついたので一言。
シェルターを公立で運営するのはどうか。
民間ではいくつかシェルターっぽいものを運営しているところもあるようだが、不正受給の温床になっている側面もあるらしいので、その筋の福祉関係者ならご存知の「富山型デイサービス」をベースに運営すると面白いのではないかと考えた。若いのにおひとりで生活していくの大変だろうし、三食出る施設に数年かけて移住してもらい、そこで生活する。
もちろんNPOなどに委託してもいいだろうが、事業性が不透明なので、あえて公立でやってみたらいいと思う。
http://toyamagata.com/what/index.html
あたりに詳しくのっているだろう。
そして、なにより現金一括給付をやめる。
つまり、行政が困っている”仕事”をお願いするのもありだと思う。
15万人もの受給者がいてそのうち、ある程度体の自由がきく人がゼロとは思えない。
そこである程度身体の自由がきく人には、行政の手伝いをしてもらう。
簡単な子供の登下校時の見張りでもいいわけですし、小学生などを下校後に一時的に預かる学童保育なども実施したりとか、ほかにもさまざまな可能性があると思います。
それらの働き内容・時間は問わず、それらに対して”賃金”を出す。ただし、稼働年齢である場合また、めぼしい障害がなければハロワに定期的にいく。そして、そういったことが難しい人は、医療費・衣食住費以外に現金が必要性があるとは思えないが申請をすれば認める制度もつくるべきだろう。
また、昔のように集団就職じゃないけど集団面接をうけたりさまざまな形で社会進出をサポートする。
他にもいろいろできそうなことはある気がする。ただ現金給付するだけでは、確実に行き詰るし、パチンコや飲み屋など以外での公共の場と何も社会との接点がないまま税金もらって生活させてるだけでは、もったいない。
東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。熱帯原産の商品作物であるコメは、東北では大正期まで収量が低かった。それが変わった背景は、農業技術の進歩もあるが、東京市場の膨張、戦中と敗戦後の食糧増産政策、戦前のコメ供給地だった朝鮮と台湾の分離などである。こうして東北は、米・野菜・水産物などの東京への供給地となった。
また東北は、東京への低廉な労働力の供給地だった。高度成長期の集団就職や出稼ぎだけでなく、高卒農村女性を始めとした低賃金の非正規労働者の存在が、下請け部品工場などを東北に誘致する力となった。
さらに東北は、東京への電力の供給地だった。コメが減反に転じ、過疎化が進んだ高度成長末期から、原発と交付金が誘致された。沖縄に基地が集中したように、福島と福井には東京と大阪に電力を供給する原発が集中し、他に産業のない地元の人びとが働いた。こうして穀倉地帯に原発が集中するリスクが生じた。
1990年代以後のグローバリゼーションの中で、一次産品と労働力の供給地としての東北は、アジアとの競争にさらされた。いっそうの過疎化と高齢化、小商店や公共交通機関の衰退が進んだ。点在する小集落から生活物資を買いに行くのも自動車に頼らざるをえなくなり、地域の命綱となったガソリンスタンドも過疎化による経営難で減少している。
今回の震災では、原発事故と電力危機、放射能による農水産物汚染、ガソリン不足と物流停滞、高齢被災者の多さ、部品工場の被災による部品供給網の寸断などが重なった。これらは上記のような地域で震災がおきれば、必然的に発生しうる事態である。これを想定外の複合災害のように東京のメディアが論じるなら、それは地震といえば関東大震災や阪神大震災のような都市型災害しか想定していなかった、無意識の東京中心主義の限界というほかない。
復興も、関東大震災や阪神大震災とは条件が違う。消費地である都市の復興と異なり、生産地の復興は、都市計画や防災を中心に論じても限界がある。また神戸は大阪に隣接して雇用もあり、経済活動の一時移転もできた。だが今回は、2030年までに人口3割減さえ予測されていた過疎地が生産基盤を失った。
復興に水をさしたくはないが、懸念されるのはいっそうの過疎化だ。グローバル資本とグローバルシティーにとって、食料と労働力の供給地は東北である必要はない。20世紀の国内分業で位置を定められてきた東北は、21世紀の国際分業競争の渦中で打撃をうけた。地震と電力供給のリスクがある東北から工場を海外へ移す動向も予想されている。町をまるごと失い、放射能におびえ、仕事と安全の未来もみえない状態が続けば、若者から先に東北を離れてゆく。この現実を直視し、日本の構造と東北の位置を変える意志を東京側も含めて共有せずには、防災都市やエコタウンの構想も新築の過疎地と財政赤字を残すだけに終わりかねず、原発に頼らない地域社会も作れない。
復興の前提は、原発事故の大局的対策だ。放射能漏れを伴う綱渡りの冷却が数ヶ月は続く。放射能の放出は3月より減ったが、再度の大放出の恐れは残っている。政府は矛盾だらけの暫定措置(飲料水の放射能基準値が原発の排水の7倍など)のつぎはぎを超え、さらなる避難拡大や経済的・国際的影響など、あらゆる事態を想定した長期戦略を公表して国民を納得させてほしい。何もしらされずに非常事態になれば、かえってパニックがおきる。「最悪の事態になれば東日本がつぶれる」と発言した菅首相なら、そうした戦略を立てる意志はお持ちと思う。少なくとも「想定外だった」という言葉だけは、世界中の誰も聞きたがってはいない。
震災後には、「がんばれニッポン」という言葉が躍った。だが震災が浮き彫りにしたのは、「ニッポン」の一語で形容するにはあまりに分断されている、近代日本の姿である。
朝日新聞4月28日 あすを探る 思想・歴史 ( via http://twitpic.com/4u59mv )
最近は一人前の成人は親元を離れ二本の足で立ち、みたいな風潮がなくなったきがする。
一昔、もう一昔どころかずいぶんまえかな?パラサイトシングルに対する風当たりがあったのは?
昔って、ちょっと無理してでも社会人になったら1人暮らしをする人が多かった気がするんだが、気のせいか?
集団就職とかそっちまでさかのぼらない。
ほんの10年くらい前。
もちろん、扶養されてる学生の身分だと、不満はあっても実家から通えるなら実家から通う人がほとんどだったけど。
「月に5万5000円積み立てる!」
・車の維持費買い替えの積み立て3万円/月
・葬式代積み立て5000円/月
・無職になったとき用の積み立て2万/月
って張り紙を見た。
母よ、あなたが居なければ私はこの世に存在していない。そのことについては感謝しよう。
『生んでくれてありがとう』
だが、それとこれとは別の問題だ。
あなたが「愛情である」と主張してきた“それ”は、単なる「エゴイズムの発露」ではなかったのか?
“子供には学歴や勉強の事で不自由はさせたくない”と言い続けていた実母の本音は、
「優秀な子供の母親というポジションを獲得する事で、夫や姑への対抗手段にしたかった」
そういうことでしかなく、またそういう人物である。
まぁ、大体そんなところだろうと予想していたけどね?先日鎌掛けて聞き出してみたら全くその通りだったので、内心大笑いしてしまったのは( *´ノд`)ナイショ
実母は中卒。高校へ行けなかったんじゃなくて、貧乏だったから中卒で働かなければならなかった人。早くに両親を亡くしてて、歳の離れた兄サマに養ってもらう事に耐え切れなくて、迷惑かけてることに我慢できなくて集団就職した人。
決して愚鈍な人間ではないよ。偏屈親父な亡夫が残した、“他の人にはわかりにくいメモの山”を読み解きながら一人で果樹園を続けていることからも、「充分な教育の機会に恵まれさえすれば、相当な人物となったのではないか?」とも思えるんだけどね。
中卒のために“学歴が無い”“勉強ができない”ことで苛められ続けていたらしい。結婚後も、大学院卒で看護婦長だった姑から“嫁としてふさわしくない”などと相当にやられていたことを考えれば、同情の余地はある。大卒で教師崩れな親父は、どうもそういう機微の分からない人だったようだから尚更だろう。
確かに同情の余地はあるんだけど、息子の“脳障害・発達障害”を見落として、精神の暗闇をさまよう地獄の半生に叩き込んでくれたことには変わりはない。見落としたと言うよりもそんなことには関心が無かったんだよな?
いまさら泣いて土下座されたところで、毎日のように「死線を彷徨う」ような有様を強いられ続け、無かった事にしたいくらいに屈辱まみれだった数十年をやり直せるはずも無いし。
自分が“生きていていい”ことを実感するのに、“他者を言いなりにする必要がある”のは、列記とした精神病なんだよ。
たとえば、病名“代理ミュンヒハウゼン症候群”
自覚のあるなしは関係しないし、むしろ自覚があることの方が稀。
重ねて問おう、「母」を名乗るひとたちへ。
あなた方が「愛情である」と主張して止まない“それ”は、本当に『エゴイズムではない』言い切れるのだろうか?
何のことはない。精神的に健全でない人たちが、心理的に不健康な人間を作って、こころを病んだ人間たちが音頭を取っているから、不健全な世の中になっていくのではないのかな?
何処かで読んだような文章だと思った人、それ書いたのたぶんオイラだから。
あくまで集団就職をしたのは、その世代の一部(中卒で農業の次男・三男という条件を満たす)と言えるので、あまり具体的な追跡資料はないようです。
(見付かったらぜひ教えて下さい)
比較的資料と言えるかもしれないのは、
http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95-01402.html
●面白そうな論文
http://fm.koeki-u.ac.jp/~mihara/2005.1.20tsuchida.pdf
●関連書籍
現場労働者の工場小説・1960年の春・中学校を卒業して大手の製鉄会社に集団就職・その後、昼夜三交代勤務で働く労働の実態・家族・労働者の群像を描く小説集。
・「金の卵 転職流浪記 集団就職で都会へきた少年のそれから」大宮知信 1300円
集団就職で都会へやってきた少年の、「それから」。下町の個人商店や町工場に引き取られ、劣悪な労働環境の中で青春を駆け抜けた。元祖フリーター、「金の卵」の著者が描く哀歓溢れるエッセイ。
で、以下は個人的な意見ですが
集団就職した人達は、結局土地や家の相続ができない(居所がない)ために「集団就職」を選ばざるを得なかったわけで、田舎に帰ったケースはあまり多くはないのでは。
職を転々としながら、今は掃除のおじさんをやってたり、配達のおじさんをやってたりという感じなのでは…と思います。
もう一人のトラバの人が書いてるみたいに、その何気ない家族の光景が微笑ましい。でも、そこにある見えない不安も、なんだか分かるかもしれない。
うちの場合。
オヤジは元自営業。いまも自営業。でもバブルまではガンガンに働いていたけど、そのあとアルコール漬けの15年があった。中卒で戦後の集団就職で都会に来て、自営で働いて晩婚。今年70歳だが、それでも家族を養ってくれている。昔のことだから今以上に、学歴差別・学歴階級で苦い経験をして、子供をいい学校にいかせようとしてくれている。そんな父を、中学までは軽蔑していたしメッタに話さなかったが、しかしハタチを超えてからは尊敬するようになった。
オカンは専業主婦、時々パートさんの今年50歳。いろいろ苦労しているらしい。。。他人のため(家のため、兄弟姉妹のため、今は子供のため)にアルバイトで稼いではお金を払う。そんなもったいない生き方をしているけれど、それを当たり前のようにこなす姿が時々可哀相にも思えてしまう。
妹は、世間で言う大学3年生。でも生き方の軸がブレている。今の学校だって本人の希望ではなく、親の意向で曲げられたフシがある。周りの子は遊んでるのに、どうして自分は遊べないのだろうという疑問もあるのかもしれない。遠距離恋愛にハマっているてれど、永久就職する気かといえばそうでもないらしい。
自分は、D進学を希望するM2。でもやっぱり、生き方の軸がブレている。実家からずいぶん離れた院に行っているし、育英会の借金はふくらむし、Dを出たあとの就職先も昨今は絶望的に近い。両親のスネかじりはともかく、年齢的にも親孝行できるのか??親の介護も、自分の結婚も??が不安だ。
すまない、自分も妹も、高専→専攻科(→旧帝院)なんだ。なんだか、親近感があったので書いてみた。