母よ、あなたが居なければ私はこの世に存在していない。そのことについては感謝しよう。
『生んでくれてありがとう』
だが、それとこれとは別の問題だ。
あなたが「愛情である」と主張してきた“それ”は、単なる「エゴイズムの発露」ではなかったのか?
“子供には学歴や勉強の事で不自由はさせたくない”と言い続けていた実母の本音は、
「優秀な子供の母親というポジションを獲得する事で、夫や姑への対抗手段にしたかった」
そういうことでしかなく、またそういう人物である。
まぁ、大体そんなところだろうと予想していたけどね?先日鎌掛けて聞き出してみたら全くその通りだったので、内心大笑いしてしまったのは( *´ノд`)ナイショ
実母は中卒。高校へ行けなかったんじゃなくて、貧乏だったから中卒で働かなければならなかった人。早くに両親を亡くしてて、歳の離れた兄サマに養ってもらう事に耐え切れなくて、迷惑かけてることに我慢できなくて集団就職した人。
決して愚鈍な人間ではないよ。偏屈親父な亡夫が残した、“他の人にはわかりにくいメモの山”を読み解きながら一人で果樹園を続けていることからも、「充分な教育の機会に恵まれさえすれば、相当な人物となったのではないか?」とも思えるんだけどね。
中卒のために“学歴が無い”“勉強ができない”ことで苛められ続けていたらしい。結婚後も、大学院卒で看護婦長だった姑から“嫁としてふさわしくない”などと相当にやられていたことを考えれば、同情の余地はある。大卒で教師崩れな親父は、どうもそういう機微の分からない人だったようだから尚更だろう。
確かに同情の余地はあるんだけど、息子の“脳障害・発達障害”を見落として、精神の暗闇をさまよう地獄の半生に叩き込んでくれたことには変わりはない。見落としたと言うよりもそんなことには関心が無かったんだよな?
いまさら泣いて土下座されたところで、毎日のように「死線を彷徨う」ような有様を強いられ続け、無かった事にしたいくらいに屈辱まみれだった数十年をやり直せるはずも無いし。
自分が“生きていていい”ことを実感するのに、“他者を言いなりにする必要がある”のは、列記とした精神病なんだよ。
たとえば、病名“代理ミュンヒハウゼン症候群”
自覚のあるなしは関係しないし、むしろ自覚があることの方が稀。
重ねて問おう、「母」を名乗るひとたちへ。
あなた方が「愛情である」と主張して止まない“それ”は、本当に『エゴイズムではない』言い切れるのだろうか?
何のことはない。精神的に健全でない人たちが、心理的に不健康な人間を作って、こころを病んだ人間たちが音頭を取っているから、不健全な世の中になっていくのではないのかな?
何処かで読んだような文章だと思った人、それ書いたのたぶんオイラだから。