はてなキーワード: 読書感想文とは
まず構成が問題だ。冒頭から突然小学校の思い出に飛んでいるが、具体的な導入がなく、読者は何を期待していいのか分からない。ストーリーの軸をもっと明確にして、読み手を導く努力をしろ。例えば、「小学校の夏休みの読書感想文で、思わぬ展開に翻弄された話をしよう」といった前置きがあると分かりやすいだろう。
次に、文章が冗長だ。余計な描写が多すぎて、読み手が疲れる。一つのエピソードを要点だけで伝えれば良い。例えば、「小学校2年生の夏、カブトムシの本で感想文を書いた。しかし、その感想文は嘘だらけだった」という風に、簡潔にまとめてからエピソードに進め。
それに加え、感情の流れも唐突すぎる。賞を取った喜びから絶望に至るまでの心の動きをもう少し丁寧に描け。喜びと絶望が急に切り替わると、読者もついていけない。例えば、「賞を取ったとき、最初は嬉しかったが、放送で読むと聞いて一気に不安が押し寄せた」という風に段階を踏んで描写を進めろ。
次に、母親に叱られるシーンだが、感情の描写が薄い。嘘がばれた瞬間の緊張感や母親の反応をもう少し詳細に描いてほしい。これが物語のクライマックスとなるので、リアルに感じられないと読者は共感しにくい。
また、結末での教訓があまりにも抽象的だ。嘘をつかないという教訓は一般的すぎる。このエピソードを通して、読者にもっと具体的な学びを提供するべきだ。例えば、「嘘をつくと、短期的には良いかもしれないが、長期的には必ずばれる」という具体的な教訓にフォーカスしろ。
夏になるとこのタイトルで書いた宿題のことを思い出す。小学校2年生のことだった。その年に『上手な読書感想文の書き方』を知った私はじゃあ実践しよう、と当時好きだったカブトムシが出てくる本を選んで原稿用紙を広げた。
実体験と紐付けると良いというアドバイスがあったが、感想文に合うような実体験などそう転がっているものではない。気が付けば私は連想ゲームのように膨らませた嘘八百を書き綴っていた。お盆に帰省する祖父の家にカブトムシの幼虫がいたのは本当だが、それに関する祖父との思い出はすべて感動的に盛った嘘、という具合だ。
そうして指定の文字数を埋めた読書感想文を提出したことで、ある問題が発生した。
賞と言っても小さな町の小さなものだ。しかし子どもにとっては大きなことだった。喜んで親に報告した翌日、先生から「じゃあお昼の放送で読んでもらうからね」と告げられた。その瞬間舞い上がっていた気持ちが地に落ち、血の気が引くとはこのことかという感覚を味わった。
昼の放送で読むということは、学校中が知るということだ。その中にはもちろん私の兄もいた。兄が聞けば当然読書感想文の嘘など丸分かりである。
子どもながらに絶望し、絶対嫌だと泣きわめいて読む練習を放棄していたが、とうとう母親にその問題行動が伝わりしこたま叱られた。その時になって私はようやく嘘ばかり書いたことを泣きながら白状した。母親はまた叱り、反省を促し、最後は「文章書くのが上手なのね」と呆れ混じりに言った。
結局私は嘘ばかりの感想文を馬鹿みたいに読み上げ、二度とこんな嘘はつかないことを誓ったのだった。
嘘をつくとそれを誤魔化そうとしてより大変なことになるのは本当。あと子どもの頃の経験は本当に大きいってことも。大人になった今も夏になると思い出しては気持ちが引き締まる。嘘をついてはいけません。
https://anond.hatelabo.jp/20240612003341
「1か所2か所ならともかく、本の内容が多岐にわたりすぎて、すべての内容を否定することは絶対にできない(できるもんならやってみろ)」
という内容になってます。
ぼくに10年ぐらい粘着したある人物や、悪い意味で言及した人物が読むことを想定して「重箱の隅をつつくことぐらいなら言えるかもしれんよ?」「でも、本の内容をちゃんと論破しようと思ったら、ぼくよりも幅広い知識と、オリジナリティの両面がある人じゃないと無理(そんなに能力があるならもうお前が電子書籍出せばいいし、俺の論破とかやる暇があったら、もうお前本書いて自分の人生変えたほうがよくね?)」という内容になっとります。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0D6NCB574/
本を読み終えて怒りのままレビューしたので長文になってしまっておりました。
端的に申し上げますと
・文章力が低すぎて読みづらい
・著者の境遇と思考が(悪い意味で)特殊すぎ、一般の人には参考にできない
以上です。
「頑張って書いた」とか「(図が)少々見ずらいのはご愛嬌」とか
私も数多くの本を読んできましたが、このレベルの言い訳を著書の中に書くのはプロはおろか、小説サイトにしか投稿しないアマチュアですら見たことがありません。
ブログで読書感想文として書くならこれでも良いのかもしれませんが、さすがにこれを売り物にするのは良心がないのかと言いたくなります。
私の誤算は2つ。
まず、
と思った位置が高すぎた。
「今の時代9割は高校出てるんだから高校生レベルで書けば誰でも読めるぐらいになるかな?」
と思ったけど、これがそもそもの間違いだった
もう1個が完全に計算外すぎて
「ウソでしょ?」
と思ったところで…
自分をよく見せようと思うなら、ダメなところとか書かないのですが…ダメなところとか書いてても自慢話に聞こえる人とかがいたらしくて
「ええ…」
と本気で驚きました
「難しくしすぎない」
三沢さん本人か三沢さんに興味あるという人だけが読んでくれれば満足です。
これが一番の進歩であり収穫であって
一般的な「文章を読めない人」と比べても更に何かがあるように見えます。
私ははてブ民の誤読なら大抵は何をどう誤読してるか秒でわかりますが
そちらの思考が長くなるため本の内容の受け取り方が歪む。
草薙さんの癖の強い経歴を見てください。
彼はいわばブラックジャック(医師会に属さない医師)のような僧侶です。
それで本が何十万部も売れるのだから作家の才能は保証つきですが
彼の本が身になる人って案外少ないのではないかと私は感じています。
彼が添加する具体性は常に、
仏教を理解させるより「身近に感じさせる」ことに重点を感じます。
いちいち冗長な具体性を与えて透明な抽象性を損ねているように思えます。
草薙さんと三沢さん2人の出会いが相性抜群で最悪だと感じるのは
教師の草薙さんは仏教を紹介する本にかなり自己流の工夫を入れる人で、
生徒の三沢さんは人の話の途中の浅瀬で自己流解釈を始める人です。
草薙龍瞬さんが提供する仏教は既にスパゲッティナポリタンになってる感じ。
三沢さんはそれを舐めて「このケチャップの僕流アレンジ」を考えている。
三沢さんが草薙龍瞬さんの本から得た「仏教」はお釈迦様のアイデアとは別ものです。
現に三沢さんの欠点・苦しみの元が少しも治っていないですよね。
せめてこの端緒にでもついていれば、三沢さんの病的な「自分自分自分自分」という文の(思考の)癖に変化の兆しぐらいは生じているはずです。
https://note.com/tm2501/n/n1c20fe51d4ec
現に三沢さんにそのような変化が見られないので、
草薙さんか三沢さんか少なくとも片方に重大なエラーが発生していると思います。
(たぶん共鳴し合っている気がするのですが)
三沢さんは執着せず眺めて手放すということが出来ていません。
「ん、これはアンタッチャブル」とか考えていたら出来ないですよね。
(私は草薙さんの「ジャッジメント」ですらなんだかなと感じましたが
三沢さんはそれをさらに俺流に「アンタッチャブル」に変えました。
二人ともなぜこんなことするんですかね。
草薙龍瞬さんの紹介と三沢さんの読解のタッグが仏法を損ないました。
二人とも勝手なアレンジを入れることの弊害への警戒心がなさすぎるように思います。
それをやると劣化コピーではなく根本的に機能を損ねることがあります。
というか私は草薙龍瞬さんの本はサンプルだけ見て閉じたきりでしたが、
今回三沢さんへの影響を確認するうえでアンリミテッドで読みました。
「反応しない練習」。
読んでいるだけでどんどん頭が悪くなるような感覚がありました。
知識の収集癖、羅列癖、過剰で無益な具体性、支離滅裂、あと鍵かっこが多すぎ。
書き手が実践して身についた知識について語っている感じがあんまりしない。
これ本当に三沢さんと同じ型の人ではないですか?
私はこのがちゃがちゃな本から読者が自分のためになるエッセンスを掴み取れる気がしません。
凄く売れた本らしいですが、買った人達はちゃんと読んだのでしょうか?
草薙龍瞬さんはプロの作家でお坊さんですから偉そうな意見は言えませんが、
三沢さんは34歳ニートなので多少の助言はしても良いと思います。
三沢さんは「有能な人っぽく振る舞うこと」に神経を使いすぎです。
三沢さんて「有能な凄い人にならなければ自分の願いはかなわない」と思い込んでいませんか。
全然そんなことはありません。
能力的に凡人でも凡人以下でも願いをかなえて生きている人は沢山います。
三沢さんの大言壮語や意識高そうな口調はただの自己否定や現実逃避に見えます。
凡人だと生きていけないという強迫観念があるためではないですか。
三沢さんは普通でないくらいに自信がない人で、しかも自信欠如への対応がおかしい。
「自分と乖離した凄い人の虚像を作って身にまとう」という対処のせいで
実像とのギャップが生じてますます苦しみと自信喪失のループに陥っていますよね。
たまに三沢さんの文を見かけるだけの人間でもそういうことを濃厚に感じます。
俗世間の熾烈な競争に負けない「凄い人」になる必要があったかもしれません。
しかし34歳にもなればそんなものを追い求める虚しさは感じられているでしょう。
四国に住んで創作活動人生を送るという願いは素敵だと思います。
叶うと思います。
ただ、その願いの実現ためにまず「凄い人」になる必要があると考えていると
10年後も同じ部屋に住んでると思います。
三沢さんが「凄い人」になろうとする必要性や焦燥は何のためにありますか?
そういう「凄い人」になるための焦りの所産と言うか
人と違うバリューを出すんだという間違った取り組みに見えます。
本を読んでるあいだずっと「面白い独自の感想を言わなければ」とか考えていますよね?
これは大きな間違いで、
本をただきちんと読めて書いてあることを受け取れるなら
高学歴なはてなブックマークの人達だって新聞記事すら読めていないでしょう?
ひときわ壊滅的な集中力しかない三沢さんも苦しみの構造自体は同じです。
三沢さんが人並以上に集中力が欠損しているのも、頭があんまり良くないのも、(本当はなんらかの自覚はある筈です)
本の内容と一体化すべき時にいちいち自分自分をやっていれば本など読めるわけがありません。
おそらく「批判的に読書をする」のようなアイデアをまた草薙さんのようなアレンジをする人から受け取って、
ものごとを正しく見て正しく知ることができ、
というのが仏教です。
三沢さん好みの具体的過ぎる話をするなら
何と言うこともなくすらすらと内容が頭に入ります。
概念を手放していくというのはたぶん三沢さんの溜め込んだメソッドと正反対でしょう。
だから三沢さんが本当に仏教と出会えばじわじわと別人になってしまうはずです。
でもそうならないのはおそらく草薙さんと三沢さんの自我のせいです。
何と出会ったって自分の概念九龍城へ組み込むパーツとしてしか見てないために
まとめると
「自分は有能な凄い人だ」という妄想概念をくみ上げて常にそれを体の周りに装着しています。
このために何を見ても何を聞いても何を読んでもその妄想を通しているために情報が壊れてしまう。
これが自我です。
人の話を聞いてるときに、相手が何を言っているかも何を感じているかもわかりにくくないですか。
もしそうならそれは自我がずーっと邪魔をしていて心が目の前の情報を取れないためです。
全人類がこの病気ではあるけど三沢さんは少し程度が強いのではという印象です。
仏教にはこのガスを取り払うための実践的で研ぎ澄まされたメソッドがありますが
草薙龍瞬さんの本を読むとそういうことまで辿り着けないと思うし
三沢さんは「特別な自分」「オリジナルな自分」について考えこむことが自分の強みであり突破口だと思っていそうですが
そこが一番の間違いであることは仏教なら本当は30分でわかります。
本を読むのにも文をバズらせることにもそんなこと考える必要は一切ないです。
四国へ行きたいならまずその自我妄想と別れを告げることだと思う。
ところでお坊さんを軽々に否定したりしちゃいけないという道徳が自分の中にあるんですが
でも草薙龍瞬さんの本はなんか…。デタラメを言っているとかでもないからなんとも言えないんですが。
個人的に「とゆう」「しずらい」並に耐えがたかったので何回かなろうの公式機能で誤字報告をしたのだけど、
ああ、「表記揺れの範疇なのに口うるさく指摘してくる荒らし」と思われたんだろうな。
表記揺れじゃないよ。
少なくとも自分は小学生でこの漢字を習った時、真っ先に注意されたよ。
「話しをする」は間違いで、「話をする」と書かなきゃいけないと。
話と書くべきところを話しと書いて原点食らったことがないのかな。
最近ランキングにも顔を出すようになった作家さん。きっとそのうち書籍化の打診が来るよ。
その時片っ端から「話し」を「話」に訂正されて、赤っ恥をかくのはあなただよ。
どうか誤字報告を無視しないで
現場に詳しそうな人から一般人まで。実話風に語られる恐怖体験はとても恐ろしい。一短編ずつのクオリティは良い!
https://kakuyomu.jp/works/16817330659537744304
カクヨムで読んで、続きが読みたい!と本書をゲットしてよんだ。
壺の由来は語られないし、最後のおおオチにあの人を持ってくるなら、そいつをグーパンするためにキィさんが出てきてもいい気がするんだが…。
探偵役は他所から持ってこないで、亡くなってしまった霊能者により覚醒したライターとか、手前でなくなってしまったホラー作家を素直に探偵役に持ってきた方がよかったかなあ。
でもホラーとしてはとても良かった。怖かったよ!
最近付き合い始めた彼氏とよく映画デートに行くんだけど感想がなくて困ってる
私の彼氏はいつも映画を観たあとものすごく細かいところまで感想を言う
元々映画が好きな人だから「あそこのシーンが良かった」とか「ここのシーンが良かった」みたいな簡単な感想から同じ監督の過去作の話とか演出の話とか気に入った映画から気に入らなかった映画までものすごい熱量で色々感想を言ってくれる
それを聞いているのは楽しいんだけど「〇〇はどう思った?」って言われるとすごく困ってしまう
正直、何とも思ってないから答えられない
本でも映画でもいいけど、何か作品鑑賞をして人に語るような感想を持ったことがない
面白かった、つまらなかった、感動した、泣いちゃった、怖かった……みたいな単純なことしか思えない
彼氏のことは好きだけど正直映画デート行くと面白い感想を言えない罪悪感で毎回後悔することになる
彼氏に「どう思った?」と聞かれても「彼氏くんは細かいところまで見ていてすごいねぇ」「私はそんなこの気づかなかったよ」くらいしか言えることがない
映画とか本とかの感想をぽんぽん言える人ってなんでそんなに語れるんですか?
羨ましいので感想を持つコツとか教えてほしい
https://kakuyomu.jp/users/yasei-jidai
過去の歪みはあっても、まともに生きてきた人間がすこしずつ、少しずつおかしくなる。
カクヨムで試し読みをして引き込まれて、すぐ手元に著書を取り寄せた。読んでみたら半分も試し読みにしていた角川のすごさ。そして一番面白い真ん中でお試しはこれまで、と言われていたのなら読みたくなるのは仕方あるまい。
違和感や不審を「いい大人が怖がるなんて」と強がるうちに、取り込まれていく。脅す方と助ける方と助言する方、すべてがひっくり返されて「えっ?!」って声が出たくらい。
「人が怖い」ホラーではないはずだったのに、結局は人が怖くなる。
冲方丁氏のSFは学生時代に手を出して、頭のよろしくない私には難解さが買ってしまったのだけれど、本作ではSFで描かれるような緻密な説明が主人公の焦燥や恐怖として浮き出ているような気がしなくもない!
すごいこわかった…(小並感)