はてなキーワード: 自己肯定感とは
ホスト研修日記とか女性風俗研修日記とか読んでると、普通に気遣いできる普通の人間ってだけで才能ある!!って超褒められててドン引いてる
たった30分で客を不快にさせたり怒らせたりするトーク(逆にどうやってんの?笑)、微妙に失礼な言動(逆にどうやったらそんなに失礼になれんの?笑)、AVのような性知識、ガシマン自分優先自分本位の性認識、常識の欠如、異常なまでの要領の悪さ、異常な忍耐力のなさ、ほとんど障害者としか言いようがない実態に全く見合わない、異常に高い自信と自己肯定感がほとんどの奴に共通している。
金を取れるレベルにないと叱られてるが、こんなの女友達を作れるレベルにもない、というか正直1人で外に出ていいレベルじゃないんじゃないか?
客相手の接客なのに「つい自分のことばかり考えてしまっていた」「相手の女性のことを考えきれてなかった。自分は未熟だ。勉強したい(18でこれなら未熟と言うより手遅れでは?)」「失敗の原因は、根拠なくなんとなく自分に自信を持ってしまっていたことだ」が超高頻度で出てくる。
幼稚園児なのか?と疑うが、基本的に18歳以上、ほとんどが成人男性の書いた文章なのである…
極め付けは「男性は普通、女性を怒らせずに女性からお金をもらえるだけのサービスをすることはまず無理」とでも言いたげな「女性慣れ」「一般男性が金を取るのは無理」という言い回し。
多分この人らが特別というわけでもないのだろう
これをお客様の女性にぶつけて金取ろうとしてるのか?クビの話もよく出てくるので、ちゃんとしてるとこはクビにしてるんだろうけど…
悔しいなあと思うことがない。仕事で何かに失敗しても「失敗したなぁ、まぁそういう時もあるか」と思って悔しさを感じないし、会社の先輩に何か言われて空気を読んで「悔しいです(建前)」と嘘ついたら「増田さんでも悔しいと思うことあるんだ」と言われた。
みんななんでそんなに悔しさをバネにして〜とか悔しいって気持ちになるんだろうってとても不思議だった。
いろいろ調べて自分はそもそも自己肯定感が低くて諦めているから悪い結果が出ても「自分がやったらそりゃこうなるよね」って思ってるのではないだろうか、という結論に落ち着いた。
自己肯定感チェックのサイトによるある設問で「親に愛されて育って来たか」の問いがあるが答えは「yes」である。しかし勉強が壊滅的に出来なかった。高校生の時は毎回赤点で進級が危ぶまれていたし大学もF欄で結局よくわからない卒論を書いて卒業した。
その時の経験が「自分は出来ないから仕方ない」という思考になり、諦めが入っているので悔しさを感じないのではないだろうか。
どうやったら諦めから脱却出来るのだろうか。
「あの友達は自分と居るよりも、他の人と居るほうが楽しそう」とか「自分が参加してないほうが幸せそう」とか「輪を遠くから見てて十分」みたいな感情を持ってるのって迷惑なのかな
一人でいることが好きというより、エゴを持って「一緒に遊びたい」とか「参加したい」って思う事が迷惑でないかっていつも思ってしまうせいで、心から楽しくしているか不明でずっと不安がある
自分から誘うことが迷惑だと思うし、うまく自分から誘った時も「時間使わせて申し訳ない」って思いながら「遊んでくれてありがとう。」って言ってる自分に嘘ついてる感覚が嫌
何かしら誘われた時も「本心でそう思ってないでしょ」とか「何か裏があってそう言ってるでしょ」とか「仕方なしに誘うか」と思ってるのも嫌
何かしら思う時に「居ないほうがいい」と第一に思ってしまってそこから脱却できないせいで開き直るとかそういった所まで持っていけない
自分以外の人がどう思ってるか知らないけど、どうやってこれを回避しているのか教えてほしいです。
自己肯定感というか自己評価がくっそ低いから上げろっていう話なら、一年ちかく評価をあげるための努力をしてみて変わらないので、変わらない事にも落ち込んでいる
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1628418345
1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (プチプチW 93bd-imFy):2021/08/08(日) 19:25:45.61 ID:fqdQaa+w00808 ?2BP(1000)
はてな匿名ダイアリーを利用するのは初めてだが、弱者男性論のメッカらしいのでここに書いてみる。
20代後半、童貞、友達なし、恋愛経験なし、子供部屋在住、フリーター、年収100万円以下。
弱者男性という言葉の定義をここでは試みないが、自分もそう分類されるのではないかと考えている。
睾丸摘出手術を受けて約1年が過ぎようとしている今思うことを記す。
ネットによれば「オッサン」というものは臭くて汚くて性欲まみれで世間に迷惑をかける気持ち悪い存在らしい。そんなものになりたくない、という気持ちがきっかけになった。
曰く去勢をすれば性欲が減少するらしい。性欲が減れば私が性犯罪を犯す危険も減るだろうし、そうなれば不幸な思いをする被害者も減らせる。私自身も不必要な性欲のために時間的・金銭的・肉体的コストを浪費せずに済む。唯一不幸になるのは孫の顔を見られないことが確定する私の親であるが(私は一人っ子だ)それはもう諦めてもらうほかない。私は反出生主義者ではないが、我が子や子孫という存在も生まれずに済む以上幸福になれずとも不幸になることもまたない。
また、去勢をすると体臭が減るという情報もあった。私の体臭によって不快な思いをする人が減るのであれば喜ばしい。なるべく引きこもって暮らしているが、どうしても出かけなければならない時がある。そんな時に誰かとすれ違ったり隣に座ったり同じ空間にいたりするだけで人々に嫌な思いをさせる、そんな心配も減るのだ。
人々に迷惑をかけない。私はそういうことに幸せを感じるのだ。そんなに人に迷惑をかけたくなければ自害せよと言う意見もあるかもしれないが、私にはその勇気がなかった。そしてそれに代わる手段として選んだのが去勢だった。
手術とその後
ネットで見つけた病院へ。性自認を問われることもなく(問われたら答えられなかっただろう)電話一本で日帰り手術。費用は15万円ほど。覚えているのは自分の体が電気メスで焼かれる匂い。火葬されるとこんな感じなのだろうかなどと考えていた。術後は抜糸不要で痛み止めを少し飲んだ程度。こんな簡単で良いのだろうか。
その後性欲は無くなりはしないものの確かに減少した。自慰行為に浪費する時間は減り、射精に近しい感覚は残っているものの精子は無くなり精液も透明なものがごく少量出るか出ないか程度になった。恋愛感情はもともと経験がないので変化がわからない。宦官は性欲の代わりに出世欲など他の欲望が強くなるとどこかで読んだがその兆候も今のところ見られない。週に一度ジムに通っているが体力や筋力の減少は特に見られず、体臭についても自覚できる変化はなかった。
現在私は男性と言えない何かであるが、分類上は普通の男性として生活している。といってもいわゆる「男性性」を演じることは元からしていないしするつもりもない。かと言って女性になりたいわけでもないのでこれ以上なにか手術などを受ける予定も現状ない。
最後に
ここまで書いてみたが去勢という不可逆なものを弱者男性にすすめることはできない。
自らの欲望や男性性を否定することを目的に睾丸摘出術を受けることは、自己肯定感を高めることで弱者男性を脱しようと言う考えとは対極にある。本来手術を必要としている方々にも失礼だろう。もちろん多少性欲が減った程度で解脱できるなどということはない。たとえ手術を受け「オッサン」になることから逃れたとしても、私自身あるがままで気持ち悪い存在なのだ、と改めて気が付かされただけであった。
はてな匿名ダイアリーを利用するのは初めてだが、弱者男性論のメッカらしいのでここに書いてみる。
20代後半、童貞、友達なし、恋愛経験なし、子供部屋在住、フリーター、年収100万円以下。
弱者男性という言葉の定義をここでは試みないが、自分もそう分類されるのではないかと考えている。
睾丸摘出手術を受けて約1年が過ぎようとしている今思うことを記す。
ネットによれば「オッサン」というものは臭くて汚くて性欲まみれで世間に迷惑をかける気持ち悪い存在らしい。そんなものになりたくない、という気持ちがきっかけになった。
曰く去勢をすれば性欲が減少するらしい。性欲が減れば私が性犯罪を犯す危険も減るだろうし、そうなれば不幸な思いをする被害者も減らせる。私自身も不必要な性欲のために時間的・金銭的・肉体的コストを浪費せずに済む。唯一不幸になるのは孫の顔を見られないことが確定する私の親であるが(私は一人っ子だ)それはもう諦めてもらうほかない。私は反出生主義者ではないが、我が子や子孫という存在も生まれずに済む以上幸福になれずとも不幸になることもまたない。
また、去勢をすると体臭が減るという情報もあった。私の体臭によって不快な思いをする人が減るのであれば喜ばしい。なるべく引きこもって暮らしているが、どうしても出かけなければならない時がある。そんな時に誰かとすれ違ったり隣に座ったり同じ空間にいたりするだけで人々に嫌な思いをさせる、そんな心配も減るのだ。
人々に迷惑をかけない。私はそういうことに幸せを感じるのだ。そんなに人に迷惑をかけたくなければ自害せよと言う意見もあるかもしれないが、私にはその勇気がなかった。そしてそれに代わる手段として選んだのが去勢だった。
ネットで見つけた病院へ。性自認を問われることもなく(問われたら答えられなかっただろう)電話一本で日帰り手術。費用は15万円ほど。覚えているのは自分の体が電気メスで焼かれる匂い。火葬されるとこんな感じなのだろうかなどと考えていた。術後は抜糸不要で痛み止めを少し飲んだ程度。こんな簡単で良いのだろうか。
その後性欲は無くなりはしないものの確かに減少した。自慰行為に浪費する時間は減り、射精に近しい感覚は残っているものの精子は無くなり精液も透明なものがごく少量出るか出ないか程度になった。恋愛感情はもともと経験がないので変化がわからない。宦官は性欲の代わりに出世欲など他の欲望が強くなるとどこかで読んだがその兆候も今のところ見られない。週に一度ジムに通っているが体力や筋力の減少は特に見られず、体臭についても自覚できる変化はなかった。
現在私は男性と言えない何かであるが、分類上は普通の男性として生活している。といってもいわゆる「男性性」を演じることは元からしていないしするつもりもない。かと言って女性になりたいわけでもないのでこれ以上なにか手術などを受ける予定も現状ない。
ここまで書いてみたが去勢という不可逆なものを弱者男性にすすめることはできない。
自らの欲望や男性性を否定することを目的に睾丸摘出術を受けることは、自己肯定感を高めることで弱者男性を脱しようと言う考えとは対極にある。本来手術を必要としている方々にも失礼だろう。もちろん多少性欲が減った程度で解脱できるなどということはない。たとえ手術を受け「オッサン」になることから逃れたとしても、私自身あるがままで気持ち悪い存在なのだ、と改めて気が付かされただけであった。
自己肯定感上がるとかストレス緩和するとか心の支えとかそういう噂あるじゃん
そういう話
存在してるだけではだめ
仕事が死ぬほど疲れるので、これに心配が上乗せされるとイライラはする
収支がどっちに傾くかは関係値次第な気がする
なんとなく「生きててよかったな」と言う感じはする
特におっさんになると「そのままでいい」「今のままがいい」「変わらないでほしい」なんてお世辞でも言われないから、不思議な気分
あと、相手の自己肯定感を上げられることによる自己肯定感の向上を感じた
わかる?今相手にとって自分は一番自己肯定感を上げられる存在なんだって
「男にこんなこと言われて嫌だった」みたいな話されるけど
それ俺がやっても別に嫌がらないよね??ってなるから頭がバグる
この好き好きモードがある日突然無くなったら俺もそのルール内に入るってことだよね?
気をつけなきゃ
自由で居てほしい
でも相手は束縛してほしいらしいので難しい
お前の褒めるところ探すのめちゃくちゃ大変なんだよ。
いつも口ではデカい事言うくせに、全然行動伴っていないし、時間にルーズだし。
で、注意したらすくヘソ曲げてふて腐れる。
何が「注意するときは褒める8に対して注意2が自己肯定感上がるらしいっすよ」だよ。
どんなに頑張ったって注意9に褒める1で限界だわ。
って思ってるのに会社の方針で「毎月1回1on1で部下を褒めましょう」だと!?!?!
何の罰ゲームだよ。
俺なんてこれまで誰にも褒められずにここまでやって来たんだぞ。何で褒められた事無い人間に褒めろとか指示すんだよ。
てか褒められるとか気持ち悪いだろ。やるべき事ちゃんとやるのが当然であって、誰かに褒められるような事じゃねーよ。
褒めの追い剥ぎだよこんなの。。。
日本社会には「良いものを安く売ることが良いことだ」ということを美徳だと感じている人たちが多いと思う。
しかし良いものを安く売ることは、その良さを減じている。良いものとは高いのである。良質なものは珍しいことが多く、手に入らないから高いのだ。
良いものを作り安く売ることで、作り手には何が入るのか。名誉である。
良いものを安く売ることで「あの人はいい人だ」「できた人だ」「立派な人だ」という称賛を浴びることができる。
逆に、買い手はその安さのかわりに称賛を売っているのだ。
もし良いものが価格に十分見合ったものだったらどうだろう。買い手は「こんなものか」「そういうものだろう」「なぜ感謝しなければならない」「正当な対価である」と感じるのだ。称賛などしない。
「良いものなのに安くする」というのは、自信の無さの裏返しである。高い値をつけたときの罵倒に耐えきれないから、その自信の無さが値段に出るのだ。
「でもみんなに提供するためにこんな低価格でやっているんです」と言えばみな納得する。「そんなに安いならしょうがない」「こんなに安いのにうまい」「こんなに安いのに高品質だ」という評価になる。
その頑張り、その苦心がいっとう評価される。買い手は安くものが手に入って満足する。素晴らしく理想的な物語である。
しかし良いものとは高くなるべきなのである。本来もっと価値があってしかるべきである。そういう売り手と買い手だけが存在する一商品のクローズドな市場ではなく、世の中には別の市場もある。世界とは魑魅魍魎が跋扈する極めて不安定な世界であり、小さなクローズドな世界とは性質が完全に異なる。その別の市場での価値からだいたいいくらぐらいになるのかを知っているのが転売ヤーである。
転売ヤーは基本的に悪である。買い手からすれば、「手に入るハズだったものが、欲しくもないヤツに目の前でとりあげられて、ニヤニヤされるムカつき」を味あわされる。
そうして「どうせ手に入らないなら手にした者が破滅すればよい」というルサンチマン・すっぱい葡萄の合理化から、転売ヤーが敵視される。
これは自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
売り手からしても、転売ヤーは名誉をかっさらうモンスターである。自分には人徳があり、美徳を重んじたために、その対価として名誉を得られるはずだったのに、転売ヤーは購入しても売り手に称賛など送らない。したがって売り手も転売ヤーを敵視する。顧客が高い金を払って転売ヤーから買った場合、顧客は称賛など一切しないからだ。
これも自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
そう。悪いのはすべて転売ヤーである。転売ヤーは徹底的に悪である。
しかしその罵倒のメカニズムもまた、市場経済に組み込まれている。転売ヤーは、罵倒されることで、金銭的な利益を得ている。
一方で売り手も買い手も、適正な価格というものを理解していない。売れるならば、それで手に入るユーザーが少なくなっても高くしなければならない。それが適正価格だからだ。
この適正価格では、名誉の売買などされず、感謝はない。単なる正当で公平な取引である。もちろん「価格以上のものを売る」というピュアな精神自体は素晴らしいものであり、経済を推進させるために重要なものだ。
買い手の「高くて買えない」「高いなら買わない」という思想は、資本主義を悪とみなし、みんなが平等に貧しくなろうとする清貧な思想につながる。
結局のところ「そこまでして欲しくはない」のだ。「そんなに高いのならいらない」のだ。適正価格よりも安くすることで、本来手にとれないはずだったユーザーにまで裾野を広げ、そして人気と称賛を得る。
安いのだから、責任は負いたくない。どこまでいっても、最後の最後で「だって、こんなに安いのだからしょうがないじゃないか」という言い訳を作ることができる。
だから成長しない。
適正価格よりも安くすることで、従業員の給料なども安くなる。取引先にも「安さ」の圧力をかけ、よりものを安く安くと要求する。「いいものを安く」とは聞こえがいいが、「安くなければまともに買ってもらえない」「安くなければ称賛などされず対等だと思われてしまう」ことを知っている。
「高いけど買う」「買うために稼ぐ」「ほしいものを手に入れるために戦う」という思考にならなければならぬのだ。
日本はこの「名誉」とその逆である「恥」を子ども時代から徹底的に教育されている。「嫌われること」「排除されること」「村八分にされること」を必死で恐れている。
現代日本で起こっていることは、名誉の価格が下落しているということだ。名など腹の足しにならず、名を取っていると死ぬときが来たのだ。しかも、名のため他人のためにどれだけ自己犠牲を払っても、他人はそれに見合った称賛をくれはしない。名を贈る余裕がなくなった。いよいよそれが耐えきれなくなったときに日本人の感情は爆発する。「実ばかりだけでなく、名も無いぞ」と。
誉や称賛を重視して、良い人であろうと、純粋であろうと、潔癖であろうと、善良であろうとするから、転売ヤーを敵視するのだ。実際には血塗れで強欲で禍々しいはずなのに。
実際には、転売ヤーだけが悪なのではない。売り手も買い手も悪なのだ。その悪を直視せず、小さな世界だけで完結しようとして、己と異質の黒船民族を排除しようとするのは、尊王攘夷と何が違うのか。江戸はもう終わったぞ。
いい加減「いいものを安く」はやめろ。良いものは高いのだ。高くしろ。プロであるならば。感謝や称賛など求めるな。
ダンピングしてお手軽に名誉を獲得しようとする輩は、徹底的に糾弾し、より合理的・徹底的に搾取しなければならない。それが全体のためにふさわしい。
これを実践するためには、自己肯定感を高めることという自分が変わることでしかなし得ない前提が必要なので弱者は救われない。
自己肯定感の低い奴はまずは他者からの肯定を求める上にそれに対してものすごい勢いで疑ってかかるというもう他者からの救済に対しては詰みの状態にあるというのがかなりキツい。
自分が変わる事でしか自分が受け入れられたという感覚を得る方法が無いのにそのままの自分を受け入れて欲しいとなっている奴を他者が救うのは無理。
そのとき、「相手に良い印象を持たれるにはどうすればいいのか?」と考えることが自己肯定感を高める指標になります
そして、失敗も自己肯定への道です