はてなキーワード: 美徳とは
女性(=フェミニストであるわたし)と同じ精神を持った存在となることだ。
旧態依然としたフェミニズム理論において、「男らしさ」「女らしさ」というのは全てジェンダー、つまり、文化の強制によって押し付けられたものである。男性と女性は本来同質のはずであり、異質な部分があるとすればそれは伝統的なキリスト教家父長制文化によるものなのだ。それがなければ「彼」は「私」と同じになるはずなのである。
そういう文化は、男性間のコミュニティによって継承されている、ことになっている。
女性に性欲を抱くこと、勇敢さを美徳だと考えること、進んで危険に挑んだりリスクを冒したりすること、お花よりも武器や車が好きなこと。体を鍛えたりすること。なにより、それらを男性と男性のコミュニティで相互に褒め合ったりしないこと。
要するに、なんか洋ドラの酒場にたむろってる不良男たちみたいな、道行く女にヒューッとか声かけるコミュニティを、撲滅したいとか言っている。フェミニストの脳内では、全ての男はどんな陰キャだろうとああいうコミュニティの影響を受けている。そのせいで、暴力性が抜けきらない、「悪しき男性性」を脱してないというわけ。
ま、ちょっと突っついたら明らかに間違いだと、わかる理論だけどね。生まれつきの男女差はあります。ジェンダーだけで説明はできません。
適当で有名な社会学も、いまはもう流石にこんなことは言わない。本来は。でもツイフェミは昔のままの理論を使っちゃうんだな。
フェミニズムの悪いところだ。
違うんだよ、日本は切腹・指詰めの文化で、やらかした罪に対してアンバランスなほど大きな罰を受けることが美徳とされる風潮があるんだ
言い訳をせず罰を受け入れる、多少不条理でも責任として引き受けるのが潔いという考え方
ただ、その副作用で、切腹はかわいそうなので大目に見るとか、罪を認めないことが最適解になってしまった
飲酒運転の罰を重くしすぎた結果、人を轢いても救護せずに逃げて酒を抜くのが最適解になるように
今回に限らず、昨今炎上した事件でも、必要以上に吊し上げて大きすぎる社会的罰を与えようとするSNSの反応も多いしな
本来潔さが美徳の国民が無責任な行動をとってしまうのは、こういうバランス感覚を持って適切な罰の重さを設定できないところにある
まず今は「肉体注視」が嫌だったらvtuber(カーテンの向こうに肉体を隠す)という手もあるわけ
それでも「かわいい」「えろい」「たゆんたゆん」等は絶対にいわれるわけ(言動注視でもリラックスによる感情だだもれはある)
3つ上にいる増田はだから見当違いというか。いいたいことはわかるけどあんまり本筋に合ってないよねという指摘が一つ
男女を分断して話をややこしくすんな かわいいだけでも仕事がやりにくくなる女性芸人配信者だっているだろ
都合のいいとこだけ見せて都合のいい感想だけつまみ食いしてろ(そのために感想やエゴサをより分ける有能なマネージャーでもつければいい)ってのが一つ(元増田のいう距離感)
元増田や他の増田の提唱する学級会(「男が女にエロっていいまくるくらい嫌なことだよ、やめたげなよ~~」)は都合が悪くなった視聴者が自主規制により都合のいい視聴者に戻りたいってことなんだろうけど
それ外国人にもいえんの?っておもっちゃうくらい無駄だよね 配信者も世界中の人に配信してる意識もってりゃいいだろ
つまんないとこでグチるなよ 予防線でもはってりゃいいだろ
ただ元増田が個人として配信者の「気持ちを大事にした」結果離れるのは過剰に空気読んでるけど日本人女性の美徳とか美意識みたいなもんなんだから好きにしたらいいと思うよ
横増田くんも個人の匿名日記をよんでわざわざ学級会みたいに糾弾して頭がいいフリとかしなきゃいいのになとは思うね
元増田もわざわざ「気持ちを大事にした」て美化すんじゃなくて「リラックスできねえ配信者なんてクソだわやーめた」って正直にかけば1行ですむのにとも思うけどね
長文増田はなべてクソ
大多数が農民の家系で、「政(まつりごと)は上様に任せて、自分達は何も考えずにまじめに働く」のが美徳とされてきたわけで
戦後の西欧的民主主義を受け入れるにはあまりにも国民のレベルが低い、良く言えば前時代的、悪く言えば幼稚過ぎたわけ
自分政治に興味ありますみたいな奴らの議論を見てみろよ 増田でもXでもどこでもいいけど
体制のやることなすこと全肯定するネトウヨと全否定するパヨクがお互いを罵り合ってるだけじゃんね
一つの論点についてすらまともに勉強してるなんてことはまずありえないし、自己流の主義主張すら存在もしない
傾国の一途を辿ってるってことはそういうことですよね
もう誰もひっくりかえせない戦況まで来てると判断して自分がいい思いして逃げ切れば良いって判断した老人が多いのは、ある意味損切り出来る有能なのかもしれんけど……
本当にそれが美徳なのかよく考えてみたら?
発達障害のつらいのは、意地悪な人や嫌な人にいじめられることより、良い人とか正しい人、自分から見て憧れの人に、疎んじられ軽んじられする事。
でも、どう考えても自分の方が間違ってて、嫌われるのは当たり前。仕事出来なくて、コミュもダメ、性格も良くない。
自分でさえ自分が嫌い。持って生まれた性分が、どうしても社会的に「正しく」あれない。明るく、賢く、美しく、前向きでいられず、良い人に礼を失してしまう、恩知らずになる。
自分を好きになりたいのに、あまりに社会で美徳とされるものを持ってなさすぎて、それが内面化して自分を苦しめる。
仲間に囲まれて愛されて、に憧れてしまう。そういう風に世間が良いとしてるのを学んでしまったから。無理なのに。山奥か都会の片隅でひっそり本を読んで静かに暮らしたい。人と関わらずに、細々と。
立派な仕事してるのに「自分の仕事なんかしょーもないもんですよ」と謙遜ができる人間が本当に少なくなった。
たいていの人間、勉強仕事がこんなに大変だとか、家事育児が大変だとか言って愚痴ばかり。(そしてそれをこなしている自分凄いでしょ、という心)
自分のやってることなんか誰にでもできますよ、なんてとても言えないだろう。
最近はCMとか見るとどの企業も「社会の誰かの役に立ってる」的な、なんかふわっとした良い感じのポエミーなキャッチフレーズで自社を気持ち悪いくらい賛美してるものが多い。
社長やら実業家やらが驕り高ぶって謙虚さをしばし忘れてしまっているのはまだいいが、水商売やら配達員みたいな連中まで「誰かの役に立つ大事な仕事だ」、とかそりゃ需要があるから金が入るんであって必要不可欠な仕事だし誇りを持っていいことなんかめちゃくちゃ当たり前なのに、自分に自信が持てないでそんなポエムに縋ってる姿が哀れで仕方ない。
そんな薄っぺらな当たり前のことしか言わんポエムがないと自己肯定できんのかと悲しくなる。
一番典型的なのは、昔は芸人とか芸術家なんかはめいめい自分の仕事はしょうもない、俺らは落伍者だ、道化だと自虐していた。学問ばかりをやってる研究者なんかも、自分は社会からはみ出た仙人みたいな存在であること認識していた。
今そいつらに位置するYoutuberやらなんかは完全におごり高ぶってわけわからんポエムを吐いて自分の仕事を神格化している。
研究者や専門家はまるで世界の中心にいるかのような感覚で仙人である自分を自覚せず、机上だけの論理で現実的な生活感覚のないまま好き勝手に本を書いたり、コメンテーターして世の中をかく乱している。
とにかく自分のことを良い感じに見せることしか頭にないやつが多い。
別に「自分はしょうもない人間」でいいじゃないか!そして「しょうもないなりにはそこそこやれてるな」って、内心で思ってればそれでいいじゃないか!
そりゃ誰だって内心自分の仕事を誇りに思ってるし、でもだからってそれを他人にわかってもらおうなんてしなくていいし、自分の仕事が一番偉いと思いながらも、表面上はお互い立てあってたらいいじゃないか。
日本人の謙虚さとかは、それを逃げ道にして臆病なだけの人間が増えたせいでいろいろ言われるが、やはり素晴らしい美徳だと思う。今一度取り戻してほしい。
現代では自分のことを下げて言えるのは強者の特権で、自分なんかしょうもないですって言えるほど余裕のある強者がもういないんだろうか。