はてなキーワード: 知的障害者とは
母親が知的障害者だった増田だけど、書いた途端に祖父の訃報が届いた。デスエッセイか。
※「縁切った言うてたやろ」と思うかもしれない。縁切ったことがある人ならわかると思うが、絶縁にも「連絡先は知ってるけど連絡は一切取らない」ソフトなものから「連絡先も住所も一切知らせない」ハードなものまである。我が家はソフト寄り。
せっかくだから祖父についても書こうと思ったが、めんどくさくなってやめた。
めんどくさくなった今の私最高だな、と思った。
マクナマラの10万人、マクナマラの愚行、マクナマラの白痴、マクナマラのミスフィッツとも呼ばれるプロジェクト10万人[1][2]は、1960年代にアメリカ合衆国国防省(DoD)が、それまで軍の精神基準や医療基準に満たない兵士を採用するプログラムとして物議を醸した。プロジェクト100,000は、アメリカ政府のベトナム戦争への関与に伴うエスカレートする人員要求に応えるため、1966年10月にロバート・マクナマラ国防長官によって開始されたプログラムである。マクナマラの愚行:ベトナム戦争における低IQ部隊の使用』の著者であるハミルトン・グレゴリーによると、このプロジェクトの参加者は、ベトナムに従軍した他のアメリカ人の3倍の割合で死亡し[1]、従軍後は、非退役軍人に比べて収入が低く、離婚率も高くなった。このプロジェクトは1971年12月に終了し[3]、特にイラク戦争の人手不足の際には論争の的になっている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Project_100,000
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他の兵士の3倍の割合で死亡し、帰還した兵士は、同レベルの知能かつ兵役経験のない層と比較して低収入かつ離婚率も高かった(戦争経験が心理的な悪影響を及ぼしている可能性あり)
知的障害があるけど、本人も祖父母も認知しないまま健常者として親やってる人は結構多いな。
年取ってから知的障害を認める、病院に行く、行動を改めるのは難しいから、
本人のプライドもあるし、今更自分の行動や考え方が間違いだったなんて認めるのも後悔があって辛いだろうし。
いつまでも身の回りのことなんて出来ないし、公的な手続きもできない、健康診断にも行かず毎日酒飲んで実家はボロボロだし、保険屋の言いなりで金むしられてるし、親戚にも言いようにあしらわれて遺産も面倒な物ばかり押し付けられてる。
悲惨な末路になるのは目に見えているけどそれも含めて受け入れないとダメだね。
以来、就職まで、祖父(人間のクズを煮詰めたようなDVセクハラジジイ)、祖母、母、きょうだい1人、私の5人で暮らしていた。
私の母親は、昔から「何か他の家のお母さんとは違う」と思っていた。
私が小さい頃、私の素行を注意した老夫婦に「うるせえジジババが」と言い返したり、中学生の時の塾の進路相談(祖父はクズだが金だけはあって塾に行けたのは幸運だった)を、ろくに話もしないで終えてしまい先生を困らせたり、騒がしい近所の家に対し抗議の意として化粧品の瓶を投げ込んだり。
DVを働く祖父に対して「クソジジイ」などと罵り、事態を悪化させるのも困りものだった。
当時はまだガラケーの世で、月額315円の占いサイトとかそういう有料サービスがたくさんあった。母親は知らないうちにそれらに多数登録してしまい、解約方法が分からず月に何万も携帯料金を払い続け、それを家族に隠していた(知的障害があると、問題が生じていても誰かに相談できず放置し続けてしまうことがある)。
携帯料金の明細を見た私はすぐに有料サービスを全部解約させ、二度とこういうことがないようにと、有料サービスの誘導画面の説明をした。
「まるで親と子が逆みたいだ」と思った。このあたりからなんとなく「うちの母親には知的な遅れがあるのではないか」と考えるようになった。
また、きょうだいにも、母親より少し重いが軽度の知的障害があった。
しかし、祖父は「障害者が一族から出たら終わり」という考えの上、自分が大学に進学できなかったコンプレックスもあり、きょうだいは無理やり名前を書けば受かる大学に進学させられた。
必修科目をシステム登録できず留年仕掛けたり、コンビニやカラオケのバイトも数日で退職勧奨されたり、見ていられない状況だった。
どうにかきょうだいに療育を受けさせられないか、居住自治体に問い合わせたこともあったが、母親に反対されて断念した。母親は私が通っていた中学の特別支援学級にいたダウン症の子を引き合いに出し、「あんなのと一緒にするのか」と宣った。ちなみに、福祉業界の知人いわく、「障害者が他の障害者を差別するのはよくあること」らしい。
私の就職が決まり、大学4年の終わりになるころ、祖父の経済的・精神的・身体的DVが極まり、家の中はめちゃくちゃだった。
ある日、母親が半ば錯乱状態で「お前らみんな包丁持ってきて殺してやる」と繰り返し叫んでいた。それを聞いた私は「この人はやりかねない」と恐ろしくなり、そこから半年くらい死恐怖症に苦しんだ。このときに出会った禅の思想は今でも心のお守りである。
祖父に関しては悩みもしなかったが、母親については何年も逡巡した。母親の知能だと、「なぜ子どもから縁を切られ、会えない状況が続いているのか」、一生理解できない可能性があるからだ。
しかし、3年、5年と絶縁している期間が長くなるにつれ、「これが私と母親との適切な距離なんだ」と感じるようになった。今では母親のことは「支援が必要な他人」として認識している。何かあったら、行政の然るべき部署につなげることはやぶさかではない。
ここまで書いてきて意外かもしれないが、私は知的障害者が育児することについて全く否定しない。
「子育てをしてはいけない人間」を指すとき、そうである者と、そうでない者の境はなんだろう?明確な線を引けない限り、それを誰かにあてはめることはしないというのが、私の立場だ。私自身苦労は多かったし、支援が欲しかったとは思うが、母親のことは、今となっては全く恨んでいない。
俺の家にいる知的障害者をそういう連中のbackyardに住まわせたい
知的障害者が暴れまわるリスクと、それを回避するために職員が通常よりも手厚く監視するコスト。
身体障害者に対しても怪我されるリスクを回避するために設備にコストをかける必要がある。
助け合って生きろと個々の施設に押し付けるのはどうなんだろう。
こういうこと言うと「お前は自分が同じ目にあったら~~」と抜かす奴らがいるけど、俺なら自分が障害者になったら引きこもって迷惑かけ内容に暮らすだけだよ。
我が物顔で「ここバリアフリーないんですか?SDGSじゃないですね。グーグルマップで☆1レビューつけて、ブログでもボロクソに叩きます」とか抜かすような身勝手な生き物になる気はないよ。
正直さ、自分らこそが余計なコスト背負わせてるはずなのに割引なんてされたら申し訳なくて行きにくいじゃん。
むしろ高い料金叩きつけて堂々と見たいよね。
あーでもそれやると「高い金払ってるんだから助けてもらえるのは当然でしょ」ってイキりだすイカれた障害者と介護者が暴れ出すのか。
頭おかしい奴らに先払いで飴舐めさせるために料金安くしてる節はありそうね。
まあヤクザと必死に戦うよりはある程度みかじめ料払ってた方がマシみたいな所はあるからね。
障害者と介護者ってストレス溜まってそうだし被害者意識も強そうだから甘やかしまくってやらないとすぐに暴れ出すもんな。
そういうことなの?
なーんか嫌な話だね
単純化するために以下の条件とする
・80歳まで生きる
・他の介護担当者の有無にかかわらず、全身全霊で人生を介護に費やす
(1)子どもが重度知的障害:自分が30歳になるまでの人生はフリー。子が生まれ、残り50年の人生を介護に費やす
(2)きょうだいが重度知的障害:自分の人生開始とほぼ同時に介護開始。残り80年の人生を介護に費やす
(3)親が重度知的障害:親が30歳の時、自分の人生開始と同時に介護開始。自分が50歳、親が80歳の時に親が亡くなり残り30年の人生はフリー
介護期間は
(2) (80年)>(1)=(3) (50年)
フリー期間がないことを踏まえると、きょうだい児の介護が最も長い
ゆえに介護期間をどうしても抑えたい場合は、重度知的障害者のきょうだいよりは重度知的障害者の子どもとして生まれた方が短くなる