はてなキーワード: 昆虫食とは
東京大学大学院の講義「問いを立てるデザイン」で細胞培養による人工肉に関する様々な課題を取り上げる講義を受けた。講義のテーマは、人工肉を培養する際の技術的な側面と、その倫理的な観点(たとえば、培養した生命を頂くことはありなのか?など)であった。個人的にも、「試験管で培養したお肉はなんか嫌だな〜」といったところである。とはいえ、講義内でも説明があったが、今後も我々が安定してお肉にありつけるとは限らない。世界の人口は増えていくし、その一方で、畜産従事者は減る一方。そこで、お肉を我々が安定的に摂取するための代替手段のひとつが、人工肉というわけである。
一方で、栄養バランスの観点から見れば、タンパク質を摂取できれば良いのであるから、必ずしもお肉に頼る必要はないのかもしれない。
タンパク質を得る一つの例として、個人的に昆虫食に注目している。子どもの頃、祖母に作ってもらったイナゴの炒め物は大変美味しかった記憶がある。何故日本人はイナゴをもっと食べないのか。実は、そこを私は非常に残念に思っている。世界的に見ても、昆虫を食する国はアジアやアフリカに多く存在する。数年前に中国の新疆ウイグル自治区に旅行した際は、サソリの揚げ物を提供された記憶がある(見た目の都合上その時はとても食べられなかった)。
そこで、講義の主要テーマからは(大きく)はずれることになるが、人工肉と同じように将来の我々のタンパク源を担うであろう昆虫食を本文では取り上げる。その中から、日本で昔から食べられてきた我々(私だけ?)に馴染みの深いイナゴ料理について、3種類ほど紹介することとした。
(参考 https://cookpad.com/recipe/4246461)
イナゴの食べ方の定番。少し甘みを感じるものが一般的な様である。ネット上の感想を調べると、サクサクして美味しい、エビの尻尾の様だ、と高評価が並ぶ。Amazonでも購入可能な様である。私も食べたことはない。
その2:イナゴの炒め物
(参考: https://www.muji.net/camp/contents/tech/activity/being/d/d103.html)
イナゴを茹でた後にさっと油でカリカリに炒めたもの。私が子どもの頃食べたのはこれである。「これは天然のかっぱえびせんだ!」と思った記憶がある。目を瞑って食べると、とても美味しい小エビの唐揚げと間違えるはずだ、と自信をもって言える。後ろ足と羽根が固くて美味しくなかったので、予め取り除いてから調理することを勧める。
(参考:https://www.narinari.com/Nd/20130521693.html)
6年ほど前に一部で話題となった昆虫食パスタ。なお、提供していたお店はすでに閉店している。閉店の理由として昆虫食が影響しているかは不明である。
人工肉と同様に未来の食材の一つとして期待される昆虫食のうち、個人的に思い出深いイナゴ料理についてここでは紹介した。周りの友人に「イナゴを食べたことがある」「イナゴは結構美味しい」という話をすると、殆どの場合はドン引きされる。だが、ほんの70年前は普通に我々の祖父・祖母が食べていた食材であるし、日本の伝統料理の一つと言っても過言ではないと考えている。また、世界的に見ても多くの人々が食していることから、イナゴは食材としてポピュラーな存在とも言える。個人的な感覚では、我々が昆虫を食べていることを気持ち悪く思う感覚は、日本人が魚や生卵を生で食べていることを「うげっ」と思う欧米人と似たようなものではないかと思っている。要するに、我々も海外の人からすると気持ち悪いと思う食材を普段から食べているわけである。結局これは、先入観、固定観念がすべてではないかと思う。欧米人が生魚ののった寿司を喜んで食べ始めたのはほんの10数年前と思うし、きっと10年もすると、我々も喜んでイナゴを食べているようになるのではないだろうか。
東京大学大学院の講義「問いを立てるデザイン」で細胞培養による人工肉に関する様々な課題を取り上げる講義を受けた。講義のテーマは、人工肉を培養する際の技術的な側面と、その倫理的な観点(たとえば、培養した生命を頂くことはありなのか?など)であった。個人的にも、「試験管で培養したお肉はなんか嫌だな〜」といったところである。とはいえ、講義内でも説明があったが、今後も我々が安定してお肉にありつけるとは限らない。世界の人口は増えていくし、その一方で、畜産従事者は減る一方。そこで、お肉を我々が安定的に摂取するための代替手段のひとつが、人工肉というわけである。
一方で、栄養バランスの観点から見れば、タンパク質を摂取できれば良いのであるから、必ずしもお肉に頼る必要はないのかもしれない。
タンパク質を得る一つの例として、個人的に昆虫食に注目している。子どもの頃、祖母に作ってもらったイナゴの炒め物は大変美味しかった記憶がある。何故日本人はイナゴをもっと食べないのか。実は、そこを私は非常に残念に思っている。世界的に見ても、昆虫を食する国はアジアやアフリカに多く存在する。数年前に中国の新疆ウイグル自治区に旅行した際は、サソリの揚げ物を提供された記憶がある(見た目の都合上その時はとても食べられなかった)。
そこで、講義の主要テーマからは(大きく)はずれることになるが、人工肉と同じように将来の我々のタンパク源を担うであろう昆虫食を本文では取り上げる。その中から、日本で昔から食べられてきた我々(私だけ?)に馴染みの深いイナゴ料理について、3種類ほど紹介することとした。
(参考 https://cookpad.com/recipe/4246461)
イナゴの食べ方の定番。少し甘みを感じるものが一般的な様である。ネット上の感想を調べると、サクサクして美味しい、エビの尻尾の様だ、と高評価が並ぶ。Amazonでも購入可能な様である。私も食べたことはない。
その2:イナゴの炒め物
(参考: https://www.muji.net/camp/contents/tech/activity/being/d/d103.html)
イナゴを茹でた後にさっと油でカリカリに炒めたもの。私が子どもの頃食べたのはこれである。「これは天然のかっぱえびせんだ!」と思った記憶がある。目を瞑って食べると、とても美味しい小エビの唐揚げと間違えるはずだ、と自信をもって言える。後ろ足と羽根が固くて美味しくなかったので、予め取り除いてから調理することを勧める。
(参考:https://www.narinari.com/Nd/20130521693.html)
6年ほど前に一部で話題となった昆虫食パスタ。なお、提供していたお店はすでに閉店している。閉店の理由として昆虫食が影響しているかは不明である。
人工肉と同様に未来の食材の一つとして期待される昆虫食のうち、個人的に思い出深いイナゴ料理についてここでは紹介した。周りの友人に「イナゴを食べたことがある」「イナゴは結構美味しい」という話をすると、殆どの場合はドン引きされる。だが、ほんの70年前は普通に我々の祖父・祖母が食べていた食材であるし、日本の伝統料理の一つと言っても過言ではないと考えている。また、世界的に見ても多くの人々が食していることから、イナゴは食材としてポピュラーな存在とも言える。個人的な感覚では、我々が昆虫を食べていることを気持ち悪く思う感覚は、日本人が魚や生卵を生で食べていることを「うげっ」と思う欧米人と似たようなものではないかと思っている。要するに、我々も海外の人からすると気持ち悪いと思う食材を普段から食べているわけである。結局これは、先入観、固定観念がすべてではないかと思う。欧米人が生魚ののった寿司を喜んで食べ始めたのはほんの10数年前と思うし、きっと10年もすると、我々も喜んでイナゴを食べているようになるのではないだろうか。
インターネットでちょっと有名なkogeraさんという人の家に泊まりにいっていました。kogeraさんは何をやっているのかよくわからない人なのですが、大学院に籍を置いているらしいので一応学生ということになるんでしょうか。知り合ったのはTwitterで、私が死にたいと思っていた時にDMで相談に乗ってもらって、そこから縁ができました。
kogeraさんは基本的に面倒くさがりなのでトイレを掃除するのが嫌だという理由でいつも家の隣の公園のトイレを使っています。しかも面倒だからと家から近い側にある女子トイレを使っています。ちょっとした変態みたいですが、本人は自覚はないみたいです。
つい今朝のことですがkogeraさんが昨日と同じようにトイレに行くからといって出ていき、なかなか帰って来ないままスマホが鳴り出しました。私は最初無視していたのですが気になるので呼びに行こうと思いスマホを持ってトイレに行きました。kogeraさんはちょうど出てくるところで、すごく嬉しそうでした。
普段とは違い妙にテンションが高い感じでした。これは変なキノコでも食ったのかなと考えながらスマホを渡すとおもむろにその場で猛烈なフリック入力を始めました。
何をしているのか聞くと
・名前が思い出せないが昔インターネットで読んだ珍しい虫だった
・専攻は生物学とは全く関係ないが(何の専攻かは教えてくれない)、昆虫食は面白そうだから生命科学の研究にも興味がある
・今食べた虫がおいしかったので関連する情報をとにかく忘れる前に調べておきたい
ということみたいです。
とにかく今後はその辺にいる虫を食べないようにちゃんと私が躾けるつもりです。
1.感情論
2.公衆衛生
3.文化
の三つが問題としてごっちゃになっているから、これはきちんと分けよう。そして基本的には日本の話だ。
ちなみに全ての動物に無用の苦痛を与えることが罪に問われている。
ので、トサツされる牛だろうが、保健所で殺処分される犬猫だろうが、田畑を荒らすイノシシだろうが人食いの熊だろうが、極力苦痛を与えない方法で殺さなければ罪に問われる。個人の所有物でも野良でも変更はない。
だから人畜に病気を媒介する可能性のあるネズミやハエ、蚊は駆除されるし、口蹄疫や鳥インフルの感染発覚で広範囲の同種動物が殺処分される。そして適正に処理される。
野良犬も危険であり、野良猫も糞害がひどければ保健所で処分してくれる。
また、犬猫を飼育する文化も存在する。クジラやイルカも食べるし、サメも食う。
他国では犬を食う文化も、オットセイを食う文化もネズミを食う文化もある。虫も七面鳥も食う。現代ではなじみが薄い(=文化としてすたれた)が、日本でもテッポウムシやハチノコ、イナゴなどの昆虫食が実際に戦後まで普通にあった。食糧事情の改善ととも薄まったのだけど。
それぞれの地区でそれぞれの文化に基づいてルールが定められ、それに反したら罪に問われる。
日本の場合はすべて明文化しているので、それの中から今回の『猫を殺したから有罪』の理由を探せばいい。
ちなみに、猫が他人のものだった場合は器物損壊で、作家の安部譲二は金玉をひっかいた猫を思わず蹴り飛ばして服役した過去を自伝で語っている。獣姦も違法である。
犬猫に嫌がる服を着せるのは良くてピアスをさせるのはダメというのは非常に曖昧であるのだけど、結局1から3の理由を勘案してルールが適用されるので、元増田の聞きたいことの回答としてはそういうもんだからとしかならないかな。
ちなみに、物理的に法律の及ぶ範囲というのは当然あるので、その猫を殺した人もそれでOKな国でやったのであれば罪には問えないよ。
掲題の通り。
別にイケダさんを批判したりクサしたりする意図は毛頭ない。ただなぜイケダハヤトに対して周囲(特にはてな界隈)はこうも激しく反応するのか。サラリーマンブロガーの記事とその反応を読んでて疑問が湧いた。
イケダハヤト氏ははてブ見てるとちょこちょこ目にするから知ってはいたんだけど、これを機に幾つかのエントリを読んでみた。読んでみた、んだけどなんだかそこまで心惹かれない。漫画や本の紹介記事も趣味が合わない。あと致命的なのは内容があんまり面白くない。昆虫食とか田舎生活とか、友達の更新するFacebookみたいだなと思ってしまった。
ブロガーだったらサラリーマンブロガーの記事に応酬してたフミコフミオのほうが面白いなと思うし、煽り系なら青二才やちきりんの方が読ませるものを書いてると思う。僕はブログ読むときは読み物としての面白さを求めてしまうので、小説読もうと思ったら自己啓発本だったみたいなハズレ感はあるのかも。でも自己啓発系ならphaさんのほうが合理的で良心的。
やっぱり講演してるとかなんかの編集とか肩書がいろいろあってみんなそこに反応するの?それとも昔はもっと切れ味のあるいいものを書いてたの?高知移住はそんなに革新的だった?リアルタイムでイケダハヤトがバズったときを見ていないので、当時の空気とか知ってる人、よかったら教えてください。