はてなキーワード: 強者とは
この新婚カップルの男性は15浪の末に司法試験に合格してマッチングアプリに登録したら、女性の方から猛アタックされて結婚だってさ。
自称弱者男性もネットで女を叩いている暇があったらこのくらい頑張ったら?
もっとも自称弱者男性の場合、仮に弁護士になれて女が寄ってきても、金目当ての女なんてお断りだと言いそうだけどね。
この男性は合格まで15年もかかってるからお金自体はそんなになさそうだし
何と言っても相手の女性が金目当てだという理由で拒絶しなかった素直さが婚活成功の秘訣だったんだろうね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/83fdcdcb56de6800ae3e86cb1e601592a31ebf1c
この日の番組で1組目の新婚カップルとして登場したのが、静岡在住の夫婦。夫は15浪の末に司法試験に合格したという“超”がつくほど努力家の弁護士。浪人中の15年間はまさに勉強漬けの毎日で、女性に一切目もくれなかったとのこと。ついに司法試験に合格した彼は「次は彼女を作って幸せな家庭を作りたい」と一念発起し、婚活のためにマッチングアプリに登録する。
一方同じく婚活をしていた妻は、5つほどのマッチングアプリを使いこなす強者で、夫からの「いいね」を確認するや、プロフィールをチェック。職業が弁護士と分かると「絶対お金持ち!」と確信し、いいねを返し晴れてマッチング成立。
そこはすごい気になる。あからさまな弱者とあからさまな強者はさておき、ボーダー上でちょっと美味しい思いをしてるけど誰にも教えてやんなーいみたいな奴らのノウハウがすごい気になる
日本で力を得ようと思ったら、弱者を装うのが一番手っ取り早い。弱ければ弱いほどあらゆる逸脱行為は許され、担うべき義務は免除される。この国では弱者は力の象徴になった。
あなたのもとに金を集めたり暴力を集めたりすると、あらゆる機関が強者であるあなたの力をむしり取ろうとするだろう。だから、必ずあなた自身も無産階級出身の弱者を装った上で、特権を持った多くの弱者を集めるシステムを作ることがとても大事だ。
福祉国家ではQOLの向上に大きなリソースが割かれる。多くはほぼ直接税金をばらまくことで改善が図られるが、まず根本的な解決には至らない。多くの弱者は他人の力で尊厳を護持することができないからだ。だが、弱者には人権も選挙権も、無限に湧いてくる金銭的支援もある。国家は強者からむしりとった金を、弱者のもとへ日々おずおずと運んでくる。これを横流しして身を立てるのがよい。弱者保護では最低限の運転資金が容易に調達できる。そもそもこの国には貰うべき支援を貰っていない弱者が山のようにいて、あなたはそれを神妙な顔で申請してやるだけで、弱者はあなたに感謝する。あなたに依存し、あなたを支持する弱者は最大の人的資本だ。滅びゆくこの国に残された最後の金脈と言ってもいい。
弱者にはベンチャーキャピタルや銀行の融資担当者のような厳しい目は向けられない。資金調達に事業計画すら必要ない。請願にあたっては弱々しく申し述べ、貧困にあえぐ仲間を指差し、迫真の演技で、時には本物の行き倒れた死体を示す必要があるかもしれない。だが無知によって身を立てる弱者は本当に何も知らず、所有しないことで身を立てる弱者は自分の持ち物に興味がない。本物の弱者はみな本当に弱々しい。集めることさえできれば、手持ちの中から適したサンプルを差し出すだけでよい。群れをなした弱者はより多くの幅広い支援を受けることができる。弱者団体への支援行為は道徳に帰依するという意思表示であり、社会への帰属を表すアクセサリーにもなる。我々は真の弱者であり、支援をするならば、あなたの胸に赤い羽根をつけてあげましょう。人の道を歩きたいという欲求は永久になくなることはない。集まった者には資金調達窓口や広告塔、弱者モデルとしての役割を与えて所属欲求を満たし、一部を還元して生活水準を上げることができる。
弱者には初めから、戦うための無限の力が用意されている。自分で稼ぎ出さずとも、弱者が弱者でなくなるための戦いを、他人の金で続けることができる。幸い敵はいたるところにいる。弱者でないものの多くが弱者の敵だからだ。弱者は虐げられている、搾取され、養分になり、日々捕食されて死んでいる。この現実を形作ってきたものが、つまり社会そのものが弱者にとってのプレデターであり、弱者は定時連絡のような無味乾燥の革命を続けることで、密かに莫大な富をかすめ取ることができる。この国では、弱者は弱者であり続けたほうがよい。強者ですら、一刻も早く弱者を装うのがよい。戦い方を覚えた弱者の群れが、沈みかけた国家の裏からハシゴをかけて今や支配者に成り変わろうとしている。いつか、あなたが集めたお抱えの弱者の中から、大衆に祭り上げられて強者となる者があらわれる。すると、すぐさま国家は彼からむしり取り、あなたのもとへ金を運んでくる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yoppymodel/status/1579066326785851400
ここでも
真っ当にやっても無駄なんだ
もう手段がないんだ
みたいに展開されんだけどさ
結局「暴力を用いてでも我々の意見を押し通すのである」って事じゃん
是々非々は各人でラインも違うだろうし、いろいろと意見もあるだろうけれどさ
という言い方はしないんだよな
卑怯だと思うんだよ
基地の話題で、反対側も暴力沙汰やっててそれは駄目だと認めるべきみたいな意見に対して「ジャッジ気取り、上から目線、中立ぶった強者支持だからやめろ」とかの反応がだいぶあるんだけどさ、誰だって人間は得られた情報と自分の価値観倫理観を照らし合わせて物事を考えて自分の意見を持つわけで、それをジャッジ気取りと非難するのは、人間に自分の意志を持つなというのと近くないか?
「基地のそばにいない人間は中立ではなく強者側であるので、その人間の価値観は強者としての損得に歪められており、歪んだ価値観で物事を判断するのは有害である。ならば自分の意見なんか持とうとしない方がいい」というロジックがあるのはわかる。
こういうロジックは基地問題に限らず様々な議論で直接的・間接的に語られる。
でもこのロジックに基づくなら、「私たちは弱者で、お前たちは私たちを苦しめる強者だ」という指摘をされた時点で、強者とされる側の判断や反論は既得権益を守りたい欲求に歪められた不実な主張なので慎むべきであり、あれこれ考える前にまずは弱者を名乗る側の意見を受け入れることが唯一正解である、となるだろう。
いやさ、素朴な感覚としては弱者の主張をとりあえず丸呑みすべきって考え方はわかる。
弱者だけがトーンポリシング(口調警察)から免責されるべきみたいな主張も、その基礎はわからないじゃない。悲鳴を上げる時にですます調なんか使えないってことだろ。
たとえば俺が小学校低学年の頃に友達と放課後やってたサッカーでは、倒れ込んで痛がってる奴が出たら、立ってる側が危険行為をしたはずでありそいつにペナルティというルールを難しく考えず運用してるのが一番よかったし揉めなかった。
だが、ある時、どこで習ったのか、わざと痛がるという今でいうマリーシアをやり始める奴が出てきて、グチャグチャになってしまったんだ。
現代の議論も似たようなもんで、「弱者であることを利用する」というハックテクニックの有効性がどんどん強まり、広まってきている。
しかもそれは必ずしも偽装とは言い切れず、ほとんど全ての立場が何かしらの切り口では弱者性を帯びているので、それを強調した主張をするというテクニックだ。
だからさ、そろそろ、「強者は既得権益に価値観が歪まされてるんだから、強者認定されて抗議を受けたら、その歪んだ価値観で反論を考えるより先にまず受け入れよ」という素朴なルールは諦めた方がいいと思うんだよね。
『26歳で「早発閉経」と診断された。結婚発表した千種ゆり子さんが今、伝えたいこと。』
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9d386ed50b5c12597f4e28784c70bb8067f552f
これさあ、早発閉経は大変だったとは思うけれどなんで伝えたい事が
「セカンドオピニオンを受けて」なの?
そもそも最初の医者の診断に問題があったんだから、全国の医師に対して、そこを改めるように訴えるべきなんじゃないの?あるいは初診料を下げてセカンドオピニオンを受けやすくする施策への提言とかさ。
この人自体は気の毒だとは思うけれど、こうやって他の女性に対して圧力をかけようとする点は残念だ
セカンドオピニオンなんて受けたらその都度初診料や交通費を消費するし、そもそも二件目の医者が一件目よりもマシだという保障はないから誰でも簡単に勧めていいものじゃあないでしょ
いつもいつも患者の自助努力ばかりが求められ、医師の側の不備は追及されない。一体何のための医師免許なんだ?無駄に高い医大の学費や偏差値なんだ?それだけ医療に正確性を担保する必要があるからじゃないのか?
40歳以上にはピルは無理だと言って他の方法を提示しない医者はヤブ医者だから他を当たれで済ませた婦人科医もそう。
患者に対しては医療不信を煽ってやたらセカンドオピニオンしろと勧めるくせに、いざ実行したらドクターショッピングだの医療費の無駄遣いだのと叩く
生活習慣病なんかでも一般国民に対して食事や睡眠に気をつけろ、運動をしろという自己責任論の健康対策を求める声は至るところに溢れているのに
それを可能にするために賃上げや労働時間の短縮を求める声は全然聞こえてこない
この女性もそういう弱い者いじめの自己責任社会にまんまと乗っかっている
上手く説明してる人がいた。
表現の自由性を保つために制約されるべき表現 - ドサンピン茶
社会において自由な表現の発露が担保されている度合い(以下、便宜上「表現の自由性」
…
A:表現行為の自由性を保持することは、民主主義社会の基盤かつ不可欠な前提であるため。
表現の自由(言論の自由)は弱者が強者による不当な抑圧に対抗するための最終手段であり、これを堅持することは民主的な手続きによって弱者の権利を保護するために極めて重要な事柄である。
ただ、女子のカップ数を表記する自由 v.s. カップ数を批判する自由、が問題なんだよね。
大衆週刊誌サイドの大人による少女読者への不当な抑圧と見ることもできる。これを批判するのはまさしく弱者の権利の保護のシーンに他ならないようにも思える。
筆者は表現の自由性と公共の福祉を重視していて、この2つを抑止する場合のみ2つが制限されるようなルールを紹介してる。けどもし、編集者がカップ数表記を批判したら、それはどうなるのだろうか。編集の指摘は公共の福祉により制約を受けない。けど作者の表現の自由を制約しては、いる。