はてなキーワード: 博論とは
画像流用、博論序章丸パクリで、日本科学史最大事件になることが濃厚になってきた小保方論文だが、そもそも何故このような人物が生き残れていたのか不思議に思う人は少なくないはずだ。
特に早稲田大学の博士論文でのコピペは、小保方晴子一人が責任を負うような性質のものでなく、指導教員等、小保方の周りにいる人間たちの問題である。
このことから、むしろ再生医療に無知でかつ、剽窃の禁止等の科学的作法に興味がない小保方を使ってなんらかの意図を通そうとした集団がいると疑える。
では、この意図とは、そして集団とは何なんだろうか。それは、山中伸弥によるiPS細胞発見によって研究資金がiPSに流れることを嫌った人間たちであろう。
小保方が、大和雅之のアドバイスに従って再生医療に興味を持ったのは山中氏らがiPS細胞の発見を公表する2006年。時系列的に山中氏の公表が先であったか、
小保方のテーマ変更が先かは定かではないが、少なくとも公表より前に、大和雅之の耳にはiPS細胞の実現可能性は耳に入っていたであろう。
そして、その大和の前にやってきたのが、小保方であったはずだ。
ひたむきで出世意欲があり自己顕示意欲がある小保方の性質は、大和雅之、早稲田大学関係者にとって最高の素材であったと言ってよいだろう。
文科省等からの資金がiPSに流れてしまうことが確実な情勢の中、彼らはそれを押しとどめるべく小保方に誤った研究材料と研究作法を教え込んでいく。
小保方も疑問に思う日があったのかもしれない。しかし、彼らについていくことで得られたのはハーバード留学、20代でのプロジェクトマネージャーという餌であった。
科学者の矜持や善意では食っていけない。栄誉と金を前にして小保方のそれは無力であった。
予想以上にNatureに手こずらされたものの、2014年に公表されたS(ス)T(タ)A(ッ)P(プ)細胞の発見は、小保方の影にいる者たちの意図が通じた瞬間でもあった。
iPS細胞一辺倒であった報道姿勢はものの見事に変わり、iPSのデメリットが喧伝された結果、山中がいくら反論しようともiPS細胞助成への態度は明確に変わっていくことが予想される
(癌化のリスクがあることを誰が言い出したか調べるとさらに分かりやすい)。
それで小保方を操った人間たちの意図は十分に果たせたのだ。一般国民にとって、小保方の異常な剽窃・データの不正使用癖は、小保方個人に問題があったと思わせることが出来るだろう。
いくら、研究者がこうした教育しなかった指導教員のせいであるといっても、その主張はとどかない。
あとは、しらを切ったり、タイミングよく小保方バッシングをすれば小保方を操った人間たちは、免罪である(ベル研の時のように)。
小保方に使った金は高々数千万円だろう。これにより、計り知れない利益を得たものが分かりやすく固まった形で存在する。
院生とはそれこそ多能性を持った存在であり、まともな指導者がまともに指導すれば、剽窃などしない研究者に育っていくものである。
疑問に思ったので。意見を聞きたい。
文理はまとめて、必要ならば場合分け(例えばMD)はしててもらって構わない。ちなみにB4は学生、PDは社会人として欲しい。
あと社会人経験者はちょっと面倒なので「留年、浪人等はしていても就職経験はない大学院生」を仮定してもらえたら幸い。
まあ文理もわけたきゃわけてもらって構わんけど、意味あるかいね?
個人的には「みんなが就職を選んだときに進学を選んだだけ!」って言いたいけど、社会的には未熟な部分が有ると思ったので、Mの間は半々かなと。
ただ、タスクが降ってきてそれをこなすような研究室だったら学生:社会人が3:7とかかも?
逆に修論出せばなんでもいいから〜みたいな研究室だったら7:3に思える。
Dに入ったらもう社会人でしょ。一般にRAできるのはDからだけど、それって「仕事の対価としてお金をだす」のに値するからだよね?
(多少はナマポ的な部分があるだろうけど)
それに一般的な社会より狭くなるけど、研究者の社会をある程度知っているだろうから、その側面からは社会的にも成熟したといえるだろうし。
という妄言。
一般的な認識はどうなの?
そしたら研究室内のポジションがかわらなくても博論出してPDになったら学生→社会人なの?
追記
「中学をでたら」から「博士とるまで」まで幅広い意見が。感謝。
(「院生は使い分けられる美味しい立場」って言ってくれた人がいたけどどんな立場の人だろ?)
回答者の主観が含まれるのは分かるけど、「一般的な(院生に対する)認識」を訊いてるのに「てめーの主観だろ」みたいな意見はナンセンスだとおもう。
この春で博士を出るが、博士課程で大事なことを箇条書きにしてみた。
一番大事なところは、とにかく、最終局面では教授に服従すること。もちろん、反論できるところは反論しても良いが、反論して教授が納得しないのであれば、その反論は実効性がないので無意味だし、目をつけられて有害ですらある。世間話では、必ず教授に同調すること。世間話などの本質的でないところで、わざわざ反感を買うような真似をする必要はない。
次に大事なことは、当たり前だが、博士課程をやめない事。一旦博士に進むと、教授は優秀な同期、後輩と比較して焦らせてきたり、この体たらくだと学位取れないかもよ?とか言って脅してくるが、博士課程をやめると、普通は自分がひどく不利益を被る。教授としては、業績出せないクズ学生を早く処分したいだけなのだから、ここは教授の言うことを聞いてはならない。休学を進められるかもしれないが、その先にあるのは、大抵、休学期限一杯で退学、なので、休学にも同意してはならない。
第三に重要なことは、教授にいかにボロクソ言われても、論文投稿することである。論文の採録を決めるのは教授ではなく、その雑誌の査読者だ。そして、論文が通ってしまえば、教授はころっと意見を変えて、まぁ、そこそこの価値はあったんでしょう、とか言ってくる。より重要なことに、論文が通った状態で、ちゃんと博論書いたら学位を出さないのは難しくなる。教授に何を言われても、通る可能性のある論文は出すべきだ。それで、査読者にも教授と同じようにボロクソ言われたら、その時に反省すれば良い。
横からだけど、用法に誤解があるようなので。
>アメリカのある大学の博論本審査を聞きに行ったことがあるが、そんな攻撃的じゃなかったぞ。
君も「らしい」とか使ってないけど同じ用法使ってるじゃん。
「ある大学」って時点で架空の、とか怪しい情報ですがと言ってるようなもん。
ちゃんとしたソースを「以下URLで」とか「以下文献pp.~pp.より抜粋引用」とかしないと君の言う指摘はそっくりそのまま君に言えるんだけどね。
「聞いたことある」、「らしい」なのに、最後は、「エレベータの中でもみんな論文読んでたな」と経験談っぽくなっているのはなぜ?アメリカのある大学の博論本審査を聞きに行ったことがあるが、そんな攻撃的じゃなかったぞ。日本の博士課程とは比較にならないキツさかどうかは、一概には言えない。まぁ、何と言われようと、自分より業績少くて博士取ってる人が日本ではゴロゴロいるのは確か。
修士の業績は、博士に入ってから、ちゃんと国際論文誌にしたよ。後、分野特定されるから詳しく書かないけど、この分野じゃ高く評価されて採択率20%程度の所にも通してる。そもそも、テーマを殆ど変えてないから、博論にも修士の業績が丸々入る予定だしね。これらの作業を、全部博士に入ってからやった。だから、博論にはそれで十分かと思ったら、博士での業績がまた別にいると言われたんで、しぶしぶ、修士の研究の裾野を今やってる。
今やってる修士の研究の裾野は、まぁ、そこそこの成果にはなると思うが、しかし、所詮は「裾野」だから、結構厳しいんじゃないかなぁ、と思っている。が、博士には、修士時代の業績以上の業績が必要と言われて、絶望しかけている。
☆アーティストトーク「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」at 横浜美術館レクチャー・ホール, 2012.02.11(Sat), 15:00-16:00。Kyo.I.
横浜美術館で松井冬子さんの講演を聴いた。彼女の個展「世界中の子と友達になれる」の関連イベント。
11時ころ会場前に行ってみたらスタッフの方(美人)がいたので話を聞くと、「どのくらいの方が集まるか何とも言えませんが、現時点ではどなたも並んでません」とのことで、とりあえず個展を鑑賞。同行した絵描き女子はたいへん楽しんだようだけど、私はよく分からんかった。むしろ常設展に感動。あ、でも松井さんの『ただちに穏やかになって眠りにおち』は印象に残った、私は宮沢賢治の『オツベルと象』が大好きだから。
13時ころ会場の様子を見に行ったらもう150人くらい並んでてびっくりした。慌てて最後尾に並ぶ。老若男女が並んでる。一人で来てる人も多い。並ぶときに、スタッフの方から「レジュメ」と称される紙が配られたのだけど、松井さんのプロフィールしか書いてなくて残念。
講演タイトルは「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」。この奇妙なタイトルは、松井さんが東京藝大で博士を取るときに提出した論文のタイトルだそうで、講演ではその論文について解説してくれるということだった。
とりあえずビジュアル的に面白い。つま先から太もも全体まで包む黒いエナメルのロングブーツ! テカテカしている。もともと脚がすごく長いのかヒールがすごく高いのか両方なのか知らないけど、やたら大きかった。
松井さんの話によると、彼女は博論を2006年に執筆して、2007年2月に教授陣の前で発表したのだけど、発表の際に高熱を出していて上手く出来なかったとのこと。今回はその時のリベンジをしたいという。
で、講演が始まったわけだが、うーん、日ごろ自分のプレゼン下手を痛感している私としては、非常に勇気づけられた。こんな下手な講演が世の中にあるのか! 私の前に座ってた中年女性が、講演中に隣の人と「おもしろくないね」と言っちゃうくらいである。
講演タイトルを見ても分かるけど、松井さんは基本的に、いわゆる「中二病」全開な文章を書く人だ。絵のタイトルも『陰刻された四肢の祭壇』とか『終極にある異体の散在』なんて感じだし、個展の絵にもそれぞれ解説文がついてて、それが全部同じような調子で長々と書かれている。まあ、幽霊とか臓物とかを描くくらいだから、「中二」なのは文章だけの問題じゃないと言われるかもしれないけど、それはともかく。
不必要に硬い語彙を好んで使い、しかもそれぞれの言葉の組み合わせ方が少しずつ適切な用法とズレていて、さらに主述関係や修飾-被修飾関係があやふやなので、全体として意味が不明瞭。そんな文章を、文字情報なしで口頭で早口で(つっかえながら)読み上げるのだから、分かりやすくなるわけがない。
と、つい悪口が長くなったけど、私の理解した範囲で要旨をまとめると、
~
他者との接触は私に痛みをもたらすよね。
でもそれを芸術作品に託すことで、目に見える形にして、人に伝達できるのでは。
そういう試みが視覚芸術のなかに確かに存在しているし、松井自身の制作も、その系譜に連なるんだよ。
~
こんな感じでした。
この系譜の探究として、河鍋暁斎とかダミアンハーストとかクリスチャンボルタンスキーとか色々な作品が挙げられ、分類され、その流れで自作解説も行われる。(ちなみにその分類の名前は「攻撃性自己顕示実践型/受動性自己犠牲変容型/局地的領域横断型」。一貫した中二感。)
余計なお世話だけど、「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」というタイトルでは全然内容を表せてない(うえにそもそも日本語としておかしい)ので、まともに修正するなら「痛覚の覚醒を企図する視覚芸術の系譜」ってところでしょうか。
私の記憶する限りでは、「不可避」の部分が講演のなかに出てこなかったので、もし質問コーナーがあったらお尋ねしたかったのだけど、むしろ講演の後半は時間が足りなくなって、松井さん自身の話さえだいぶ端折られてた。残念。
ちなみに私の同行者は、「全体としては難しくてよく分からなかったけど部分部分は面白かった」とのこと。例えば、ある作品に描いた孤独な幽霊が、少女コミックの主人公のようなものだという話。少女が運命の相手に出会うために奇跡を待つのは、逆に言えば奇跡なしには出会いが存在しないということであって、そこには極めて近代的な「ディスコミュニケーション」があらわれている、とか。
私は正直、講演の内容自体にはこれといった感想を持てなかったんだけど、にもかかわらず彼女に対する印象は大きく変わった。
松井さんの文章は、中二病的だ。見た目には間違いなく中二の文章だ。でも、彼女がそういう文章を書く理由は、いわゆる中二病とは大きく違うんじゃないか。講演を聴いてるうちにそう思えてきた。
自意識過剰の中学生は、全力でカッコつけて(実はカッコ悪い)文章を書き、しかもそのカッコつけた自分に酔っている。
一方、松井さんは、無理やり日本語をねじまげて珍妙な言葉づかいをすることを、ある意味でむしろ強いられてるんじゃないか。そうでもしなければ、彼女が何を言っても「美女の言葉」として消費されてしまって、結局何ひとつ表現することができなくなってしまうんじゃないか。
彼女は、整った顔立ちの、いわゆる美人だ。私は、平たく言えば、「どこかで過剰に武装しないとなめられてしまって、男と対等に見てもらえない、それが嫌なのかもなあ」、と思った。感覚的な話だけど、堅苦しい言葉をたどたどしく話す彼女を見ながら、思ったのだ。
彼女は講演の中でも「メスしか描かない」と言っていたし(尾長鶏はオスだけどドラァグクイーンのイメージなので名誉女性と考えているとのこと)、ネット情報によるとフェミニストの上野千鶴子さんのファンらしいから、性に関する問題に強い意識を持っているのは確かだろう。(※追記:フェミ関連の話としては、http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20090709/1247140423、などがある。)
ただまあ、こんなふうに分析されるのは、たとえこの分析が実情を言い当てていたとしても(いやむしろ言い当ててていればこそ)、松井さんの立場からすれば不快以外の何物でもないだろう、とは思う。
残念ながら私には、松井さんの作品自体をフェミニズム絵画として論じるだけのモチベーションも能力も無いけれど、そういう見方もできるのかもしれないね。というかできるんだろうね、間違いなく。
長くなったついでに一つ。
私見では、松井さんは「言いたいことが山ほどあるけど上手く表現する技術がない人」だと思う。だからあんなに自作解説をしたがるのだ(いまネットで少し松井冬子評を探してみたら、彼女の自作解説にヘキエキするという人は一定数いるようだ)。 結果、彼女のファンは、「よくぞそれを言ってくれた!(技術はともかく)」というタイプの人と、「グロテスクな絵を描いて、博士号を持ってる、美人すぎる日本画家! おもしろい!」というタイプの人に分かれることになる。あとまあ、「幽霊大好き!グロ大好き!」という人もいるのかもしれない。サブカル?
私自身は、特に彼女に同調するわけでもなく、外見や肩書に魅力を感じるわけでもなく、幽霊が好きなわけでもない。そして彼女の文章を容認できる忍耐力もない。
ハァ
業績それほど貯まって無エ
技術も無エ 職歴無エ
朝起ぎで タモリ見て
10分ちょっとの通学路
やる気も無エ カネも無エ
おらこんな院いやだ おらこんな院いやだ
銭コア貯めて 旧帝で学位取るだ
ハァ
生まれてこのかた 見たこと無エ
余裕も無エ 出会いも無エ
学振とったの 俺一人
老人と おっさんが
足を引っ張り ただ怨む
成長無エ 知識も無エ
たまにやるのは 猿芝居
おらこんな院いやだ おらこんな院いやだ
銭コア貯めて 民間で職得るだ
ハァ
夢も無エ 希望も無エ
博論副査は何者だ?
研究はあるけれど
出せるジャーナル見たことア無エ
論文無エ 書く気も無エ
たまに来るのは 報告書
信用無エ ある訳無エ
おらの院には元気が無エ
おらこんな院いやだ おらこんな院いやだ
銭コア貯めて 銀座で酒飲むだ
おらこんな院いやだ おらこんな院いやだ
銭コア貯めて 旧帝で学位取るだ
横からだけど、正直、君がダメなんじゃなくて先生がダメな気がするなあ。研究者としてじゃなくて指導教官として、ね。
別の提案をする(Aがありますが、こういう問題がありますので、Bと組み合わせるといい結果が出そうです)→組み合わせただけ?
「組み合わせただけ」で修論としては上出来だよ。「いい結果が出そう」という見通しすらなしに単にやってみただけの修論だってごく普通なんだから。学生がそこまで自分で言えるようになっただけで十分なのに、修士課程の学生に先生なにを求めてるんだろ。「組み合わせただけ」の上に何か積めるならそりゃ博論レベルと言っても過言ではない。
多分、教授は君が持ってきたネタの関連分野一筋に一生捧げてきたから、君の言うことがトリビアルなように錯覚しちゃってるんだろうね(本当は修論なんて、表面上の新規性さえあれば、トリビアルなネタでもいいはずなんだけど)。
そこで提案だけど、助教とかポスドクとかにこっそり相談してみたらどうだい?で、助教やポスドクが詳しくて教授があまり知らなさそうな分野のネタと、現在君が関心を持っている分野を「組み合わせ」てみる。そうすれば「組み合わせただけ」でも教授にはつまらなく見えなくなるよ。
要は、あんまりしがらみがない人に「単に相談に乗ってもらっているだけ」という形で、実質上、半分裏の指導教官みたいになってもらうわけ(ただ、このもくろみ自体はできるだけ伏せておくこと。助教やポスドクは立場が弱いので、教授に逆らうリスクを負わせてはいけない。あくまで、君が個人的に周りの人を質問攻めにした結果、その分野に詳しい人に相談に乗ってもらうことが多くなったという形にする。これ重要)。それで何とか乗り切れるんじゃないかなあ。
畑違いだから、なんともいえないけれど、
大学の教員図書室みたいに、修論が保存されているところがあるなら、
そこで近そうな分野のものをパラパラ斜め読みして、
どういう方法論をとってるのか、どの程度実験に時間と手間をかけてるのか、
「ウチの院の修論の実例」を見てみたら、ちょっとは不安の霧が晴れて、
あるいはヒントも何かしら転がっているんではないだろうか。
その先生の場合は、このままじゃ永遠に就職できない! と一念発起して、
二日ほど何もしないで精神集中させてから、そのあと、論文書きに毎日十四時間、
週に一日は完全休養、というのを一年続けて、博論を完成させたんだと。
集中力があれば何とかなるぞ、という話。それが、難しいことではあるんだが。
とにかく、独りで悩んで、独りでドツボにはまって、
無駄な努力もしないよりはマシだが、周りに聞いたら、だいたい、もっとよい方法を教えてくれる。
どんなに不愉快で気が進まなくても、
まだ半年あるんだろ? まわりを必死に引っかき回してたら、
点と点がつながってくるって。
別に悪意はないけど、詮索したくなる。
d:id:y_arimやd:id:toledはだいたいあんなもんだろうけど。
hokusyuは東大の院生だっけ?もうずいぶん長く学生やってるようだけど、そろそろ博論出すのかな?アカポスは得られそう?
umetenも京都のどっかの院生だっけか?なんか学籍だけはあるけど引きこもりっぽいイメージ。ちゃんと学会発表とかしてますか?
Romanceは派遣社員かOLかだってエントリに書いてたような気がする。hokusyuの知り合いだし、学生っぽい雰囲気があるが。
good2ndはSOHOで働くIT系って感じ。奥さんと仲が良さそう。
Apemanは社会人なんだろうけど、あまり想像がつかないな。学術書を惜しげもなく買って、ネコ飼ったり、カメラにも凝ってるようだから、けっこう裕福な暮らししてそうだが。といって、弁護士のような専門的職業というわけでもなさそう。ブログの更新頻度は相当なものだが、時間に余裕あるんだろうか。
旦那は博士課程、私は修士課程の院生。本来ならちゃんと社会人になってから結婚するべきだったけれど、彼の父の病気が発覚し、早く安心させてあげたいと言うので、急遽結婚することになった。
もちろん、あらかじめ将来のことは話していたつもりだった。彼は優しいし気が利くし、恋人としては魅力的な人だ。でも、研究に関しては要領が悪く、この道で食っていくのは無理だろうとはうすうす感じていた。ただ、本人の希望が強いこと、彼の実家が就職するまでの学費と家賃を援助してくれるとのことだったので、今すぐ中退して就職を迫る理由もなく、やれるところまでやってみれば?と言っていた。
私のほうはなんとか修論の構想も固まり、専攻の分野と関係なくもない会社に内定した。ところが、旦那のほうは「今年こそは書く」と言っていた博論を結局一文字も書いてないことが判明した。つーかあなた、「論文を書くから」ってバイトもしないで部屋で何してたの? は? ゲーム?
問いつめると出てきたのは、驚きの人生設計だった。今年はとりあえず「充電期間」として何もしない。何もしないと来年度末には満期退学になっちゃうからとりあえず1年半くらい休学しつつ研究室にはたまに顔を出して論文の準備する。論文の準備が出来たころに復学して、満を持して卒業してからもポスドクとして研究を続けていきたい、と。
確かに「やれるところまでやってみれば」とは言ったものの、それはせいぜい満期退学になるまで頑張って、その後は就職するんだとばっかり思っていた。思ってたっつーか、私はずっとそれを前提に「あと2年で就職だよね」って話をしていたのだから、認識のズレを訂正する機会はいくらでもあったはずだ。それなのに、「だって、やれるところまでやっていいって言ってたじゃん」の一点張り。
私は基本的には共働き派だけど、将来子どもも欲しいし、いざ子どもが生まれたら本当に仕事と両立できるのかどうか分からないから、旦那には定職について欲しい。と言ったら(これも初めて言ったわけではなく、前から何度も話していた)、金目当てで結婚したのかよ!と逆切れ。俺はそもそも子どもは嫌いだからいらない、とも。
今まで2人で話していた将来設計を全部なかったことにされて、愕然とした。あとはもう、口を開けば喧嘩にしかならない状態が続いた。そして、結婚するきっかけでもあった彼のお父さんが亡くなったことが、今度は離婚のきっかけになった。
今まで出してきた金を返せ、とかほざいているけれど、それ君の金じゃないから。君の親の金だから。むしろこっちが、バイトして旦那を食わせていた金を返して欲しいくらいだ。
不幸中の幸いだったのは、彼のお母さんがまともな人だったこと。事情を話すと、残念だけど仕方ないね、と理解を示してくれた。今まで良くしてくれたのに、こんなことになってしまって本当に申し訳なく思う。
今回の教訓。悪い予感は当たる。口約束は信用できない。将来の話は信用できない。将来○○するから、という約束は反故にされる。将来○○するかどうかじゃなくて、今現在○○しているかどうかで判断せよ。
今博論を書いているが、正直今年出せるか自信がない。
理由は内容ではなく、執筆のペースが人よりどうしても遅くなってしまうから。
子供のころから頭痛持ちだったが、院生になってから片頭痛の診断を受けた。
睡眠不足だけでなく、月経や排卵でも片頭痛が誘発されてしまう。
予防薬のミグシスを飲んでも、どうしても週1回は発作が起きる。
疼痛に対してトリプタノールが出されたこともあったが、
眠気で研究ができなくなるので、それはやめてもらっている。
他の院生からしたら、優雅な暮らしをしていると思われているだろうが、
実際は週2日程度は寝込んだりしている。
仕事を減らすことは、将来につながらないからできなかった。
この歳で、ペーペーでえり好みするなと言われることを恐れた。
来た仕事はどんどん引き受けろと言われてきたし、実際恵まれているとは思う。
だが、あの時仕事を断るべきではなかったのかと、正直悩んでいる。
ふと寝る前に頭に浮かんできて、とてつもなく不安な気分になる。
みんな不安なんだろうけどな。
他にも例はいくらでも挙げられるよ。生年と所属を明らかにしていて、ネット検索で引っかかる本として挙げただけ。
あなたが文系のどの分野かは知らないけど、たぶん歴史学系だと博論出すまでに30越えちゃう人は多いんじゃないかな。
ストレートに3年で出す人の方が少ない印象。
それに加えて、30代院生は裕福じゃないと思うよ。
育英会の奨学金も切れてるし、学振ももらえないし、派遣社員やバイトで食いつなぎつつ、なんとか研究を続けてるって人が多いと思う。
本題とは関係ないけど
内容によりますが。書けばいいってもんでもないです。
社会問題として語るのは別問題とは言うけど、当事者が今になって語りだすのもノンビリしすぎじゃねえか?リンク先の人は「死亡フラグ」とわかってて、それでも敢えて進学するって気概があるんだけど。
あなたが言いたいことを察すると、
「文句を言うな」
ってことですよね。
不平不満愚痴なんてのはよくあることです。
もっとも自分の利益だけを考えて文句を言うことは良くないですが、
例えば、会社での例をあげると
「おまえら給料もらってるんだから、だまって働け」
というのは違うと思いますが。