はてなキーワード: 京都人とは
おそらく京都人含め「どこそこ?そんな学校あったっけ?」と思っているだろう。
ま、それはさておきこの京都国際高校、元の名を「京都韓国中学校」という。
そう、元朝鮮学校なのだ。(ただし一条校なので厳密には違う、のか?)
そして近年は野球に力を入れており、先の選抜に初出場、なんと夏にも堂々全国進出を果たした。
さて、ここからが本題だ。
日本国民はNHKに韓国人がでかでかと映り、コリアンの校歌が流れるのを許容できるのか?
興味深く見守ろうと思う。
ご指摘を受け一部訂正しました。
わたくしはすべての人の人権と社会の多様性を尊重します。コリアの人々に対して、いかなる差別的意図・中傷的思惑もありません。
突然だが、「~しない」「~できない」のことを「~しやん」「~できやん」と表現する方言をご存知だろうか。
昔から三重県・和歌山県・奈良県南部・大阪府南部で使われている方言らしい。俺は大学時代の三重出身のお嬢様がやたらとやんやん言ってたので、三重県の方言のイメージだ。
実は最近、関西のお嬢様全体にこの方言が広がっているようなのだ。
最近関西の大学生と喋る機会が増えたのだが、学生の出身地に関わらず、しやんできやんという表現をよく聞くようになった。
初めは大阪南部からじわじわ北上しているのかと思ったが、大阪から遠く離れた京都人や神戸人のお嬢様でさえ使っていた。俺は神戸生まれだが、神戸の生粋の方言でしやんできやんという表現はまず使うことはない。
なぜかと思いググって見ると興味深い論文が見つかった。
https://o.jo.ac.jp/naid/110009920476
2015年の論文だが、関西のお嬢様に急激に「~やん」という否定表現が広まっていることをデータで表している。
論文によると元々「見ませんわ」の方言の「見やん」という表現は和歌山県・奈良県南部・三重県のみで使われていたのが、関西全体や徳島にまで広まっているというのだ(京阪神では「見ーへん/見ーひん」が本来の表現)。
「来ませんわ」の方言の「来やん」に至っては三重県の一部地域のみで使われていたものが、関西全体に広まっているようだ(京阪神では「けーへん/きーひん/こーへん」が本来の表現)。
また、本来のお嬢様的な否定表現の「~ませんわ」の使用頻度自体下がっているようで、「やん」が使えない動詞の否定形は「~ん」の使用頻度が上がっているようだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210718201139
において
バウムクーテヘン
そんなわけないやん
しやん、なんて言い方しーひん
これはわかる。大学で三重県人に出会い、〜やん表現の便利さ、言いやすさに気づいた。〜へん、〜ひんはどちらもhを発音するのがちょっとめんどい感じ。〜やんは発音がスムーズだし、意味もわかりやすい。
自分は、関西人だけど「〜やん」は使う。サ変・カ変・上一段・下一段活用には使えるけど、五段活用の動詞には使えないので、「〜へん」が消えることはないのでは。
以前三重県民の若い女性が出来やん気ぃーしかしやん!と言ってたのがとてもかわいかった。でも、でけへん気ぃーしかせーへん!と言われるとかなり強い言葉になるよね。いや後者は合ってるのかもわからんけど。
京都人が大阪の学校に入って「せーへん」とか「しやへん」とかがいろいろ混ざって鈍って、さらに四日市の人に出会って「しやんやに」になったりした混乱期はあった。
突然だが、「~しない」「~できない」のことを「~しやん」「~できやん」と表現する方言をご存知だろうか。
昔から三重県・和歌山県・奈良県南部・大阪府南部で使われている方言らしい。俺は大学時代の三重出身の友達がやたらとやんやん言ってたので、三重県の方言のイメージだ。
実は最近、関西の若者全体にこの方言が広がっているようなのだ。
最近関西の大学生と喋る機会が増えたのだが、学生の出身地に関わらず、しやんできやんという表現をよく聞くようになった。
初めは大阪南部からじわじわ北上しているのかと思ったが、大阪から遠く離れた京都人や神戸人の学生でさえ使っていた。俺は神戸生まれだが、神戸の生粋の方言でしやんできやんという表現はまず使うことはない。
なぜかと思いググって見ると興味深い論文が見つかった。
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009920476
2015年の論文だが、関西の若者に急激に「~やん」という否定表現が広まっていることをデータで表している。
論文によると元々「見ない」の方言の「見やん」という表現は和歌山県・奈良県南部・三重県のみで使われていたのが、関西全体や徳島にまで広まっているというのだ(京阪神では「見ーへん/見ーひん」が本来の表現)。
「来ない」の方言の「来やん」に至っては三重県の一部地域のみで使われていたものが、関西全体に広まっているようだ(京阪神では「けーへん/きーひん/こーへん」が本来の表現)。
また、本来の関西的な否定表現の「~へん」の使用頻度自体下がっているようで、「やん」が使えない動詞の否定形は「~ん」の使用頻度が上がっているようだ。
車修理に関わるあれやこれやを紹介したり、
俺は免許も持ってないし車も全く詳しくないけどつい見てしまう。
コテで錆た鉄板をひっぺがしたり、いい修理ダメな修理を理詰めで教えてくれたり。
カメラマンに素人を据えてるのがわかりやすさを推進してるのは頭いい。
最新のシリーズはボロボロの初代フェアレディZの修理をするシリーズなんだけど
Part1なんかマジで錆錆のボディをポコポコ叩いてるだけなのに150万再生回ってる。
見てる連中は「うおおおお、初代フェアレディZやんけ!!!111」ってなってるんやろか。
それの何が偉いのか、私には分からない。
今日は延滞の常連のヤツがいるので電話をかけた。施工屋のオッサンだ。
「分かったよ!返せばいいんだろ。ったく、いちいち訛りやがって、うっとうしい」
接客という職業柄怒鳴られるのには慣れている。延滞のことででかい声を出されるのなんか日常茶飯事だ。
だが、「訛っている」というのは聞き捨てならなかった。この一言で私の殺意は頂点に達した。
延滞の電話がしつこいとキレられるならまだしも、私の話し方と延滞は何の関係もないではないか。全く関係のないことで愛する故郷を貶められるのは納得がいかない。今すぐ腹を三段に捌いて詫びてほしかったし、殺人罪に問われないのであれば首の骨をバールでへし折りたかった。
訛っていることに対しては謝らなかった。理不尽な怒りに対して謝る必要がどこにあるのだろう。私は必要な事柄を伝えるという仕事をしただけだ。その伝え方が相手にとって気に入らないものであろうが、そんなことは私にとっては関係ない。
しかしやはりこの客は気に入らない。全くもって気に入らない。
いくら私の故郷が夏はくそほど蒸し暑くて冬は凍える程に寒く、観光に来るところであって住むような街じゃないと罵られようと、スーパーで買い物をしようと歩道に自転車を止めていたら5分で市役所に迷惑駐輪として撤去されるようなところでも、この十年で観光に来るのが修学旅行生ではなく外国人観光客になり、個人旅行客で市バスがパンクして歩道にバス待ちの客が溢れるくせして四条以外の歩道の幅が全く広がらなかろうとも、わけのわからない景観規制のせいで中途半端な高さの格好のつかないマンションしか建たなくとも、私にとっては四季の色づく愛すべき街だ。愛おしい街だ。大切な故郷だ。
それをたかだか現在の主要都市である関東に生まれついたというだけで、見下し踏み躙るのか。東の田舎者風情の癖に、随分とまあ偉そうだこと。
半ば本気で、そう思った。
もちろん私は、こちらの言葉を尊重してくれる関東の人に「東の田舎者風情が!」と思うことはない。無分別に刀を振り回しているわけではないので、そこは分かってほしい。
「東京からきはったん?関東訛りが抜けてはらへんから、すぐ分かったわ」
と言われたら、腹が立たないか?ということを考えてほしいだけなのだ。
日本という国のくくりからすれば、標準語は関東地方の一方言に過ぎない。それを「標準」などという偉そうな冠を被せたから、標準語が故郷の言葉というだけで特権意識を持つ頭のいかれた輩が出てくるのではないか。
そんなことで特権意識を持っている輩は私からしたら、やっぱり理解不能だ。
他に誇るものがあればそれを誇ればよいものを、生まれつきの何かしらしか誇るものがないのだろうか。そんなところにしか縋るものがないから、それで人を見下さなければ自分を保てないのだろうか。
己の手で掴んだものが何もないからと生まれつきのもので他者を嘲り踏み躙るのは、あまりにも惨めで格好の悪いものだということが分からないのだろうか。
閑話休題。
とりあえず、標準語話者で他の方言を「汚い日本語だ」などと見下している人は早急に考えを改めてほしい。私にバールで頭を殴られる前に。あなたの言葉など、京都出身の私からすれば『関東訛り』でしかない。
他の方言のことも同じ重さを持つ言葉として見てくれている標準語話者のあなた、ありがとう。どうかそのままでいてほしい。
そしてできたらでいいのだが、方言を馬鹿にしている人がいたら「そういうのは良くない」とたしなめてほしい。人のアイデンティティを貶めるのは、誰に対しても許されない行いだから。
おわり。
twitterや5ch、テレビ番組で京都の人にこんなことされた!京都の人は全員陰湿!みたいな発信が割とよく行われている。
それを見る度に心を痛めている。
割とはっきり言う方だし、友人も同じようなタイプや、常に優しい心を持って本音で接してくれる人などテンプレ京都人とはかけ離れた人が多かった。
何となくお互い合わないと思う人もいたが、ごく少数だった。
就職し、大阪、兵庫で過ごしたこともあるが、人間性に京都との差を感じなかった。
どこにも優しい人、きつい人など様々な人がいた。
「ネタだからwww」って風潮だけど、ネタなら何でも許されると思わないでほしい。
人種差別や国籍差別が問題視される世の中で、なぜ当たり前に地域差別が行われているのだろうか。
言われて傷つく人の存在を考えてほしい。