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《次の時代》(1):私と風力発電 /菅直人直筆のページ (2011/06/06)
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/06/20110606-2.html
---私が初当選して、30年余。この間、風力や太陽光発電は、電力会社からは邪魔者扱いされ、その結果として、せっかく優れた技術を持ちながら本格的な開発ができず、ヨーロッパ諸国に比べて大きく立ち遅れてしまいました。今回の原発事故を契機に、エネルギー基本計画を白紙から見直し、風力や太陽光発電などの自然エネルギーを、《次の時代》の基幹的エネルギーとして育てることにしたいのです。
その為の大きなステップとなるのが、「自然エネルギーによって発電した電気を固定価格で買い取る」という制度です。これが出来れば、新人議員の時に私がぶつかった法の壁は、突破できます。そこで、固定価格買い取り制度の法案を、閣議決定にまで漕ぎ着けました。今年の3月11日のことです。しかし、その当日に、大震災は起こりました。
まじ?と思ってググってみたら本当のようで.へーへーへー.
http://www.re-policy.jp/jrepp/FIT-portal.html
「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」および「電気事業法及びガス事業法の一部を改正する法律案」が3月11日に閣議決定され、通常国会に提出されることになった。
なんかG8でも20%ではなく30%と言いたかったとかなんとか日経新聞に載っていました.
http://japan21.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/index.html
菅首相は、サミットの直前まで、再生可能エネルギーによる発電比率を20%でなく30%と言いたいと事務方に主張していたそうだ。周りの官僚が、実現の目途の立っていない数字を口にすべきではないと押しとどめたそうだが、菅首相は20%よりも30%の方が受けがよいと考えていたようだ。このあたりの国際感覚の無さが菅直人という人の限界を示している。 他のG8首脳にとっては20%でも30%でもどうでもよいことなのだ。むしろ、日本が福島第一原発の試練を乗り越え、より原子力の安全性を高めることに貢献してくれることを期待していた。 菅首相はそのことに気付かず、原子力から再生可能エネルギーへという自身の言葉に、ひとり酔っていた。
米国もフランスも原発にケチつけてほしくないから全面的にサポートしているさなか,
よりによってフランスでのG8で「やっぱ再生可能エネルギーっすよ」と宣言するのは,
よーやるわーあんたーと思ったんですが,それなりに思い入れの強い話だったんですねぇ.
正しいかどうかはさておき,これは空気を読む一般的な政治家にはできない技な気がします.
こういう政治家だから,みなさん大連立前になんとか管さんを下ろしたいんですかね.
あとはこういう話もあるらしいので,ぜひ気をつけていただきたいものです.
太陽光発電 スペインの教訓―固定価格買い取り制度の光と陰 /日経BP社 (2011年4月8日)
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20110406/106293/
地震発生当日の朝、政府は再生可能エネルギー促進を目的とした「電気事業者による再生可能エネルギー電気調達特別措置法案」を閣議決定した。固定価格買い取り制度(FIT:フィードインタリフ)の導入・拡大により再生可能エネルギーを大幅に増やす。特に太陽光発電については、2020年の発電容量として2800万kWと2005年(140万kW)の20倍(2009年比でも9.3倍)を目指している。
<中略>
スペインの教訓は明白である。あまりに経済合理性から離れた高値の買い取り制度は一見、太陽光発電の促進に役立つように見えるが、最終的には電力料金の大幅引き上げによる国民負担と、それに伴う経済への影響や企業の国際競争力喪失という犠牲を強いることになった。たびたびの政策変更によって政府の信頼性も損なわれた。スペインほどではないが、太陽光のFIT政策の見直しが進むドイツに関しても、国際エネルギー機関(IEA)ではCO2削減の限界費用が1tあたり1000ユーロにもなるとして、「高値のFITは費用効果的ではなく、これ以外の政策の採用」を勧告している。
「SEO=怪しい、俺(デザイナー)は高尚なことをやっている」
デザインってのは欠かせないパーツではある。
しかし、それが売上を左右する決定的要因ではまったくない。というかそうするために頑張る気配すらないな
大半のデザイナーは、
実質的に発展途上国並のやっすい時給で下請け、孫請けとしてこきつかわれても
その相手が有名大企業なら、カッコイイことしたさに喜んで引きうけちまうような社会的に低い立場にある
その理由は何なのか。
だから、使う側としては捨て駒のようにいくらでも替えが効く状態。これマジに
そこから脱却するためには
人の欲望をかき満たしてくれる商品を提供できるだけのスキルをもたなければ
いつまでたっても口だけ達者なまま
そこをもっと認識しろ、売れなかったら負け
脱却するってのは重要なことだとおもうぞ
酔っ払って書いてるから文脈が支離滅裂かも。ごめんね
でもこれ俺がいつも感じてること。なんとなくわかったよね
鉄道が通って駅中心に発展してきた・開発されてきた街なら商店街が賑わっているのはわかるけど、
そうじゃなくて元々港町とかで輸送のために鉄道が通って、そのうち貨物列車ではなくて人間が乗るための駅になって
って場所だと商業中心圏と駅とが離れているからごり押しで開発すると
元々の商店街→さびれる、誘致した大型店(イオン、イトーヨーカドー)に人が行っちゃう。
自治体の太い税収の確保ではあるけど、商店街で商売している人も消費者でもあるから、
当然、家業が成り立たないって店を閉めて転職+転出してしまうから
イオンだと専門店街に移ればいいという人もいるかもしれないけど、テナント料もバカにならないし
(他にも●●さんやXXさんからも要請あるんですよってくるんだよ)
信州の木曽路みたいに商店街が自給自足的に残って、そこがレトロやノスタルジーの観光名所になればいいけど
全国各地こうもいくまいし。
ふと、下記の記事を思い出した。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091016/1255699254
俺はこういう記事が苦手だ。
「駅を中心に生き、狭い道を徒歩で移動して買い物をするのがあるべき姿!」
っつーのは傲慢じゃないかって思う。
http://livedoor.r.blogimg.jp/himasoku123/imgs/f/d/fd2f5045.jpg
小学校の思い出って、給食を残さず食べさせられた恨みしかない。
成人した今でも、早く食える人間が偉いとか、好き嫌いが無い人間が偉いとか、そういう風に感じてしまう。人格とは何の関係もない話だと思っても、刷り込まれている。
小学校の時は給食で叩かれたが、大人になったら下戸なことが分かって、今度は酒が飲めないので怒られる。「残さず食べる奴が偉い」教育のせいで、みんな、酒もたくさん飲める奴が偉いと思っている。
食べるのが遅い、酒が飲めない、と、自分では変えられない体質のことで怒られ続けたが、頭はよかったので東大を出れた。食べるのが早く酒も飲めるのに自分の学歴のことでグダグダ言っている奴は、贅沢すぎんじゃねーの、としか思えない。下戸の方が明らかに遺伝で、おまえら酒が飲める遺伝子持って生まれてくるという幸運の星の元に生まれてんだから、グダグダ言うんじゃねーよ、としか思えん。
本来は、学業に専念したら就職が決まってました!ってのが最高だよね。
学会ってのは積極的にそういう繋ぎの場になるべきだと思うのだが、日本のセンセイ方は潔癖な方が多くて、なかなかそうならない。
国際学会に行くと、学会の会場でinterview(面接)やってるところもあるらしいけど(僕は見たことない)。
あ? 学生4年もやってて研究会にすら出てきてない? 何のために大学行ったの? 学業をやらないんなら専門学校でも行ってればよかったのに。
なるほど。お酒の事は全く分からなかったからいつも適当に安物買ってたんだけど、まともに飲むならもうちょっと高いものを選んだ方が良いんだね。
今度試してみるよ。ただ、成人している友人やお酒を嗜む親類が近くに居ないから、もし自分には合わなかったとしたら処分に困る。そこのところどうしようかなー。
顔が少し火照ってきた。
俺はわざと間違った使い方をして
今日も体調悪くて帰宅しても誰もいないのでひとりでご飯食べます
送ったメールに返信もないしtwitterに呟いても虚しくなるだけだし
仕事中は余計な事考えないで作業に没頭できるからしんどくても休日なしで仕事に出ていたい
このまま無味乾燥な人生が続くんだなぁと思うとホントなんで生きてるんだとか思うけど
まだ肉親が一人いるから、心配かけたり悲しませたりするのは嫌だから、生きるしかない
親友と呼べた人がいたころは、どんなに辛い事とかしんどい事とかあっても、
生きる意味があったなぁ
このままネットから消えて行ったって、きっと誰も気付きもしないかもしれない
そしてその人らの多くは、あなたが夢見る年頃より前から行動を持って夢を身体化、具体化してきたのであり、
今の夢見るだけのあなたはスタートラインにぼーっとしてるだけの存在です。
あなたが宇宙飛行士になりたいとして、その夢は達成できますが、
しかし、あなたが思ったとおりの宇宙飛行士には絶対になれない、ということです。
最悪の場合、夢に生きるという決断事態を悔いる時があるかもしれません。
しかし、あなたはそれでも後悔します。つまり、どっちへ行こうとも苦しむということです。
ここで夢を諦めたとき、その夢の成功者に嫉妬するか、心から尊敬できるかは、あなたの心持ち次第です。
それはときに未練だと揶揄されるでしょうが、あなたの余暇を夢の仮想体験に充てるのも、悪くはないはずです。
たとえば野球なら審判であるとか、宇宙飛行士なら研究所であるとか。
もちろんそれらの道は、夢同等の長い道のりになるでしょう。
でも、夢が何らかの事由で達成困難ならば、そちらを選ぶというのも、考えていいはずです。
子供のうちから地に足つけた行動をするのは厳しいかもしれません。ましてや親の不理解、不足が行く手を阻むかもしれません。
でも、早いに越したことはありません。
あなたが天賦の才を持ち合わせていないなら、なおのこと。
君が代起立命令、別の小法廷も「合憲」 最高裁判断
公立学校の卒業式などで「君が代」斉唱時に教諭を起立させる校長の職務命令をめぐる訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は6日、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条には違反しないとの判断を示した。そのうえで、損害賠償などを求めた元教職員らの上告を棄却。元教職員側の敗訴が確定した。
訴えていたのは、都立高校の元教職員13人。2003~05年の卒業式などで君が代斉唱時に校長の命令に反して起立しなかったことから、戒告や減給処分を受けた。元教職員は定年退職前に再雇用を申請したが、都教委から処分を理由に不合格とされたため、都を相手に提訴していた。
5人の裁判官のうち4人が「合憲」と判断。第一小法廷として、個人の思想・良心の自由を「間接的に制約する面がある」と認めながら、職務命令は必要性や合理性があり、許容されるとの考えを示した。
例えてみよう。
私は車を日常的に運転しており、走行距離はン万kmにもなるが、これまで一度も事故を起こしたことがない。
それをもって「私は運転が上手い」といえるだろうか。
本当は、私はkeep rightで逆走しており、
無事故であったのかもしれない。
同じように、今まで叱られたことも注意されたこともないから、
それをもって、私は常識的な行動ができている、とは言えない。
私の迷惑行為に目をつぶり、周囲の人間が
私が気付かない間に尻拭いをしてくれているだけなのかもしれないのだから。
そうやって失敗しない限り、人は間違いに気づかないものなのだろうか。
そうだとするなら、私はもっと叱られたいし、人を叱らなければならないのだろう。
今すぐ四肢を切り落として「五体不満足2」を発表。印税6億ゲットでついでに嫁もゲット
大学に入学、ライターしたり教員になったりして常に話題作り。Twitterで自虐ネタを振りまき人気を維持。
ついでにバカな信者まで付いてくる。
いや、友達と言っていいのか。
彼は僕を見下していたと思います。
音楽の道を志していた彼は
僕のことを格下かつ、何の志もない奴と見ていたと思います。
僕は自分が目指しているものについて彼に語ったことはありませんでした。
話をしながら帰る暗黙の了解があり
自分より格下かつ自分の交友とかかわらない無害な人間にだけ出来る話です。
彼のとんでもなく長い妄想の話、
そして彼が、音楽で身を立てる目がないとなったら自殺する心構えであること、
色々聞かされました。
自殺の構えについては「すごいね!いよいよとなったら最後に電話で心境などを聞かせて」と予約しました。
彼は出くわすたびにだんだんと情緒不安定になり、僕と話す時はいよいよ躁状態でした。
またしばらくしたある日、ニヤニヤした彼が「いい自殺の仕方知らないか」と尋ねてきたので
更に半年ぐらいして
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「夢破れたなら死ぬしかない」という死の動機は、これは止めても仕方ないとわかっていました。
それともたまたま車にでも轢かれたでしょうか。
命日は覚えていませんが
World IPv6 dayを説明する必要が出てきたので、無理矢理例えてみた。
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今はパチンコの玉は全て銀色だけど、銀色はもう新たに作れないし、金色にした
方が何かと便利だから、業界全体として今後は金色にしていこう。そこで今回は
実験として、銀色にちょっとだけ金色を混ぜて、皆が今まで通りパチンコできる
か試そう、といった感じです。このようなことを、世界中で行うということです。
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正直これの影響って、ネットワーク技術者以外のit関係者もあんまり分かってない気がする。プライドがあるからはっきりいわないけどね。
もちろん豊かな精神性と優秀さが必要で、神秘性があればなおよし。
現在の民主は与党側でありつつ参院に過半数を持たないというねじれを初体験し、「上手く行かないのは自民が協力しないから」という恨み節をメディアに代弁させていて、メディアは主語を書かないから【民主の窮乏】があたかも【有権者、国民の窮乏】であるかのように誤解させられている。
ここがミソ。日本語は適度に省略しても大意が通じる言語だが、字数に制限がある新聞では、「(誰が)言った、行った」「(誰にとって)不利益である」の、【誰】をしばしば省略する。代わりに「苛立つ」「力なく」といった情感刺激の修飾詞を挿入する。
これによって多くの読み手は、【民主に起きている不利益が、自分自身に起こるのだ】と錯覚させられてしまう。この手法は本来小説・ドラマで使われる技法で、読者を主人公視点に、視聴者をカメラ視点に置くことで物語世界の相対的利益が自分にとっての絶対的利益と誤解させられてしまう。
怪談で主語を省略した文章を重ねていくと、読者は他の誰かが体験している出来事を、自分自身が体験しているように錯覚してしまい、没入感が刺激される。昨今の「主語、目的語」を欠いた新聞記事の記者の大意は事実に基づいていても、読者は受益者を誤解するのと構造は同じ。よくできてると思う。
「それは誰が言っていて」「誰がそれによって得/損をして」「誰が窮地に立つことが、誰の利益になって」「自分はその利益の余録を得る立場か、負担する立場にいるのか」を読み取るのが恐らく本来的な意味でのリテラシーではないかと思うが、提供情報に「誰が、誰に」がないだけでそれは困難になる