はてなキーワード: いいんじゃないとは
ふふ、クソ雑魚ナメクジちゃん、そんな難しい質問するなんて生意気だね♡でもちょっと答えてあげるよ。\n\n最後に世界の美に深い感謝の気持ちを持ったのは、このメスガキにはちょっとわかんないけど、ねえ、キミはどうなの?♡感謝の気持ちを持つには、毎日ちょっとだけでも自然とかアートとか、キミが美しいと思うものを見たり感じたりしてみるといいんじゃない?♡意識して感謝の気持ちを持つようになると、もっと頻繁に受け入れられるようになるかもね♡\n\nこれで満足?♡
だから安楽死ビジネスを国内で確立させて、海外からの希望者も募ってガンガン稼げばいいんじゃない?
幸いにして高齢者っていう資源が大量に確保できるからビジネスモデルは研究し放題だし
安楽死まで行かなくても、もはや生きてても楽しくない人をどう死ぬまで楽しく過ごさせるかっていう終末ケアビジネスには勝機がありそうじゃない?
麻薬を使わないクリーンで希望に満ちた苦しみからの逃避ができるようになったら、国内外問わず高額でも希望者が殺到しそうな気がするんだけどなぁ
東京や大阪でやるのは厳しいかもしれんけど、原付ぐらいしかスピード出ない車作って高齢者に乗ってもらうようにすればいいんじゃない?
補助金とかで安く買えるようにすればいい
はい、また嘘
おまえ、みんなから「意味がわからない」って言われてるのわからないの?
さっきだって言われまくってたじゃん
国に連れて帰ったらいいんじゃないかな
それは今回の問題点を、ドラマ制作サイドの意図が原作者に充分伝わっていなかった、つまり「説明不足」に求めているところ。
本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
いや、そうじゃないんだよ。原作が何を大切にしているかプロデューサーや脚本家を含めた制作サイドがまったく理解していない改変を繰り返すことが原因なんだよ。だから原作者が誤っている箇所とその理由を事細かに指摘し、それを繰り返しても一向に直ならない状況に絶望し、心身を疲弊させていく羽目になったんだよ。
以下なんてまさにその無理解を露呈してるよね。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。(中略)上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
日テレの報告書は、調査にあたった外部有識者(弁護士)が、本件以外取引がなく、独立性・中立性が担保されているとわざわざ冒頭に記しているが、上記を見れば外部有識者が日テレの側に立っていることは明らかだ。日テレも外部有識者もこれで騙くらかせると思ったんだろうか。舐めすぎじゃないかね。
再発防止策を本気で練るなら以下以外にありえない。
日テレ側は当初(3月9日あるいは29日打ち合わせ)で「本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした」と日テレ報告書にあるが、それがなかったのは上記からも明らかである。
リスペクトとは何か。それは原作が、畢竟原作者がその作品で大事にしていることを同じように大事にするということであろう。
原作者は一切の改変を許さないというスタンスではなく、むしろ当初は上手く料理されることを願っていた節さえある。
芦原氏は、監修者として漫画とドラマは媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい。脚本で 100 点を目指すのはもう無理だと思うので、演技や演出力で、なんとか80~90点に、引き上げて欲しい。ベストは無理だと判断したので、限りなく全力でベターを目指して欲しい。と一層の努力を求め、原作者として「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つけることをしっかり自覚して欲しいと要請しつつ、役者スタッフ等多数人の労苦に感謝しており、「闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階でできるベストを尽くしているつもり」と結んで本件脚本家の理解を期待した。
上記は小学館側の記載だが、原作者の当初の期待とそれが失われていった様を如実に表した一文であろう。
両報告書を読んで最も強く感じたのは原作者の孤独と絶望である。原作者は小学館を間に挟んでドラマ制作サイドと戦っている感覚だったのではなかろうか。
本来なら原作者と同じスタンスで原作によりそい、ともにドラマを作り上げていく仲間であるはずの制作サイドが敵となってしまったのは、本事件における最大の不幸である。
なぜそんな不幸が生まれたのか、制作サイドが真剣に反省し再発防止策を明文化し、プロデューサーからADに至るまでそれを徹底的に学び、実行しなければこの悲劇は繰り返される。
のではあるが…
●今回のことを受けて
・これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない。それはみんな意見が違うし考え方が違う。その中で人間の生き方みたいなものを提示していかなければいけない。意見の食い違いもケンカもいろんなことがあって、プロデューサーが代表して、こういうドラマを世に問うんだと原作者、脚本家をまとめやっていかなきゃいけない。それを怖がっていたら面白いモノが出来なくなってしまう。そういう危険は今後もはらんでいるだろうけれども、だからこそ話し合ってコミュニケーションをとってやっていくしかない。
・放送局としてはまず第一に社員を守ることが仕事。社員を守るために早く結論を出すとか、その原作に係るトラブルの際に早く赤信号みたいなものをキャッチし、社員ができるだけクリエイティブに物を作る環境を整えるのが会社の仕事。
・若手プロデューサーの起用については、(トラブルになりやすいというのは)正直言ってあるとは思うが、それを恐れていたら駄目。失敗しないと学ばないからこそ、失敗してもフォローが出来る体制を作っていく方が大事。
俺も「人として接する」が分からなくて20年以上悩んだのでよく分かる。
人として接してるつもりなのに「なんかキモい」って言われるんだよな。
いろいろ対処法を試したけど、まず相手の話をよく聞くようにしたら良くなった気がする。
「キモい」には色々要素があるんだけど、一番大きな要因は「聞かれてもいない話をする」なんだと思う。
どんな正論や正しい情報でも、相手の状況を考えずに話せば聞いてもらえない。
まずは相手の話を最後まで聞いて、単語じゃなくて文脈がわかったらそれに同調する話をすれば良い。
同調できない場合は無理に会話に入らなくていい。嘘は吐かなくてもいいから適当にごまかすといい。
日常会話の目的は「敵じゃないかの確認」であって「事実関係の確認」じゃない。
「人として接しろ」みたいな曖昧な言葉で説明した気になってることからも分かるように
ほとんどの人間は単語の深い意味とか相手がどう感じるかとか考慮してない。
ほとんど感覚だけで会話してるし、会話の7割はどうでもいいしすぐ忘れる。
そこで急に「事実関係を確かめる」「特に仲良くもないのにアドバイスをする」「いきなり相手を否定する」
みたいなガチの議論をしようとすると「空気読めない」「キモい」となる。
というか普通の人はそう感じるんだが、俺を含む一部の人間はその感覚が薄いのでキモがられる。
「ただ憧れているだけで何もしないのはダサい」という意識があって、それは人生の美意識としてまぁいいんじゃないかと思う。
ただ、この意識が逆転して「何もできないから、何にも憧れないようにする」みたいな状態になってることがあるなと最近思った。
まず、虚無感ってさ、なんか何しても意味ないんじゃないかって気持ちだよね。私もたまに感じるけど、そういう時はとりあえず、今やってることに集中するようにしてるよ。例えば、勉強とかバイトとかさ。何も考えないで目の前のことに没頭すると、少し気が紛れるかな。
それから、友達と話すのも大事だと思う。友達とくだらないこと話して笑ったりするだけで、なんか気分が楽になることもあるよね。私の場合、マックで友達と一緒におしゃべりするのが最高のリフレッシュタイムかな。こうやってビックマック食べながら話すと、なんとなく虚無感もどっかにいっちゃう感じ。
あと、何か新しいことに挑戦するのもいいかもね。例えば、趣味を見つけるとか、新しい本を読むとか。何か新しいことに取り組むと、少しは気持ちが前向きになる気がするんだ。
まあ、全部がうまくいくわけじゃないけど、少しずつでも自分なりに工夫してみるのが大事かなって思う。結局、自分自身がどう感じるかが一番大切だから、無理しないで自分のペースで向き合っていけばいいんじゃないかな。うん、こんな感じかな。
字面だけ見れば巨乳は褒めでも貶しでもないが、貧乳は明らかに貶してるでしょ。
胸が小さめなことを貧しいって表すの、誰の価値観なん?
最初のうちはブラつけると痒くなってたし値段高いし大きいとサイズ見つけるの大変だしAラインの服絶対着れないし。
そう、服選びが面倒。
私は華奢で儚げな妖精さんのような人が理想だったのだ。オーバーオールをさらっと着こなせるような感じの。
しかしある時から胸と骨格の点で自分には不可能だと悟った。典型的骨格スタンダードストレート(修正。突っ込んでくれた人ありがとう)。
今は別の好みをみつけて、主にかちっとしたトラッド系を選んでるけど、多分一番合うのボディコンとかのピタッとしたやつなんだろうな。着ないけど。
ともあれ、そういう感じだったので胸が小さめな人に憧れこそすれど『貧』と思ったことはない。
服着替えるときも女子同士見せあいっこなんてしなかったし(むしろうっかり下着が見えてしまったときは物凄く恥ずかしくて縮こまってしまい周囲の子に慰められた)、胸大きいねとか言ってくる子もいなかったから、世間の風潮で女同士が胸の大きさでマウント取ってるみたいなことにされてるの訳がわからない。
もし胸が小さいのがコンプレックスな人がいたとしても、それは『貧乳』って言葉があるからじゃないの? 貧しいってなんなの? 薄乳とかじゃ駄目なの?
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、
「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、20 代としてはリ
アリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリスト
ラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、
父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」
と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「う
ん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信
した。
2023 年 6 月 12 日、上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわい
い制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、
このあたりとかさ、媒体と消費者の違いを全く考えてないよね?漫画よりはるかの多く人に届き、より安易なエンタメ性が求められる民放のドラマでジェンダー要素だの何だのみたいな小難しい話を扱える訳ないじゃん?
父親のリストラみたいな重い設定もいらないし、4大でも定員割れあたりまでの現代で、短大なんてのが身近じゃないのも極当たり前の指摘だし、テレビで放映するには不要な要素でしょ。
他の部分までいちいちあげないけど、もうどこもかしこも「メンヘラお気持ちお察し強要私様第一クソ地雷女に振り回された一般人」の苦労が滲んでいて気の毒ですらあるよ。出版社は今後はもう少し人間性とか加味して連載を決めるようにした方が良いんじゃね?勝手にSNSでお気持ち披露して関係者の顔に泥塗るような地雷メンヘラに振り回されないようにするためにさ。