2018年02月14日の日記

2018-02-14

anond:20180214194104

というかはてなIT界隈以外の業界話が載ることが少ない

給食屋ぐらいだろ

anond:20180214153456

俺も俺も。

「あ、ポイントカードないです。あ、つくるのもいいです」

「あ、これ温めてください」

「あ、レシートください」

「あ、箸でお願いします」

コンビニでこんな感じ。

anond:20180214192442

津田三浦もどっちも同じくらい狂ってるし相手しない方が精神衛生上よろしいか

幸せになる方法がわからない

https://note.mu/hayakawagomi/n/n3bd89a48d68c

上のブログnote?)を読んだ。

ブログを読むのをめんどくさい人に平たく言うと「せっかく与えた機会を無碍にしてくれちゃう人(幸せになる気がない人)はいから、そういう人はいるんだなーと思ってほっとこう」っていう話なんだけども。

かにわかるんだわ。

自分はこのブログに書いてあるような「幸せになる気がない人」なんだろう。

けれど、逆にどうしろというのか。

自分幸せなんて大したことないと思っているし、自分本位に生きようとしてもどうもそれがしっくりこない。

常に自分などいなければ良いと思っているし、特別になにかをされたい、とか上に立ちたい!とも思っていないのである

だけど時にはそういう性質なのが妙に辛いときがあって、できることなら変えたいと思っている。

そう思ってるのに、このようなブログでズバッと切り捨てられてしまい「幸せになる気がないの人」への解決の指針も書かれていないのは釈然としないのである

自分のような人に傷つけられてきているのは大変申し訳無い。けれどどうやったらそういう風にせずに行動できるのか教えてほしい。

こっちもこっちで苦しいんだよ。ってことが言いたいのだ。

anond:20180213235016

お経が年々早口になっていくんだよね・・・だるいけどさお経なんて・・・

転職するときに気にかけるべきこと

オッス!オラ、オッサン

転職活動してみたんだ!

40代前半システムエンジニア

地方年収560万ぐらい。自分地方SEとしては比較的高給取りな方。

妻子あり。部長職。

最近コーディングの機会は減っている。管理職仕事多い。

顧客エンドユーザー)折衝を含む上流工程から保守

チームマネジメントまで日々やってる。

B/S P/Lも読める。

コーディングは好きなのでPaizaランクはAぐらい。

(凄いことはないがヘボでもないぐらいだと思われ)

Paizaではカジュアル面談の誘いが次々来る。

色々と事情があって独り身になって東京で働くのを本気で考えた。

それで転職活動をしてみた。

どちらかといえばベンチャー志向

既に確立された職場部品として働くよりは

会社自体の成長に関わって行きたいと思っていた。

転職活動中に気付いたことは当たり前ではあるのだが

意外に転職活動中の人は見えなくなっているかもしれない。

以前東京で働いていたとき20代後半で今と同じぐらいの年収だった。

東京では400万スタート3年で560万ぐらい。

転職後の希望年収は700万ぐらいに設定してみた。

ベンチャー宣伝文句を書いている募集企業複数)と

少し大きい広告関連の募集企業に話を聞きにいった。

ベンチャー的なところは結構高度なことを要求するが

あなたの実力では600万が限界

「当社CTOより上はないから700万はない」みたいな扱い。

募集要綱には合致してる。想定年収は500万~1000万みたいなことを書いている)

事業が安定してきちんと利益を出している広告関連の企業

「基礎と経験がちゃんとしてるし700万は出せると思う」みたいな扱い。

転職後の年収に影響を与えるのは自分の持っているスキルよりも

就職する企業が儲かっているかの方が大きいという当たり前の結論です。

(歳相応のスキルは持ってることが必要だと思いますけどね)

八歳と九歳と十歳のときと、十二歳と十三歳のときも僕はずっと! 待ってた!

チョコレートだろ!彼女もだ!

碧志摩メグのうりん駅乃みちか山本五十子などから学んだこと

どうも非オタは「頰の紅潮」「困り眉」「乳袋」に強い性的興奮を覚えるということが分かってきた。

「頰の紅潮」というのは、オタクにとっては単に血色の良さを示すための記号にすぎない。少女漫画なら全てのコマで頰に斜線が入っていてもおかしくない。羞恥や興奮を表すならもっと顔全体を斜線やトーンで覆うようにする。ただ、そのような類例を知らない非オタに「血色の良さ」と「赤面」の違いを見分けよというのは難しいかもしれない。

「困り眉」についてはよくわからない。確かに羞恥の表情のひとつだが、エロと分かちがたく結びついているわけでもない。ただ、非オタ女性あいだでは一時期「困り眉メイク」が流行っていたみたいだから、あれをセクシーだと思う人もいるのかもしれない。

乳袋」は最大の争点であるが、まず技法としては巨乳キャラでも太って見せないためのものだと言われている。これは現実にも巨乳に困っている女性がよく言うことで、立体裁断で乳袋のように胸にフィットするファッションブランドもあるというから、そうした方々には理解を得られると思う。乳袋というのは、オタクあいだでは「現実にあり得ない」「どんな服だ」と嘲笑されてきたものだ。ボディラインを強調するという意味ではエロいと言えなくもないが、似たような性的嗜好としてはアンミラ制服や縦セタなどのほうが圧倒的に支持を集めてきたと言っていい。しか非オタにとっては、オタク嘲笑言い訳に聞こえるくらいに、乳袋性的服装に見えて仕方がないらしい。これはもう文化の違いと言うしかないだろう。

以上からすると、オタク非オタあいだには埋めがたい文化的断絶があるように思われる。非オタは困り眉と乳袋で抜く。オタクアヘ顔子宮断面図で抜く。全く異なる生殖方法を持つ別民族として棲み分けていくしかないのかもしれない。

anond:20180214153456

ジャズ世界では、

どんなミスフレーズも、

3回繰り返せば正解になると言われている。

から、お前も

「あっ、」

と言ったら、

「あっ、あー、あーー!」

と堂々と言えば、

それが正解になるぞ!

ネトウヨになんてならなければよかった

俺の人生、狂ってしまった

だがもういい

今度は自民党投票した奴らのせいで日本自体が壊れてしまうのだから

ははははは

……なあ、まだ立憲民主党投票すれば俺もこの国もまだ間に合うのかな?

anond:20180213231639

さらに横だけど、二郎系でなくても、やっぱり仕入れ材料の良し悪しによって味は変わるラーメン屋は3割くらいあるよ。

CMが嫌い

最近CMが嫌いすぎて民放が苦手になってきた

具体的にはCMソングを口ずさむ家族バカみたいに見える

やめてくれ

anond:20180214153456

こういうのは意識して、別の言葉を発するようにするだけで簡単になおる。

「あっ」を言わないようにするのは、逆に難しい。

anond:20180214101409

本日14時30分頃にふたたびサポートからメールが来た。

ログアウト時に自分お気に入りアクセスするとその時のキャッシュが残って、ログインしてもお気に入りアクセスできなくなる」

とのことだった。

他のひとが試した

https://anond.hatelabo.jp/20180214082441

試しにログアウトしてみたら見えなかったけど、再度ログインしても見えなくなった。

動作とも一致する。

とりあえずキャッシュ全削除してアクセスしたら、確かに自分お気に入りアクセス出来るようになった。

でもさ、はてなって時々意図せずログアウトするのね。その時お気に入りを見ていると、別にログアウトしました」とか画面遷移しないでログアウト状態自分お気に入り見ることになるので、これが仕様だとするとログアウトしてしまったたびにお気に入りアクセスできなくなるのね。それは困るので「キャッシュ消したらアクセスできるようになったよ」って報告と「これそのままだと困るよ」って要望書いてサポートメール返信した。

ちなみに問題があるのはキャッシュで間違いないと思う。昨日の時点でcookie削除は試したけど治らなかった。

anond:20180214183723

少数だから差別と感じる人がいても差別じゃないってのがすでに差別思想だな

https://anond.hatelabo.jp/20180213224352

匿名トラバで伝えれば済むものを、わざわざアカウント作って書き込む奴は自己顕示欲の塊。

まともに相手をするべきではない。

津田大介東浩紀

「する側に差別意識があるかどうか」という話ではなく「受け取る側がどう感じるか」みたいなこと言ってて

タイミング的に三浦瑠璃案件なんだと思うけど、これっておかしくね?

セクハラパワハラなどで言われてることを適用したんだろうけどさ、それってたとえば

「私は大阪が大嫌いで破壊されればいいと思ってるんです。差別だなんてとんでもない。むしろ応援してるんです」

みたいな弁明だったら、お前は差別したつもりはないのかもしれないが、こっちは差別と受け取った

適用されるのであって、あれを差別だと弾圧するのなら言論の自由は無くなるよ

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは元増田記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

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