はてなキーワード: ゴッホとは
俺は某AIの研究部門で働いてるから結論を言わせてもらうと絵師とAI絵師は共存できない将来が来る
今はまだ「AIが描いた絵」と判断できるけど、あと2年も経たないうちに見分けられなくなる結果を出力できるようになる
とはいえ、ゴッホやゴーギャンの作品をAIが描くのはマズいよね?だから著名人の作風は出力できないようになる
じゃあ著名人ってなに?って疑問が浮かぶだろうけど、この定義に入るのは
この2つになる予定なんだけど後者の申請したアーティストの申請のハードルが高くなると思う
つまり、そのへんのおっさんが「俺も絵師!」って申請しても「君の画風に特徴は見られないし、あまり認知されてないよね」ってなる
後者の定義は議論されるだろうけど、多分卑下してるレベルなら十中八九通らない
そうなると、大多数の絵師がそこに入るわけでもはや「自分で描く意味あんのかな?」って時代がすぐそこに来てる
巷じゃ「プロンプトエンジニア!」って息巻いてるけど、そういうレベルじゃなくて本当に誰でも簡単に出力できるようになる
ChatGPT4でイメージの入力が始まってるけど、その程度で驚いてるなら多分腰抜かすと思う
プログラミングもそうだけど、そのへんで募集かければ来る程度のエンジニアは必要なくなる精度になる
10年くらい前まで芸能人といえばテレビの人でなかなか近寄れる存在じゃなかったのに
いつの間にかYoutuberが台頭して、しかもわりとコミュニケーションが取れるくらい敷居が下がったでしょ?
それと同じくらい絵師って存在が、その気になれば誰にでもなれるレベルまで下がる
漫画とアニメの造詣は深くないから具体的な作品は挙げられないけど、誰が目にしても違和感ない程度には簡単に作れるようになるよ
エドワード・フレンケル教授によれば、最先端の数学はゴッホのようなものですが、小手先の応用はペンキ塗りに喩えられています。
また、ティモシーガワーズ教授は、数学の2つの文化、つまり「問題解決者」と「理論構築者」に分けて考察しています。
私のようなプログラマーというのは、問題解決者として小手先の応用へ取り組む人がほとんどです。
例えば量子力学の理論やラングランズ・プログラムなどの「深淵」に取り組んだ経験が圧倒的に少ないのです。
学ぶ事柄が見つからないということは起こり得ません。むしろ多すぎて選ぶのに苦労しています。人生は限りがあるので、選ばなければならないのです。
しかし数学の経験が未熟であるために、取り組む価値のあるトピックがどれであるのか、その審美眼が鍛えられていないのです。
プログラマーは離散数学のことばかりやっています。だから逆に、連続とか無限とかそういうことへの憧れが湧いてきます。
しかし、超弦理論は最近批判に晒されているようで、つまり実験によって反証しにくいので、理論が結局どう有用なのかわからなくなっているようなのです。
人間がこの先、微細な弦の構造を発見できるくらい巨大なエネルギーをもった加速器を作ることがあるでしょうか。希望は薄そうです。
フレンケル教授が言うように、「一部のエリートだけがゴッホを理解するのではなく、一般市民も作品に触れる」ことに希望を持っています。
https://twitter.com/JapanTank/status/1683135314230128641
今の社長が一代で築き上げた会社で、上場してないからおそらく株式は兼重一族がほぼ全部持っとる、いわゆる同族オーナー企業やな。 (これは間違い。80%程度が社長で残り2割は損保ジャパンやガリバーが持っている)
日本だとオーナー企業で大きいのはサントリー、竹中工務店、森ビル、今治造船とかあるで。
「顧客から預かった車に意図的に傷をつけたりパンクさせたりして、保険屋に不正に金を請求してたのがバレた」っていう話やが、経緯をみていこうか。
2022年から、保険の不正請求問題が損保会社らの間で話題となり始めるが、表立って騒がれず終わる。
2023年7月、この問題が表面化。問題を知ってまずブチ切れたのが東京海上日動。
自動車保険は、客(ドライバー)が車を壊したり事故する確率を統計学的に計算した上で払う保険料を決定してるんやが、ビッグモーターはズルして本来あるべき金額よりたくさん保険会社に保険金を請求してたんやから、東京海上は損をしたわけやな。
ビッグモーターが独自に特別調査委員会なるものを立ち上げて調査した結果でも保険修理の4割が不正請求やった。
本来、修理部門は壊れたところを直すのが仕事やのに、何故かビッグモーターでは修理部門も「1車あたり14万の収益を上げろ」と命令されてたんや (ここも厳密には誤り。アットのノルマが課せられていたのは誰か調べてみるよろし)
収益が上がらんと降格させられたりクビになったりする謎ルールや。 だから意図的に車を破壊して修理費稼ぐしかなくなるのは自明やな。
特別調査委員会の調査報告書を保険会社に提出するときに報告書偽造してて、組織的関与を示唆する内容箇所を削除する徹底っぷりをキメた。
さらに国交省から聴取要請があったのに2週間ガン無視キメてたんやで。
しかし過去の被害にあった顧客が多すぎて「ビッグモーターにこんなことされた!」と次々にWebに暴露され
良心を持った社員によって、意図的にタイヤをパンクさせる技法を後輩に紹介する動画が流出したりしたんや。
クソみたいな社風やったわけやから、元社員だけじゃなく現役社員もビッグモーターを恨んでるやつ(=正義の心を持った人)がおったわけやな。
ビッグモーターは社長が1年間報酬を全額返上し、役員も3ヶ月間数十%返上するって発表した。
「やっと少しは反省したか」「そんなのじゃ足りない」などと大衆は思ったんや。
株をたぶん100%兼重ファミリーが持ってるんやから、会社は兼重社長のもんやろ。給与を返上しても、会社に金が残るんやから、結局兼重社長のもんやねん。
社長が個人と会社2つ財布持ってるだけで、どっちに金を入れておくかの違いでしか無い。
つまり実質的に1円も返上なんてしてない、っていうか、役員にも給料返上させてるから、実は社長は収入はプラスなんよ。
凄いやろこの反省アピールしつつ社長だけ儲ける技術。見破るまで3日かかったわ。
ビッグモーターは車を売り修理をするだけではなく自動車保険も一緒に売るから、大手損害保険会社の代理店でもある。年間取扱200億円。
保険の売上金額も鬼の厳しさで、売上が達成できてないと罰金を払わされたりしてたらしいな。まあ死ぬ気で保険を売ってくれる巨大代理店やから損保各社もヘコヘコするわけや。
しかし200億のうち120億円を損保ジャパンが占める。日本では東京海上が損保業界首位なのに、ビッグモーターに限ると損保ジャパンがぶっちぎり1位。不思議よな?
事件を知って、東京海上と三井住友海上は激おこやったんやが、損保ジャパンは当初この問題を「問題なし」と結論づけて有耶無耶にしようとしてたんやで。(ここも事実と違う。ゆな先生全然裏取りしてないな)
(おそらくこの記事のパクリ https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kurumanews/trend/kurumanews-670598?redirect=1)
(1)(ビッグモーターから買った車かどうかに関わらず)損保ジャパンの保険加入者が事故を起こす
(2)損保ジャパンはビッグモーターに修理に行くように誘導する(「入庫紹介」と言う)
(4)本来より高い金額を損保ジャパンに請求する。これだけだと損保ジャパンが損してるように見える。
(5)しかし入庫紹介1台あたり、ビッグモーターから損保ジャパンに5人自賠責保険客を紹介する約束がある
(6)自賠責保険は強制保険なので利益は出ないが、損保ジャパンは新規客とのコネクションを得る
(7)損保ジャパンは任意保険をその紹介客に売り込み新規客を取れる
(8)本来より高い保険金を払った当初の修理客は翌年以降の保険等級が悪化し、損保ジャパンに高い保険料を払い続ける
(10)損保ジャパンはビッグモーターに出向者も送り込んでいて、上記を知っていたと推定される
ビッグモーター全社員に配られている経営計画書なる社則手帳のようなものがあるが、毎朝の朝礼で「幸せだなあ!俺はツいてる!」と唱和するように促している。
この経営計画書は知床観光船沈没事件でも有名になった小山昇氏率いる株式会社武蔵野が経営コンサルティングで提供しているものと全く同じ雛形・デザインで出来ている。(ついでに言うと手帳を作成してるのは武蔵野経営サポート会員企業)
・朝の謎の唱和
・環境整備点検なる本部スタッフによる店舗掃除点検の結果での頻繁な人事降格
これらは株式会社武蔵野の小山昇氏が提唱し経営コンサルティングで頻繁に持ち出しているもので
小山氏は自身の大きな取引先としてビッグモーターをロゴ入りで自社サイトで紹介しており、うまくいっているコンサル先としてもこれまで何度も紹介している。
これについては言及しているマスコミが全くいないのは気になる点ではある。関係があったのかどうかをぜひ報道されたい。
今回の不正を悪化させたのは社長の息子である副社長であるという報道もあるが、副社長が早稲田大学卒業後入社したのが日本興亜損保(=現在の損保ジャパン)や。
これは偶然かそうじゃないのか気になるわな。
その時のつながりが関係ないのか、副社長の入社前から蜜月関係があったのかは、これから明らかになっていく。
ビッグモーターに出向者を送り込んでたのは東京海上も三井住友海上もやし
2社も不正を知ってたのかどうかは気になるし、巨大広告主のビッグモーターの悪事を当初黙殺して報道しようとしなかったマスコミも糾弾されるべきではあるわな。
まあこれから誰もビッグモーターに車を持ち込まないやろし彼らが販売する車も買わないやろし
民間車検場としての認定も国交省が取り消すやろうしテレビCMも拒否しないとマスコミも叩かれるから宣伝もできんし、普通に考えてまともな営業ができんし潰れるやろな。
今後の流れはよく見ないといけないけど、大衆が巨大企業とマスコミを動かし不正を正すいい例になると思うで。
ちなみに損保ジャパンは旧・安田火災保険や。バブル期に「ゴッホのひまわり」を58億円で買った会社や。
今も新宿のSOMPO美術館に常設展示されてるから見に行くとええわ。入場料は1400円、新宿駅徒歩5分やで。
月に2回、おすすめのふるさと納税商品も紹介してるアカウントやで
https://twitter.com/MouMou_0110/status/1683261494451126272
https://twitter.com/JapanTank/status/1683137893618036737
ワイは最近車欲しい
・けっこう高かった
どうしても刺さってみたいのなら
・一度自分でまねしてなにか新しいものを書いてみると「どこに余計な線を入れて良いか」わからないので、あらためて原典を見返すと、ああ、こうやるとおどろおどろしいんだなってなる。
・絵が決して上手いとはいわれなかっただろう人物が、そういうおどろおどろしさをどうしても選択せざるを得なかったわけだ。
そこでようやく、「なにを」表現しようとしたのかが見えてくる。生き様が不器用なかわいさを感じ取る(ゴッホ的なエピソード)
あたりが入り口になりそう。
あとは諸星大二郎ボット https://twitter.com/morohoshi_bot これをフォローしとけ。共時性
でも本当に無理することはないねん
宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきたんで、ある程度ネタバレありで感想書きなぐっておこう。
正直、観る前に想像してたより悪くなかった。
作画が徹底的に心象風景に寄っているのも、職人芸の趣があった。
火災とか草原の描き方なんて、ゴッホともセザンヌともなんだか判らんけどとにかく印象派的に歪みまくっていて、主人公の高熱に魘された夢のような心が伝わってくる。
田舎の家も、当初は主人公の内心の萎縮ぶりを示すかのように何もかも巨大で、玄関なんてどこの古刹の大伽藍かと見紛う巨大さであり、今に残ってたら家ごと国宝になりそうだ。
心象風景として東大寺大仏殿並の巨大建築に見えているだけである。
敢えて心象風景とわかるように表現している事で、主人公が実際には父の後妻を嫌っていない事も想像がついた。
なぜならすんごく清潔感のある優し気な美女として描かれているからである。嫌っているなら心象風景でそうはならない。
でまあ、作品は途中から塔の中パートと、塔の外パートという二輪構成で進んでいくのだが、
まず塔の中パートだが、なんというか、とにかく意味があり過ぎる。
これは褒めてない。
宮崎駿はもののけ姫辺りから、やたらと意味のあるものを描こうとするようになってしまってるように思える。
1シーン毎に意味があり、多分本人に質問すれば「このシーンはこういう意味がある」と全部答えてくるだろう。
つまり、寓話的で哲学的で記号的で、イソップ童話とか不思議の国のアリスとか、そういう感じの、「意味の塊」として作品を作ってしまっているのが塔の中パートだ。
ムスカがラピュタの雷をぶっぱなしたシーンに意味なんてないだろ。王蟲がペジテのドーム食い破ったのも意味なんてないだろ。
「どうやお前らこんな凄えの見た事ないだろ。俺も見た事ないから作ってやったぞ。見て驚け。」
妄想を爆発させるためにそこには当然無理がある。歪みがある。そのシーンを効果的に描くために、他のシーンで入念に爆発物を積んでいる。
その無理、その歪みが、ある人には滑り、ある人には刺さるのだ。
本人が見せたいのは爆発の部分だが、関係なく歪んだ部分が受けたりする。それが創作の快感である。
ところが、この作品含めて後期宮崎はその「見た事ないだろ」をやらない。庵野もだけど。
なぜなら、名前が売れて裁量が大きくなった事で、作りたいものを作れるようになったからだ。作りたいものは作ってしまい、もはや「こんなの見た事ないだろ」が無い。
庵野はその無理のなさを、その歪みの無さを、オタク知識で埋めてシン・ウルトラマンやシン・仮面ライダーを作った。
そこにはTV版エヴァのような溜めに溜めた便秘大解放のような妄想の爆発は無く、無い物を何とか絞り出した感のある細長いウンコでしかない。
一方、宮崎駿はそれを哲学と記号で埋めてこの作品の塔の中パートを作ったのだ。これは最早宮崎駿のバランス感覚のみで構成された世界だから、やたらとデジャヴがある。
もののけ姫と変わらずに「鎮まりたまえ~鎮まりたまえ~」とやってるし、千と千尋と変わらずに仕事やらされたり禁忌に触れて怒られたりしている。
でてくるのもやたら思わせぶりな妖怪連中である。思わせぶりなだけで、記号であるために特に伏線とかない。どういう存在か説明されてフェードアウトする。
エンタメに徹するなら、塔の中はクトゥルーばりの別の星・異星文明でも良かったはずだ。せっかく宇宙から飛来した謎物体的な設定があるんだから、一気にスターウォーズの世界になっても良かったのだ。
そこから進めて、「現代日本を主人公の迷い込む異世界として描く」まで手が伸びても良かったはずだ。
ところが、そういうエンタメに走らず、やたら寓話的な見たような話で埋めてしまうのが今の宮崎駿である。
ブチ切れるセンス・オブ・ワンダーではなく、賽の河原の石積みみたいなひじょーに心象的なもので埋めてしまうのが今の宮崎駿のマイブームである。
そういう「意味」だけで構成されたパートだから、ストーリーなんてあって無きがごとしである。断片的な寓話を職人芸でつなぎ合わせた取り留めのないタペストリーである。
一方、塔の外パートは違う。庵野と同じく、オタク知識で埋めている。
人力車の描写一つ、言葉遣い一つ、看板一つ、食事のお膳一つから、「当時はこうだったんだぞ」という聞いてもないのに披露されるオタク知識臭がする。
多分、キャノピーも実在のナントカ式とかそういう裏打ちされた設定があるんだろう。田舎がどこの県のどこの地方かも絶対決まってるねありゃ。
っつーことで塔の中パートより終わってる感のある塔の外パートだが、そこで主人公の父親が妙な存在感出してるおかげでかなり良くなっている。
というのも、この父親はある意味で主人公と後妻という二人の問題の元凶と言える一人であり(まあ、亡くなった実母の方がより存在感は大きいが)、更に経営者であり金持ちで何でも自分で決めてしまうタイプ、
こういうタイプは、通常は出て来ても悪役なのだが、この作品ではそれを悪役として描かない。塔の外の部外者として描く。(大叔父と血のつながりもないし)
そんなわけで、このキャラについては宮崎駿の才能の爆発が感じられるのである。
経営者であり第一線でもある、という後期宮崎駿が手にした立場が意図せずに作り上げた鬱屈が爆薬になってこのキャラに込められているのだろう。そのせいで、後半になって妙に生き生きしている。
主人公の心象にだけフォーカスするなら、後半の塔の外パートは要らなかったはずだ。少なくとも、もっと小さくなり、警察とかが来て事務的に進むのがセオリーだったはずだ。
しかし、おそらく宮崎駿はこの父親を描くことに創作の快感を感じたのではないかと思う。
なんかもう藤井聡太ばりに全く失着を犯さず最善手を打ち続ける主人公の代わりに、
この父親は勝手にやらかすし勝手に決断するし部外者でありながらガンガン行くしで、
前半には明らかに狂言回しだったこのキャラだけが、後半に「キャラが勝手に動いた」を感じさせるのである。作中で唯一、記号を感じさせないのがこの父親である。
そんなわけで、ち密に意味を積み上げて作り上げたであろう全体の印象を、後半の父親がぶっ壊して変になっているが、その父親がぶっ壊した所こそが個人的には最も見ごたえがあった、という何とも評しがたい作品である。
まあ、悪くなかったよ。
名画の凄さって何よ?って言うと、歴史的な位置づけがスゴイんだという人もいれば、理屈抜きの迫力があるという人もいるらしい。
おれが超うっすら聞き齧った方法論に、作者の意図に基づいて作品に設定された目的を想定して、その達成の度合いをなるべく客観的に吟味しつつ出来を評価するって考えもあるらしい。妥当といえば妥当な感じもするし、この理屈そのものの自明さを考えれば果たして客観的と言えるのかとも思う。
そもそも美術って明確な目的を持つ道具でしかないのかよ。そんな割り切っちゃっていいのかよおれたちはよ、みたいな素朴なアレも感じる。
この間どっかで贋作展みたいなのがあったらしいけど、純粋に絵としてのスゴさなるものがあるなら、精巧な偽物をまじまじと眺めた時の感動は本物から得られるそれと変わらないはずだよねって思う。
それはそれでスノビズムから距離を置いて感覚的なものと向き合っている感じがするし、どこか誠実にすら思う。ただその光景に一切マヌケさを感じないかと言えば嘘になるし、この違和感が名画の名画たる所以へのヒントの一つかもしれない。
金という物差しを持ち込むのも無粋だけれど、純粋にイラストそのもの、物質としての絵にだけ価値があるのならオリジナルもコピー品も同じ値段がついてないとおかしいしね。
ただこれは名だたる画家が直々に絵の具を乗せたキャンバスという物質込みでの話で。更に周縁を捨象して、純粋に視覚情報?にまで抽出した時、絵の価値を問うたらどうなってくるんだろう。
全然詳しくないけどNFTってこういう話をしてたりするんだろうか。
まあ素人がぱっと見でスゴイ作品だと思えるほどの何かを秘めているのなら、ゴッホだってもっと早く評価されてたでしょって思うよね。
素人が、とは言ったけど絵の専門家でもあんまり変わらないんじゃねって思う。
自分で絵を描いているから、沢山の絵を見てきたから正確な審美眼を持つ、というのは単に技術面における話に留まると思う。何を感じ取るかは鑑賞する主体の問題、客体との関係性が噛んでくるから、単に絵が持つ特性だけでは語りきれないものになるだろうし。この絵はこの辺がこうだという叙事的なディスクリプションまではある程度客観に立てても、名画かどうかまで踏み込めば一個人の感想になってしまう訳で。
絵の技法や歴史に詳しいから、真に感情を揺さぶる名画か否かのジャッジにも正当性があります。ってのは理屈としてあんまり成立してないよねって思う。これはおれが勝手に名画の要件を決めちゃってるけど、じゃあ誰が決めれば正当なんだよって話で。
ナイトホークスを見て「人をブチ殺して回りたいという作者の情熱を感じました」と思うのはズレてるかもしれんけど、孤独を感じるのと心安らぐ静けさを感じるのではどちらが正解とも言い切れんと思う。
素朴に良い作品だなと思えるか、そういう感覚的な部分以外で絵を語るのってなんか無粋な感じがしてあんま好きじゃない。言葉の先を期待してるからこそ言葉以外の媒体で表現しているのだろうし。
でもそうなってくると自動生成の絵も人が描いたものと全く対等で、やたら時間をかける分人間の方がカスですって話にもなるのかもしれないな。今まさになってるのかもしれんけど。
そう考えると、おれは人の手のヌクモリティがさァ!と言いたいかもしれない。歴史を踏まえた斬新さとかにはあんま興味ないけど。
カメラと写実主義とかで色々あった頃とかも新しい道を模索したんだろうし、今後も人が絵を描く事の意義というのは問われ続けていくんだろうか。
おれは別に絵を描かんけど、他人にどう言われようが本人にとって描く事に意味があると信じられるなら、それだけで価値がある事だと思う。その価値はその人だけのものだけど、人生なんて自分の信じる価値に従えるかどうかが全てだろうし。
持久力のある筋肉と瞬発力のある筋肉、太りやすい体質とやせやすい体質があるように、音感やリズム感、ゴッホのような色覚異常さえ、先天的な個人の資質というものがあるよね。科学や論理的思考、記憶力や考え方さえ、先天的要素と後天的要素の混在は避けられない。
身長が高くて運動が好きだからバスケを志すのと、ゲノム解析サービスで言語野に優れた特質があると判明した個人が小説家を志すのとは、どう違うだろうか。
後者が、特にゲノム解析をしたわけではなく、単に「自分は小説が得意なのでは?」「自分は小説が好きだ!」と思って志すのは、どう違うだろうか?「言葉の扱いが得意な人間が小説家に向いている」という差別を助長する?
教育だけ特別視してるみたいだけど、スポーツに限らず部活動を自主的に選ばせるのは、良くない制度かな?
小さな子が「バスケやりたい」「将棋やりたい」と親に願い出るのを、許すべきではない?
あなたは、今、どんな職業をしていて(答える必要はないよ)、それは自分の選択じゃなかったの?自分の得意を活かすものではなかったの?
ゲノム解析サービスで不得意と判定された資質(実際に判定されることなく、神様だけが知っていてもよい)を覆すほどの後天的努力を傾けて勝ち取った「得意」だけが、賞賛されるべき「得意」なのかな?
これまで生きてきて、一度も(literally!)「スゲ〜!とてつもない教養だあ!えっ、東京育ちィ?!なるほどォ〜ッ!!!道理で賢く思慮深く、海のように深い見識をお持ちってワケだあ!参った参った、降参でござ〜い!!!!」という気持ちになったことがない
・この街臭えな
東京人だから幼少期から映画や博物館・美術館などに親しみまくっていて、文化度が高い って事実、ないだろ
東京人、ただただ内輪ネタのローカル地名をなんの留保もなくバンバン出して盛り上がってる、キショい地元最高ヤンキー ってイメージしかありませんよ
だいたい、行かねえだろ美術館なんてよ あってもさ
というか、行ったところで、人間性に深みが出るか?っつうと、出ないですよ
俺はいちばん立派なとこで言うとメトロポリタン美術館に行ったことがあるけど、覚えてるのは、すげーデカい19世紀風?のベッドがあって、そのベッドには登るためのはしごみたいなものがついていたってことだけだ なんじゃこりゃ、すげえな、と思ってそれでおしまい
人格形成になんの影響もねえ たぶん小学生のときに見てても同じだった
ゴッホの絵とか、メトロポリタンミュージアムの歌に出てくる「大好きな絵」とかも見たけど、まあ〜別に何も感じねえっすよ
名画見ても何も感じねえな、ということが分かっただけだ 強いて言うなら
てか、今なんかすげーじゃんネットがさあ YouTubeとかちょっと見るだけで、劇的な映像がもう目白押しっすよ
俺は九州のド田舎に住んでいますが、Redditで毎日、アメリカ・インド・マレーシア・チリ・コロンビア・中国・南アフリカ共和国、そういうところで起きたえげつねえ事故とかケンカとか暴動の動画だったり、あるいは心温まるファミリー・ビデオだったり、奇妙な生き物の興味深い映像、奇妙な生き物の興味深い映像っぽい感じに作られたCGのフェイク映像、そのようなものをガンガン見まくっています
現実に美術館行ってよくわかんねー絵みてよくわかんねーなと思うのと、どっちが劇的かっていうと、これは正直認めたくないところもあるんだが、まあredditだろう
九州のド田舎で、5万で3LDK、しかも3件のスーパーマーケットに徒歩5分くらいに行けるうえ、ワンフロア貸切で沈む夕日を見られるベランダまでついた謎の物件に住んで、日中はインターネットを見て夕方は夕日を見るっつう暮らしを送るっていうのは、非文明的かい?
そうでもなかろう!ってことだ
かかってこいよ都心育ち 銃なんか捨ててさあ!