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はてなキーワード: 危篤とは

2021-07-28

コロナに罹らなければリスクゼロなのに、ワクチン接種で危篤症状起こすリスクが僅かに上がるの理解できないワクチン容認派はなんなの?

コロナに罹らなければ良い。現実、罹ってない。これけらも。

2021-07-17

父親の顔は見たことがない。でも、

近い将来、どこかの役所から

あなたのお父様が生活保護申請したのですが、援助をしてあげられませんか」とか

あなたのお父様が重病で危篤ですから、万一の際は手続きをしてください」とか

あなたのお父様が亡くなったので、親族として遺体を引き取り願います」とか

あなたのお父様が亡くなったので(行旅死亡人として)遺体火葬しました。遺体搬送と安置の費用火葬使用料をお支払いください」

などなど言ってきそうで、いまから心配している。

顔すら知らない人の葬儀費用を、血縁関係があるからといって、僕が出してやらないといけないんだろうか。

でも、ろくでなしの冷たいクズ、みたいに思われるのも癪だなー。

上のような話はなくても、相続の話で義理の弟妹たちが嫌々訪ねてくる、とかはありそうで嫌だな。

2021-07-08

anond:20210708113732

その人が人生で一番最後に見た人がストーカーになるわけじゃん?

それって、ものすごく貴重で尊いことなんじゃないかな。

危篤で死にそうな人間にみんな必死に会いに行くのも、

最後最後に会えるということを重くみてるわけだし。

2021-06-16

anond:20210616152832

釣りだとおもうけど帰宅途中なりトイレ休憩ですでにライン携帯メールで少しくらい連絡とれるようにしとけよ

事故連絡とか親戚の危篤連絡とかこないままつんぼ桟敷で一生を終わることになるぞ

嫁は気の毒ね

2021-05-18

anond:20210518063647

うちの母親も似たような感じで笑ってしまった。やっぱ、こういう類の入口に【水からの伝言】あるよね。

 

増田ちゃん監視してて偉いよ。

そういうのにハマって素手トイレ掃除したりしてる程度は良かったけど時が経つにつれて悪化していった。

私が中学の時には【波動整体】にハマって、ある日我が家先生らしい中年男性がやってきて整体と称してアレコレ触ってカラダのこと変な質問してきたよ。

大人になってからは、祖父危篤帰郷したら病室で祖父の口元に母が変な装置を当てていた。

祖父遺品整理中に話を聞いたらその器具は100万円だった。癌が治るんだって祖父脳卒中で倒れたのにさ。家ひっくり返したらもう一台出てきた。200万。

買った先の営業マンLineやりとりを閲覧したら、パワーアップと称して2台に何か加えて+50万円だった。さらに遡ると手始めに水に入れると水が美味しくなる石を買っていた。20万円。

 

販売企業を調べたらXjapanのボーカルの人がハマった団体だった。謄本取ったらLineやり取りしてる相手名前ビジネスネームで、本名ネット検索したら裁判情報が1番に表示されてることがわかった。

お金以上に、祖父の死に際を汚した行為はまじで許せなかった。

 

うちの場合はそれが最後かな。

母親には、次に疑似科学やクソみたいな宗教にハマったら、母親ではなく相手先の担当者を殺すと言ってる。

車の後ろに繋いで市中を引きずり回した後に、ぶっ殺して街中のモニュメント全裸になったそいつを飾りつけるって伝えてる。

魂が浄化されたり水が美味しくなるのと、我が子が人殺しになるか選べと伝えている。

最初は母も信じてなかったので、祖父の死後にスグくそみたいなサプリメント売りに来たお姉さんを家に呼び入れたけど、同席した際に本当にやろうとした。

それからは母は疑似科学宗教じゃなくて私のことを信じてくれるようになったよ。どんなに疑似科学やクソ宗教で家庭がボロボロになっても、最後はやっぱり家族の絆だよね。 

2021-05-15

寝たきりで経管栄養の爺ちゃん

どっかり口開けて舌根沈下気味に寝こけているのを

医療関係者が目にした日には、

ひそひそ声で危篤時の方針なぞを確かめてくるのだが

実は爺ちゃんは口を閉じて寝ていることもあるし

足元の天井にある画面に動画をかけろと催促してくることもあり

栄養剤を増やしたら抜け毛も減った気がするし

日々の上下はありつつもなかなかしぶといんですわ

コロナや年齢のことを言うと怒るし

状況は色々気に入らないのだろう

2021-05-06

父を自宅で看取った

・前々から肺を患っていて、別の臓器が悪くなったからそっちの治療をするために入院していたのだけど、呼吸器管理があまりうまくない(と言ったら失礼なんだけど)病院だったらしく、臓器より先に肺の方がやられてしまった。もう良くはならない、悪くなっていくだけというところまで来てしまった。それで、母が自宅に連れ帰ることを決めた。

病院で人工呼吸器をつけてもらうなどすれば、もう少し長く生きられたのかもしれない。しかコロナウィルスのことがあるから、この1年もお見舞いとか頻繁にはできなかったし、最期ときに看取ることも叶わなかっただろう。自分の家と家族が好きな父だったから、多分これでよかったんだろうと言い聞かせてる。ただ、コロナウィルス感染拡大がなければ、もう少しできることがあったのかなあと思うけれど、そういう『たられば』の話を考えても仕方がない。

10代や20代の頃に、友人が病気になったとか、事件に巻き込まれて亡くなった時などは、悲しみが何もかも埋め尽くして他のことに手が付かず、上を向いていなければ涙があふれるくらいだったけれど、30代ともなるとそんなことはない。仕事は進められるし、ゲームもできる。それくらいの感情制御ができるくらいには大人になった。

・発売をずっとずっと楽しみにしていたソフトがあった(サガフロンティアリマスター)。

発売直前に危篤の報が入ったので、色んなことが落ち着いてからプレイしようと思ったけれど、結局始めてしまった。結果的にはこれが良かった。心に隙間が少しでもできると、父のことを考えてしまう。どこかのタイミングでどうにかできたのではないかと考えて、でも結局どうにもできなかった現実を思い出し、思考堂々巡りになって他に何も考えられなくなる。これがすごく苦しい。真綿で首を絞められるとはこういうことではないだろうか。

から、大好きなゲーム世界に浸っていると、がんじがらめの思考から解放されて、一時ではあるけれど、楽になれる。

(無心になってキャラの育成してるけど本当に楽しい。とてもとても出来のいいリマスター版になったことが嬉しい。

コラボウィスキー当選して手元にあったので、リマスター版発売を祝して発売日に封を開けようと楽しみにしていたけれど、こちらはまだ開けられないでいる)

でも、父が亡くなってからの家のことが思っていたより忙しいし、多分自分自覚している以上に精神的なダメージが大きいようで、気力と体力に少しでも余裕があるときじゃないとプレイできない。まだ半分も進んでいない。連休が明けて、仕事も本格的に再開したので、クリアまでまだ時間がかかりそう。でも、父のことを思い出として割り切れる時が来るよりもずっと早くクリアできるとは思う。

20年以上前から大好きなゲームリマスター版の発売と、父の逝去ほとんど同時だったことを、私は春が来るたび思い出すことになるんだろう。

危篤の報を受けて、実家に戻ってきて、それから所用があるときとか、母と交代で仮眠をとるとき以外はずっと父の傍にいて、大体の時間は父の手を握っていた。

握り返す力はほとんどなく、じんわりと湿っていて、だけど温かだった父の手から日に日に体温が失われていった。指先がだんだんと冷たくなって、さすっても元に戻らなくなってくる。自分の両手で挟んでみて、まだ温かいから大丈夫だとごまかした。

・父はほとんど声を出せなくなっていて、意思疎通もままならない状態だったけれど、不思議と笑っているときとか、楽しんでいるときなどは、傍にいる母や私にもそれが分かった。嫁に行かなくてごめんねと冗談っぽく言ったり、額に頬擦りしてみたり、好きな歌を歌ったりすると、父は笑っていた。それは唯一の救いだったように思う。

最期家族全員で父を看取ったのだが、生と死の境目はよく分からなかった。どこで線が引かれたのだろうか?

・息を引き取る前の父、もう動かなくなった父、死装束をまとって棺に入れられた父、斎場に着いて焼かれて、骨だけになった父、頭蓋骨を砕かれて(すごく可哀想だった)、骨壺に入れられるところまで全部見ていたのに、未だに父が亡くなったという実感がわかないでいる。入院していた期間が長かったし、私も離れて暮らしていたから、まだどこか遠くの病院入院していて、戻ってきていないだけじゃないかと思ってる。

・ふとした心の隙間に父のことに思いを巡らせ、はっと、もう父には会えないという現実に思い至ると、思考事実が一致しないからか、頭がバグりそうになる。

・私は死後の世界何となく信じているけれど、そこまで信心深い訳ではなく、父は立派な戒名をいただいたが、仏様になるとはとても思えない、骨になった父はもはやただの物体である現在科学技術では魂の存在証明できない。だから遺影の手前にあるもの意志とかそういうものはないし、よって、父はもうそこにはいないし、どこにもいない。でも、蝋燭に火をつけて線香を灯し、おりんを鳴らしてから手を合わせ、目を閉じて祈っている間は、心の淀みとか思考の澱とかが取り払われて、澄んだ心持になる。父のためと思えばこそ、線香もなるべくつけておこうと思うし、どんな香りがいいか色んなメーカーのものを見て回るようにもなった。そこにはもういないと分かっているけれど、人には縋るもの必要なのだということがよくわかった。

・今わの際の父には冗談めかして言ったが、三十路過ぎて嫁に行っていないことは本当に申し訳なく思ってる。

結婚願望がないわけじゃないし、思うところがあるから、今からでも嫁に行こうと思う(いけるか分からんけど)。

でも、父を生きている間に花嫁の父にしてやれなかったこと、それ以外にも、もう生きている父に親孝行ができないと思うと、すごくしんどい気持ちになる。

・父や母がその親(つまりから見て祖父母)を見送ったのが50~60代の頃で、私も同じくらいに見送ることになるのだろうか、まだ先のことだと思っていたのだが、30代前半で看取ることになるとは思っていなかった。

・父は7人姉弟末っ子だった。長子の伯母が存命で、この伯母と父はとても仲が良かった。一番下の弟を先に亡くした伯母のことを考えるとなぜだか申し訳ない気分でいっぱいになる。

私自身も4人兄妹の末っ子で、それも父が40代の頃に生まれた子で、私が父の半分も生きていないうちに、父が逝ってしまたことが、切なくてたまらない。

・父は庭いじりが好きだったが、最後の数年間は体力が落ちていて、ろくに世話ができていなかった。なので、今の我が家の庭は少し荒れている。

だけど、それでも、父の庭は美しい。ドウダンの細かな若緑の葉と、鈴に似た真白の花が折り重なってまぶしい。何本かを一列に並べて植えているから、光の通り道のように見える。奥に植えた3本の松はいつでも常盤色をしていて渋く、その手前には幹の太く大きな春もみじが1本植わっている。赤紅の細長い葉を幾重にもまとわせていて、炎のようだ。今はツツジが見頃で、赤と白の花が鮮やかに目に飛び込んでくるのが楽しい

緑が陽に濡れた今年の庭を見ることなく、父は逝ってしまった。そのことがとても悲しい。

この時期じゃなくっても、うちの庭はとても綺麗なのに、お父さんが見ることはもうない。

・大体1ヶ月程度実家滞在していて、昨日一人暮らしの自室に戻ってきた。

隅に片していた寝具のセットに毛布が挟んであって、クローゼットには厚手の衣類が掛けられたままだった。

父が亡くなる前のまま、この部屋の時間は止まっていた。何でもない日々に戻るから時計は動かさないといけない。

・もうどこにも父はいない。そのことが無性に切なくて悲しくて寂しい。

2021-03-12

祖母介護ネグレクト

祖母の死から4年くらい経つ。

社会人になってから父宅から母宅へ移動したが、

半年で逃げ出して一人暮らしを始めた。やっぱり母はおかしい。

ちょうどその頃から祖母ボケ始めた。休日祖母の家に来てくれと電話が鳴り、母が出ないので私が取り、仕事で疲れているから無理だと断っていた。

社会人1年目の冬、知らない番号から着信があったので出てみたら、祖母のかかつりけ医らしい。

母と連絡が取れないので、祖母宅にメモがあった私の番号にかけたらしい。

祖母の病状が悪く、一度見に来てほしいとのことだったので休みを取って行った。仕事が佳境だったので恐る恐るだった。

祖母はがんにかかっていたらしい。顔が酷く腫れ上がって明らかに弱っていた。

小学生の時は私をネグレクトした母の代わりにご飯を作ってくれ、父宅に住んでいた時も、私を呼びだして会う度にご飯を奢ってくれ、お小遣いもくれた祖母だった。酷い状態に涙が止まらなかった。医師の話も聞いた。

何回か通ううちに、私のことを祖母の妹の名前で呼ぶようになった。それがつらくて行くのをやめた。

祖母親族と母に連絡するだけで自分の役目を終えたような顔をして、また仕事に行って休みは寝たり遊んだりする日々に戻った。

12月の夜、祖母危篤だと母より連絡があった。

仕事が終わって自宅の最寄り駅に着いたばかりの私は、「疲れているので行けない」と返した。

祖母はそのまま亡くなった。連絡が来てからやっと自分のししまたことに気づき、熱を出して寝込んだ。熱が下がらないまま遺品整理の手伝いに行ったがまるで役に立たなかった。

葬儀喪主は母だったが、やはり様子はおかしかった。親戚や父も含めて会食をしようとしたらしいが、場所を押さえてないので無理だった。八つ当たりされたので逃げ帰った。

小学生時代祖母に育ててもらったようなものなのに、大学生にもなってお小遣いを貰っていたのに、なんで仕事疲れたくらいであんなに簡単に切り捨てられたんだろう。自分はまともな人間だとばかり思っていた。おばあちゃんごめんなさい。

骨壷は母が持っていたが、どうも墓に入れるのを面倒がっていたので、私が行っている墓には祖母がいないかもしれない。墓越しに謝ることすらできない。

墓参りには線香しか持っていかなかった。あとは掃除だけして帰った。

祖母は私の着物姿を見て喜んでくれた。習字で金賞が取れなかった時だけ怒られたけど、私がもらった賞状トロフィーをたくさん並べていた。

次は花を持っていった方がいいだろうか。祖母の好きな花も知らない。仏花は菊だったっけ?

私が死んだら祖母に会って謝れるんだろうか。

比較的楽しく過ごしているけど、ふと祖母のことを思い出す度に罪悪感で苦しくて涙が止まらなくなる。本当にごめんなさい。父と母に振り回されていた私をかわいがってくれたのに、報いるどころかネグレクトで返した。

言い訳しようと思えばいくらでもできる。そう思う度に自分外道さに反吐が出る。仕方なくなんかない。疲れていたとか関係ない。祖母に比べれば大変なんかじゃなかった。休みには遊ぶ余裕があったのになんで行かなかったんだ。きっと私がそういう人間からだ。屑だ。生きていていいのだろうか。父と母が死ぬ時も私はこうなんだろうか。私が代わりに死ねばよかったのにな。ごめんなさい。ごめんなさいと伝えられない。ごめんなさい。おばあちゃんは許してくれるだろう。こんな屑に優しくしてくれたんだから

天罰を与えてくれ。

2021-01-26

anond:20210126175658

いやーほんとそうですね。姉夫婦もぶん殴りたいですが、親が危篤になったら枕元で恨み言ぶちまけてやろうと思います

あと、こういう場所なので詳しくは伏せますが、金銭的な問題については一応解決の見通しが立っているので、親がコロナ感染したりしなければ近い将来平和に暮らせるようになる予定です。

ちゃんと実行できるようにぼちぼち頑張ります

ありがとうございます

2021-01-25

Zoomで義祖母を看取った

昨日の17時過ぎ、海外に住む義祖母危篤と告げられた。

義父が義祖母入院先へと向かっている最中に、義父はZoomルーム作成し、その招待リンクを私達に送ってきた。

 

慌ててZoomインストールし、アカウント作成した。

友達や知り合いとの通話ディスコLINEで事足りていたし、会社ではビデオ会議のビの字もなかったから、私達にとってこれがはじめてのZoom体験だ。

 

設定を適当に済ませて招待リンクを踏むと、既に親戚一同集まっていた。

ビデオ通話はいつも1人1枠(?)で見慣れていたので、一家全員が勢揃いしている枠がいくつもある画面を見るのはなんだか変な感じだった。義父はまだ病院に着いていないようで、先に集まった人たちで少し雑談なんかをしていた。

 

しばらく経った頃、一定感覚ピーピー鳴る、あの医療機械的な音が聴こえてきた。

 

義父の画面枠には、顰めっ面にも見えるような表情で目を瞑り、ベッドに横たわる義祖母の姿が映っている。

 

Zoom上で集まった親族が、順番に義祖母に声をかけていくことになった。のだが。

同じ病室に、先程亡くなられた方の家族がいるらしく、その家族の泣き声がものすごい声量で聞こえてくる。病室に声が反響しているのがZoom越しでもわかる。

親族声かけと見知らぬ家族の泣き声が混ざってこちらに聞こえてくるもんだから親族が義祖母に何と言っているのかあまり聞き取れなかった。私が聞こえなくても義祖母に聴こえていたらいいんだけれど。

 

向こうの泣き声にかき消されないよう、できるだけ声を張って喋ろう、と思いながら私達は順番が来るのを待っていた。

突然、通話が途切れた。

えっ!?こんな時に回線落ち!?

急いでwifi確認して、Zoomを震える手で再起動した。冷や汗と動悸が止まらなかった。

混乱した頭で色々触って、ようやく繋がった時には義祖母は息を引き取った後だった。

Zoom無料版は人数が多いと通話時間制限がかかり、強制切断されるらしい。Zoomがそんな仕様だったなんて知らなかったし、それならskypeとか他のソフト使った方がよかったんじゃないの?と思った。言わなかったけれど。

 

亡くなった義祖母に今度こそお別れの言葉をかけて、Zoom看取りは終了……しなかった。

火葬後の墓はどうするだの、住んでいた家はどうするだのの話を義父達がはじめてしまい、親戚は抜けるに抜けられず、口出しもしづらい雰囲気通話が続行された。

時間制限で2回通話強制切断されたあとも義父達は会話を続けていたので、3回目の切断時に私達は通話を抜けた。

 

はじめてのZoomを終えた後、この行き場の無い気持ちをどうにかしたくて、なんとなく、Zoomアンインストールした。

2021-01-05

20年ぶりに引きこもりの従姉妹と会った

ただそのような出来事があった、というだけの話なんだけど。あまり気軽に友達に話せるようなことでもないのでここに置いてく。

自分40代女。20年ぶりに従姉妹と会った。

発端は先月末、隣の市に住む親戚のおばさん(従姉妹母親)が入院したことから

おばさんは私の伯父の奥さんで伯父は20年ぐらい前に癌で亡くなっている。

姉妹とは今回会うまで伯父の葬儀で会ったきりだった。

伯父夫婦には2人子供がいる。兄には生まれつき知的障害があるが大人しい性格普段施設暮らしている。

3歳ぐらい下の妹、つまり今回久しぶりに会った従姉妹高校受験地元で一番の進学校へ入ったが中退し、アニメかなんかの専門学校へ行ったらしい。

だけど就職もできずどのバイトも続かずそのまま引きこもるようになったときいてた。

伯父の葬儀でも見た目は普通女の子だったがずっと無表情で完全に心を閉ざしている感じで、誰かが話しかけても無視必要なら頷く程度だった。

おばさんは生前「あの子はずっと私を憎んでいたの。」と言っていた。

伯父は癌になるまで大企業役員クラス仕事をしていて激務だった為、家庭はほぼ妻に任せていたと思われる。

そして従姉妹中学生ごろから両親に「どうせ兄の世話を押し付けるつもりで私を産んだのだろう。」みたいなことを頻繁に言っていたらしい。

ただその兄はもう長いこと施設暮らしていて年末年始などたまに実家へ帰っていたが、今ではもうそ施設での規則正しい生活のほうが本人は楽なようで、両親の死後もそこで暮らせるような手筈にはなっている。

伯父夫婦と私は冠婚葬祭やたまに外でごはんを食べたりお土産のやりとりなどそこそこの親戚付き合いはあった。が、どれぐらい従姉妹を立ち直らせようというような働きかけをしていたかは知らない。

おばさんは洋裁が得意で、多趣味油絵音楽を習ったりしていて、いつも忙しくしていた。自分の娘のことは「なるようにしかならないから悩んでもしょうがない」と諦めていた感じだ。

まりクヨクヨしない、楽天的性格といえばそういう性格の人だった。

おそらく従姉妹とは性格が合わなかったのだと思う。母娘でも合わないなんていくらでもあるし、本来なら相性の悪い親と一緒に暮らすのは苦痛で仕方ないだろう。

しかし従姉妹には独立できるほどの能力も気力もなかった為に親元にいるしかなく、同時に激しく憎むという生活を長年送ってきたのかもしれない。

しかし今回おばさんが急に入院、容体悪化危篤ということになり、色々あって私が従姉妹を連れて病院へ行くことになった。

まずおばさんの家の中を見たのはたぶん5年ぶりぐらいだけど、ほぼゴミ屋敷になっていた。前から物が多いなとは思ってたんだけど、足の踏み場はかろうじてあるという感じ。

そして20年ぶりの従姉妹はかなり見た目が変わっていた。かなり太ってたのもあるし、もちろん中年になれば変わって当然なのだが、とにかく外に出ず他人との交流がない生活をしている人間だというのがひとめでわかるような風貌だ。最初ちょっと正視できなかった。そして、何を話しかけても言葉を発しない。

姉妹に、お母さん入院したことは知ってるの?ときくと、僅かに首を横に振った。知らないしそもそも興味もないという顔だ。それで彼女説明して

「お母さん危ないみたい。明日の朝、迎えに来るから、お母さんに会いに行こう。」と言うと彼女は小さく頷いた。

冷蔵庫の中を見ると生鮮品は古くなっていたが米はあるしインスタントレトルト食品も山ほどあったのでしばらくは大丈夫だろうと思ったけど、もし足りないものがあれば近くのコンビニに行きなさいと従姉妹に少し現金を渡してからその日はいったん帰宅

翌朝車で迎えに行ったら従姉妹は服を着て2階から降りてきた。

相変わらず何も喋らないが、もしかしたら行くのを嫌がるかと思っていたので素直に車に乗り込んだのを見て少しほっとした。

今は面会の制限が厳しいから、私だけだと入れて貰えなかっただろう。

病院につくとおばさんはICUの中で人工呼吸器をつけ意識もなく寝ていた。

医師によると最初は違う病気で元の病院入院していて意識もあったが、そこで突然くも膜下出血を起こして手術可能なこちらへ運ばれてきたとのこと。脳内出血がひどく完全に瞳孔が開いており、手術せずこのままだと年内もたないとのことだった。そして手術して命は助かっても植物状態で寝たきりになるという。

手術するかどうかはおばさん側の実家の親戚に電話をして経緯を話し、「しない」ということになった。

で、面会はこういう時期なので身内に限りひとりだけと言われ、従姉妹に入るよう促した。が、動こうとしない。

彼女の様子を見た看護師さんが状況を察したのか、私に「付き添いということなら、一緒に入っていいです。」と言ってくれ、従姉妹を連れて一緒に中へ入った。彼女は手を引くとようやく足を動かした。そして看護師さんが寝ている母親の手を布団から出して「もう最後ですよ。手を握ってあげて。」と言われると一瞬だけ母親の手に自分の手を重ねた。でもそれは言われたからした、という感じで、すぐに手は引っ込められ、彼女の様子からは何の感情も読み取れなかった。

もしこれがドラマとかだとそこで急に従姉妹が後悔して泣いたりするような展開なのかもしれないけど。

わかったのは、従姉妹は本当に自分母親が嫌いだったんだろうなと。悲しい気はしたけどそれはそれで仕方ないとも思った。

彼女にとって赤の他人に等しい私には彼女事情内面は計り知れないし、実親が死にそうだから泣いて手を握らないといけないということはない。

自分はなんか余計なことしたのかな、という気分にはなった。

それより彼女にとってはこれから自分のことのほうが、重要なのだろう。今までと同じ生活がもう出来ないことはちゃんとわかっているはずだし。

私もおばさんに最後挨拶をして、病院を出た。

翌日、連絡した従姉妹の母方の親戚(おばさんの甥・姪にあたる人)がこちらへ出てきた。なんでも甥はおばさんから自分にもしものことがあったらと従姉妹後見人を頼まれていたらしい。

そして私と一緒に従姉妹の様子を見たいということでまた会いに行ったのだけど。

彼女に僅かな変化を感じた。

相変わらず喋らないし反応も薄いけど、前日はほったらかしだった伸ばしっぱなしの長い髪は後ろで一つにきっちりとまとめられていた。たったそれだけのことでも、なんかだいぶまともに見えた。

おばさんはその数日後に亡くなり、こんな時なので葬儀も僅かな身内だけで済ませて葬儀後の会食などもせず終わり。

今後、従姉妹のことは(彼女の兄のことも含め)そちらの親戚に任せることになった。近々市の福祉課にも相談に行くとか言っていたし、ちゃんとしたしっかりした人たちなので大丈夫だろう。彼女が長年暮らしたあの大きな家も処分するのだろうな。

そして彼女がこれからどう生きてくのかはわからないし、もしかしたら私はこの先彼女と会うことは二度とないかもしれないけど。

彼女の様子を見て、自分母親の死に対してある意味ホッとしてるのかもなって思った。

姉妹精神的に問題あるだろうし引きこもりだけど、8050問題になって親に刺し殺されたりするような人もいる世の中でだいぶラッキーな人だなって感想でした。

やけに疲れたので正月三が日はひたすら寝てました。

2020-12-24

毎日自分ご飯を作ること

東京一人暮らしをしていたが、事情あってコロナ禍に実家田舎帰省してきている。最近東京できちんとご飯を毎食作ることにしていて、実家でもそれを継続している。母や親戚などに自分の作ったご飯を食べてもらい、笑ってもらえるのは大いに幸福である自分ご飯を作るメリットを挙げてみたい。

節約になる

自炊すれば、松屋ラーメン屋に行く回数は圧倒的に減る。松屋吉野家であれば大した金額にもならないが、ファミレスに行くとついついドリンクバーをつけてしまったり、デザートを付けてしまったりして容易に1,000円を超える。働いてお金を稼いでいるのであればお金の使いみちは自由だが、いざというときのためにある程度の貯金必要である。転ばぬ先の杖である自炊に慣れると、次第に作り置きもできるようになってくる。トマトが安いタイミングで大量に買ってレモン汁とオリーブオイルマリネにしておけば1週間以上の保存が可能だし、ミンチ肉が安いタイミングミートソースシチューなどを作って冷凍しておけば、半月以上は保存ができる。

栄養の偏りを防げる

生活習慣病の敵である塩分のとりすぎやコレステロールのとりすぎなど、そういった初歩的なミスは、自分ご飯を作っていれば容易に避けられる。外食ほど味を濃くする必要もないし、何よりも自分で作っていて、「これは醤油を取り過ぎだな」とか「野菜が少なくてバランスに欠けるな」とか、そういったことが実感としてよりわかりやすくなる。

季節ごとの旬を知ることができる

日本四季のある国であるというが、それを実感するのはまず第一に気温、そしてその次に食事である。例えば今の季節はトマトが高い。なぜならばトマトの旬は夏であり、現在スーパーで売られている国産トマト基本的ハウス栽培からだ。また、

人助けになる

当方が今回はからずも帰省したのは、祖母危篤からである祖母には娘が二人(私から見た母とおば)、二人はこれまでの看病等による精神疲労により、かなり体力的にも弱っている。そのため、私が毎日昼ごはん晩御飯を作っているのだが、これが大いに感謝されている。ご飯を作るのにはそれなりに気力が必要らしく、自分の親が死にそうになっているという異常状況で、何も手につかない状態ではやはりおぼつかない。私にできることは少ないが、ご飯を作ることに慣れていて本当に良かったと心底実感している。未だに

男子厨房に入らず

と言ってはばからない男性諸氏もいるようだが、そんな事を言ってられない状況にいつなるかは誰もわからない。人間たるもの、やはり一通りのことは何でも出来てこそ一人前である

精神的に落ち着く

ご飯を作るという作業に没頭することで、相当に癒やしの効果がある。これは自炊を本格的に始めた当初には予想していないことであった。一人暮らし用の冷蔵庫が小さいので、四角のタッパやジップロックなどを100円ショップで購入し、工夫して作りおきのソース食材などを冷蔵庫に入れたりしているときなど、ああ丁寧に生活している、と心から実感する。また、炒めものをしているときは、あまりかき混ぜたりせずに放置することも料理必要プロセスである。かき混ぜすぎると、全体に火を通すのに異常に時間がかかったり、野菜や肉から美味しい成分が汁となって逃げてしまうことがある。そういうときは、じっと我慢して手を止め、フライパンを1分、2分と眺めているものである。この時間いかに充実していることか。

自炊していない人を見下せる

友人などを見ると、一人暮らしでウーバーイーツなどに頼り切りの者、奥さんに任せっきりの者など、いろいろな人がいる。人間自分の面倒くらい自分で見られないとやっぱり半人前だな、と思うと、密かな優越感に浸ることができる。もちろんそんな見方をするのはあまり良くないことではあるが。

2020-12-05

叔母さんすまん

すまん……早く逝ってくれ

危篤でダラダラはこっちが持たん

2020-12-04

道徳教科書に載ってた話でさ

 入院してる二人の男の話あったじゃん

 二人とも不治の病かなんかでまともに体も動かせない。

 一方の男は共同病室の窓際のベッドを使ってて、季節が巡る度に窓から見える風景を逐一病室の患者達に教えてくれる

「桜の花が綺麗だよ」とか「子供たちが遊んでいるよ」とか

 そんな言葉を聞きながら、一方の窓際から遠い男は、窓際の男のことを心底羨ましく思っていた。

「俺だってから風景を見ながら残りの人生を過ごしたい」と。


 で、ある夜更けに窓際の男が危篤になる

 窓際から遠いベッドで横たわっていた一方の男だけが病室の中で起きていて、ナースコールできる状態にあった。苦しんでいる窓際の男は自力看護師を呼べる状態ではない。

 苦しんでいる窓際の男を見ながら、男は思う。「このまま窓際の男が亡くなれば、その代わりに俺が窓際のベッドを使うことができるようになるかもしれない」と


     ◇


 その後の展開はお馴染みで、窓際の男は亡くなり、そして目論見通り一方の男は窓際のベッドに移動するのだけれど、そこからは男の言っていたような風景は一切見えず、うらぶれた灰色ビルの壁面が見えるだけだった、って話。

 今にして思うのは、道徳教科書にこの話を載せたのは一体どんな奴で、どんな意図で載せたかってことなんだよな。

 何でなんだろうと思ったんだよ

2020-12-03

シレン発売したか

実況しようかと思ったら叔母さん危篤って

この雰囲気じゃ実況できんからプレイすら始められん

2020-11-16

anond:20201116175041

そうなの?

現実でも凄い不謹慎と責められたし、ネット調べても、(危篤なら)行かないと後悔します(しました)!とかいうのばっかで、胸糞思想なのかと思ってた

葬式で泣ける人になりたい

胸糞だから読まない方がいいと思う。

でもどうしても吐き出したかった。


危篤状態の人に会いに行く意味ってなに?

薄情で不謹慎なのはわかるけど、ポカンしかできない。あと葬式でも泣けない。でも結婚式号泣する性質。もちろん悲しいって気持ちはあるんだけどさ

若くして亡くなった友達葬式では、周囲が皆泣いてるのに泣けなくて、やべえなあって思いながら俯いてた。

葬式ですらそんなんなのに、危篤状態とか尚更よくわからない。


でも、悲しまなきゃいけない、そばにいなきゃいけない、会いに行かなきゃいけない、声をかけなきゃいけない

そういう普通の人の態度がわかるからそう振る舞う

個人意見としては、自分が倒れたりしても、最低限もろもろの書類サインしてくれれば帰っていい。

だって術中待ってたって別になんもできないじゃん。

だったら家帰って好きなことするとか、夜なら仕事に備えて寝るとかしてほしい。

ついでに倒れたからってわざわざ仕事投げ出してとか来ないでほしい。死ぬかもしれない自分のせいで、仕事に支障出るし、大切な人の貴重な有給が減る。それはつらい。死んでも生きても後悔する

本気でそう思ってるのに、伝えたらバッサリそんな薄情なことできないとか、不謹慎だとか言われた

映画とか他人事なら泣けるし、悲しい気持ちもわかるけど、自分含め自分事だとすごい薄情で不謹慎な人になる。

なんでこうなんだろう。

おかしいのかな。

なんで創作物とかならきちんと共感できるんだろう

2020-11-12

入籍できない

自分 会社員

婚約者 同僚(同居中)

 

自分家族

母 自営業

父 自営業

姉1 遠方に住む既婚者

姉2 近所に住むバツイチ

 

婚約者家族

父 現役公務員

母 現役公務員

妹 既婚者

 

職場で知り合った人とほぼ友達婚する

交際期間は短いが仕事での付き合いは2年以上ある上に、双方の家族から気に入られていたので結婚自体スムーズに行くはずだった

 

同棲初めてすぐの頃に両家の顔合わせは済ませており、入籍タイミングを図っていたらこコロナ渦に自分の両親が自営業廃業が決まった

またその直前に自分の夢だった注文住宅の購入に目処がついてきたので、

両親のリタイアと戸建てのタイミングがちょうど重なるから頃合いかな、と婚約者と話がまとまった

入籍の小さな相談母親に度々していた

食事会はどんな感じが良いか結婚式はこの時期は無理だから写真だけでも良いか、等

 

廃業した当日に、引退祝い酒で酔ってる父に私と婚約者は帰り際に

入籍は近々するから、それまで長生きしてね」

と言った

言った場所雰囲気、軽い言葉からわかってもらえると思うが、あくまでも「長生きしてね」が伝えたい言葉だった

父親は酔っていたのもあって非常に喜んでくれた

「やっとか。待ってたよー。また詳しいことが決まったら教えてくれ」

と言ってくれた

 

だが母親はちがった

「そんな大事なことを酒の席で、しかも私には言っていない!!」

と大激怒してしまったのだ

 

勘違いさせてしまたことは自分の落ち度だが、勘違いを訂正せずに姉1と姉2に文句をぶちまけてしまったのだ

よって母と姉たちは、私のことを

「両家に不義理するバカ娘」

と憤慨し、怒涛のライン説教が始まった

 

自分が知らないところで話が発展し、突然の説教はその前からあったのだがそれは割愛する

 

ごめん日記書いててしんどくなってきた。

追記は落ち着いてからしていく

ちなみにまだこの3人とは冷戦している

 

 

 

追記

 

姉たちから入籍するんだ」というラインがくる

この二人にもすでに婚約者との面識があり、結婚前提の付き合いということも知っている

肯定すると

「なんで勝手にやるの非常識でしょ」と来る

ここで私は「それは勘違いだよ」と、これまでの経緯を説明する

それでも「勝手入籍する」と、印象が拭えていない

 

そこから更に「結婚式はどうするの」と来る

ここからは会話形式

 

私「結婚式はしない予定。コロナもあるけど式やるお金は他のことで使いたいから」

1「お父さん、あなた花嫁姿見たがると思うけどなぁ」

私「ドレスは着たいか写真撮影ぐらいはしたいと思ってるよ」

2「食事会とかしたいじゃん」

私「だからする予定ではあるって…それから黙っていたけど、私家建てるから。もう土地も見つけてる」

1「二世住宅?」

私「違うよ。この話は両親に話さないでね。年金貯金ぐらしになる二人に心配描けさせたくないから。

 あの二人のことだから援助してきそうだし」

1「結婚式のお金無いなら費用出してもらえばいいじゃない。というか、出してくれると思うよ」

2「家の援助しないと思うよ」(割愛するが、姉2は母親の蓄えを減らすほどの援助を受けてきた)

私「あのさ、お金を出させる可能性を潰したいの。それから入籍もその家のタイミングと図って一気にやりたいだけだから

2「なんか家のために入籍してるような気がする」

私「いいじゃん。問題ないじゃない。良いんだよ事実婚でも。手続きしなくて楽だから

 でも今後絶対不都合が出てくるからしたいと思ったんだよ。

 たとえば危篤状態になっても立ち会えられないとか」

2「じゃぁ結婚式を先にやって入籍しようよ」

1「ごめん、やっぱり家のこと両親に私から話すね。大きな話だし」

 

ここで私、姉1に怒る

これまで普通言葉を使ってきたが、強い言葉じゃないと通じないと思ったからだ

 

ごめんなさいまた追記していきます

なんでこの人達は式にこだわるのか

 

2020-09-24

anond:20200924170845

この世界の片隅にってアニメみてみそ。

庶民見合いは、知らん人を紹介されてそのまま結婚やで。

俺の父ちゃんは、親が危篤って連絡がきて、あわてて帰郷したら見合いだったらしい。

2020-09-06

anond:20200906161940

飛ばし問題無さそうなところはガンガン飛ばし読みしたけど

やっぱ浮気癖のある父親の面倒を見たく無い場合

母親離婚判断を任せるのがフツーだよね

 

ワイは無理矢理、両親を別れさせちゃったんだよね。父親の面倒みたくないか

 

まぁ父ちゃんちゃんに恨まれるのも当然っちゃ当然かもな

 

おかげで父ちゃんがここ15年何しているかさっぱりわからん

ちゃんよりも15歳年上で70歳とっくにオーバーしていてお迎えが来てもおかしくない年齢になっているけど

危篤はおろか葬式にもたぶん呼ばれなそう

 

相続はたぶん借金しかないので気にする必要はないと思うけど

なんらかの手続きが発生したら前妻との子どもと初対面になるんかな

彼らはたしかワイの10歳上だったか

2020-09-03

猫が急逝して、明日でちょうど一週間経つ。

年始めに入院し、危篤状態我が家に帰ってきた猫(獣医に「このままだとここで息を引き取ることになります。連れて帰りますか?」と訊かれた為連れ帰った)

死に水ではないが、母がミルクを飲ませようとすると健気にペロペロしたと聞き、大急ぎで違う病院へ連れて行った。

ミルクを飲む力があるのなら助かるのではないか?とセカンドオピニオンした(以前通っていた病院だが)

その病院で一週間ほど入院し、なんとか帰宅することが出来た。

ぐったりはしているものの、彼が家に居てくれるだけで幸せだった。

最初毎日。次第に3日おき、一週間おき。最近では二週間おきで病院に通った。

獣医に「にゃあ!」と挨拶し、注射に「いてー!」と反抗する元気が出てきて安心していた。

寒い時期に入院退院し、体が冷えない様に気を使っていたが、

日差しが強くなり気温が上がる頃には自力で家の中の快適な所へ勝手に出向いてドテンと転がっていることもしばしばだった。

母は睡眠時間を削って、よく世話をしてくれた。

うちには3匹猫が居るが、一番下の猫もとても心配して様子を見てくれていた。

容態が安定してから定期検査は2ヶ月に一回になっていた。次は9月の予定だった。

私は毎月検査して欲しいと思っていたが、獣医がそう言うなら良いかとも思った。

しかし先月末、突然療法食を食べなくなった。

猫缶は食べていたが、買っておいた腎臓病用のリキッドを飲ませてみようとした(飲まなかった)

おしっこは出ていたがぐったりし始めた為、慌てて病院へ。

検査すると内蔵全体が悪くなっていた。肺にも白い影がかかっていた。

各種数値は非常に悪い。

獣医は出来るだけのことをすると言い、入院になった。

帰る時、猫の様子を見るといつも通りゴロゴロと喉を鳴らしていた。

がんばるんだよ。と声を掛け、後ろ髪を引かれる思いで帰宅

どきどきしながら一晩過ごし、翌日仕事前に見舞いに行った。

その時、母の顔を見てニャー!と一声鳴いた。

もうゴロゴロは言えず、苦しそうに胸を上下させていた。

こんなに苦しそうなのに、頑張れなどと声をかけることも出来ない。

そう思ったけれども、なんとか生き抜いて家に帰ってきて欲しいと願わずはいられなかった。

また長く入院して苦しめることになるのかなあと思いながら。

仕事に行き、夕方の休憩時間スマホを見ると母から着信が入っていた。

力が抜ける思いでLINEを開くと「息を引き取りました」とあった。

ぼんやりしながら仕事をこなし帰宅すると、氷に囲まれて冷え切って固くなった彼が横たわっていた。

冷たくて固いけど、見た目は寝ている様にしか見えない。

腹を撫でると毛並みがさざめいて息をしている様だ。

抱え上げると、病院に連れて行った時よりも重みを感じた。

入院する2日ほど前の夜、私の部屋にドタドタと駆け込んできて何やら沢山鳴いていた。

否、ここ半月程やたら鳴いて甘えていた。

「具合悪い!」と訴えていたのかもしれない。

具合が悪いから、いっぱいよしよししてくれと言っていたのかもしれない。

それなのに、あの日私は「うんうん。どうした?」と顔を覗き込んで頭を撫でるだけだった。

なんで膝に上げてやらなかったんだろう。

元々人の膝で寝るのが大好きな猫だった。

老いて体が難儀なせいか、その体勢が辛い様であまり上がらなくなっていた。

こちらも気を使って抱え上げたりすることがなくなっていた。

あの温かく柔らかい重みをこの手に抱える最後のチャンスを捨ててしまったのが悔やまれてならない。

彼は本当に人間が大好きな猫だった。

そして何故か私の手を舐めまくるのが好きだった。

ひとしきり舐めさせて手を引っ込めようとすると、爪を出して押し止めるくらい。

美味しかったのだろうか?

自分の子猫だとでも思っていたのだろうか?

他の人間の手を舐めることはなかったので、何かしら意味があったのだろう。

最後に手を舐められたのはいつだったかなあ。

遺骸になった猫を撫で付けながらそんなことを思い出すと涙が止まらなかった。

このまま家の庭に埋葬するのはなんだかとても嫌だった。

部屋に寝かせている姿は以前のままだったから。

その存在を全て土の下に埋めてしまうのがとても躊躇われた。

何か残しておきたい。そう思って、火葬業者を頼むことにした。

家まで来て貰い、家族みんなでお弔いをした。

炉に横たえた彼はやっぱり生前のままだった。

ツヤツヤの白い毛並みの大きな体は、2時間ほどで白い骨になった。

しっかりとした骨を桐の小箱に詰めていく。

股関節が悪くてドタドタ歩いてたけど、骨は立派なままだった。

最後にちっちゃな頭蓋骨を私が拾って収めた。

容態急変から葬儀まであっという間の出来事だった。

でも不思議と落ち着いている。

酷いペットロスになるのではないかと思っていたが、何故か一区切りついた様な感覚だ。

亡くなった猫について人と話したり、こうして文章にしたりするとやっぱり涙が止まらないけれども。

前回倒れて奇跡的に回復し、この半年強という時間を与えられ、みんなで見守り続けて出来るだけのことをしたという感覚があるからだろうか。

思い返せば悔やまれることもあるけれども。

病院に居たせいで、家族の誰も看取ってやることが出来なかったのも辛いけれども。

それでも、最期は長く苦しまずに逝けたから…。

今月7日で18歳になる筈だった彼。

しかっただろうに、7ヶ月以上も頑張って生きてくれた。

とても愛しく、大切な子だよ。

これまで傍に居てくれて本当にありがとう

2020-08-30

看護師の言うことはあまり聞かなくて良いよ

ポカリを割るなとか、糖尿病noteの人もだけど看護師って善意はあっても知識がないから、PCR検査で陰性証明という安心をあげたいとか言ってしまう。

地獄への道は善意で舗装されているってね。

たまに嫌いな医者嫌がらせしたくて、患者に「薬飲むの辛かったら無理に飲まないでいいですよぉ」と言って危篤にしたりするけど、まぁ希。

知識的には 医師>=薬剤師>藪医者>まともな看護師愚鈍看護師 ってところだから。誰の話を聞くか、これ大事

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