はてなキーワード: 行旅死亡人とは
死ぬのに必要なことはなんだろうかと考え続けてきた。世間は自殺するなら迷惑をかけないように死んでくれと言ってくるが、実際病院のベッドで死ぬのだって看取る家族の心理的な負担があるし医療機関にも世話にならざるをえない。家でぽっくり死んでも警察の世話になる。自殺だってどれだけ静かに死んだところで最後に死体を見つけてもらわなければ死んだことにはならない。(行旅死亡人という文字面にはとても惹かれるものはあるが。)そうなると自殺だろうが病死だろうがもはや誰にも全く迷惑をかけずに死ぬというのは不可能なのではないかと思い至った。故に死ぬのに迷惑をかけずにとか考えるのはよした方がいいということにした。もちろん最小限にまで迷惑をかけないようにするつもりではあるが。
とりあえず上質な睡眠とそれなりに規則正しい食生活を心がけても毎夜毎晩こんなことを考えているし、段々と死ぬために済ませておきたいこと、時期、必要なものが具体的に思い浮かぶようになってきた。昼はニュートラルな感情で居られることも多いのに日が落ちてからはずっとこんなことを考えている。この状態になってしまった原因の根本が解決されずにずっと毎日同じ精神状態を繰り返すのは少し自転車操業に似ていると思った。
それにしたって本当に困るのは死にぞこなった時のことだ。誤って死にぞこなって病院で目を覚ましたら周りに誰がいるだろうか。居なかったら本当に助かるが、万が一周りにいた人に「気づけなくてごめんね」などと言われたら反吐がでる。別に気づいて欲しかったわけじゃない。おそらく自分が目を覚ました時にそばにいることの出来る人達とはもう相互理解を諦めたのだ。正しく知りもしないことを勝手な解釈で理解されるのは冗談じゃない。
そしてこんなことを考えていると朝になる。死ねないまま次の日を迎える。ちゃんと生きられるリミットだけが迫っている。それさえすれば生きていけそうな手続きや努力の類を行おうという気力はもうない。それなのにまだ生きている。
はてぶの
官報が大量の胎児を「行旅死亡人」として公告→発見されたストリートビューの産婦人科が明らかにヤバい - Togetter
https://togetter.com/li/1195998
読んで思い出したけど、某都内の医大の標本室がマジでやばい。もう20年も前だけど、通ってた大学の教授のツテで見せてもらった。
奇形の嬰児のホルマリン漬けが唸る程溢れかえってる。なんでも当時でも何十年も前からある年代物(変な表現だから)だそう。
頭二つあったり、手が三本、目が一つとか。当時ウブな学生だった僕は、これら標本を保管してることを隠しもせず他の大学の学生に自慢するなんて、倫理観に欠けるし、標本の子やご家族可哀想で尊厳踏みにじってるなぁと憤りを覚えました。
ちなみにそう言った酷い奇形のお子さんの場合、お母さんには「死産です」とだけ伝えて決して見せないそう。よくてトラウマ、最悪気がふれちゃうそうで。
砂に埋もれてくしゃくしゃ
地は侘しく平らかに均された
跡なき力強い御手によって
遺跡に遊び
ポリ袋を叩いて鳴らした
勇敢なる男たちと女たちは神を敬愛し
朽ちた襤褸たちの知るところとなった
口ずさむ:私を愛していますか?
私をおぼえていますか?
私のうえに雪がつもる
幾重にも幾重にも層を成して:
これも神の掌のうちなのか
他の娘たちは埋葬される
無縁墓地*4の土のなかへ
日々を刻んで通りすぎる
二万の死者たちがあなたの歩みに寄り添うところ
気だるい鳥達のさえずりのなかで失われていった彼らの死因
彼らの残した記録はどうしたって謎めいている
すべては廃れて消えた
蛍光なしではね
私もがんばってきたんだよ でも
私の愛していたものを思い出して、私を抱きしめて、なんて言わない
なんどもなんども医者を呼んだ
そして絵の中に生きる
彼は言った:
「大丈夫」
「もう終わったよ」
そして飛行機に乗った
ベルトを締めずに
彼はとんでもない向こう見ずで有名で
“ぼうや”と呼ばれ
落下へと突き進んでいった*7
そして私たちは水準をあげる
狩人たちは
そして驚きをもって見つめて
私たちの髪をピンと逆立てると誓って
慈悲を! 神よ!
出て行って、狩人が石碑を解読するのを待って*9
この街の下に何が横たわり、去っていったのか
見よ、そして絶望せよ
見よ、そして絶望せよ
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1 シェリーの詩『オジマンディアス』より。古代エジプトの「王のなかの王」オジマンディアスを詠った詩。このあと続く砂漠や遺跡のイメージはシェリーの詩に準じている。全体をつらぬくモチーフでもある。
3 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作の絵画についてのエピソード。この作品は長いあいだ、旧約聖書外典トビト記を下敷きにしたポピュラーな宗教画モチーフ「トビアスと大天使ラフェエル」の絵だと信じられてきたが、のちの研究でもともと「母親と子供」の図として描かれたものをティツィアーノの弟子が宗教画へ改変したものと判明した。
ちなみに「トビアスと大天使ラフェエル」はこんな話。ユダヤの盲人トビトの息子トビアスは、父親から昔貸した金を回収するように命じられてメディアの地まで旅をする。そのとき同行者として大天使ラファエルがトビアスについてくる。トビアスは旅から帰るまで、自分の同行者がラファエルだと気づかなかった。
4 歌詞では「potter’s field ポッターズフィールド」。無縁墓地を指す。語源は新約聖書のマタイの福音書。銀貨三十枚でキリストを売ったユダは自責の念からクビをつって自殺。ユダから押し付けられた銀貨のあつかいに困った祭司長たちは陶器職人(potter)の地所を購入し、行旅死亡人の墓地に定めた。
5 ワシントン・スクエア公園のこと。パリの凱旋門をモデルにしたワシントン・スクエア・アーチが建っている。もともとは貧困者用の無縁墓地で、今もその下には2万人以上の遺体が埋まっているという。
6 オーストラリア人画家アーサー・ストリートンの絵『Spring』の元ネタになった人物のこと。ストリートンの恋人だったらしい。
7 「ニューヨークの市長坊や」の異名を取ったジョン・パーロイ・ミッチェルは1914年から17年までの三年間、ニューヨーク市の市長を務めた人物。彼は当時ニューヨークを仕切っていた悪名高き集票マシーン(一種の政治団体)タマニー・ホールと激しく対立し、17年の選挙で落選するや第一次世界大戦に参加するため空軍へ入隊した。入隊の翌年、彼は飛行訓練中の事故で死亡。原因はシートベルトを締めなかったことによる落下事故だったという。
「行旅死亡人」とされる。
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4b6896899d93ad6079bf38e3688b346c
によれば、
「人口147万人の福岡市内で、10年間に行旅死亡人として市の税金で火葬処理した人は154人」
となっている。
人口1.2億人の日本全国なら、10年間で1.2万人、1年間で1,200人だ。
で、仮に
「1980~1990年の10年間に発生した行旅死亡人数=全国で1万人」と
仮定する。
(多少当時の方が人口は少ないだろうから)
この「1980~1990年の行旅死亡人数」の中で
これは1980年時点で「70歳以上」、1990年時点で「80歳以上」となるが、
これを年齢構成比で類推して「全国で500人」(比率5%)を仮定する。
つまり、行旅死亡人の絶対数から考えれば、1980年代において、
「1910年以前出生者のうち500人が行旅死亡人になっている」と類推される。
「一方で行旅死亡人の遺体が500体ある」のなら、もう一方では
「(当時で)70~80歳以上の人のうち500人が行方不明になっている」ということになる。
この中の大半は同居親族・親しい親族が警察に捜索願を出して、それでも見つからないので
「失踪宣告」手続きがなされ、「死亡が擬制」されることになる。
しかし、一人暮らしの老人で、子孫はおろか兄弟がいない、又は絶縁状態、という場合、
「失踪宣告をしてくれる存在がいない」ということになる。
「行方不明」の場合、遺体が異臭を放つわけでもないので、近隣も気付かないケースが多い。
これも仮定だが
「行方不明老人の10人に1人が身寄りない単身老人で、失踪宣告してくれる親族もいない」と
仮定した場合、
「500人の行方不明者のうち、50人は失踪宣告漏れで(データ上)存命」となる。
この「1910年以前生まれで、80年代当時70~80歳以上」というのは、
そのまま「2010年時点で100歳以上」となる。
つまり、計算上は「失踪しているハズなのに失踪宣告する親族がいないために
データ上生存していることになっている100歳以上老人」は50人いる計算になる。
勿論、「市当局が高齢祝い品を持って行ったのに不在だった」
「民生委員が行ってみたら不在だった」ということで不在の事実がわかって、
その後「自治体の職権で失踪宣告した」という事例もあるかもしれない。
(50人より減るかもしれない)
しかし逆に、今回は「80年代の行旅死亡人」に集約して試算したので、
「70年代に発生した行旅死亡人」「90年代に発生した行旅死亡人」とかも
含めていけば、逆に50人より増えるかもしれない。
そして、この「行旅死亡人」というのは「遺体が発見された場合の話」である。
殺人等で「遺体が埋められ、そのまま誰にも発見されない場合」とか
「海に投身自殺して、海底深くに沈んでしまった」という場合は、この「行旅死亡人」には入らない。
日本国内で行方不明者は相当数出ているが、「捜索願が出され、かつ事件性が高い」場合は
「特異不明者」と扱われる。
そしてその特異不明者数も、これまた想像以上に存在し、全国で34,000人/年程度はいるらしい。
つまり行旅死亡人の34倍だ。
先述の「非実在超高齢者(100歳以上)=50人」というのは、計算の出発点が
「行旅死亡人総数」だが、これを「特異不明者総数」を出発点にして計算すれば、
50人×34倍=1,700人となる。
なので、非常に荒っぽい計算だが、100歳以上の老人で、
余所で死んだのに失踪宣告されずに「住基データ上は生きている」人の総数は、
恐らく数百人に及ぶのではないか、という推計が成立する。
いや、意外としないよ。
身元不明者との照合と治療痕の照合するかくらいじゃないかな。
現実で身元不明(法的には行旅死亡人)の死体って結構出るもんだよ。浮浪者がのたれ死んだら、それだけで身元不明だし。
ミステリー本で身元不明の死体が出たら、まず確実にトリックに関係あるけど、
現実で身元不明の死体が出たところで、要は親族なんかから探されていない死体だからねえ…。
そっちを全力入れて探しても、特に事件性がない限りは意味がない。つまり、増田が思ってることは思いこみ。
参考:
http://news.livedoor.com/article/detail/1227934/
実際にこんな風に官報に掲載される