はてなキーワード: 赤ちゃんとは
スキンケアをきちんとして、眉毛も整えて、歯磨きをして、髪の毛を櫛で梳かして、もみあげが伸びた気色悪い髪型をやめて、英字のプリントされたシャツを着るのをやめて、着合わせもちゃんと意識して、いつから使ってんのかもしれない使い古した服を新調して、フケのついた似合わない眼鏡を買い換えろって言ってんの
あとは最低限のコミュニケーション能力を身につければ周りから嫌われるなんてこと絶対にないわけ
弱者男性が世間から嫌われているのは単純に上記に挙げたような最低限の身だしなみさえ整えていないからでしょ
要は社会性がないからその当然の帰結として社会から排除されてるんだよ
よくある反論にあらかじめ答えておくけど、上記の身だしなみはイケメンであるとかブサイクであるとか顔の作りとは一切関係ない話だからね
世間的に「清潔感があって好感が持てる」って思われている人も、スキンケアを怠って、眉毛も整えずぼーぼーで、歯が黄ばんいて、もみあげが伸びた気色悪い髪型をしていて、英字のプリントされたシャツに真っ青なジーパン着ていたら普通に弱者男性として社会から排除されるから
「ありのままの自分を無条件に受け入れてほしい」って幼児的な願望に支配されたまま最低限の社会性すら身に付けず周りの人間にママのような振る舞いを求める赤ちゃんみたいな大人はそりゃ嫌われるに決まってるよ
弱者男性はつべこべ言わずに身だしなみを整えて最低限の社会性を身につけろ
大人として恥ずかしくない振る舞いができるようになってから文句を言うようにしなよ
本当にマジでみっともないよ
赤ちゃんが欲しいと思う夫も、妻の感情を損ねた罰として赤ちゃんを中絶されてしまうこともある。
逆に男性側が中絶を求めても、女性は要求をはねつけ、出産して構わない。
生物上の父親から死を望まれつつこの世に生を受けた赤ちゃんも、お父さんやお母さんに見守られて育ちながら幸せになる権利があるんだよな。
特殊な人間関係だと思う。これが恋愛関係なら、ゼロ座標は他人である。付き合う前に「何もしない」ことを選べばそもそも関係が始まらず、付き合ってから「何もしない」を選べば関係が終わるだけの話だ。
しかし、育児の「何もしない」は加害である。それどころか、ミルクで育児をしても、パックの離乳食を開けても、保育園に入れても、見る人によっては「かわいそう」という感想を持たれてあわや加害になる。これがそこそこ心にくる。現実には、ただそこに選択肢があるだけだ。けれどもなまじ正解がないばっかりに、何かひとつを選択すれば選ばなかった方の声がひときわ大きく聞こえてしまう。
だから日々、自分は何かを間違えているんじゃないか、知らないうちにマイナスを生み出しているんじゃないか、とどこか疑いながら生きている。そんな自分だからだと思う。
この間、シナぷしゅで流れてきた曲に顔が滝になるぐらい泣かされた。
https://youtu.be/eyEatipGzqI?si=RZs8LlZrVKwuJRw3
この曲である。シナぷしゅという赤ちゃん向け番組の中で流されている2分少しの短い曲だ。
再生すると、赤い、歯がギザギザの、何を考えてるか分からない顔の生き物が変ちくりんなダンスをしながら歩き始める。軽快なイントロと間の抜けた絵面に、こんな曲のどこで泣くんだ、とあなたは油断するだろう。私もそう思っていた。
歌詞は毎晩泣く赤子に辟易する親の語りかけから始まる。赤子はミルクだって吐く。けれどそのうち泣き止んで、その顔を見た親の感想がサビである。
「あんたって もうけもんだ。もうけもんだ。もうけもんだね。笑えてきた」
なんだ、もうけもんだったのか。繰り返されたフレーズにはっとする。儲け物、つまりいてくれるだけでプラス。赤子をただ存在させている、その現状だけで正解なのだ。
そう思うと急に肩の力が抜けた。今まで選んできたことの何が正解で何が誤りだったかは分からない。でも、今ここに赤子が存在している、その事実だけは間違いなく正解である。ならいいじゃないか。歌詞につられて私まで笑えてきた。そして知らずに涙がこぼれた。
2番の歌詞はそれから少し成長した赤子の話だ。最初は緩やかだった時間の流れがどんどん加速していき、途中からは歌詞の一行ごとに何年も時が過ぎていく。もうちょっとゆっくりやってくれよ、と歌に対して思う。けれど、育児の体感時間もそんなものなのかもしれない。なんだかひどく名残惜しくて、まだその年まで育ててもいないのに、次のサビに入る前から顔が滝になってしまった。
そこへ降り注ぐ「もうけもん」というパンチラインである。勘弁してくれ。ありがとう。泣きっ面にこれでもかと叩き込まれて、気持ちのいい涙があとからあとから出る。
「もうけもん」、本当にいい肯定の言葉だと思う。押し付けがましくなく、大仰でもない。ただ、その価値だけはしっかり伝えてくれる。だから素直に受け入れられる。
やっぱりこれからも、私は正解が分からないまま育児をやっていくのだと思う。けれど、それでも我が子はきっと、いつまでももうけもんでいてくれる。その展望だけでどれほど心が救われることだろう。なんだか明日も生きていけそうだ。
そんな私へ、この曲は最後に小さく暗示をかけてくれる。
「私も含む もうけもんだね」
つまり私も誰かのもうけもんとして生まれてきた。そうして、その価値は今もなくなっていないのだ。いい加減にしてほしい。ありがとう。とどめを刺されたようにまた涙が押し出される。
この曲はシナぷしゅでもわりと最近の方に追加された曲らしい。なので、今私と同じぐらいの子どもを育てている人だけでなく、昔育児をしていたような人もぜひ聞いてみてほしい。
ボス畜って知ってる?🤔
それは日本の管理職じゃなくてこういう人らにいってあげてください
▼関連増田:話し合いの途中で泣いちゃう人への対処、どうすればいいの?
https://anond.hatelabo.jp/20230426081719#
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230426081719
あと再放送
声を荒げるのと同じく、泣くだけでハラスメントという常識をインストールしてもろて
フツーの人はどういう時に自分が泣くかは自覚的になって防ごうとするんだわ
防げないなら対面は避けてテキストに切り替えるんだわ
つか『俺の時代は拳だって飛んできた』みたいな昭和の体育会系化石マウンターや頑固ラーメン屋オヤジ自営業者ならともかく、
繊細な生きづいちゃん・くんなのに『仕事で感情を見せるのを是』としているブクマカとブクマカを兼ねている増田が多すぎてビビり散らかしてますわ
12歳の女の子が魔法で18歳に変身して色んなトラブルを解決する話
12歳の女の子がトラブルに飛び込んで18歳に変身して解決して12歳に戻って良かった良かったってのがパターン
んで次回予告は18歳の方がしゃべる
なんでだよwって思ったけど文章が何となく声優(小山茉美)のアドリブっぽかったから大人の声の方がやりやすかったんだろうと納得してた
だったんだけど
1部最終回の前の回で変身用アイテムが悪いやつに壊されてしまう
なるほど~って思った
そして伝説にもなった1部最終回ではモモが死に人間の夫婦の子供として転生する(もともとは夢の国の住人)
赤ちゃんとなって1部の終わりを迎えての2部
2部の次回予告はモモ以外がしゃべるようになる
それってつまり……
エルゴをうまくつかいこなせない私からしたらキューズベリーは本当にありがたかった。
とても簡単に使えた
キューズベリーがサイズアウトしてからエルゴを使い始めたが、キューズベリーの構造を理解して使いこなしてきたので、エルゴも楽勝だった
エルゴ初見のときの私と全然ちがった。キューズベリーが小学生向け問題集だったら、エルゴは中学生向けの問題集だった
それからぐにゃぐにゃの赤ちゃんをエルゴでだっこするのと、体がしっかりしてきた1歳児をエルゴでだっこするのでは後者の方が遥かに楽だった(私がもってるエルゴはオムニシリーズだから新生児から使えるものなんだけどな!だから本来キューズベリーは必要ないんだけどな!)
前はエルゴの取説を読みながら旦那と二人で「あれ?これはどうなってるの?え?ここはどうするの?」と苦労して装着した。
装着が難しい抱っこひもに苦労しているお母さんはぜひキューズベリーデビューしてから難しい抱っこひもへの移行をおすすめしたい
なんか良いことみたいに言われてる
お父さんとお母さんが居ない状態で、奇妙な状態で生まれたくない
私は赤ちゃんだけど、お母さんお父さんには20歳で結婚して23歳くらいで生まれたい
働かなくていいです。仕事なんかしなくていい
生活保護不正受給でいい
お母さんとお父さんが笑っている家庭が一番
おばあちゃんから産まれたくない、お父さんお母さんが居ない家も嫌だ
親が薦めてたり同意してるのだし
別姓を選択した夫婦から生まれた子供の姓をどうするのか、世論っていうかさ、みんなここのところどう思ってるんだ。
例を出すと、田中さん(夫)と鈴木さん(妻)が結婚して、太郎くんが生まれたとして、この太郎くんが田中太郎か鈴木太郎かってことになるよね。
夫婦で話して決めればいいし本人たちの自由といえば話は終わりなんだけど。それは分かってるんだけど。じゃあみなさんはもしこの田中さんや鈴木さんの立場だったら、どういう思いで子供の姓の決定に臨む?
親と子の姓が違うのは今どき当たり前だし、そこに奇異の目を向ける人は時代に取り残されていくと思うんだ。
イエの一体感とかも、自分はあんまりぴんとこない。なんかそういうことじゃなくってさ。
子供の姓を、生まれたばかりの赤ちゃんの姓を、田中か鈴木かどっちかに決めるのって、すっごく難しくない? 残酷な場面も出てこない? 遺恨が残るケースもない?
本当にそういうことないかな? だから自分は、諸手を挙げて選択的夫婦別姓に賛成って言えないんだ。ここのところがどうしても引っ掛かるから。ここのところ、世論というか、雰囲気が煮詰まってきてるとか、そういう感覚ある? ごめんけど私はない。
でね、この話になると、今の同姓が実質強制される場合において子供が田中太郎になるから鈴木さんは機会を奪われている、だから、今も片方を選んでいるに過ぎないから結局一緒とかいう意見があるのね。
いや~ 一緒じゃないでしょ。少なくとも、今は同姓にするのが(好ましくないと思うけど)アタリマエとされていて、そういう結婚をして、半ば自動的に子供の名づけをする夫婦が大多数なわけじゃない。
そういった近代に定着した価値観や文化の中で結果的に片方を選んだことになることと、新しい制度の上で両親の異なる姓から意識的に片方を選ぶのは、全然違う話じゃん。これを一緒だっていう人が私はどうしても信じられないの。背景とか意味とか、全然違うから。
そして、鈴木さんは機会を奪われているって言えてしまうなら、それは、選択的夫婦別姓を導入した場合でも、田中さんも鈴木さんも依然として奪われる可能性があるってことだよね。それでいいのかな? 本当に?
結婚して同姓になるのが当たり前、が、なくなって、自由に決められて話し合って田中太郎くんになったら、鈴木さんはちょっと悲しくないのかな?
成長した子供に「どうして自分は田中(鈴木)の方なの?」って聞かれたらなんて答えたらいいの?
このあともし次郎くんが生まれたら、太郎くんが選んだ方とは反対の姓を選ぶの? それとも同じ? どうするのかな?
これまでの実質同姓強要がおかしかったって主張も、わかる。わかる、けど。けどさ。実際、私たちが生きる今の社会は、同姓にすることがアタリマエになっちゃってるじゃん。そこからここの部分を変えていくのって、すっごく難しく思えちゃうの、おかしいことかな?
最初にも書いたけど、選択的夫婦別姓には賛成なの。でも、ここだけがどうしても引っ掛かっちゃう。
はてなーのみんなはここのところをどう思ってるの? 自分だったらどうするの?
子供のことをダシにして選択的夫婦別姓に反対したいとか言われそうだな。違うの。みんな好きな姓を選べたらいいと思うんだ。でもここがどうなるのか、みんなどう思ってるのか、わからないの。選択的っていう正しさばかり叫ばれていて、ここの運用の議論とか世論の形成があまり進んでいないように感じてしまうのは、私が勉強不足なのかな。
自分は、将来結婚してパートナーと話し合って別姓を選んだとして、そして太郎くんが生まれたらと考えたら、ちょっと怖いよ。その話し合いとか、いろいろ。
みんなどう思ってるの~~~~~~
初めてできた彼女と数年付き合ってるんだけどさ
今まで頭撫でられても嬉しさというか良さをとくに感じなかったんだよね
あとおっぱい吸っても別に妊娠してる訳じゃないからなにも出ないしちょっと興奮はすれどそれだけやるにはつまんねーしで「やりたいとは思うがやったらすぐ飽きるもの」みたいに思ってた
それはともかく、こないだ授乳手コキしてもらったんすよ
やばいねアレは
上記の一個一個の行為を単体で見た時にどう感じるかじゃなくて、授乳手コキでは必然的にこの二つを組み合わせて見ることになる
単体で見ても充分ありがたいのだがね、なぜこう組み合わさると破壊力が倍増するのだろうね