はてなキーワード: 井の中の蛙とは
「日本人、自分がアジア人だっていう自覚が無さすぎてヤバいよな………自分の立ち位置を理解した方が良い」
「あんま日本人って意識ないかもだけどアジア人て余裕で差別されるよ」
昨今の黒人の殺害事件で、人種差別に鈍感なように見える国内の日本人にもどかしさを感じたのか、はてなでもtwitterでもfacebookでも意識高い人たちが一斉に「日本人も差別される側だから!」って喚いている。
言いたくなる気持ちはわかるし、文脈を見れば日本人も差別に敏感になってくれというのが真意の主張なんだろうとは見当がつくけどさ。
でも、なんか一斉にそういうメッセージを出されるとまるで呪詛みたいなんだよね
日本人とは差別されるものなのだ、お前は差別される存在であることを内面化しろ!って。
しかも「アジア系だから差別されるんだよ」「アジア人だという自覚を持て」という主張もなんだかなー。
自分は日本生まれ日本育ち、家系的にも純日本人で国籍も日本、海外旅行も数回行った程度なので、井の中の蛙であることは認めるけれど、正直自分を「アジア人」だと実感したことがない。
だって、アジア人という概念って、日本人もインド人もパキスタン人もサウジアラビア人も含むじゃん。
中国、香港、台湾、韓国、北朝鮮あたりと一まとめにされるなら、距離的にも文化的にも歴史的にも容姿的にも近しいからまぁわからんでもないけど、東南アジアや南アジアや中東とかって全然身近に感じないし、マジで異国としか思えないのに同じものとしてカテゴライズされても「ハァ?」って感じ。
ヨーロッパから見て東に住んでる人間を、文化も慣習も歴史も言語もまったく違うのに、ただザックリと「アジア人」と勝手に名付けて分類しただけだよね。めちゃくちゃ白人至上主義な言葉じゃない?
そんな大雑把で身勝手な「アジア人」という呼称に、なんでこっちがアイデンティファイしてやらなきゃならんの。
知らんわそんなの。
俺の能力を勘違いしちゃった母親に中学受験させられて嫌だったな。大人に「勘違いすんなよ」とか言われたりするのも嫌だった。
俺は勘違いなんてしてないよ。井の中の蛙だってわかってたよ。でも母親は「今に見てなさい!」みたいな感じだったな。受験するの俺なのに。
分からない問題を聞いても親も分からないので「もういいよ」っていうと「教えてもらってるのに態度が悪い」と言われて怒られた。
俺が「どうせわかんないでしょ」と思ってたのが原因だと思う。親は解説できないから高い金払って塾の補習塾である個別指導塾に入れられた。
そこの授業が終わるといつも「どうだった?わかった?」って聞かれるから「わかった」って言ったら「あの女全然やる気なかったじゃない、ダメな先生の時ははっきり言いなさいよね」って怒られた。
塾のテストの日程を全く把握してないのをめちゃくちゃ怒られた。やる気ないのに覚えてるわけない。
自分の部屋ないからみんながテレビ見てるところで勉強してた。自分たちはテレビ見てるのに何でおれだけ勉強やらなくちゃいかないのかなと思っていた。
6年生の夏くらいに突然給食が食べられなくなって一週間学校を休んだ。病院に行ったらストレスと言われた。
それから塾に行く前に吐き気を催すようになった。塾に行く時間がちょうど水戸黄門が始まる時間だったので水戸黄門が始まると気持ち悪くなった。
塾を休むと元気になったのでよかったと思っていたら「何よあんた親を騙してたのね」と言われた。
いつの間にか志望校が慶應になってた。全然知らない学校だったのに。親が行かせたかったんだと思う。結局塾から無理そうと言われて受けなかったけど。
それで東京の進学校とMARCHの付属中学に受かったんだけど母親に「えーMARCH?」みたいなこと言われて行かなかった。
中学受験で母親がおかしくなったのは怖かったな。母は今だに過干渉だけど昔よりはましになったのでよかった。
あと親父に昔の話を聞いたら親父も親に塾行かされててみんなとサッカーできなくて嫌だったとか言ったのでじゃあ俺に同じ事させるなよと言った。そしたら「うーん」って言われた。
にゃーん
ちょっとTwitterで物申したらもうスッキリ!Twitterでいっぱい拡散されたらそれで満足なんだろうね。Twitterが全世界だと思ってて、広まったら国民みんな知ってると思ってるのかな。井の中の蛙。
少なくとも若い人に伝えたんだったら絶対インスタの方がいいでしょう。今どきの若者は何言っても無駄だ!とか思ってるのかもしれないですけど、政治が間接的に自分の生活に関わってくるってわかったら何もしないわけにはいかなくなるんじゃないですか。
まあどうせ一般人も著名人達もTwitterでタグをツイートできてもインスタではできないだろうよ。インスタはそういうところじゃないから()そういう人だと思われたくないから()みたいな理由で(笑)
舐めてんの?本気で止めたいなら思考停止のTwitterのハッシュタグ拡散だけで終わらせないと思うんですよ。あんまり詳しくないですけど、もっと考えればやれることなんてたくさんあるんじゃないですか?
表題は多少盛っている。正確には上級国民と言えるほどの金持ちではない。が、そう言いたいくらいの気持ちになることはこれから書くことを理解してくれれば分かってもらえると期待している。
親からは、うちは貧乏だと言われて育った。でもゲーム機とかだって普通に買ってもらえるし、そんなに貧しさを痛感したことは正直無かった。大学進学を目の前にするまでは。
大学にやる金なんかないから勉強するなと言われていたし、実際勉強を大してしなくても高校偏差値58くらいの高校には進学できた。
この偏差値58の高校というのは中堅より下くらいの大学に進学する層だ。就職はいない。
そんな環境で自分はどうするのかと考えたときに、大学の学費はバカ高いことに気がついた。学費の安い国立大ですら年間60万弱かかる。これは私の父の年収の20%近い数字だ。それだけのお金を最低4年間都合しろ、なんて両親にはとても言えなかった。うちは3人兄弟で、自分の下にまだ二人の弟がいる。そもそも国立大なんかに入れるようなレベルの高校じゃないから私立となるけれど、私立大の学費は検討するのもバカらしい金額だ。
普通だったらこの時点で大学進学は無理だということになる。が、私はこの現実に非常にムカついた。勉強が好きだったわけではないが、得意なことだという自覚があった(井の中の蛙だけどね、この時点では)。それなのに大学に行けない。それにとてもとても腹が立った。
なので色々と計算して、国立大の半額の学費で通える国立夜間を目指すことにした。昼間に時給900円のバイトを1日6時間週5で働けば月収10万、このうち3万を学費のために積み立てて残り7万、4万円くらいの家賃のアパートに住むとして、食費が月1万、水光熱費も月1万と考えるとして、ギリギリやっていける計算だった。
で、勉強して無事合格。入学金とアパートの敷金礼金だけは親に出してもらって、あとは自分で頑張った。
それから詳細は省くが大学の先輩と結婚することになり、気がつけば上級国民かもと勘違いする程度には豊かな暮らしを手に入れた。
私が今豊かな暮らしをしているのは、間違いなく大学進学がきっかけだった。だが、その大学進学というのはあまりにも高い買い物のように思う。かかったコストとリターンを考えると非常に割りのいい投資だとは思う。が、それは年収300万程度の家(この金額は日本の年収中央値よりやや低いぐらいだ)には普通は無理な投資なのだ。
私が大学進学をしたのは将来的なリターンを考えたものではなくて、ムカついたからだ。大学進学というのがこんなにも大きなリターンを返すものなのだというのは大学を卒業してから知った。
そう、私が育った環境では、学校の先生以外に大学進学の価値を知っている人はいなかった。そりゃそうだ、手に入れたことがないどころか手に入れられる見込みも低いものの価値を知っている方がおかしい。
つまり、大学進学の価値を知っているのは大卒者の家でありその子供も大学に進学させられる。一方でその価値を知らない高卒者の家では子供も高卒でいいとなりがちである。
ここに大きな分断がある。
この分断をなくせ、なんてことは軽々しく言えない。
でも、分断の向こう側が見えないのはちょっと厳しいなと思う。私は大学に進学するまで大卒であって当たり前なんて世界は知らなかったし、きっとその逆もそうなんだろう。
だから私は、今の暮らしは生家の暮らしと比べて極端にお金持ちになったとは思わないけれども、上級国民になったなという気持ちになる。
もちろん上級国民なんて身分は存在しないよ。でも、今の周りの人々と生家にいた頃の周りの人々があまりにも違ってしまって、この言葉以外にしっくりくる言葉が見当たらないんだ。
顔はモザイク・マスク・覆面で隠してたりするけど、大半はデブで無精髭で毛深くて短小包茎じゃん。3人以上のプレイでも精々体型変わるくらいの違い
見ながら「なんでこんなレベルの男とやるのかね?この女性は」とか思いつつシコってたんだけどさ、この前見たやつの男優が若干左に曲がってるものの化け物みたいな巨根。ハメても根元まで入ってないし
正直自分のには自信あったし、「これなら俺も撮影・配信出来るんじゃね?」とか思ってた。でもソイツ見て一瞬で萎えた(シコりはした)まさに井の中の蛙
短小包茎のおっさんも新作上げてるからやれはするんだろうけど、なんか自分の中ではあのレベルのブツじゃないと踏み入れては駄目なのだと勝手にボーダー引いてしまった
ところでみんなどうやってスカウトしてるんだろう?金払うのは分かるんだが
自己肯定感についての本を読んでるんだが、
自分が価値のある人間かどうかや、努力すれば大抵のことはできると思うかどうかについての2017年意識調査(対象は高校生)で、そう思う人の割合は日本人は4割くらい。米中韓は8割台。
そんな卑屈だから物事の捉え方がネガティブでやたら批判的だったり熱意持って行動してる人を嘲ったり冷笑するんだろう。
もっと各々が自身に自信を持って活き活きしてた1990年代〜2000年代ごろみたいにならねえかなって思う。井の中の蛙で良いよ。根拠無い自信でいいから己を信じて突き進めよ。
あと「今の自分に満足している」についても日本人は4割台、米中韓は8割台だけど、これは良いと思う。自身の理想と現実との大きなギャップこそ大きな向上心と行動の原動力になる。
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言いたいことを一度思いっきり世の中に向かって吐き出したいからブロガーになったりいっそ作家かなんかになろうかなってたまに思うんですよね。
でも、試しにそのいいたかったことを増田に書いてみると、2スクロールしたぐらい(文字数だと1000や2000ぐらい?)で言いたかったことは言い終わっているんですよ。
それを見ると、なんだ増田で書き切れるぐらいのことしか俺の中には入ってないのかってビックリするんですよね。
自分という器の中でここまでタプタプに欲求が詰まっているならそれなりの量だろうと思ったら、そもそも自分という人間の器が小さいから沢山あるように見えただけなんだなって。
井の中の蛙大海を知らずという言葉があるけど、それを直視する機会が多いことは現代社会のいい所の一つだと思います。
問題は、ふと思いついたやりたいことが別に必死になってやるほどのことじゃないと気づいた後、毎日つらい思いをして生きるほどのことが人生にあるのかって悩んでしまうことなんですが、そのこととさっきいった井の中の蛙大海を知らずって話は繋がっているようで別物なんですよね―。
雑談として話が繋がっていることと、ロジックや世の中の仕組みとして繋がりがあることの切り分けは気づいたときにしっかり文字で残すぐらいにしていかないと、私の狭い器はすぐ溢れてしまうことこそが、一番の辛さなのかも知れませんね。
ほら、言いたいことがまたすぐ言い終わってしまった。
そして、別に話をまとめるのが上手いわけでもないのは読み返せばよく分かる。
しかして、私の死因であるところの「努力していけばなんとか生きられるがその過程に苦痛を伴う」「苦痛を伴って生きるほどのことが人生にない」「でも生きていればいつかいい事があるかもと自分に嘯くのもいい加減自分で聞き飽きた」「人生の中で苦痛を忘れられるほど楽しいと思えたことは、苦痛を忘れられることを楽しいと感じていただけなんだと気づいてしまった」のどれもは結局、私という人間の器、スペック、境遇、運の乏しさに起因しているというのがまた何とも辛い話ですな。