はてなキーワード: 世界水泳とは
性犯罪者に対する社会の風当たりは厳しい。 最近、四谷大塚の講師Mが女子生徒をロリコン性犯罪者グループに売ったことで 中学受験業界全体が揺れている。 Mはおそらく大した罪には問われないだろう。 だからこそかも知れないが、「Mを死刑にしろ」という声が絶えない。
なぜだろうか? それはきっと、以下2つの理由によるものだろう。
そもそも、犯罪者とは何だろうか? それは、犯罪を冒した人間のことである。 ではなぜ人は犯罪を冒すのだろうか? それは、犯罪を冒すことがその人にとって有益だと判断されたからだ。
ふつうの人は犯罪を冒さない。 なぜならば、犯罪を冒さなければ平穏な生活が手に入るからだ。 言い換えると、ふつうの人の中では平穏な生活が手に入ること > 犯罪を冒すこと という不等式が成り立っている。 しかし、犯罪者にとってはこの不等式が逆になっているのだ。 特に、性犯罪のように意思を持って行わなければ成立しないものの場合はそうであるといえる。
この不等式は、ふつうの人にとっては絶対に逆にならないものだ。 でも犯罪者にとっては逆になっている。 これが何を意味するかというと、犯罪者は明らかにふつうでない感覚、あるいは人生観を持っている ということだ。
なぜだろうか? それはきっと、脳の気質レベルでなにかがふつうではないからだろう。 だから、犯罪者のこの気質は修正不能であり、 犯罪者はどうせまた再犯するということになる。 事実、性犯罪者の再犯率は極めて高い。
全対象者のうち,調査の対象となった性犯罪事件の裁判確定から5年が経過した時点において服役中等の者を除いた1,484人について,罪名は問わずいずれかの再犯を行った者の比率である全再犯率は20.7%であった。性犯罪再犯率は13.9%であり,全再犯を行った者のうちの約7割を占めていた。
昨今、東大や京大といった難関大学を中退する人間が目立つようになった。 SNSの影響うんぬんの前に、はっきりいって、頭が悪いんだろうと思っている。 ガイジと言っていい。
大学を22歳で卒業し、大学院を24歳で卒業するストレートに失敗する要因としては、 浪人、留年、中退の3つがあるが、 このうち就職における影響は、大きい順から 中退、留年、浪人となる。
中退は、そもそもが高卒と同じ扱いになっているからというのもあるが、 特に難関大学においては別の理由もある。
難関大学を卒業して、例えば京大卒になることと、 中退して高卒になることには大きな開きがある。 人生は全く違ったものになるだろう。 しかし、彼らはそれを放棄して中退という道を選んだことになる。 つまり彼らは、難関大学を卒業して輝かしい学歴を手に入れることより、 中退して勉学の苦しみから解放されることを優先したのだ。 これは明らかにふつうの感覚ではない。 これらの高みにたどり着くために、多くの人は子供の頃から塾に通い、 時には泣きながら勉強して、 それでもなお届かずに諦めたのだ。
日本の大学を卒業することはそう難しいことではない。 だから、あと少しだけ努力すればその高みに届いたはずなのに、 それすら辛いという理由で放棄して中退してしまったということになる。
これは、平穏な生活を手に入れることを難関大学卒の学歴を手に入れることに対応させて、 犯罪を冒すことを中退して楽になることに対応させれば、 性犯罪者の論理と全く同じことに気づくだろう。
これは以下のような理由による。
まず、仕事をするためにはそのプロダクトなりビジネスを ある程度はジブンゴト化する必要がある。 難関大学中退者というのは、自分の人生という最重要プロダクトすら まともにジブンゴト化出来ずに放棄した人間であり、 このような人間が しょせんは他人が定義したプロダクトなどをジブンゴト化することが出来るはずがあるだろうか(いやない)。
次に、なぜ彼らが大学を中退することを選んだかというと、 これは大抵の場合、勉強が嫌だったからだ。 彼らは多く場合、アスペルガー気質があり、 好きなことはとにかく熱中するが、嫌いなことは絶対にやらないという 傾向がある。 このような傾向は、仕事をする上では致命的となる。
一方でふつうの人間というのは そのような近視的なものの見方はせず、 より高い視点で物事を見ることが出来る。 つまり、自分の人生にとって卒業ないし学歴がどういう価値があるかという包括的な視点でものごとを見ることが出来るから、 興味のない科目や授業があったとしても、ある程度は受け入れることに成功し、 単位を落とすまでには至らない。
最後に、彼らは努力出来ない。 これは、嫌いなことに対して努力することが出来ないということでもあるが、 彼らは内心、中退したことを悔いている。 この後悔は、履歴書が門前払いされるごとに深くなっていき、 次第に、こんなはずじゃなかったという思いに支配されることになる。 世の中のほとんどの大人は、もっと勉強して少しでも上位の大学に行けばよかったと後悔しているのである。 であれば、大卒になる権利すら自分で放棄してしまった人間の後悔というのはこの比ではなく、 場合によっては自分を認めない社会に対する恨みすら抱くようになる。
このような人間は、中退せずに難関大学を卒業した人生と、今の人生を比較してしまい、 今の人生をこれ以上改善しようとは思わない。 なぜならば、その努力は、前者の場合に比べて報われる可能性が低いと考えるからである。 池江璃花子は白血病から立ち直り、世界水泳に出場するまでに復活をしたが、 大抵の人間は白血病になったら、仮にそれが治ったとしても、またトップレベルの 選手を目指そうとはならない。 なぜならば、白血病の治療において抗がん剤や放射線治療をした影響によって 自分の身体は確実に弱化しており、努力しても虚しいだけだと考えるからである。 こうした状況において最大の努力をしてトップレベルまでカムバック出来るのは、 池江璃花子が池江璃花子だからに他ならない。 ふつうの人間は、今日ほんの少し疲れているだけでも、今日はお休み明日から本気出すと言って それを繰り返すものである。
では、低学歴はどうだろうか。 低学歴も、高学歴になることを諦めているのだから、 同様の論理が適用出来るのではないかと思うかも知れない。
その考えは、大体は合っているが、性犯罪者というほどにはならない。
東進の林修は、最後の授業においてこのようなことを言うらしい。
「これから一ヶ月間、必死に勉強しろ。 必死に勉強すれば、結果がどうであれ、人生の糧になる。 必死に勉強しなければ、結果がどうであれば、 自分は一ヶ月間すら必死に努力出来ない人間なのだと 生涯苛まれることになる。」
この論理を学歴の高低に適用すると、 仮に必死に勉強した結果が低学歴なのだとしたら、それは別に構わない。 しかし、必死に勉強せずに低学歴なのだとしたら、その人は確実にだめだということになる。 ただ残酷なことに、最大に努力した結果低学歴なのだとしたら、 それはやっぱりだめということになるから、 結論として低学歴はやっぱりだめということになる。
実際、使えるか使えないかは概ね出身大学の偏差値と相関がある。 特に、論理的思考力など仕事をする上で重要な能力は、 低学歴の人には備わっていないことが多い。 生まれつき知能指数が低い場合は受精卵しかやり直すしかないが、 そうでない場合でも、思考力というのは思考しなければ養われることはない。 難関大学の問題は思考力を要求するため、受験生の中には その訓練のために難問を何時間も考え続けたという経験をしたものが少なくない。 中学受験出身者の論理的思考力が高いのは、膨大な量の論理パズルを幼少期に訓練しているからだ。 だから、低学歴は基本的には使えない。
しかし、その使えない度は、難関中退者よりはマシだとは言える。 大学受験は時の運もあるし、環境によって十分な準備を出来なかった人もいるだろう。 それに、大卒と高卒の差に比べれば、大学の偏差値の高低はそこまで大きな問題ではないから、 誰しもが最大限の努力をするという前提には無理がある。 実際、マーチや関関同立レベルで十分に高学歴という価値観を持っている人の方が大多数であることは間違いない。
だから、偏差値が低い大学出身の人間でも、 大学に入ってから努力をして、そこから伸びてくるというケースはある。 しかしそれは決して一般的ではない。
最近アニメの内容と合っていないアニソンが話題になっていて、ジュディマリのそばかすがやり玉に挙がっているんだけど、B'zの名探偵コナンのやつも大概だよなー、って思った。
B'zって山程タイアップあるけど、全然内容と合ってないのばかりだし何のタイアップだったかも覚えてないの多いなと思った。
※一番下に追記あり
ニコ動で散々MADが作られた。B'zの代表作の一つ。これを聞くと今年も世界水泳の季節なんだなと思う。
ttps://www.youtube.com/watch?v=Ujb-ZeX7Mo8
ttps://www.youtube.com/watch?v=_k9VZMwIlu4
B'zは劇場版も含め定期的にコナンのテーマ曲を担当している。シティハンターにおけるTMNのようなもの。
ttps://www.youtube.com/watch?v=wr7xTGTG-Mo
「ふたりでひとつになれちゃうことを気持ちいいと思ってるうちに」。これがオカルトサスペンスドラマのテーマ曲の歌詞…。
ttps://www.youtube.com/watch?v=ON4NXPUx-E8
ttps://www.youtube.com/watch?v=C56Xd7pNpGM
ttps://www.youtube.com/watch?v=FwP0I7-jEw0
ttps://www.youtube.com/watch?v=td8WGpkJt50
ttps://www.youtube.com/watch?v=_46q__aRHAA
ttps://www.youtube.com/watch?v=2orYNkzS2jw
ttps://www.youtube.com/watch?v=L3_ygJpTkHc
ttps://www.youtube.com/watch?v=aB9pU-nFeu8
ttps://www.youtube.com/watch?v=EsC_SlI23as
なんと北斗の拳の主題歌も担当していたとは。むしろ北斗の拳とは合いそうな気がする。
ttps://www.youtube.com/watch?v=G1vLlJkrAMY
こうしてみると意外と覚えていた。
はてブやってるような人にもB'zって人気なんだな。はてブやってるような人はYOASOBIかボカロか星野源にしか興味ないもんだと思ってた(偏見)。
分かるとは思うけど自分も別にB'zのファンというわけじゃない。ただ若い頃は嫌でも耳に入ってくるミュージシャンだったので覚えていただけ(つまりおっさん)。
なので知らない曲や忘れてる曲もある。
world24 欧米のいいところはセクハラは許さないという社会的な建前があってちゃんと処分するところ。日本だとしばらく謹慎するくらい。ジャニーなんかになると実害あっても処分されないし。それでよく欧米こきおろせるよな。
filinion まことにクソ野郎なのだが、それが迅速に処分できるのは素晴らしい。本邦もクソ野郎はどんどん処分すべき。 メディア男女
wumf0701 こういうウンコ発言を即処分できるからジェンダーギャップ指数が上がるのでは? 差別報道
Lumin fuga_maito どこの国にも個人としてはこういうのがいまだにいるということと、組織としてはちゃんと懲戒するんだということを心に刻んだよな俺たち
[B! イタリア] 世界水泳の女子飛び込み中継で体形を比較、「どうせベッドの上では同じ」…イタリア国営放送
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/world/20230718-OYT1T50199/
陸上は世界陸上でいいし、水泳は世界水泳、テニスは世界テニス、ボートレースは競艇、e-sportsは東京ゲームショウ、それぞれがそれぞれに相応しい舞台でやればなんの問題もないでしょ?
なんでわざわざ集まって一度に何かやりたがるの?
スーパーロボット大戦みたいに共通の敵がいてそれと戦うとか、陸上選手とアメフト選手がサッカーをするクロスオーバーとか、そういうのないんでしょ?
ただ淡々とそれぞれの選手がそれぞれの競技をやるだけなら会場や日程をかぶせるメリットなんて無くない?
むしろ競技の時間が被って片方しか観戦できなくなるデメリットが生まれるだけじゃない?
もしどうしても偉大な選手が一堂に会するのが見たいってなら、世界的なスポーツ大会の結果についての表彰式だけ数年に一度グラミー賞みたいにやるだけでいいんじゃないの?
水泳人気の向上を狙って、世界水泳連盟は競技に使用する水着の面積を小さくするよう定めた規定を今年7月に施行する見込みです。
この規定によると、競技の際、水着の面積が体の面積に対して男性は3%以下に、女性は10%以下になっていないと失格処分になるということです。
また同連盟は放送各局に対し、競技者の局部が水着から露出した場合も特殊な処理を行わず放送するよう呼びかけています。
これを受けて、大学関係者らで作る団体から風紀の乱れを指摘する意見書が同連盟と国へ提出されました。
一方で、世論調査では「非常に歓迎する」「まあまあ歓迎する」という意見が合わせて80%を超えたため、今後水泳競技の視聴率は大幅に上昇することが見込まれます。
この世論調査の好意的な結果を受けて、人気低迷に悩むマイナー競技でも競技用ユニフォームの露出を増やす動きが見られているということです。
この規定に反対する一部男性競技者が、局部を興奮状態にさせることで体の面積を増やすという事例が報告されています。
同連盟の幹部はこの問題に対して「別の意味で注目度が高まるので結果オーライだ」と語っていて、黙認する姿勢をとる模様です。
今年開催されるリオデジャネイオリンピックでは競技用ユニフォームの面積縮小傾向が確定的で、スポーツ人気がますます高まりそうです。
アニメ放送のキー局なのに甲子園とか世界水泳を優先して放送を中止するのは止めて欲しい。
キー局の意味がないのと、融通の利かなさが視聴者ないしユーザーの声を全く無視している。
全然関係ない番組ながら、野球中継が入ってる中でなんでも鑑定団が放送される時は2番組体制で場を乗り切って見せた。
それと同じ事をやればいいはずなのに、同時中継を未だに拒む理由が分からない。
キー局なのに何週間もスポーツ中継に明け暮れて別の日に連続放送したり遅延放送する事も視聴者の意思を無視している。
テレビ局にとってアニメ放送が全く重要視されていない明らかな証拠だ。
それならば、キー局を他局に譲ればいいのではないか?
大々的にここがキー局だと宣伝するのであれば、最速放送を維持するのが当然であり、他局に最速を譲るのは道義的にどうかと思う。
先日,知り合いのエンジニアと話していたら「スキルアップという言葉に正直,うんざりしている」という話題になった。「技術力を磨け」「業務知識を身に付けろ」「コミュニケーション能力も重要だ」---。こんなことを毎日あちこちで言われると「そんなの分かっている。もうオーバーフローだよ」と,うんざりするという。
最近は求められるスキルが幅広く,そのうえ高度化・専門化している。ゼネラリストとスペシャリストの能力を同時に要求される矛盾すらある。同じように感じているエンジニアの方も多いのではないだろうか。
そんなある日,記者はシンクロナイズド・スイミングの五輪メダリスト,武田美保さんに取材をする機会を得た。武田さんは日本女子選手として史上最多タイとなる5個のメダルを五輪で獲得。引退後は,シンクロ解説をはじめ,ビジネス・パーソン向けに「自分の高め方」の講演を精力的にこなしている。武田さんにお聞きすれば,スキルアップが好きになるヒントが見えてくるかもしれない。
インタビューではまず,強さの秘訣を聞いた。すると「将来のビジョンを持ち,しぶとくあきらめないこと」と武田さん。シンクロで世界を目指すきっかけは,12歳のときに訪れた。ソウル五輪で小谷実可子さんら日本選手が活躍しているのを見て,自分の将来を重ねた。そして五輪選手のプロフィールを収集し,幼少期からの出場大会や成績を細かく調べ上げ,自身の“マイルストーン”とした。そ
れから毎日,自分の能力と求められる能力のギャップを分析し,そのギャップを埋めるために練習に励んだ。結果,17歳でナショナルA代表入り,20歳で念願のアトランタ五輪に出場。その後,日本選手権7連覇,世界水泳金メダルと,次々に記録を打ち立てた。
自分を高めるうえでのポイントは何だったのか。武田さんは「自らを育むことで得られる充実感」と説明する。小さな目標でもいい。毎日何かの目標を立て,それを達成する。その達成が大きな充実感になり,毎日が楽しくなる。おのずと実力や結果もついてくる――。
武田さんによると,ある1日は筋肉の特定の部位を動かすことだけを目標とし,挑戦する。それができたとき,その日は素晴らしい1日になるという。「自分の小さな成長に目を向けると,1日1日に意味を持てる。そうすると,スキルアップが好きになり,楽しくなる」(武田さん)。
記者は,こうした言葉にヒントを得た。今の時代,多様化するスキルを効果的・効率的に身に付けるには,1日1日に意味を持てる「楽しさ」が不可欠だと。でなければ,成長を持続できない。スキルは結果としてついてくる。裏返せば,楽しくないスキルアップは“やらされ感”を拭えず,やがて挫折する。「楽しさ」こそが,これからの自分向上に求められる要素なのである。
西斜目南型駅を降り立つとそこは交差点。
地上どころか気がつくと高架になっていたため、地下鉄を降りるとそのまま階段を下り、出口へ。高架下の道路も上の道路も車が縦横無尽に走り回っている。
昔はこんなちょっとした矛盾がおもしろく、色々な矛盾を探し回ったものだった。いまとなっては、ただ単に揚げ足取りになりかねない行為だ。あるいは、大人の事情とやらの意味不明な事情でこういう理由だからこうなのだと自分を言い聞かせてそのような矛盾に無理矢理理由を与えている。
そこから道路を渡り、案の定同じところを一周するという典型的な迷子の状態で目的地へたどり着いた。
電子音が響き渡る。どうやら自己主張の強い機械らしい。コンセントという便利な端子から無尽蔵に電気を使いまくるその機械は鳴りやむ様子もなくまるでだだをこねる赤ん坊のように鳴り叫ぶ。
そういえば、子供の泣き声ほど不快なものはない。電車内において携帯電話の話し声やヘッドホンステレオの音漏れに匹敵するほどの不快指数である。
これらに共通することは、発生源はほとんど罪悪感のかけらも見せないことだ。小声で申し訳なさそうに話している人も結局は同じ部類である。
電車内では一車両まるごと同じ企業、同じ商品の広告が張り巡らされている場合がある。都会では、電車内にとどまらず電車の塗装に細工をして広告だらけにしている車両も走っているようだ。
電子音の話に戻すと、こうしている間にもいまだに鳴り叫んでいる状態だ。よく考えてみると、電子音を鳴らしている原因はその機械を扱っている人物が存在していることである。その人物が機械の育児を放棄している状態と考えると分かりやすい。
世界の人々は全員初心者であり、小さな頃から見たこともない聞いたこともない物体に遭遇してきた。大きくなってからも無意識に未知の物体と遭遇している初心者としての自分はいつの間にかなりを潜め、今までの臭いものには蓋をする習慣とコレまでの経験と照らし合わせて、無理矢理同一視して物事を捉えることになりすぎたのだ。
華麗なる睡魔とカレーになる黄砂との戦いは未だ続いている。むしろ、始まったばかりである。黄砂は花粉に比べて人体に与える影響は少ないのであろうか。そのうち地球は温暖化を通り越して、バンバン化に向かっていくと推測される。
ファイルの修正が進められている。原因は何とか究明されたらしいが、それを修正し、文書化する行為は本質から離れた作業となる可能性が高い。しかしながら、人間はそういった本質から離れたがる習性を備え持っているため、本質から離れた作業に注力してしまい後で焦りを感じてしまうのは特に現代に始まったことではない。
あれもこれも偽物だらけの世の中になってしまった。ただし、よく似たものの中から一つだけ本物を見つけようとするとお天道様の力を借りても延べ2日かかかるだろうという認識だ。
世界水泳大会のスイマーは睡魔に襲われたときの対処方法を持っているらしい。
この先、何が起こるか分からない時代だし、今までも数年前からは考えられなかったことがたくさん起きている。地球ではあちらこちらのプレートにストレスがたまっている。ストレスは何かしらの形で発散させられてしまう。
人当たりの良さと食あたりによる食中毒を目の当たりにすることで、人類はそのような不測の事態に備えて体内に抗菌物質を蓄える。ピロリ菌はこのことについてどのような感想を抱いているのか是非インタビューをしてもらいたい。
貶めてしまうことは果たして善意なのだろうか。漢字を眺めると貝が欠乏していることが見て取れる。従って、ニワトリの飼育に用いられる牡蠣の殻を毎日欠かさず適切な量を摂取し続けることによって貶めが改善され、ヘッドフォンステレオからの音漏れも無くなっていくと容易に想定される。
偽物になってしまうと、欲が出て本物になろうとする。そのような場合には、本物に本物であるという証明を与えてやるとよい。そうすることにより本物が証明という名の呪縛に縛られてしまう。照明は明るく照らされているけれども、全てを照らすには暗すぎる。そこで偽物が輝いてくるのだ。
全てはそこから始まっているというわけではない。枝分かれという表現はあるが枝すぼみという表現はない。尻すぼみになりがちな忍耐力は枝分かれした筋肉細胞によって強化されいずれは鈍感力へと昇華していく。ヨウ素のように昇華すると事後処理に200万ほどの手間がかかることからもうかがえる。
咀嚼能力の単位について世界的な咀嚼学会が行われている地方での議論が活発化している。ただし、咀嚼物としては電圧が一定以上の基準を超えていないと認められないため、学会では単位策定の前に統一された電圧の発生方法をいかに効率的に行えるかの議論が行われている状態である。
愛想の良さということについては議論の余地がありそうもない。全ては愛想が良い機械に支配され、他の分野への応用が利かない状態へと膠着してしまっていることが大きな原因である。しかし、物騒については良さと悪さについての考察が始まったばかりのため、現在のところ主導権を握ることが出来る状態にある。