はてなキーワード: マトリックスとは
あー、流石の自分もそれはまったく考えてなかった
中古で家を安く買って、直しながら生活してる人とかに憧れてたんだけど、
元増田もそうだけど、それで失敗した場合、どうしようもなくなってしまった場合、
だったら、新築を買った方が良かった、という話になってしまうわけで、
そう考えると、なんだかんだ自分でも偉そうなことを言っても躊躇はするんだよなあ
中古を適当に壊した形で再度売却なんて、もう価値はゼロになってしまうし…
でも、ちょっとした故障とかトラブルを直せなくて変な業者を呼んでも詐欺ばかりの世の中だから、
ネットもあるし…
でも、ネットで調べて、プロの施工業者の解説読んで、思ったより簡単そう!とか思ったり、
ホームセンターに行ったときの、あの特有の高揚感というか無敵感が裏目に出て、
大失敗する自分というのも一応想定しているつもりではあるんだけど、
まあ、みんな貧乏なのが悪いんだよな…
車に乗り遠くへ出かけることができ、
Amazonでモノを頼めば次の日には届く。
ただ資本主義は生み出した価値と同量かそれ以上の負担を人間に強いている。
成長し続けろというプレッシャー。
自転車を漕ぎ続けないと倒れてしまい、倒れたらそのまま置き去りになる。
マトリックスという映画で、人類は機械の動力源となるため培養されていた。
機械のところを資本主義に置き換えたら、現代も映画の状況と大して変わらないのではないか?と最近よく思う。
(ちなみにエージェントスミスは中国で、今資本主義というシステムを乗っ取ろうとしている)
自分たちは今、人類を幸せにするために作ったシステムに人生を握られている。
自己実現のため成長するんだよ、あなたが欲しいモノを手に入れるために頑張ってるんだよ、と。
一番怖いのは、これほど資本主義を恐れ、疑問を抱いているにも関わらず、反撃しようと思えないことだ。
社会主義の失敗以降、人類はまるで資本主義を完成したシステムかのように受け入れるようになった。
自分もその1人だ。
内容はよく私分からないわ。
でもグラミー賞!っていいたいのよね。
今年のは美味しいらしいわよ!って言うと
人はいかにして雰囲気で生きているかって事を体現しているわね。
これも薄手にトーナメント方式でめちゃ盛り上がる少年漫画であるバトル漫画ものの展開でありがちなパターンよね。
そんで、
未開封のCDの後のバーコードを戦わせるという単純明快なルール!
でもこれだから今年のグラミー賞はまだギリギリまで分からない息を呑む感じなのよね。
きっともう内容なんて
全てはバーコードありき!
だれもが納得よね。
もう映画の内容はともかく、
むしろそれを映画化した映画がすごい映画の賞を受賞しちゃって、
下町ロケットみたいに
無敵のバーコードの開発秘話をもう映画化した方がいいかもしれないわね。
全ての世の中のことがらはバーコードで回ってるって、
結局はバーコードかバーコードじゃないかって話しだけじゃない。
縦書きの英数字が羅列してなんかスゴいプログラミングしているような画面。
あれって監督がまさか日本人はプログラミングも縦書きかよ!って思ったに違いない誤解から生まれた演出であり
はごろもフーズのシーエムの終わりらへんに出てくる
水面にしずくを音して
でそれに興じたお客さん達が、
マーケットに群がるけど、
シーチキンと言えども
本当にファンキーな話しよね。
でね、
むしろ賞味期限が切れた方が缶内で何かが熟成してるのか分からないけど、
時間が経った方が、
美味しいんだってよ。
桐島、シーチキン賞味期限切れた方が美味しいんだってよって映画あったら観ちゃうわ。
そのぐらいの話しみたいよ。
賞味期限が切れて食べ頃ではないけどその逆に意味で食べ頃なのよ!
でも私はその新しい製造の缶詰と古い時間が経った缶詰との味の違いがポンコツな舌では分からない気も知れないので、
ほら!人はいかにして雰囲気で生きているかを体現するかのようなことになると思うのよね。
まあ食べてからのお楽しみなわけなのよ。
そんなシーチキンの話をしていたら、
でもさ、
食材を適当に検索したら何かしらその検索ワードで用いるレシピが絶対に出てくるから、
もう世の中どんだけクックパッド的なもので世の中網羅されているかってことも思い知らされるわ。
もう世の中の人は雰囲気とクックパッドだけで生きているようなものね。
なんて!
うふふ。
特に験担ぎって大袈裟なほどではないけど風呂敷は広げてみたわよ。
美味しいものを頂いてニッコリよ!
朝からションテンあげて行きたいじゃない。
買った、ちゃんと買ったやつよ。
割引シール貼ってあって
なおかつラッキーだったわよ!
一番デトックスウォーターのなかで味で言うならこのイチゴストロベリーウォーラーが一番まともに美味しいと思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
死後マトリックスのように首に線突っ込まれた状態で目覚めるのだ。
私の周りにいる人間たちは哲学的ゾンビで、つまりゲームのキャラクターで、この世界に人間は私しかいない。この世界は人生シミュレーションゲームなのだ。
目が覚めたとき、このゲームをプレイしていた「そいつ」の中で私は生き続ける…「そいつ」が私のことを忘却した時が本当の私の死なのだ。「ああ、そんな人間の人生をプレイしたこともあったね」なんてね。
「そいつ」が再び別の人生シミュレーションゲームをプレイすることを輪廻転生と言う。
「そいつ」は人間の形をしているのかどうかはわからないけどね。今の私が見たらクリーチャーにしか見えないような奴かもしれない。
死がこの世界からの唯一のログアウト方法なら、このゲームを作った奴は不老不死を実装するわけがない。つまり、不老不死が達成された世界が「一番上」ってことだ。
さらに言うなら、不老不死だからこそ「そいつ」は人生シミュレーションゲームなんていう1ゲーム80年くらいかかるようなくそ長い娯楽に興じているのだ…何せ時間はたっぷりある。
「そいつ」の中で生きている人間は何人もいるのだろう…私も死後そこに加わる。「そいつ」の中でほかの人間の魂たちとくだらない話をしたりするのだろうか。もしかしたら「そいつ」は世界にとりのこされた唯一の生物なのかもしれない…さみしさからいろいろな人間の人生を体験しているのだ。
つまり、死後は天国でも地獄でもない状態に身を置かれることになると信じてるし、現世で徳を積んだらどうなるなんてこともないと思ってる。次はもっとましな世界を体験してみたいものだと死後「そいつ」の中で主張してみたい。今度は強くてニューゲームを選んでくれよ。来世への期待は大きい。
そんなことを考えながら私は日々生老病死の苦しみから目をそらしている。
ホログラフィック宇宙論やら量子コンピューターやら、全く理解はできないがなんとなくシミュレーション仮説を補強してくれそうな記事をかいつまんで読んでみたりしている。
これが宗教じゃなくて何なんだ。
ふと思ったんだけど、
スマホやタブレットやパソコンなんかいろいろな物がさ便利になってるんだけど、
私たちは変わらずポンコツのままなのかしら?と不安になると木があるんだけど
そのー木なんの木~気になる木~って
本来ならアウトプットをばんばんすべく私たちがぽんこつのままではいいのかしら?と言うことなの。
そう言うことを考えると意識が高すぎるのかしら?と思って止まないけど、
じゃ私たちはどう暮らしていくのが上質な生活なのかしら?とも思うし、
考えれば考えるほど、
噛めば噛むほど味が出るスルメのように
そうやってスルメを食べながら噛みながら味わっていると
でもたいていの多くの人はコンテンツを凄い勢いで消費する
積んで積んで積みまくっているのよ。
そんでね、
お鍋と食器とかがあって、
私はお鍋だけ洗えば、
5分で済んじゃうのよ。
ただただ人が怠けるためのテクノロジーの発達なのかしら?と思いつつも
これはこれでいっかーって
こうやって時間を攻めていって
可処分時間をどんどん作っていけば、
もしかして私の睡眠時間も増やせるんじゃないかしら?とも思うのよ。
延々とスーパーマリオをやんなくても、
これはこれで私にとって質の上がることでもあるし。
私の知らない間に
消費しきれない莫大なコンテンツが生み続けられているって
そうね知能の高い超高い地球外生物が地球の横を通りすがるときに、
あの星は人口に対して消費するコンテンツの量が不自然に膨大な量で不可思議だ!って
今見たり聴いたりしているチャンネルとは別の
世界線があるわけじゃない。
私思ったのよ。
その仮想現実の裏では自転車を延々とこぎ続けて電力を生み続けている、
あの中世奴隷の図でお馴染みの何か臼のような物をぐるぐる回す版でもあるかのように、
ずっとずっと自転車をこぎ続けるという未来しかないのかしら?ってまた不安になるわ。
結論として
コンテンツに溢れた世界の末は自転車をこぎ続けそれで貯めた電気の蓄電池が通貨となる世界しかないのね。
うふふ。
なんだか食べない方が頭の回転が速いような気がする気もしないけど
最近フィッシュフライサンドにありつける率が多くなってきたので嬉しいです。
美味しいから嬉しいわ。
粉末の生姜湯を1箱いただいてもらったので、
ぽかぽかと温まるわね。
また寒くなってきたので、
こういう時は
最強に温まれるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
大きなジャンルで括れるから同じというなら攻殻機動隊とドラえもんは「SF」で括れるから同じになるが