はてなキーワード: スパイダーマンとは
他人のために自己犠牲を払う救世主、というのが一番普遍的かな。
ベン・ハーやポセイドンアドベンチャーなどの名作映画はわかりやすく題材にしている。
ダークナイトもそうかな。神がいるせいで悪=ジョーカーが生まれるという話でもある。
キリスト的な主人公を描いた作品はそれこそ星の数ほどあるけど、アクション映画だと擬似的な死からの復活と自己犠牲っていう描写が多い。モチーフにしたからと言って内容までもがキリスト教的な作品とは限らないが。
スーパーマンやスパイダーマンなどのコミックスヒーロー作品で、説得力を出すために用いられる場合もある。
アバターの蘇生シーンも単なるハラハラ演出以上に、救世主としての側面を強調している。
マトリックスもこのパターンで、主人公の名前neoを逆から読むとone、the oneは神や救世主という意味になる。
ちなみにターミネーターのジョン・コナーもイニシャルがJCで意識してるが、死と復活を演じるのはターミネーターの側なのが面白い。
荒野の用心棒やマッドマックス2のように、善ではないアウトローな主人公と対比して印象付ける場合もある。
オカルト作品だと宗教色というか神は一人だけという考えが強くなるためか、自己犠牲で他人を救う人物がいても復活しないパターンも多い。エクソシストやアナベル 死霊人形の誕生など。
>しかし、気になるのはこれまでに日本製IPの大ヒットがゴジラくらいしかないのにあまりに次々と実写化がニュースになることだ。
とあるけど、国内外問わず、アメリカが原作物をやりたがる理由って、個人的には結構よくわからないんだよね。
っていうのは、儲けやすいからアメコミがよく映画化されてきたのかと思ってたら、向こうの一般人はアメコミなんて全然知らなかったらしいと知ったから。国民の多くが漫画に親しむ日本とは事情が違って、簡単に儲かるコンテンツではないと。
だからスパイダーマン(2002)だろうがバットマン(1989、2005)だろうが、その時点では一部のファンには根強い人気があっても多くの観客にとっては全然お馴染みの存在じゃなかったと。
知ってても古臭い過去の遺物扱いだし、アイアンマン(2008)なんて名前すら知らなかったっていう。(アイアンマン以降のマーヴェルは自分たちが戦略的に映画化してるから、単なる原作物とは事情が違うんだろうけど)
そうすると、儲けやすいから原作物ばかりだっていう前提が崩れて、そもそもなんで実写化したがるのかがよくわからなくなっちゃった。
もちろんトランスフォーマーくらい派手だと、マイケル・ベイ監督で車が変形してロボットになって戦う!っていかにも売れそうな企画なのはわかるけど。
原作があればストーリーを作りやすいって意見もあるけど、映画って長尺の原作内容は映像化できないからかなり改変するし、あまり当てにならないと思う。
だから元記事に書いてあるように、アメリカが日本の原作物をやりたがる理由も本当によくわからないんだよねえ。
ポケモンやゴジラやバイオハザードは人気あるっぽいから別として。
この記事をみてると、製作者の商業的理由よりは、本文に出てきたマニア連合みたいに作家側主導で好きな作品をやりたいってことなのかなあ?
ジェームズ・キャメロンはターミネーター2のときもAKIRAとか寄生獣とかやってたし、デル・トロも宮崎っぽいのよくやるし。
日本の原作物ってビジュアルが結構強いから、イメージの統一が図りやすいのかなあ。その割りにそこも結構改変するし、違うか。
キャラクター性が高いゲーム(OWとかffとか)のことではない
※モバイルゲームは対象としていない、そもそもモバイルゲーなんてほとんどクソゲーだ
※日本とアメリカだと作品の作り方が違うけど、そのへんの文化の違いには言及していない
キャラゲーといってもスパイダーマンもバットマンも、ウォーキングデッドも、すべてゲーム用のオリジナル設定/脚本じゃあないか
スパイダーマンのメイキング動画を見ていても"ゲームを面白くするために"脚本を変えたり武器のアイデアを出してるんだよな
そういう意味で日本にも面白いキャラゲーはいくつか存在している
進撃の巨人2とかSAOシリーズ(そもそも原作がゲームなのはズルい)とかね
ヒロアカも面白かったよ、(バランス調整のため=面白さのために)オールマイトやオール・フォー・ワンに普通のキャラでも勝てちゃったりね
でも日本の多くのキャラゲーではオリジナル設定/脚本なんてものは許されていない
たとえ面白いアイデアがあったとしても版元様に「原作のイメージと違う」と言われてしまえばそれで終わり
面白さは二の次で、原作を再現してさえいればいいとう風潮がまかり通っている
そんな考えであるからクソゲーが生まれるのは当たり前なんだよな
だから版元のみなさま、どうかゲーム化をするときは"ゲームを面白くするために"オリジナル設定/脚本ができるという上で企画をOKしてくれないだろうか?
(決して原作者が新規ストーリーを書き下ろすとかそういうことを求めているのではない、面白いゲームや遊びを考えてからそこにストーリーや設定を付けていってほしいのだ。だって"原作者監修"という謳い文句を信用できるか?できないだろ?)
だれが原作の再現なんか見たいんだ?くだらない人形劇を観るくらいならアニメを見返すわ!
だれが紙芝居なんか見たいんだ?あんなもん全部スキップだ!!!!
しかし、実写化する場合はオリジナル脚本が許されるのはなぜなんだ
やはり日本という国ではゲームというものの立場が低いところにあるんだろうか
スパイダーマンやってねーだろ黙れよ
ゼルダとスパイダーマンと日本でも売れるオープンワールド系のゲームをやって思ったのは
「移動が楽しいかどうか」
という点。
ゼルダBOTWは拠点から拠点までの移動において 発見、移動手段の思考、移動時のパズル的要素等を組み合わせて従来のオープンワールドで単調になりがちだった移動というルーチンを一種のミニゲームとして見立てている。
スカイリム等でも建築物を発見して、あそこには一体何があるんだろうかというワクワク感は存在するが、それ以外のゲーム的要素が非常に乏しかった。
ゲーム内における「移動」というプレイの所要時間は非常に長いのだがすることがなにもないのでゲーム自体に飽きてしまうのである。
※ゲームプレイにおける「移動」時間が一定範囲内に収まるゲームであれば本来あまり考えなくてもいい気はするけど。
新作のスパイダーマンはその点を考えると非常に良くできていた。
空中移動時の演出でもり立て(ただの移動なのに、BGMがなり始めたり、高所から落下すると強調線がエフェクトとして描かれ臨場感がある)、空中でトリックを行うと経験値が増えるなど工夫が凝らしてある。
また、そもそも移動自体が複雑で一種のミニゲームになっている。