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2014-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20140805011215

うーん、釣りだと信じたいけど…

俺も高い所に行くと飛び降りたい衝動に駆られるからなるべく行かないようにしている。

その前に高所恐怖症だし。

こういうとき何て言ったらいいか分からんけど、とにかく今の現状を受け入れて生きていくしかないんじゃないかな。

2013-09-25

海運系船乗りマニュアルその2

船乗りの日常

ここからは海運系船乗りがどんな日常生活を送っているか紹介しよう。

  

その1はこちら

http://anond.hatelabo.jp/20130925025344

  

乗船と休暇

船乗りは当然毎日自宅へ帰れるわけはない。まとめて働いて、まとめて休むという形で生活を送ってる。

その比率は年間の2/3働いて、1/3休むという形になっており、3ヶ月間連続で乗船して1ヶ月間休暇をもらうスパン会社が多い。

ただここで勘違いしてはならないのは3ヶ月乗船していると言っても絶対に上陸はしないわけではなく、港に入れば地に足を付けることもある。

たいてい1ヶ月に1度くらいは運行予定が無い日があり、そのタイミングで借りバース(岸壁のこと)して交代で上陸し遊びに行くのだ。

まあそれでも例えば北米まで約10日はかかるので、その間はずっと海の上ではある。

  

乗船中

乗船中は甲板部へ所属しているか機関部へ所属しているか?で仕事の内容が当然違う。

甲板部と機関部の双方へ所属したことのある筆者の感覚では、荷役などで極端に忙しい事のある甲板部、いつも同じくらいの忙しさである機関部という違いがある。

当然、不意に予測してない業務が発生することもある(機械故障とか)から何処が一番楽ってことはない。

集中して忙しい方が良いのか、万遍なく忙しい方が良いのかという好みの差だ。

  

甲板部

甲板部は航海士系の部署だ。

船乗りとしてイメージされやすいのがこちらで、航海術を駆使し実際に船舶を操縦して目的地まで予定通りに荷物や旅客を運ぶ。

  

しかし当然ながら甲板部の仕事はコレだけではない。

この項目では一般人ではイメージしにくい部分を紹介しよう。

  

船体の保守整備

現代の船舶の多くの船体素材は鉄鋼かFRPである。FRPは漁船で採用されることが多い。

海運に使う船舶はたいてい鉄鋼であり、塩水に使っている状態なので錆びにくい対策が取られているとは言え、船体は時間が経つに連れて錆びていく。

  

そこで甲板部は「錆打ち」という作業を行う。

錆という物は化学変化によって錆びていない部分へ伝播する。

その伝播を抑えるために錆びてしまった部分を機械ヤスリ(ハンドラインダーなど)を使って削り取るのだ。

削り取った部分は錆止めを塗り、いわゆる「船体色」ペンキを塗って錆が進行しないようにする。

  

「あんな大きな船の全体をやるの?」という疑問はあるだろうが、その通りである

正確には海中へ沈んでいる部分(喫水線より下)は物理的に作業ができないので喫水線より上を錆打ちする。

  

「高いところとか足場がないところはどうするの?」という疑問にも答えよう。

「ジャコブスラダー」という空中ブランコみたいなものを使って作業をする。詳細はググってくれ。

高所恐怖症でもじきに慣れる。仕事だししょうがない。

  

書類作成

船舶は安全運航するために様々な法定書類や会社が求める書類がある。

荷役に関する書類も存在し、航海士はその書類作成を行う。

甲板部に所属する者の作業スケジュールなども考えたりもするので肉体労働っぽい船乗りにも頭脳労働があるのだ。

と言うよりも現代の船舶は頭脳労働比率が船舶の高性能化によって増えて行っている。

肉体労働の部分は決して無くならないだろうが比率は減少傾向にある。

現代はだいたい頭脳労働が70%、肉体労働が30%と思えば良い(船の操縦は肉体労働じゃなく頭脳労働である)。

  

積み荷処作業

荷物は積めば終わりというわけでもなく、積んでいるものによって航海中も様々な作業が発生する。

  

例えば普通コンテナならばしっかり固定されているか?を確認したり、冷凍コンテナなら更に温度管理をしなければならない。

  

オイルタンカーであれば積む油種の違いによって「タンク洗い」という作業が発生する。

例えばいわゆる「重油」であっても「A重油」「B重油」「C重油」と3種類ある。

重油というカテゴリーではA重油が一番キレイでC重油が一番汚い。

C重油が入っていたタンクA重油を入れるとA重油が汚れてしま価値が下がる。

そこでC重油を揚げ荷役した後にタンク掃除してA重油を積み荷役するのだ。

  

階級

甲板部の仕事はこれだけでは無いが、最後階級を記しておこう。

から並べるとこうだ。

船長は言うまでもなく、その船舶の全権を担う最上級職だ。

経験量や知識量が豊富なのは当然として人格的にもよく出来た人がかなり多い(人格に問題ある人が居ないわけじゃない)。

船では出世するほど仕事量が減る傾向にあるのだが、出世するほど責任が物凄く重くなる。

どれくらいの責任かと言えば船舶自体が億円単位の物だし、一度に荷物を多く運べるため荷物も億円単位。その責任を持っている。

  

実は警察権も持っており、合理的な理由があれば乗組員を逮捕拘束監禁しても良い事になってる。

更に船長裁判権も持っている。船内で起きた揉め事に対して合理的な理由があれば采配を下し強制させることが可能。

もっと言えば立法権もある。合理的な理由があれば必要に応じて(既存法律の範囲内で)新たなルールを追加できる。

  

何故こんな船長独裁とも言える制度になっているかといえば船舶は閉鎖的環境からだ。

最高権力者を2人にすると派閥が出来てしまい争いのもととなる。なので船長権力は絶大なのだ

  

海士はそれ以下の直属の上司という考えで間違いない。

船舶には「職員」と「部員」という職種に分かれており、部員普通社員ならば職員はいわばキャリア社員だ。

船長と航海士が職員で、甲板長と操舵手と甲板員が部員である

当然、職員の方が給料が良い(責任も重いけど)。

  

当然、会社や船舶の規模によって人員の数が変わるので例えば三等航海士という階級が無い会社もあるので注意が必要だ。

  

機関

現代の船はオートメーション化も進み、それだけシステムとしては複雑化をしている。

過去時代のように航海士だけ居れば船舶を運航できるということは現代の船舶ではあり得ない。

そこで活躍するのが船舶の機械を専門に学んだ機関部人員である

  

主機(メインエンジン)

機関士ならばこれを極めたいと誰もが思う船舶の心臓だ。

シリンダー経が100cmを超えるものも珍しくなく馬力も数万と一般的感覚で言うと超大型のものほとである。主機だけで2階建てアパートくらいのもの存在

当然、非常に熱を放出し室温は40℃を超える。騒音も大きいため機関士たちは耳栓などをして整備作業をする。耳栓がないと難聴になってしまう。

  

燃料は始動時にA重油を使い、安定したらC重油へ切り替えるタイプほとんど。

始動自動車で言うセル方式であり、セルモーターではなく圧縮空気を送り込んでピストンを回転させて始動する。

セルというと勘違いされやすいがディーゼルエンジンが大部分を占めていて毎周点火プラグで着火するわけではない(ディーゼルエンジンは圧縮によって発生する熱で燃料へ着火する。詳細はググれ)。

  

少数ながらタービンエンジン存在し、こちらはボイラから発生させた蒸気でタービンを回転させプロペラを連動させるというものだ。

主流のディーゼルエンジンと比べて構造は複雑化するが船舶の速度が出やすいという利点はある。

高速船や軍艦などで採用されている事例が多い。

  

補機(発電機)

現代の船舶にとって電力は必須だ。

電力を失った船舶を「デッドシップ」というくらいで電力を失った船舶は死んだ船扱いされる。

機器は電力によって制御されているので電力消失すると全く動かなくなってしまうのだ。

  

補機の大きさはこれまた一般的感覚の「エンジン」と見るとこれまた超大型であり、普通自動車一台分はある。

船舶の規模が大きくなれば発電機も大きくなり、トラックサイズになったり、コンテナサイズにもなったりする。

  

諸器機

これ以外にも船舶には様々な機器存在する。

まだまだこれ以外にもあり機関部はこの全てを運用整備修理する。

  

事務的業務

機関部もまた事務的業務が結構あり、法定書類や燃料の管理、整備日程、各種データ計測(故障早期発見のため)など多彩だ。

書類作成や各種データ管理パソコンを使ったりもするため船乗りは以外なほどに事務能力が高かったりする(筆者は就職してからExcelマクロを組めるようになった)。

  

甲板部であれば変わりゆく天候や他の船舶の位置、揺れる船の中で小難しい運航を考える。

機関部は高温という過酷環境の中で、科学と経験から故障原因などを探ったりする。

ガハハハ!」と脳筋的に笑ってるイメージは本当にイメージであり、実際は文武両道スキルを求められるのが船乗りという職業である

  

階級

機関部の階級最後に記しておく。

もちろんトップ機関長であり、職員は機関士、それ以下が部員だ。三等機関士が無い会社もある。

各人員は担当機器が配分され、何も問題が起きない場合は損担当機器を整備する事が多い(故障などがあれば皆で修理する)。

就職した直ぐの段階ではあまり複雑ではないオイルストレーナー辺りが配分され、徐々に管理が難しい機器を与えられる。

  

一般人にはわからない感覚だが人員によって機器の好き嫌い、得手不得手があったりもするので機関長はそれに合わせて配分する(プログラマ感覚で言うOSの違い、言語の好き嫌いみたいなものか)。

「原因がわからん。V型の空気圧縮機なら増田が詳しかったな。休暇中で悪いが電話するか」と稀に休暇中の得意な人員へ電話することもある。

最近ではメール画像が送られてきたりもするのでIT化が何気に進んでる。

  

機関部の最高権力者機関長であるが、船舶という閉鎖環境と考えるのならば船長のほうが機関長より法律では上の立場になっている。

ただし現場では殆どの場合船長機関長は同位であり、甲板部のことは船長が最終判断し、機関部のことは機関長が最終判断をする。

  

事実上、同位の二人は方針の違いによって口論することもあるので下の者は気が気でない。

船長としては、運行スケジュールに遅れが発生すると会社の信用に関わるためスピードを上げたい。

機関長としては、機器へ過剰な負担を与えると主機故障などで運航自体が止まってしまうので過剰な負担は避けたい。

双方の意見とも正しいためどっちの味方へ付くこともできず板挟みである

  

たいていは機関長のほうが「アンタは最高権力者から」と折れる場合が多いが、どうしても解決しない場合会社意見を仰ぐ。

最初から会社意見を仰げよ」と思うかもしれないが会社はよく無茶ぶりをしてきて船長機関長から怒られることも多く、簡単には会社相談しないのだ。

「俺は一回会社に南側の低気圧が不安だって言ったぞ今更突っ込めったって行けるかアホウ」「クソみてえな部品使わせやがってコストダウンって言えば良いと思ってやがる」

こういう愚痴を下の者は酒の席で延々と聞かされるわけである

  

その他

消火など緊急想定訓練など法律で定められているやらなければならない訓練がある。

船舶が事故を起こすと人命的にも経済的にも大きな被害が出ることが多い。

そこで国連は加盟国へ緊急時の訓練を定め、日本国法でも国際法に則り定期的な緊急時の訓練が定められている。

  

現場としても比較的熱心にこういう訓練は行うが、運航スケジュールの兼ね合いで簡易的に行う場合もある(それでも最低限はする死にたくないし)。

しろ海難を起こす船舶は会社側がこういった法定訓練が出来ないほどの過密スケジュールを組んでる場合が多く、会社の体制に問題があると現場は思う。

  

船内設備

現代の船がどうなっているか気になるだろうから記す。

  

居室

昔の船舶はそうじゃなかったが現代の船では乗組員の殆どへ個室があてがわれる。

  

「ボンク」と呼ばれるベットに、書類作成などで使える簡易的な机が配備されることが多い。

TVもある。当然地デジ視聴は不可能なので衛星放送を楽しむ。番組は周回遅れになるが無いよりマシである

パラボラアンテナ自動追尾方式であり、船舶がどんな方向を向いてても受信できるが荒天時など揺れが大きいと画面にノイズが走りまともに視聴できなくなる。

太っ腹な会社ではスカパー!の基本パックを契約してくれていて有料チャンネルも観れる。ちなみに何故か筆者の会社AT-Xも観れる。

  

当然、上の階級ほど部屋が広く快適な空間になっていたりする。

  

浴室

3ヶ月間もの間、さすがに風呂へはいらないのは日本人としてキツイ。船舶には風呂もある。

浴室はたいてい大浴場でありぱっと見は銭湯と変わらない。

  

船舶によって浴槽の水の種類が2種類あり、普通の真水を温めたものと、最近は少なくなったが海水を温めたものである

船舶では真水が貴重であり、昔の船舶は造水機を持っていなかったり、持っていても造水性能が低かったりして浴槽に使うのは勿体なかったのだ。

浴槽の水が海水でもシャワーの水は真水なので、身体が海水だらけになっても大丈夫である

  

船舶によっては船長機関長の居室に専用の浴室があるもの存在する。羨ましい・・・

  

トイレ

最も重要であると言っても過言じゃないトイレは当然完備。

最近では温水便座化してることも珍しくなく快適に「いたす」ことが可能だ。

  

娯楽室

娯楽室がある船舶も珍しくない。娯楽室が畳である場合も結構ある。

将棋麻雀トランプなどのゲーム、大型テレビでの映画鑑賞などを楽しめる。

たいていは上級職員の昼寝の場と化しているので下っ端は将棋麻雀のカモ、酒の相手とされる時以外は近寄らない(入ったらダメなわけではなく下っ端なので忙しくそんな暇がない)。

  

食堂

ごはんを食べるところ。現代の船舶には司厨人員(調理師)が乗っているのでおいしいごはんが食べられる。

ベテラン司厨になると転びそうになるくらいの荒天時でも何故かスープなど汁物が出てくることがある。どうやって調理しているかは不明。

職人芸は純粋にすごいと思うが、荒天時に汁物を出されると非常に飲みにくいので、出来るのならば控えて欲しいけれども乗組員はそれを口に出してはいけないという暗黙の了解がある。

  

沖売り

船内設備では無いが、一般的に知られていない文化として紹介する。

  

「沖売り」とはまさに文字通り「沖で物を売る人々」の総称だ。

まり海のコンビニエンスストアであり、食料品からお菓子新聞雑誌、衣類、事務機器医療品、オーディオ家電、AVエロ本まで何かと色々揃う船乗りにとって便利な存在

意外と結構融通が聞く存在であり「次までに○○用意しといて」と伝えておくと用意してくれてたりする。

  

電話

電話現代の船舶は備えている。方式は衛生電話だ。

通話料が非常に高く、過去の船乗りはこの衛星電話で散財していた。

どれくらい高いかといえば時間帯で変動はするが平均約1秒/1円であるテレホンカード度数面白いくらいに減っていく様を見ることが出来る。

ただ近年公衆電話を備えている船舶が激減しているため若い船乗りはこのことを知らない。

  

インターネット

まだまだ希少な設備ではあるがインターネット環境を備えている船舶もある。

海洋ブロードバンドという人工衛星を経由したサービスであり、上り64kbps/下り3Mbpsでインターネットが使える。

月額が60,000円(定額)もする上に設備設置費用も高額なので積極的な普及には至っていない。

筆者の会社では船内WLAN化しており船内に居れば何処でもネットが使えるが、これも衛星放送と同様にあまり船が揺れるとネット接続が切れたりする。

  

労働時間(ワッチ)

船舶は24時間動いているため交替制である

「0-4時(ゼロヨンワッチ)」「4-8時(ヨンパーワッチ)」「8-12時(パーゼロワッチ)」と3交替制で一度の労働時間は4時間働き、8時間休憩と繰り返す。

  

パーゼロワッチ特に人間らしい時間帯で働けるので「殿様ワッチ」とも呼ばれたりする。実際に船長機関長がここへ入ってる場合が多い。

船舶が海難を起こす時間帯は統計として日出日没時が多く、経験を多く積んだ一等職員や部員長がヨンパーワッチへ入る場合が多く、新人も難しい時間帯で経験を積ませるためここが多い。

その間であるゼロヨンワッチ中間管理職が入ることが多く、初めてその時間帯の責任者になることも多いため結構いつもドキドキしている(上司からは気楽にな何かあったら呼べば良いとは言われるけれども)。

  

先程から出る「ワッチ」という言葉は「Watch」のカタカナ英語だ。つまり見る監視するという意味で見張り番ってことだ。

  

  

その3へ続く

http://anond.hatelabo.jp/20130925033122

2013-08-24

タケコプターで空飛んだ夢を見たんだけど

全然快適じゃなかった。子供が平気で乗り回してるのはやはり漫画だなあと思った。

まず相当な高所にいるのに自分の足元に何もない、空間しかないというのが思った以上に怖かった、高所恐怖症じゃなくてももの凄く怖い。違和感ありまくりだった。

あと単に当日の天候の問題かもしれないけど上空は思いの外風が強かった。髪ぐちゃぐちゃになるし、目を開けているのがつらいぐらい。

ハイタケコプターとか言って呑気に使わせる代物じゃないよあれは。とりあえず体験してわかったこととして書き留めておく。

2011-08-30

夢を見た。

どこかの島?中洲(パリのシテのような)?仕事か、プライベートかわからない。いつか知りあいが日帰りでつれていってくれたAveiroからの帰り道に見た見知らぬ田舎?道沿いにある個人商店のぞくと店員がスペイン語で喋っていて、ああ移民が多いか田舎か、と思う。

川の方にいくとぬかるみになっている。対岸はかなり近くて、むこうの声もきこえる。ぬかるみにはまりそうになって、パッとよけると、白鳥がそこで休んでいるのを見る。すぐそこに道があって車がぐんぐん通っていて、「この島は抜け道で、皆よくつかうのだな」と思う。

先の個人商店のわきはデパートになっている。入ると、なぜかバースデーケーキショーウィンドウにならんでいる。母親幼女おめかしをしてその前を歩いている。へんなエレベーターがあって、それにのって上にいく。

上につくと、なぜか高所恐怖症になっていて、扉があいて人が入ってきても、外に出れない。よろめいて、エレベーターの籠にはなぜか柵がなく、ああ落ちる!と恐怖にかられるが、入ってきた人に助けられて外に出る。彼らは父母子の家族で、ふざけているその男の子背中をポンッとたたく。

降りたフロアにはプロレス?かなんかの興行をやっているよう。トイレはいると、イタズラされて分かりづらくなった男子用、女子マーク入り口に。一人男性が間違えたのか、キャーっという声がきこえる。自分は慎重にはいるが、不安で周りの人が男かよくたしかめる。

トイレは、まるで駅のトイレかのように男子便器がずらっと並んでいて、やや不衛生。なぜかほとんどの便器が故障中で、テープがはられていて使えない。立って小便をする。

ここでトンデて、なぜか地下道のようなところを彼女と一緒に歩いている。彼女は「三月から中国に行くことになったんだよ、話してなかった?」という。全く知らなかったので動揺しつつ「一年間?」と聞くと「うん、一年間」と答えるので「僕もついてっちゃおかなっ」というと露骨に嫌な顔。ここで覚醒

久々に長く、具体的な夢だった。

2011-08-18

○○症が大嫌いだ

○○症。と言っても病気全般を指しているのでは無く、潔癖症高所恐怖症など

割とどうでもいいような、性格的なものを指している。

何が嫌いかと言うと、これらを自称する人達の生半可さである

仮に潔癖症のA氏が居たとしよう。

彼は身の回りの全てのものを消毒しないと気がすまない。

電車に乗ってつり革を持つときには手袋を着用する。

飲食店なんてもってのほかだ。

他人が手をつけた料理なんて食べられるわけが無い。

って感じだ。いま適当に思いついて書いたけど。

上述のような事をやっとけば己の潔癖症対策は満足なのか?十分なのか?

ということだ。

その程度のことで大丈夫なんだ?って思う。それで潔癖症って言うの?って思う。

もし僕が潔癖症だったら、きっとこの世のあらゆる物が汚いからって自殺するね。

別に潔癖症の奴らは自殺しろなんていう訳じゃない。

僕が思うのはただ単に「私は○○症なんです」って言いたいだけじゃないのかと。

ただそれを話題にしたいだけじゃないのかと。

そう思う。そして○○症と自称する輩はほとんどがただの「言いたがり」だ。

言うなれば厨二病みたいなものだろう。

アンタのつまらネタに付き合ってられないよ。じゃあね。

2010-07-10

童貞の心理的抵抗はバンジージャンプみたいなもの

登る前にはさあやるぞ、と意気込んでもいざ飛び降りる段になると脈拍が急激に上昇・口がカラカラ・足が竦んで進めない。

命綱はついてるから大丈夫」と後ろから声をかけられてもそんなことはもはや関係ない。

風が吹くたびに「自分がなんでこんな不安定なところにいるんだろう」「こんな行為必要ないじゃないか」と言い訳が頭を駆け巡る。

近くの柱にしがみついた辺りで、周りが何をやってももう手遅れ。半ベソでその高い塔から降りることは決定だ。

周りは醒めた目で「安全なのに」「高所恐怖症なんじゃないの」といわれる。

でも違うんだ、普通に暮らしている分には問題ない、と言っても病気あつかい。

結局「あんなもので楽しんでいる奴の気がしれない、自分には必要ない」「馬鹿と煙は高いところが好きっていうよね(笑)」と価値を否定するか、

自分は臆病者だ」「病気なんだ」と自分を否定するしかない。

2009-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20090813223921

おれは死ぬのが怖いから、死ぬのが苦しくないなら嫌ではないという感覚が分からない。

死ぬ、というのは存在しなくなる、ということで、それはもの凄く恐ろしい。

それはほとんど皮膚感覚というか生理的感覚で、全く苦しくなく、むしろ眠るように心地よく死ぬとしても、全力で、その死も恐ろしい。

実を言えば、自分が死ぬことを想像することさえ恐ろしい。

死ぬのは怖い。

それはもう恐ろしい。

もしかすると、これは高所恐怖症であることと、関連はあるかもしれない。

2009-01-16

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2008-12-23

自分が破滅へ開かれているのが怖い

高所恐怖症、というのがあるよね。Wikipediaによれば、

高所恐怖症 (こうしょきょうふしょう) は、恐怖症のひとつ。最も有名な恐怖症の一つである。高い所 (人によって程度の差がある) に登ると、それが安全な場所であっても、下に落ちてしまうのではないかという不安がつきまとう病的な心理。

ということになっている。俺も、恐怖症というほどではないが、昔から高いところにいると不安感が付き纏う。

ただ、その不安感の原因が少し異常なのではないかと常々思っていて、簡単に言うと自分の意思で手すりを乗り越えて落下することを選ぶかもしれない自分が怖い」ということなんだが。

一つ断っておかないといけないのは、自殺願望があるとかそういうことは全然ないということ。俺はまだまだ死にたくない、というか生きたい。ただ、自分がそこで致命的な行動を選ぶかもしれない、ということに対する根本的な歯止めが存在しないことが恐ろしい、と言えばいいのか。

似たようなところで言うと、例えば、俺が家族で団欒していたり飲み会で盛り上がっていたりする。もちろん、俺だって一緒に楽しんでいる。ただ、ある瞬間にふと、自分がそういう調和した場をぶち壊すという可能性に対して開かれている、という考えが脳裏をかすめて暗澹たる気分になることがある。つまり、団欒の最中に突如立ち上がって食べ物の乗った机をひっくり返し、食器を壁にたたきつける等すれば、いとも簡単に場をぶち壊し、自分も破滅できるだろう。もちろん、実際にそんな挙に及んだことは一回たりともないし、そういうことをしようと試みたり、あるいは思っているとすら言ったことはないが。

今のところ、密かにこういう不安感があるというだけで、このせいで社会生活に支障をきたしたりとかは特にない。時々そういう考えが浮かんできて嫌な気分になるだけだ。ただ、自分の安穏とした調和の取れた日々の薄皮一枚向こうに破滅が広がっていて、そのバランスをぶち壊し、破滅を呼び込まないのはたかだか自分がそうしないことを選んでいるからに過ぎない、という事実に対する不安を拭い去れないでいる。

2008-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20080709224144

勝手に期待して、勝手に好きになって、勝手に裏切ったなんて言われてもな…という感覚かなぁ?

性格の違いって誰にでもあるし、本人の耐久力や経験だってそれぞれ違うし真面目に予想外のことが人生には存在するので、俺の言ってるのは知らない上でいってるただの「予測」にすぎない。

だから勝手予測で外れてたらすまん。

偽らない自分を認めてほしい

ありのままの自分を受け入れてほしいという

それができないなら他人と関わるほどの価値は自分にはないのかなと思うのかな?

でもそれっていけないことのような気はするな

だって周りはうまくやってるように見えるわけだし

他人と関わるのがどんなに素晴らしいもので、

他人と関わりたくないというのが甘えだと言われても

自分の心を正直に見て判断してそうなんだから仕方ないだろうと思う

自分を心を犠牲にして他人に尽くすのって相手にも悪いし自分も辛くないか?

吐き出すことすら許されないのかなぁ?

いいじゃん

悪いことなんてわかってて罪悪感を感じてて、それがわかってても今できないことだってあるんだよ

それが犯罪だったら不味いけどさ

小さい頃に高いところから落ちてさ

高所恐怖症になったりとかしたやついない?

犬にかまれて犬恐怖症になったりとかでもよいけどさ

それと同じなんだと思うよ

それを甘えるな、と言われてもなぁ…という気がするな

鬱病の人が同僚にいたりしても、追い詰めるなよと逆に心配してしまう

なんで、そんなに余裕がないのかなぁ?

そんなに許せないものなのかな? こうゆう考え方が。

いやまぁ、俺の勝手想像というか妄想なわけだが

ただまぁ、ひとつ私が感じたことを言えるとしたら

人間だから、純粋な心だけじゃないってことかなぁ

他人がつまんないとか興味がないってことが悪いわけじゃないよ

多かれ少なかれそうなってしまう気がする

本当に気の合う人間なんてそんなに多くいないんじゃないかなぁと思う

だからそれに罪悪感を感じなくてもよいさ

人より慣れるのが大変だろうけど、ちょっとづつ慣れて行けよ

すげぇ、大変かもしれないけどさ

あ、余計なひと言だが恋人に関しては好きじゃないなら付き合うのはまずいかなぁと思った

まずは友達として付き合ってみるのもよかったんじゃね?

断ったら気まずくなるから受けたのかも知れんが。

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