はてなキーワード: 国歌とは
アニメが好きなら、アニメの中に出てくるキャラクタを好きになることあるやん?
EDやOPの曲を好きになることもあるやん?
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多分、消えた曲もいっぱいあるけどさ、残った曲はテンション上がったり、口ずさみやすかったりするんだろ。人の心にしっかり刺さってるんだよ。
ポップミュージックに表現が使われたくらいで言葉狩り、文化狩りしてんじゃねーよ。
軍歌的表現使えばテンション上がるって思ったんだろ。それが嫌いだって批判は受けるべきだよ。でも、出版停止まで求めるってのはちげー気がするぜ?
プロ野球見に行って試合前に君が代流れる時に起立して、胸に手を当てて国旗を仰ぎ見てる時最高に上がる。
中国に住んでいた時は毎朝職場で流れる中国国歌を聞いて上がりまくっていた。
その瞬間だけは抗日義勇兵になった気持ちで俺の血で長城を建設してやるぜって思えた。
最近の趣味はスコットランドのFlower of Scotlandをyoutubeで聞いて仕事の士気を上げてる。
みんなわかるの?
いや、そりゃさ、素朴な地元愛や愛着みたいなもんは自分にもあるよ。
たとえば生まれた県や地域から、有名な人が出たらなんか嬉しいし
逆にバカにされてたら悔しい。
同じように日本人がすごい賞とりました世界的な発見しましたっていわれたら
へーすごいな、よかったじゃんてなるし
でも日の丸がどうとか日出ずる国がどうとか天皇万歳とか君が代がどうとかになると
もうぜんぜんわからん。
なんでそんな抽象的なとこに行くの?
「あんたのその素朴な愛着は日本という国が平和だったからだ」というならそれはわかるけど
それは自分でも政治に興味をもって、愛する風景を守ろうという気持ちにはなっても
国歌サイコー日の丸大好きなんて気持ちにはならんのだよね、正直。
だからゆずの言ってることも前々前世の人の言ってることもよくわからない。
旗ぺら一枚に愛を集約してもらうと助かる人がいて
そう仕向けられてるだけなんじゃないの?
その窓から見た、収穫時期に窓枠いっぱいの黄金色の稲が風に揺れてる風景だし
今すんでる箇所に愛を感じた瞬間でいうなら、
子どもがとても楽しそうにこれからどこにいくのか何をするのかばあちゃんに話してたときの風景だ。
そういうものを愛している、というなら、それはわかる。
出揃ってきた感あるのでまとめてみた ブコメ大喜利や増田トラバからの引用を 赤で置き換え 辻褄あうように自分が改変したのは 青 で置き換え 微妙にキーワードリンクが発生して色が完全についてないところは、すまんす 著作権にまつわるつっこみが来たらソッコーで消すます。ジェットバス。
素晴らしきロクデナシ達だけに届く轟くラー油片手に
俺の名前はG(餃)-BOY(子) 神の申し子よく聴きな道行くトーシロ
そこの G-BOYの Wanna be boy 君だ聞こえたら即答しろ
だから語り明かそう赤子同然の若僧
はぐらかそうとか茶化そうとせずに
さあ寄ってきな丸出しの志語るセミナー開講
(決して譲れないぜこの美学) 餃子の1個目は何も付けずに食う
(※くり返し)
何度でも言うぞ俺の名前は白色い G-BOY ハンパなくナンバーワン
餃子味噌塗りつける川崎ンド。 毎週末の金土の食堂の中に後ろ姿
見つけられなかった仲間たちのため kick the sauce タレ蹴っ飛ば酢
まるで酢とれ酢とば酢ジェットバ酢
冬をしのげそのたくましさ見習え鉄鍋のジャン
イエーそこにこそこだわるぜ
Cause I’mthe man 行列続く中華街 尻目に餃子の王将
行くぜこのまま食わないで
(※くり返し)
いかにも俺が G-BOYのなかのG-BOY ただのG-BOY
ただそれだけ命懸けで守るイビツにひずむ俺イズムの
イビツこそ自らと気付く
心こめて喰らう雑な味 栄光なき食いしん坊たちに捧ぐ僕からの餃子皿
この餃子のもと忠誠を誓え
国際卓球連盟(ITTF)は昔っから自らの競技の「政治利用」にわりと積極的な組織だ。
国際問題の調停を、競技を通して、かなり踏み込んだ立場でやろうとするとこがある。
ITTFは第一次大戦後、国際的融和ムードが支配的だった1920年代半ばに創設された。
初代会長はコスモポリタン的人物で、「スポーツを通して国の垣根を無くしたい」と公言。
40年以上にわたって在職し、組織の基底的な思想を決定づけた。
たとえば創設以来、世界選手権においては長年にわたって、表彰台での国旗掲揚・国歌演奏は行わないものとされていた
「紳士淑女の友好的遊戯」という競技的ルーツへの自負もまた、融和を尊ぶ姿勢を醸成した。
対日感情の極めて悪かった第二次大戦直後の1949年、いまだ占領下にあった日本の再加盟を、
国際競技団体としていち早く認めている。
「スポーツを通じて世界をつなぐ」積極的行動モデルとして結実させようとしたのが3代目会長の荻村伊智朗。
会長在任中は、91年世界大会に最初の統一コリアチームを実現させた他、
地球ユース選手権にてイスラエル・パレスチナ両国のジュニア選手に共同で宣誓させる等々、
末期がんによる死の一週間前にあってなお、病身を起こして会場に駆けつけた。
その後も国際的緊張の当事者同士を共に組ませて国際親善大会をしたりと言ったことを継続的にやっている。
またたとえ、国際的承認を十分に得られていない地域の協会であっても、
火中の栗を拾うことをあんま恐れない。
たとえばWikipediaの『コソボの国際競技連盟への加盟』の項を見れば、
2011年に当時の会長も「ピンポン外交は次の時代へ入った」とコメントしたように、
「競技の政治利用」すなわち「外交的融和を目指して自らの競技を積極的に活用してく」ことは、
ITTFにとっては継承されたレガシー、自覚的ミッションのおもむきすらある。
そこら辺を踏まえた上で、例の件について言うと、
まず先だって出された板門店宣言にスポーツの合同チームの結成が盛り込まれていた、という背景があり、
競技団体として、こういった特例を認めた場合の今後への弊害を考えることになるんだろうけど、
現実問題、ここまでの歴史的条件が揃って、大会開催期間とタイムリーに重なるということはそうそうあることではない。
前例化したとしてもそれを以ってなし崩しにはなりにくいと思われる。
そしてコソボ承認の件もそうだが、国際問題に先陣切ってコミットすることを恐れない連盟の体質。
むしろ今後に続くであろう統一チームの流れに先鞭をつける機会を、
わざわざこのような特例措置を用いてまで自分たちが最速で提供することに、
使命感とか陶酔とか覚えててもおかしくない。いやまあ偏見だけど。
選手たち当事者には、やっぱりアンフェアじゃないの、という権利は正当にあると思う。
しかし現時点で報じられる限りでは女子日本代表に動揺はないという。
日本卓球協会側も「スポーツを通した世界平和を目指している」「歓迎したい」とか受容的コメント。
本音は、とか言い出したらキリはないが、卓球界に長年育まれてきた感覚ではこんなものかもしれない。
卓球界では過去に複数回、統一コリアチームが結成された前例があり、心理的に受容の土壌もある。
それに実際、日本女子の実力から言えばことさら動揺する必要もない。
んなこと言ってると91年大会の中国みたいに足元すくわれるけどな!
今回の合同劇が卓球界の受け継いできた流れのひとつの結実だとするなら、
荻村の母国である日本が真向からそれを受けて立つのも、ある種の本望、度量の見せどころ--なんて言うのは