はてなキーワード: ポテトサラダとは
「冷や飯を食わされる」って悪い意味で使われるけど冷たいご飯が大好きな自分としてはすごく不本意だ
冷や汁は大好きだし、炒飯もあつあつのやつよりも冷めたほうがしっかり味がして美味しいと思う
ポテトサラダは冷蔵庫のチルド室にいれてキンキンに冷やした状態で食べるのがベスト
とんかつもソースをかけたあとで一晩冷蔵庫で寝かせてソースが染み込みまくった冷え冷えとんかつが一番好き
昨晩の残りのすき焼きを翌朝まで寝かせ、冷えて固まったお肉を食べるのが好きなのでわざと翌朝用に肉を残したりしているくらい
もちろん職場でも同期の中でいち早く出世コースから外れ、ノルマも無ければ評価もされない総務部門で冷や飯を食っている
冷や飯には冷や飯の良さがあるので、みんなも積極的に冷や飯を食べて欲しい
うだるような暑さの中、連休中はクーラーを効かせた家に引きこもっていた。そのせいで冷蔵庫の中身はあらかた食い尽くして少しだけ余ったドレッシングが偉そうにしている。
自分でも良く分からないが、連休最終日には飯を食いながら映画を見るという習慣がついていた。多分洋画か何かにあてられて、そういう習慣がついたんだろう。
いつもの習慣をしようと思ったが、冷蔵庫の中身は何もない。それにこれだけ暑いとビールが欲しい。コンビニで買うと高いから、ビールはいつもスーパーで買う。酒はあまり飲まないから買う時に値段はほとんど気にしないんだが、これも習慣としてそうなっていた。
あまり大した距離を歩いていないのに、この暑さだから体はじんわりと汗ばんでいて、スーパーに入ると少し肌寒く感じた。入り口入ってすぐの総菜コーナーにはちょうど良さそうな総菜がいくつも並んでいた。餃子もいい。酢豚も好みだ。南蛮漬けもこの暑さに効きそうだ。
スーパーにはいつも目移りするから、何か文脈があった方が良い。水曜日は頭の文字が一緒の酢豚とか。そういう関連が大切だ。これも習慣かもしれない。
だから最近ネットで見た、ポテトサラダを買った。一つで十分だ。総菜の餃子と迷ったが、冷凍餃子も買った。
家に帰ると、つけっぱなしにしていたクーラーがせっせと部屋を覚ましていた。餃子を焼いて、映画を見る。ビールを飲むといつもより酔いが早い感じがした。思ったより酔ったので映画は半分くらいで止めてしまった。
少し酔いを醒ましてシャワーを浴びるとフライパンと箸がシンクに転がっていた。洗うのは明日でも良いだろう。これも習慣になってしまったかもしれない。
もう少し作れそうな方に寄せた餃子にお次は誰でも手間なのがわかる揚げ物と、
スーパーのポテトサラダや冷凍餃子はいまどき手抜きとは思わないけど
Wikipediaのコピペやヤフー知恵袋で聞いた内容でレポート出すのはNGって人たぶん多いよね?
どのあたりに線引きがあるんだろう?
そんな手抜きしてたら本当の実力がつかない、とか言ってしまう努力観がそろそろ破綻してきているように思う。(餃子の皮で餡を包む実力?)
惣菜が時間を買ってるというなら、課題のレポートはコピペで済まして研究なり就活なりに時間を費やした方がよかったりしない?
追記:
自分もWikipediaコピペが良いと思ってるわけじゃなくて、さすがにここまでいったらダメだろうという最悪例として出した感じ。
ちなみにイメージしていたのは「○○について説明せよ」みたいな学部レベルのレポートで、理系の場合、表現の差異はあれどほとんどおんなじ内容になる。
なかには「〇〇について独自のアイデアを根拠とともに述べよ」みたいなレポートもあって、それはコピペでは無理。
今まで頭のいい大学の学生もFラン大の学生も見てきたけど、頭のいい学生は先輩なり同期なりからレポートの内容のアドバイス(というか元ネタ)を貰って要領よく効率的に半ば機械的にレポートを書いてるイメージがある。
もちろん頭がいいからそれでも身になってるんだけど。で、先輩学生や同期のできる学生とWikipediaのどっちが信頼に足るかというとケースによるとしか言えない。心配ならちゃんと自分で裏をとるべき。
先輩学生に聞くのと、専門の研究者に聞くのと、昔よりずっと充実した検索サービスを使って文献を検索するのとなにがどう違うのかも時代とともにあいまいになってきたように思う。
貧弱な検索しかできなかった時代は、それっぽい文献をかたっぱしから見てひとつずつ内容を吟味するうちに実力もついたんだろうけど。
あと進歩の激しい分野では文献の内容が古くなっていないか確認する必要もあって、そういうのは人に聞いた方が正確だったりする。
それから前から思ってるんだけど、文献の探索とまとめのスキルを、レポートという形式で評価するのはちょっといまいちなところがあって、
探索スキルなら「〇〇について信頼に足る文献を5個探して列挙せよ」とか、まとめスキルなら「列挙した5つの文献から〇〇についてまとめよ」とすべきで、
それを一気に「○○について説明せよ」みたいな課題にするから、すでに誰かがきれいにまとめたもののコピペの方が良い内容(≠良い作成手段)になるおそれがある。
内容を吟味せずにコピペという行為がダメなのであって、結果として得られたレポートの内容(餃子の味)がダメかどうかは別の議論だよね。
一見、内容の課題に見えて、実はやりたいのは手段の評価で、でも提出させるのは内容部分のみで、評価者の勘と経験で手段を予想して評価するというのは、検索コストが極端に低くなった時代に合わなくなってきたような。
話が逸れた。自分が興味があるのは両極端の事例ではなくて、その中間のOK/NGラインについて。
たとえば公式の導出はできた方がいいけど、応用的な分野では公式を使えれば十分で、(必要になったら調べられるくらいのぼんやりした理解で)公式の導出スキルがないことは非難されるくらいダメなことなのか否かってあたり。
アセンブラは書けた方がいいけど、複雑なプログラムを書いてサービスを作る仕事や、プログラムを書いてなにかを研究する分野でアセンブラが書けないのはダメかってあたり。
ひさしぶりに外食ということで、ローカルで数店舗を展開しているファミレス(ステーキ・ハンバーグ系)に行った。
サラダバーが結構よかったので何度も来店している店だが、野菜の種類が減り、ポテトサラダ、ミニケーキ類、フルーツ類、サラダのパスタも無くなっていた。
でもサラダバーの値段は変わらないし、店の外の看板に大きく映しだされているサラダバーのイメージ写真も以前のまま。
どうしてそうなったのか?
トングはサラダバーのコーナーには置いてなく、テーブルに店員が持ってきた自分用のトングを使う。
コーナーにはビニールが釣り下がっていてちょっと邪魔だったし、野菜の入ったボウルにはフタがついていて、
左手に皿、右手にトングで、フタを脇にどかすと落としてしまう客もいる始末で面倒だった。
それはこのご時世、仕方ないことだと思った。
サラダバーの野菜の種類が減り、その他の品が取りやめになっているのは納得いかなかった。
来店客が減って1日に消費される量が減って、効率が悪くなるのはわかる。
最近ネットでポテサラポテサラ言ってるので、無性に食べたくなってスーパーで買った。売り場の複数の場所にポテサラがあって、急いでたのでよく見てないけどおそらく値段も製造元も違うのが置いてある感じだった。とりあえず安くていっぱい入ってるのを選んだ。さっき帰宅してお腹が空いてたので少し食べたけどよくあるお弁当に入ってるポテサラって感じで普通においしかった。欲を言うならもうちょっと具が多ければなーって感じ。
余談だがうちは義父が畑をやってて野菜が豊富にあるのでいつもは自分でポテサラ作ってる。いつもテキトーに作ってるし正直そんなに大変と思ったことはなくて、でもまあやっぱりある程度余裕のある時に作る感じ。その時によって具は様々で、豪華なのが食べたい時は気合入れてゆで卵、玉ねぎ、きゅうり、にんじん、ハムなど具沢山にする。この時期は具を大葉と玉ねぎだけにして出汁入りの酢を入れて和風にしてみたりもする。これはこれでお手軽でさっぱりしてて美味しい。