2020年11月13日の日記

2020-11-13

愛知県知事リコール署名半笑いでおちょくっていて背筋が冷えた件のブコメを読んで思った話

https://anond.hatelabo.jp/20201109184717

という文章を書いて400件近くブクマがついたので、それを読んで(読ませてもらって)思ったこと、考えたことについて、以下のとおり書いておく。

もはや、ほぼ愛知県知事リコール署名とは関係のない話になるので、あくまで俺個人の整理のための記述になる。

・お前「も」、もしくはお前「が」一番頭おかしい、という話

高須院長とその界隈を高みから見物しているつもりで、本当はこの騒動に食い気味にのめり込んじゃって、一番おかしいのはお前だろ、というブコメがいくつかあって、これは実際にその可能性がある。

俺は文中で自身正気ちゃんと相対化できているつもりだったし、最後も、(俺にとってはもっと合理的理解である愛知県知事リコールにおいては高須院長もその取り巻き半笑いであって、仮に全てがおちゃらけに過ぎないのなら、頭から湯気立てて正気を失ってるのは俺だけだな、と書いたつもりだった。だから、お前も頭おかしいぞ、と言われれば、「だから自分でそう言ってんじゃん」という気はする。

ただ、「俺はてめえの頭がおかしくなってる自覚があるからまり狂ってねえ!」というのは当然、矛盾している。

俺は自分のどうかしている具合について認識が甘すぎるんだろう。以前、何かの増田についたブコメで「この増田自身の頭がおかしいことを自認しているが、おそらく増田自身が思ってるのとは違うかたちでおかしいんだと思う」というのがあって言い得て妙だな、と思った経験があるが、なんていうか、それに近いのかもしれない。

・お前は醜怪だ、という話

上の、俺の頭がどうかしているというブコメ似て非なるというか、印象的だったものがあった。

最初反論しておくと、俺は誰かが真面目だったり熱心であることを理由に、おちょくられるのを無条件に免れるべきではないと思っている。

別に俺も、真面目かつ誠実に世のことを思っている人間に対して辻斬りのように悪意を浴びせるほど邪悪じゃない(とは思っている)。ただ、今回の高須院長の、86万筆という当初の目的に明らかに届かないにも関わらず、いかにも肉薄しているという空気を醸成しようとしたこと、結果として集まった43万筆の中身にも疑義がついているのにその検証言下に否定したこと署名活動中にリコール反対派を犯罪者呼ばわりしながら届けた工作活動の進捗を説明しないこと、ははっきり言って不誠実だし、リコールという制度を悪質にショー化する行為であって、それはおちょくられても仕方ねえよな、とは思っている。

で、ここからが少し複雑な話になる。

俺は、相手悪口を書いたり、内容に虚偽を含めたりしない限り、不誠実で悪質な言動について相手を直接、ネット上でやり込めようとすることは許されると思っている(この考え方は本当に俺の異常性を吐露しているのかもしれない。「不誠実」で「悪質」を、ちゃん主観を除外して判断できるつもりの上、攻撃トリガーまで引くんだから)。今回の俺のリプライは、表面上は高須院長の味方にしか見えないものなので、(あくまで俺の中の)基準を満たしている。

一方で、俺は自分がほぼ悪意で行動していることを自覚している。義憤ではなく、私的かつ単純に「気に入らない」という感情ドライブをかけられていて、まともな人間はこんなことをそんなにしない。

まり高須院長の言動は真っ当な市民感覚によって非難されるべきだと思うけど、俺が従っているのはそういう倫理観ではまったくないし、取っているアクションもネジクレている。

お前は醜怪だ、という指摘はその点でこたえるものがあった。

・俺がtwitter捨て垢を使ってリプライを送った / 先の増田twitterで当該のリプライを目にしたまったく別の第三者によって書かれた、という話

皮肉ではなく、おもしれえな、と思った。

この人たちには、本垢有名人をおちょくったり、そのことを武勇伝めかして増田で書くことは想像を絶しているらしい。どちらが真っ当な感覚かはわからないが、この人たちの方がまともな気もする。

異常でわけのわからない行為合理的説明しようとすると、かえって、実態と異なる推論がはじき出されてしまうということで、これは頭を働かせている側がいけないのではなく、そもそも現実に起きていることがのっけからおかしいので、そうならざるを得ない。

おもしれえな、というのは、まるで、先の増田高須院長たちの行動を理解しようとした俺自身のようだったからだ。つまり、「まったく事実に反した異様なツイートに大量の支持が集まるって、俺の理解できる世界を完全に超えている。もしかして、院長もその支持者も、全然本気でやってなくてふざけてやってんじゃねえのか?」。こんな俺の考えも、見当違いの方向にぶっ飛んだ推測なのかもしれないな、とあらためて思った。

・今回のリコール運動の中にもいろんな思惑があるよ / 個人の中にもマジの部分と半笑いの部分や時期があるよ、という話

言ってることはわかるんだけど、俺としては以下の1~4のどれかで断言してくれた意見の方が面白かった。

お前が面白いとかどうとか知らねえよ、という感じだと思うが、そう感じた理由あとで書く

・1~4の話

1. 院長もその取り巻きも大マジ、という優しい世界

2. 院長はマジだが取り巻き半笑い、という70過ぎのジイサン見世物にした構図

3. 院長は半笑い取り巻きがマジ、という大規模なパパ活

4. 院長も取り巻き半笑いでやっている世界

ブコメを見ると、1, 4にそれなりに割れて、2、3がちょいちょい、というように見受けられる。

俺はこれが本当に面白くて、おそらくはこれまでの印象や知識によって、あの運動が各人で全然違う見え方をしていることがわかった(もちろん先の増田ブコメをつけた人々の意見なので、世間全体ではまた違うんだろう)。

俺が1ではなく2~4を選ぶのは、あるブクマカが仰っていたハンロンのかみそり(愚かさで説明できることを悪意で解釈してはいけない)が、この場合機能するのかな? という疑念があるからで、俺にとっては悪意や冷笑のために時間と労力を割いて敵方嘲弄することはちゃん合理的行為からだ。

こうして考えると、人間自分モデルにしてしか他者の行動を推論できないことがよくわかる。実際は1の可能性も十分あるだろうと思う。

あと、4の中にも高須院長と取り巻き共犯ってパターンと、院長と取り巻き意志共有はされていなくて、結果として4が形成されてるだけってパターンがある、と指摘している方もいて、なるほど、と思った。

いずれにしても、1~4のいずれかが今回の運動のメイン層であり、グラデーションはあっても、あるいは個人内でスタンスうつろいはあっても、コアになる部分があると思う。

俺が「色んなやつがいるよ」的な解釈にあまり乗れないのは、「巨大な運動の内部に様々な思惑があるって、そりゃそうだろうな」っていう一般論しかないのであんまり面白くないからだが、(ここから少し大仰な話になるので、狂人に訳知り顔されるのが不快な方はすみません)、もう一つ理由がある。

ブコメを読んで色んな見方があることがわかって、その中には「◯◯に決まってるじゃん」と断言するものもあって、正直言ってこれは便利だな、と俺は思った。

これってつまり、一つの現象をめぐる解釈について、どれだけいい加減な放言を言い散らしても、誰かしらは味方してくれるし、耳を貸すということじゃんな?

もしどこかの世界線で、俺が今と同じくらい世に倦んでいて、今と比べ物にならないくらもっと金持ちで頭が良かったら、「××について、正解は1~4のうちどれでしょう?」の中で、自分にとって一番得で、自分憎悪で人がたくさん泡を吹いて苦しんで、みんなができるだけ不幸になる答えについて、それを信じてくれる人たちに頑張って吹き込むのにな、と割とマジで思った。

そういう悪意に対抗するには、どれもが正解に見えるうちのもっとも核心に近いものを常に求めるぐらいが関の山でほかにどうしようもなく、「色んなやつがいるよ」は答えとして絶対間違えようがない一方で、悪意の味方になり得て助かるかもな、と思うので、あんまり好きな回答じゃないな、と思った。

言い換えると、これ! という正解を常に抱えながら、科学的な証拠があれば別の正解に賛同できる柔軟性が市民には必要だ、ということになり、皆さんにはこれができるだろうか。ちなみに俺自身絶対にできないと思う。

オウムの話

「ふざけきってるようであいつらはマジだぞ」という1を選んだ人の中に、オウムとの相似を見た人もいて、そういう見方もあるのか、と思った。なんとなく村上春樹の『アンダーグラウンド1・2』を思い出した。

ウヨの考えてることなんてわかるわけねーだろ、というブコメもあって、俺もまあ先の増田高須院長の取り巻きのことを途方もないアホか、(俺と同じ)悪意の塊かの二択の後者寄りでとらえてるので、いさめる気も権利もないんだけど、仮にあいつらがマジなら、誰かが高須院長の取り巻きたちの話をマジメに聞いてやったほうがいいのだろうか、とも思った。これは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』でマリリン・マンソン学校銃撃事件主犯だった少年たちに向けた言葉から思いついたんだけど(「黙ってあいつらの言いたいことを聞いてやる。誰もそれをしなかった」)。だけども、俺には無理だ。理解できないやつとも、俺と同じくらい醜いやつとも話す気力も知性もない。善良で体力のある人に頑張って欲しい。

なお、理解の及ばない排他的な方向に加熱している、という意味でのカルトや『ボウリング・フォー・コロンバイン』の例えであって、暴力予備軍とみなしているわけではないことは言い添えておく。

ポコチンの皮の話

バカバカしいことだが、俺は先の増田を書くにあたって、高須クリニックで包茎手術をやっていることを確認していた。

https://www.takasu.co.jp/danseiki/

俺がお詫びしなければならないのは、他人生業揶揄するような文章を書いてしまたことだ。これは本当に俺の想像力が欠如していた。高須氏にも美容整形に携わる方々にもお詫びいたします。申し訳ありませんでした。

下手に自炊ができると太るの法則

なんとなく、あれとあれをかけ合わせたら美味しくなるのではないか、みたいに思い立ち急に実験がやりたくなり、

実験成功しようと失敗しようと食べてしまうわけで、よくない

冷蔵庫の余り物で何かを実験的に錬成しようと夜中に思い付いたり、よくない

コロナ収入が2倍になる仕事って何だろう

元の収入が0なら0 x 2 = 0だろう

anond:20201112140935

人生需要のあるスキルの1つくらい身につけようと思わんかったのかね。

ワシコロナのおかげで年収2倍になってホックホクやで。

睡眠時間を削ってまでなんのために働いてるの?精神を壊してまでなんで働いてるの?お金がほしいの?趣味もないのに?プレゼントを買う恋人もいないのに?休日も布団に潜って寝るだけなのに?

学ばないクソ企業

個人事業主に仕立て上げて、自分らに責任はありませんという状態にした挙げ句奴隷扱いとは

いまどきpython2だったうひー

anond:20201110174002

金継ぎやれっていってるアホブクマカって、金で縁に輪が書いてあるティーソーサーでも何も考えずにレンジにつっこみそう

俺も正常なマネジメント業務を行うのが困難になってきたので

宇宙ヨガでもやって儲けたい

ほんまに労働無理やわ

5時間しか寝れんとかまじで無理やわ

anond:20201113000949

フリーズドライは高くてまずい」ことと、元記事コーヒー豆言及されているか否かと、一体どういう関係があるんだ?

anond:20201112175929

俺なんか、たぶん生まれた時からずっと....

コメダ

夜、コメダに行った

所用のために外に出て、その帰りの道すがらに寄ったので店内に入ったのは21:00頃になる

年末調整の提出書類や今年も駆け込んだふるさと納税申請書、生命保険契約内容確認積読本などが溜まっていたのでそろそろどこかで片付けたいと思ったからだ。

正直ここのコーヒーは美味しいと思わない。

この時間にあのハイカロリー食事も摂ろうとはいささか思えない。

ただ自宅では捗らないのは自明であるためどこか作業場所が欲しかった。

ここは地方都市だ、夜遅くまで営業している店の多くは居酒屋チェーン店になる。

ファミレスはもとより検討外だった、田舎にとってファミレスはその名の通り『ファミリー向けのレストラン』であって、一人で訪れる場所ではない。この時間でも家族連れの顔見知りに会う可能性は充分にある。

いなかの世間はせまいのだ。どちらも田舎暮らしの宿命だ。

からコメダを選んだ、コメダはこの近辺に何店舗かあるのだけれど、車社会のこの土地で立地と駐車場にやや不便さを感じるこの店は恐らく知り合いと遭遇する可能性は低いと踏んだからだ、とても消極的選択だった。

それでもまだ21時台なので、きっと店内は賑やかなのだろうなと想像していたのだけれど入り口をくぐると店の中は驚くほど静かだった。

店内に客はいるのだけど、タブレット読書をするサラリーマン参考書を広げる女子学生、会話もそこそこに眠たそうに寛ぐ部屋着の男女、みな静かに自分時間を過ごしているようだった。

店の一番奥の2人がけの席に座った、壁を隔てた向こう側ではイヤホンをした女性が何やら書き物をしている。しばらくすると穏やかなそうな女性店員がお冷を運んで来てくれた。

メニューを開く、前言撤回をして珈琲を飲みたかったのだけど、この時間にそれを飲めばカフェインに弱い私は確実に眠れなくなるのでホットミルクを頼んだ。

(正直なところ私は珈琲の味なんてわからないのだ)


以前東京を訪れた際、夜遅くまで営業しているカフェに入ったことがある。薄暗い店内に間接照明洒落内装、店内中央に置かれた一枚板のカウンターハンドドリップで淹れる珈琲

ひとり観劇の余韻に浸るには整いすぎた空間だった。珈琲一杯の値段にとても驚いたのだけど、この空間を買ったと思えば決して高くはない。嘘だ、ちょっと格好つけた。伝票の値段を見た時、田舎者の来る場所ではなかったのだと思った。入り口でこの値段を見ていたらきっと私は気後れしてこの店には入れなかっただろう。

とはいえ、こんな場所地元にもあれば良いのにと都会の街をとても羨ましく思ったのだ。

しかしそれを超えるものがあった

木の温もりがある内装、程よい固さのソファー、音量を最小限に絞ったBGM、穏やかな店員、手元の良く見える明るい店内、他人に興味を示さず思い思いの時間を楽しむ見知らぬ人々、何もかも完璧だった。ここのドリンクも決して安くはないけれど、あの三茶カフェに比べれば破格だ。あそこでは深煎りコーヒーを頼んだのだけど、正直味は覚えていない。

(やはり私には珈琲の味の良し悪しなんてわからないのだ)

しばらくすると注文したドリンクと一緒に小さな袋が小皿に乗って運ばれてきた。セットの豆だと店員は言う。そうだ、コメダは久しぶりで忘れていた。

マグカップの横に置かれたちいさなホスピタリティに少し目頭が熱くなった。思えば最近仕事忙殺され一人暮らしの私の生活は荒れていた。こんな心遣いを受けるのは久々だ。この値段でこれ程素晴らしいおもてなしを受けられることに感動した。

豆をつまみながら飲むホットミルクは格別に美味しかった。暖かさを保ったままのマグカップを両手で持ち背もたれに寄りかかる。今私はこの時間を買っているのだと思った。

コメダは最高だ、この静かな感動を書き留めたくて机の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取り出しボールペン文字を綴った。こんなことするのは学生以来かもしれない。紙のスペースが足りなくなったので、こんどはここに文章を打った。おかげで雑務は全く捗らなかった。

このまま朝までここにいたいのだけど閉店時間が近づいてきたので会計を済ませ店を後にした。

 

店の外にでると冷たい風が肌を撫でた

23時を過ぎたこはいつもより暗い。

大きく息を吸った。静かだ、完璧すぎる夜だ。

夜の街は眠る田舎暮らしの素晴らしき利点だ。

暗闇の中で少し寂しそうな車が私を待っていた。

どこに停めたかすっかり忘れていた、私は真逆の方向に向かおうとしていたらしい。

次こそは珈琲を頼もう、デザートも食べちゃおう。

なんてことを考えながら車の待つ方へ私は踵を返すのだった。

追記ブコメありがとう、それです

母と出かけた時に姉妹と間違えられる程、もうすでに20代前半の若さは失ってしまったので、なんとか老いの加速を食い止めたい。

どんだけ老けてんだよ…

anond:20201113000949

「いつもは安物のコーヒーをお湯に溶いているだけ」と書いてあるから普段インスタントコーヒー我慢してるんだろ。金が無いから仕方がないので。

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