2015年01月25日の日記

2015-01-25

ブログオフ会ってオフパコ以外に目的あるの?と思ってたけど

互助会の結束強めるために必要なんだね。

気持ち悪いとか思っちゃいけないんだね。

こういうのを積極的にやっていけるのが成功秘訣なんだね。

仕事でもブログでも、積極的に汚いことでも泥臭いことでも当然の様にやっていける人が成功するんだろうね。

ごめんなさい僕には無理です。

アクセス数気にしてどうするのって話もあったけど、誰にも見られないチラシの裏に書き続けるのは辛いです

やっぱりブログやめます。書きたいことがでてきたら、今後は増田ツイッターにしようと思います

リフレックス飲んでいたけど効かなくて

試しに、セロトニンノルアドレナリン材料になるかもと、プロテインも飲むようにしたら随分と効く

ハイになる、狂うってほどではなくだいぶ思考が前向きになってきた気がする

脳にちゃんと血液がいっている感じがする


なんとか社会復帰したい

http://anond.hatelabo.jp/20150125170202

0歳と幼稚園じゃ全然違うだろ。

出産祝いの定番つったらおしゃぶりよりガラガラだけど(おしゃぶりは使わない親や嫌う親も多く贈り物には適さない)、ガラガラ性別なんて無いよ。

女の子だと赤とかピンク系、男の子だと青系の商品を薦められる。

そもそも大半は色とりどりのカラフルでド派手なもの(その方が赤ちゃんの反応が良いんだとか何とか)。

単色や同系色でまとめられているもの自体が少ないけど。

ギフト需要が高そうな親好みの上質・お洒落系だと、今度は木のおもちゃ自然の木の風合いを生かして云々とかになる。

ベビー服店で売ってるようなベビー服とガラガラギフトセットであれば性別分けられてる

性別が分からない場合用の、真っ白とか黄色とかで性別問わない物もある)けど。

あと子供ってのは一人目だけじゃないんだよ。

二人目なら当然生まれた時からの子の好みのおもちゃが溢れてる中で育つし出産祝いなんかも一人目より貰えないわけだが、

兄を持つ妹が男児向けおもちゃを好きになるかっつーと大抵はそんな事はない。

親にしてみれば同じおもちゃで遊んでくれた方が金もからんし置き場も食わないし有難いけどね。

つのまにか中田考が「北大教授」にすり替わってて笑える

http://anond.hatelabo.jp/20150124122808

そもそも元記事女性に対する偏見と「女性に相手にされない自分」という被害妄想に彩られていて、

受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスク男性けが一方的に負わされているのが、「男性性役割」であり、「男性差別」の一つなのだと思う。

という「差別」という言葉拡大解釈から始まっているのでどうしようもないんだけど、この記事に対して自分

ただ、非コミュの男を選ぶ積極的理由がないわけで、それを差別というのはおかしい。

というブコメをつけたところ、id:nt46から

id:Red-Cometid:fuyu77普通に差別主義なんですが。選択的"差別主義者の詭弁"に優しいはてなー知的レベル

というidコールを受けた。

ところが自分には、自分差別主義者呼ばわりされる理由が全く分からなかった。

 

例えば一人の女性が居る。そしてAとBという二人の男がいる。問題単純化するために、男たちはどちらも顔は並レベル収入も同年代の平均的なランクであるとしよう。そして二人とも、彼女に対して恋心を抱いている。ひとつ違うのは、Aは彼女口説くのだけど、Bは遠くから見つめているだけで何もしない、ということだ。

この場合彼女がAを選ばずにBを選ぶということがありうるだろうか。

物理的にありえない。言われなければ好意を持たれているかどうかすら分からない。そんな男をエスパーのように感じ取って愛せというのだろうか。

それを「差別」だと彼は言う。

意味がわからない。

 

だけどよく考えてみると、Bに近い男性はそう思うのだろうと分かった。

振られるリスクを背負うことができるAと、リスクを背負うことが出来ないB。言ってみればBは社会的な不具であって、障害者手当的なもの受給すべき存在である、という主張なのだとわたしは理解した。

車いすの方が入りやすいように出入口にスロープを設けるように、非モテに対しても恋愛バリアフリー化しなければならない、そういうことを言いたいんじゃないだろうかと想像した。

 

ぼくたちは好きな女性ができたならば、彼女のために何ができるかを考え、喜んでもらうことを行い、そうして彼女から承認を受けるわけだけど、それは例えばある種の鳥がダンスを踊ってメスを誘うような本能的な行動であって、特に何の特殊技能必要なく行えることだと思い込んでいる(そうでなければこれほど多くの人が恋愛成就させているだろうか)。

から、生まれつきそのような能力が欠如している人が存在することなど思いもよらず、「本人の努力不足だ」とか「勇気がない」などと切り捨ててきたわけだ。確かにこれは「差別である。体の不具ならば目で見えるけれど、心の不具は目に見えないばかりにさらに根が深い問題なのだと気付かされた。

 

ただ、ここまで思い当たる前に自分が書いた、

合理的な選択をすることが差別なの? 差別主義者でないなら女はどんなクソ男でも愛さねばならないの?

というブコメに対する、id:nt46からの回答がよく分からなかった。

id:Red-Comet それを選択しなければならないことが、それが差別かどうかだということが、おかしいとわかりませんか?

「それ」を「選択しなければならない」とはどういうことだろうか。誰に選択を強制されているのだろう。社会に?

そもそも女性には選ぶ権利があって、より好ましいと思う男性に惹かれるべきであろう。それが自由意志というものであって、女性に対する差別主義者ではないわたしはそれを尊重したいと思う。

だけどその自由意志を「それは社会強制されて、そのような判断を行うようになったものだ。本来なら非コミュを愛さなければならない」と主張するのは過激すぎてゾッとしてしまう。「ここにイケメンブサメンがいる、イケメンを選ぶのはブサメン差別だ!」というわけだ。ちょっとそれは、非モテをこじらせすぎているんじゃないだろうか。女性というものを、奴隷のように好まぬ主人に仕える存在だと思っているのだろうか。

ちなみに『異性をモノのように捉える理由について』と『優劣談義と集団への屈従を好む男性性質について』については論ずる価値がないので触れないつもりでいたのだが、もしかしたら「恋愛不具の男性から女性をモノとして見てしまうのかなあとは思った。

 

ただこれはこちらの誤解かもしれない。ブコメでは短文過ぎて、わたしの読解力では真意を読み取ることができなかったので、id:nt46増田で補足して欲しい。

 

あと、id:inukororiブコメにはちょっと笑った。

合理的な選択が差別でないかのような主張はいただけないなあ。//たとえば、ろくでもない奴が混じってる可能性が高い部落出身者を排除するのは企業採用担当にとって合理的だよね。

人を差別主義者だと断じる奴が一番の差別主義であるという好例。いまのところid:nt46もその仲間のように思えているけど、本当のところはどうなのかな?

クソコラ

本気で「日本イスラム国戦争状態に叩き落としてテロを誘発させてやる」と思ってやっているならいいんだが、

単に考えが浅いだけなんだったらそれはちょっと不幸だろうと思うのです。

仕事が忙しくニュース見ていなくて、今更ながら人質事件知って、

こりゃ増田も喧々囂々やってるんだろうな、思ってブラウザ開いたら、

フェミニズム艦これで通常進行とか。

ビールあけた。

http://anond.hatelabo.jp/20150125164239

「出してぇ!しろいのいっぱいだしてくだしゃいいいいい」

彼女セックスがしたい

どう誘えば良い?

気になるあの子と決着とかそれ以前の問題だった

本当は教えたくない自己顕示欲の高いブロガー TOP10

というタイトル記事を読んでみたい。

男女の人権と欲求と差別と、遠い未来についての思考メモ

http://anond.hatelabo.jp/20150124122808

ブコメはありがたく全て目を通させて頂きました。考えはまだ拡散してまとまりません。

 

男性支援アンチフェミニズムではない

フェミニズムの延長として、男性にも抑圧されてる面があるんじゃねって視点が出てきたわけで、実はこれはフェミの成果でもあるのよ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/239953973/comment/c_shiika

 

男性権力神話』の著者ワレン・ファレル氏は元々フェミニストであり、女性社会進出を助ける活動を行っていたそうだ。

彼が目指しているのは女性差別男性差別の双方を撤廃することであり、アンチフェミニズムではない。

 

フェミニズム議論は「男性女性を抑圧する加害者である」に留まりがちだが、復讐から一歩進んで、

「なぜ男性女性を抑圧してきたのか」「男性が抑圧されていなければ男性女性を抑圧する必要が無くなるのではないか」と、

より解決志向議論に向かえば望ましいと思っている。

 

「自らの命の価値に自信が持てない」問題

男性は「美貌の女性」に憧れてそうしたストーリーを消費するわけではない。むしろ、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性を捨て身の献身でもって落とした男性」に憧れるのである特攻隊についても言及されているが、彼らは別に"天皇および祖先のため"だけに死んだわけではない。家族や守るべきもの、あえて言えば自分が「男らしさ」を発揮できる対象(≒自分より弱い者)のために死んだのだ。死で終わるこの手の物語は言うまでもなく「捨て身の献身」の物語として最上のものである。そしてこの手の物語に最も惹きつけられる人間は、自らの命の価値に自信が持てない人間である。なぜなら、誰かのために死ぬことは、少なくともその誰かの命の価値を自らの生に与えることだから

http://anond.hatelabo.jp/20150125113634

 

他人価値があると言って貰えないと、自らの命の価値に自信が持てないことに、様々な人間関係上の問題の原因があるのだろう。

人間ゲームの初期設定のように平等スキルポイントと割り振る自由を与えられているわけではなく、

体力10+知力10+魅力10総合30点の人間と、体力1+知力1+魅力1=総合3点の人間存在するのが現実だ。

 

欲するだけの「客体としての価値」が得られなかった人間が、苦しみのはけ口として男女論を使うシーンは多い。

個人的な苦しみが絡むからこそ、多くの男女論は生産的な方向に進まず、ミソジニーミサンドリーの殴り合いになる。

人種差別も似たようなものなのだろう。「自らの命の価値に自信が持てない」から、無条件に自分よりも命の価値が低い存在必要とする。

 

そして、今「強い男女」であったとしても、老化によって「弱い男女」になっていく。

自分は強い・美しい・賢いから生きる価値がある…といった、条件付きの自己存在承認をしていた場合は、

事故病気、老いなどが原因で「弱い男女」となったとき精神的なクラッシュを迎える可能性がある。

 

また、テクノロジー進歩によって、自分役割が「商品」に代替され、存在意義が揺らぐ可能性もあるだろう。

親より友人より恋人より、音声アシスタントの方が有益で快適な話し相手になる時代が来るかもしれないのだ。

他人に求めていただくこと、他人価値を認めていただくこと…そのハードルは昔と比べてどんどん上がっていくだろう。

特攻隊のような捨て身の献身も、「生産性が無い」「時代遅れ」「死ぬしか能が無い」と冷笑するのが今は主流かもしれない。

 

男性女性による欲求の表明を抑圧する理由

女性が待ち」の構図は戦前男性社会が作ったんだよね。女性から告白するのは「はしたない」ものだったわけで、むしろ抑圧の象徴だったんじゃないかな。

http://b.hatena.ne.jp/entry/239953973/comment/azutokimiya

 

女性から男性への告白を禁じることによって、よく告白される男性と全く告白されない男性格差を隠すことができる。

女性は欲望を持たない清廉な存在だというファンタジーも、女性に傷つけられないためのモノ化手法の一つなのだろう。

男性が「女性Aには興味があるが、女性Bには無い」という感想を持つように、

女性も「男性Aには興味があるが、男性Bには無い」という感想を当たり前に持つものだ。

男性B」扱いされることを恐れすぎる男性は、女性による欲求の表明を抑圧する構造・風潮を作ろうとする。

男性の苦しみは女性の欲求が原因ではない。

たかが一人の女性必要とされなかったことによって、自らの価値が揺らぎすぎることに原因があるのだ。

 

欲求と差別の話

性差別問題は、「男性には許されて女性には許されない」「女性には許されて男性には許されない」の解体が最終目標となる。

ただ、もし仮にこの解体が上手くいって、男性だけの苦労や女性だけの苦労が無くなったとしても、

客体としての価値が高い「強い男女」と、客体としての価値が低い「弱い男女」の格差は残る。

「強い男女」同士が同僚・友人・恋人配偶者として求め合い、「弱い男女」は「強い男女」を求めつつあぶれる結果を招くだろう。

「最貧困女子」が話題になったが、弱い男女は客体としてはストレッサーになる場合が多いのだ。

 

昨日放送されたNHKの「ネクストワールド私たち未来」では、73歳の高齢男性篠田麻里子演じる若年女性に恋をする描写があった。

数年前に放送されたNHKスペシャルでも、重度脳性麻痺40代男性が、「脳性麻痺ではない健常な女性と恋をしたい」と主張していた。

夫に興味を持てなくなった中年女性が、ヨン様氷川きよしK-POPアイドルなどに熱を上げるのも、身近で耳にするレベルでよくある話だ。

こうした欲求に対して、釣り合わないだの、みっともないだの、鏡を見ろだの、要は「欲求を持つな」と強要する人々が居る。

しかし「弱い男女」が「強い男女」を求める気持ちは、禁じても無駄なほど強いものであろうし、求めるだけなら権利があるのである

ただ「強い男女」にも、「弱い男女」からの求めを受け入れるかどうかを決める権利がある。当然の人権だ。

受け入れられなかった側が「高齢者差別」「障害者差別」「ルッキズム」などと怒ったとしても、

弱者に、強者個人的交友や時間の使い方の選択権を侵害する権利があるわけではない。

 

弱者の欲求を受け入れるのは、人間ではなくロボット仮想現実上のキャラクターになっていくのではないかと思う。

ロボット仮想現実純粋な客体であり、苦しんだり傷ついたりする主体は無い。

http://anond.hatelabo.jp/20150125150351

いや実はまさに俺も同じような思考過去にしていて(フェミニズムに走るとか特に分析が適格過ぎて驚いた。

恋愛経験を経て劣等感が取り除かれたことによってバランス感覚を得たんだけど、もしラッキーチャンスがなかったら過去自分はずっと蒙昧の闇にいたのだろうかという事が気になっていたんだ。

粘り強く思考し続けることによって現実感覚を得ることも可能なんだな。参考になった。ありがとう

食品偽装もあるだろうが、食品を買うとき、まず気にするのが、原産国だ。

中国韓国が入っていると、まず買わないし、原則としてトップバリューは、避ける。

代替え品があれば、それを買うし、無ければ食べない。

しかし、家族が気にせずに中国産を含む菓子類を買ってくるのだ。

指摘すると、「ちょっとぐらい大丈夫」だと…

それを食べて腹を下したり、嘔吐するぐらいならどうでもいい、蓄積されたあげく、癌を発症する可能性すらある。

知っておきながら、食べる気はしない。

からといって、昨今、中国産を含む食品を避けることは、ほぼ不可能だ。

気をつけていても、どこかで必ず使われている。少なくとも、わかる範囲で避けたいと思う。

それはそうと、老眼の人には、裏面の文字が見えないという。

それ故、気付かず、中国産を含む食品を買ってしまうのだと…

一部でも中国産が含まれ食品は、パッケージの色を赤にするとか、でっかく「中国産含む」の表記をするように義務づけて欲しい。

http://anond.hatelabo.jp/20150125133655

あくま国家国民基本的人権保障するという大枠の中で個人の責任議論があるのであって、自己責任国家による邦人保護が同レベルのように語られるのはおかしい。

自己責任(だから○○)」の省略されたとこには2パターンあると思ってて、

自己責任から助けなくていいんじゃね→大間違い

自己責任からこうなったのは本人のせいだよね→トートロジー

その意味で、自己責任論の論点曖昧というのはほんとにその通りだと思う。

どんなに馬鹿な行動の結果であっても、あるいは今回とは関係ないが犯罪の結果であったとしても、国家は粛々と遭難した邦人公共の福祉に反しない範囲で全力で保護するのが当たり前。

http://anond.hatelabo.jp/20150125142135

赤ちゃん最初に与えるようなおもちゃに男女の区別は無いよ。

親にしてみたら性別問わないものの方が次の子に使いまわせるしね。服のように性別に合わないものにすると変な目で見られるって事もない。

男女の区別が出てくるのは本人の好みが出てくる頃から

つか車だったらわざわざおもちゃ与えなくてもその辺に本物走ってるでしょ。

車好きの男の子が本物に近寄りたがって危険、ってのもよくある話。

友達の多い人は

気づけば、その人をよく見極めてから友達になろうとしている自分がいる

それまでは街ですれ違う知らない誰かよりは親しい程度にしか思っていない

これは本当に良くないので、気をつけているが、気を抜くとそんなのばかりだ

最近、それに加えてもうひとつ嫌な癖があることがわかった

例えば、私が心から軽蔑しているもの、例えば差別主義などを内面化している人

そういう人は内心どうしても距離をとってしまい、ダメ

普段感じが良いのだからそれに合わせていればいいのにと思う

でもできない

そんなことをしているか友達を作るのが恐ろしく苦手だし、当然友達は少ない

友達の多い人はそういうことを気にならないのだろうなあと思う

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん