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2011-11-14

義理実家にいくのがだるい

ほかの投稿で白熱してるようだから便乗して…。

義理実家行くのが本当にだるい

何もなくても月1で呼ぶし、やれクリスマス正月だ、ペット誕生日だ?

旦那に親子水入らず行って来いといっても嫌がるし。

むこうはいつも通りの各々部屋にこもって好きなことやってるから、一緒にご飯食べて後片付け手伝いながらちょっとしゃべる程度。

その後はテレビ鑑賞。

しか韓流だのジャニーズだの、まるで興味のない話題について行く気もないのでへー、ふーん、ほー連発。

そのうち一人また一人と部屋に戻っていく。

向こうも扱いに困ってる様で、二人になると居心地悪そうなのがよくわかる。

軽度の猫アレルギーもちだから、要件済んだらさっさと帰りたい。

が、旦那実家モードで至れりつくせりだから長居する気満々。

用事作って先に帰ろうとしたら、旦那経由でさり気なく常識がない・愛想が無いと言われました。

好きになる気がないからそうなるっていうのは耳タコですが、どうやって興味を持てと…。

ちなみに自分実家に顔出すのは2年に1回くらいです

気疲れしないようにとの配慮から実家泊ではなく、近くのホテルから実家に通う。

会う機会が少ない分、滞在中は家族全員にかまわれるけど、旦那は嫌じゃないという。

私もまあ我慢できる。

旦那とまとまれない以上、一人で我慢するしか円満に済ます方法は無いわけで。

離婚以外でどうにかする方法はないと思うんだよな、これ。

http://anond.hatelabo.jp/20111114192304

こういう発想がよく思いつくなあと、しみじみ感心しながら増田やら2chをみております・・・


とんち居候するってどういう心境だろ。

実家でさえ長居するとあんまり居心地よくないのに。

(ひとりぐらしはじめたら、便秘が治った。)



正直、あそこら界隈に近づいたのは失敗だったと思ってます。大失敗。

別れた奥さんが子ども3人育てていようが、飲み屋の床で寝てるのを上から見下ろして、そのまま放置しておくべきだった。

こいつが破綻したら奥さんどころか子どもらまで破綻してしまうと思ったらほっとけなかった。




それらも全部むだだった。久しぶりに涙がでてとまらない。

2011-10-26

クレーマー扱いされた

午前11時、新大阪ドトールに初めて入店し。コーヒーホットドックを注文。席につきノートパソコン開く。



10分後。

店長(50代くらい)「すみません今日昼3時から貸切なので、長居されるのはちょっと困るんです。申し訳ないですけど、それまでのご利用ということでもよろしいですか?」

俺「え?それは構いませんが、僕まだ来て10しか経ってないですよ。3時ってまだ4時間ですよね。まだ長居しているわけでもないのに、その対応はないですよね」



と言おうとしたら、僕まだ来て10しか経って・・・あたりで遮断し、「あ、はい、あ、はい。失礼しまーす。^^」みたいに笑顔つくりながら速攻で立ち去っていった。店長対応も驚いたけど、ちょっと反論しただけでクレーマー扱いされたことがより傷ついた。つか、これクレーマーなのかね。

2011-08-16

サーチケコミケに参加した東北お上りさん感想

コミケ最終日に参加するため東北田舎から上京。

参加するのは3回目。去年の夏も来たが、初めてのコミケに圧倒され、見物しただけで終わった。


今年の夏は、ネットで懇意にさせて頂いてるサークルさん(以下Aさんとする)からチケットをもらえるということに。

ドキドキしながら集合場所の国際展示場に向かう。


冬コミから8ヶ月、東京はどこに行っても人が多いなと思うが、コミケはただただ圧倒される。

国際展示場駅の人の多さと言ったら。

段々と混雑する電車痴漢に間違われないように両手でつり革につかまっていた。

田舎者あるあるじゃないだろうか。


駅につくと人の流れについていきゆっくりと改札まで進む。

久しぶりに会う人だったので顔を覚えているか心配だったが、向こうが覚えていてくれた。

まりオフ会に出る人間ではないので嬉しい。


チケットを渡され会場に向かう。

途中で一般とサークルに別れる。去年は一般だったなあと懐かしみながらサークル側へ。

並ぶ一般参加者に対し、倒れないようにねと心の中で祈りながら進む。

東北からすると、東京はやはり暑い


入場のやり方はよく分かっていなかったので、とりあえずお世話になるAさんのやり方を真似する。

普通にチケットを渡すだけだった。

あとチケット本名書いてあるのね。何となく怖くて見れなかったけど。


創作ジャンルだったので西へと向かう。企業は上だったかとかぼんやりと思った。

サークルのスペースに到着。

「じゃあちょっと準備を手伝ってくれる?」

とAさんに言われたけど、何をすればよく分からない。


Aさんが荷物取ってくるとどっかに行ってる間、スペースにぽつんと残される私。

横目でチラチラと他のサークルがどうしてるかチェック。

何かテーブルの上のチラシをまとめて袋にいれていたので真似。

うちわがあったのでそれだけ頂いて鞄に入れた。


Aさんがダンボールを持って戻ってきた。

ありがとう。ついでに椅子を降ろしてくれる?」

チラシをまとめたのは正解だったらしい。

それで仕事した気になって、椅子を降ろさない私。マヌケだった。


テーブルに布をかけて、オリジナルの本を置いていくAさん。

その間携帯をいじってTwitterする私。手伝えよ。


数分後には準備完了。何かサークル参加しているって実感がわく。

記念に写真をパシャリ。何となく仕事した気分になった。


Aさんが開場前によるところがあると言って少し退席。

やってて良かったTwitter。暇が潰れる。

並んでいるフォロワーを見て、何となく優越感。何もしてないのに。


Aさんが戻ってくる。

まどか屋凄いらしいね

まどマギは好きだけど、列が凄いらしいので並ぶ気がわかなかった。

若いんだから並んで来たらって言われたけど、暑いの苦手なのでとか意味不明なこと答えてた。

じゃあそもそも夏コミ来るなって話。

基本的にコミュ障から仕方ない。でもAさん「なら仕方ないなw」って笑ってくれた。

Aさんマジイケメンで惚れそう。私男だけど。


Aさんとお話してたら10時になって開場。

初めて会場内でする始まり拍手。ちょっと嬉しかった。

それからお昼まで売り子。

創作はそんなにうんと売れないっぽい。人気サークルは無論別として。

初めての売り子でドキドキ。


テンパッてお釣り計算を間違えそうになる。

Aさんニヤニヤ。買ってく人も何かニヤニヤ。

ちょっと涙目になりながらお釣りを渡す。

「頑張って下さい」はAさんじゃなくてきっと私に言ってた。


Aさんがスケブ頼まれてからほとんど私が売ってた。

Aさんの知り合いが来たときはAさんが対応してたけど。

共通の知り合いじゃないときは私は借りてきた猫のごとく大人しくしてた。


お昼近くに休憩がてら買い物に言っていいよと言われる。

カレー王国カレーを食べた後、東でお買い物。

知り合いも数人サークル参加してたので挨拶しに行くことに。

普段会わないのでレアキャラ扱い。


あんまり訛りがないねと言われる。自分じゃよく分からない。

長居すると迷惑だろうと、挨拶は短めに切り上げ。冬はそれで少し失敗したし。


東での買い物を終え西に。40分くらい経過してたのでささっと見て回ることに。

チェックしてたものを早々に買い、何か他に良い物が無いかフラフラ

「果汁なんとかかんとか」というサークルの本を買う。絵が素敵。

http://kaju5-2.o0o0.jp/

既刊と新刊を全て買う。新刊のヒロイン可愛い


一瞬スケブ頼もうかとも思ったけど、スケブ受付停止中だったので断念。

まあこういうのは午前に頼まないとなー。

からファンだった人がお願いするのが普通だろうし。新参なので我慢。


お買い物が完了してスペースに帰還。

Aさんのスケブがちょうど終わってた。今度はAさんが休憩に。


スペースに一人になった時のドキドキ感は異常。最初ちょっと声が震えた。

その後個人的な知り合いが来襲。

話をするのは良いが、長くなってしまいAさんのスペースなのに申し訳なかった。

知り合い空気読め……と思ったが冬に似たような失敗をした私はあんまり強く言えない。

今思うと、その経験を伝えてあげれば良かったって感じだけど。


その後は普通に売り子。午後はまったり

Aさん戻ってきてからはあっという間だった。

話し相手がいるって良いですねって言ったら、だから誘ったんだよって言われた。

何か嬉しかった。必要とされたことがというと大げさだけど。


3時半くらいに撤収作業。ダンボールに本を詰めてる時に閉会のお知らせ。

拍手してた時、満足感に満たされていた。

その後宅配するとのことで宅配所まで段ボールを運ぶ。

この日一番並んだのがここ。壁サークルは一つしか行かなかったし。

ちなみにその壁サークルは「Ko-wa's Inn」ね

http://ftmm.jpn.org/


その後新橋での打ち上げに参加。1次会で離脱池袋ホテル戻ってコミケ終了。


暑いけど凄い楽しかった。サークル参加だと、一般とはやっぱりまた違うなあと実感した。

コミケお客様はいないって言うけど、少し分かった気がする。

でも去年の自分お客様だったなあと深く反省


また冬も参加したいな。

2011-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20110624225009

ああー、俺のイメージしてるのとは相当違うわ

客単価も高いし、立地的にも完全に「酒飲んで長居する店」だな

そりゃこれはなんか飲むわ



俺が元増田読んで思い描いたのはこんな感じ、水だけ飲みながらパスタ一皿食って帰る店

http://r.tabelog.com/ibaraki/A0802/A080201/8000066/

2011-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20110623182849

その店でゆっくりするつもりなら飲み物を頼むし

食事だけしてさっさと席を立つつもりなら飲み物は頼まないな。

飲み物も頼まずに、食事が終わったのにだらだらと長居してたらマナー違反

彼女が何か飲み物を頼もうと強く勧めたのは、おしゃべりでもしながらゆっくりしたいって意志表示で

増田が頑なに拒んだのは、店でゆっくりおしゃべりする気はないって意志表示だと思われた可能性は高いと思う。

2011-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20110620115038

はてブずっと見てると脳が左にずれてくるっていうか

そういう人が普通に居すぎて違和感が薄れてきてヤベエ



右翼気味の人ははてな見るようにするといいけど

左翼気味の人は2ch見たほうがいいと思う

同じような考えの人間の密集地に長居しすぎると絶対バカになる

2010-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20101224174050

人によってはあるのか

オナニーって部屋にこもってエロビデオなど見ながらひっそりイメージが強かったか

便所と精子が結びつくって事は、男性にとってわりとメジャーオナニースポットなのかと意外でなー。

家族が家に居る時に便所でやったり、公衆便所の大に長居してる男性オナニー疑われてたりすんのかな

男が便所に長居するのはそういった便所オナニーの時もあんのかなと興味深くて。

2010-12-11

ネットオタク層が絶賛する店の特徴

ボリュームがあってお得。

オーナー店長が馴れ馴れしく話しかけてくれる。

店名がちょっと変で何か由来がある。

店員がイケメン過ぎない。美人過ぎない。オシャレすぎない。

店員がネットの話題に詳しい

WiFiや電源完備。

長居OK。

おかわりや飲み放題が充実している。

やや珍しそうな名前食材や酒やメニューあり。

その珍しさについてうんちくを語ってくれる。

オフ会に理解がある。

インテリア伝統的で古くさい。

オシャレなカップルが少ない。

デートで使ってるのは地味カップルだけ。

からやたら距離があるか、異様に近いかのどっちか。

食べログで高評価。

2010-11-02

友達ができてから貧乏ゆすりする癖がついた

友達と会ってる時間楽しい

特にあってから当初決めていた用事が完了するまでは。

そのあと喫茶店でおしゃべりするのも楽しい

ぶらぶらと街を歩くくらいまでは言うことは何もない。


でも、別れ際だけがどうもよろしくない。

別れ際になって、なかなか解散しようとせず

立ったままあるいは駅中喫茶店にまた入りなおして

目的もなくダベってる時間だけは別だ。

私はさっさと帰りたいのだけれど、なかなか解散しようという流れにならない。

結局1時間以上取り留めもない話をしたうえで時間ギリギリになってようやく帰ろうとなる。

取り留めもない話と書いたが、さすがに朝からずっと一緒に行動してるので

話のタネももう尽きており、本当にどうしようもないような話しかしない。

この時間帯は苦痛で、友達のことではなく家のことを考えながらトモダチと話をしているうちに

いつの間にか貧乏ゆすりのくせがついてしまった。



しばらくたってから、どうしても我慢できなくて、駅についてからすぐに

まったく余韻もなく帰るって宣言したことがある。

その時、まったく誰も反対しなかったし、

それどころか、私を除いてみんなはいつも通りだべればいいのにみんなもすぐ解散になった。

で、あれ、と思って「なんで帰り際ってなかなかみんなわかれないんだろう」って言ったら

特に理由はないらしい。

「誰かが解散って言い出すのを待ってるから」とか

「○○さん(私)が帰りたがらなさそうにしてるように見える時もある」とか言われた。


・・・あ、なんだ。

誰も言わないだけで、別に帰らない理由とかないんだ、と知ってからはあんまり長居しなくなった。

もちろん私だけが毎回言いだしっぺになるのはいやだから、

みんなで「駅に着いたらその時点で解散する」ルールを決めた。

そうしたら、駅に着くまでにやり残しがないよう、他の行動もちょっと変わったりした。


こうなったら貧乏ゆすりのくせはなくなるはずだったのに、

一度覚えてしまったものは、治らないみたいだ。

ちょっとイライラすることがあると、気が付いたら足を揺らす、という状態になった。

これだけ強い癖がついてしまうということは、やっぱりあの時は相当イライラしてたのかな、と思う。

帰りたければ帰る、これだけのことが難しい。トモダチってなんか大変だ。

2010-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20101003232718

そりゃあ、シンプルに言って男が来るからです。

女性が来る店に男が来ないなんてことはあり得ません。

女性の一人客が数多く定着してる」ってことは、お店にとって凄く強い集客要素なんですよ。

これが「女性の団体客が大量にたむろしてる」だとお店を潰す要素になってしまいますが。

だから、長居してろくすっぽ飲まないお喋り客を上手いこと遠ざけ、

一人で飲んでくれる女性客が欲しい!っていうのが大抵のバーテンの偽らざる本音かと。

逆に、「女性客狙い」をやったバーは大体潰れます。

女性団体客ほど、バーにとって経営を圧迫する存在はないですから。その辺りの線引きが難しいんです。

http://anond.hatelabo.jp/20101003224945

一人好きの女増田です。私個人の趣味全開で答えます。

引っ越す前によく行っていたいきつけのダイニングバーの特徴は、

ご飯がおいしい。←凝った料理じゃなくて普通パスタでも盛り付けとか味付けが気が利いてる。

インテリアは高価じゃないけどセンスがいい。

(例 トイレの照明が和むようなライトだとか、要所要所にかわいくて小さな置物があるとかそういうの)

大人数の席がなくて、多くてせいぜい四人掛けくらいの席が何個かあるくらいで、あとはカウンターと二人掛けの席が中心。

そうすると一人でも入りやすいし、長くいられます。大人数のグループが沢山いるとひとり客は長居しづらいというか・・・。

全体的に、“他者への細やかな気遣いが感じられる”店が居心地がいいですね。

個人的にはソーダ割りとか炭酸系のお酒はげっぷが出るので避けてる。

 

私は仕事に疲れてひとりでふらっと飲みたい、でも家飲みはなんか寂しいので、

素敵で落ち着く空間で、おいしいものを食べながらおいしい酒が飲みたくてダイニングバーに行きます。

それと、バーテンさんは気さくな雰囲気だけどガンガン喋りかけてこない人が好ましいです。

あいち独身女性意見として聴いていただければ。

2010-08-22

共産党は具体的に何をしてくれたか(あくまで俺の場合

ホッテントリホームレスだけど、失業保険生活保護もサギだと確信した」http://blog.livedoor.jp/roadtoreality/archives/51595839.htmlの※欄やブクマコメに「共産党に行け」というアドバイスが目立つ。一方で「共産党が何をしてくれる?」という疑問や批判のコメもある。実は今から10年ほど前、俺の人生で最もキツかった時期に、一番助けてくれたのが共産党だった。ただし俺の場合、元エントリ主とは事情が違いすぎるので、直接比較はできない。だが具体的な情報はあったほうがいいと思うので、書いておく。ヘタレなんで増田にさせてもらう。

俺は今、個人事業主をしている。その前に二度、サラリーマン経験がある。元は技術屋だ。最初に勤めた会社メーカだったが、そこの経営がおかしくなって、転職した。

二度目の会社は、素人相手にワープロ表計算ソフトを教えるパソコンスクールだった。技術屋崩れの俺には、そんなことしかできなかった。

だがそこは、最初会社以上に酷いところだった。悪徳スクールだったのだ。外交員が繁華街を歩いている若いカモを捕まえて、5時間でも6時間でも軟禁し、100万近い授業料をローンで契約させるまで帰さないという手口だ。

転職した当初はそんなことはつゆ知らなかったが、実態を知るにつれてショックを受けた。こんなところに長居をすれば、必ず破滅が待っていると思った。

事実、ほどなくして特定商取引法が何度か改正され、悪徳スクールはあっという間に世間から姿を消すが、それは別の話だから省略する。

二度目の会社退職するときも、少なからず嫌な目にあったが、それも別の話なので省略する。

起業しようと思った。サラリーマンはもうごめんだと思った。あてがないわけではない。パソコンスクールだったらノウハウを丸ごとパクっている。あれなら個人でもできる。なにも100万などという法外な授業料を取らなくても、個人事業主として生活していけるだけの収入があればいいのだ。

しかし、事業というのはどうやって始めればいいのか?何から手をつければいいのか?当時の俺は何も知らなかった。

思いつくことは何でもやった。

以前に通っていた英会話スクール経営者に、相談に行ったことがある。一度目は「双方のメリットになればいいですけどね」と協力をほのめかすようなことを言ってくれた。二度目に言ったときには、露骨にうざがられた。こりゃだめだと思った。

親切な声をかけてくれた知り合いの50代のおばさんの家に押しかけたこともある。公営住宅だった。当然、何をしてくれるというわけでもなかった。善人というのは罪深いものだと思った。トマトジュースをごちそうになって、帰った。

通りすがり学習塾に、飛び込みで入って「パソコンスクールを始めたいと考えています。授業が空いている時間に場所を貸してくれませんか?」と頼んだこともある。「空き時間はありません」と、きっぱりと断られた。

そんな俺に手を差し伸べてくれたのが、当時、駅前の繁華街に店を構えていた、共産党系の書籍を扱う書店だった。

そこは店舗の他に10坪ほどの小さなスペースを持っていて、そこでビデオ上映会をやったり美術の展示会をしたりしていた。その場所を貸してくれるというのだ。

貸してくれたのはスペースだけではない。パソコンレンタルで揃えるつもりだった。ところが個人では、1台は貸してくれても複数台は貸してくれない。

幸いその書店有限会社法人格を持っていた。オーナーさんに無理を言って、名義を貸してもらった。なんでも後で話を聞くと、登記簿を持って東京にあるレンタル会社本社まで電車で行ってくれたそうだ。

さらに赤旗の日刊紙と日曜版にチラシを入れてもらった。

たまに出入りする程度の、顔見知りというだけの俺に、そこまでしてくれたのだ。

時あたかもITバブル真っ盛り。スタート早々、10台借りたパソコンは連日フル回転となった。これ以上ないという好スタートを切ることができた。

だが何となく「こんなことは長く続くはずはない」という予感がした。俺の人生で、うまく行くことが長続きしたためしはない。

程なく、当時の森首相提唱によるIT講習会というのがスタートした。自治体主催無料パソコン教室である。

当時の政府は、口先では「官業による民業圧迫にはならない」とか言っていたが、現実にはうちのパソコン教室の売上は、一気にゼロ近くにまで落ちた。当時パソコン教室最大手だったアビバは、会社更生法適用を申請している。

しかし俺は、なんとかサバイバルできた。好調な間にも、打てる手はなんでも打った。その中には「2ちゃんねる本の出版」なんてのも含まれている。売れなかったけど。俺が今こうして生き残っていられるのも、そうして打った手の一つが当たったからだ。しかし現時点では、それを書くことはできない。個人の特定につながるからだ。

俺が最初スタートさせたパソコン教室は、もうない。それどころか書店そのものが、今では駅前から姿を消してしまっている。だが俺が生きている限り、共産党以外の政党を支持するつもりはないし、共産党立候補者がいない選挙でも、自民党だけには未来永劫投票しない。

しんぶん赤旗の購読も続けている。毎日のように共産党失業者ホームレスを支援する記事が載っている。元エントリブコメに「共産党が金貸してくれるとでも?」というのがあった。くれるよ!当面の生活費の貸し出しなど日常茶飯事だ。

2010-03-06

大なんとか団の最期

????????

「終わったようね、???。引き上げるわよ。




??????

朝倉兄はどうしたのであるか?




????????

「たった今、連れていったわ。・・・泣いて命乞いしてたよ。




??????

「まさかあそこまでヘタレだとは聞いていなかったからな。




????????

「そうね。さ、長居は無用よ。




??????

「よし、最後の仕上げにとりかかるぞ。我々がここに来た痕跡を消すんだ。

 おまえらは、この砦に火を放て。念のために、他の登場人物どもが死んでいることも確認しておけよ。




????????????

「さっさと歩けッ!!




???????????

「???様、聖騎士影武者です。まだ息がありました。




??????

「ふん。しぶといヤツである。




闇子

「・・・・・・こ、殺せッ。

はぁ、はぁ・・・・・・




??????

「死に損ないの分際で命令するつもりかッ

 よぉし、この女はおまえにくれてやる。好きにしろ!




???????????

「さっすが~、???様は話がわかるッ!



闇子

「さわらないで・・・・・・

 ・・・お願い、やめて・・・・・・

2010-01-21

今日三菱UFJでの出来事に違和感を感じた

自分はフェアな判断・実感を持てたのか知りたいので増田で書いてみる。



今日の昼に貯めていた小銭を銀行に預け入れにいきました。

こつこつ小銭を貯めて、1年でどれぐらい貯まったかってやるのを楽しみにしてます。

毎日帰宅して気づいた時に財布の100,500円以外の硬貨を箱に貯めていく感じです。

で、毎年年が明けた1月にそれを銀行に持っていきます。

やっと銀行に行くタイミングができたので、それで今日行ってきました。

わくわくしながら!

たぶんこつこつ貯金する人はみんなこの瞬間が好きなはずです。

メインバンク三菱東京UFJ銀行、サブバンク三井住友銀行にしているんですが、

この小銭貯金は毎年サブの住友に入れていました。

これに根拠はないのですが、たぶん最初なんとなく持ってったのが住友だったんだと思います。

これを数年続けています。

ちなみになぜUFJメインかと言うと、単純に最大手だからってだけです。

特に行員のサービスを評価した、とかそういうのではないです。

しかし銀行を選ぶ際の基準ってそうないのではないかって思います。

私は以前、国内大手の証券会社に勤めていましたが(Nではない)、

営業しててもやっぱりその会社の「規模」で根拠無く取引している人が多かったです。

まあでも正直自分の勤めていた会社にしても、他社とどう違うの?って聞かれると詰まりますが・・。

実際すごい細かい点であるんですけどね。

毎年、三井住友銀行では窓口で預け入れをお願いしたら、

箱いっぱいの硬貨をじゃらじゃらーっと機械にかけて計算してくれていました。

んで数分したら集計結果を教えてくれて、あとは普通に預け入れの手続きを完了。

なんのストレスも手間もなく、店が空いてる時は10分か15分ぐらいでOKでした。

今日もそういう流れを期待して行ったんですね。

あ、なんでUFJだったかというと、単純に住友カードを忘れたからです。




私:受付のカードをひく →待ち時間がなく、すぐに窓口へ

私:「すいません、預け入れをお願いします」

窓:「あ、はいお預け入れですね、ありがとうございます」

私:「硬貨のみで、すごいいっぱいあるんですが・・」

  かばんの箱を取り出す

窓:「硬貨ですね、かしこまりましたぁ」

私:「すいません多くて・・」

窓:「いえいえ、大丈夫ですよ。ご入金の金額はおいくらですか?」

私:「え?」

窓:「あ、お預け入れされる金額のことです」

私:「えとーー、全額入金してほしいんですけど」(一部とかかと思って)

窓:「いえ、ですから合計おいくらご持参されているのかと・・・」

私:「え、これ、僕が数えるんですか??(汗)」

窓:「はいぃ。。」

私:「これ全部一枚一枚ですか??!(・・んなわけ)」

窓:「ええ、そうですね。」

私:「あの、窓口での預け入れだったら、こう、機械でざーーっとってできないんですか?(汗)」

窓:「あぁ、以前はあちらのATM機のコーナーにあったんですけれど今はなくなりまして・・」

私:「でも窓口だったらできるんじゃないかと思って窓口にきたんですけれど・・・」

窓:「こちらではちょっと・・あの、お預け入れでしたらATM機で・・」

私:「(めちゃんこあるんだけど・・と思いながら)あぁーーっと、硬貨を・・ですよね?」

窓:「そうですねえ、一度に扱える数に制限がございますので何回かに分けて頂いてですね」

私:「(えーーめんどくせーなぁ)あ、はい、そうなんですね、わかりました、じゃあそうします」

窓:「申し訳ございません」

私:「いえ、ありがとうございましたぁ。」



というやりとりの後、ATMへと向かいました。

ド平日の真っ昼間なのですぐに順番が回ってきました。

いつものようにATMを操作。

【預け入れ】→【硬貨のみ】を選択で、硬貨を投入。

最初は右奥の硬貨ボックスみたいなとこが、がーっと開いてじゃらじゃら流し込めるのかと思っていた。

ATMで硬貨の預け入れとかをしたことなかったので。

そしたら自販機のように硬貨を細長い穴に入れていかなくてはならない・・。

「おいおい、これってめちゃくちゃめんどくさいんじゃ・・?」

比較的穴に幅があり、一気にじゃらじゃらじゃらーっと入れることはできるものの、

それこそ結構な量があったので、なかなか進まないんですね。

こちらもあんまり時間がないし(その後すぐに予定があった)、効率的にやろうと、

ある程度硬貨を溜めてから入金しようとしていました。

そしたら手続きを進めないと時限性で「最初からやりなおして」の声で初期画面に戻ってしまう。

しかたなく、こまめに入金していくことに。

しかし入金すること3回目で、いきなり取り扱い中止になってしまう。

おいおいまじかよ、と思っていたら行員が来て、

「ご迷惑をおかけいたします、少々お待ちください」

と言って裏へ回って機械をいじりだした。




で、いったいどれぐらいかかるんだろう・・?



そもそもATMに回された時点で少し腹がたっていた。

まず、銀行ATMの利用者として、あまりATM長居したくないという心理が働く。

これも誰にでもあることだと思います。

今回の場合だと

・整理のおじさんの目が気になるし、

・数があると言えど、利用者が多いATMをずっと占有する罪悪感、

・あとじゃらじゃらーーっと音がするから結構恥ずかしい。



そしてATMが止まる。



これって銀行では普通の対応なのかな?なんて疑問もちらほら出てくる。

「いや、おれが間違ってんじゃないだろ」とか、

「あーでもきっとこれがマニュアル通りで、硬貨を大量に持ってくるおれが悪いのかな」とか。

でもよく考えたら缶詰の貯金箱とかあるし、そういう人ってどうやって入金すんだ?って思い、

やっぱ私は正当な預け入れ方法(窓口でケリをつける)を希望したはずだ!と確信したり。。



約10分ほど(体感では15分ぐらい)待ち、ようやく行員が出てきた。

行員:「おまたせしました、○○さま、ご入金した金額はおわかりですか?」(その時に入れた硬貨の量)

私:「(わかるわけないので)いえ、わかりません」

行員:「そうですよね・・、ではこちらお返しいたします」

と、出てきた硬貨とキャッシュカードを返してくれる。



硬貨預け入れ再開。

今度は慎重にと、さらに小分けにして入金。

ここからはATMも順調に動いてくれました。(たぶん硬貨入れがからっぽになったんでしょう)

だいたい15回ぐらい手続きをしたと思います。

この時点で30分以上経過したと思います。

っていうかATMの復旧作業中に10分ぐらい待ってたんですが、

ATMで何もせずにいるのってかなり苦痛なんですね。

とにかく人の目が気になるし。

まあ意識しなくてもいいですけどね。




それにしても、なぜ窓口で対応してくれなかったのか、という点が気になります。

ATMが無いと、当然手続きを全て人の手でやることになります。

誰でもわかることですが、人件費がかかります。

しかし、今回の件にしても、

・行員がATMの硬貨がいっぱいになるので抜き取る手間と、

・私がATMを長く使うことで他の利用者が待たなくてはならない

というコストがかかります。

これは企業として正しい対応なのでしょうか。



顧客用の硬貨を集計してくれる機械を撤去したにせよ、

窓口で対応したらいいのじゃ?という考えに素人としてはなります。

実際、毎年行っている住友ではそうしてくれます。

すぐに終わります。

今回のように、「もうUFJは嫌だなあ」ということにもなりません。

結局、どうにも腑に落ちなかった一件でした。




ちなみにどれぐらいの硬貨を入金したのか計算してみました。


まず入金総額が7047円でした。

硬貨の枚数ですが、だいたいの感覚で、50円と10円、5円・1円がそれぞれ3分の1ずつぐらいです。

この条件で計算すると、硬貨の合計が336枚になります。

50円=112x50=5600円

10円=112x10=1120円

5円= 56x 5= 336円

1円= 56x 1= 56円

合計= 7056円

だいたい入金額とニアリーです。




実際336枚の硬貨をATMに入金するというのは、どうなんでしょうか?

もし銀行員の方がいたら教えていただきたいのですが・・。

例えば何枚以上なら窓口、以下ならATMへ誘導する、みたいなマニュアルはあるのでしょうか?

それとも、銀行の中でもUFJの中でもこの大阪東北部のH支店だけなのでしょうか?

それにしても、あまり気持ちの良い対応ではなかったなぁと思います。

この増田にしても、最低限の文章的演出以外は、実際を極力再現しています。

果たして私はフェアな行動をとって、フェアな感覚UFJサービスに不満を持ったのでしょうか・・。




小銭をこつこつ貯金する。

こうした習慣を持つ人は全国に相当数いると思います。

例えばお小遣いをこつこつ貯める子供もいるはずです。

それが貯まった子供はきっと親と一緒に口座を開設して預け入れるでしょう。

私もそうですが、小さい頃母親に開設してもらった口座がまずはメインバンクになりました。

長年使い続けています。

何が言いたいかというと、銀行にしては本当に少しの金額についてのことですが、

全国でこうした「小さな入金」が非常に多くあるということで、

それが将来的に銀行にとって無視できない影響力を持つということです。

私が住むH市にはメガバンク地銀信金など多くの銀行があります。

今思えば三井住友銀行での窓口対応は気持ちいいものでした。

最初こんな小口のしかも硬貨ばかりのめんどくさい客は嫌だろうなーと思っていました。

しかしいざ窓口へ行くと、そんな表情ひとつせず(まあ接客ですからね)、対応してくれました。

公正を期すために言いますが、今日UFJの窓口の対応も、接客自体は良かったです。

係の女性はとてもにこやかでいて、きちんとした口調で対応してくれました。

私が不満に思ったのは、手続きの流れとしての対応です。

しかし、私の最寄りのUFJ銀行支店が今後ATMでしか硬貨を入金できないのなら、

少なくとも住友を贔屓にしていくことになると思います。

金融機関銀行だけでなく、各業界ともにそういった信用や評判が大切です。

もし今回の件のような対応がUFJの真意ではないのなら、

改善を検討して欲しいなあと思います。

私はMUFGの味方でもSMBCのファンでもありませんが、

消費者として、より消費環境改善を望んでいます。




この増田がよりフェアなリファレンスとなるように、

誰か銀行員銀行業務に詳しい人が来てくれることを望みます。

2010-01-19

これこそ逃避

 つづき

 http://anond.hatelabo.jp/20100116012129



 逃避ってどんなものかと聞かれれば、いまの僕がそうだと真っ先に挙げる。現実と折り合いがつかず消化ができず、ちいさな軽自動車であてのない旅に出る。これこそまさにと思う、しかも由緒正しい逃避の旅。

 東北都市マクドナルドはひとけがなく、昼時だというのに店員の声が聞こえるのはたまに。閑散とした店内の奥のほうで長居をして、ぬるくなったコーヒー片手にノートPCをいじっているとそんな気持ちが首をもたげる。都会の仕事を辞めて、実家を継ぐことにしたのも半ば投げやりだったし、子どものころから親の仕事を見ていたからと言っても、正直なところ田舎の酒屋の跡取りになることに実感がわいてこない。そんな息苦しさから逃れようと企てたのが日本じゅうの岬を回るという計画で、半月ばかり車を走らせるうちにだいぶ気分が晴れて来ているのだとは思う。

 それでもときどきこんな心地になる。

 これは逃避だって。由緒正しくてもれっきとした現実逃避で、いつか現実に戻らなければならないって。

 山形から秋田青森岩手を回るうちに、日本海から津軽海峡太平洋と潮の色が変わっていくのを見た。押し寄せる波がどこも違うのを確かめた。海からの風を全身で浴びるのは快いものだし、誰もいない岬で砕ける波音に耳を澄ませながらシャッターを押すことがこれほど開放感に浸れるものだとは思わなかった。ずっと続く海岸線の青をただ見つめながら軽を走らせることも気に入るようになった。

 98年式のスズキのポンコツもすっかり相棒の風体で、近いうちに廃車にしなければならないのが名残惜しくなる。使いつぶすつもりで、実家の車庫の奥から引っ張り出してきたのに。

 今日回る予定の岬をチェックしながら、ちらりとPC時計を見る。

(間に合うかな、また帰還は深夜かな)

 僕は同乗者を待っていた。

 昨夜ひろったヒッチハイカー、察するに家出最中であるらしい。雨の夜の国道でずぶぬれになっていた若い女の子で、大阪の友人の家まで行くのだといい、正直なところそれ以外のことを僕は何も知らない。仙台着が深夜になり安宿に泊まらせたが、朝になって大阪へはあなたの車で行くという。

 いわく、あなたは優しくて善良で、こんな幸運はめったにないから、とのこと。

 お金出すから電車で行けばというと、わたしもふらふらしたいのだと言う。

 由緒正しき岬めぐりをふらふらだと言われていい気はしないが、彼女も僕と同じように逃げたい現実があるのだと、そう思うことにする。本当に何も持たずに逃げ出してきたというので、服代を持たせて買いに行かせて、もう三時間はたっている。

(しまったな、何時までに帰ってきて欲しいと言うべきだった)

 これで帰ってくるのが三時になれば、今日の計画は全部おじゃんで一泊の宿泊代が無駄になる。諦めて昼食をとろうかと思ったけれど、一時までは待つことにする。そうやって無為に時間が過ぎていくのは苦痛ではあるが、せっかくはしゃいでいる彼女を見ると、まあ、それぐらいは我慢するかというぐらいの余裕は持てる。

 女の子だからそこまでしてあげるのかと考えて見て、きっと男であっても同じ事をしただろうと思う。

 雨の国道で車に乗せてやり、ヒーターを全開にして、タオルを渡し、コーヒーを飲ませる。それからとりあえず仙台まで送る。きっとやったはずだ。違いがあったとすればもっと遠慮なく事情を聞いて、ツインの同じ部屋に泊まっただろうという事ぐらい。

 ノートPCから視線を上げて考える。

(一緒に行くと言われて連れていくことにしただろうか?)

 それも結論は同じ。

 たぶん僕はその少年助手席に乗せて旅をしただろう。

 結局のところ僕が欲しかったのは道連れの旅仲間で、車で旅する限りガソリン代にそれほどの違いはない。むしろ同乗者が女の子だから生じる諸問題の方が大きいわけで、それが女の子であることによって相殺される。旅の仲間が同姓であればそれはにぎやかで楽しくなるが、異性であれば華やいだ心地になる。

 コーヒーを飲み干したことに気づきレジカウンターに立つ。

 オーダーをしながら、出ていった彼女の事を思う。

「お客さま、おつりです」

 ぼっとしていた。

 そのままコーヒーを貰って、ぼんやり小銭をポケットに入れる。

 やっぱり、撤回

 ひろったのが女の子でよかった、それも彼女で。



 お待たせしましたとの声を聞いて顔を上げたのは一時半をまわった頃だった。

「ぎりぎりになってしまって」

「お帰り、ずいぶんかかりましたね」

 のんきにPCを片付けるはじめながら、ユニクロイトーヨーカドーしまむら、あちこちの衣料品店の袋を抱え、恥ずかしそうに向かいの席に座る彼女をみる。

「なんか、いろいろ迷っちゃって」

 ポケットからお金を出され、余った予算を渡される。

「持ってて下さい。消耗品とかあるでしょうし」

「あ、なるほど」

 緊張ぎみにそれをポケットにしまいながら彼女はいう。

「牡鹿半島ですよね。けっこうぎりぎりですよ? わたし、土地勘あるんです、この辺。行って帰ってこれるかな?」

「あ、日没までに向こうに着ければ、帰りは深夜でもいいんです」

 一瞬意味がわからないと目をしばたかせたが、門限や最終電車などない気ままな旅なのだと思い出して、なるほどと感心する。それからレジカウンターに駆け寄り、遅めの昼食をテイクアウトする。彼女の衣類を後部座席に積み上げ、エンジンをかけると、胸が高鳴った。彼女マクドナルドの包みから僕の分を置いたのを確認して、車を出した。

 仙台から牡鹿半島まではほとんどが国道45号で、松島までは大観光地のど真ん中を行く。それでも松島を過ぎると山間に入り、鳴瀬川を越えるとまた町中を走る。牡鹿半島はその外れにあり、目指す黒崎という岬は両側を大きなふたつの島にはさまれた、珍しい岬になっている。

遠足で行ったんです。釣り客が多かったって印象があります」

 チーズバーガーをほおばりながら彼女は言う。

「多いだろうね。格好のスポットだものね、町からも近いし」

 調べたところ、牡鹿半島宮城県屈指のレジャースポットを形成していて、当然ながら海で楽しむ事には退屈しそうにない。しかし、今日岬めぐり特急の弾丸旅行になりそうで、天気予報を聞く限りは天候には恵まれていた。

「そう言えば、学生さんなんですか? 聞いてなかった」

 何気なく聞いてちらとみると、あっと口を開いて、気まずそうにする。自己紹介さえしていなかった事に気づいたのだ。

「カワシマです。そうなんです。実家から仙台大学に通ってて」

実家?」

「うち貧乏なんです。だから、とてもひとり暮らしをさせるお金はないって、実家から通えるところへ。ひどいんですよ。大学まで片道二時間以上かかるんです、もう4年ですから、慣れてしまいましたが」

 僕はふと気づいて聞く。

「じゃあ、定期とか持ってないの?」

「あ、いまは学校休みだから。定期はいつも一ヶ月定期なんです」

 まずいことを聞いたと、うつむく彼女を見ながら思う。

「でも、聞いて下さい。それでも一ヶ月の定期代が二万円もするんですよ? 二万円です。信じられます?」

 たしかに彼女にとって移動は高嶺の花の代名詞で、閉鎖的な田舎実家から逃げ出すにはヒッチハイクしかなかったのだと、僕は気づく。彼女が言うように運転手が、あまり危険性がなく、安心していられ、自分の望みを聞いてくれるのであれば、これは幸運であると思うであろうし、その幸運に飛びつきたくなる気持ちもわかった。自分の自由になる車がなければ実家に閉じこもっている以外になく、大学実家の行き来に膨大な時間を費やす以上、ほとんどがその移動に費やされたに違いない。牢獄から牢獄へ。あまり遊び慣れていないからはしゃいでいるのだと、気づく。

(あなたに出会ったのは幸運か……)

 それならばと明るくする。

「じゃあ、牡鹿半島楽しみましょう!」

 きょとんとする彼女を尻目にCDをかける。

 こういうのはベタなのがいいのだ。

 岬めぐりが車内に流れた。

 やけっぱちにはちょうどいい。



 ■シリーズリスト

 ・女の子ひろった

 http://anond.hatelabo.jp/20100116012129

 ・これこそ逃避

 http://anond.hatelabo.jp/20100119221742

 ・すごい彼女

 http://anond.hatelabo.jp/20100123005026

 ・ふたつ恋した

 http://anond.hatelabo.jp/20100204210025

2009-11-16

徒にスクロールバーを長くさせるだけの迷惑極まりない掌編

ぱがん、と、乾いた音が耳を突いた。まどろみに埋もれていたわたしの意識が、急速に引き上げられていく。気だるげに開いた眼は、薄暗く静寂に沈んだログハウス天井を視界に捉えていた。

ぱがん、と、乾いた音が再び聞こえてくる。のっそりと上体を起こしたわたしは二段ベッドの上から室内を見渡し、まだサークル仲間の誰も彼もが目を閉じたまま微動だにしない様子を確認すると、がりがりと寝癖のついた頭を掻いてしまった。

もう一度眠ろうかと考えた。予定では、今日は引率している野獣の如き子ども達を宥めてオリエンテーリングに向かわせなければならなかった。下手に寝不足のまま参加してしまえば足手まといになってしまうだろうし、やつれて無駄に疲れてしまうことが目に見えて明らかだった。

やっぱり眠ろう。決めて身体を横たえて瞳を閉じる。小さく、仲間達の呼吸が小さく聞こえてきていた。意識はじゅんぐりと眠りの海に沈み始める。布団を引き寄せて、身体を小さく抱え込んだ。温もりが再度まどろみに沈んだ身体にとても心地いい。

ぱがん、と、三度あの音が鼓膜を振動させた。瞬間、わたしの瞼は何者かに支配されたかのように勢いよく見開かれる。まだ浅いところで引き上げられてしまったせいで、とうとう完璧に目が冴えてしまった。こんな朝っぱらからうるさいなあと少し腹が立ったわたしは、仲間達を起こさないよう静かにベッドから降りると、懐中電灯を持ってひとりログハウスの外へと足を向けてみることにした。

「……すごい」

扉を閉めると同時に、立ち込めていた噎せ返るような濃霧に、思わず呟いてしまっていた。少し息が苦しいような気がする。まるで水底に立っているかのようだと思った。山間だというのに立ち並んでいる木々の姿さえも確認できない。濃密な霧の姿に、わたしは途方もなく圧倒されてしまった。

霧はまだ陽も昇っていない早朝の薄闇の中、心なしか青白く色付いているように見えた。纏わりつく気配の中手を動かすと、水流が生まれるかのように顆粒が小さな渦を巻く。懐中電灯がなければとてもじゃないけれど踏み出せそうにはなかった。霧のせいで迷子になってしまう恐れがあったのだ。ともすれば壁だと錯覚してしまいそうなほどの密度を持った濃霧は、その奥底に圧倒的な幽玄を潜ませながら、音もなくキャンプ場を覆い尽くしていた。

そう。本当にあたりには何も物音がしなかった。鳥の鳴き声も、梢の囁きも、虫の音までも、一切が外気を震わせていなかった。空間を満たしているのは、どこまでも深い霧ばかりだ。昨日来たときには煩わしいほどに感じられた生き物の気配は、どれだけ耳を研ぎ澄ませてみても拾い上げることができなかった。

先ほどの言葉でさえも、口にした途端に濃霧に絡め取られてしまったのだ。生き物達の振動も、片っ端から霧に呑まれて分解されているのかもしれないと考えた。

ぱがん。辺りにまたあの音が谺した。随分近くで。あるいはとても遠い場所から。あの音だけは、やけに周囲に響き渡っている。まるで、霧があえて分かりやすくしているかのように。わたしは音がした方向に向けて懐中電灯の心細い光を放つ。

「誰かいるんですか?」

返事の代わりなのか、しばらくしてから再びぱがん、と音がした。導かれるようにして、わたしは濃霧の中に一歩足を踏み出す。一定の間隔で聞こえてくる音だけを頼りに、見通しの悪い、すでにどこにログハウスがあるかも分からなくなってしまった霧の中を進んでいく。

唐突に、光の円の中にひとりの老人が浮かび上がった。

思わず息を呑んで立ち尽くしたわたしの目の前で、どこか古めかしい翁のような雰囲気を纏った老人が手にした斧を大きく振り被る。耳に張り付いてしまったあの音を響かせながら、刃が突き刺さった丸太はぱっくりと左右に割れて落ちた。

「お早いのう」

こちらに振り返ることもしないで黙々と薪を割っていく作業を続けながら、老人が言った。

「音が聞こえましたから」

「ああ、そうじゃったか。……もしかして起こしてしもうたかな?」

言いながら老人は斧を振り被る。ぱがん。薪が割れる。

態度に少し気分を害したわたしは不機嫌を装って返事をした。

「まあね。うるさかったから」

「そうじゃったか。それは申し訳ないことをした」

と、老人はまったく反省したような素振りを見せずに口にする。なんなんだ、この人は。思ったわたしは口を噤むと思い切り睨みつけてやった。友達から、怖いと評判の眼差しだった。止めた方がいいよと。

けれど、老人は意にも介さない。丸太を立てて、斧を振り被って、割れた薪を横に積み上げていく。

漂い始めた沈黙と続く変化のない作業に、先に耐え切れなくなったのはわたしの方だった。

「あなたは、この辺りに住んでいるの?」

「ええ。長いもので、かれこれ三十年近くになりましょうかね」

「こんな朝早くから薪を割りにここまで昇ってくるんだ?」

今日はちょうど薪を切らしてしまっていての。寒いし、こりゃあ大変だということで、急いで準備に取り掛かったんじゃよ」

「でも、この霧だと大変じゃなった? よくここまで来られたわね。住み慣れた経験がものを言ったのかしら」

少し嫌味っぽく言うと、老人の口許に淋しそうな笑みが浮かんだ。その表情に、わたしは思わずどきりとさせられてしまう。老人は一度作業を中断させると、腰を伸ばしてから額に浮かんだ汗を拭った。

「深い、とてつもなく濃い霧じゃからなあ。あなたも驚かれたんじゃありませんか?」

「え、ええ。まあ」

「息が詰まって、溺れてしまいそうだと思った」

発言に、わたしは無言のまま頷く。老人は初めてこちらに目を向けると、とても柔らかく微笑んだ。穏やかな、それでいてどこか影の差し込んだ微笑だと思った。

「私も、初めてこの霧を経験した時にはそう思ったもんじゃからなあ。とんでもない霧だとな。けれども、いい場所だとは思わんかね。神聖な気配が満ち溢れているような気になる」

「神聖?」

突飛なキーワードに思わず声が口をついて出てしまった。

「ええ。ええ。そうじゃとも。この辺りには神聖な気配が満ち満ちておる。とりわけ、こんな濃霧の日にはの」

言って、老人は濃霧の向こう側を、その奥底を眺めるようにそっと目を細めた。

「……辺りを少し歩いてきてみたらどうですかな。きっと、とても気持ちがいいはずじゃよ」

しばしの沈黙の後、再びわたしの方を向いた老人は穏やかに微笑んでそう提案してきた。

「それに、もしかすると今日不思議なことが起きるかもしれない」

不思議なこと?」

繰り返すと、老人はこくりと頷いた。

「ええ。まあ、噂にすぎないんじゃがね」

そう口にして苦笑した老人に、わたしは最早当初抱いた不快感を消し去ってしまっていた。この人は少し仕事に集中していただけで、本当は親切ないい人なのだ。そう思うことで、優しくなれるような気がした。

「あんたなら、あるいは出会えるかもしれん」

口にした老人に、ありがとう、と礼を言うと、わたしは言われたとおり少し辺りを散策してみることにした。依然として先の見えない濃濃密密たる霧には変化がなかったものの、どういうわけか迷子になって帰られなくなる、といった不安は感じなくなっていた。ぱがん、と背後から断続的に薪割りの音が聞こえてきたからなのかもしれない。わたしの足はずんずんと霧の奥へと進んでいった。

どれほど歩いたのか、濃すぎる霧はわたしから時間感覚を奪ってしまったようだった。ぱがん、と聞こえる音の回数も、五十を過ぎたあたりから数えられなくなっていた。

一体、ここはキャンプ場のどの辺りなのだろう。どこをどう進んで、どこまでやってきたのかが分からなかった。劣悪すぎる視界は距離感覚も曖昧にさせてしまっていたのだ。加えてどういうわけか聞こえてくる薪割りの音はいつも同じ大きさだった。遠くもなることも、近くなることもないせいで、同じ場所をぐるぐる回っているような奇妙な感覚に陥ってしまっていた。

先の見えない霧の中、疲労にがっくり項垂れたわたしは、とうとうその場に屈んで、膝に手を置いてしまった。上がった呼吸を整えながら、もうそろそろあの老人の許へ帰ろうかと考えた時だった。

幼い笑い声が耳に届いた。

驚き、わたしは素早く顔を上げる。聞き間違いじゃないかと思ったのだ。引率してきた子ども達がこんな時間に外出しているはずがないし、そもそもその声がこの場所で聞こえるはずがなかった。

わたしは膝に手を突いたまま硬直して、こんなことはありえないと念じ続けていた。目の前にいる何かを幻だと理解しながらも、どこかでそうではないと信じていたかった。

再び笑い声が響く。たった三年だったにも関わらず耳馴染んでしまった、最後に息を吸う特徴のある、誰が笑っているのかを知っている声が谺する。

視界に映った霧の中で、その影は確かに楽しそうに口角を吊り上げていた。

「七恵なの……?」

呟くと、ひらりと身を翻して小さな子どもの姿をした影は霧の奥へと駆け出してしまった。

「待って!」

叫び、わたしは全力で影の背中を追う。疲れた身体の都合など知ったことではなった。実際、膝はすぐに悲鳴を上げ出し、やがて横腹も痛みを訴え始めた。いつの間にか木々の間に入ってしまっていたらしく、足場が安定しないのも苦しかった。

けれども、それでもわたしは身体に鞭を打った。影を追わなければならなかった。ここにいるはずのない、ましてやこの世に存在しているはずのない妹が、いま目の前を走っているのだ。どうして追わないことができよう。彼女に伝えなければならない言葉をわたしはずっと胸のうちに秘め続けていた。

掠れ始めた呼吸音と、立ち込める霧そのものが発しているかのように響く七恵の笑い声を耳にしながら、わたしはあの一日のことを思い出していた。決定的に何かが失われてしまった、手を離すべきではなかった日のことを。

あの日まで、わたしはお姉さんだった。三歳になったばかりの七恵を、監督し守ってあげなければならない責任があったのだ。

なのに。

先を行く七恵の影は、どうやら現状を鬼ごっこか何かと勘違いしているらしい、奇声のような歓声を上げながらするすると木々の間を縫い進んでいく。

「待って……待って、七恵」

もう手放さないから。絶対に、必ず握っておくから。

――だから、もうどこへも行かないで……!

ぎゅっと閉じた瞼の裏側に、あの日の光景フラッシュバックする。病床に臥していた祖母のお見舞いに向かっていたのだった。病室でわたしは暇を持て余していた。近くにいるように母に言われていたのに。七恵を連れて院外へ出てしまった。

近くにあった商店街。立ち止まり見惚れてしまった文房具店。陳列されたいろいろな文房具は、小学生になったばかりだったわたしの目に、キラキラ光っているように見えた。どれもこれも可愛くて、熱中してしまた。

握り締めていたはずの七恵の小さな掌の感触。いつの間にか、なくなってしまった感触。

生々しく思い出せるが故に、後悔は杭となって打ち込まれていく。鈍痛は、いまなお血と共に滴り続けている。槌を振るにやけ顔の罰は、愉快そうにこう告げてくる。

「おいおい、なにを寝ぼけたことを言ってるんだ。それだけじゃないだろう。お前の罪はそれだけに留まらなかったはずだ」

そうだ。そのとおり。文房具から目を上げたわたしは、隣に七恵の姿がなかったことをかなり早い段階で認識していた。その時点でわたしが探していれば、もっと違った現在があったかもしれなかったのだ。

幼かった七恵。まだ三歳になったばかりだった。生意気で、なんでも真似して、両親の愛情まで奪っていって――。わたしは邪魔だったのだ。幼い独占欲は、妹の存在をうっとおしく思い始めていた。

わたしはあの時、本当は喜んでいたのだ。疎ましい七恵がいなくなったと。人通りの多い商店街の中で、これでようやく好きなだけ文房具と向き合えると思ってしまっていた。

失った感触。温かくて柔らかくて、小さかった脆弱な掌。

両親は血相を変えてわたしたちを探しに来た。どうして急にいなくなっちゃったの、と、鬼のように母さんに怒られた。それから、父さんが言った。

「七恵はどうした」

ななえはどうしたななえはどうしたななえはどうした……。

わたしは言葉を何度も頭の中で転がした。意味を理解しようと努めた。そして、同時にかっと全身が暑くなって、唇が動かなくなってしまった。

「ねえ、七恵は。七恵はどこに行ったの?」

怒ったままの鬼の母さんまでもが々ことを口にする。わたしは俯いた。父さんは周りを見渡しながら困ったなと呟いたはずだ。探してくる、と駆け出していったから。

「どうして勝手に抜け出したりしたの」

母さんはヒステリックに叫んでいた。思えば、あの時すでに最悪の事態を予想していたのかもしれない。当時、近くの町で未解決の誘拐事件が発生していたのだ。高圧的に、そして混乱しながら怒鳴り散らす母さんの声を、わたしは俯いたままぐっと唇を噛んで耐え忍んでいた。

罰が愉快そうに口にする。

「そうだ。思い出すんだ。お前の罪がなんなのか。本当に最悪ないことはなんだったのかを」

母に怒られながら、しかしわたしは七恵の手を離してしまったことを後悔していたわけではなかった。むしろ、七恵を恨んでいた。勝手にいなくなって、そのせいでわたしが怒られてしまったのだと、やっぱりいらない奴だと考えてしまっていた。

だから、わたしは泣かなかったのだ。いくら怒られても、いくら詰問されようとも。そして、時が経つにつれて本当に泣くないようになってしまった。

記憶は正確に当時の状況を把握し続けている。行き交う人波の中から戻ってきた父の表情。分からない、との呟やきを耳にした後の母のパニック。宥める父と泣き崩れた母の姿。ようやくわたしにも事態の深刻さが理解できかけてきたのだった。両親が人目も憚らず取り乱す姿なんて後にも先にもこの一件以外に見たことがなかった。

警察への連絡、掴めない足取り、過ぎていくだけの日数、憔悴していく両親。わたしは何も言えなかった。言えなくなってしまった。そもそも言う権利など、端から存在しなかったのだ。

誘拐事件への疑い、寄せられた怪しい人物の目撃情報。七恵は、商店街の出口付近で、若い男に手を引かれていたのだという。

そしてその翌々日。

七恵は、近くの池に浮かんでいた。寒空の下、下着姿でぼんやりと漂っていた。性的暴行を受けた末に、死体の処理に困った犯人に投げ捨てられたのだった。その後、連続誘拐犯の若い男は逮捕され、死刑が決まった。

けれども、もうなにも蘇らなかった。わたしのせいでわたしは、わたしの家族は、そして七恵は、どうしようもなく損なわれてしまった。もう二度と元へは戻れない。失われた存在の代償など、七恵本人以外にありえるわけがなかった。

足がもつれる。転びそうになってしまう。前を向いて、歯を食いしばり、泣き腫らしながらわたしは走り続けている。影に追いつかなければならなかったのだ。あの掌を握り締めることだけが、わたしにとって可能な唯一の贖罪だった。

唐突に影が急に立ち止まる。限界を通り越した身体で追いすがるわたしに振り向くと、にこりと微笑んだ。表情など見えないはずなのに、なぜか笑っていると理解できた。同時に、迎えなければならない別れの予兆も感じ取れた。

「な……なえ……」

息も絶え絶えにそう呼びかける。七恵はどうしてわたしが苦しみを抱いているのか分からないといったような顔をして、首を傾げる。

「ごめん、ごめんね、七恵。わたしが手を離したばっかりに、わたしはあなたを死なせてしまった」

そう、全てわたしのせいなのだ。幼いわたしの自分勝手な考えが、全てを反故にしてしまった。用意されていたはずの七恵の未来も、温かな家族の団欒も、些細な笑い声さえも、残された家族から損なわせてしまった。

崩れ落ちるようにして膝を突き、両手で落ち葉を握り締める。瞑った両目からは、涙が零れ落ちていった。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

この言葉しか口に出せないわたしの肩に、そっと手が触れたような気がした。

顔を持ち上げる。霧の中で七恵は満足そうに笑っている。影の腕が動いて、大きく左右に振れた。口が動いたのが見えなくても分かってしまった。

さよならの合図だった。永遠の別れ。奇跡は二度とは起こってくれないだろう。

焦ったわたしは手を宙に伸ばす。待って。行かないで。もうどこにも。この手から離れないで。そうじゃないと帰れなくなってしまう。あなたは二度と帰られなくなってしまう。

膝を立てて懸命に、力の入らない足を遠ざかりつつあった影に踏み出そうとした瞬間だった。霧の向こう側から、鋭い陽光が網膜を貫いた。

そのあまりの輝きに堪らずわたしは目を閉じる。瞬間、周囲を穏やかな風が通り抜けていった。柔らかな、優しさに満ち溢れた風だった。

ゆっくりと瞼を開く。あれほど濃密で深かった霧がすっかりと薄くなり始めていた。見れば、手を突き出した先の地面は、すとんと途切れてしまっている。山の断崖に出ていたわたしは、昇り始めた太陽に照らされた雲海を、裂け分かれていくようにして音もなく消えていく霧の姿をじっと目に焼き付けることとなった。

壮麗な光景言葉を失っていた最中、そよいだ風の合間に幼い声を聞いたような気がした。バイバイおねえちゃん、と聞こえたその声は、紛れもなく妹のそれであり、もう決して届かなくなってしまった彼女のことを思ってわたしは再び涙を流した。

泣き疲れて適当に歩いていたせいで、どこをどう帰ってきたのか分からなくなってしまった。気がついたとき、わたしは再びあの老人を視界に捉えていて、何かに操られるかのようにして近づいていったのだった。

老人は相変わらず薪割り続けていた。

「どうじゃった。なにか、起きたかね」

斧を片手に顔を上げないまま、そう口にする。如実に現実感が蘇ってきて、わたしはついさっき体験した出来事を思い出し、それからそっと笑顔になって口を開いた。

「ええ。とても素敵な出来事でした」

もう二度と合えない相手と、たとえ影だけだったとしても会うことができたのだ。伝えられなかった想いも、伝えることができた。一方的ではあれど、わたしにとっては確かに素敵な体験だったのだ。

「……前を向けそうかね」

老人の問い掛けに、やはりこの人は霧の山で起きていることを正確に把握しているのだなあと理解した。わたしはくしゃりと表情を崩して、どうでしょうと口にする。

「また会いたくなってしまうかもしれません」

言葉に、老人は少し困ったような笑みを浮かべた。ぱがん、と薪が割れる。

「あんたも過去に囚われてしまいますか」

わたしは何も答えない。額を拭って、老人は斧を振り下ろす。ぱがん、と薪が割れる。沈黙が二人の間に染み込んでくる。

「かく言う私も、この山の霧に魅せられてしまったひとりでね」

不意に口にして、薪を割る手を休めた老人は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「失った日々を前にしてからというもの、ここから離れられずに、こうして樵のような真似事をしておるわけなんじゃよ」

「ご家族の誰かを?」

自嘲気味に笑った横顔に、失礼とは承知で訊ねたわたしに対して、老人は素直に頷いて答えてくれた。

「妻と娘をね、冬場の火事でいっぺんに亡くしてしまったんじゃ。あの冬はとても寒くての、ストーブは欠かせなかった。今思えば不幸なことに違いないのだろうが、ちょうど私は出張で家を離れていてのう。事のあらましを聞いて駆けつけてみれば、二人は見るも無惨な姿に変わり果ててしまっていた。面影すらなかったんじゃ。熱によって筋肉が収縮したんじゃろうなあ、口だけぽっかり開いていて並んだ歯が見えるんじゃよ。でも、それだけじゃ。身体は顔も全身も真っ黒に焼け爛れてしまっとってな、まさしく消し炭で、私は一瞬妻と娘じゃない、他の誰かが死んだんじゃないかと思ってしまったんじゃよ」

進んで訊いたくせにどうとも反応することができず、わたしは目を伏せて小さく頭を下げた。老人は遠く、消えつつある霧が覆い隠してしまった妻子を見つめるかのようにして目を細めた。

「この山はの、異界と繋がっているんじゃよ。もしくは、壮あって欲しいと心のどこかで願う者に山が望むものを与えてくれる。けれども、だからこそあまり長居をしてはならないんじゃよ。私は運よく山に管理者として認めらはしたが、私以外にここで長居をして無事にいられた者は他にはいないんじゃ。皆、山に呑まれてしまった。霧の奥へと誘われて、とうとう帰ってこなかった」

その淋しそうな物言いに、わたしは抗うようにして微笑を湛えた。

「それでも、またいつかこの場所に来てもいいでしょうか?」

驚きに目を見張って振り返った老人が、わたしの表情に何かを見たようだった。柔和に顔をほころばせるとそっと口を開いた。

「……いつでも来なさい。ここはどんな時でもちゃんとこのままであるはずじゃからのう」

「はい」

確かな返事をして背後に振り向く。木々の間を縫って差し込んできていた朝陽に目を細めた。鳥が羽ばたいて空を横切っていく。甲高い鳴き声が響き渡る。存外近くにあったログハウスの中から、いなくなったわたしを心配したらしい大学サークル仲間達が顔を出し始めていた。

「行かなくっちゃ」

呟きに、老人は力強く頷きを返してくれる。

「またいつか」

「ええ。またいつか」

言うと、老人は割り終えた薪をまとめて背中に担いだ。木々の間に分け入っていく背中を見えなくなるまで眺めてからわたしは踵を返した。

帰るべき日常へ、あるべき仲間の場所へと、わたしは歩を進めた。

2009-10-30

残念な営業

いや、なんかもう、非コミュ理系(笑)の俺から見ても

ライフハックにもならない基本が出来てない営業は

なんとかしてくれよ。



1.約束時間に来ない

そりゃ、こちとら、ほとんどいつでも職場にいるよ。

場合によっちゃ、土曜だって日曜だって。

だけど、それなりに仕事段取りってもんがあるんだから

約束した時間に来るぐらいのことはしろ。

スケジュールをこなすのが苦手なら、半日に1個以上

時間を指定したアポをとるんじゃねえ。



2.来ない

午後に伺いますとか言っておきながら、音沙汰なく

19時ごろ電話したら、もう帰りましたとか。留守電で応対とか。

約束を守れないなら連絡を入れろ。すぐに入れろ。

テレパシーでも送ったつもりか。式神送るぞこのやろう。



3.話が長い

根掘り葉掘り詮索するんじゃねえよ。会話はギブアンドテイクだよ。

ろくなネタもないのに、こっちから情報を引き出そうと

ずるずる長居するんじゃねえよ。時間増田するために貴重なんだからさ。

鳴きの竜も言っただろ「時の流れはアンタだけのもんじゃない」さっさと切れって。



4.安請合いする

安請合いしといて、後から出来ないから、こっちのプランでお願いしますとか。

お願いされないよ。費用時間もぼたぼた大出血で医者はどこだよ。

出来ないなら出来ないといえ。やると言った以上、待ったは無し、二歩も無し。



5.納品を間違える

物が違う、数量が違う、値段が違う、伝票が違う。

あんた、発注したとき、俺の目の前で手帳メモったがな。

納品のときに、そのご立派な手帳とつき合わせてからもってこいよ。

あと、定価が変わったら必ず報告しろ。また、あんたが伝票ミスったと思うがな。



6.知ったかぶりする

ググレカス



知識が豊富で、頭の回転も速く、いつでもベストな提案をしてのけるような

すごい営業マンになれとは言わないから、最低限のところを何とかしてくれ。

2009-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20091023132530

兄貴の嫁の実家葬式に赤子連れでのこのこ出かけた挙句

赤子が泣くまでのうのうと長居するような馬鹿なら相手の親族の前に

実の親がぶちきれだろう。多少でも常識のある一家なら。

2009-10-10

5年通った心療内科主治医世間話しながらふとPCの画面を見たら診断がいつの間にか「うつ病」になってた。デパス出してくれるならどこでもいいやぐらいの感じだったんで、診断名がショックだったわけではないけど、長居しすぎたのかな、と思った。主治医には悪いが、彼に求めてたのは処方箋だけで、なにを云われても抜け出せない、でも変われるわけでも死ねるわけでもなかった。けどここに居たらやっぱりそういう病名を付けられる/付けるしかない、袋小路なんだなと実感した。

定時を過ぎて少し経った頃、総務の人に、自分の下にいる派遣嬢が辞めたいといっている、と云われた。前々からそんなことを臭わしていたので驚きはしないが、派遣の1人も使えない自分に嫌気が差すには充分なインパクトだった。

このご時世に仕事があるだけマシだろうとか、布団から出て仕事に行けるだけまだいいじゃん、とか、下を見ればきりがないが、いまこの瞬間の気分としては「死にたい」に尽きる。自分の何かを良くして、そんでどーすんだ。今よりもっと良くなってやりたいこと、ほしいもの、何も思いつかない。これもある種の終わりだ。

こんなやつがのうのうと生きて給料もらって息してて、ごめんなさい。生きたいと願っているあなたと替わってあげられなくてごめんなさい。こんな状態で人とかかわってごめんなさい。ごめんなさい。

2009-08-01

研修医の給料について人と話した。


わたしが行きたい病院のお給料はだいたい手取りで20万ちょっと。

書類上は8:30から17:00まで、平日のみ、病院から約9000円+国から4000円だか5000円だか/日、日給月給なので祝日とかがあると減る。賞与なし。

寮は実質なし。住居費や交通費の補助もなし。

バイトは禁止(研修医は基本みんな禁止ですが)。

当直手当は一応出ることになってるけど、当直という名前じゃなくて当直することになる科もあるので、そういうところはもちろん出ない。たしか一回1万弱だったかな。当直のある科にいる間は週一で1万として、月に+4万。

で、住居費、定期代などの交通費生活費学会費、教科書代、奨学金返済などなどが支出


そりゃー額面だけなら普通初任給と同じとかもっと上とかなのかもしれないけども、出て行くお金が多い(学会費や教科書代)ってのもあり、「研修医って言われてるほど貧乏とかいえないんじゃないの」とかいわれるとちょっとしょんぼりしてしまう。


時給計算は泣けるから止めた方がいいよ、と先輩にアドバイスされたので、あえてしてみよう。

科にもよるけれど、朝は7:00くらいから病院にいて、夜は21:00~22:00なら早いほう、日が変わることもザラ。

土日はもちろん病院に来るし、祝日も結局病院にくる(なのでゴールデンウィークとかはフルサービス出勤になる)。

まあやさしく見積もって8:00-21:00として、(そんなとこ見たことないけど)1時間休めるとして、平日は一日12時間くらい労働で、土日も結局そんくらい病院にいるとして、84時間/週。アメリカレジデントは週80時間に区切ってるからそこそこ妥当かも。私の見てる先生たちはもっと病院長居しているけれども。

で、月30日で手取り25万として、12時間×30日で360時間。時給694円くらい。

高校生コンビニバイトみたいだな。

2009-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20090514234914

回答くれた方どうもありがとう

飛ばさなければよい

超人でない限りそれは無理

というか相手が何かの拍子に皿にチキンを落としてその飛まつが派手にこちらに飛んできたら相手を一生憎むかも

マックドか吉屋に行けばいい

それもいいんだけど

丼ならなか卯てんやかなあ


フレンチ

真っ白なワンピにはフレンチがあう。

軽食ならサンドイッチ

完璧なとりあわせだ。

あとおすし

ないし高級系の和食

カフェオレトリコロール、みたいな

日曜のブランチっぽくてオサレ

寿司はいいかな

唯一の欠点はすぐに満腹になってしまって長居できないことか

草原サンドイッチだろ

さわやかすぎる

ていうかそれならおにぎりでもいい気がしてきた

2009-04-05

高速のサービスエリア長居してはいけない

あそこはDQNの溜まり場で長くいると奴らの雰囲気に飲まれてしまうから。

dqnとは無縁でも奴らのレベルに引き込まれるのは意外と簡単だ。

だいたい車で休みの日に遠出してヨーカドーフードコート以下のものを並んで食って喜んでいるってどう思うよ。しかもふだんよりも高いかねはらっているというぶっとんだ経済感覚

こいつらは考えが浅いから目の前に快楽が転がっているとそれ以外のこと考えられなく成るんだなあ。

サービスエリアみたいな閉鎖空間ではそれが顕著になるわけだな。

やつらがそこに長居してくれると道路が空いてくれていいんだけ道路がえ。

まともな皆はトイレ休憩したらさっさと目的地に向かおうね。

2009-03-05

落ち着いて読書できる場所

一番はやはり自分の部屋なんだろうが,時々,選挙カーが走り回っていたり,

近くで家を建てていたり,工事していたりすると,神経質な私は集中できなくなってしまう.

ヘッドホン(私は耳が痛くなるからイヤホンだけれど)して音楽かけても,

それが気になって駄目.Jazz とか Classic ならともかく,歌を聞きながらは無理.

そうすると外に出ざるを得ないのだけれど,どこへ行けばいいだろう…

色々探してみたのだけれど,自分に会う場所がなかなか見つからない.

図書館は周囲が静か過ぎて,ページをめくる音やひそひそ声等が

逆に気になってしまう.時々,子どもが大声出すしな.ファーストフードファミレス

お喋り目的の人たちが多くて無理.あとこれらは広すぎて駄目.小規模で隠れ家的な場所がいい.

喫茶店カフェや夜はともかく日中はファミレスと同じでうるさい.

客の少ない飲食店は,かかっている曲が気にならなければ意外と落ち着けるけど,長居しづらい.

それに,あえて美味しくないもの食べに行くのもなんだかな.

電車の中は混雑時でなく,騒いでる学生がいなければ,かなり落ち着ける.

椅子のクッションも丁度いい硬さで,不思議アナウンスとかが気にならない.

ただ,今の生活では滅多に利用しない.電車って.ある駅で次の駅までの切符かって

そのまま終点まで行って,改札に行かずにそのまま逆行の電車に乗換えて戻り,

切符を買った行き先の駅まで戻ったら,それで通ってしまうんだろうか?違反だよね.

廃車になる電車とかを読書空間として開放したら,いいのにと思ったことがある.

コインランドリー洗濯乾燥機使っている振りして本読んでいたらどうだろう?

場所によっては冷暖房かけてあるし,長時間開いてるからな.でも試したことがない.

あと車の中もいいな.大型スーパーショッピングモール駐車場の一番遠い所のに止めて

陽が陰るまで車内で読み続けるとか.そんな遠くに止める人はまずいないから

平日ならまず誰も来ないし,来ても誰かを迎えに来て待っているんだろうと思われる.

気分転換に場所変えてもいい.腹減ったら店内に飲食に行ける.ただし夏は暑いから厳禁.

今まで考えたり,やってみたのはそれぐらいか.

今のところ,車の中が一番だな.他にもっといい場所か方法ないだろうか?

今日工事がうるくて耐えられないから,今から色々徘徊してくるよ.

2009-03-01

祖父がアルツハイマー痴呆症になった

 春の日射しが穏やかな日は、祖父がにこにこ笑っている顔が目にちらついて、私は少し辛くなる。祖父はアルツハイマー痴呆症になり、特別養護老人ホームにいる。もう二年くらいになると思う。祖父が施設でにこにこと笑うようになってから、父も母も笑えるようになった。私も弟妹も笑えるようになった。

 それまでの日々は、家族にとって、特に父と母にとって、地獄のような日々だった。

 祖父は、元々厳しくて頑固なところのある人だった。成人する前に両親を亡くし、大人に混じって農家を切り盛りしていたから、気が強くなってしまったのだろう。祖母と結婚して、父の姉と、父が生まれた。その後、警備員農家兼業するようになった。祖父も祖母も厳しい人で、昔の農家気質だったから、母は嫁入りした当初から辛い思いをすることもあったようだ。ただ、祖父も祖母も、孫である私たちには多少甘い部分をみせていた記憶がある。

 祖父が定年になる前、私がまだ小学生だった頃、祖母が亡くなった。五十代後半の死は、あまりにも早かった。母には、祖母の役目と母の役目、両方がのしかかった。今から約二十年前で、家事は女の仕事、女は男を立てるもの、という価値観はまだまだ当たり前にあった時代の話。祖母が亡くなってから、祖父の母に対する当たりがきつくなったと父は言う。また、この頃から酒量が増えた、とも。


 それから一年経って、私や弟とは歳の離れた妹が生まれた。母は仕事をやめた。祖父は歳の離れた末の孫を溺愛した。しょっちゅうかまうものだから、母は機嫌を悪くして、時々父や私に愚痴を言った。

 祖父と母の関係が決定的に悪化したのは、私が高校生になり、妹にある程度手がかからなくなって、母が再び働きに出るようになった後だ。祖父はとっくに定年になっていて、ずっと家にいるようになった。趣味の合う友人と連れだって遊びに出かけたことも時々はあったけれど、家にいることがほとんどで、昼間は自室に籠もっているか、畑で仕事をしているかだった。祖父には、母が五時過ぎに仕事から帰ると同時に台所の自分の席に座ってお酒を飲み始める習慣があった。母が夕食の支度をしている後ろ姿の、その後ろで二時間くらい、じっと座っているのだ。六時になる頃には私も弟妹も家にいたけれど、居間でテレビに釘付けだったから、その状態には気づけなかった。七時も過ぎて父が仕事から帰ってくると、夕食。六人で食卓を囲む。私と弟妹は思い思いにおしゃべりをする。ひとしきり話し終わった頃、祖父が口を開く。ときどき意味の分からないことを言う。話が通じないことに、私たちはイライラし始めて黙ってしまう。父が間に入って話すけれど、お酒の入っている祖父は興奮しやすく、時々興奮しすぎて母に当たった。祖父が母に当たると父も頭に血が上って、怒鳴り合いになる。しまいには祖父が「そんなに邪魔なら殺せ!包丁で刺せ!」などと叫んで、部屋に籠もってしまう。こんな日々が続いた。

 今思い出すと、この頃にはまだらボケが始まっていたのかもしれない。それで執拗にいろいろと尋ねたのかもしれない。私も弟妹も、学校がお昼頃で終わった日は居間でテレビを見たり、宿題をしたりしていた。そのとき、祖父がいつも居間にあらわれて話をしようとするのをうっとおしがっていた。なにも分かってない子供なんてワガママなもので、無視して自室に籠もることもあった。食卓を囲んでいるとき、怒鳴って気分をめちゃくちゃにする祖父の理不尽さも大嫌いだった。

 学校でもいろいろあるというのに、「殺せ!」と怒号の響く家は気が休まらなくて大嫌いだった。弟は、高校生になると、わざと夜遅く帰ってくるようになった。父が叱ったが聞く耳を持たなかったし、男の子だと言うこともあり、いつしか容認されていった。私にはそんな要領のよさはなかったし、妹はまだ小学生だったから、毎晩のように繰り返される怒鳴り合いをそばで聞いているしかなかった。

 私が大学への進学を考えた頃、両親は地元大学を勧めたけれど、私は県外の大学に願書を出した。願書を出す直前までは、後期試験地元を受けると言っていたくせに、結局後期試験の願書も県外の大学に出した。今思えばふざけた話だが、初めての反抗らしい反抗だった。県外の大学に進学した後は、部活バイト等、わざと忙しくして下宿にいないようにしていた。家からの電話憂鬱だったからだ。下宿に居ないのを両親に詮索されるのも嫌だったし、なにより、家族の誰かが別の誰かを殺したという電話がいつか入ることを本気で心配していたのだ。講義がない時期には帰省憂鬱だった。夏も冬も理由をつけて、一週間くらいしか家に帰らなかった。家に帰るとおなじみの怒鳴り合いの日々だった。帰って一、二日は静かだが、三日目を過ぎると怒鳴り合いが始まる。家から下宿に戻った後はますます電話が怖くなった。酷いときは電話線を抜いた。

 一歳下の弟も大学に進学して、家を離れた。家は、祖父と両親と妹だけになった。私たちは両親と妹を犠牲にしたのだと思う。

 大学三年の夏、父から電話がかかってきた。この時は不思議電話を取る気になった。電話の内容は中学生の妹のことだった。食事を全く取らなくなったという。父は毎晩のように妹の訴えを聞いていたけれど、最後には「頑張れ」と言うしかなく、なにもできないまま悪くなったという。妹に対しては罪悪感があった。夏休みはほとんどを家で過ごした。

 家に帰ってすぐに父と話した。母にはもう無理だからと言われ、母のお薬手帳を見せられた。そこに並んでいる処方薬の名前を調べると、抗精神病薬ばかりだった。母は頻繁に被害妄想を訴えるようになっていた。最初は、家に祖父と二人でいる間、いつも祖父が後にいるから怖いという訴えだった。それがいつの間にか、家の中で誰かに監視されている、家の中に盗聴器がある、近所ぐるみで監視している、警察に狙われている、と徐々に変化していった。祖父の行動ひとつひとつが、何者かによる母への攻撃であるかのように見えていたようだ。父は祖父に、母を刺激しないように何度も言ったが、祖父はその場では返事をするものの、すぐに忘れてしまうらしく、全く変わらなかった。

 その日会った妹はどこか異様だった。何を聞いても無表情で「うん……」と、けだるそうに返事をするだけ。本当に食事を取らなくなっていた。一口食べて箸を置き、体がだるいのかすぐ居間で横になる。重症だと思った。その日の晩、私が自室でうとうとしかけている頃、妹が枕を抱えて部屋に来て「一緒に寝ていい?」と言った。招き入れると、妹はしばらく黙っていたが、突然堰を切ったように話し始め、もう無理だと訴えた。妹は、いつか家の中で殺し合いが起こるといって怯えていた。母の被害妄想が始まってから、夕方の台所で母と祖父の言い争いが起こるようになった。妹はなるべく早く学校から帰り、食事の準備をしている母のそばにずっといた。妹がいる間は、母は穏やかで、祖父の機嫌もそう悪くはならないから。妹は毎日のように母の愚痴を聞いた。しかし状況は変わらず、母は夜中に突然飛び起きて、怖いと言って泣くようになっていった。妹の部屋は両親の寝室のすぐ隣だったから、母の泣く声で眠れないこともしばしばあったという。学校人間関係は、妹にとってあまりよくない状態で、妹の気が休まる時間はどこにもなかった。妹は、父には何かしてくれるようには言えないという。父は毎晩のように祖父と戦っていたし、母をなだめるのでいっぱいいっぱいだから、これ以上無理はさせられないと。

 父に遠慮している妹には悪いと思ったが、現状を父に伝えた。その上で、父にはしばらく黙っていてもらうことにした。妹の体調があまりよくないこともあり、病院に連れて行った。妹は検査採血をされ、胃カメラを飲み、点滴を打たれて「病人みたい」と笑った。「検査に異常はないから精神的なものだと思う、食べられないのが続くようなら精神科を紹介するから様子を見て」と言われた。その日からしばらく、妹は私にべったりと甘えていた。何をするにも一緒だった。帰省してきた弟は、帰ってくると真っ先に「おい大丈夫か?」と言った。進学して家を出てから、これだけ長い間弟妹と一緒にいたのは初めてだった。三人でくだらない話ばかりした。「この家、超不幸だ」と言いながら笑った。妹は、プリンゼリーから始めて、普通の食事も少しずつ摂るようになった。妹が笑うようになった頃、大学講義が始まって時間切れ。私はわざと忙しくするのを止め、電話を取るようになった。

 その後もしばらく膠着状態だった。祖父も母もあいかわらずの調子で、間に立つ父は本当にたいへんな思いをしただろう。

 私が大学卒業した頃、状況がますます悪い方に動きはじめた。昼間のうちに家のあちこちに水たまりができ、家族がしばしばそれを踏んづけるようになった。水たまりの犯人は祖父。時々失禁をするようになったのだ。何度注意しても改善せず、おむつを勧めても頑として受け入れない。以前は熱心に畑に出ていたのに部屋に籠もることが多くなり、同時に食事や入浴を忘れるようになった。部屋に籠もる一方で、ふらっといなくなることもあり、連絡をもらった父が慌てて迎えに行って頭を下げるのだ。時々真夜中に近所の家を訪ねることまであり、消耗した父は何度も祖父に「勘弁してくれ」と土下座したが、状況はまったく変わらなかった。祖父は自分の状況が分かっていなかったか、分かっていてもどうしようもなかったのだろう。他にも、庭先に祖父がどこからか拾ってきた妙なガラクタが増えたりもした。捨てようとすると祖父が怒るので、だんだん量が増えた。祖父は車の免許を持っていたけど、ちょうどこの頃に庭先で車をぶつけたこともあり、危ないので免許証を取り上げて車の鍵を隠した。祖父が車の鍵に執着して家じゅうを探しまわるので、母が影響されて荒れることもあった。

 さすがに近所にも親戚にも隠し通せなくなり、父は、隣県に住む伯母に相談した。伯母はその何年か前にヘルパー資格を取っており、福祉関係仕事も長いのでしばらく預かることを父に提案した。父も母も限界だったから、一ヶ月程度ということで祖父を伯母に預けた。庭先のガラクタを片づけ、荒れ放題になっていた祖父の部屋を片づけ、少し落ち着いたところで事件が起こった。伯母に預けた後、二週間も経っていないうちの出来事だ。伯母はその日も祖父に声をかけ、パートタイム仕事に出かけた。伯母が帰ると、祖父がなにも持たずにいなくなっていた。すぐに探しに出かけたが、祖父は見つからなかった。警察やご近所に連絡し、数日経って、祖父が警察保護されていると連絡があった。伯母宅からはずいぶん離れていた。祖父は警察に、家に帰せと主張していたそうだ。

 父はこの時、もう自宅で見るのは無理だと思ったそうだ。病院検査を受けるように祖父に勧めたが、祖父は昔から親は子よりえらいと思っている人で、このときも言うことを聞かなかった。父は、祖父が唯一頭の上がらない祖父の友人に状況を話し、祖父を説得してもらうことにした。祖父の友人は「もうずっと前からボケておかしくなっていることが分かっていたけど、言われるまで言えなかった」と、父に頭を下げた。祖父は友人の説得でしぶしぶ承諾し、父と友人に付き添われて病院検査を受けた。

 診断、アルツハイマー痴呆症

 アルツハイマー痴呆症には、根本的な治療薬がない。当時あったのは進行を抑えるだけの薬で、祖父を「治す」ことはできなかった。介護施設を探すことを医者から提案されたが、老人病院にも介護施設にも空きがなく、どこも順番待ちの状態で、診断がついても状況は変わらなかった。祖父の友人の協力を取りつけられたおかげで、祖父を説得しなければならないときにその人から強く言ってもらうこともできるようになったのはよかったが、祖父が内容を忘れてしまうことが何度もあったため、どれくらい効果があったのかは分からない。

 注意して祖父を観察するようになると、物事をしっかり認識できているときと、そうでないときがあることが分かった。普通に過ごしていても、時々どこを見ているのか分からないような様子でいることが、しばらくの間続くのだ。その直後の祖父は決まって難しい顔をした。どこか悲しそうで、戸惑っているような表情。話しているときも、前後の文脈が分からなくなっている様子があった。つい一瞬前に話した内容を忘れてしまうのだ。そして何度も直前の話を聞き返す。説明しなおして話が繋がるときもあれば、辻褄が合わないままのときもある。その時の祖父の表情は、やっぱりどこか悲しそうで、戸惑っているようだった。いわゆるまだらボケと呼ばれる症状だ。頭がしっかりしているときは、その直前まで自分が呆けていたことを分かっていたのかもしれない。

 診断がついてから何ヶ月も経って、家からそれなりに近い場所に介護施設が見つかったので、祖父を入居させる手続きをした。これで一件落着のはずだった。ところが、一週間後には「無理なので引き取ってください」と連絡が入った。何度も頼んだが、手に負えないから無理だと断られた。手に負えない原因は、主に精神的な症状だ。場所や状況を認識する能力が低下しているので、そこがどこなのか、なぜそこにいるのか理解できない。家にいたはずがいつの間にか知らない場所に連れてこられたと思いこみ、何度も脱走しようとした。止めようとしても、自分被害者だと思っているから暴れる。祖父は身体も大きく、農作業で身体を動かしていたこともあり、暴れると抑えるのは難しかった。収集癖の悪化も災いした。他の入居者の部屋に入りこみ、物を自分の場所に持ち帰るのだ。職員が返すように言っても、自分のものだと言い張って返さない。そして他の入居者とトラブルになる。こんなことが入居直後から繰り返されたので、ついには断られたのだ。

 それからは施設探し。祖父の身体疾患のこともあり、施設からは精神的に安定するまでは介護施設よりは病院に入った方がいいと言われた。受け入れてくれる病院などそうそうないから、しばらくは再び悪夢の日々。次の病院が見つかるまでに数ヶ月かかった。

 鍵のかかった病院に入ってから、祖父はぼうっとしていることが増えた。薬の影響もあったのだろう。週に一度、一時間かけて病院に行き、洗濯物を預かり、祖父と少し話した。最初の頃は、よく歩いていると職員に聞かされた。その後、車いすに座ってぼうっとしていることがだんだんと増え、歩くことも減った。話しかけると「よく来たなあ」と笑った。祖父から話しをすることはあまりなく、もっぱら私たちの話を聞いた。しっかり話を聞いていると思うと、急にぼうっとしてしまうこともあった。もう慣れていたから、そんなものだと思うようになった。祖父の顔は、だんだん穏やかになっていった。

 入院から半年ぐらい後のことだと思うが、祖父の状態が落ち着き、特別養護老人ホームに空きが出た。すぐに祖父をそちらに移すことになった。ホームには病院と同じように鍵がついており、入居者が自由になれるエリアは鍵の内側だけだったが、病院に比べると明るく開放的で、入居者が昼間に集まっているロビーの雰囲気も、なんとなく暖かみを感じるものだった。祖父をそちらに移してからも、週に一度、洗濯物を取りに行っている。施設に全部まかせることもできたが、父がその程度の面倒は見たいと言って譲らなかった。祖父は他の入居者とは少し離れた場所、ロビーのそばにある職員詰め所の入り口に、椅子を置いて座っている。職員は「いつもあそこに座ってますよ。よく分かりませんけどお気に入りみたいです」と言う。昔、警備をしていた名残だろうか。守衛として座っている時間も長かっただろうから。祖父に声をかけると「よく来たな」と私の名前を呼んで、にこにこ笑う。私が久々に祖父を見舞ったのは、ちょうどこの時期、少し暖かくなってきた頃だ。

 その後も現在まで、父は週に一度は祖父を見舞い、祖父の洗濯愚痴もこぼさず楽しそうにやっている。母は「お母さん、ノータッチだから楽でいいわ」と、のほほんとお茶をすする。一時期の被害妄想は、ほとんどなくなり、よく笑うようになった。家に寄りつかなかった弟は、遠方で就職したくせに「家の方が落ち着く」と、長期休暇のたびにぎりぎりまで長居する。妹は地元大学に進み、家の中ではよい意味ワガママな振る舞いをするようになった。弟妹はときどき、父について祖父のところに行く。以前とは違う意味で家の中がやかましくなった。みんな、笑えるようになった。

 私は結婚して家を出た。ときどき、父と一緒に祖父のところに出かける。このごろ祖父は私のことがわからなくなった。祖父は私を、祖父の娘の名前で呼び、話しかけてくる。私はにこにこしている祖父のために、にこにこながら受け答えをする。内心はかなり複雑だが、もしそれを表に出せば、また祖父を難しい顔にさせてしまうかもしれないから。同じ時間と場所を共有していても、祖父が見ている景色と、私が見ている景色多分違う。それを共有できることももうないかもしれないが、いつも難しい顔をしていた祖父がにこにこと笑っているのだから、これでよかったのだと思いたい。

 そういえば、祖父が楽しみにしていた花嫁姿を、祖父に見せてなかったことを思い出した。

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