はてなキーワード: フリスビーとは
犬じゃん🐶ほーれ、フリスビー!
8割方まぐろたたき丼を頼んでいる。残り1割はまぐろユッケ丼で、あとは豚丼。
なんの違和感もなく食べていたが、最近になってまぐろたたき丼はかつてフリスビー丼と揶揄されていたもののリバイバル商品であるということを知った。
言われてみれば確かにフリスビーだ。わたしの行きつけのすき家はわりとマシな盛り付けをしてくれるが、ネットを見ているとなかなか面白い盛り付けの画像がたくさんあって面白い。
わたしのおすすめのまぐろたたき丼は卵セットにして全卵を入れてまぜまぜしたまぐろたたき丼。
そのまま全卵を割り入れると白身がどぅるっとして気持ち悪いから、卵は別容器に割りいれてしっかり溶くこと。ちょっとうるさいからあんまり人がいるときにはやりたくないけど、箸を高速で容器の壁に叩きつけるようにして白身を切っていくのがポイント。ちなみに自宅で卵かけご飯をするときも先に茶碗に割りいれた卵をこうやって溶いた上にご飯を盛って混ぜると、白身のどぅるっと感なく全卵無駄にせずに食べられる。好き。
で、そのままフリスビーの上にかけると全部フリスビーの横に流れていってしまうので、先にフリスビーを十分にほぐす。そしたら全卵を回し入れて、一袋分のわさびをちょっとの醤油で溶いたわさび醤油もたらり。ざっくり混ぜて食べる。サイコー!
札幌かどっかに家族旅行中で、もうすぐ隕石が落ちますとアナウンスがあった。
どうしようもない。いきなりすぎる。
状況設定としては、リゾート用のコテージで、客が300人くらいは泊まれる施設だろうか。
外はまだ夏なので雪もないがやや涼しい。
母(60近い)、父(50近い)、俺(アラサー)、弟(1個下)。
おばあちゃん(母方)
おば(母の妹)
というメンバー。
父は、自己中なので、すぐにどこかに行った。
車はそのままなので、体一つで、どっか行ったんだろう。
俺と母に厳しい顔で、ウンウンってうなづいて、どっか行った。
一人で死ぬ気なのかなーって思った。
あるいは、家族仲が微妙なので、父はここにいるべきじゃないと父自身が判断して、そういうやさしさで消えたのかもなって思った。
どうやら、周りの家族でも、最後に子供と遊ぼうと湖に行くらしいのがちらほら居る。
湖には、小さい子供向けにサッカーボールやフリスビーなどがおいてあり、そこそこ遊べる。
弟が何しに行くのかわからない。
おとなしくて優しい奴だし、絵をかくのも好きだから、湖を見たり絵を描くんだろうか?
弟を見送ったあと。どうするか。
母と、おばあちゃんと、おばちゃんは、たぶんコテージの部屋に帰るだろう。
そう思ったが、俺はどうするか。
俺は、弟を追いかけることにした。
弟が自転車で湖に向かうのが見えた。
車で行こうかと思ったけど。俺も自転車にした。
湖では、子供たちがボール遊びをしており、それを眺める家族が何組かいた。
俺は実は、弟と仲がよくない。あったらすぐけんかする。それは俺の性格が悪いし俺が人生に鬱屈してるのをぶつけてるわけだけど。
はっきりいって、弟も俺が嫌いなはずである。
ふと、叔母の子供2人の状況が気になる。叔母とその2人の子供は仲がよくない。
叔母が完全にADHDで家をごみ屋敷にしてしまうからなんだけど。
母はどうだろう。母も、俺と弟が大好きだから、俺が行ったら喜ぶかなと思う。
俺は、コテージに帰る。
意外なことに、母、叔母、おばあちゃんはそれぞれ別の部屋に居た。チャイムを押したら、1部屋ずつ、一人ずつでてくる。
部屋で、4人でお茶を飲むことになる。
『the world is mine』というマンガでも世界の終末が書かれるんだが、そこでのキャラの1人が、家族5人で抱き合って死ぬ場面がかかれる。
その風景を思い出す。
俺は、その場で土下座して、泣きながら、「今までお世話になりました。とても幸せな人生でした。皆さまの深い愛情のおかげです」と言った。
っと、おばあちゃんが、全員に1万円札を渡した。
おばあちゃん 「少ないけど、地獄の沙汰も金次第っていうし、ね。」
そうなんだ。
俺たち一家は金持ちなんだけど、基地外ばっかりで、家族としてはぎくしゃくしていた。
最後、金でつながるってのもあるなあと思った。
気持ちとしては、老後にもなか食いながらお茶してる気分で、家族のつながりを感じていた。
このへんで夢から覚めた。
ほー人類滅亡とは、夢の自分が消えて、本当の自分が始まることでしたかー。
って感じ。
今書きながら泣いてる。
フリーランスの同業者を集めて、定期的にフットサル会を開いている。
「普段運動をしないので、軽く運動をして、その後に懇談会をしよう」という名目だ。
最初はそこそこ人が集まっていたのだが、回を重ねるごとに一次会であるフットサルの参加人数がどんどん減り、
そこでフットサルに参加しない人に参加しない理由を聞いてみたところ、
そこでフットサルを卓球やボウリングに変えてみたが、人数は減る一方だった。
汗を流すことが第一なので、点数などは気にしないように言っているが、
「運動が下手だから」という理由に対する解決策がなければ、どうにもならない気がする。
ブコメ付いているので追記
総合すると
・点数とか実力の差がはっきりわかるような要素がなくて、
・道具も現地で安く借りれて
・山の手線内などのみんながアクセスしやすいところでできるスポーツ
がいいのかもしれない
サバゲはいいかもって思ったけど、装備とフィールドのレンタルに結構お金がかかるのが難点
旧ipadがひとつ余っているので3歳の息子におもちゃとして与えてみた。
ただ与えてもフリスビー化してしまうので、知育アプリと呼ばれるようなものを幾つかインスコして
やり方を一緒に見ながら遊んでみた。はしゃぐ息子。
何事も15分ずつで一区切りする!という約束なので15分見てみることにする。
すると息子は10分もすると飽きた。
将棋をやり始める息子。
何事も15分ずつで一区切りする!という約束なので15分見てみることにする。
延々と将棋をやっている。どうやらルールを理解できないらしく「教えてくれ!」とお願いしてきたので駒の動かし方を教える。
「あー。うん。あー。」と納得のご様子。
だが勝てない。初級レベルでも勝てない。
知育アプリにも同じようなものをインストしてあったので、そちらをオススメしてみる。
息子「いやこれつまらんもん。簡単すぎんねん」
息子「対戦してくれるんならやってもええで。おとうさん弱ない?大丈夫???」
自分「あ、あああ、あとでほえづらかかしたるわぁあああああ!!!!!」
息子の発言に若干焦りながらも対戦。無事勝ち越す。
息子若干いじける。
お昼を食べて外で遊んで帰ってきて寝て。おきて将棋アプリ起動。負ける息子。
将棋アプリで対戦しようという。対戦できないタイプだったので違うアプリインスコ。
圧勝。
息子若干いじける。
初級レベルに勝つ息子。
息子いわく
「戦ったら(対戦したら)どうやって動かしてくるかわかった」
その後ipadをやるときは教育カテゴリーにあるものではなく普通のものをやるようになる。
教育カテゴリーにあるようなものはだいたいつまらないそうだ。簡単すぎて。
やあ、今日は二回目だよ。
さっき書いた奴はどちらかというと実践的すぎて、つまらなかったかも知れないよね。
前回の記事
http://anond.hatelabo.jp/20150224002209
神のOS LinuxにはWindows界では理解されないエディタについての戦争がある。
vimとEmacsが民主党と共和党みたいな感じで戦っている。
実際に戦って死人も出ているんだ。
2003年には武力闘争にまで発展し、PKOが介入することになったけれども
今はグローバル化して国境なき紛争として、様々な場所で問題を引き起こしている。
それはプログラミング。
刀なのだ。
すべてなのだ。
よって、どのエディタを使うのかはどのようなイデオロギーを持ってそしてどのように戦うか、ハッカーにとってはアイデンティティに関わる重要なこと。
さて、僕はどの立場の人間なのかということを明らかにする時が来たようだね。
僕のハッキングスタイル、コーディングスタイル、そして思想がいま明らかになる。
しかしこれはかなり実践的なデザインで、僕の攻撃スタイルにとてもあっている。
まず、コーディングシートを塗るときに素晴らしい下敷きになる。
2Bの鉛筆で力強く塗っても全く穴があかない下敷き。
かといって硬すぎずクッションのように包んでくれる。
強い武器でいて優しさにあふれている。
やばい!攻撃の途中だがコーディングが間違っていたかも知れない!!
そういう時は素早くジャポニカ学習帳を開く。
ジャポニカ学習帳【じゆうちょう】を開くとそこには真っ白い無地のページが広がっている。
そこに一心不乱に0と1を書く。
0と1を書いて、自分がコーディングシートに示していたアドレスをメモして、どの値を入れていたのかを確認し、順次立ててメモリ空間の二進数がどう変化していくのか書いていくのだ。
機械語は日本語と同じ、九九のように二進数の計算を進めていく。
IBMの研修でもらったフローチャート用定規もつかったりする。
すべてが分かった時に再びコーディングシートに移る。
すべてが終わった。
すぐパンチャーに渡すんだ!
何枚ものコーディングシートをジャポニカ学習帳に挟む!ページを間違えないようにね。
そしてそれをフリスビーのようにパンチャーに投げるんだ。
「ツッコミスキルを鍛えたい!」と世の中のみんながそう思ってる。何故だ?何故なんだ?ツッコミなんてお笑い芸人だけのものだろう?それともあれか、合コントークに使うのか?
いやいや。ツッコミというのは「人心掌握術」なのだよ。人を感動させ賛同させるためのな。生きていく上で必要不可欠な存在、それがツッコミスキルなのだよ。
え?「なんでや!ツッコミはそんな大層なもんじゃないやろ!」って?ノンノン、ツッコミは凄いんだ。大層なものなんだ。なのに「ただの間違いの訂正と誤解されている」んだ。
例えば。「なんでや!阪神関係ないやろ!」っていう間違いの訂正。違和感の訴えとも言えるが。まあ、芸のあるツッコミとは言えません。
この場合は相手がツッコミ待ちだからマシだけど、そうじゃない場合には?ツッコミって体(てい)で間違いを訂正したら嫌な顔されたなんてオチが見えますねえw
だから間違いの訂正に間違いの訂正をしたい。そんなんじゃねえよツッコミってモンはよ、ってね。これツッコミじゃなくてガチダメ出しなw
もひとつ例をあげようか。んーそうだな・・・例えば「人すくな!」。こういうツッコミってどうなんだ?誰にでも言えるよな?見れば誰でも分かる違和感を口にする意味ってなんだ?代弁とか?おもに代弁だな。
でもタイミングが難しい。速すぎても遅すぎてもだめ。特に遅すぎないのが大事。遅れて「人すくな!」と言うと「見りゃわかるわ」と言われるのがオチ。これではツッコミのつもりがボケになっちまうw
みんなが「人少ないな」と思いかける瞬間に「すくな!」と代弁するから賛同される。
なぜ俺はこんな話をしたのか?ちょっと考えれば分かる分析を披露するため?いやそうじゃなく、ツッコミは単なる違和感の訴えなんかじゃないってこと。それが言いたかった。
違和感を訴えるだけなら、どのタイミングで「人すくな!」と言ってもよいはずだ。訴えるだけなら簡単なもんだ。そうじゃないって。ツッコミは鋭くないといけない。
鋭いツッコミとは、人々の違和感をスッキリさせるツッコミだ。そのために絶妙なタイミングで違和感を訴えてるだけで。訴えるだけならサルでもできる。
もう分かっただろう。ツッコミは間違いの訂正でも違和感の訴えでもない。ツッコミは違和感からの解放。人々のモヤモヤをスッキリさせるから「人心掌握」できるのだ。だから人生の必須スキルなのだ。
みんなそのことを多かれ少なかれ分かってるから「ツッコミスキル鍛えたい!」と思ってる。でも間違いの訂正や違和感の訴えを頑張ってもダメなんだ。それではツッコミスキルが鍛えられない。
ここまで読んだ読者にはもう分かっただろう。ツッコミスキルを鍛えるには、違和感に着目すればいい。常日頃感じた「違和感をメモする」ことから始めてみては。
ただーし、文句を言うのではない。違和感の解決が目的だ。文句ばかり言ってたら違和感が強まるだけ。これはつまらないお笑い芸人になる罠である。
ツッコミスキル鍛えるつもりが文句スキルを鍛えてたなんて笑えない。笑えないし笑わせることもできない。これは文句たれるだけのつまらん人間から脱却するチャンスでもある。
じゃあ違和感はどうやって解決すればいいのか?秀逸なツッコミはどんな具合に違和感を解決していたか思い出してみよう。
フットボールアワー後藤のツッコミ集botをここに置いておきますね。 https://twitter.com/gotosmart_bot 好みが合わない場合は各自用意するように。
秀逸なツッコミというのは例外なく「的確すぎるwww」と笑いたくなるだろう。ただ違和感を表明するのではなく的確に表現するから「たしかにwww」と笑いたくなる。
しかも、ごく当然のことを的確に言いながらも斬新さがあるでしょ?つまり、みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける。だから「たしかに!」と感動され賛同される。これが鋭いツッコミってやつ。
言い換えると、あやふやな説明しか与えない既存の認知をくつがえし、そしてスッキリした枠組みを与えることで、人々の違和感を解決する。それが鋭いツッコミ。
言われてみると当たり前だけどこれがツッコミスキルを鍛えるために重要なんよ。
ここでFAQに答えると、「世の不条理を的確に表現するだけなら批評家でもできるじゃん。でも笑えないこと多いじゃん。」そう思った?
笑える批評もあるよ。映画や音楽の評論家に多い印象があるな。批評が笑えないことが多いのは、抽象的な不条理は「みんなの違和感」として共有するのが難しいから、
視点の斬新さは必ずしも必要ないから、的確さといってもインパクトある的確さにすると暴論になりがちだから、だな。
もひとつ。「詩はユニークで的確な表現を使うけど、だからって笑えるわけじゃない。笑いなんて理屈で説明できないんだよ。」そう思った?
これはそもそも違和感がたりない。詩は美を表現するものだ。違和感が表現されることもあるが、そればかりでは美しくならない。そういうことだ。
大事なことなので2回言います。「みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける」。これが面白いツッコミよ。
となれば、ツッコミスキルの鍛え方はもう完全に分かっただろう。
まず違和感をメモする。メモする時は文句にならないように。これはもう言った。普段から「おや?」と引っかかる物事にアンテナを拡げておくのがいいな。
次に、違和感を的確に表現する練習。これも愚痴にはならないように。表現に斬新さは必要ない。ここまで読んだ君なら、表現を奇抜にするだけじゃ無意味だって分かるだろ?
斬新さが必要なのは視点だ。単に表現が斬新なだけで視点がありきたりなままでは、違和感は解決されない。ありきたりな視点で解決できるならみんな違和感にモヤモヤしてない。
さて、1つの違和感に対して的確な表現を模索してると、突然頭がピカッと光ることがある。新しい視点のひらめきだ。
この回路を鍛えるために練習するのよ。1日に何十回もピカッとするようになったら人生(QOL)も変わる。
最後に、新しい視点集めをしよう。違和感とか関係なしに、新しい視点だなと思ったらメモする。自分にとって新しければどんな些細なことでもいい。
むしろ些細なことのほうがいい。エロ画像集めてると後で見たらあんまエロくないのに保存しちゃうことがあるだろ?興奮してると些細なエロでもエロく感じる。
それと同じで日頃から些細な新しさでも積極的に興奮していこう。派手な新しさの中に本当の新しさは少ない。些細な新しさの中にこそ可能性がある。
だから新しさの感度を高めていくのだ君達。ただし、フェイスブック式の機械的な「いいね!」にはならんように。それでは逆に感性が鈍くなる。
ちゃんと新しいと感じることが大事。ほんのわずかでも新しいと感じてるのを確認してからメモする。
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いやあ、みんなありがとう。以下返信。
まず「なるほど」「こういう能力が欲しい」ってコメントしてくれた人達。ありがとう。
本エントリをツッコミ待ちと解釈した人達、ツッコミ入れた人達。バレちった?w皮肉じゃなく本心なら半分正解。なかなか鋭い。
>「秀逸なツッコミ」は「秀逸」だと気付かれないツッコミです。ツッコまれた人だけが「あ、なんか話しやすい」と思えるのが理想です。目立ちたがりのツッコミは存在がうるそうなる。
確かにそういうものかも。気付かれないほうが気付かせることができる。そう思うんだ。人にツッコむときは気をつけたい。
なるほど。そういう役割もあるね。いろいろ考えてみる。桂枝雀にも興味もったよ。ありがとう。
> 要は、何か違和感のある空気となった時、違和感へ触れることがタブーな雰囲気になる前に即ツッコミをいれてフラットな雰囲気に戻す事ができる能力=ツッコミ力ということでしょうか。
あぁ、場のみんなが違和感に触れやすくする役割もあるのか。他に、触れやすくても言葉にしにくい違和感を代弁して解放させる役割もある。両方ツッコミだけど想定してたのは後者。
> 例えツッコミが復活してきたのって、流れとしてはツッコミのボケ化だと思う。ボケはほんとセンスでやる行為だから真似できない、でもツッコミは例え上手くすりゃ形は真似できる。しかし本当はそっからが大切なんだ
面白い見解だね。ボケ的センスを加えたツッコミ。高圧的に間違いを訂正するツッコミから、ボケて違和感を解放してあげるツッコミへ。
> ツッコミキャラの自負持ってる奴はたいがいクソだと思うけどね
> ツッコミは、別に鋭くなくて、場が和めば、それでOKだという考え方もある。
いやそれは本当にそう思う。「鋭いツッコミ」ってある意味鋭くないものだよな。
> フリスビーをどこに投げても取ってくれるのがツッコミなのであって、違和感だの非常識だのは関係ないな・・と思ってるのでツッコミを鍛えたいなんて思ってなくて、だから関東の人の会話はフリスビーが飛び交ってる。
なるほど。確かに相槌に近いところがある。どんな暴投でも拾ってくれる相槌。拾う気があればスキルなんて鍛える必要ないとも言える。違和感というよりもっと広く「興味」でどうだろう。
> 笑いの話でいうと、司会者気取りでつまらん無茶振りをしてくるやつが不快。ボケをやりたがる人って少ないよね。
たしかにね。ツッコミが暴力装置になっててボケは損な役回り。だからツッコミの再定義が必要。また、意図せぬボケをしても関西風に「おいしい」と思えるかどうか。
> 日常生活で「面白いツッコミしよう」って思ってる人は、99%がスベッてる。自分の周りの『面白い人』を思い浮かべてみれば、無理に面白いこと言おうとしてないでしょ
うん。身体に染みついてないとな。ツッコミは笑いの道具である前に認識様式でないと。本読む時ツッコミ入れながら理解するけど、そのとき無理してるか?って話。
> 長いよ!自称Sですと同じニオイがする
> ツッコミは多分普段からのキャラの方が重要だと思うけどな。いじられる要素持ってたら言葉に何も説得力を持たないから。
そう。世間ではツッコミキャラ=いじり役になってる。それに目指す価値があるかってことだと思う。
> ツッコミスキルで一番重要なのは、望まれないツッコミはしないということではなかろうか。
批判的ツッコミは危ないね。人々の否定感情を代弁する批判的ツッコミも誰かを傷つけうる。
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補足。
ツッコミには愛が必要って話が出たので補足。本文に沿えば愛あるツッコミとは「違和感からの解放」。一方、文句(に近いツッコミ)ってのは「常識の反復」なんだよな。
例えば、友達が何かに文句ばっかり言ってたとしよう。その人は何かに対する違和感を抱えこんでる。その違和感を直接解決するには、違和感に的確な理解や表現を与えないといけない。
だから、常識や固定観念でしか考えられないでいると、なかなか違和感を解決できないことが多い。違和感を解決できないから、文句を周りにブーブー垂れる。
また、違和感だけでなくその背後にある問題もなかなか解決できない。常識にとらわれて理解が不足し視野が狭くなってるからな。
そう考えると、文句ばっかり言うのは、SOS信号を出してるともみなせる。視野の広い人による愛あるツッコミ待ちってこと。
世の中には文句に近いツッコミが得意な人が沢山いるけど、そんな人では救えない。文句では文句への没入は救えないし、常識では常識への没入は救えない。
前に書いた、初めてのキャバクラ http://anond.hatelabo.jp/20140523154051 が知らない間にたくさんとはてなブとツイートされていたようだ。
続編を望まれているようだったので書いてみようと思う。
「◯◯クン、キャバクラに行ったことあるんだって?今度オレも連れて行ってよ」
ある日、喫煙所で先輩にそう言われた。
きっと先日の飲み会で少し話したのを憶えていたのだろう。
今度と言わず今日行きましょうという事になり、仕事帰りに行く事になった。
居酒屋で腹ごしらえ&酒でテンションを上げてから、いざ、キャバクラへ。
ちなみに先輩はキャバクラに行かなくても女の子に不自由しないくらいのイケメンだ。
イケメンがバイト感覚の学生がキャバ嬢やってる大衆店に行くと、そりゃ無双状態。
初めてのキャバクラでよほど楽しかったのか、それから数年、毎週末のようにキャバクラに誘われるようになった。
しかし、私は先輩よりも若くお小遣いも少ない。さすがキャバクラ連発は心身に応える……のが普通なんだが、何故かその先輩がほとんど奢ってくれた。
そう。前回「こうして、僕のキャバクラ伝説が幕を開けた。」と書いたが、あれは正確には僕の伝説では無く、この先輩や、他の御方が繰り広げた伝説の事で僕はその語り部に過ぎない。
まず先に、この先輩が修羅の門をくぐった。
キャバクラ→複数人の連絡先ゲット→同伴→チョメチョメ。この永久機関とも感じられた、自身のイケメン具合を使った連続攻撃を憶えた先輩は今思うにナンパ場所としてキャバクラを活用していたんだと思う。
時に、もう終電の無いような時間に先輩から電話が掛かってきて飲みに誘われる→指定された場所がキャバクラ…席についたらメシまで用意されている…。
時に、地方に旅行に一緒に行った際、一夜でキャバクラ→ガールズバー→キャバクラのコンボを炸裂し飲み過ぎて下痢になり…(翌日同伴するんだからスゴい)。
時に、オープンから閉店までコースターを店内にフリスビーのように投げまくり…
「お会計はこんな金額ではない!」とボーイと揉める先輩をなだめ…今日はいっぱいで入れませんと応対してきたガールズバーのお姉さんのおっぱいをその場で揉みしだき…。
時に、地下から地上数階まであるキャバクラビルを一夜でドルアーガの塔のように駆け上がり…。
まさに無数の伝説を繰り広げた。
店を出る際に斬る謎の変な色のクレジットカードは今でも友人達の間では伝説のエクスカリバーとして語り継がれている(一節によると財テクしていたらしい)。
そんな先輩が、店を出るまで黒服にマークされ記憶を無くしながらラーメンを食った伝説についてもいつか機会があれば話したいと思う。
同僚女性は結構な割合で同業者の男が好きみたいだけど、私は絶対嫌だよ!
だって絶対仕事の話ばっかりするじゃん!休日ぐらいゆっくりしたいよ!マネタイズがどうのとかフレームワークがどうのとか聞きたくも無いよ!
いや、仕事の話は好きだよ!同僚と仕事の話で盛り上がるの好きだよ!だいたい好きだからこそこの道に入ってるんだし。
でも彼氏とはしたくない!恋人関係に持ち込みたくない!わざわざ夜景の見えるレストラン(笑)とか行って恋人気分を高めたところで、
そこで彼氏の口からCTRとかローカライズとかって単語が出たらもう終わるもん。積極的に話に乗ってしまうもん。その話しかしないもん。台無し。
で、私は「スマホを買ったはいいもののぶっちゃけ欠片も興味なくてアプリひとつもインストールしてない」みたいな人と付き合ってて、
お互いの仕事についての話も業務の中核的な話ではなく人間関係中心の話をしていて(共有しない奴ウザイ、とか)、
あとは音楽の話とか、映画の話とか、海外ドラマの話とか、どうでもいい話とか、ちんこまんこ言ったりとか、あとは風の強い日にわざわざフリスビーしたりとか、
それで私は全然満足しているんだけど、それを同僚女性陣に言うと「えー!!(ひんしゅく)」みたいになる。
彼女たちはそんなに仕事愛なのか?四六時中ITについて、それも自分がお客さんとして言いたい放題言える立場としてじゃなく、サービス提供者としての話を、
恋人と過ごすときですら考えていたいのか?週7じゃねーか!社畜すぎる!いやいや…本当にカンベンですよ。
百歩譲ってデザイナーと開発者みたいな、それぞれ別の専門領域を持ってるような間柄じゃないとプライベートまで息苦しすぎて耐えられないと思う。
仕事が嫌いってわけじゃないんだけど、切り分けはしたいという気持ち、なぜ共有できないのかなあ。
仕事で考えるべき内容や知識がカブると、恋愛の相手としては対象外になるのよ。フォルダが違うというか。
むしろこの話は男性同僚との方が通じるんだよ。仲がいい男性同僚の同棲中の彼女もショップ店員だし、上司(男)の奥さんも銀行員だし。
http://anond.hatelabo.jp/20090721004027 から続く
(この後、大量の@返信)
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